King’s Order - 1/3

 それは、いくつもの首を有した伝説の悪蛇によく似ていた。
 実体化した影が森の闇を飲み込み肥大化し、木々の枝の影が蛇の鎌首のようにもたげられて威嚇に揺れる。その中心ではより昏い闇が渦巻き、蠢いていた。
「フミカゲくん、がんばって!」
 すぐに助けるから、と叫びながら、少年が片刃の剣を振るって細い影の蛇を切り裂いていくが、木々の枝の数だけある蛇はきりがない。
 闇の渦に飲み込まれかけながら、足掻いていた少年がその声に鳥の頭を持ち上げ、来るなと首を振った。
「我のことはいい! ここはもう駄目だ、退け!」
「イヤだ! 絶対に! 諦めない!」
「いや、諦めて、イズクくん」
 がむしゃらに森の闇に突っ込んでいこうとした少年の額に、ぺたりと何が柔らかなものが張りついて、思いの外強い力でその場に止められた。
「友達思いはいいけど、君のそれ、ただの自爆。せめて、ダークシャドウに相性有利な幼馴染くん連れてきて」
 大きな羽音と共に降ってきた声に、顔に貼りついた羽を剥そうと爪を立てながら、イズクと呼ばれた少年は闇が形を為して蠢くこの状況で緊迫感のない様子の青年を振り仰いだ。
「ホークスさん! フミカゲくんが!」
「分かってる。なんとかするからちょっと離れてて。幼馴染くんもね」
 背に生えた翼から数枚の羽を飛ばして、木々の間を走り抜けて渦巻く闇の中心に飛びかかろうとした少年を拘束する。
「ツセェ! 幼馴染くんとか呼ぶな!」
「カッチャン!」
「はいはい、カッチャンもおとなしく離れて」
「テメェがカッチャンって呼ぶな!」
 暴れる少年を自在に操れる羽で猫の仔のように吊るしながら、有翼の青年はコートを脱いで外した剣と共にイズクに手渡し、肩に止まらせていた鷹も少年の癖の強い髪の上に置いて、再度、危ないので離れているように告げる。
「何を、するんですか?」
「魔の森の闇とダークシャドウが同化しかけて暴走してるからね。まあ、森ごと吹っ飛ばして影全部無くせば無力化できるでしょ」
 とんでもないことを平然と言って、危ないから離れてて、と笑う。
 ホークスと名乗るこの有翼の青年が、結局何者なのかをイズクは知らない。騎士だと言うが、どの国の所属なのかは語らない。いくつもの国を渡り歩き、行く先々で戦功を上げ、騎士の称号や爵位を与えられているから、詐称という訳ではないようだ。
 自由騎士、とでも言うのが正しいのかもしれない。
 今、森の闇に掴まった友人は彼のことを師と慕っているし、彼も押しかけ弟子に苦笑しながらなんだかんだと闘い方を教えていたから、弟子の危機に駆けつけてきたのは間違いない。
「お願い、します……!」
 頭を下げると、へらりと笑って自称騎士は手を振った。
 同時に、数枚の紅い羽に引きずられるように身が浮いて、森の外に強制的に少年達は放り出される。
「火が収まったら預けた荷物持って迎えに来てー」
 事態に対して緊張感のない声を張り上げて、ホークスは改めて自称弟子を振り返った。
「いい友達だね、フミカゲ」
「ホークス! 近づかないでくれ!」
「んー、これ止めないと危ないしね。このままだと君、影に呑まれるし、何で相性悪いの分かってるのに魔の森通ろうなんてしたの、迂闊すぎ。あとね、その芝居がかった望まぬ力を持って生まれてしまった悲劇のヒーローぶりっこ、むしろダークシャドウに暴走されるからやめた方がいいよ。こういうの精神論だから、俺くらいヘラヘラダラダラした方がいいんじゃないかなー。と、お説教したいことはたくさんあるけど、とりあえずまず事態を収拾しようか」
 のたうつ影に向かって無造作に歩いてくる師に対して、木々の枝の影が鎌首をもたげた。
 襲いかかってきた影の蛇を鋼の強度を持つ翼で弾いて、地を蹴ったホークスが闇の渦の中心に飛び込んでくる。
「息を止めて、俺から絶対離れない、いいね?」
 渾身の力をこめて抱き込まれると同時に、蒼く冷たい光がフミカゲの全身を包む。凍えるような冷気に包まれ、思わず身動いだ拍子に、青年の肩越しに巨大な一体の蛇へと集合した影が大きく顎を開いて、餌の小鳥のように師を呑み込もうとするのが見えた。
「ホークス!」
「大丈夫、一回使う」
 その意を問うより前に、闇の牙がその首に食い込もうとしたその瞬間、燃え立つような紅い翼を実際に炎が舐めた。もう一対、光の翼が広がったように見え、閃光に目が眩む。同時に頭を強く抱え込まれ、何も分からないまま、周囲を暴力的な熱気が荒れ狂うのを感じる。冷気の護りに包まれてもなお、じりじりと火炎が身を焦がす。
「あつつつつ……」
 やがて、周囲が落ち着いた気配と共に、いつもの緊張感のない声がぼやくのが聞こえて目を開けると、師が羽の先に灯った火の粉を振るい落としているところだった。
「フミカゲ、大丈夫? 怪我は?」
 首を横に振ると、大きく息を吐き出して、抱き込んでいた腕を外してくれる。
 ホークスの腕から抜け出し、視界の大半を占めていた翼が畳まれると、周囲の様子が一変しているのが見て取れた。
 昼なお鬱蒼と暗い魔の森が、自分達の周囲、見渡す限りが焦げた更地となっていた。先程まで暴れ回っていた影の残滓すらなく、燦々と日が降り注いでいる。
「ダークシャドウは?」
「光を浴びて随分小さくなっている……。睡って、いるようだ」
「乱暴しちゃってごめんね、って起きたら伝えといて」
 にこりと笑って、身を起こしかけたホークスが、一瞬よろめいた。
 慌てて師を支えた拍子に、焼け焦げたシャツの襟の隙間から、普段は覆い隠されているうなじを目にして、少年は目を鋭くする。
「ホークス、それは……?」
「ああ、護印の一種。死にそうな目に合うと自動的に発動して、俺以外は全部焼き尽くす凶悪呪印。命助けてくれるのはいいけど、服が駄目になるのがネックかな」
 首の後ろを手で押さえながら、ホークスが首から背中、肩にかけて炎の紋様が刻まれている様を見せる。
 当人の言う通り、背中の呪印から膨れ上がったらしい業火は上衣の背をほぼ焼き尽くしていた。
「イズクくん、早くコート持ってきてくれないかなー」
 ぼろぼろに焼き焦げた上着を諦め顔で脱ぎ捨てて、紅い翼で身を覆いながら森の外に放り出した少年がコートを持ってくるのを待つホークスに、フミカゲは硬い声で師の名を呼んだ。
「ホークス、その呪印は?」
「結構レアなんだよ、すごくない? 回数制限あるし、無差別広範囲焼却するから、あまり当てにされても困るけど」
「そちらの話ではない。首の、呪印だ」
 炎の紋様に紛れた、僅かに色の異なる首の刻印から手を外し、ホークスは笑みを払拭した目を少年に向けた。
「それは、隷属の呪印だ」
「よく知ってたね」
「人を支配するなど、どんな国でも禁じられた邪法だ! 誰が、貴方に、こんな、真似を!」
 尊敬する師に刻まれた無体に、涙ぐんで激昂する少年を見下ろして、青年は少し困惑したような顔をしたが、やがて薄く笑んだ。
「エンデヴァー」
 言葉の意味が瞬理解できず、目を瞬かせると、指で首の後ろの奴隷の焼印を示す。
「君らが助けようと、一生懸命探してるショートくんには、俺は会ったことがない。俺の目的は彼の父親、エンデヴァー王」
 常に飄々として、時折ふらりと自分達の前に現れて情報を落とし、導いてくれる不思議な青年は、初めて己の目的を明かした。
「俺に、この呪印を刻んだのは、あの人だ」