Child on the Steps - 5/9

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「わっ、何やこれ!?」
蚊帳の中で驚いて跳ね起きた気配があって、エンデヴァーは報告メールを確認していたノートパソコンを閉じると、蚊帳の内部の様子を窺った。
乳幼児の頃のような危うさはないものの、寝ぼけて浮き上がる癖のある六歳児は、少し布団を減らした蚊帳の中で寝かせた。
昼間、刺激の強い戦闘動画を見過ぎたのだろう、夢見が悪いようで、何度か夜中に起き出してはエンデヴァーが横で事務仕事をしているのを確認してはまた眠りにつくということを繰り返していたので、いつ成長するか、本当に元に戻るのか不安を覚えていたが、今、蚊帳の中で混乱した気配は昨日の六歳児より大きくなっていた。
ごそごそと蚊帳をたくしあげて、ひょこりと顔を覗かせた少年と目が合う。
「エンデヴァー!」
昨日の反省を踏まえて、顔に炎を纏わせていたので、すぐにそれと認識したようだった。
驚きに丸くなった目の色は変わらず。ただ、きょろきょろとよく動く目は快活で、好奇心に満ち満ちていて印象が大分異なった。
昨日より手足が更に伸びて、背の翼も大きくなった。小学校の中学年程の年齢だろうか、翼を使わずとも俊敏そうな印象で、活発な子供に見えた。
エンデヴァーを見上げて目を瞬かせ、おもむろに己の頬を引っ張っる。
「一応、痛か」
「……そうだろうな」
朝、見知らぬ場所で目が覚めたらヒーローがいた、という状況に古典的な手法で現実かどうかを確認した少年に、顔の炎を収めて嘆息する。
「なんで、エンデヴァー……」
至極もっともな疑問を口にしかけた少年が、ふと目を細めた。
鋭さを増した鷹の目を見返すと、あっさりと背中を見せて蚊帳に潜り直す。怯えて逃げ込んだわけでもなさそうだったので、しばらく黙って様子を見ていると、オレンジ色のぬいぐるみを手に這い出してきた。
まっすぐにエンデヴァーを示した指が縦に下され、次にぬいぐるみの顔の傷をなぞる。
同様の仕草を、昨日も見た。
「顔に傷のあるエンデヴァーと、ぬいぐるみ。夢やなかった」
「夢……?」
にこり、と笑った子供の表情の豊かさに戸惑いながら問う。
成人後の人を食ったようなふざけた態度と、それに付随してころころと変わる大袈裟な表情を見知っているので、この愛嬌のある笑顔はむしろ大人の彼に近しい。子供の頃のウイングヒーローはこうだっただろう、と想像する通りの姿である。
戸惑うのは、昨日の表情に乏しい幼児の姿を知るからだ。
「小さい頃、傷あるエンデヴァーに会うて、お前は本当は大人のヒーローなんや、って言わるー夢。ぬいぐるみも買うてもろうた。ばってん、エンデヴァーに傷なんかなか、傷んあるぬいぐるみもオレは持っとらんで、そげな夢見たんだなーって思うとったら、なんかリアルになった」
真新しい、買ったばかりのぬいぐるみを見下ろして、少し複雑な顔で笑う。
「そっちが本当で、ぬいぐるみば買うてもろうたんが昨日? オレは本当は大人で、プロヒーロー?」
相変わらず、説明の必要がない程に頭の回転が早い。
速すぎる男はこの頃かららしい。
「ホークス」
「……うん、それ、オレのヒーロー名。覚えとる」
「覚えている、というのはどういうことだ?」
昨日立てた予想通り、五歳前後の成長を遂げているように思える。
中身も当時の記憶に戻るものと思っていたが、この言動からすると、昨日の記憶がある。
「まず、貴様は本来ならば二十三歳の大人で、プロヒーローだ。年齢を巻き戻す個性を受けて、毎日五歳程度ずつ元に戻っている。今、何歳だ?」
「十歳、小四」
昨日の姿から四年の加齢になる。
「小学校上がる前に、傷あるエンデヴァーに会うてん覚えとー。ばってん、なんか色々変で、ありえん。夢んごたー感じ」
説明は少しあやふやだったが、それも当然だろう。エンデヴァーが同じ立場に置かれたとして、まともに説明できる気がしない。
「オレ、今日は何ばすりゃよか?」
「そうだな……」
昨日と同じような問いだが、この子供は完全に自分の置かれた状況を理解している。年齢の戻り方も想定内なので、病院に報告だけ入れておけば、おそらく連れて行く必要もないだろう。
引き続き、保護監督と護衛は必要だ。
今日も事務所に連れて行くしかないだろうと算段したところで、廊下から障子が軽く叩かれた。
「開けても大丈夫?」
冬美の声が障子越しにかけられ、昨日の件があるので、問題ないと応じて初めて部屋に入ってきた。
「……おはよう、順調に戻ってるね」
自身の生徒達と同じくらいの年頃になった子供を見て、にこりと笑いかけた冬美に、少年は一瞬奇妙な顔をした。
およそ子供に似つかわしくない探るような猜疑の目が、一つ瞬きする間にその色を消し、にこにこと人懐こく笑い返す。
「おはよーございます、フユミ先生」
「あれ、昨日のこと覚えてるの?」
なんとなく、と笑いながら、少年は己の羽を一枚差し出した。
「先生、あげる。お近づきのシルシ」
「ありがとう」
成人時の彼がファンにしそうなサービスだが、この頃からそういったことをしていたのかと考えながら、愛想のよい笑顔を振りまく子供の頭に手を置く。
「とりあえず顔を洗って、服を着替えろ」
はーい、と軽い調子で応じ、障子戸を開けたホークスの目が丸くなる。
「うっわ、何これ、演習用のセット!?」
「普通の家だ」
「フツー!? これ、フツーの家!? 忍者屋敷とかじゃなく!?」
日本家屋というものを全く知らないらしい子供が騒ぐが、最初に出てくる単語が「演習用」なところが、少々危うい。
エンデヴァーが知るホークスの姿に近くはなったが、基本的にこれは、あのぬいぐるみを抱えていた幼児の延長でしかないのだと知る。
「寺!? ここ寺!? 修行とかすると!?」
「せん! 寺でもない! 薄着で外に出るな! 先に着替えろ!」
目を離すと文字通り飛んでいきそうな子供の襟首を掴んで、引き戻して叱りつけながら、これを一日監督するのか、とエンデヴァーは嘆息した。

和室で和食の朝食を食べるという経験をしたことのなかったらしい子供は、食事中も非常に賑やかで、食事が終われば、愛想よく冬美を手伝って食器を台所に運んだ。
そのまましばらく戻ってこなかったので、洗うのも手伝っているのだろう。馴れ馴れしいくらいに人懐こい態度だが、あれは相当に子供なりに気を遣っている。
事務所に向かう準備をしていると、危ない、と短い悲鳴が聞こえた。
「どうした!」
台所に駆けつけると、ぱたりぱたり、と音を立てて戸棚が閉じて、赤い羽が少年の背に戻るところだった。
「……どうした?」
特に何の異常も見られないが、未来のウイングヒーローが何かやらかしたのは分かった。
「ええと……?」
何か咎められるようなことをしただろうか、と狼狽えたホークスに代わって、つい声を上げたらしい冬美が応じた。
「すごいの! 一気にお皿拭いて、全部片づけて。魔法みたいだった!」
その器用な剛翼で、災害現場で複数名の救護を同時並行で行なえる男だ。家事手伝いなどこの歳でも容易いことだろうが、初めて目にした曲芸じみたその個性の発現に、割れ物ということもあり、思わず一瞬悲鳴を上げたものらしい。
「……皿の位置は合っているのか?」
以前、大人の彼に料理をしたことがないだろうと揶揄されて、そもそも男子厨房に入らずを体現して生きてきたエンデヴァーは、ものの試しに娘の後片付けの手伝いをしに入ってみて、皿の定位置すら分からず、きっぱりともう手伝わなくていいと娘に戦力外通知を言い渡された。
いくら器用でも、初めて入った他人の家の台所で、どうやったら位置を間違わず、瞬時に片づけるなどということができるのかと問うと、少年は少し考え込んだ。
「ええと、部屋入ったら見える範囲は全部見る。しまう皿の形と大きさを羽で把握して、同じサイズの皿を羽で探す。ちょっと浮いて目でも確認して、しまう。普段使う皿は取りやすいところにあるから、難しゅうなか」
ゆっくり一つずつするならば、誰にでもできる作業だが、それを同時並行で瞬時に処理できるとなると、改めて凄まじい能力である。
「すごいな」
個性そのものよりも、それを成立させている脳の演算能力が並外れているのだと、掌にすっぽりと納まる小さな頭を撫でてやると、一瞬呆けた顔をした子供の顔に朱が上る。
「訓練、しとうから、できなダメやし」
まだ照れが分かりやすいところは、実に可愛らしい。
「訓練というのは、どこで?」
「…………オレ、ヒーローになるって決めてるから、毎日特訓してん」
そして実に可愛らしく笑顔でごまかした子供を、どうしたものか考え込んだところで、玄関のチャイムが鳴った。
まだ早朝である、人の家を訪問するような時間帯ではない。
娘も不可解そうな顔でインターフォンに応じに行き、少し考え込んだエンデヴァーがその後に続くと、置いて行かれるのに不安を覚えたか、ふわりと浮き上がって頭上をついてくる。
『どうもー、朝早くからスミマセーン。ヒーロー公安委員会より参りました、目良と申します』
モニターに映し出された、目の隈が濃く刻まれた男の顔に見覚えはなかったが、名乗られた名前と薄っぺらい口調には覚えがあった。先日、このホークスの件で公安と連絡を取った際に話した男だ。
「あ、目良さんや」
エンデヴァーの肩越しにモニターを覗き込んだ少年が反応する。本当ならば、彼が知っているのは十二、三年前の男の姿だろうが、あまり印象が変わっていないのかもしれない。
「知り合いか?」
「んー、公安の人。ローキイハンで帰れない系公務員」
嫌な紹介のされかたである。
「たぶん、オレんこと迎えに来た」
「迎え?」
どういう意味だ、という問いには応じず、ぱたぱたと羽ばたきながら玄関に向かう冬美の後ろについて行くのを追う。
「えー、こんな時間にすみません。確実にご在宅の時間を、と思ったらこんな時間に。あ、こちらつまらないものですが。いやー、お若い奥様で。え、娘さん? エンデヴァーさんに、こんなお年頃のお嬢様が」
「俺はその茶番に社交辞令を返さないとならんのか?」
こちらの家族構成も家庭内の事情も把握しているだろうに、つらつらと軽薄に述べられる挨拶を遮って、じろりと痩せた男を睨み据える。
「公安が何の用だ?」
非友好的なNo.1の問いに男が応える前に、先手必勝とばかりに未来のNo.2が剛翼を放った。
「ホークス!」
紅い羽に上半身を覆われて、がくりと膝を追った男に、思わず声を高めて宙に浮いた子供の腕を掴んで引きずりおろすが、きょとんとした顔で見返される。
「何をした?」
「羽毛100%安眠アタック?」
「うう……、そういえばこの恐ろしい技はこの頃から……」
危うく寝落ちするところだった、と羽を振り払って男が身を起こしてホークスを眇め見る。
「おはよう、ホークス。また随分ちっちゃくなって」
「おはよう、目良さんは老けたな」
気安い関係なのか、大人が繰り出した会話のジャブを、カウンター一撃で沈める子供が末恐ろしい。末の姿は知っているが。
「出世した?」
「してない」
「ダメやんか。おばちゃんは?」
「おばちゃんは今会長やってる」
「さすがや」
まさか、話題の人物は公安委員会の現会長か、と察して頭が痛い。
「ところで、ホークス。自分がどういう状況かは理解しているかな?」
「大体」
「では、僕が来た理由も分かるね?」
「っと、オヤクショシゴト?」
「今も昔も君は話が早い、それじゃ行こうか」
短いやりとりで、話がまとまったとばかりに手を差し出してきた男の手を、半眼で見据えたホークスが取ろうとするのを抱え上げて制する。
「説明をしろ」
「いやー、この子の言う通り、お役所仕事でして。今回の件、エンデヴァーさんからご連絡いただいて、まず誰が担当するかで揉めて、一時的な対応で僕がご連絡したんですが。病院に預けて行かれるだろうから、後で回収しようと思ってたら、色々あって、ご自宅に連れ帰られたでしょう? どうするかで混乱して、とりあえず関係者集められたのが翌日で、どこの所属案件かで紛糾してる間に、エンデヴァーさんが幼児連れ回してほのぼのエピソードをWEB拡散されて、ホークスが幼児化してるって噂が広まって、色々まずいから、とにかく回収してこい、ってことで、土曜早朝の静岡出張を急遽ねじ込まれた次第です」
「ウェブ拡散とは?」
どこから突っ込めばよいか分からないぐだぐだな説明に、一番理解できなかったところを問うと、スマートフォンの画面が示された。
ネット上の話題をまとめたニュースサイトのようだった。
「おもちゃ売り場でホークスにそっくりの子供にぬいぐるみを買ってあげるNo.1の図、という写真が昨日の夜SNSに投稿されて、瞬く間に拡散され、他の目撃者の情報追加で、その後一緒にレスランでご飯食べてただの、事件現場を抱っこして歩いてただの。この子はきっと事件中に個性で幼児化したホークスに違いないって、噂が広まってしまっています」
それは、確かによろしくない。
「敵達にも認識されたでしょうし、本日以降、エンデヴァーさんがこの子を連れ歩くのは危険です。公安で保護させていただきます」
「道理は通っているな」
自身の知名度を軽視して、幼くなったホークスを人目に触れさせてしまったのはエンデヴァーの失態だ。彼の安全を優先するならば、引き渡してホークスが元の年齢に戻るまで保護を依頼すべきである。
「だが、気に食わんので断る」
「…………エンデヴァーさん?」
公安の男と、抱えた子供が良く似た表情でエンデヴァーを見上げてくる。
「上の連中に、短気なフレイムヒーローが公安がしゃしゃり出てくる理由が分からんと突然怒りだして、引き渡しを突っぱねたと伝えて、もう一回会議をしてこい。結論が出たら聞いてはやる」
「あー、それは、また一日くらいかかりますねえ……」
「だろうな。俺は事務所に向かう。これも連れていく。何かあれば事務所に連絡しろ」
「えー、すごく怒られたので、すごすご帰りますね。たぶん、またすぐお邪魔しますが」
食い下がりもせずに、あっさりと引き下がった態度は、実にお役所仕事だが。
ふざけた態度で出せるだけの情報を渡してくる辺り、妙な立ち位置を示してくる男である。
「味方か?」
「オレん味方じゃなか。あん人は正義の味方」
変わっていなければ、と言い添える子供の目は冷めていた。
「目良さんは目良さん、オレはオレ。あん人は公安にいるって決めた人、オレはヒーローになる人」
「なるほど、あれが貴様の師匠か」
理解し難いウイングヒーローのルーツの一つが分かった、とうなずく。
スタンスの不明な、ふざけた態度が実によく似ている。
「……師匠やなか」
微妙な顔で否定してから、少し困った顔で己を抱き支えたエンデヴァーを見上げてくる。
「オレ、公安に行った方がよか?」
「行きたいのか?」
ますます困った顔をする。
「エンデヴァーに、迷惑かかる」
「今更だな。大人の貴様はそんなこと気にせんぞ」
あれはあれで、実は色々と気を回しているのは知っているが、非常に生意気かつ不遜な若造である。
「俺は公安の連中が嫌いだ、それだけだ。行くぞ、これ以上ぐずぐずしていると遅れる」
余計な時間を使った、と子供を下ろして踵を返すと、公安の黒塗りの車が消えた方角を振り返ってから、慌てたように走って追ってきた。

少し成長した少年を連れていくと、事務所のスタッフは昨日の脱走の件もあり、やや警戒態勢で対応したが、好奇心旺盛な子供は事務所の資料庫を解放すると、資料漁りに夢中になった。
昨日も、同じように映像資料にのめりこんでいたのに、いつの間にか抜け出していたわけだが。
誰か一人は必ず側についていることに決めたようで、事件のファイルをひっくり返しては説明を求める子供を相手に、事務所の一角が妙に賑やかである。
あまり騒ぐようなら叱ろう、と様子を見に行くと、メーカーから送られてきた菓子を与えられているところだった。
「ヒーローチップスまだあるんや!」
「今年の第一弾のバージョンだよ」
段ボールから一袋を慎重に選んで引き出し、ポテトチップスを開封するより先に、袋の外側に付いている小さな袋を剥がし、端を切ってカードを引き出す。
「……ウイングヒーロー、ホークス」
紅い翼か特徴的な背を見せて横顔を見せるヒーローカードの名を少年が半眼で見据えて読み上げると、周囲のサイドキック達が噴き出した。
「これぞ自引き……!」
「一シリーズにつき、七十七種あるカードの中から自分を引くとか……!」
「……あ、エンデヴァー!」
む、と口を曲げて己のカードを眺めていた少年が、エンデヴァーに気づいて段ボールを持って飛んできた。
「エンデヴァーカード引いて!」
別に、ヒーローが引いたからといって、自分のカードを引き当てられるわけではないのだが。逆らって騒がれるのも面倒で、適当に一袋摘み出すと、わくわくとカードを開封した子供がぴたりと動作を止めた。
「……どうした?」
なんともいえない顔で引っ張り出したカードを差し出してこられ、じろりと見下ろした顔をさらに顰めると、サイドキック達が僅かに怯んだが、子供はたじろがなかった。この辺り、肝が据わっているとするか、図太いとするか悩むところである。
己の半分ほどの大きさの手から菓子のおまけのカードを抜き取り、無言で眇め見る。
男性ヒーローのポーズなど、ある程度定型があるためだろうが、先のウイングヒーローのカードと同様に、背を見せて横顔を見せて笑うヒーローの図柄だ。
この笑顔が嫌いだった。
この背中を見るのが大嫌いだった。必死に足掻いて、もがいて、何をしても追いつけなかった背中だ。
「…………オールマイト」
「燃やすんダメや!」
カードを掴んだ手を小さな手で包まれて、うっかり出しかけていた炎を慌てて納める。
「危ないだろうが!」
相変わらず、躊躇なく炎に手を突っ込んでくる子供が、口端を曲げながら燃やされかけたヒーローカードを抜き取って庇うように背に回し、浮いたまま器用に後退した。
「っとに、オールマイト好きすぎやろ……」
「聞き捨てならんことを言ったのはこの口か?」
ぼそりと呟かれた一言を聞き逃さず、足首を掴んで引き戻す。
「うわ、子供相手に大人げなっ!」
「貴様は本来子供じゃない」
もしくは、成人していてもエンデヴァーからすれば子供である。
逆さまに吊されてもあまり気にしていない様子で、ぱたぱたと翼をはためかせながら身を浮かせ、奇妙な体勢でカードの裏側のデータを読み込んでいる辺り、未来の姿を彷彿とさせる図太さだ。
「……オールマイト、引退したん?」
「ああ、少し前にな」
年が変わって出たばかりのヒーローカードには、まだオールマイトが入っているようだが、そのカードにはもう彼がヒーローでないと記されていたのだろう。
神妙な顔をした子供が、ふわりと浮き上がって目を合わせてくる。
「じゃあ、今のNo.1って……」
「俺だ」
勝ち取ったものではない。ただ、空席を埋めただけのことだ。
誇れるものではなく、淡々と応じると、聡い子供は何を察したか複雑な顔で笑った。
「一位って、どんな気分?」
同じことを、大人の彼も訊ねた。
その時は、生意気な若者が煽ってきたのだとばかり思っていたが、その後の事件で、かなり彼に対する認識を改めることになり、今回の件で更に情報が修正された。
むしろ、こちらが問いたい。
「貴様こそ、二位はどんな気分なんだ?」
どういうつもりで、あのビルボードの会場で挑発してきたのか知りたい。
今の彼に聞いたところで、分かるはずもないのだが。
「……二位?」
そもそも問われた意味すら理解できなかったようで、彼が手にしている二枚のカードのうち、翼のあるヒーローのカードを抜き取って、裏面を示す。
「貴様が、今の二位だ」
己が本来成人したプロヒーローであることは当たり前のように受け入れていたが、どんな実績を持っているかまではまだ把握していなかったらしい。
ぽかんとした顔でカードの情報を見つめ、首を傾げるのに合わせて、カードを斜めにしてやると、ようやく内容を読み取った子供が、ぽとりと宙から落ちた。
「……おい?」
何かの個性の干渉でも受けたのかと一瞬考えるほど、突然重力に負けた子供に戸惑い、オールマイトのカードが出たあたりから、ひやひやしながら状況を窺っていたサイドキック達に目を向けるが、強く首を振って何もしていないと主張される。
彼らにそんな個性がないことは、最初から知っている。
「ホークス?」
呼びかけにも応じず、倒れ伏したままの子供をとりあえず起こそうとしゃがみこんだところに、事務スタッフが来客を告げに来て、奇妙な状況に一瞬怯んだ。
「あの、公安の方がいらしてますが……?」
早々に出直してきたらしい男の名を聞いた瞬間、がばりと跳ね起きた子供がそのまま一つ羽ばたいて大人達の頭上を越えた。
「ホークス!」
制止を聞かず、天井が高く広いオフィスの利点を活かして猛スピードで姿を消した先で、男の短い悲鳴が聞こえた。
「……なるほど、あの速さで逃げられたら誰も捕まえられんな」
昨日、あれがどのように脱走したかはよく分かった。
一つ嘆息して、子供が消えた方に向かうと、赤い翼を生やした黒服の男が所在なげに佇んでいた。
正確には、背後に翼の生えた子供がしがみついて離れず困り果てた顔をした公安の男である。
「あのー、この子になんかしました?」
「しとらん」
苦々しく応じると、翼が小さく畳まれて痩せた男の身体の影に完全に隠れた。
「就学前の無口無表情キャラに戻ってんですけどー。学校上がって、一般家庭のお子さん達に交じって超速で学習した普通の子ぶりっことか、あざとい可愛げとか、無口キャラじゃなかったの君的なマシンガントークどこにやったの?」
肩越しに背中に貼りついた子供を見ようとするが、身体が硬いのか、身体そのものが回ってしまう。
その際に晒された子供の身体を摘まみ上げようとしたところ、ばさりと広がった翼に阻まれ、その風圧に目を閉ざした隙に、高い天井付近まで舞い上がっていた。
「あー、ちょっと構わないどいてください。なんかパニクってるみたいなんで」
危ないから降りてきなさい、とのんびりと呼びかける声には素直に従った子供が、大きくエンデヴァーを迂回して降りてきたことになんとなく衝撃を受ける。
一昨日、昨日は、これはエンデヴァーの呼びかけしか聞かなかった。
「本当に何をしたんです?」
「今のランキング二位は、そいつだと言っただけだ」
菓子のおまけのカードにも記されている、ただの事実である。
カードに載るのは基本的にランキング五十位以上のヒーローだ、自身がそれなりに上位にいることくらい理解していたはずなのに、何を取り乱したのか分からない。
エンデヴァーが手にしていたカードを赤い羽が抜き取っていき、受け取った目良は記された内容を一瞥して短く息を吐き出した。
「かわいそうに、なんてむごいことを……」
「何がだ!」
「冗談はさておき」
怒髪天をついたフレイムヒーローをまるで気にしない辺り、やはり太々しさに通じるものがある。
「なんとなく察しないでもないですが、ちょっとびっくりして感激で泣いちゃうくらいならまだしも、ここまでの反応は……? 僕、カウンセラーじゃないですし、昔っからこの子はカウンセラー達が嫌いで、まともにカウンセリングを受けない問題児だったので何とも」
骨ばった手で子供の柔らかい髪をかき混ぜながら、男はちらりと腕時計を見た。
「少し早いですが、昼時ですね。ちょっとこの子に昼飯食わせてきます」
「外にか?」
そもそもこの公安の男は、幼くなったホークスの身柄の引き渡しを要求しに来ているはずである。
話をしてくると連れ出されて、そのまま連れ去る可能性はゼロではないし、この痩せた不健康そうな男に、敵に狙われる可能性のある子供の護衛が務まるとも思えない。
「俺も行こう」
「えー、エンデヴァーさんはちょっと目立つんで……」
「元々、そいつは目立つだろう」
特徴的な深紅の翼がまず目立つ。昨日も、別にヒーロー関連のアイテムを身に付けていたわけでもないのに、おもちゃ売り場の店員にホークスのコスプレをしている、と認識される程の、彼のヒーローとしてのアイコンである。
「ホークス」
目良が少年に呼びかけて、面白くもなさそうに肩にかけていた筒状のケースを手渡した。設計図などを折らずに丸めて入れるためのケースで、何か書類でも持ってきたのかと思っていたが、中は空だった。
その用途は、剛翼が解けていったことで知れた。
長い風切り羽を重ねてケースに収め、大きい順に隙間に雨覆を詰め込んでいく様に、朝、娘が魔法のようだと言ったのはこれかと思う。瞬く間に外した羽を全てケース内に納め、僅かに背に残された羽毛の塊は服の下に引っ込んだ。コートを着れば、もうその存在は分からないだろう。
「はい、帽子」
仕上げに子供に人気の高いウォッシュのヒーローロゴがプリントされた帽子を目深に被って髪を隠せば、そこに立っているのはどこにでもいる小学生の男の子だった。
「この子はね、目立たないこともできるんですよ」
先程までの快活な子供ならば、笑って誉めてくれとでも騒いだだろうに、深く俯いた顔は帽子の影に隠れて表情も見えない。
「ホークス、俺は何か、悪いことを言ったのか?」
弾かれたように顔を上げた少年は、無言で首を振ったが、エンデヴァーとは目を合わせようとしない。
「なら、どうし……」
「あー、追い詰めてます追い詰めてます。ちょっと、本当に引いていただけると」
目良が割って入ってエンデヴァーを真面目な顔で牽制し、顔をまた伏せた子供がその腕に縋るのを見て、引き下がる。
己が、人の心の柔らかい部分を無頓着に傷つけやすいことも、そのことに気づきもしないことにも自覚はある。
「護衛は連れて行け」
「ご飯食べたらすぐ連れて戻ります。ほら、ホークス、親子ライス食べに行くよ」
剛翼の詰まったケースを肩にかけた目良に促され、外に向かいかけた少年が、一度足を止めて振り返った。
ケースの蓋がひとりでに開いたかと思うと、鮮やかな色の羽が一枚、中からひらりと浮かび上がってエンデヴァーの手の内に収まった。
これはどういう意思表示なのか、と眉をひそめると、少年の横で公安の男も渋い顔をして、ケースにロックをかけていた。
「二人の護衛を。何かあれば応援を呼べ」
公安が不審な動きをするようなら、問答無用で子供を確保して戻れ、と捕縛と速力に長けたサイドキックに言い含めて送り出す。
「……俺は、そんなにまずいことを言ったか?」
あの場に居合わせた部下達に問うと、揃って子供の態度の急変に首を捻る。
「臆病な子なら怖がって逃げたりするかもしれませんけど、ホークスくん、そういうタイプじゃないですし」
それまで物怖じせず、むしろサイドキック達をひやひやさせながら、明るく豪胆にエンデヴァーに絡んでいた子供である。
「自分が将来、ランキング二位のプロヒーローになっている、というのは、そんなにショックを受けるものか?」
「びっくりはするでしょうけど……?」
部下達にも分からないということは、エンデヴァーが無自覚に一般的な対応を間違えて傷つけたわけではないらしい。渡された赤い羽を指先で弄りながら考え込む。
「ところで、有翼の子供が羽を渡してくるのは、何か意味があるのか?」
翼を持たない部下達が揃って首を横に振ったので、取扱説明書として重宝している互助会のパンフレットを読み返そう、と考えながら改めて指示をする。
「あの子供もよく分からんが、公安が何を考えているかも分からん。護衛についた奴から要請があれば、すぐ出られるようにしておけ」

応援要請は、早々に来た。
彼らが出て行って十分も経たないうちに、通りすがりに事件に遭遇したようで、女児の連れ去りをしようとしていた男を見つけ捕縛した、警察への引き渡し対応があるため、護衛を交代してほしい、という要請は想定外だったが、すぐに別のサイドキックが交代に向かった。
次はまたその十分後、ビルから飛び降りようとしている女性を発見して説得中、と交代要請があった。
十五分後、ショッピングモール内で、個性を悪用した少年達の万引き行為に行き会い、かなり悪質かつ組織的なため、この事件の対応にも応援の人員が必要だ、と連絡が入った時点で、頭が痛くなった。
「……ヤラセではないんだな?」
報告を受けたオペレーターが真顔で首を横に振る。
普段、エンデヴァー達がパトロールに出ても、これほど矢継ぎ早に事件に遭遇することはない。
「……ホークスか」
「あの子はトラブルメーカーですか……」
違う、と首を振る。
「あれはトラブルシューターだ」
以前、彼の地元を少し歩くだけで、当たり前のようにトラブルの大小を問わず見つけ出し、振り返りもせずに片手間に処理している姿を見た。
本人は見聞が広いのだなどと嘯いていたが、視野の広さと異変を見逃さない鋭さに異論はない。あの歳でも既にその片鱗はあるのだろう。
「もういい、俺も出る」
目立つ、目立たないの問題でなく、これだけ短時間の間に事件に遭遇する、エンデヴァー事務所のサイドキックに護衛された子供など、怪しすぎる。
「一度あいつらを事務所に連れ戻す」
宣言して事務所のすぐ近くのショッピングモールに向かうと、慌てて数名のサイドキックがついて来る。
モールまでは歩いてほんの数分で、よくもこんな短距離を歩く間に事件を見つけ出すものである。建物内に入って、エスカレーターを一つ上がったところで、人だかりができていて、個性で麻痺させられた中学生くらいの少年達が床に寝かされていた。
麻痺の個性はサイドキックのものだから、彼らが万引きを行っていた子供達なのだろうが、人数があまりに多い。
「エンデヴァーさん!」
上司の姿を見て、ほっとした顔でサイドキックが駆け寄ってきて、深々と嘆息した。
「これが、全員万引き犯なのか?」
「もう、完全に窃盗団ですよ……、個性を使って連携して商品を盗んでいました。見つけたのはホークスです。全員仲間って羽付けてくれたのを片っ端から捕まえたんですが、正直間違いがあったらどうしようかと……」
二十人近くの未成年の容疑者を抱えこんだサイドキックが、慌てて応援を呼ぶはずである。
「……公安はどういう教育を?」
「いやー、僕はそこまで関与してないんで」
じろりと睨みつけると、へらへらと公安職員が笑ってみせた。
その痩せた身体の影に隠れている子供も睨もうとして、エンデヴァーは眉をひそめた。
「ホークスは?」
「え、ちゃんとここに……ッ!?」
眠たげな目が見開かれて、悪ふざけではないと悟る。
「今さっきまでちゃんといました!」
護衛についていたサイドキックも泡を食い、周囲を見回せば目良が持ってきた子供サイズの帽子が落ちていた。
逃げたか、連れ去られたか、一瞬判断に迷ったエンデヴァーの手の中で、小動物が暴れるような気配があって、目を落とすと紅い羽が暴れていた。
手を離すと、まっすぐに飛んでいく様は、昨日も目にした。
「寄越せ!」
目良が担いだままだったケースをもぎ取るようにして奪い、羽の向かった先に走る。
No.1ヒーローの疾走に、買い物客達が慌てて道を開けて一方向を指さした。その指の先に、子供を横抱きにして逃げる大男の姿を見つけて怒髪天を突く。
「止まれ!」
制止の声に振り返った男が顔色を失い、慌てふためいた後に抱えていた子供の身体を吹き抜けのホールの手摺りの向こうに放り捨てた。
今、少年の背には本来あるはずの翼がない。
ケースの蓋を開ける暇も惜しんで焼き切れば、緋色の奔流が迸って手摺りを超える。その行く末を確認する前に、逃走する男の背を蹴り込んで焼き焦がして無力化すると、その背を踏んだ勢いのまま手摺りを飛び越えた。
背に紅い翼を戻した子供が、取り囲んだ男達に羽を浴びせかけるのが見えるが、岩のような肌をした頑強な体格の男達には大したダメージを与えられていないのも見て取れる。
炎の放出を調整して、一番子供に近づいていた男の頭を踏みつぶすように着地し、怯んだ他の二人を睥睨する。
「俺のNo.2に何か用か?」
背後から息を飲む声が聞こえて、火を消した右手を伸ばすと、将来No.2のヒーローになる男の、まだ小さな手がしがみついてきた。

諸々の事件の後処理を終え、事務所に戻るとエンデヴァーは己の居室に公安の男を呼んだ。
話せ、と一言命じると、掴みどころのない男は躊躇う様子も見せずに口を開いた。
「えー、まあ、お察しの通り、あの子は公安が作ったヒーローでして」
察したというよりは、この男が意図的にぼろぼろと洩らした情報である。
「あの子供が公安に拾われた頃は、僕も入局したばかりだったんで、詳細は知りません。記録では、とある交通事故の際に強個性を発揮して、巻き込まれた人を助けたのを見出されたとか。あまり家庭環境は良くなかったようです。ぶっちゃけて言えば、あの子の親は、公安に子供を売りました」
先日、病院の中庭で親が人身売買組織に売り飛ばした子供の話をした際の顔を思い出す。
「そしてヒーローになるべく、教育や訓練を受けて無事十八歳でデビュー、後はご存知の通りの最速最年少ヒーローの出来上がりです。自分もあの子を担当していたわけじゃないんで、詳細は知りません。何度か顔を合わせて、多少懐かれた程度の関係です。大人の都合であちこちに引っ張り回されて、上層部が変われば教育方針もコロコロ変更されて、朝令暮改なお役所仕事に振り回されて、すっかり擦れた子供が珍しく公安の職員に懐いたっていうんで、何かあるとこうやって引っ張り出されるんですよ」
迷惑な話です、ととぼけた態度で言う。
「あの子は、公安が期待していた以上に優秀で、頭が良くて、むしろ良すぎた。組織の要請に反抗したことはないし、至って従順なんですが、有能すぎて上から警戒されるタイプなんですね。子供の頃から散々にカウンセリングをしても、本心が掴めない。今回の幼児化は実にいい機会だ、今の状態で改めて心理状態を調べておこう、ってのが上の意向です」
「……馬鹿なのか?」
「お役所仕事ですよねー。せっかく子供になったんだから、自分達が奪ったまともな子供時代、ちょっと堪能させてあげようくらいの温情を見せればいいものを。この鎖はちゃんと繋がれてるのか弄りまわしてるうちに、鷹を本当に怒らせることになるとか思わないんですかね」
「それで、貴様は時間を稼いでいるわけか」
「だって、連れてくだけ無駄ですし。昨日の時点ならともかく、もう十歳でしょう? その頃にはあの子、カウンセリングごとに人格違うレベルの反応して、大人をおちょくってましたよ」
厄介な子供である。
「あのカウンセラー嫌いを無理に引きずっていっても、関わった全員が時間と労力を無駄にするだけですし、エンデヴァーさんが保護してくれてるんだから、放っておけばいいじゃないか、というのが個人的な意見です」
赤い羽の軸を回して弄りながら、組織の意向を回りくどく邪魔する理由を述べた男は、不意に話題を変えた。
「ところでエンデヴァーさん、ホークスの個性をどのくらい把握されています?」
「どのくらい、というのは?」
最速の有翼ヒーロー、と言えば速さだけが取り柄に思えるが、ここでいう「速さ」は飛行速度を指していない。おそらく、純粋な速度だけで言えば彼を上回るヒーローは幾人もいるだろうが、ホークスというヒーローの速さは処理速度にある。
広い視野、空間と状況の把握能力、同時並行で複数の対処を行なえる、脳の演算処理能力があまりに速い。
その頭脳によって制御される、硬くしなやかな自在に動く剛翼が彼の個性であり、飛翔能力などおまけのようなものだ。
「見えない建物内部や障害物の向こうの状況を把握して剛翼を動かすのって、どうしてると思います?」
「剛翼で感知できると聞いたが?」
さすがに光は知覚できず、振動を元に感知していたはずだ。ソナーのような感覚器を持ち合わせているのだろう。
「はい、では、ここに剛翼が一枚あります。何ができるでしょう?」
事務所を出る前に子供が渡してきたものと同じだ。先には居場所を把握する役に立った。
小さめの羽なので、ぶつかってきても威力は低いだろう。刺し貫く程に尖らせれば、また話は別だろうが。大人の時には一枚でもドアを開けるくらいの器用さを見せていたし、軽く小さなものなら持ち運べるはずだ。人間一人を運ぶ際には、ある程度の枚数を重ねていた。
それから。
「……振動の、知覚?」
「羽電話、なんて昔は言ってましたけど、双方向じゃないからただの盗聴器ですよね。おいで、ホークス」
糸電話に話しかけるように、羽に向かって呼びかけると、扉が開いて背の翼も項垂れさせた子供が室内に入ってきた。
「……なるほど」
そういう意図で渡されたか、と嘆息して、朝の光景を思い出す。
この子供は、笑顔で娘に向かって羽を差し出した。
「冬美の、何を疑った?」
「…………ごめんなさい」
「一応、擁護しときますね。お嬢さん、小学校の先生ですよね。児童心理に沿ったカウンセリングによるメンタルケアを重視した今の教育傾向を叩きこまれた新任の。ホークスが一番嫌うタイプです。優しそうな柔らかい雰囲気のお姉さん。歴代のカウンセラーによくいました。お嬢さん、朝何も口出ししませんでしたけど、ホークスの言動は逐一気にしていました。あの目を最初から向けていたなら、そりゃホークスも警戒しますよ」
「……あれは、子供が傷つけられていないか、人一倍気にするんだ」
六歳児の頃の言動があまりに一般的な子供からかけ離れていたことに虐待を疑い、そんな子供の四年後の姿があまりに健全で、逆に危機感を募らせたらしい。神経を尖らせながら接しているのには気づいていたが、当人はその態度に更に過敏に反応していたものらしい。
「……羽は、回収しておけ」
こくり、とうなずいた子供は打ちひしがれていて、今もエンデヴァーと目を合わせない。
「で、聞いてたと思うけど、大体君の事情は説明してあるし、二人きりで話聞いても、僕はエンデヴァーさんにそのまま伝えるから、もうこの場で話そうか。ランキング二位の何が気に食わない?」
先程、追い詰めているとエンデヴァーを制止した男の方が余程追いつめている。
真っ青な顔をして、エンデヴァーから目を逸らした子供が、数度口を無為に開閉させてから、言葉を絞り出した。
「数字、操作した?」
小さな声は聞きとりにくく、意味もよく分からなかった。
目良にも一瞬意味が取れなかったようで、間をおいてから椅子を蹴って立ち上がった。
「お前……ッ!」
気色ばんだ声にびくりと身を竦ませた子供に、一瞬膨れ上がった怒気がみるみる萎む。
「……そう。お前は、あんなカードの、あれだけの情報で、そんなことを考えたのか……」
悲しくなる、と呻いて片手で顔を覆う。
「おい?」
「……エンデヴァーさん、その子は、公安が票を操作してNo.2になったんだと思ったそうですよ。あなたに顔向けできないと、パニックを起こしたらしい」
「なんだと?」
苦々しい顔で告げた目良に唖然とする。
「…………阿呆か!」
姿勢が悪い、と背を叩くと軽い鳥が吹っ飛んで、倒れこみかけて、危ういところで宙に浮いて身を支えた子供が、目を丸くしてエンデヴァーを見上げた。
「外を歩いている人間を捕まえて、ウイングヒーローホークスが二位なのはおかしいか聞いてみろ。エンデヴァーの一位よりよっぽど支持されとるわ!」
「エ、エンデヴァーは、そんな自虐ネタ言わん!」
「あ、No.1最近割とネット界隈でお茶目路線で弄られるようになってるよ。主にどこぞのNo.2のせいで」
「オレッ!?」
未来の自分が何やらしでかしたと聞いて、身を起こした子供の頭を片手で掴んで、いらない思考をしないよう拘束する。
「数字なんぞ操作せんでも、あれだけ実績を上げていれば五位以内に入る。若年層の支持もある。何も不正などする必要はない」
「……だって、オレ、力はない。成長しても、たぶんそこはあんまし上がらん」
「あー、そうか、オールマイト・エンデヴァー時代の黎明期の二十五年前から十年前くらいまでは、大きい重い強いってヒーローがトップテン独占してたから。最近の人気傾向はスマート、クール、柔軟なんだよ。またここ最近は情勢変わってパワータイプも求められてるけど」
確実にパワータイプにはならないホークスは、自身が十位以内に入ることを想定していなかったらしい。
現代の知識が欠落した状態で、己の常識に照らし合わせて有り得ない順位に不正を疑ったという、頭の回転の速さが大暴走に繋がった結果らしい。
己の所属する組織の公正さを、ひとかけらも信頼していないことが露呈したわけだが。
「ホークス、ちょっとおいで」
所属組織を全否定された男が、ノートパソコンを広げて立ち上げて手招いた。
「まず、これが今のランキング。オールマイトさんは去年の夏に、敵と戦った末に個性が減退して引退した。一位がエンデヴァーさん、二位がホークス、三位のベストジーニストさんは知っている?」
「ハチニー色物デザイナー新人ヒーロー」
「うん、お前、そんな感じに失礼な事言って、本人にちょっと嫌われてるから自重しなさい。今はベテランの先輩だから。現在は怪我で療養中、それでも三位なのは応援ブーストの支持率がものを言っている。四位以下はこんな感じ。大分お前が知っているランキングとは様子が違うだろう?」
「アイドル枠が多い」
「ちなみにお前もタレント枠に近いからね。メディア露出多いよ」
「プロパガンダ」
「無いとは言わないけど、お前、結構勝手に自分で自分をプロデュースして売ってるから」
横で聞いていて頭の痛くなるやりとりだが、当人達は至って真面目にふざけた会話を交わしている。
「で、これが支持率。さっき言った通り、ベストジーニストさんは応援票でぶっちぎり。次点がお前だけど、その次のサイドショットさんと僅差なのは、支持者の年齢層の偏りのせいです。ちょっとこの年齢別投票数見て反省しなさい」
「まー、きれいなピラミッド。男女差ないのちょっとスゴか?」
「反省しなさい」
無理にふざけてみせた子供を一蹴して、ページを切り替える。
「で、これが解決事件数。エンデヴァーさんが変わらずぶっちぎってるけど、事務所の規模とサイドキック数、本拠地の事件発生数を考慮した場合、お前の数字も異常なレベルです。社会貢献度に関して言うと、このランキング集計期間にあった大きな事件には参加しなかったので、ここは低め」
公安の発表しているランキングページを示しながら解説していた男は、そこでブラウザを閉じた。
「以上が公式発表。僕はこの辺の集計に関わってないので、数値操作があるかはノーコメントで。ぶっちゃけ、『独自の集計方法』とか言ってる時点で色々やってます。ただ、あんまりありえないランキングになったら世論が黙ってない。その上で、まだ自分の二位が信じられないというなら、これでも食らえ」
キーボードを操作して何かのファイルを開いた男が、じろりと子供を見下ろした。
「公開はしない、投票時に送れるコメントの集計データ。お前の分のみ。推したいヒーローの投票と一緒に送られるものだから、ネガティブなものはまずない。助けてもらった被害者のお礼やら、地元の応援、単純にお前の見た目が大好きなファンの声、自分も飛びたい子供達。自分がどんなヒーローなのか、これ見れば分かるでしょ」
何ともいえない顔で画面を覗きこんだ少年の顔が、読み進めるうちにますます珍妙なものになる。
ついに決壊した目を手で覆ってしゃがみ込み、両翼でその身を覆った子供に歩み寄り、片腕で抱え上げると、感謝と応援に満ちた画面を一瞥してパソコンを閉じる。
「何を泣く?」
「……分からん」
嬉しいのか悲しいのかと問うても、分からないと首を振る。
「……公安」
「はい」
組織名で呼ばれて、男は疲れた顔をヒーローに向けた。
「これが、貴様らの作ったヒーローか?」
「そうです」
こんな無惨なものを望んだのかと、翼の生えた小さな背を抱え込んで歯噛みする。
二位はどんな気分なのだと、この子供に問うた。
あのビルボードの壇上で、評価など何でもないとばかりに飄々としていた青年の顔を思い出す。
あの時、彼は、本当はどんな気分だったのだろう。