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まだ日の昇らない早朝に、淡い光が瞼の薄い皮膚を通して届いて、重い瞼をこじ開けると、中途半端に伸びかけていた翼が燐光に包まれて大きく広がるのが目に入った。
一瞬苦しげに息を詰まらせる声が聞こえると同時に、ずしりと身にかかる荷重が増えた。昨日見た光景と同様で、また成長したかと僅かに身を起こしかけて、首に絡んだ白い腕にぎくりとする。
昨日は子供が泣き疲れて眠るまであやし続けて、寝落ちてからも下手に動けば起きるだろうと動くに動けず、そのままエンデヴァー自身も眠ってしまったらしい。
起こさないように、と細心の注意を払いながら腕を外し、成長した子供をゆっくりと身体の上から退かそうとする途中で、ぱちりとその瞳が開いた。
まともに眼が合ってしまい、再度固まったエンデヴァーと見つめ合うこと数秒。
「え……!? 何……ッ、ここ、どこ!?」
跳ね起きた青年は、これまでで一番まともな反応を示した。見知らぬ場所と男に戸惑い、跳ね起きた際にバスタオルを落とし、全裸であることに大混乱して、はくはくと口を開閉させる。
「誤解だ!」
同様のシチュエーションに置かれれば、誰でも考えるであろう思考に至りかけた少年に慌てて叫ぶと、剛翼を僅かに膨らませたホークスはじろりと睨み据えてきて、ふと不思議そうに眼光を緩めた。
「……エンデヴァー、さん?」
薄闇の中で額に手を当てて眉をひそめた子供の顔は、もうほとんどエンデヴァーが知る大人のものと変わらない。背も伸びきって、少年というよりは青年と言った方が正しいだろう。少し若く見えはするものの、髭の有無の差ではないかと思われる。
最速最年少の二十三歳のヒーローは、元々かなり童顔だったのだと、今更に気づく。
ぐるりと部屋の様子を見回し、ソファの片隅に鎮座していたぬいぐるみを拾い上げ、その傷痕を人差し指で辿った後に、確かめるようにエンデヴァーの顔に手を伸ばして冷たい指がぬいぐるみのそれより生々しくえぐれた痕に触れる。
以前、同様に彼がこの傷に触れた時には泣き出しそうな顔をしていたものだが、今の彼はただ不思議そうに大きな傷痕を見つめているだけだ。
「痛かったです?」
「それなりに」
あの時は全身がぼろぼろだったので、視界が狭くなったくらいの感慨しかなかったが。極限状態では痛みは熱いだけだ、という同輩の話を聞いたことがあるが、エンデヴァーの場合戦闘中はどこもかしこも熱いので、痛みを熱と認識したことがない。
「状況、把握しました。俺が大変ご迷惑おかけして申し訳ないです」
妙な謝罪だったが、彼にとって数年前の己の所行をどう扱っていいのか、当人にも分からないのだろう。
服を着てきますね、と決まり悪げにタオルを腰に巻いて、着替えを取りにいこうとするホークスに、己も起きあがろうと身を起こすと、伸びてきた手にソファに押し戻された。
「寝ててください。エンデヴァーさん、ここのところ、俺のせいで全然寝てないでしょう? いつ起きても、あなたが側にいた」
「……俺は元々そんなに眠らない」
No.1として多忙を極める毎日で、更に今回のホークスの幼児化のトラブルが重なって、少々業務が溢れた上に、個性も精神も少々不安定な子供から眼が離せず、眠っている暇があまりなかっただけである。
「いいから。寝ててください」
視界の端をひらひらと妙なものがはためくのが見えたかと思うと、毛布を被せられた。また、数年前に一度来ただけの部屋の、朧気なはずの記憶を頼りに、剛翼を使って的確に毛布を見つけて運んできたものらしい。
「いらん……」
毛布を退けようとするが、胸に置かれた手というよりは、薄闇の中で光る猛禽の目に動きを制された。
「俺に、ちょっと昨日のことを考える時間ください」
まだ混乱しているんです、と苦い顔で笑われれば、エンデヴァーの立場は弱い。
「う…む……」
ぬいぐるみの傷痕に軽いリップ音を立てて口づけた青年が、その人形を毛布の隙間に差し入れてきた。
「おやすみなさい」
へらりと笑う顔は見知った顔によく似ていたが、何か今、処理しきれない違和感があった。緋色の翼が生えた白い背を見送って、数度眼を瞬かせ、睡眠不足だと思考を放棄する。
あれが考えとやらをまとめている間に少し休んで、頭が動くよう回復させようと決めて眼を閉じる。
プロヒーローとしていつでも休める時に休めるように鍛えた身体は、浅い仮眠に即座に入った。
コーヒーの香りに眼を開けて起きあがると、ちょうど起こそうと思っていたとホークスが笑う。
「朝ご飯、和食がいいんだろうな、って思ったんですけど、材料が何もなくて。マンションの下にベーカリーあったんで、買ってきました」
焼きたてですよ、と笑う胡散臭い笑顔を見据え、このセキュリティの厳しいマンションの外にどうやって出た、と問うとベランダを示される。
「……飛んで近づく相手も、警戒対象のはずだが?」
「いやー、No.2ヒーローの顔って便利ですよね」
セキュリティに顔を出してヒーローの顔で丸め込み、警戒対象から外させたものらしい。
悪どい上に、これが妙な動きをしないよう、警戒しながら寝ていたはずなのに、外に出て行ったことに気づかなかったのが問題だ。
手に負えないレベルに達した相手の能力を見誤った。眠るべきでなかった、と内心歯噛みしながらじろりとホークスを睨む。
エンデヴァーが小さくなった子供用に買った伸縮性のある服ではなく、ホークス自身の私服と思われるシャツを羽織っているが、昨日と異なり身が余っている様子はないから、身長は完全に伸びきっているのだろう。
前に立っても、見下ろす角度に違和感はなく、少し見上げてへらりと笑ってくる胡散臭い顔は既知のものだ。
「……いくつだ?」
「十八です」
「学校は?」
「卒業しました」
年齢確認ができるようになってから、コンスタントに四年ずつの加齢しているので、想定内ではあるが。
「既にプロデビュー済みか?」
「はい、四月に博多で事務所を開きました」
「ヒーロー登録番号は?」
「え……?」
余裕のある軽薄な笑みが剥がれる。
「プロ資格を取得すれば与えられるだろう、提出書類に必ず記載する番号だ、覚えていないはずがない」
「っあー、さすがエンデヴァー。騙されんなぁ……」
一通りの己のプロフィールは頭に入れていたのだろうが、本職ならではの質問にあっさり子供は降参した。
「でも、あと一ヶ月もしないで卒業ですし、試験は受かってるんで、もう実質プロっていうか……」
「未資格者がプロを詐称した時点で、剥奪されても文句はなかろう」
「ごめんなさい、すみません、ちょっと魔が差しましたー!」
プロだと偽って、何を企んでいたのか、とじろりと睨みつけると、シャツの襟を立てて首をすくめる。
「やー、ほら、プロなら少し自由に動けるかなーみたいな」
「何を企んでるか知らんが、許さん。今日も一日おとなしくうちの事務所に籠もれ」
きっぱりと宣告すると、不満そうに口を尖らせる。
「俺、籠の鳥みたいじゃないですかー」
「やかましい、貴様なんぞブロイラーだ」
反射的に噛みついてから、吐いた言葉が酷い侮辱になるのではないかと気づいて動揺する。
食肉用に異常な早さで成長するように品種改良され、遺伝疾患を多く抱えた鶏に、高校卒業前で既に成人後と大差ない顔をした、公安によって作られたヒーロー候補は妙に符号がはまった。
「エンデヴァーの悪いこと言ったかな顔、超レア……!」
「……太々しいな」
妙な喜びかたをするところも、ほぼ成人時と変わらない。
「そんなことより、コーヒー冷めちゃいますよ、どうぞ」
マグカップを手渡され、椅子を引かれて頭の痛いものを感じながら朝食の席に着く。
繁忙のために手配した部屋の内装は家具から小物に至るまでほとんどを専門の業者に依頼したため、家主がろくに把握していない食器類を、用途に合わせて並べてあるところが、実にこの若造らしい。
「パン屋などあったか?」
「このマンションの入口と逆側の通りなんですけどね、いい匂いしたんで」
どれ食べます、と楽しげに袋から取り出されたパンの数は少し多すぎる気がしたが、この子供は見た目よりよく食べる。
「それで、何を企んどる?」
「えー、人聞き悪いなー」
「プロヒーロー資格を使って、何をしようと考えた?」
軽口を無視して問うと、パンにかじりつこうと開かれていた口が、一拍置いて笑みの形に変わって、開いた両手が頬に当てられる。
「昨日のエンデヴァーさん、スゴかった……」
赤面などかけらもしていないくせに、恥じらう素振りで告げられた台詞に、思わずコーヒーを咽せる。
「……それは脅迫のつもりか?」
屈すると思うのか、と睨むと、あれ、とホークスが首を傾げる。
「貴様の気が済むようにしろとは言ったし、どんな処分でも受けるが、妙な取引には応じん」
資格を持たない子供の違法行為に眼を瞑れなどと言われても応じない、とはねのけると、ぽかんとした顔をする。
「……ですよ、ねー? エンデヴァーのクソ不器用キャラが、そんな……」
あれ、と額に手を当てて考えこんだホークスが、やがて恐る恐る顔を上げた。
「あの、ちょっとお伺いしたいんですが。昨日の夜って、何がありました、かね……?」
「泣かせた」
端的に応じると、それじゃ分からない、と半笑いで首を振る。
「あの……、十四の俺、思春期と反抗期で大自爆したじゃないですか?」
「そうだな」
あの手のつけられない反発ぶりを客観的に見られる年齢になってくれて、有り難い限りである。
「その後って、何がありました?」
「パニックを起こして泣くから、寝付くまで宥めた」
「こう、ハグしたり頭とか背中撫でたり、そういう、普通のですよね?」
「そうだが?」
「……泣くアホガキを更に性的にいじるとか、しない、ですよねー?」
「それは犯罪だろう」
服を着せてやれなかったのは、場合によっては更なるハラスメントだったかもしれない、と今更思い至って、それを言っているのかと思うが、見る見るうちに真っ赤になった若者は先のわざとらしい恥じらいのポーズとは違い、完全に両手で顔を覆った。
「待って……! やだ、この記憶ひどい、俺、起きてからずっと、どうしようって……何これ夢……!?」
意味の分からないことを口走って、ずるずると椅子から滑り落ちていった子供にテーブルの下を覗き込むと、羽の塊と化していた。
「ホークス?」
「立ち直るまで、三分ください」
剛翼の中に立てこもった子供が、精神安定にかかる時間を告げてきたので、付き合ってテーブルの下に胡座をかいて三分待つ。
「……あの、ですね。俺、今、前日の記憶が、割と曖昧っていうか、夢見たみたいな感じでして」
それは何度か聞いた。
実際の年齢の頃の記憶と、この個性によって巻き戻された肉体年齢での体験が混ざって混乱しつつ、当時の頃のリアルな夢を見たような感覚で、前日のことを把握していた。
「そこに、本当に夢を見てしまうと、もう何がなんだか……」
なるほど、あやふやな記憶に、更に実際にはなかった夢が入り交じれば、混乱もするだろう。
「どんな夢を見たんだ」
「聞かんで!」
ぶわり、と広がった翼がテーブルの裏に打ち付けられて、食器を揺らす。
意味をなさない呻き声をあげて赤い顔を立てた膝に埋めた反応と、先の言動からして、夢の中でエンデヴァーは子供相手に更に無体を強いたものらしい。
それを現実と認識していての、少し妙な態度だったかと納得する。
「……落ち着け」
「エンデヴァーさんが、目が覚めたときに全裸で見知らぬ男に抱かれてて、なんかエロいことされたあやふやな記憶がある、って体験したことあるなら落ち着きます」
じとりとした眼で睨まれて、すまない、と謝るが、これは自分の責任だろうかと首を捻る。
「……エロガキが大暴走しやがって……」
自身に呪詛を吐きながら床をのたうつ子供も、まだそういう年齢でないかと思うのだが。
「一緒にせんでください」
「何も言っとらん」
「あと、昨日のアレは、全部エロガキの大暴走です。普通にキレて当然なので、責任とるとか! 公的機関に出頭して処分受けるとか! そういうのされると、全俺が泣いて喚いて死んでやるとか言い出すんで、本当にやめてください」
「しかし、貴様は被害者だぞ?」
「むしろ加害者ですし! もし被害者だとしたら、その本人がやめてくれって言ってんで、もう忘れてもらえないですかね!」
「…………分かった」
大分逆上しかけていたので、それ以上抗わず受け入れると、また赤い顔が両手で隠される。
「……なかったことにしてくれると、うれしいです」
「分かった」
重ねて告げるが、これも未成年者の言動なので、後は成人後の彼の判断に委ねることに決めて、とりあえずこれ以上子供が床を転がらないように、テーブルの下から引きずり出す。
「いい子だから、落ち着いて飯を食え」
翼を下敷きにしないように椅子の上に子供を置き直し、冷めかけたコーヒーを啜って、それ以上何の話題も出さず、黙々と朝食を終えた。
「監視対象から接触が」
「……接触?」
動きがあったという報告ではなくか、とサイドキックに対して眉をひそめると、電話連絡があったと伝言メッセージが手渡され、一瞥したエンデヴァーは大きく顔をしかめた。
「これは、どういう意図だ?」
善意か悪意なのか、判断に迷うその文面を、赤い羽が抜き取っていった。
サイドキック達では手に負えないだろうと、監視のために所長室に放り込んでおいたが、全くおとなしくしない生き物である。
「『先日保護された赤い翼の男の子の様子は、その後いかがでしょうか?』って、ネット上では、俺が個性事故で幼児化してエンデヴァーさんに保護されてるって周知の事実になってるのに、SNSとかその辺疎いんですかね?」
大分大きくなった赤い翼の男の子が、メモを読み上げて首を捻った。
彼が一番最初に意志疎通もできない乳幼児になった際に、協力を求めた有翼児の育児互助会からの問い合わせである。
あの子供はその後どうなったのか、面倒を見る上で困ったことはないか、もし、保護者が見つからないようならば里親を探すこともできる、といった、実に行き届いた善意に見えるが。
「プロの仕事に手を出すな」
「えー、元々これ、俺の案件では?」
にこやかな笑顔だが、ひたりと見据えてくる眼光は鋭い。
「羽付きの幼児の人身売買、やたらめったら子供の個性や家庭事情に詳しくて、いい感じにろくでもない環境の子をピックアップ。最初は定期診断を疑ったけど、自治体レベルのそれより全国区の情報網羅。羽付きに特化した全国区の組織と考えた方がいい」
つまり、これだ、とメモに記された互助会の名を羽の先がつつく。
元々、この互助会とホークスは連携をとって、被害者の子供達をケアしていた。最初から疑っていたのだろう、彼の荷から互助会に関する調査資料も出てきた。
「……この団体の持っている子供の情報が利用されているのは確かだろう。ただ、この団体の活動自体は真っ当だ」
互助会が出している有翼児の子育て資料を指し示す。
これがなければ、確実に幼児期の彼の扱いに途方に暮れたし、冬美は何度か電話相談も入れている。
団体を構成するボランティアのほとんどが善意の協力者であり、同じ個性の子供を健全に育成することに力を注いでいる。悪意をもった犯罪者が紛れているのは事実だが、団体全てを取り潰してしまっては、社会的に支障が出る。
「今、警察が裏付け捜査を……」
「してる間に、また子供が売られますよ」
それは、捜査関係者全員が焦っていることだ。
「これ、俺をどうにかしたかったんですかね?」
善意の問い合わせと提案なのか、身寄りの定かでない可愛らしい有翼の幼児をどうにかしようという悪意なのかが判然としない。
「ちょっと俺が行って、立派にすくすく育ちました、もうすぐ大人になります、って言ってきましょうか?」
「余計な真似をするな」
来い、と手招くと、ばさりと一つ羽ばたいて近寄ってきた子供を抱え込んで拘束する。
「今日も焼いておくか?」
「昨日の反省がなかった!?」
「それは貴様だ」
ばさばさと暴れようとする翼を力尽くで腕の中に押さえ込んで、拘束具、とサイドキックに告げる。
「貴様は未資格のヒーロー候補生であって、ヒーローホークスではない。余計なことを考えるな」
「……だから、プロ資格あることにしようと思ったのになぁ」
「許すか、馬鹿者」
「ほら、仮免ならありますよー」
「もう失効しとるわ」
本来の十八歳のホークスに付与されていた仮免許は、彼がプロ資格を得た際に失効しているし、現在の状態で今保有しているプロ免許の特権を与えるわけにも行かない。
試験も合格済みだというので、後は高校卒業によるヒーロー課程修了資格を得ればすぐにでもプロとして活動できる能力を有するだけに、当人も歯痒いのだろうが、こんな中途半端なものを好きに活動させるわけにはいかない。
ぎりぎりと締め上げると、降参を示して剛翼が腕をタップしてくる。
「貴様はどうしたらおとなしくなるんだ……?」
嘆息混じりに問うと、膝の上に正座していた子供が軽く首を傾げ、剛翼で囲い込むようにエンデヴァーを周囲と遮断し、啄むように傷痕の走る口端に口づけた。
「なりません」
今のは何だ、と一瞬思考が止まった隙をついて、拘束を抜け出たホークスが両翼を大きくはためかせる。
「待て……!」
風圧と共に眼眩ましとして舞った緋色の羽を下手に焼き尽くすと、室内に被害が及ぶと躊躇した隙に、それ自体が生き物の群のようにするすると羽が部屋の外に逃げていく。
「そいつを逃がすな!」
「じゃ、先に行ってますねー」
身体的な成長は終わって、プロデビューを間近に控えたホークスの動きにもう未熟さはない。最速の異名を持つヒーロー候補は、屋内にも関わらずその器用な剛翼でサイドキック達の手をかいくぐると、飛行能力を持ったスタッフ向けに設けたビルの中階層にある出入り口の前でひらりと手を振って出て行った。
外に出られてしまえば、あの翼を止める手段はない。
「っの若造……! 法務!」
騒ぎに何事かと様子を見に出てきたスタッフに向かって吼えると、まさか矛先が向けられると思っていなかった事務員が飛び上がる。
「あれが今の状態で、個性を行使しても言い抜けられるように何とかしろ!」
凄まじい無茶を命じられた法務担当の顔色が失せるのを気にせず、エンデヴァーは苦々しい顔で出動を宣言した。
「エンデヴァーさん、遅いですよー」
惨憺たる有様になった互助会の本部事務所のデスクの上に腰掛けた子供がぬけぬけと言うのに、無言で歩み寄って拳骨を落とす。
「あいたー」
「貴様、自分が何をしたか分かっとるのか?」
「正義感に溢れたアホガキが、犯罪を犯してるのは分かっているのに! って、警察やヒーローが証拠固まるまで手出しできないところに考えなしに突っ込んでいって、法的正当性とがガン無視で証拠を引っかき回して、ガキを止めに入った警察やヒーローも動かぬ証拠を見つけては四の五の言ってられなくなって、団体の関係者を拘束、証拠の押収、って感じですね?」
小賢しい、と頬を張り飛ばすと、すっと細まった目が冷ややかに笑った。
「嫌いなんですよ、まだるっこしいの。最速の解決手段があるのに、手をこまねいて時間を無駄にする間に犠牲は増える。俺が汚れて済むならそれでいいでしょ」
大丈夫です、と笑って手にした携帯を振ってみせる。
「公安におねだりしときました。俺はもうデビュー済みのプロヒーローで、今回の独断専行は個性で若返ったせいで、新人気分で功を焦ったガキの暴走です。処分が下るのは俺で、あなたには関係ない」
本当に小賢しい。
「それは嘘だと公安に申し入れておいた。貴様はまだ高校卒業前でプロではなく、エンデヴァー事務所の保護監督下にある学生だと。本来、学校を通さねばならんが、現実には五年前に卒業しているので、特例で公安委員会の許可でインターンとして一時的に雇い入れた。貴様はうちのサイドキックで、今回の件は俺の指示ということになる」
「…………無茶苦茶だ!」
その悲鳴は、エンデヴァー事務所の法務担当も上げたものである。
小賢しく屁理屈をこねてみせるのがホークスの常套手段ならば、問答無用の力業がエンデヴァーの真骨頂である。年季が違う。
「本当に貴様という奴は……」
胸倉を掴んで引きずり上げると、大きく育った剛翼を一瞬で燃やし尽くす。
「戻って説教だ、クソガキ」
「……本当に、貴様は拘束具を使った方がいいのか?」
「エンデヴァーさんって、割とアブノーマルな趣味です?」
黙れ、と睨むと口をしっかりと閉じて、幼児のようにチャックを閉めるジェスチャーで応じる。その際に、手にした派手な色のレジ袋ががさがさと音を立てて、エンデヴァーは額を押さえた。
昼の非常に変則的な捕り物の後、事務所に連行した子供を散々に叱って謹慎させ、夜になって監視も含めて彼をまたマンションに連れてきたのだが。
彼の起こした今日の騒ぎの後始末で電話に一瞬気を取られた隙に抜け出して、何やら買い物してきたらしい。
「あ、一応変装はして出ました」
「遺言はそれだけか?」
明日にはこれは元に戻るのか、それとも僅かに元の年齢に足りなくなるのか、どちらだろうと悩みながら、僅かに羽毛の残った翼の付け根に火を近づける。
「あつっ! 熱いです! その辺神経あるんで、やめ……っ!」
熱い、と悲鳴を上げる子供に、一瞬本気で燃やすか、翌日以降に影響が残るかを悩んで、離してやる。
「何を買ってきた?」
あまり馴染みはないが、派手な安っぽい色の袋は大手のディスカウントショップのものだったと認識している。
「服とか諸々です」
「言えば買ってくる」
「いやあ、エンデヴァーさんにおつかいなんて」
「俺の許可なく出歩くなと言っとるんだ!」
一喝するが、昼間あれだけ叱っても飄々とした子供は堪えた様子がない。
小さく震えた携帯に気を取られ、すぐに視線を外して上着のポケットにしまう。
「……携帯のロックを解除できたのか」
おとなしくしろと厳命した後、午後はずっと携帯を弄っていたようなので、その間に解除したのだろう。
「朝、エンデヴァーさんがヒントくれたんで」
「ヒント?」
「ヒーロー登録番号」
それはパスワードとしてあまりに安易なのではないか、と思った思考を読んだように、自分の番号ではない、と笑う。
年齢が上がるにつれ、面倒になっていく子供である。
反発の分かりやすかった反抗期の昨日の方が、まだマシだった気がしてくる。
「出せ」
手を差し出すと、躾された犬のように手を乗せてくるが、そうではないと手を投げ捨て、携帯を出せと告げる。
「携帯とパソコンだ、今の貴様が持っていてもろくなことにならん」
「おーぼーだと思います」
「否定はしないが、俺は貴様の保護者だ」
もはや、容赦なく制圧しておかないと、この鳥は手に負えない。
「風呂に入って早く寝ろ」
「九時です!」
「子供にはちょうどよい時間だろう」
「……おやすみのキスしてくれたら、おとなしく寝ます」
「うちにそういう風習はない」
戯言を一蹴すると、がさごそと大きなビニール袋が音を立てて、他の音をかき消した。
「よし」
「何がだ!」
一つうなずいて、おやすみなさい、と踵を返した子供を怒鳴りつけるが、小さくなった翼のために妙に幼く見える後ろ姿は全く動じない。
「始末に負えん……!」
押しつけられた唇の感触を拳で拭いながら、全く理解の及ばない生き物にエンデヴァーは深々と嘆息した。
一通りの事後処理を終えて、残りは明日成人を越えるであろう当人にさせよう、と寝室に入ると、子供部屋に閉じこめたはずの大きな鳥がベッドの上に鎮座していた。
「寝ろ」
言いつけを聞かない子供に嘆息しながら命じると、にこりと笑って身をずらし、どうぞとばかりにベッドを空けたが、降りる気はないらしい。
「……何がしたいんだ?」
付き合いきれん、と疲弊しながら問うと、先程買ってきたディスカウントショップの袋から何やら取り出す。
服を買ってきた、と彼は言ったし、それは確かに衣類だった。妙に派手派手しい原色の色使いであっても、個人の趣味の範疇だろう。若者のファッションなど、知ったことではない。それが、若者のファッションなどと呼べるようなものでなくとも、関係ない。
「エンデヴァーさんって、セーラー服とミニスカポリス、どっちが好みですか?」
「出て行け」
もはや、この生き物の思考回路を理解したいとも思わず、一言で切って捨てるが、全く動じない。
「あ、ウィッグも買ってきました。なんだったら化粧もしますんで。あと、色々オモチャも買ってきましたけど使います? エンデヴァーさんが拘束プレイ好きだとは思ってなかったんで、手錠は用意してないんですけど……」
「やかましい、意味が分からん!」
話の通じない生き物が小さく首を傾げる。
「抱いてください」
「……また、朝に頭を抱えて床を転がる羽目になるぞ」
今度はどんな暴走だ、と呆れ返る。
「いや、そのリスクは未来の俺が背負えばいいですし、色々考えてみたんですけど、抱いてもらうなら今しかないなって。ほら、今ならぴちぴちの十代ですよ、花も恥じらいますよ」
「どういう頭をしとるんだ、貴様は!」
「いや、朝から試してみてたんですけど、エンデヴァーさん、俺のこと子供って思いこんでるから、ちょっと過剰にスキンシップしても割とスルーっていうか、キスすら拒まない許容っぷりだったんで、今ならいけるかなって」
「許容したわけじゃない」
理解に時間がかかっているうちに、子供が次の騒ぎを起こしていたのと、犬猫に舐められるのと変わらない認識でいただけである。
「人としてノーカン、いや、分かってましたけど」
だから、と軽薄を装った顔で笑う。
「ノーカンでいいんで、抱いてもらえないかなーって」
「断る」
「ほら、鳥につつかれたと思って」
「謎の慣用句を捏造するな!」
埒があかない、と唸って、似非くさい笑みを浮かべた顔に手を伸ばす。
冷えた頬に掌を添えると、一瞬きつく目を閉じる。
「ホークス、何があった?」
「何って?」
一度拒絶するように閉ざされた後、ぱちりと開いた目は平静だった。
「午後に、何かあっただろう?」
朝は、相当に混乱していたのもあるのだろうが、比較的素直だった。大人の彼に似た思考と言動で、無理をねじ込めると判断したからこそ、事件解決に故意に暴走もしてみせた。
叱りつけたところまでは普通で、夕方以降、僅かに態度が変わっていた。
昨日の反抗期とはまた違う、妙な頑なさを軸に、ひたすらふざけてみせる態度は、大人の彼に感じるものに似ている。
「やだな、午後はずっとエンデヴァーさんに監視されて事務所に籠もってたじゃないですか」
「携帯を見ていたな」
先程没収した携帯電話を取りに一度デスクに戻り、鍵のかかった引き出しから取り出す。
馴染みのないスマートフォンの操作に一瞬戸惑うが、ボタンを押せばパスワード入力画面がすぐに出てきた。
「……ヒーロー登録番号」
彼自身のものではないと笑った。
まさか、と思いつつ、己の番号を八桁入力してみると、ぱっと画面が切り替わると同時に手から端末が弾き飛ばされた。
「それを見るのは、いくらなんでもマナー違反だと思いますよ? それは、今の俺の物じゃないから、今は俺の監督者だから、って言い訳も聞けません」
小さな羽が床に弾いた端末の光を受けて、いつでも液晶を割れる位置に浮いているのを見やり、蒼白な顔で告げられた言葉が正しいと認める。プロヒーローである同業者の端末を勝手に見ることはできない。
エンデヴァーが引くと、小さな羽は携帯を持ち上げてどこかに運んでいった。
「それで、何の情報があったんだ?」
「プライベートです、ちょっと爛れた」
にこり、と笑う顔に血の気はない。
「将来、自分がこんなに酷い私生活送るなら、ちょっと綺麗な身体のうちに大好きなエンデヴァーさんに抱いて欲しいなぁって」
恥じらうように頬に手を添えて身をくねらせてみせるが、昨晩の痴態と同じく、全くなっていない。
「貴様は本当に……」
「なんか寝っ転がって目閉じててもらえれば、俺が全部やるんで、本当に寝ててもらってもいいです。あ、俺がネコやるんで、心配しないで大丈夫ですよ」
「公安はどういう教育をしたんだ!」
「んー、別に特別訓練保健体育とかいうエロネタはなかったですけど、必要なら身体も使え、って感じです。俺の個性って嫌がる人と、喜ぶ人いるんですけど、エンデヴァーさんは羽付き相手に勃ちます?」
羽の有無の問題でなく、この驚くほど意思疎通ができない生き物が、同じ人類とはとても思えないのである。
「子供を抱く趣味はない」
「俺、子供じゃないですよ。青少年保護条例外です」
「未成年は子供だ」
「もう結婚できますよ?」
「…………高校生は不可だ」
苦虫を噛み潰すようにして応じると、鳥類にカウントしたい子供が首を傾げる。
「年齢だけが盾にされて、男は無理って言われてないので、ワンチャンありますよね?」
「ない!」
否定を気にせず、首にするりと腕が絡んだ。
「あのね、エンデヴァーさん。俺、あなたが思ってるより本気なんですよ」
至近距離の猛禽類に似た瞳の色に困惑した隙を突いて、本日何度目かの口付けが寄せられる。乾いた唇が重ねられ、ほとんど離れないまま言葉が続けられる。
「あなたは、今の俺が知ってるヒーローエンデヴァーと少し違う。五年分の差と、オールマイトのいない社会でNo.1やってるからですかね。随分と、俺に甘い」
「子供相手には手加減もする」
「俺の知ってるエンデヴァーは、そんなキャラじゃなかったですけどね。ビルボードの動画も見ました、初絡みあれでしょ? よくもあの後、チームアップなんか許してもらえたなーって、我ながら呆れますけど」
ペラペラと捲し立てる鳥を黙って見下ろす。
「なんか、いい条件でも持ってきました? エンデヴァーさんみたいな石頭、身体で釣れるとは思わないんで、何か耳寄り情報ですかね。独自捜査した情報が……とか?」
至近距離で目を覗き込み、首に回した手で身体の動きを探る子供を、逆もまた然りだとは思わないのかと思いながら、後頭部を鷲掴みにする。
「いいか、小僧。俺は、今のお前には手を出さない」
噛んで含めるように告げると、鳥が不思議そうに瞬いた。
「大人の俺が誘ったら、手を出すんです?」
「四年後だか五年後に言うなら、考えてはみる」
大人同士の誘いと子供のそれは土俵が違うのだ、という意味だったが、子供はそうは捉えなかった。
「エンデヴァーさん、もう年増の俺の毒牙に!?」
「かかっとらんわ! 貴様の中で大人の貴様はどういうイメージなんだ!」
「汚れヒーローです、使い捨ての」
ひやりと笑んだ子供を、じろりと睨み据える。
「ガキの俺がパニクって騒いだとき、目良さんが言ってたでしょ、票を操作してないわけじゃないって。世間が納得する程度の操作はしてますよ。使えるもん何でも使って、ビルボードのあの場に立ってたんです」
黙って続きを促すと、かたかたとその身体が小刻みに揺れる。
「俺、本当はヒーローになりたかったんです」
プロヒーローになる未来を知っている、既に試験に合格している学生の台詞としては、あまりに奇妙な言葉だった。
「あなたの横に立てるヒーローに」
それもまた、既に叶ったはずの未来だ。
No.2として、No.1になったエンデヴァーの横に立ち、改人との戦いでは共闘した。サポートに徹した感はあるが、彼自身が認識している通り、ホークスの個性はサポート向きで、あの場では最大限の働きをしていた。
同じ能力で横に立てないなどと、世迷言を言うような子供ではない。
「ホークス?」
「あなたは、俺をヒーロー名で呼びますよね」
「……嫌ならやめるが」
単純に呼び慣れていて、切替えていなかっただけのことである。
「そのままでいいです、ヒーローっぽいし」
「……貴様は、ヒーローだぞ?」
薄く笑った顔は、その言葉を全く信じていなかった。
「あなたが信じてくれているようなキレイなヒーローじゃないです。ってことで、俺と寝てください」
「話の脈絡がない」
「ええと、将来思ってたようなヒーローになれなくて、辛いこともあるけど、今、綺麗な身体のうちに抱いてもらえたら、それを思い出に頑張れる気がする的なニュアンスで」
「貴様はまともな言葉を喋ったら、死ぬ病気にでもかかっとるのか」
深く嘆息して、腕を広げる。
来い、と呼べば、おずおずと腕の中に納まってきた子供を抱えあげて、寝室まで移動する。
「いいから寝ろ、添い寝してやる」
「この期に及んで、子供扱い」
やると思った、と涙声が笑う。
「貴様は、十歳の時に、菓子のおまけの一文を勝手に深読みして、パニックを起こした実績があってな? 俺には、今のお前がその時と同じ状態にしか見えん」
いいから寝ろ、とベッドの中に放り込んで布団を被せる。
「添い寝ならそれでもいいから、一緒にベッド入ってくださいー」
図々しい台詞にそぐわない涙声に負けて、子供の横に身を滑り込ませると、またおずおずと身を寄せてくる。
「やめんか」
さすがに慣れてきて、近づいてきた顔を手で制すると、その掌にキスを落とされる。
「なんかこう、絆されて抱いてもいいかなーって気持ちになってきたりしません?」
「ならん」
顔を掴んだまま押しやると掌が湿って、一つ舌打ちしてヒーローになるにしては細い身体を抱き込んで、泣く子をなだめるように背を叩く。
「エンデヴァーさん」
「黙れ」
どうせ口に出すとろくなことを言わないのが目に見えていたので、一言唸るが、意味もなくひそめられた小声は続いた。
「昨日、俺、エンデヴァーさんに触られてイッたじゃないですか」
今、それを蒸し返すかと渋面になる。
「背中、性感帯なんです」
「もう、本当に黙って寝ろ!」
こそり、と秘密を打ち明けるようにいらない情報を吹き込んできた子供に怒鳴ると、抱え込んだ身体がくつくつと笑いに震える。
そのまま震えの止まらない身体を黙って抱き込んでいると、ぽつりとまた呟く。
「俺、何やってんだよ……」
絞り出すように吐き捨てられた一人称は、どの時制だろうと考える。
ヒーローになりたかった、と泣く子供の姿はよく知っている。
ヒーローを夢見て、力及ばず挫折していく子供は数多い。
道半ばで折れた者の嘆きの方が強く、しばしばその鬱屈で犯罪に走って、己を否定した社会が悪いと呪詛を吐く敵達を多数見てきた。
ヒーローになどなるのではなかった、という嘆きも知っている。
憧れだけで済まない現実と、毎日のように目にする悲惨と、ヒーローになったがための喪失に、心を折られていく姿を何人も見てきた。
人生の半分以上をヒーローとして生きてきたが、デビュー直後から成果を上げて、若手の中では独走する形でNo.2まで躍り出た、人気絶頂のヒーローが、ヒーローになりたかった、などと泣く姿は初めて見た。
