Beloved - 1/2

『あ、ホークスだ!』
 子供の声が呼んだ名に、エンデヴァーは事務所のテレビに目を向けた。
 報道番組のチェック用にチャンネルを合わせてあるのだが、ニュースの内容ではなさそうなので、何かのCMだろうと判断する。
 小学生くらいの女の子に呼びかけられ、しゃがみこんで目線を合わせる青年の顔も画面に映える緋色の両翼も既に馴染みのものだ。エンデヴァーと異なり、メディアの露出に積極的な若手の顔を何かしらの媒体で見ない日はない。
 また新しいCMに出演したのか、とその精力的な活動に呆れつつも感心して眺めていると、少女から差し出された菓子を頬張った男は大きくその顔をしかめた。
『あまッ』
 菓子の宣伝だろうに、そんな顔をしてよいのかと思ったところで、画面の中でしかめ面が崩れた。
『うまッ』
 生意気な皮肉屋の印象の強い男が、ひどく無邪気に笑う顔が大写しになって、商品画像らしい赤いパッケージに切り替わる。
『愛されカカオ【BELOVED】新発売!』
 チョコレートの宣伝か、と納得した横で、先程まで打ち合わせをしていた所員が羨ましげに呟いた。
「いいなあ、ホークス君」
「何がだ?」
「いや、最近はカワイイ路線もカバーしてきて、引出しが多くていいなあ、と」
「可愛い……?」
 あの不遜な若造のどこに可愛げがあるのか、という顔をした上司に、エンデヴァー事務所の広報責任者は彼の視点での評価を口にする。
「今までの彼の人気は十代から二十代の若者に集中していて、男女差はなく『カッコいい』というイメージです。子供受けもよくて、これは速い、飛べる、が人気のポイントですね。地元人気は世代関係なく広いですから、これは実際の触れ合い含めて地元を大事にしているんでしょう。基本的に、メディアにおけるこれまでの彼の売り出し方は、若い世代向けのファッションがメインです」
「今のCMは違うと?」
 菓子の宣伝という時点で、エンデヴァーの中では女子供を対象とした、という印象にしかならない。
「さっきの笑顔のギャップで鷲掴まれたお母さん層、かなり多いと思いますよ。あの子、笑うとカワイイんですよね」
「あれはいつも、へらへらしているだろう?」
 どちらかと言えば、年上に反感を買う種類の胡散臭い笑顔である。
「だから、そのギャップ萌えです。あんな子供っぽい顔、これまで見せてないでしょう?」
「…………いや?」
「所長が見ているのはプライベートです」
 ころころと変わる表情の中には更に子供じみた顔も見知っているが、どうやら対外的には格好つけてきたものらしい。
「つまり、イメージ戦略を変えてきたと言いたいのか?」
「ここ最近は支持層を広げにきてますね。どうしても軽薄なイメージはついてますから、その辺り、三十代から六十代くらいまでの男性人気が低いんですが、これを払拭するなら、苦労してきたアピールでしょうね」
 軽薄でチャラチャラとした今時の若者と思っている四十代の男性代表のような上司に、広報担当は指を立ててみせる。
「これまでプライベートは出してきてないですし、苦労して努力してヒーローになったドキュメンタリーを作れば、お父さん方もころっと態度を変えて応援すると思いますよ。彼、ちょっと学生時代に苦労してたっぽいこと言ってましたよね」
 ほんの少しのイメージ操作で、全く変わるのだと力説される。
「顔が良くて、実力があって、カワイイからカッコいいまで持っていける振り幅、翼も使えば綺麗系もいけますかね。あの個性もいい。異形系はどうしても生理的嫌悪感を覚える層ができてしまいがちですけど、背中に羽はほぼ万人に愛されますからね。本人のパフォーマンスも上手いですし。頭の回転が速くてトークが巧くて、自分の見せ方をちゃんと計算できる。いいですよねえ、ホークス。売りがいがある」
 ヒーローを商材として考える広報担当を、自身をあまり切り売りせずにこれまで来たエンデヴァーはじろりと見降ろした。
「そんなにウイングヒーローが魅力的で九州に再就職を希望なら、口を利いてやろうか?」
「いいえ? 自分で人気獲得できる愛され系若い子より、うちのボスの人気を上げてく方がやりがいあるんで。というわけで、支持層拡大にいかがですか、大河ドラマ武将役ゲスト出演」
「やらん」
 CMを見る前の話題に強引に戻してきた部下を一蹴したところで、視界の端に妙なものが映った。
「おい、それは?」
 事務所の隅に積み上げられていく段ボールは何だ、と問うと、運んでいたスタッフが振り返った。
「お菓子です。宣伝協力の御礼品かと」
 時折、この広報担当に粘り負けて、何かの宣伝に出ると大量にその商品が送られてくることがあるが、ここしばらくそういった仕事はしていない。
「中身は確認したか?」
「危険物チェックはしています、ただのチョコレートです」
「バレンタインにはまだかなり早いですが……?」
 箱の中身を覗きにいった広報担当が、赤いパッケージを引っ張り出して納得顔になった。
「さっき、ホークス君が出ていたCMのチョコですね」
「あの若造……!」
 問答無用で菓子を送りつけてきたと知って、何が万人に愛されるヒーローだと怒髪天を衝く。
 あれは、世にはばかる方の生き物である。

「あ、エンデヴァーさん、差し入れありがとうございましたー」
 相変わらず忙しなく全国を飛び回っているらしい憎まれっ子が、パトロール中のエンデヴァーを見つけて舞い降りてきた。
「知らん」
「なんか事務所に送られてきましたよ、缶コーヒーと菓子」
「事務方がチョコレートの礼に送ったんだろう」
「ああ、あれ」
 へらへらと笑っていた顔が、少し渋い表情になる。
 CMの中で最初にチョコレートを口に含んだ時に似た顔だが、笑顔に変わる気配はない。
「どうした?」
「いや、あのCMは失敗したなーって」
「支持率の上昇も、商品の売り上げも好調だと聞いたが?」
「あれ、エンデヴァーさん、そういう数字チェックしてるんですか?」
「うちの広報がうるさい」
 最近、No.2を引き合いに出して発奮させようという作戦に入ったらしく、毎日非常にうるさい。
 何を勘違いしているか知らないが、己の子供と同世代の若者に張り合ってイメージ商戦に打って出るわけがない。ホークスの出る広告を気にしているのは、単純に派手な色の翼や生意気な顔が目につくからである。
「貴様、売り方の方向性を変えたか?」
「そうですね、これまでは子供から大人まで、老若男女問わず絶大な人気のオールマイトさんがいて、三位に若者の憧れ正統派優等生なベストジーニストさんがいたんで。俺の売り方は隙間を縫って、言いにくいこともズバズバ言うのがカッコいいって、若い子の共感集める生意気キャラだったんですけど」
「キャラ作りじゃないだろ」
 パフォーマンスもあったのだろうが、生意気なのは素である。
「ま、一応狙い通り、同年代の人気は取れたんですけど、俺みたいな人間が最も嫌いだ、とか言われちゃうくらい、上の年代の反感も買ってたんで、ちょっと方向性変えました。今後の路線は全方位愛され系です」
 これまで支持層として切り捨てていた方面にも手を伸ばし始めたと、本人の言質をとってうなずく。
「勝手にがんばれ」
「なんで人ごとですか、エンデヴァーさんも頑張って下さいよ。もっとファンサして一緒に愛され路線目指しましょうよ!」
「向いてない」
「俺がプロデュースしますから! どんどんギャップ萌えとか出して、ファン層を広げましょうよ! 世間は可愛いエンデヴァーさんを求めてます!」
「一人でやれ」
 押しかけプロデューサーなどいらないと一蹴してもしつこく食い下がろうとしてくるが、事務所の本職にも手を焼いているというのに、よその事務所のヒーローなど相手にしていられないので、強引に話を変える。
「それで、CMに失敗したというのは?」
「あー、支持層拡大って目的自体はひとまず達成したんですけど、CMの構成にもう少し気をつけとくべきでした」
 いつもありがとう、とファンの女の子にチョコレートを渡されたヒーローが、それを口にしておいしいと笑う、菓子の宣伝としてはよくある構成だが。
「食べさせられた、あれか」
「それです」
 ありがちだと思って見落とした、とホークスが額を押さえる。
 幼い少女がしゃがみこんだ有翼のヒーローにチョコレートを食べさせる図は、絵面として非常に微笑ましいものだったが、これを現実と混同されては困るのである。
「CMでやってるからって、子供が真似して食わせようとしてくるし、いい大人でもごねるのがいるし」
 ホークスはファンサービスが手厚いタイプのヒーローなので、尚更だろう。
 しかし、さすがに食品は不用意に口にできない。何が混入されているか分からないし、過激なファンや、彼に恨みを抱く敵もいる。
 通常ならば、食品は受け取れないと断れるだろうが、全国区で流れるCMで堂々とファンの子供が菓子を手ずから食べさせる光景を描いてしまったのである。
 テレビと現実は違うのだ、という線引きができないファンが不満を抱くのは想像に難くない。
「ヘイト溜めずに断るのが、めちゃくちゃ大変で」
 おかげで最近地上を歩いていない、と慨嘆する。
「あー! ウソ! ホークスだ、マジ!?」
「うわ、レア! 飛んでない!」
 言った端から、空を飛んでまで避けていた事態の方が舞い込んでくる。
 女子高校生の集団が騒ぎながら突進してきて、はたと横に立つエンデヴァーの存在に気付いて一瞬足を緩めたが、大きく迂回してホークスを取り囲んだ。
 自身の感情と欲求に、実に素直な年頃である。
「ねえねえ、ホークス! アタシ、あの愛されカカオちょーど買ったんだ、箱にサインしてサイン」
「ってか、あれやって、アマッ、ウマッてやつ!」
 図ったように忌避したい流れに向かっていく様を見て、当人が捌けないようなら、好感度が下がることを気にしない自分が彼女達を追い散らすべきか算段する。支持率を上げる努力をしろと、プロデューサー気取りの若者は文句を言うだろうが、どうでもよい。
 チョコレートの個包装を破って、爪を派手な色に染めた指先で摘んで男の口元に持っていくが、その手は口の前で交差した人差し指に阻まれた。
「イリマセン」
「えー、なんでー?」
「打ち合わせ中の試食と、撮影中の大量リテイクで俺のチョコ許容量をオーバーしました。今月中はこれ以上食べられません。しかもうちの事務所には今、山のようにこのチョコが積まれてるので、この前そこのエンデヴァーさんの事務所にも大量に送りつけたけど、まだ残ってマス。むしろあげるから持ってって」
 上着のポケットから一つかみチョコレートを取り出して少女達に配る。
「仕方ないなー、来月なら食べてくれるのー?」
「来月になると、もうバレンタインのチョコが送られてくるから」
「あー、あげるあげる! バレンタインは東京来る?」
「わかんないから、くれるなら送って。公安本部に俺宛で送ってくれたら、なんかチョコの数がランキングに反映されるから」
「え、マジ? コーアンってどこ? 直で行っていい?」
「んー、なんか目つきと態度の悪いおっさんが多いから勧めない。ネットで『ヒーロー、公安、バレンタイン』とか検索すっと、送り先の住所出るよ」
「分かったー、送るねー!」
 それぞれチョコレートとサインをもらって、機嫌よく手を振って立ち去った女子高生達にひらひらと手を振って見せ、ホークスは肩をすくめた。
「ね、大変でしょ?」
「今、どこに大変な要素があった?」
 都合よく女子高生を転がして、バレンタインの人気まで確保した上に、集計と報告の手間が発生する自分の事務所宛てでなく、公安本部に送るという認識まで植え付けて帰した手際は、ほとんど詐欺を黙認した気分である。
「えー、横でエンデヴァーさんが、面倒になったら威圧して追い散らそうって顔してるから、めっちゃ急いでお帰り願ったんですよ。余裕あればエンデヴァーさんのチョコも確保したかったのに」
「いらん、始末に困る」
「始末とか言わんでください」
 No.1が人気を軽んじる、とぼやくのを黙殺する。
「ところでエンデヴァーさん、あのチョコ食いました?」
 反応がないと見て、ホークスはころりと話題を変えた。こういうところが実に胡散臭い。
「いや、俺はチョコレートは食わん、スタッフが食べている」
「あれ、チョコ嫌いでした?」
 甘いものをそこまで好むわけではないが、嫌いという程でもない。
 ただ、チョコレートに関しては少し事情が異なる。
「チョコレートは、溶ける」
「……そりゃ溶けますけども。火、消しましょ?」
「消しても溶ける」
 チョコレートとは触るだけで柔らかく形を変え、手をべったりと汚すもの、というイメージしかないので、苦手な菓子である。
「エンデヴァーさん、個性使ってなくても体温高いんですかね。このチョコ、冬季限定だし、確かにちょっと溶けやすいんですよね」
 言いながら、グローブを外したホークスが、上着のポケットからまたチョコレートを掴みだして、個包装を破った。
「はい、どうぞ」
 差し出された菓子を胡乱げに見下ろすが、胡散臭い笑顔は微塵も揺るがない。
 引く気はないと見て取って、こんなところで無駄にこの掴み所に困る若造と張り合っても仕方ないと諦める。
 これまで、意地の張り合いで引くことも、譲ることもなく、ヒーロー活動を行ってきたが、ここにきて様相が変わってきたのは、想定していなかった形でNo.1の立場に立つことになったからなのか、単純にこのNo.2が己の埒外にあるためなのかの判別がつかない。
「エンデヴァーさん」
 にこりと笑う圧が増して、渋々と口を開くと、他人の手にあったため珍しく硬度を保ったままの菓子が押し込まれた。
 舌の上でたちまち蕩けた甘味に、眉間に皺を刻む。
「甘い」
 チョコレートとはこういう味だった、と思い出しはしたが、それ以上の感想もない。
「そこ、美味いって笑って、ギャップでキュン死からのファン層拡大狙うとこなんですけど」
 これと会話をしていると、ところどころの単語の意味が全く理解できないのだが、全般的に戯言に過ぎないと知っているので聞き流す。
「必要ない。笑った程度で上下する程度の支持率なんぞ、犯罪抑止には関係ない」
「まーたそういう……」
 何やらまた囀りかけたNo.2の頭の上に手を置いて黙らせる。
「貴様も、別にそんな数字を背負う必要はないんだぞ」
 掌の下で、一瞬ひどく無防備な子供のような顔をした青年が、一呼吸置いて抗議を始めた。
「No.1がそんなだから、俺がガラでもない愛されキャラ引き受けてんじゃないですかー」
「頼んどらん。それに、別にキャラを作っているわけじゃないだろ」
 何度も言わせるな、と嘆息する。
 不遜極まりなく小賢しくて生意気で、その上実に胡散臭いにもかかわらず、なんだかんだと愛されているのは、単純にそういう資質なだけである。
 忌々しいことに、この子供は似ても似つかないくせに、時折、あの笑い続けたヒーローに似ている。