King’s Order - 2/3

「これは、なんだ?」
 ずしりと重い声にのろのろと顔を上げると、冷たい色の双眸がまっすぐに己を射抜いていた。
 鮮やかな青色なのに、空の色でも海の色でもない、見たことのない色をじっと見つめ返す。
「旦那様、お目が高い! これはとても貴重な翼種の雛でして。最近は数も減って、とても珍しい生き物でございます。今夜の競りの目玉となっております」
 店主が転がるように前に進み出てきて、揉み手しながら大男の全身を素早く眺め回し、地味なマントの下に覗く装束の上等さから上客と判断したらしい。媚びた顔で笑って、滔々と商品の来歴を並べ立てた。
「人なのか、鳥なのか?」
 苛立った声が、商人の口上を遮った。
「もちろん、鳥でございます。人真似で少々汚い言葉を覚えたもので、今は黙らせておりますが、美しい声で歌いますよ。王侯貴族にも愛玩される、珍種の鳥です」
 男に愛想を振りまきながら、商人がちらりとこちらを見た。
≪立て、回れ≫
 呪を込めて命じられれば、身体は勝手に立ち上がった。狭い鳥籠の中で背の翼を広げ、ゆっくりとその場で回らされる。笑えと言われなかったのを幸い、目を閉ざして歯を食いしばる。
「ご覧ください、この見事な赤い翼!」
「人なのか、鳥なのか?」
 張り上げられた商人の声をきっぱりと無視して、同じ問いが発せられる。
「ですから……」
 そろそろ商人は、この貫禄のある大男を客として扱うべきか悩み始めたようで、困惑の表情で言い募ろうとするが、男は商人の言葉に一切耳を貸さなかった。
「人なのか、鳥なのか?」
 止まれ、と命じられなかったので、その場での回転を続けさせられていた身体がちょうど正面を向いて、薄い色の双眸と真っ向から目が合った。
「貴様に聞いとるんだ」
 ぴたり、と足が止まった。
 呪を乗せたわけではない、ただ、その声の強さが命令を打ち消した。
「貴様は鳥か、人か?」
 問われて、ゆっくりと目を瞬く。
 この鳥籠に入れられてから、ずっと人扱いなどされていない。
「人か!?」
 びりびりと身を震わす大喝に、戸惑いなど全て吹き飛ばされて、こくりとうなずく。
 同時に男のマントが大きく翻った。
 マントの下から溢れだした赤い光を呆然と見つめていると、慌てた声が聞こえて、横から何かが覆いかぶさってきたかと思う間もなく、光と熱気が鳥籠の中を渦巻いた。
「あちちちちちち!」
 炎が納まると、小山のような巨体は背に燻る小火を手で払って、涙目で男を振り返って酷いと訴えた。
「相変わらず乱暴だな、この子を巻き込んだらどうするつもりだったんだ」
「貴様が庇いに入らなければ、ちゃんと避けていた」
「私のせいでむしろ危険に晒した!?」
 苦々しい声に素っ頓狂な声で応じた金色の髪をした巨漢は、改めて少年に向き合ってにこりと笑った。
「大丈夫かい? 酷い目にあったね」
 巨人族だろうかと思う程の筋骨逞しい戦士が、もう大丈夫だよ、と笑う意味を理解しかねて、その肩越しにそっと様子を窺うと、辺りは焦土と化していた。
 天幕も、ごちゃごちゃと飾られていた商品も全て灰になっていて、その中に炎の魔人が立っていた。大きな身体を縁取る炎の中に、冷たい蒼い瞳を見つけて、先の奇妙な客だと気づく。
「相変わらず苛烈だなあ。何も殺さなくても」
「俺の城下で人買いを許した覚えはない。どうせ死罪だ、手間を省いた」
 魔人の足元にわだかまる炭の塊が、奴隷商人の成れの果てだと気づいて、びくりと身を震わすと、金色の巨人が大きな手で視界を遮った。
「もう大丈夫だよ、随分遠くから連れて来られたんだね」
「それは何なんだ? 人か?」
「君、この子が人だって言質を取って燃やしたよね……? 南方の、大陸の南端の更に南の群島に住む種族だよ。華やかな色の翼が特徴でね、珍しい種族だから捕まえて売る裏商売があるとは聞いていたけど、こんな小さな子がこんなところまで連れてこられるなんて……」
 かわいそうに、と頭を撫でる巨人の手の隙間から、炎の魔人の厳しい顔を見やる。
「放してやれば、自分で飛んで帰れるのか?」
「いや、こんなに小さいからそんな長距離を飛ぶのは無理じゃないかなあ。どうにか故郷に返す方法を考えてあげないとね」
 心配いらないよ、と金色の巨人は笑ってみせたが、その背後からの嘲笑がその言葉を否定した。
「どうやってだ? いい加減な希望を持たせるな」
「君はさぁ……、ある意味私より誠実なのかもしれないけど、こんな小さな子相手に……」
「面倒を見きれるわけでもないくせに、もう大丈夫だなんぞと、流れ者の勇者が妄言を吐くな。そもそもこれは、俺の国で闇商売をしていた連中の証拠だ。俺の国の法で扱う」
「あ、君のとこで面倒見てくれるの、ありがとう!」
「都合のいい解釈をするな!」
「大丈夫、このおじさん、見た目より優しい王様だからね。この国で一番偉くて強いんだ」
 こそり、と耳打ちされた声は大きく、王だという男の纏う炎がより激しくなったことにはらはらするが、大男は笑い飛ばして有翼種の少年を抱え上げて溶解した檻の外に出た。
「少年、君の名前は?」
 問われて口を開閉させるが、意味なく息が吐き出されただけで、音にならない。
「あれ、喋れないのかな?」
「黙らせていると言っていた。籠の中での動きも妙だった。何か命令を強制する呪いでもかけられてるんだろう」
「ひどいことを……!」
 もう大丈夫だと繰り返され、目を瞬かせる。意味がよく分からず、こちらは甘い言葉を吐かないと判断した王を見上げると、冷たい水色の目がかすかにうなずいた。
「陛下! ご指示通り、この市の関係者、客の全て取り押さえまし……オールマイト様!?」
 駆け込んできて報告しかけた兵士が、金髪の大男を見上げて驚きの声を上げる。
「頼んでもいないのにしゃしゃりでてきた、ただの押しかけ勇者だ、気にするな」
 王が不機嫌そうに唸ると、兵士が直立不動になって報告を再開する。その後も入れ替わり立ち替わり兵士や役人達がやってきて、王と勇者と呼ばれた二人の巨躯は人に埋もれてしまう。
 頭上を飛び交う言葉を聞いて、盗品や人買いなどこの国で禁じられた取引を行う闇市を、王自ら取り締まりにきたのだと、おぼろげに理解する。
 自分を所有していた奴隷商人は、一番声をかけてはいけない相手に商談をもちかけたのだ。
「少年! とりあえずお城に行こう! ごちそうが食べられるぞ!」
 人をかきわけて勇者が手招き、苦い顔をしている王が既に踵を返しているのを見て、焦って駆けて追おうとして、べしゃりと転ぶ。
「大丈夫かい!?」
 抱き起こされる前に自分で立ち上がって、こくりとうなずいて、また走ろうとして石畳の上を派手に転んだ。
「……歩けない種族なのか?」
「いや、そんなはずは……、怪我をしてる感じでもないけど、動きがおかしいね」
 痛みをこらえて身を起こすと、立ち上がる前に身が浮いた。
 勇者の濃い笑顔を想定していたので、不機嫌そうな冷たい色の瞳にきょとんとする。
「泣くな」
 元より、泣いても何にもならない現実を知っているので、分かっている、とうなずけば王は大きく顔をしかめた。
「行くぞ」
 遅々とした歩みしかできない子供を降ろして歩かせるのが面倒になったのだろう、片腕に抱えられたまま歩き出した男に、どこに、と目で問うと、遠くに見える湖の畔に建つ壮麗な城を指で示す。
「俺の城だ」
 本当に王なのだ、と理解して、蒼く透き通った湖と男の横顔を交互に見比べる。
「……何だ?」
「君の目がこの湖の色だってさ。褒めてるんじゃないかな」
 眉をひそめた城主に、勇者が通訳をしてくれる。こくり、とうなずいてみせると、少し妙な顔をしてこちらを見下ろした後、ふい、とその目が逸らされた。

 城の中で、最初はがらんとした空のベッドだけが並ぶ薬臭い大部屋に連れていかれたが、翌日には温室の中に移された。外の季節など関係なく温かなガラス張りの部屋は、規模こそ大きくなったものの、鳥籠によく似ていた。
 食べ物はもらえたし、奴隷商人のように身体に傷をつけずにいたぶってくる者はいない。状況は今一つ把握できていなかったが、待遇は悪くなかった。
 温室に鍵はかかっていなかったが、逃げる必要性を感じなかったし、逃げたところでどうしていいか分からない。
 そもそも、ろくに走れもしない自分には、この大きな城から出ることすら難しい。
 どうすればいいのだろう、と考えているうちに数日が経ち、突然温室内に入ってきた集団にびくりと身をすくめる。
「やあ、元気にしていたかな!」
 金髪の勇者が変わらぬ笑顔を見せ、城主は相変わらずしかめつらをしていた。他に、見知らぬ顔の男女が数名いる。
「今日は君を喋れるようにしてくれるお医者さんを連れてきたんだ、こっちに来てくれるかな?」
「愚図愚図するな、来い」
「君さぁ……」
 呼ばれてなるべく足を速めて進むが、途中で足がもつれて転んだ。
「大丈夫かい? ほら、エンデヴァー、君が急かすから!」
 巨大な手で軽々と抱え起こした勇者は、子供が懸命に駆け寄ろうとした距離を数歩で進み、温室の真ん中に設置されたベッドに翼の生えた子供を下した。
「ところで、何で温室に?」
「南の生き物なんだろう。ここより温かい部屋は、地下洞窟の溶岩地帯になるぞ」
「そこ、毒ガスでるよね!? 温かいっていうか熱いよね!? もー、優しくしてあげるなら、もっと素直にさぁ」
「勝手に押しかけてきた貴様の寝床はそこでいいな?」
 あなた、とたしなめる女の声に城主が押し黙り、珍しいと振り仰ぐと白い髪の女の姿があった。本来はほっそりとした女性なのだろうが、今、その胎は大きい。
 赤ちゃんがいるの、と笑って、冷たい手が額に押し当てられる。
「ちょっと、あなたにかけられた呪いを確認したいの、少し我慢できる?」
 冷たい指先が首の後ろに回った瞬間、怖気が走った。
 いやだ、と喚く口は音を発しない。遮二無二暴れかけた身体を、複数の男達の手が押さえつけて、恐慌状態に陥る。
「待て! 怯えきってる!」
「知らん、俺の仔の入った胎を蹴られては困る」
 引き抜かれるようにして身が浮いて、炎の渦巻く中の冷たい水色の瞳を見る。
「檻の中でも貴様は屈しとらんかっただろうが。この程度のことに見苦しく騒ぐな」
「君は子供相手にどれだけ要求高いの! ごめんよ、少しだけ我慢できるかな。君の身体を治すためなんだ。ほら、この手に掴まって、力いっぱい掴んでいいからね」
 横からなだめるように差し出された手には気づかず、手を掴んでいいという言葉だけが頭に入って、目の前の男の手を掴んだ。
「あら」
「おや、君のスパルタについていける、ガッツのある子だなあ。責任とって育てたら?」
「やかましい」
 不機嫌そうな声に間違ったかと、手を引きかけるが、熱い手に握りこまれた。
「少し我慢しろ、いいな?」
 こくり、とうなずくと、くしゃりと髪をかき混ぜられた。
 改めて上着を脱がされ、ベッドの端に腰かけて深くうつむいて、首と背を晒すと、また冷たい指が首の後ろを探った。
「ひどい……」
「ただの焼印じゃないな。隷属の呪いがかかってる。逃げられないようにだね。走ること、翼を動かすこと、声を出すことの禁止。それに、主人の命令にも逆らえないようになってる」
「これはまだ商品だった。あの商人は、隷属の主として仮契約になっていたはずだ」
「そうだね、この印の中央に本来なら主の名前が刻まれるはずだけど、代わりに短期間で消える呪印が入ってる。売買が成立して、正式な隷属契約の印を入れるまで、仮契約を更新してたみたいだ。……すごく、痛かったと思う」
 冷たい手が首の後ろを撫でて、ピリピリとした痛みが少し和らいだ。
「時間が経てば、仮契約は消えるということになるか?」
「あの商人が仮の主だって契約はね。ただ、無署名の契約書みたいなもんだ。悪者に目を付けられて本契約されたりしたら、今度はそいつらに支配されることになる」
「奴隷印自体を消すことは?」
「できなくはありませんが、こういった呪いはとても強くて……。こんな小さな子供では、体力が保ちません」
 無理に引き剥がせば、命に関わると沈鬱な女の声が告げ、温室内が沈黙に満たされる。
「……走ったり喋ったりの、行動制限は外せるか?」
「あまり良い手段ではありませんけど、今の仮契約が消えた後、誰かが一時的に主となって解除の命をすれば可能かと」
 ならば話は簡単だ、と重い声がきっぱりと断じて顔を上げる。
「今の契約が消えたら、俺かおまえが仮の主になって制限を外す。後は鍛えて体力を底上げして、解呪に耐えられるようにすればいいのだろう」
「……乱暴だけど、まあ、それが一番かなあ」
 少し呆れ顔で笑った勇者が、大きな身体をしゃがみこませて、目を合わせてくる。
「ええとね、なんて説明したら分かるかな……」
「それ、理解しとるぞ」
 目を見ろ、と告げた城主にこくりとうなずく。
 難しい言葉はよく分からないが、この大人達が無理やり言うことを聞かされる魔法を外そうとしていることは分かる。それには時間がかかること、一度、城主かその妻が主になること、そうすれば飛んだり喋ったりできるようになること、完全に外すには自分がもっと大きくならないと無理だ、ということまでは理解した。
「君、すごく頭いいな……!?」
 頭を撫でくり回す男の手に目を回していると、また身が浮いて冷たい色の目と向かい合う。
「字は書けるか?」
 首を横に振ると、覚えろ、と言って手が離され、ぽすりとベッドの上に落下する。
「君、こんなに懐いてるんだから、もう少し優しくしてあげなよ。君に泣かない、怯えない、むしろ懐くなんて、翼の有無とか関係なしに超貴重種だよ! 君だって、ちょっと可愛いなーと思ってるから、結構面倒見てるんでしょ?」
「やかましい!」
 凄まじい勢いで燃え上がった炎にちりちりと肌が炙られる感触があったが、気にせず渦巻く火炎を見上げていると、冷たい腕に抱き取られて、冷気が身を包んで熱気が遠ざかる。
「あの二人、いつもああなの」
 気にしないで、と笑った女をきょとんと見上げると、内緒話をするように耳元に口を寄せられた。
「あの人はね、強くて怖くないといけないって思ってるだけで、本当は優しいの」
 こくり、とうなずくと、冷たい指が頭を撫でた。

「ホークス、ずるーい!」
 上がった少女の叫びに、少年は少し首を傾げ、手元のカードを素早く並べて「ずるくない」の文字列を作った。
「うう……ずるく、ないけど、強すぎー!」
「ホークス、つよい」
 ゲームのルールをあまり理解していない少女の幼い弟がうなずいて、ホークスと呼ばれた少年は少し困った顔をした。
 ホークスは正式な名ではないが、元々こちらの人間に彼の種族の名は発音できない。文字を教わって、近い音を並べてみせたところ、それが彼の呼び名になった。
 意気揚々と絵本を抱えて文字を教えにくるようになった同じ年頃の少女は、城主とその妻の間の子だった。喋れない以上、意思疎通には字を覚える必要がある、と理解して懸命に覚えたところ、彼女の知っている知識をすぐに超えたらしい。
 代わりに他の遊びを教えてくるようになって、今勝った盤の上で駒を取り合う遊戯は早々に彼女より強くなった。負けるとむくれるが、わざと勝たせると怒る、変わった姫である。走れない少年に対して必ず有利に立てるゲームも挑んでこない。
「ホークス、かけっこ!」
 弟王子の方はそうでもないが、幼い彼の全力疾走とホークスの歩行はいい勝負なので、不公平性はない。一生懸命すぎて転ばないかはらはらしながらの競争の末に、少し前方でよろけた彼につい駆け寄ろうとして、発動した呪いで足がもつれて自分が転ぶ。
 助け起こしに両方から駆け寄ってくる姉弟に、あの城主の子供がよくこんな風に育ったものだと、口に出していたなら侮辱罪に問われそうなことを考えていると、助けにきたはずの弟王子が何故か体当たりを仕掛けてくる。
「ねえねえ! ノロイとけたら、ホークスとべるんだよね!」
 そう、国王夫妻も勇者も断言したのでそうなのだろうと思う。
 奴隷商に掴まったのはまだ飛べるようになる前のことだったし、少し身を浮かせられるようになってすぐにその能力は封じられたので、まるで実感はない。
「とけたら、オレのせてとんで!」
「ナツオ、ぬけがけずるい! 私も! 私も連れて飛んでね!」
 約束、と姉弟にせがまれて、戸惑いながらもうなずく。
 やった、と歓声をあげる二人に、少し笑いかけて、ふと城の空気に違和感を覚えた。
「……ホークス、どうかした? あれ、何の音?」
 遠い、どよめきのような物音に、王女も気づいて首を捻る。
「私、ちょっと見てくる!」
 この中で一番足の速い少女がそう言って駆け出そうとするのを、手首を強く掴んで引き留める。
「え、何?」
 駄目だ、と首を振って、ろくに動かせない翼を広げて道を塞ぐ。
 何が起きているかは分からないが、よくない予感がする。自分が奴隷商に捕まった際も、こんなどよめきを聞いたのを覚えていた。
「ほら、またお父様がマイトおじさまに怒ってるのかも。私、止めにいかなくちゃ」
 硬い顔で笑う少女が自分の台詞を信じているとは思えなかったので、もう一度首を横に振る。
 勇者は少し前に磊落に笑って旅立っていったし、今遠くに聞こえる喧噪はあの二人の派手な競り合いとは種類が異なる。
「ねえ、ホークス、どいて! お母様には赤ちゃんがいるの! 私行かなきゃ!」
 こういった時は音を発せられない口が恨めしい。とにかく駄目だと押し戻した王女と揉み合いになったところで、音高く温室の扉が開かれた。
 あまり自由に動かない翼を広げて姉弟を庇うようにしながら振り返ると、炎を纏わせた男が抜き身の剣を手に仁王立ちになっていた。
 開いた扉の向こうの喧騒が大きくなり、それが喚声と悲鳴だと理解して目を鋭くする。
「いっぱしの騎士気取りか」
 王女達を庇うような体勢を取った有翼の子供に、父親が鼻で笑った。
「魔物どもが城に侵入した。フユミ、弟を連れて隠し部屋に」
「お母様は!?」
「もう部屋に行かせた」
 臨月の母親をまず心配した王女は、弟の手をしっかり握ると、空いている手をホークスに向けた。
 行こう、と促され、ちらりと城主を見上げると、言葉は発せなくとも彼には通じたらしい。
「隠し部屋は王族しか入れん魔法がかかっとる。それを連れて行っても、入れずに魔物に喰われることになる。これの面倒は俺が見るから、おまえは弟を連れていけ」
 王女は少し迷ったようだったが、やがて父の言葉に強くうなずき、一度しっかりとホークスの両手を掴んで振り回すと、弟の手を引いて駆けていった。
 護衛がいなくて大丈夫だろうか、と心配するが、走れない自分が付いても邪魔になるだけである。
「自分が足手まといだと思ったか。貴様の身上で、どうやってそんな騎士道精神を身につけたんだかな」
 見下ろす蒼い目をじっと見返す。
 彼の身を渦巻く炎を怖いと思ったことはなかったが、時折、黒い炎の混じる今の炎は、何か、非常に嫌な感じがした。炎を翳らせるように閃いては、橙の火に呑まれて消える黒い炎は、これまで見たことのないものだった。
「勘もいいときた。育てて家臣にするも一興かと思ったが……」
 背後から湧き上がった耳の痛くなるような叫声に、振り返りざま一太刀加えて魔物を両断すると、王は少年に向き直って一つ嘆息した。
「次に生まれる仔に与えようかと思っていたが、どうやら氷の守護もあるようで、相性が合わん。貴様の羽には似合いだろう、くれてやる」
 差し出された、紅い宝珠の意味が分からず、ただ目の前の男の炎に似た燦めきを放つ石を見上げる。
「喋れんのは不便だな」
 一つ舌打ちした男が大股に近づいてきて、ホークスの身を軽々と掴み上げ、俯せに引き倒した。襟首を掴まれ、引きちぎらんばかりの勢いにボタンが弾け飛んで、背を露わにされた。
 突然の無体に驚きながら、身を捻って王の顔を見上げようとした途端、背が灼かれた。
「…………ッ!!」
 凄まじい痛みに遮二無二暴れるが、押さえつける手は外れない。叫び声すら上げられない喉から無為に息が吐き出されて、空気が足りなくなって頭が白む。痛みに気絶すらできないまま、声にならない悲鳴を上げ続けていると、背に当てられていた手がうなじに移った。
 突き刺すような痛みに脳天を貫かれ、再度悲鳴を上げる。
「あ……ぐ……ッ! ああ……ァッ!」
 声帯を抜けた音に、頭で気づくより先に身体が驚いて咳き込んだ。
「イ…や……! やぁぁぁぁ……ッ!」
 何度も何度も灼いた針で突き刺されるような痛みは覚えがある。泣いて許しを請うても、容赦なく何度も焼き直された隷属の呪印の儀式だ。常の数倍長く続いたそれに、翼を暴れさせる力も尽きたところで、ようやく軛のような手が外された。
「ぅ……あ」
 強引に引き起こされ、冷たい色の目に見下ろされる。
 泣きじゃくった顔も、暴れさせた翼も服も花壇の土に塗れてどろどろで、酷い有様になっていたようで、汚らしいものを見る目を呆然と見上げた。
「酷い声だな。美しい声で歌うなどと言っていたが、あの商人、調子のいいことを言いおって……」
 喋ってみろと強いられて、瞬くとぼろぼろと涙が溢れた。何年も使っていなかった喉は錆び付いていて、ざらざらとした掠れた声しか出ない。
「な…んで……?」
「悠長に呪印を引き剥がしとる暇がない。仮契約なんぞまだるっこしい、本契約にしておいた。これで走れるし喋れるだろうが」
 傲慢な言葉を浴びせられて、頭が真っ白になる。
 ひどい、と泣き続ける奴隷の子供に苛立ったらしい、来い、と手首を掴まれて引きずられたところに、四方から温室のガラスが割れる音が響いた。
「邪魔だ、退け!」
 突き飛ばされ、焦ってバランスを取り戻そうと足掻くと、これまでろくに動かなかった翼が自由に動いて身が浮いた。
「ほう、飛べるようにもなったか」
 少年を突き離した隙に、飛びかかってきた魔物を炎を纏わせた剣で切り伏せた男が振り返る。
「本気で、うちの騎士に育ててやってもいいかもしれんな」
 使えそうだ、という言葉を呆然と聞く。 
「だが、今は役立たずだ。失せろ」
 破られた温室の壁からなだれ込んできた魔物に向き直った王は、振り返りもしない。
「邪魔だ、行け!」
 大喝に翼をはためかせると、身が大きく浮いた。
 目障りだ、と放たれた火球が身の横を掠めて、温室の屋根に大きな穴を開ける。呪印に刻まれた新しい主の命に逆らえず、その割れ目から外に出ると、横殴りの強い風に身が流される。
 大分流されてからどうにか体勢を立て直し、見下ろした湖の畔に建つ美しい城は、今は湧き出るように現れる魔物に取り付かれ、それを防ぐ兵士達との間に大量の屍を積み重ね、流れた血と、上がった炎と煙で無残な有様になっていた。
 王は、命令の仕方を理解していなかった。
 ただ、圧倒的な力ある言葉でもって、退け、失せろ、行け、と命じて、放り出した。
 どこまで行けばいいのか、何も分からないまま、半ば嵐に流されて、半ばは己の意思で、炎の王から逃げ出した。
 体力が尽きるまで飛び続けて、ついに力尽きてどこともしれない森の中に墜落し、打ち付けた身の痛みと、じくじくと傷む背の刻印に数年ぶりに声を上げて泣いた。

 その後、通りすがりの冒険者と呼ばれる類いの一行に拾われて、そこが炎の王のいる国から三つも国境を越えた地なのだと知った。
 名を問われて、まだろくに回らない舌で告げると、やはりこの地域の人間には発音出来なかったようで、同様にホークスと呼ばれるようになった。
 炎の王の国は昔から魔物の湧き出る荒れた国なのだと聞いた。厳しい統治を行う王は、実は魔王なのではないかと噂されているらしい。少年が南の国から奴隷として攫われてきて、かの国から逃げ出してきたのだと聞けば、さもありなんという顔でうなずいていた。
 街につれていかれ、冒険者達が集まる組織に預けられたが、故郷に帰るのは早々に諦めた。誰も、彼の故郷の島のある正確な位置など知らなかったし、捕まった際に見た襲われた村の様子を思い起こせば、戻ったところで誰が残っているとも知れなかった。
 この地で生きようと決めて、少年は自分がそれなりに器用で有能なことを知った。
 翼は、空を飛ぶだけでなく、その羽を自在に操ることができたし、城にいた数ヶ月で学んだ文字や算数の知識は、街の子供の数倍進んでいた。
 冒険者達の組合組織の簡単な手伝いから始めて、器用な能力を活かして冒険者の真似事を始めるまでにさして時間はかからず、その地域で名が知られるようになった十代半ばの頃、初めて大きな失態をした。
 己の器用さに増長して退き際を見誤って、大型の魔物に囲まれて絶体絶命の危機に陥った。
 逃げ場はなく、迫る鋭い爪を見て、ここで終わるのかと自嘲した次の瞬間、背が燃えた。
 業火に包まれて呆然とし、炎が消えた時には辺り一帯が焦土と化し、魔物は全て燃え尽きていた。
 何が起きたのか、一瞬理解できなかったが、背に刻まれた赤い紋様を思い出した。
 首だけでなく背まで広がった紋様を、奴隷印が正式に刻印され広がったのだと思い、子供の頃に鏡で確認したきり、ずっと服で隠してきた。
 冒険者の真似事をして、それなりに魔法陣だの呪印に詳しくなってきた今なら分かる。あれは、別のものだ。
 大きな街に移動して、信頼できそうな術師を探して背を見せると、ひどく驚かれた。
「不死鳥の守護印だ。最大十二回、刻印された人間の命の危機を救う。国宝ものだよ、どこでこんなものを?」
「どこって……」
 くれてやる、と告げた重い声を思い出す。
 炎の王が差し出した、炎の宝珠。紛れもなく、国宝だったのでは、と今更気づく。
「なんで、そんなものを、奴隷、に……」
「ああ、首のはやっぱり隷属の呪印か。こんな違法なもん……。しかし、妙な、特に何の役にも立たない命令が入ってるね」
「命令?」
 戦場となりかけていたあの場で、時間も余裕もなかったのだろう。王は何の命も印に含めず、その場の中途半端な命で鳥を取り逃がしたのだと思っていた。これまで、首の呪印が何かの制約を課してきたことはなかった。
「意味としては、【生】……。普通はこの後に何か条件を付けると、その条件を破ると命を落とすような呪印になるんだが。主人に逆らった死ぬとかね」
 刻む時間がなかったのだろうか、と眉をひそめる。
「あとは、主人の名前が刻まれてる。ちょいとリスクはあるが、剥がすかい? こいつがまだ生きてて、あんたに会ったら、また支配されないとも限らない」
 人を隷属させようなど、許しがたい禁呪だと憤る術師に苦笑して、少し悩む。
 成長はしたものの、剥がすにはかなりの危険を伴うらしい。ますます情勢が不安定になっているらしいあの国の王に、今の自分が出会うことなど有り得ないことを考えると、剥がさずともこれまで通り、肌を晒さずに生きていけば問題はないだろう。
「主人の名前は?」
 念のため、主と規定する名がどうなっているのかを確認する。エンデヴァー王当人の名でなく、王族の名が記されているとすれば、呪印の効果は彼の家族にも及ぶことになる。
 あの、ちょっと風変わりな王女はどうなっただろう、と考えながら、老術師の指が首の呪印を辿る不快感を我慢する。
「HAWKS? ホークス、と読むのかな。知った名か?」
 知った、名だ。
 この地で、己が名乗る名だ。
「なん…で……?」
 二度目の疑問にも、答えはなかった。
 背に与えられた強力な守護と、己の名が刻まれた意味をなさない隷属の呪印。その中に刻まれた【生】の命令。
 意味が、分からない。
 頬が妙に冷たくひりついて、手をやると、あの日以来の涙で濡れていた。
「行か、なきゃ……」
 意味が分からない。あの男が何を考えていたのか、何一つ理解できない。会って、あの炎を見て、あの日、自分を自由にした炎を、あの男を。
「なんなんだよ……!」
 行かなければ、とこれまで避けてきたかの国に目を向ければ、少し前から炎と氷に閉ざされた国は簡単には出入りできなくなっていた。
 その日から、ホークスは彼を探し始めた。