オーダーメイド

「すまん」
 短い謝罪の言葉では、彼は振り返らなかった。
 焼き焦げ、引きちぎられた服はもはや何の役にも立っておらず、ただその上半身に絡みついているだけで、代わりに大きな翼が濡れた背を覆っていた。
 深く俯いた顔を粘度の高い液体が伝い、床の水溜まりに重い音を立てて落ちる。
「……俺が悪かった」
 緋色の翼がぴくりと揺れたが、まだ振り返らない。
「…………ホークス」
 謝罪、己の非を認める言葉、謝罪対象の明示の三点がそろって、ようやく振り返った顔はむくれていた。据わった目がじろりとエンデヴァーを睨み上げ、いつも以上に曲がった口元がやっと開く。
「謝罪と賠償を要求します」

 事の起こりは、粗悪な個性増強ドラッグを用いた液体人間が暴れたことだった。
 ドラッグによる凶暴化、元の数十倍にも跳ね上がった溶解能力、元より対応のしにくい流動系の体質が相俟って、周囲に甚大な被害を与えかけたが、たまたま上京していて現場近くに居合わせたホークスの参戦と、通報を受けて出動したエンデヴァーによって、事件そのものは比較的早期に解決した。
 ただ、私服での戦闘を余儀なくされたホークスは、溶解液や煤で酷い有様になっており、その様子を見たエンデヴァーのサイドキックが事務所での着替えを勧めた。
 ぼろぼろに穴の開いた服と、煤にまみれたNO.2の姿に、このまま街中を歩かれるのもヒーローとしての評判に支障が出ると、エンデヴァーもサイドキックの進言を許容し、当人もいつもの飄々とした態度で事務所訪問だ、などと軽口を叩いて招待を受けた。
 一泊分の荷物を持っていたホークスは、事務所のシャワー設備を使って着替え、その体裁を整えると、事件の取材に訪れたマスコミの前にも出て質問に気軽に応じた。
 あまりに気軽に応じすぎて所長を怒らせ、記者達が帰るや否や炙られるまでがいつもの流れだったが、ホークスが私服だったのが常と違った。
 ヒーロースーツならば、少々の熱さに巻かれてもいつものようにへらへらと笑って済んだのだろうが、化繊のジャケットはエンデヴァーの想定以上の可燃性があった。
 冬らしいふわついた形状の毛羽立った生地とその素材の組み合わせで、表面フラッシュ現象が起きたのだろう。瞬間的に炎に包まれたホークスを引き掴んで燃え熔ける布地が肌に貼りつく前に力任せに引きちぎり、常備してある消火冷却ジェルのパックを破って頭からぶちまけ、ジェルの水溜りの上に有翼の青年を転がして鎮火させた。
 制御の難しい炎の個性、激情家のエンデヴァーの事務所では稀に起こる事故で、対処手段は講じてある。
 発火から鎮火までもごく一瞬で済み、当事者のホークスが状況に反応することもできずに水溜りの上に仰向けに押し倒されて目を丸くしている顔に気が抜けた。
 大事に至らなかったと気が緩んだところで、先の彼の言動による怒りの再燃で、燃やされるようなことを言うのが悪い、と考えた。更に、エンデヴァー事務所の所員は事務スタッフでも耐火性の素材の服を選ぶのが当然だ。ホークスが着ていた可燃性の、しかも火傷を重症化させるような燃え熔ける化繊など有り得ない。
 第一声が、こんな服を着ているからだ、となったのはエンデヴァーの性格だったが、目を瞬かせていたホークスが、一度目を閉ざした。
「……ああ、そうですか」
 肩を押さえつけたままだったエンデヴァーの手を退かし、ゆっくりと起き上がる動作に、粘性のある透明なジェルが髪や頬を伝い落ち、ほたほたと音を立てた。
「俺、今回アパレルブランドのモデル専属契約更新の打ち合わせと、ついでに次のシーズン分の撮影と、雑誌インタビューに来たんですよ」
 手で濡れた顔を拭いながら、じろりとエンデヴァーを睨む。
「これはそこのブランドの服で、うちのマネジメント担当から、必ずこれを着ていけって指示されてたんです」
 まさかこの短時間に着替えも含めて駄目にするとは思わなかった、と呟く声が低い。
 ヒーロー名である鷹の冠羽を彷彿とさせる癖のある金髪が濡れそぼり、ほたほたと顎の先から伝い落ちる水滴と、色素の薄い睫毛も濡れていて、泣いているようにも見えたが、細められた双眸は怒気に満ち、金を帯びて爛々と光っていた。
「すみませんねぇ、『こんな服』で」
 失言をしたのだ、と気づいたのはその時点だった。

 その後、慌てた事務所スタッフ達が平謝りしたが、責任者であり加害者であるエンデヴァーが謝罪しなくてどうする、と更に機嫌を損ねたホークスの背中に向かって、相手の求める対応を探りながらかけたのが先の台詞である。
「請求はこっちに送ってくれ」
 要求されたうちの謝罪は済んだはずなので、残りの賠償について、同じものを買い直すなり、代替を用意する分を負担するのは当然だと告げたが、曲がった口元で、また怒りを買ったことを知る。
 彼と歳の近い次男も、エンデヴァーが発言する度に思いがけないところに激発する。彼らの癇に触れてしまうことをようやく最近自覚したが、どう対処すればよいのかはまだ理解できていない。
「……何をしてほしい?」
 分からないものは仕方ないので問う。
 息子だとこれに更に反発するが、家族間のようなしがらみがなく、生意気な態度が目立つものの、一応エンデヴァーを上位者として立てるホークスはあっさりと矛を収めてへらりと笑った。
「金で解決する、ってだけ言われるとイラッとするんで、謝意を示してくれたらいいです。ってか、俺の機嫌を取ろうとするエンデヴァーさんとか超貴重なもん見れたんで、大体もうそれでお釣りきた感じなんすけど、せっかくなんで、替えの服買うの付き合って、飯おごってください」
 台詞の半分以上が全く理解できなかったが、譲歩案として代替物の購入の立ち合いと、このトラブルの手打ちとして食事で済ますと提示されたことは分かった。
「分かった」
 この後の予定は空ける、とうなずくと、子供のように諸手を上げて笑う。
「やったー! エンデヴァーさんとお買い物デート!」
「デ……?」
「若い子は同性の友人間で遊びにいくことも、そう言います!」
 四半世紀以上のキャリアを持つエンデヴァーと、最年少記録を次々と更新しているホークスの中間程の年齢のサイドキックが慌ててフォローを入れた。一般的に女子が使う用法であることは故意に伏せられたが、そこに年若いヒーローが余計な茶々を入れる前に、一つくしゃみをした。
 事務所に常備されている薬剤は初期消火と火傷の初期対処に使えるよう開発されたものだが、人体から著しく体温を奪う。
 この真冬にそのままでいれば間違いなく風邪をひく。
「ホークスさん、すみません、今タオルを……!」
「着替えも何か用意します!」
 スタッフ達が慌てて立ち回りかけ、床に飛び散ったジェルに足を滑らせる。右往左往するスタッフ達につられて立ち上がろうとしたホークスは濡れていないところに手をついたが、手そのものがジェルに塗れていて、派手に滑った。
 勢いよく床に頭を突っ込みかけたところを、抱き支えてそのまま持ち上げる。
「焦るな。タオルと着替えを用意、床も掃除」
 滑りやすくなっているのだから気をつけろ、と部下達を一喝し、凍えて動きの鈍っている鳥を肩に担ぎあげて歩き出す。
「え、あの、ちょっと、エンデヴァーさん!?」
「暴れるな、滑る」
 言ったそばからジェルにまみれた身体がずるりと滑って、咄嗟に首に縋った手が何を遠慮したのかすぐに外されて、取り落としかける。
「おとなしくしろ、羽ばたくな」
「俺は今、何のプレイを強いられてんすか!?」
 何も強いていない、と室内で広げられると非常に邪魔な翼を強引に折り畳んで翼ごと背を抱き込むとようやくおとなしくなった青年を抱えて、オフィスを縦断しシャワー室に放り込む。
「熱っ!」
 頭から浴びせた湯はぬるいはずだったが、冷え切った身体には刺激が強かったらしい。身を庇って広げられた翼が壁にぶつかるのを押さえ込み、更に温度を下げた湯で薬剤を洗い流していく。
 すぐに対処したので、火傷を負わせていないことは確信していたが、全く焦がさなかったとは言えない。撮影の仕事が入っていると言っていたので、外観も大事な商売道具だ。損なってしまったなら、それにも賠償責任が発生するだろう。
 顔の印象を左右する髪や眉を焼き焦がしていないか、手で薬剤を洗い流しながら確認するが、これまでこの若者の顔を真剣に見ていたわけではないので今ひとつ判断がつかない。
 人を食った太々しい笑顔や、戦闘中の鋭い眼光の印象はあるが、目の前の困り果てた子供のような顔と一致しない。
「あの、ですね……」
 口元を両手で押さえて深く俯いたホークスが、その剛翼でエンデヴァーの手をそっと押しのけた。
「解釈が追いつかないんで、ちょっと待ってください」
「解釈?」
「ええと、エンデヴァーさんは、今何をしてらっしゃるんでしょーか?」
「怪我の確認と薬剤の除去、体温の回復だ」
 体温の急激な低下で動作に支障が出ていた彼が、シャワー室に移動して湯を出し、体温を奪い続ける薬剤を洗い流すという一連の行動を速やかにこなすのは難しいと判断しただけである。
「あ、オッケーです、合致しました」
「何がだ?」
「俺の中の問題なんで気にせんでいいです。で、怪我はしてませんし、もう自分でシャワーも浴びれますが、どうします? 一緒に入っていきます?」
 へらりと笑う顔はいつも通りのふてぶてしいもので、諸々回復したものらしい。
 きちんと温まるまで出てくるなと厳命してシャワー室を出ると、ぱしゃぱしゃと水音が妙に派手に響いて、一瞬不審に思うが、すぐに中の青年が翼を持つことを思い出す。鳥の水浴びに似た光景が展開されているのだろうと察して、思わず噴き出しかけてエンデヴァーは咳払いでごまかしてオフィスに戻った。

「いやー、スイマセンね、二回もシャワー借りちゃって」
 タオルを肩にかけて出てきたホークスがへらりと笑うが、二回目が必要になったのは所長の短気が原因である。
「服を着ろ!」
「いや、着たいのはやまやまなんですけど」
 少し焦げてはいるものの、一応無事だったズボンは湿ったまま穿いているようだし、上半身を覆うのは湯気の立つ両翼のみである。
 すぐに湯冷めしそうな姿を一喝したエンデヴァーに、ホークスは軽く肩をすくめ、所長の代わりに恐縮するスタッフに、着替えとして渡されたはずの袋に入ったままの事務所のロゴの入ったTシャツを指し示す。
「これ、返さなくてもいいです? 俺が着れるようにすると、穴開いちゃうんで」
「もちろんです! 翼を通すところ決めてもらえたら、すぐ直してもらってきますから!」
 個性が身体的な特徴で現れることも多いので、既成服の調整はどこでもやっている。事務所の近所で対応しているクリーニング屋にすぐに持って行く、というスタッフにホークスは首を振った。
「自分でやるんでいいです」
 あっさり言って、自分の鞄を漁って小さなケースを取り出す。
「……それは?」
「ソーイングセット」
 言葉に嘘無く、ケースから小さな鋏と針と糸を取り出した男に唖然とする。
「いや、マジで必要なんすよ。今日みたいに着るものがなくなって、直してもらう時間がないときとか、自分でできないと困るんですって」
 実際、慣れた様子で広げたTシャツに鋏をいれ、切った端から解れていかないようにかがっていく手つきは淀みない。
「俺、めっちゃ女子力高くないです?」
「知らん!」
「エンデヴァーさん、針に糸通せないでしょ?」
「これまでそれで困ったことはない!」
「ボタンが急に取れたらどうするんです?」
「買う」
 新しく買い直せばいいだけだと応じると、それまでからかう口調だったホークスが、一瞬本気で呆れた声を上げた。
「うわ、マジで言ってる」
「何か問題でも?」
「いいえー、オカネモチっていいですねーって。基本が個性に合わせたオーダーメイドなんでしょ。俺なんか、直し料金ケチってこんなにお裁縫得意になったんで」
「服の調整など、どこでもやっとるだろう?」
 既製品をあまり買うことがなく、体格も大柄な以外は調整が必要なわけではないので、あまり詳しくはないが、街中の店で買えば調整は無料であるとエンデヴァーは認識している。
 エンデヴァーの場合は素材そのものに耐熱耐火性を求めるため、生地からオーダーするが、ホークスのような外見にも影響する個性は、服屋が対応しているはずだ。
「一応ね、それは直し料金込みだから無料なんですよ。それだって、俺みたいに穴開ければいいだけとかならまだしも、腕が複数とかになると別料金ですし。で、この世には調整なしの格安服ってのがあるんです。貧乏学生の味方」
「じ、実は苦学生だったんですね、ホークスさん」
 所長の態度が柔らかくないため、所員達が苦しいフォローに入る。
「成績出してりゃ衣食住は保障されてたし、苦学生ってほどじゃないっすけど。まあ、おこづかいちょーだいってのも言いにくかったんで、なるべく金かからないようにしてましたねー。インターンで給料もらえるようになってから、だいぶ楽になりました」
 軽くもない話をさらりと流して、パチリとハサミで糸を切る。
「はい、できあがり」
 口と一緒に手もきちんと動いていたらしい。完成したというTシャツの穴は、今背を覆った翼から考えると随分と小さいように思えたが、当人は気にせず頭からシャツを被った。
 袖に腕を通すのと前後して、翼の先が捻られてシャツの下に消え、背の部分が一瞬盛り上がったかと思うと、白い布地を切り裂いたかのように緋色が迸った。
 ばさり、と室内に風を起こして広げられた両翼がおとなしく折り畳まれて、ホークスはシャツの裾を引っ張って整えていた。
「おー」
「何で拍手?」
 ぱちぱちと上がった拍手に目を瞬かせたホークスに、いや、なんとなく、とスタッフ達が応じて、ふざけるなと怒り出さないか恐る恐る上司の顔色を窺ったが、エンデヴァーは別のことに気を取られていた。
「服は破けんのか?」
 人一人を完全に包み込めるサイズの翼が通る大きさの穴には思えないのだが、特に無理に広がった痕跡もない。
「俺の翼は羽が並んでるだけで骨とか肉とかないんで、結構無茶苦茶な曲げ方もできるんすよ。最悪、全部羽外してから並べ直してもいいです」
 自在に操れる羽を器用に操って羽が折れない程度に無理無く通せば、このサイズの穴で十分らしい。
「痛みはないのか?」
「ないです。ってか、あったらあんだけ灼かれたら死んじゃいますって」
 それもそうか、と納得しながらこの若者を短期間にNo.2にまで押し上げた翼に触れて、その冷たく湿った感触に閉口する。
「きちんと乾かさんか!」
「熱い熱い熱いっ!」
「痛覚はないと言っただろうが」
「イヤイヤイヤッ! 背中! 熱風!」
 少しでも熱を逃がそうと大きな翼をばたつかせたおかげで、オフィス内に更に熱気が渦巻いたが、水分が飛んで軽くなった羽に気づいたホークスが動作を止める。
「すごい、全部乾いた、ドライヤー要らず! 一家に一人エンデヴァーさんいると便利ですね!」
 先程火だるまになりかけたことを欠片も気にしていない剛胆さには、もはや感心する。
「くだらんことを言っとらんで、服を買いに行くんじゃなかったのか?」
「あ、はい、行きます!」
 当人はすぐにでも外に出られるつもりのようだが、室内はエンデヴァーの個性のために相当暑くなっているだけで、外は真冬である。半袖で出ていける気温ではない。
「買うまで着ていけ」
 ハンガーから外した上着を放り投げると、重い本革のジャケットを手にした青年は当惑したように首を傾げた。
 先程のTシャツのように簡単に穴のあくものではないが、そもそも体格が全く異なるので、潰れても大丈夫な翼の上から着てしまえばちょうどサイズが合うのではないかと考えたのだが、若者はその翼の下に上着を通した上で袖に両腕を通した。
 そんな無茶な着方をしても、肩がしっかりと覆われる程度にジャケットが大きいらしい。
「彼ジャケ!」
「………………」
「数サイズ大きな服を着る、若い子のファッションです! ボーイフレンドデニム等の言い方もあります!」
 嬉しげに宣われた言葉の意味が全く理解できなかったが、部下が何故か必死に注釈を入れてきたので、そういうものかと納得する。
「首」
 問答無用で大きく開いた首元にマフラーを巻き付けて、そのまま引く。
「行くぞ」
「エンデヴァーさんは寒くないんですか?」
「元々寒さには強い」
 防寒着の着用は、季節と周囲に合わせてのことである。
「あー、俺は寒いと覿面に動けないです。冬の夜の雨で高速飛行とかヤバいです」 
「だろうな」
 ヒーロースーツが防風防寒を優先しているのは見れば分かるし、先程も体温の低下で著しく運動能力を欠いていたのは確認している。
 保温しておかなければならない、と認識したエンデヴァーが、とりあえず手当たり次第に着せたことを理解したようで、ホークスがにんまりと笑う。
「エンデヴァーはそんな気遣い……」
「やかましい!」
 言うと思った台詞を途中で黙らせ、これ以上くだらないやりとりに時間を潰されてはたまらない、と襟首を掴んで引きずって外に向かう。
 お邪魔しましたー、と軽い口調で引きずられていった新進気鋭の若手と、上司の怒気が炎の形を取ってゆらめく後ろ姿がドアの向こうに消えるのを見守って、その場に居合わせた事務所のスタッフ達は深々と嘆息した。

 通常訪れることのない若者向けのショッピングモールのフロアに立って、数倍のサイズに引き伸ばされた連れの若者の顔をしばらく眺めやり、何度か街中で目にしたポスターだと認識する。
「時計の広告じゃなかったのか」
「んー、服がメインで、靴とか鞄とかアクセ全般取り扱ってるトータルファッションブランドっすね。そこの男物のイメージモデルに起用してもらってて、これは限定モデルで作った時計とアクセ。これには写ってないけど、服も限定のがあるんですよ」
 これこれ、と背に羽をつけたマネキンを指し示しに行く様は子供のようで、ポスターと同一人物には思えなかったが、店員は即座に気づき、周囲も連鎖してNo.2ヒーローの存在に気がついた。
 都心の距離感か、地元のファンほど近づいてはこないが、スマホを構えた人の輪が瞬く間に形成される。
「……ホークス、時間は?」
 一人サインをねだりだせばキリがなくなるだろうと、輪の外から声をかけると、ざわりと空気が揺れて、何故かホークスとの直線上の人の層が薄くなり、ひょいひょいとその隙間を縫って当人が出てくる。
「凄い、エンデヴァーさんがいると、ファンサ薄くてもヘイトたまらん」
「やかましい」
 元No.1や現No.2のような愛想を振りまいてきていないし、最近多少周囲の目も変わってきたとはいえ、遠巻きにされがちな自覚はある。
「それで時間は大丈夫なのか?」
「っと、五時に本社に行って、なんか契約書サインしたら後はそこの人達と夕飯です。明日朝一で撮影入って、午後に帰ります」
「……会食なら、もう少しきちんとした服装の方がいいんじゃないのか?」
「いや、ここのブランドの服着てかなきゃマズイでしょ」
 それは分かるが、ブランド内でもう少しフォーマルなものはないのかと店内を見回すが、ビジネスの場に着ていけるようなものの取り扱いはないらしい。
「貴様、スーツは持ってないのか?」
「ありますよー、一着。黒の上下、喪服にもなるやつ」
 基本的に愛想がよいくせに、時折皮肉の度がすぎる辛辣さを見せるのは、若さだろうかと考える。
「今後、正装が必要な場も増えるだろう」
「たとえば?」
「結婚式」
 意表を突かれたらしいホークスが、毒気の抜けた顔をした。
「え、誰の?」
「事務所のスタッフやヒーロー仲間、学校の同期でそういう話はないのか?」
「あー、同期……。そうか、女子とかいるのかなー。みんな、個人事務所立ち上げようと資金貯めたりバタバタしてんで、もう少し先じゃないすかね」
 卒業と同時にデビューし、同年にトップテン入りしたホークスは非常に特殊な例で、一般的には卒業後はインターン先の事務所に正式にサイドキックとして入り、実績を積みつつ資金を貯めて個人事務所の開業を目指すものである。
 非常に順調に行って、今の彼の年齢でデビューが果たせるかどうかで、普通は三十代前後で開業する。毎日が忙しく、時間的にも経済的にも結婚など考える余裕はない、と考えるホークスは少し甘い。
「そろそろ立て続けにくる。貴様は同期の出世頭だろう、式の箔付けに引っ張り出されるぞ」
 どれだけ繁忙だろうが、経済的な余裕がなかろうが、彼らは知らないうちにくっついて唐突に結婚式の招待状を送りつけてくるものである。
「エンデヴァーさん、実感こもってません?」
「俺が年間に何組の招待を受けていると思っとる?」
 ヒーローの知名度からすると交流がかなり狭いエンデヴァーだが、それでも長年の活動の間にできた付き合いもあれば、所員の慶事もある。独立したかつてのサイドキックの数も多い。
「重なる時は、オフは全て他人の式の参加になると思え」
「うぇぇぇぇ」
「葬式が重なるよりはマシだ。いいから早めにスーツを数着用意しておけ」
「ヒーロースーツじゃダメですかー?」
「独立したての貧乏ヒーローならともかく、No.2の自覚を持て」
「実際に招待状が来たら考えます……」
 緋色の翼がしょんぼりとうなだれて、とりあえず今日着る服を選んでくると店内に戻る。
 店員と何やら話し合っている様子を、またギャラリーが囲みはじめ、人垣にヒーローとしては小柄な体躯が埋もれるまで眺め、しばらく考え込んでいたエンデヴァーは電話を手にした。

 かなり待たされるのだろうと覚悟していたが、万事素早い男は早々に服を決めて着替えてきた。
 正確には、マネキンの着ていた一揃いをそのまま剥ぎ取ったらしい。羽の生えた人型のオブジェと化したマネキンを見やってから、生きたモデルの方に視線を移す。
 先に燃やしたものの色違いのようで、毛羽立ってもこもことした白いジャケットは実に燃えやすそうだと思う。
「可愛いですか?」
「もう背中の調整をしたのか?」
「ううん、会話のキャッチボールをしてくれない」
 受け止めさせる気もない暴投をした上での台詞と理解しているので、きっぱりと黙殺する。
「これ、元々俺のサイズで背中も空けてある限定モデルなんすよ。店頭のは非売品だけど、ちょっと本社に連絡してもらって特別に買わせてもらいました」
 その場で着られるので、マネキンから剥ぎ取ったものらしい。
「ただ、その、ちょっと思ってたよりいいお値段でして……」
「貴様が弁償しろと言ったんだろう」
 基本的に図々しいくせに、何故妙なところで遠慮するのかわからない。
 明日の着替え分も選べと言っても聞かなかったので、店員を呼んで数着出させてそのまま全て会計を済ませる。
「うわ、給与一ヶ月分越えが二ヶ月分に!」
「貴様の一ヶ月分が、そんな端金のはずがないだろうが」
「俺と同年代のサラリーマンの平均給料の話です!」
 デビューから四年間トップテンに入り続けている人気ヒーローと、社会人一年目などという、比較対象にならないものを引っ張り出してくる意味が理解できない。
「ビジネスに着ていく服には思えんが、別にそこまで高くはないだろう?」
「こちとら学生時代は三桁台のTシャツ買ってて、似たようなもんが数万って値段なのに未だに慣れない庶民なんで、ナチュラルセレブと同じ感覚で考えんでください」
「その服を着るのが仕事ならば、必要経費だろう」
「そこら辺は割り切るようにはなりましたけど、感覚的に慣れんもんは慣れんです。ってか、エンデヴァーさん、領収書もらいました?」
「業務外のミスに事務所の経費は充てん」
「その台詞、さらっと言えるように精進します」
 感覚があまりに違うと頭を抱えているが、全く同じことをエンデヴァーも言いたい。
 ちらりと時計を確認し、包み終えた服を店員から受け取ると、若造の襟首を掴む。こちらも掴み慣れてきたが相手も同様のようで、抵抗もせずに身を浮かせてされるがままに引きずられる。
「ホークス、飯は今度でいいか?」
「え、あ、はい、何か緊急出動入りました?」
 身を捻って真顔に切り替えたNo.2に首を振る。
「いや、もう少しちゃんとした服を作りに行く」
「…………は?」

「…………え?」
 問答無用でタクシーに押し込まれ、連れてこられた小さな店舗で、訳の分からないまま店員に手早く採寸され、目の前に大量の生地見本を積み上げられた時点で、彼にしては随分と珍しいことに、ようやく頭が回りだしたらしい。
「あの、エンデヴァーさん、これは、どういう状況ですか?」
「作ってやるから型と布を選べ」
「何を……?」
「スーツを用意しろと言っただろう。モーニングとタキシードも作っておくか?」
「いつ、どこに着てくんすか、そんなもん」
「今後必要になるから作っておけ!」
 この若造は、式典や夜会に列席させられる可能性を全く理解していない。多少は考えていても、ヒーロースーツで済ませられると思っているようだが、そうはいかない場面も必ず出てくる。
 必要になってから手配するのでは遅いのだが、先の発言を聞く限り、既製品を買って翼の調整さえできればいいと考えている節がある。
「きちんとしたものを着ろ」
「エンデヴァーさんが人のスポンサーの服を、きちんとしてないと思ってることはよく分かりました」
「悪いとは言っていない、燃えやすそうで頼りないだけだ」
「服は! 普通! 燃えます!」
「ここは耐火加工も得意だ」
 長年その腕を信頼している職人の店である。
「ヤバい、驚くほど全ての感覚が違う……」
 それはエンデヴァーもこの若者と言葉を交わすようになってから、常々思っていることである。
「とりあえず、早く決めないと夕方から仕事なのだろう?」
「ハイ、拒否権もうない感じですね! 選ぶまで店から出してもらえないやつですね!」
 何やら自棄になった様子で、テイラーから話を聞いて生地見本を捲っていたホークスの顔が段々に渋いものになっていく。
「どうした?」
「……さっぱり分かりません」
 型や流行の説明を受け、生地を見ても全くそれを着る自分がイメージができないらしく、珍しく途方にくれた顔の若者に嘆息する。
「エンデヴァーさんが決めてくださいよ……」
 思考放棄した青年に、もう一度嘆息してほぼ白紙の状態のオーダーシートを手にする。
「俺の好みで決めていいのか?」
 後で文句を言われそうなので言質を取ろうとしたところ、何故か若者は机に突っ伏した。
「どうした?」
「……解釈が間に合わないだけなんで、気にせんでください。ってかもう、好きにしてください……」
 自暴自棄になるほどのことではないと思うが、しばらく起き上がってきそうにないので、本人の希望通り、勝手にオーダーを決めていく。
「貴様の希望は本当に何もないのか?」
 翼もうなだれたままの背に問いかけると、目を据わらせてゆっくりとホークスが顔を上げ、一つだけオーダーを口にした。
「耐火仕様で」