後で話そうと彼は言った

 立てこもり事件の対応要請を受けて、港湾地区に急行すれば、そこには既に見知った紅い翼のヒーローが控えていて、No.1の姿を見て舞い降りて来た。
「なんでいる?」
 活動拠点は九州のはずのホークスが、なぜ東京の事件現場にエンデヴァーより早く現着しているのかと、速すぎる男に呆れる。
「ご挨拶だなあ、密輸関連で大阪、東京ともチームアップして追っかけてた件なんですよ」
 辛辣に聞こえるエンデヴァーの言葉に全くめげずに笑いながら降下してくる鷹に、炎を消した片腕を差し上げれば当たり前のような顔で掴まり、身を浮かせたまま耳元に口を近づけてくる。
「状況は……ッ!」
 敵達が立てこもっている港湾事務局の建物を示して情報を共有しようとしたホークスに意識を向けかけた途端、地面が消失して視界が暗転した。
 身体が数回転して、崩れた体勢を立て直す間はなく、かろうじて受け身を取るが、何かふわついた柔らかなものを下敷きにした。
「うあっ!」
「ホークス!」
 落下に巻き込んだことに気づいて、飛びのこうとした背と後頭部が硬い壁に突き当たる。足場も平らでなく、また青年の上に倒れこみかけて、前方に伸ばした手もまたすぐに壁にぶつかった。
「ホークス、無事か?」
「ど……にか」
 鍛えぬいたエンデヴァーの身体は、おそらく速力重視のウイングヒーローの重量の二倍を軽く超える。立場が逆ならばほとんどダメージがなかったはずだが、下敷きになった相手の苦しげな応答に舌打ちしながら、剛翼をねじれさせた男を抱え起こす。
「大丈夫、ですって……」
 捻れた状態でNo.1ヒーローの重量に押し潰された翼は、血肉が通っていたならば重傷となっていただろうが、幸い彼の個性である剛翼は羽の羅列だ。翼を広げて捻れを直そうとして、それが適わない空間の狭さにホークスが気づき、周囲に目を走らせる。
「……これ、閉じ込められました?」
「ああ」
 長身のエンデヴァーが少しでも身動くと頭が天井にぶつかるほどの、ひどく狭い空間だ。抱き支えていなくとも、かなり相手との密着を余儀なくされる。
 湾曲した真っ黒な壁に手を当てて状況を把握しようとしたホークスの様子に、大きな怪我がないことだけ見て取ると、エンデヴァーは身を取り巻く炎を消した。
「暗っ! ちょっとエンデヴァーさん、なんで消しちゃうんですか!」
 光源はどこにもなく、漆黒の闇に浸された空間に、ホークスの抗議が響く。
「空気の出入りがないかもしれん」
「ッ!」
 空間の大きさは、直径二メートル程の球体内部だ。おそらく、敵の個性に閉じ込められたと思われるが、完全に空間が他と遮断されている密閉空間の可能性が高い。その場合、炎など燃やしていれば早々に酸欠で死亡する。
「確認します。少し動かないでもらえますか」
 暗闇の中で衣擦れの音がして、ぱきん、と小さな音が響いた後、白い光が灯った。
 ケミカルライトを手に、真剣な顔をしたホークスの背の捻れていた翼が解けていく。狭い空間を紅い羽が満ちる様を白い光が照らすのを、呼吸も止めて身動かず見守る。
「……完全に閉鎖された空間です」
 やがて感知能力に長けた個性の持ち主が苦い顔で首を横に振り、翼を戻してなるべく小さく畳んだ。
「外部との無線も繋がらん、貴様のはどうだ?」
「通信できません。現場に剛翼を分けて置いてるんですけど、そっちも全く感知できないです」
「敵の個性の情報は?」
「空間を弄れる奴がいるだろうとは。船に立ち入り検査しても、何も見つからなくて九州でも大阪でも通してやるしかなかったんです。倉庫をやってる個性持ちがいるだろうとは話してたんですが、こういう使い方されるとは想定してなかったです、すみません」
 敵側からすれば、トップヒーローの二人が近接していたのはまとめて隔離する絶好の機会だっただろう。
「破れるか? 俺の個性はこの空間では使えん」
 こんな狭い空間で炎の個性など使えば、間違いなく焼き鳥が一つできるし、貴重な酸素も瞬時に枯渇することになる。
「攻撃を跳ね返す個性だとまずいんで、俺の後ろに来れます?」
 背後に、といったところで、体格のよいエンデヴァーと平均より少し小柄な体格を覆える大きさの翼を持つホークスが狭い空間内に閉じ込められているので、必要な距離を確保すること自体ができない。少し悩んで、ホークスはエンデヴァーの頭を抱え込むようにして剛翼の中に二人分の身体を囲い込んだ。
 緋色の羽毛の中に閉じ込められて、剛翼の盾の外で風切り音を聞いていると、やがてするりと解けた腕としなやかな羽が退いて、苦い顔をした青年の顔が現れた。
「……駄目です。攻撃の跳ね返しはないですが、内側から破れる手応えじゃないです」
「少し退いていろ」
 今度は逆にエンデヴァーがホークスの身体を左腕の中に収めて抱え込み、右拳でガラスの表面のようなつるりとした感触の壁を軽く叩いてみるが、分厚いコンクリートの壁のような感覚で、壁の外が存在するのか全く伝わってこない。試しに渾身の力を込めて殴りつけてみるが、球体内部の空気を鈍く震わせただけで、表層にひび割れ一つ入らない。
「物理攻撃は効かなさそうだな」
「……ヤバいですね。閉じ込められたら打つ手ないとか……」
「閉じ込めた敵を倒すか、解除させるしかないだろうが……。外にいるヒーローは?」
「どちらかというと、捜索感知、拘束、追跡特化が多いです。ファットガムさんが攻防どっちもいけるくらいで。だから、立てこもり事件になって、火力高いヒーローの応援を頼んだんです」
 そこで出動要請を受けたのがエンデヴァーの事務所である。他のヒーロー達も向かってきてはいるだろうが。
 解決に時間のかかる立てこもり事件、トップヒーロー二人の突然の消失に伴う混乱から状況の把握にかかるであろう時間、空間の操作を行っている敵の特定と拘束確保するのに要する時間について考え、この密閉空間の狭さを加味すると、絶望的、という結論が出る。
「……空気、どのくらい保ちますかね?」
「空間の大きさが直径二メートル、俺達の体格からして空気は大して入っとらん。最初に火も使った。二人分の呼吸量を考えると……後十分も保たんかもしれん」
 炎の個性を使うものとして、その場が火気厳禁でないか、空気の濃度に異常はないか、密閉空間の場合の酸素濃度などは素早く計算できるようにしているが、そこから導き出される結論もかなり絶望的である。
「酸素マスク、あります」
「……周到だな」
「高高度飛ぶ時に使ってます。後はレスキュー現場の活動用、救護者の緊急処置にも使えます。一時間分のボンベが二本」
 レスキュー現場にも多々要請を受ける、汎用性の高い個性のウイングヒーローならではの装備である。鳥の嘴に似せたマスクも、鷹の名を冠したヒーローのためにデザインされたのだろう。
「この空間内の酸素濃度が16%を切った時点で致命的になる。今から交互にマスクを使用。なるべく動かず、酸素の消費を抑えて救援を待つ」
「はい。足場悪いんで、下に羽敷いちゃいます」
 この狭い空間で、更に曲面となった内部は体勢を保ちにくい。背の翼からはらはらと散らせた羽が球体の下部に敷き詰められて、平らな足場が作られる。
 若干ふわついて頼りないが、座り込む分には問題ない。というより、むしろ心地よい。埋もれた足を引き上げると、一瞬羽が舞うが、すぐに自在に動く羽が引き抜いた穴を埋めた。
「居心地がよくなってどうする」
「リラックスするの、大事だと思いますよ」
 こんな状況下でも口は減らないのか、と呆れるが、さすがにその後は無駄口を叩かず、横に並んで座って体力を温存する。
 一つしかないマスクのやりとりも、無言で呼吸のタイミングを定めて停滞なく進め、お互いずれがないことを確認し合った腕時計の表示が遅々として変わっていくのをじっと見守る。この空間に閉じ込められて三十分が経過して、一瞬だけ均衡が崩れた。
「……すみません」
 受け渡しの際に手を滑らせてマスクを取り落としたホークスに眉をひそめてその手を掴むと、じっとりと汗に濡れている。
「暑いか?」
「いえ……」
 言葉に嘘はないだろう、グローブを外した手は冷たい。
「ホークス、こっちに来い」
 来い、と言っても元々密着しているような状態だったが、掴んだ手を引いて足の間に座らせて抱え込み、取り落としたマスクを口に当てさせる。
「何が怖いんだ?」
「?」
 何を言われたのか分からない、といった目で見上げてくる若いヒーローの頭の上で手を軽く弾ませる。
「暗所か閉所か、ストレスが高じている。パニックを起こされては困るからな」
 この状況下でストレスを溜めるなとは言えないが、それでも平静を保つのがヒーローの仕事である。ホークスも重々承知の上でこれまで自己管理していたが、何かが心の平衡を欠かせているように見えた。
 何かトラウマがあるのかと手を出してみたが、時間をきっちりと測ってマスクを手渡してくる動作に乱れはない。
「暗いところも狭いところも好きじゃないですが、怖くはないです」
 緊張に冷たくなった手が、エンデヴァーの腕に触れてゆっくりと退けた。
「エンデヴァーさんが、こわいです」
「何がだ」
 低く唸ると、怒った、と笑った声が不意に震えた。押しやろうとしていた手に力がこもって一瞬腕に爪が立てられ、すぐに力が抜ける。
「俺、が、巻き込んだ……」
 それ以上の言葉はなかったが、大体予想はついた。敵側に空間操作の個性持ちがいることは予想していたのに、現場に到着したばかりのNo.1に不用意に近づいて、諸共に閉鎖空間に閉じ込められてしまった、といったことを延々と思い詰めていたものらしい。
 マスクでその口を覆って黙らせ、おもむろに拳骨を落とす。
「思い上がるな」
 通常時ならば、痛い、と大仰に騒いで囀っただろうが、目を見開いてこちらを見上げてくるに留まる。
「狙うなら火力の高い俺に決まってるだろう。貴様が巻きこんだんじゃない、俺が巻きこんだんだ、思い上がるのも大概にしろ。後で説教だ」
 今はおとなしくしていろ、と言い放って口を噤むと、金色の瞳が笑う。
「極限状態だと、エンデヴァーめっちゃ優しい」
 やかましい、と唸る前に先の意趣返しのようにマスクで口を封じられる。
「ダイジョブです。No.1は絶対無事に外に出しますんで」
 腹を据えたようで、不安定さを払拭した顔に何も言わず、また柔らかい髪をかき混ぜる。
「それ、エンデヴァーさん的に、アニマルセラピーみたいな?」
「黙れ」
 後で説教、と睨み伝えると、この状況下で妙に楽しげに笑った若造が、口に出して応じた。
「はい、後で」
 それまでは状況を享受する、とばかりに、堂々と羽を減じた背をエンデヴァーに預けてくる。
 押し退けるのも、一喝するのも酸素の無駄なので、諦めて子供のような年齢の若者を支えてやって、心音が落ち着いているのを確認する。
 この生意気極まりない子供は、相当にエンデヴァーを見くびっているようだが、あいにくと四半世紀以上トッププロとして活動していれば、こういった生死に関わる極限状態に置かれることもそれなりにあって、その状況下でヒーローという生き物がどういう思考をするものか、よく知っている。
 元々生意気な言動と裏腹に、度の過ぎた献身の傾向がある若手のヒーローが、どう腹を決めたかなど手に取るように分かるし、そんなものは今回の状況を把握した時点でエンデヴァーも若手を生かして残すと決めている。
 これは最終手段であって、揃っての生還がベストで、向こうも判断基準は同様だろう。どのタイミングで己の生存を切り捨ててくるかを見極めて、その前に行動に出る必要がある。
 さて、どこで動くか、と考えながら、エンデヴァーはもたれかかってくるホークスの身体を、いつでも拘束できるように腕を回して抱え込んだ。

 一本目のボンベに残量ゼロの表示が出て、新しく付け替えた時点で、ホークスの纏う気配が変わった。
 順当なタイミングではある。
「ホークス」
 呼びかけて、振り仰いできた青年の後頭部を鷲掴んで顔を近づける。
「へ……、あの、エンデヴァーさ……?」
 間抜け面を晒して動揺する男の鳩尾に拳を突き入れると、強制的に呼気を吐き出させられて咳込みながら己の羽の上に崩れ落ちる。
「エン…ヴァ……」
 一撃で昏倒させるつもりだったが、意識がある様子に内心舌打ちする。
 狭い空間で充分に腕が振るえないのは織り込んでいたが、想定していたより彼のヒーロースーツの対衝撃性が優れていたのと、当人が頑丈だった。
 それでも身動きはろくにできないようなので、羽毛の中に埋もれかけていたマスクを拾い上げ、鳥の嘴を模したそれを仰向けにひっくり返したホークスの顔に当ててベルトをしっかりと留める。
 呆然としていたホークスが、ようやくその意図に気づいて目を見開く。
 猛然と暴れ出す前に、腹の上に乗り上げて肩を両膝で押さえこみ、両手首をひとまとめに拘束し、残る右手で首を掴むが、首周りの硬い感触に頸動脈の圧迫を妨げられた。
「……いいデザイナーだな」
 耐衝撃もだが、速力を最優先にしているように見えて、しっかりと必要な防御手段を講じてある。良い仕事だが、着用者をあまり傷つけずに無力化して気絶させておきたい今の状況においては、非常に忌々しい。
「暴れるな」
 空気の無駄だ、と叱りつけると、遮二無二暴れかけた身体が一瞬抵抗を止めた。忠告通り、余計な労力を使わず、宙を舞っていた緋色の羽が指向性を持ってエンデヴァーの腕を中心に上半身に貼りつき、壁に向かって弾き飛ばした。
「何、考えてんです……?」
「貴様と同じことだが?」
 マスクを引きちぎるように己の口から剥したホークスが、凄まじい目を向けてくる。
「立場が違う」
「立場とは?」
「あなたはNo.1だ!」
 社会的立場と責任があると噛みつかれて、冷ややかに睨み返す。
「それは貴様も変わらんだろう。支持率俺以上次世代No.2?」
 かつて彼自身が放言した台詞をなぞって煽れば、簡単に若者は激昂した。
「せからしか!」
 大きく息を吸いかけて、はた、と手にした酸素マスクに気付いたものらしい。怒気にぎらつく目で周囲を見回すが、空気中の酸素濃度が目で見て分かるはずもない。エンデヴァーの経験上の体感では、あと五分から十分の間というところである。
 怒鳴り散らすよりも先に、剛翼で拘束したエンデヴァーにマスクを付けさせるべきだと判断したホークスが口を引き結んで身を近づけてくる。
 抵抗を防ぐためだろう、腕や肩を拘束していた剛翼が更に数を増して、上半身を完全に固めた。全力を込めてもびくともしない。通常の空間ならば迷わず燃やしていたところだが、この状況ではエンデヴァーの戦闘力はほぼ削がれる。
 と、判断したのだろうが、少々甘い。
 壁に貼りつけられた腕を支点に身を捻って、狭い空間で変形的な回し蹴りを放ち、とっさに飛び退こうとしたホークスの背が壁に突き当たる。一瞬、身動きできなくなったところを、狙い過たず顎先を掠めた。
「っの……!」
 敷き詰められていた緋色の羽がぶわりと浮き上がったが、攻撃に転じるより先に、ホークスが膝から崩れ落ちた。辛うじて肘で上半身を支えて完全に倒れこむのは耐えているが、脳震盪を起こして身動きできない青年の上に制御を失った剛翼がひらひらと降り積もる。
 やはり、脳を揺らしてやれば緻密な制御はできなくなるものらしい。
 拘束の緩んだ上半身の羽を引き剥がし、無理に個性を発動させようとしているのか、不安定に揺れ動く羽の上から身を起こそうとするホークスの胸倉を掴んで引き寄せ、ジャケットを途中まで引き落とす。手首のところで止まったそれを簡易の拘束として、首の後ろを指で探ってファスナーを一気に引き下げた。
「な、にを……」
 ぱっくりと開いた背中を支え、首元を露わにして手を添える。
「や、め……」
 速い脈動を伝える頸動脈に触れた指に力をこめれば、強制的に意識をブラックアウトさせられると理解したホークスが足掻くように身を捻る。
「お前が生きろ、いいな?」
「あなた、を。待って、る、家族いる、でしょ……」
 待っているかどうかは非常に怪しいが、まだ何も償えていない現実が刺さる。
「すまなかった、と伝えておいてくれ」
 おそらく、それを聞いた全員を怒らせるだろうとは予想はついたが、他に気の利いた言葉も思いつかない。ろくでもないメッセージを託されかけたホークスが、嫌だ、と頭を振るのを抑えこんで首を圧迫しかければ、足下の羽がゆらゆらと揺れ動く。
 まだ剛翼を自在に動かせられないのだろうが、中途半端に操作されて、不安定に揺れる足場に気分が悪くなる。おそらく、空気が薄くなっているのも原因の一つだろうが。
 マスクを先にさせておこう、と転がっていたマスクを拾って再度ホークスの口に押し当てると、更に揺れが激しくなった。
「いい子だから、あ……ばれるな……?」
 頼むからおとなしくしてくれと、口走りかけて取り繕った己の台詞に違和感を覚えて、掴んでいた首から力を抜く。
 エンデヴァーが手を緩めても、蠕動するような揺れは収まらない。
 試しに壁に触れると、先程までの固い手応えではなく、力を込めると僅かに歪む。
「ホークス、状況が変わった」
 時間の経過か、それ以外の要因か不明だが、強固だった壁が薄く、脆弱になっているようだった。
 試しに通信機のスイッチを入れると、何の反応もなかった先程と異なり、酷いノイズが鳴り響く。
「脱出できる可能性が出てきた、休戦だ」
「休戦……?」
 怒気に満ちた目を向けてきた若者に、平然と休戦だ、と繰り返してマスクを当てる。
「話は後だ。酸素を吸って、頭を冷やせ。貴様の個性が頼りだ」
「頭を冷やせ、ですか……?」
「そうだ」
 逆の立場だったら怒り狂っていたであろう己を知っているが、きっぱりと言い切れば、ホークスは歯噛みしながら身を起こした。
「後で、話をしましょう」
 大きく深呼吸を一つしてから、据わった目でマスクを押しつけてくるのには抗わずに、酸素を吸う。
「……外の剛翼を感知できるようになってます。外の状況は戦闘中……、ヒーローが少ないです。閉じ込められているのかも」
「この空間操作の個性の敵を特定して倒せるか?」
 無線は依然としてノイズが酷く、通信まではできない。剛翼の個性も無理は効かないはずだが、一つうなずいたホークスが鋭い目を向けてきた。
「あなたが何を仕掛けてくる分からない状況だと集中できないんで、拘束していいですか?」
「構わんが、マスクは……」
 皆まで言わせずに、マスクが口元に押し付けられ、羽が全身を拘束する。先の失敗を踏まえて、もはやどこにも自由を与えるつもりはないらしい。
 すぐに開放されるだろう、とおとなしく様子を見守り、やがて集中を切らしたホークスがぐらりと倒れ伏しかけたところで、拘束の緩んだ羽を引き剥がして、仰向けに転がした青年にマスクを押し当てる。
「貴様の個性がどれだけ脳を酷使して酸素と栄養素を必要とするか、よく考えろ、馬鹿者が」
 相当に頭に血が上っていたようなので、尚更だろう。
「倒したか?」
「感知、できた、奴は、全員、建物から引きずり出しました」
 酸欠で朦朧としていようが、その辺りはきちんとこなす男である。
 再度、壁に触れてみれば、割れないシャボン玉のような感触で、相当に薄くなっているのは感じ取れる。
「これなら破れるな、借りるぞ」
 長い風切り羽根を拾い上げると、意を察して手の中でまっすぐに伸びた羽が硬く、鋭く尖る。
 軽すぎる刃は少々取扱いに癖があるが、妙に手に馴染んだ。狭い空間で無理に振り回さず、突き通すように羽を壁に刺しこめば、風船を割ったような破裂音と共に光が溢れて宙に放り出された。
 冷たい潮風に身を包まれるのを感じた瞬間、横の青年を片腕に抱え込み、火炎を放出して落下を食い止める。
 吹き散らされた羽を少々炎に巻き込んだが、当人はまだ自力で飛べる状態まで回復していないので些末な問題である。
 緩やかになった落下の間に、散らばった緋色の羽と倒れ伏した敵達、警官に取り押さえられても尚も暴れて拘束具から逃れようとする一人を見てとって、軽く焦がして吹き飛ばしてから地に足をつける。
 それとほぼ同時に、風船が弾けるような音が連続して、どさどさと人が落ちてきたのは、同様に異空間に閉じこめられていたのだろう。
 人だけでなく、密輸品らしき木箱なども混ざって降ってきたが、重量級のファットガムが間近に落ちてきたのには閉口して、まだ動作の鈍いウイングヒーローを警官達に向かって放り投げる。
「残党は?」
 現着してすぐに姿を消し、突然復帰したエンデヴァーの問いに、慌てふためきながらも、建物内に二人、人質は全員保護済みと報告してくるのにうなずく。
「エンデ……さ」
「いい子だからおとなしく寝てろ」
 よろよろと身を起こすホークスを再度蹴り転がして、酸欠、と警官達に手短に告げる。
「他に閉じこめられていた連中の応急処置も急げ」
「エンデヴァーさん!」
 睨み上げてくる青年に、軽く首を傾ける。
「貴様、俺が空気のあるところで負けると思うのか?」
「……後で、話をしましょうね」
 後でな、と応じて、エンデヴァーは残党の処理に向かった。

 エンデヴァーとホークスが消失したのを皮切りに、ヒーローを中心に次々と人員が姿を消し、現場は一時期かなり混乱したらしい。
 姿が見えない相手は消せないようだ、と判断して応援を増員しながら包囲を続け、膠着状態に陥ったところで、突然敵の大半と人質が建物の外に放り出されたらしい。人質を保護し、高所から放り出されて動けない敵を確保し、混乱している中にエンデヴァー達が戻った。
 後は、エンデヴァーが圧倒的な火力で残党を制圧して、事件は幕を閉じた。
 警官が一人、暗闇と閉所に閉じこめられてパニックになり、過呼吸の末の酸欠を起こして搬送されたが、命に別状はないと報告があった。
 他のヒーロー達はまとめて四角い広い倉庫の中に密輸品と一緒に放り込まれていたらしく、脱出しようと悪戦苦闘していたらしいが、酸欠になるほど狭い空間に閉じこめられたのは、エンデヴァー達と搬送された警官だけだったらしい。
 その状況を知って、サイドキック達が病院での精密検査を勧めてくるのを、不要だと不機嫌に拒否していると、こちらももう回復したらしいホークスが横から口を出してきた。
「大丈夫ですよ、その石頭、ちょっとの酸欠くらいじゃ、びくともしませんから」
 その台詞の刺々しさに、エンデヴァーは指摘通り石のように動じなかったが、周囲はざわめいた。
 ホークスという才走った若さの目立つヒーローは、生意気な言動を常としている。
 見栄えのよい個性で人気を獲得して、デビューから瞬く間にトップヒーローに躍り出た若者は、慢心なのか周りの肝を冷やすような振る舞いを見せることがあるが、いつもは軽薄さと愛嬌で毒気を抜いている。
 若さに似合わず世渡りに長けているくせに、意図的に空気をぶち壊したり敵を作るような言動をするホークスのことを、ファットガムなどはよく分からない、と思考を放棄したくらいだが、普段の彼は毒を吐いていてもどこか余裕がある。
 今回は、そんな余裕が見られない。
 剥き出しの怒気を揺らめかせながら、口元だけは笑ってみせて親指で背後を示す。
「エンデヴァーさん、ちょっと話しましょうか?」
 倍の年齢というだけでなく、彼の年齢以上のキャリアを持ったNo.1と話をしようという態度では到底ない。
「あー、ホークス? ちょーっと頭に血ぃ上っとるで?」
 一触即発の雰囲気のNo.2と、今は平静な顔をしているものの、気の短さで知られるNo.1の間にファットガムが割って入ったが、翼を持つ若者は何の障害でもないとばかりに男の巨体を飛び越えてエンデヴァーの前に立った。
「後で話をしましょうって、約束しましたよね?」
「ああ、本気だったのか」
 淡々とした顔で応じたエンデヴァーに、むしろ周囲は危機感を募らせたようだった。
 ヒーロー達が強引に二人を引き剥がすか僅かに身構えるのを見て取って、エンデヴァーは手を振って不要だと示す。
「お互い、ちょっと見解の相違があっただけだ、そうだろう、No.2?」
「ええ」
 にっこりと笑う青年の顔が不穏すぎて、まだ迷う様子のヒーロー達に小さく首を振ってみせて歩き出すと、その後ろを軽い足音がついてくる。
 盗聴の個性を持つ者はいないはずなので、彼らの心配も踏まえて目視できるが声は届かないであろう距離を取って足を止めれば、背後の足音も止まった。
「それで、何の話からだ?」
 No.1としての社会的責任の話か、帰りを待つ家族とやらの話か、立場の違いとやらか、何だろうがこちらも曲げるつもりはない。冷ややかな目で振り返ると、ぎらぎらと煮えたぎった金色の双眸と真っ向からぶつかった。
「……ッ」
「どうした?」
 普段は止め処なく喋り続ける彼だが、激高しすぎて何から口にすればいいのか判断が付かないらしく、無為に口が開閉する。
 まるで子供だ。
 こんな癇癪を起こすような子供相手に、と思えば、エンデヴァーも苛立ちが湧く。
「話し合いたいんだろうが?」
 感情に任せて揺らいだ炎を映して、琥珀色の瞳がぎらりと揺らぐ。
 遠目に様子を窺っていたヒーローやサイドキック達が慌てた様子も目に入ったが、来るな、と制する前に一つ息を吸い込む音が聞こえて、ホークスに目を戻してぎょっとした。
 炎を映して揺らいだのだと思った瞳はいつの間にか決壊していて、ぼろぼろと大粒の涙を零していた。
「う……ぁ」
 わななく唇が意味をなさない音を漏らし、それを皮切りに声を上げて泣き出したホークスに泡を食う。
「待て! それ、ズルくないか!?」
 子供というよりも、迷子の幼児のように泣きじゃくられて狼狽えていると、二人の諍いを止めに走ってきたヒーロー達も、戸惑った様子で右往左往していたが、気のいい一人が均衡を破った。
「ホークスー? どした、お前のキャラ違うやろ?」
 巨体を誇るファットガムが前に立つと、ヒーローとしてはやや小柄で、今は羽も減じているホークスが完全に子供にしか見えない。
 屈み込んで話しかけるファットガムに首を振って段々と沈み込み、やがて完全にしゃがみこんで嗚咽を漏らすホークスを有無を言わさず引きずりあげると、肩に担ぎ上げて背を宥めるように叩く。
「なんや、お前、泣くのどへたくそか。息しろや、息」
 もう、気が済むまで泣け、と嘆息したファットガムがエンデヴァーに顔を向ける。
「エンデヴァーさん、こいつガチ泣きなんやけど……」
 何とも言い難い顔で告げられて、まるで新人いびりをしたような周囲の目に、エンデヴァーは苦虫を噛み潰したような顔になった。

「ホークス、号泣って?」
「なんか、閉じこめられてたとき、相当空気の残量やばかったらしいって」
「酸素ボンベ残り一つになった時点で、お互い、相手を生き残らせようと動いたと」
「あー、超ありがちなキッツいやつ」
「ホークスの首の痣、めっちゃヤバい。エンデヴァーさん、目的のために迷いなさすぎ」
 痕が残ったとは気づいていなかった、と当人に聞かせるつもりではないのだろうが、あまり声が押さえられていないので丸聞こえな、どこかの事務所の若いサイドキック達の会話を聞きながら考える。
「ホークスなら、剛翼でどうとでもできんやろ」
「狭い閉鎖空間で個性使えないのに、剛翼抑えて絞め落としにきたってよ」
「ベテラントップヒーローこわっ!」
「そんなんで生き残らされても、めちゃくちゃトラウマになるやつじゃん」
「それもずっと憧れてたヒーローにとか、そりゃ泣くばい」
「え?」
「ホークスって、エンデヴァーファン?」
「あ、俺、学校同期なんで。いつも冗談っぽう言うとったけど、たぶん」
 姦しかった若手達が一瞬黙って、何とも言い難い顔を向けてくるのを睨み返す。
 想像より近い位置にいたNo.1にたちまち萎縮して、こそこそとその場を離れていった若者達に代わるようにして、年配のヒーローが缶コーヒーを手にやってきて、エンデヴァーの横に座った。
 エンデヴァーより少し年嵩の、実戦向きでなく犯罪者の捜査に有利な個性を持つため、一般にはほとんど知られていないものの、警察からもヒーローからも信頼の厚いベテランからコーヒーを手渡され、目礼して受け取る。
「いや、なかなかの椿事で」
「……申し訳ない」
 人質も無事保護し、敵も全員捕らえて事件は解決したとは言え、何故ヒーロー達が泣く子供に掛かりきりになっているのかが謎である。
 これまであまり隙を見せずに生意気な言動を繰り返していた若造が醜態を晒したからなのだろうが、成人した男相手に飴やら菓子を与えてどうするのか、さっぱり理解できない。
「本人は頭が冷えてきたようで、大分いたたまれなくなっているようだ」
 成人男性としては当然だろう。後先を考えずに泣き喚いたりするからそういうことになる。
「あれは、まともに話ができたように思えんのだが、随分と正確に噂話が広まっているようだが?」
 エンデヴァーが視界に入ると余計に取り乱す、と早々にその場から遠ざけられたが、見ていた限り、意味のある言葉を吐ける様子ではなかったし、ある程度冷静になったなら、あんな密室の中での出来事を詳らかに語るはずがない。
 白い目を向けると、ベテランヒーローはプルタブを開けながらとぼけたことを言った。
「自白の聴取が得意な個性のヒーローも居合わせとるからなぁ」
 それに近しい能力を持つのは、彼のはずである。
「しませんよ。片方が死んで捜査が必要ならともかく、両方とも生還した場合の極限状況下の出来事なんぞ、他人が暴くもんじゃない」
 ものの分かっていない若手の仕業だ、と嘆息する。
「あの若いのの首の痕に気づいて、あなたが若いのを害そうとしたなどと騒ぎ立てかけたものだから、あの子が泣いて否定して」
「……なるほど」
 どちらかと言えば、エンデヴァーが自分が生き残るために若手を殺そうとした、と噂されるだろうと思っていたので、妙に正確な噂を不可解に思っていたが、当人がエンデヴァーの悪評を許さなかったものらしい。
「今時の若い連中は、マナーというものを知らない」
 老練したヒーローの慨嘆に、全くだ、とうなずく。
「後で話すようなことなんぞ、ないんだがな」
 極限状況下での出来事など、生還した後は、口を噤むのが礼節というものである。
 ヒーロー業などというものを長くやっていれば、それは常識なのだが、若手はまだ生死のかかった極限状態の密室空間というものをあまり体験していないのだろう。
 ヒーローとして生き汚く醜態を晒さない分、往々にして散り際の美学などに囚われて、生還した後に恥をかく羽目になることを知らない。
「酒の席よりひどい妄言を吐くと言うのに」
 ろくなことを口走らない、実に異常な空間である。
「若いお前が生きろだの」
 似たようなことは口走った。
「家族への伝言だの」
 かなりろくでもないメッセージだったので、なかったことにしておいた方がよいものである。似た事態になれば、また同じことを繰り返すのだろうが。
「愛してるだの」
 それは、口走りかけたが、辛うじて言っていない。
「……本当に、後で話すようなことなんぞ、何もないんだがな」