Child on the Steps - 9/9

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ガラス製の透き通った螺旋階段は、病院のエントランスホールに設えられたオブジェであって、実用品ではなかった。
吹き抜けのドームの向こうの青空に続くように、次第に幅を狭めながら螺旋を描いて続く階段のその先端に、人型の鳥が留まっていた。
「危ないよ、ここ」
ばさり、と一つ羽ばたいて、数段下の狭いガラスの平面に爪先だけ付けて、白い翼の中に半ば閉じこもるようにしていた少女に笑いかける。
「ホークス!」
「ここ、俺も登って怒られたんだよねー。エンデヴァーさん、めっちゃ怖い顔してて火噴いてるし」
笑いながら、力いっぱいしがみついてきた幼児を不安定な足場をものともせずに受け止める。
「ごめんな、うまく個性避けられなくて。怖かったよなー」
「こわい人が、たくさんきたの」
「うん、あの日、俺が会長……悪い人な、呼んでたんだ。ハトは顔見てたんだな。俺の失敗、ごめんな?」
人身売買組織に連れていかれた際に、今回逮捕された互助会の会長の顔を見ていて、病院で姿を見かけて少女が恐慌状態に陥ったのが今回の事件の発端だった。
「あと、こわいかおのおじさんと」
「火が出てる人なら、顔は怖いけど……、中身も怖いね、うん、めちゃくちゃ怖い」
「くろくて、こわいかおのおじさんもきた」
「んー、目良さんかな。あの人、顔怖いけど大丈夫、眠いだけだから」
他の公安の連中かもしれないが、いい加減あの団体は子供を泣かせない顔の人材を育ててほしい。揃って目つきが悪いのと、制服でもないのにダークスーツを着たがる理由を問いたい。
「黒い人達はね、ハトのこと育てたいんだって。エンデヴァーさんはブチ切れてるけど、俺はいいんじゃないかと思ってる。あそこ、そんなエンデヴァーさんが思ってるほど悪くないとこだよ。俺なんか、本当の家庭であのまま生き延びてたら、どう考えても犯罪者になってたし。ちなみに、今回捕まえた犯人達も、売った先の方が元の環境より幸せになるはずだ、とか戯言抜かすから、それは若気の至り作戦グッジョブって思いつつ、がっつりボコっておいた」
訳が分からない、という顔をして見上げてくる幼女に笑ってみせて、話題を戻す。
「ハトは強い個性を持っているから、きちんとコントロールできるようにならないといけない。とりあえず、公安に身柄を預けてもいいんじゃないかな。雄英とも合同研究しましょうね、って持ちかけてあるから、妙なことはできないと思うし、俺もできる限り監視するから。それと、ちょっとごねてねだって、エンデヴァーさんの保護監督を継続してもらったから、俺の時とは大分違うと思うんだ」
このくらいしかできなかったけど、と苦笑うヒーローを、少女は見上げた。
「どこに、いけばいいの?」
「そうだなあ、まず、ここから降りようか」
怒られちゃうしね、とオブジェの周囲に集まった人垣を指し示す。中にはごうごうと燃えるヒーローの姿もあって、その周辺だけ人がいない。
「……ホークス、ケッコンしてくれる?」
「ハトが大人になったときに、まだ同じ事言ってくれたら考えるよ」
何度か少女がねだった約束に、全く同じ答えを返してから、緋色の翼を広げて少女を抱えて階段を蹴る。
「……目立ち過ぎだ」
「しょうがないでしょ、この子、羽付き美少女なんだから」
ひとまず体質に合わせて急ごしらえで作られた個性抑制装置を身に着けさせてはいるものの、その個性暴走に巻き込まれて痛い目にあった当人とは思えない程、臆せず幼児を抱える男である。
有翼児は階段を上りたがるものなのか、それこそ天使のような外見の少女がガラスのオブジェの天辺に座っているだけでも騒ぎになったというのに、紅い翼のヒーローがその横に立って微笑ましく何やら話をしている図は目立つなどというレベルではなかった。
凄まじい連写音を響かせている女もいたが、あれは何枚写真を撮ったのだろうか。
基本的に生態の異なるヒーローは放置して、子供の方に目を向けると、びくりと怯えた顔をして同族の背に縋る。
「大丈夫だよ、顔も中身も怖いけど、大局的に見れば優しいし、ハトの保護者だ」
つまり、と笑う。
「パパだよ」
「違う!」
保護監督責任者の一人として名を連ねるのを許可しただけだと声を荒げると、白い翼の幼児は完全に赤い翼の後ろに隠れた。
「貴様が面倒を見ろと言っただろうが」
「俺にこの若さで一児の父になれと?」
軽口を叩き続ける若造を拳骨で黙らせ、幼児にこういう軽薄なウイングヒーローの真似をしないように言い聞かせ、病院スタッフに引き渡す。
「うーん、パパっていうかナマハゲ」
「やかましい」
軽薄な態度を示し続ける若造をじろりと睨み、ついでに周囲を睥睨して、トップ二人の姿を見て近づいて来ようとした野次馬を蹴散らす。
「ヒーロー、とは」
「野次馬の好奇心を満たす仕事とは俺は認識していない」
きっぱりと断じて、仕事の話だ、と告げれば少し真面目な顔をする。
人の往来の多いエントランスでトップの二人が立ち話をしていると目立ってしょうがない、と中庭の方に向かうと一歩遅れてついてくる。
「互助会の活動の継続についてだ。幹部の一部が逮捕されたが、母体は残っているし、あのボランティアが活動できなくなると困る家庭は多い。引き続き育児互助の活動は継続させつつ、組織を審査した上で再編するのが望ましい」
「まあ、潰しちゃうわけにはいかないですし、でもそのままってわけにもいかないですしねえ」
「実際の監査は外部委託で構わんが、貴様が責任者として名前を出せ」
「え!? いや、無理です!」
「何故だ? 有翼児の子育て支援だ、ウイングヒーローが名を出すのが妥当だろう」
「いや、ほら、俺だと若すぎっていうか、安心させられんっていうか。エンデヴァーさんが名前出した方が説得力あるじゃないですか。こう、貫禄とか、威厳的なアレが足りないみたいな……」
苦しい言い訳だと自分でも分かっているのだろう、次第に声が小さくなる。
有翼児の互助会の透明性をアピールするためならば、同じ個性のヒーローが名を出すのが一番で、No.2の知名度を持ち、事件に関わったホークスがそこに名を連ねることを拒否するのは奇妙である。
「何か、不都合でもあるのか?」
「…………ありますが、理由を聞かれても答えられません」
居直った男に、これ以上は問い詰めても無駄だと察する。
「俺と、もう一人、子供人気の高いヒーローに依頼する、それでいいな?」
「お願いします」
あの少女の保護監督の連名にも、ひどく難色を示した。エンデヴァーの保護責任の継続と、雄英学園の協力、他に何重もの保険をかけて、ようやく渋々同意した。
彼は、責任を取ろうとしない。
正確には、名を出そうとしない。まるで、今は通りの良い最速最年少の人気ヒーローの名が、やがて失墜するのを予め知っているかのように。
十四歳の彼は、オールマイトの失墜が社会を傾けたことをあげつらって、自分ならばもっとうまくやると嘯いた。
十八歳の彼は、己を汚れた使い捨てのヒーローだと吐き捨てた。
今の彼は、追い詰めてこじ開けて、ようやく自分を信じないでくれと泣いた。
並べれば、ろくでもない未来を想定していることは分かる。
まるで、処刑台の階段を、へらへらと笑いながら登ってるような。
エンデヴァーにとって子供のような年齢とはいえ、彼は大人のプロヒーローで、自身の意思でその選択を決めたはずだ。助けてくれとは言われていない。
「…………何だ?」
「ええと」
ちらちらと見上げてくる目がうるさく、うんざりしながら問うと、ごにょごにょと言い淀むので、はっきりしろと睨めば、鳥は居直った。
「結局、なんで俺のこと抱いたんですか?」
「酒の勢いだ」
ずばりと切り込んできた相手を、返す刀でばっさりと両断するが、嘘だ、という目がうるさい。
「本当は?」
「酒の所為にしておいた方が都合がよくないか?」
「うわ、その言い方ずるっ」
「大人だからな」
納得はいかないようだが、エンデヴァーの言い分に理を認めたらしい。渋々と口を噤んだ顔は実年齢以上に幼い。
この子供に本当のことを告げれば、怒るのは目に見えているので口にする気はない。
酒の勢いという言葉が都合がよいのは、ホークスも同様だ。抱かれた理由も事情も黙秘して、勝手に墓場まで持っていく心づもりだろう。
「……俺が、一夜のことを盾に、結婚とか要求してくるタイプの面倒くさいのだったらどうするつもりだったんですか」
「どうもせんが、それより貴様はあの子との、中途半端な結婚の約束をどうするんだ?」
「三歳ですよ?」
「十三年後に結婚できる年齢になったと言いに来たらどうする?」
「いや、ないでしょ」
「子供の言葉を戯言だと思って油断しとると痛い目を見ると思うが、好きにしろ」
突き放すと、頑固な幼児だった男が真剣な顔で悩み出す。
「……エンデヴァーさん、もしかしてそういう経験あります?」
「俺は金輪際、いい加減に未来に先延ばしにする回答はしないと決めている」
きっぱりと告げると、一瞬慄いた顔をしたが、不意に太々しい顔になる。
「エンデヴァーさん、結婚して」
この流れでそんな軽口を叩く男を苦々しく肩越しに見やって嘆息する。
「四年後に同じことが言えたら考えてやる」
「いい加減に先延ばしにしないって、たった今言いませんでした!?」
「いい加減にはしてない」
ぴたり、と足を止めて振り返ると、珍しく判断を誤ったホークスが勢いを殺しきれずにぶつかってくるのを抱きとめる。
「もう一度言うぞ。四年後に、同じことが言えたら、考えてやる」
耳元に口を寄せて、同じ台詞を注ぎ込むと、ぎゃあ、と情けない悲鳴を上げて耳を押さえてその場にしゃがみ込む。
「な…んで、四年後……?」
「四年後には、末の息子が成人している」
思考が完全に停止したらしい男を置いて、エンデヴァーは踵を返す。
何故、手を出したかと問われれば、それは前時代的な身勝手な理由で、大抵の人間が聞けば怒り出すのは知っているが、これはエンデヴァー自身の感情の問題なので、他人の意見は関係ない。
あの若い鳥も確実に怒るだろうが、そんなものは知ったことではないと覚悟を決めた。
一度抱けば自分のものだ、などという傲慢でもって、今、四年後に自身がいるかどうかを算段している子供が、泣こうが喚こうが、助けてくれなど一言も言わなかろうが、その処刑台の階段から引きずり下ろして生かすと決めた。
手を出す覚悟を決めたとはそういう意味だと、告げてやるつもりは特にない。