よだかとよすが

操業時間を過ぎた工場地帯の灯火は乏しく、寒風の吹き荒ぶ暗い道に自動販売機が煌々と存在感を示していた。
その明るさにふらふらと吸い寄せられるようにして機械の前に立ち、硬貨を放り込んで温かいコーヒーを選択する。グローブを外して取り出し口から掴みだした缶は火傷するかと思うほど熱かったが、その温もりが今は有難い。
しばらく両手で暖をとってから、中身が冷え切る前にプルタブを開け、甘めのコーヒーで身の内から温め、ようやくほっと息を吐き出す。
ヒーローというのは品行方正を求められるもので、少し前までは道端での飲食など論外だったそうだが、最近はコスチューム姿のヒーロー達が出入りする方が犯罪抑止効果があると、深夜営業の飲食店やコンビニエンスストアでは歓迎されるようになった。
男の所属する事務所の昔気質のヒーローである所長は、それでもあまりいい顔をしないので、手早くコーヒーを飲み干して缶を捨てようとしたが、自販機の周囲にはゴミ箱が設置されていなかった。ヒーローの端くれとして、ポイ捨てなどはできないので、仕方なく空き缶を上着のポケットに入れ、パトロールに戻ろうと踵を返す。
その時、ばさりと羽音が頭上で聞こえたが、夜に飛ぶとは珍しい鳥だ、とだけ考えて、歩き出した背に嘆きの声が届いた。
「うあー、電子マネー使えない……」
慌てて振り返ると、人影が自販機の前でがっくりとうなだれていた。
自販機の蛍光灯が明るすぎて、人物は暗い影にしか見えなかったが、若い男なのは見てとれた。背にはおそらく翼状の個性がある。
台詞からして、現金しか使えないタイプの機械に対し、持ち合わせがないことを嘆いているだけの若者だが、その個性と先に聞いた羽音が引っかかった。
先程までこの通りに他に人影はなく、突然現れたとしか思えない男は、おそらく空を飛んできた。
「ちょっと君、いいかな?」
公共の場での個性の使用は禁止されている。飛べる羽を持って生まれて飛ぶなとは酷な話だが、個性の濫用を抑制することで成り立っている現代社会において、ヒーローとしてその不正を見逃すわけにもいかない。
「君、今空を飛んでたよね? 何か個性利用の許可を……」
「あ、スミマセン、持ってます」
しゃがみこんでいた青年が立ち上がったことで、背の紅い翼が自販機の灯りに照らし出され、その主張が事実であると知る。
同業者だ。しかも、己より千倍は著名な。
「ホークス!」
九州を地元とするヒーローだが、知名度は全国区だ。十八で事務所を立ち上げ、その年のうちにトップテンに食い込んだ新進気鋭のルーキーである。
その一年早くに高校のヒーロー科を卒業してプロになった自分は、インターン時代から世話になっている事務所のサイドキックとして正式に雇われて二年、まだまだ独立は遠い。これは特に遅いわけではなく、このデビューしたてのまだ未成年の若者が特異なのである。
最近では様々な広告塔にもなって、ますます人気を上げているウイングヒーローは、トレードマークでもある彼の個性、剛翼で身を覆っていた。
「……ええと、寒い?」
思わず聞いてから、それは寒いだろうと気づく。地上をパトロールしていても凍えて、自販機に暖を求めたのだ。遮るもののない上空を、最速と呼ばれる個性で飛行していれば、防寒対策をしていても凍えるだろう。
「この辺、コンビニ、あります?」
「この時間にやってる店はないなあ……」
工場地帯のため、昼間は勤務者向けの店があるが、夜はどこも開いていない。
現金がないのかと問うと、高額紙幣しか持ち合わせていないと、歯の根が合っていないのか、単語ごとに区切った答えが返ってくる。硬貨は重いから、と妙な言い訳が添えられたが、飛ぶヒーローとしては少しでも身を軽くしたいものなのかもしれない。
「おごるよ、何飲む?」
個人事務所をすでに開業していようが、ランキングが遥か上であろうが、ヒーローとして、凍えきった年下の後輩を見捨てるわけにはいかない。
硬貨を機械に放り込んで、好きに選べと示すと、驚いた顔が妙に幼かった。
メディアで目にする最年少記録を次々と更新する若手は、不遜という言葉の似合う若者だったので、遠慮する姿は新鮮だったが、かなり限界だったのだろう、一つ頭を下げて缶コーヒーのボタンを押し、出てきた熱い缶に懐いた。
しゃがみこんで小さめのスチール缶を両手で包み込み、頬を寄せて暖を取る姿は、背の翼と相俟って何やら小鳥のように見えた。
少し温まって強張りがとけたようで、ペラペラと囀りだしたので、余計にその印象が強まる。
東京でチームアップを終えてきたところで、これから九州に戻ると聞いて、思わず時計を見る。二十一時を回ったところで、最速と呼ばれるウイングヒーローがどのくらいの速度を出せるのかは知らないが、凍えて自販機に寄ってくるような気温の中、そんな長距離を夜間に飛べるものなのかと思うが、補給したので大丈夫だなどと、へらりと笑う。
朝には地元にいないとならない、と言うので、若手人気ヒーローは多忙なのだろう。
「ごちそうさまでした、マジで助かりました」
缶を空にして立ち上がる動作は滑らかで、コーヒー一杯で随分回復したようだ。
「シール集めてるのか?」
かりかりと爪を立てているので、何かと思えば、缶に貼られた応募シールを剥していたので、上着のポケットに入れていた同じ缶のシールも提供してやると、これまでで一番幼い顔で未成年のヒーローは笑って礼を言った。
「空き缶も、こっちで捨てとくから。重くしたくないんだろ?」
「重ね重ねお世話になりました」
深々と頭を下げたウイングヒーローが、もう行かないと、と告げて翼を広げた。明々とした自販機の蛍光灯の白い光に透ける緋色の翼は、ただ鮮やかだ。
羽ばたきの音を一つ残して、浮いた身体はすぐさま夜空に紛れた。航空機に課せられる航空灯とはまた異なるのだろうが、位置を示す青い灯火がたちまちのうちに小さくなって夜空の星に紛れた。
ありがとうございました、と降ってきた声に手を振って、少し速足でパトロールに戻る。
急いだが、集合時間にやや遅れて他のコースを巡回していた事務所の他メンバーと合流すると、手にしていた二つの空き缶を見咎められた。
「何かあったのか?」
「いや、ちょっと夜鷹に行き会いまして」
「夜鷹!?」
上司の思わぬ反応に驚き、ホークスのことだと慌てて告げると、その単語は江戸時代における最下層の遊女の呼称だと呆れられた。時代劇に親しむ人間には常識のようだが、彼はどちらかと言うと童話に出てきた鳥のイメージで使った。
子供の頃に読書感想文のために読んだもので、詳細はもう忘れたが、嫌われ者の孤独な鷹が冷たい夜空に登って行って最後には星になった。
小さな缶コーヒーの温もりをよすがにしていた幼い顔をしたヒーローは、なんだかひどく孤独に見えた。
後日、事務所宛てに「先日助けていただいた鷹です」などと昔話のようなメッセージと共に、コーヒーと菓子の礼の品が届いて、あの若い鷹はコーヒー一本分の借りもそのままにしておけないのかと、少し寂しく思った。

複数の事務所のチームアップが必要となった大捕物の待機場所は、冬の最中にも関わらず緊張と熱気に満ちていた。
この熱気には物理的な意味も含まれて、出動となれば中心になるであろうNo.1ヒーローが間近にいるためだった。
数歩離れた距離でも渦巻く熱気を感じていたが、炎を纏った右腕が横に伸ばされたことで、熱気が頬を打って思わずたじろぐと、右半身から炎を消したフレイムヒーローがじろりとこちらを睨んだ。
「退け、危ない」
眼光が鋭いだけで、睨んだわけではないのだと、周囲の彼のサイドキックの平然とした反応で察した。No.1になって、エンデヴァーはかなり穏やかになったと言われている。実際、今の台詞だって以前ならば邪魔だ、の一言だっただろう。
危ない、とは何のことだろう、と考えが至ったところで、ばさばさと賑やかな羽音と羽によって巻き起こされた風が頬を打って後ずさる。真冬の空気は本来ならば冷たく身を刺しただろうが、フレイムヒーローの存在によって、温められた空気と入り混じって妙に温い。
「サムイサムイサムイ!」
上空から急降下してきたウイングヒーローが止まり木よろしく、炎を収めた右腕にしがみついて囀った。
「やかましい!」
「この寒空の中、偵察してきたんだから、ちょっとくらい労ってくださいよ!」
下された腕にすがりついて文句を言うホークスが若く、またその年齢以上に童顔で、大柄なエンデヴァーに対し身体が小さく、そして背に翼が生えた個性によって、大型の獣と戯れる小鳥のようなイメージを周囲に与えるためか、妙に微笑ましく見える。
「エンデヴァーさんで暖を取るホークス、パねえ……!」
「怖いもんねえのか、あの傲岸不遜」
新しくトップに君臨した二人は、親子ほどにも歳が離れ、ヒーローとしてのスタイルも全く異なり、当初は若手がベテランを煽るような言動を見せたことから、また一、二位の不仲の時代が始まるものと予想されたが、あまりにも正反対で逆に相性が合ったのか、よくチームアップをするようになった。とは聞いているものの、あまりのNo.2の傍若無人さに他の若手ヒーローの腰が引ける。
腕にすがる鳥を野生動物の一種と諦めたようで、空いた左手でサイドキック達に指示をしているエンデヴァーはもはや気にもしていないようだが。
「火出さずに腕差し出してやってる時点で、エンデヴァーが許してんだろうがよ」
くだらんことにビビるな、情けない、とぼやいた己の上司にうなずいて、思わず小さく笑うと、どうした、と問われる。
「いや、そういえばエンデヴァーさんって、コーヒーのCMをやってたなと思い出して」
まだ成人もしていなかった速すぎるヒーローが集めていたシールは、その関連グッズが当たるキャンペーンだったと、数年越しに思い至っただけである。

あの腕は、缶コーヒーより大きくて暖かそうだ。