Beloved - 2/2

 密会場所として指定された港の倉庫に赴けば、いつもの窓口係とは別にもう一つ人影があって、背負ったスポーツバッグの中でざわりと揺れた剛翼を押さえ込む。
「ご自慢の羽はどうしたよ、ウイングヒーロー?」
 ホークスというヒーローの最大の特徴である緋色の翼がその背にないことに、連合の窓口係がせせら笑う。
「目立つんでね、外してきた」
 ヒーロー業を営む上で、人気取りにも実戦においても最大の武器である剛翼は、とかく人目を引く。隠密活動には向かないが、外してしまえば話は別だ。付け根に僅かな肩羽と雨覆を残して背に沿わせて畳み、余裕のある服を着込めば、有翼のヒーローとして認識されているホークスは存在しなくなる。
「で、羽は全部その鞄の中? それ、鞄ごと燃やしたらどーなんの?」
「全部ではないかな」
 コートの裏に貼り付けていた数枚の剛翼の切っ先を男の眼球の前に並べてやれば、荼毘は両手を挙げて降参のジェスチャーを示したが、この程度の挨拶に恐れ入るはずがない。
「あ、赤い羽! じゃあ、この人、ほんとにホークスなのです?」
 横から剛翼をつつく存在も不穏である。
「なあ、荼毘。女の子連れてくるなら先に言っといてくれんかな。心の準備ってもんがあるから」
「出がけに見つかって、勝手についてきたんだよ」
 渡我被身子、制服姿の女子高生に見えるが、中身は完全に壊れた殺人狂だ。これまで折衝として接してきた荼毘も相当に破綻していたが、彼女はその比ではない。
「帽子邪魔ですー、顔見せてくれなきゃ信じられません!」
「……荼毘」
「勿体つけてないで、見せてやれよ」
 No.2として、こんな密会の場でなるべく素顔を晒したくはないが、渋れば彼女は直接手を伸ばしてくるだろう。
 仕方なく深くかぶっていた帽子を脱ぎ、マスクを外す。普段後ろに流している髪を下ろしているので、若干印象は異なるだろうが。
「あ、本当にテレビの人です! スゴイ!」
「つーか、ヒーローな。No.2」
「ほらほら、愛されカカオの人ですよ!」
「ハイハイ」
「んー、でも、あんまりカァイクないです。テレビだと、すごくカァイイのに」
「テレビは作ってんだよ」
「カァイイは作れるのですね……」
 異様な風体の二人が、どこかのんびりとピントのずれた会話を交わすのを、無表情を保ったまま聞く。
「あれです! チョコを食べさせたら、カァイクなるかもしれません!」
 笑顔で踏み出された分、一歩退く。
「何ビビってんだよ、No.2」
「ビビるだろ。こんな人目を忍ぶ倉庫で突然JKに刺されました、とか立場的に困るっての」
「安心しろよ、そいつ、見た目それでも学校は行ってねーから」
「どこにも安心要素がねーよ、イカレどもが」
「ああ?」
「男の子達はすぐケンカするの、よくないです。イライラには甘いものですよ!」
 名案、とばかりににこやかに笑いながら近づいてくる少女に、今度は逃げずにコートのポケットから引っ張り出した赤い箱を突きつけた。
「はい、あげるから近づかないでね」
「わーい、チョコもらっちゃいました!」
 パッケージを手に、くるくるとその場で回ってみせた渡我が、三回転目で更にミニスカートが浮き上がるほど回転を早めた。
「下着見えるよ」
 翻ったスカートの裾を押さえるのに一枚、爪先から刃物の突き出たローファーを包んで放たれかけた蹴りを制するのに一枚、それぞれ剛翼を使ったホークスは、もう一箱チョコレートを追加してやる。
「いい人です!」
「お前、お菓子くれるって男にほいほいついて行って殺してくるんじゃねーぞ?」
「どこ向けの心配だよ、それ?」
 つくづく狂人の集団である。
「ナンバーツーの人は、アマッウマッってやらないですか? はい、あーん」
 嬉しそうに箱を開けて、包装もそのままに口元に突きつけてくる渡我に閉口しながら、その手を押しのける。
「あれはお仕事でやったので、金にもならないとこでしません」
「守銭奴です!」
「ヒーローなんざ、そんなもんだ」
 毒の滴った台詞に半眼を向ければ、僅かに感情に波だった目に睨み返される。
「最近、お仕事たくさんだな、No.2?」
「おかげさまで」
 連合が平和の象徴を沈め、社会不安を煽り続けてくれたおかげで、ヒーロー業もイメージ広報も大忙しである。
「荼毘くんはイライラですね、チョコ食べるといいですよ」
「チョコは嫌いだ」
「なんでですか、おいしいのに?」
「溶ける」
「かわいこぶってんじゃねーよ」
「ぶってねーよ、何の言いがかりだよ」
「もー、男子これだから困りますー! 甘いもの食べて、仲良くしなさい!」
 睨み合う男二人の間に、割って入った渡我がチョコレートの袋を投げつけてくる。慌てて互いに後ろに跳んで距離を確保したのは、彼女が銀色の袋に混ぜて刃物を投げつけてきかねないからである。
「食えねーんだよ、ほら溶けた」
 手の上で、ぐにゃりと形を失って平らになった包みを、荼毘が渡我に見せる。
「えー、かわいそう。荼毘くんはチョコを食べれない人生ですか?」
 食べさせてあげます、と笑った殺人鬼が袋を破って摘み出したチョコレートに、あっさりと男は口を開いた。
「あっま……!」
 口に含んだ瞬間、大きく顔をしかめた荼毘の反応をわくわくと見守っていた渡我が、しばらくして口を尖らせた。
「ウマッて笑うんですよ!」
「俺はそこのプライド切り売りヒーローと違うんだよ。ってか、甘過ぎんだろこれ、美味いか?」
「甘くて幸せおいしいですよ」
「甘けりゃいいのか」
「そーです」
「……仲良いね」
「ハァ?」
「仲良しです!」
 まともでない男女の、珍妙きわまりないやりとりに口を挟むと、一瞬大きく顔を歪めた荼毘は、横ではきはきと応じた渡我に何か諦めたように大きく息を吐き出した。
「まあいいや、ところで、土産はチョコだけかよ?」
「あんたらが勝手に脱線し続けてたんでしょ」
 呆れ顔を作って応じ、用意していた封書を放る。
「なにこれ?」
「関西の指定敵団体のガサ入れ情報。怪しい武器やら個性増強ドラッグやら集めて回ってるって話だから、うまいこと介入すれば、漁夫の利得られんじゃない? 有効利用できるかどうかは、あんたらの手腕次第」
 本物の情報である。なるべく裏社会の者同士食い合って弱体化すればいいという当局の希望が多々含まれているが、そう都合よくいくかは分からない。
 既に彼らは一度ヤクザと提携し、その壊滅の原因のほとんどはヒーロー側が担ったとは言え、最終的に相手の足元をすくって利を得た実績がある。併呑でもされた日には目も当てられない。
「もらっとく」
 胡散臭そうに書類を眇め見る目には、ひとかけらの信用もない。
 まだ道のりは遠そうだと考えながら、そのかかる時間の間に失われるものを試算する間に、封筒をしまった荼毘がこちらを振り返った。
「ところで、最近メディア露出が多過ぎじゃねえか、No.2?」
「人気ヒーローがごっそりいなくなったんでね、仕事が増えてんだよ。気に食わないかい?」
「いや、今のNo.1は嫌われキャラだからな。お前が路線広げて、どんどん人気獲ればいいさ」
 継ぎ接ぎの顔がにんまりと笑う。
「その方が、お前が裏切った時の影響がデカい」
「ま、そうだね」
 無表情に応じれば、継ぎだらけの手が下ろしていた前髪を勝手に掻きあげて顔を覗き込んでくる。額に当たる掌の熱さは、人体の発するものとは思えない。
「っとに、金になんねーと、ニコリともしねーのな」
「いや、そうでもないよ」
 甘すぎるチョコレートの宣伝の撮影で何度か撮り直した無邪気な笑顔で応じると、ち、と舌打して身を離す際に、撫でるとは言えない乱暴さで熱い指先が髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜていった。
「まあいいや、せいぜい愛されろよ、ヒーロー」
「チョコありがとーです!」
 どろりとした黒色に包まれた二人の姿が消えても、しばらくそのまま様子を窺っていたホークスは一つ息を吐きだすと、倉庫内に散らしていた剛翼を引き戻し、背負っていたバッグのジッパーを引き下げた。
 鞄から吹きこぼれるようにして宙を舞った赤い羽根を正しく並べ直し、コートの背に作ってあったスリットから翼の付け根を出して合わせ、髪を掻き上げればウイングヒーローの体裁が整った。
 一つ羽ばたいて、倉庫の窓から外に抜け出すと、そのまま全速力で上昇する。
「さっむ……」
 真冬の夕刻、倉庫に訪れた頃にはまだ薄明かりが残していた日は、既にとっぷりと暮れていた。
 ヒーロー活動用に特化されていないコートの前を慌ててかき寄せてボタンを全て留めると、身を逆さまにして港湾の夜景を見下ろす。
 地上に怪しげな動きは見受けられない、と判断してから、寒さしのぎに普段はファンを捌くのに使っているチョコレートを口の中に放り込む。
「甘……」
 生チョコレートに近い製法で作られたチョコ菓子は、とにかく甘味が先立つ。「愛されカカオ」なるコンセプトだと、ここまで甘ったるくなるものなのかと、商品を試食した時に驚いた。
 エンデヴァーも荼毘も、揃ってホークスの最近の路線変更に言及したが、イメージ戦略の変更自体は神野の事件の直後に決めていた。
 象徴のオールマイトが墜ち、着実に地位を固めていた次世代であるベストジーニストまでもがしばらく活動不能に陥った。暫定一位となるエンデヴァーがオールマイトの人気を引き継ぐことは難しく、全体の動向を鑑みて、次々世代の最若手である自分が支持層を広げてヒーロー人気を維持するのが最適だと判断した上での決定だ。
 公安からの潜入捜査依頼があったのは、路線変更の企画が動き出した後で、今からでも止めるかと確認したところ、大衆の安心の拠り処になる偶像は必要だと続行を命じられたので、ここ最近の露出になるわけだが。
「きな臭いんだよなあ……」
 荼毘の指摘通り、大衆の人気を集めれば集めるほど、その対象が失墜した際の影響は大きくなる。
 既に敵連合と接触し、いくつかの情報を流しているウイングヒーローはもはや清廉潔白ではない。連合側はいつでもホークスを地に引きずり落とせるし、その一番効果的なタイミングを計っている。
 汚して使い捨てるならば、敵堕ちもおかしくない過激な言動の多い才走った若手の印象のまま、順位操作してでもトップテンから外しておくべきだというのに、No.2の称号を与えて、人気の集中を許す公安の意図をホークスは図りかねている。
 他の誰かに振られるよりは、この立場に自分がいた方がよいという判断を誤ったとは思っていないが、実に全方位が信用ならず、危うい。
 一際強く吹いた海風が体温を奪っていって、カロリー補給にまた一つ菓子の包みを取り出しながら、先日この菓子をNo.1に押し付けたことを思い出す。
 人気に無頓着にその半生をヒーローとしてあった男は、平然とそんなものを背負う必要はないのだと言ったが、そういうわけにはいかない。
 大衆には拠り処としての愛すべき偶像が必要だ。
「オールマイトさん、本当に尊敬するよ……」
 力を失う間際まで、愛すべき象徴であり続けた男に賛辞を送りながら、甘ったるいチョコレートを口の中に放り込む。
「…………重っ」