番外:8月8日に恋をした<東堂尽八>
せーの、とタイミングを合わせた割に、結局声はバラバラになった。
呼びかけも同学年は苗字呼びと名前呼びが半々で、下級生達がそれにまたバラバラに敬称を付ける。祝いの言葉も何の打ち合わせもしてなかったのか、日本語と英語が入り混じった。更に鳴らしすぎたクラッカーの破裂音まで加わって、もはやただの騒音だ。
常にかまびすしい東堂には、似合いの誕生日祝いと言えなくもない。
部室のドアを開けた瞬間に浴びせかけられた火薬の臭いのする紙吹雪と誕生日祝いの言葉に、相当に驚いたらしい東堂はしばらく呆然と立ち尽くしていた。反応を待っている部員達が少し戸惑いを見せるくらいの時間を置いて、ようやく部員達が誕生日のサプライズパーティを仕掛けてきたことを理解したらしい。強張っていた表情がゆるりと解けて、深く笑む。
驚いたと笑う東堂を、ケーキを用意したテーブルまで部員達が引っ張って行く間に、紙の王冠だの馬鹿げたフレーズの書かれたタスキだの、折り紙の輪で作った鎖などが加味されて、いつも以上にふざけた見た目になった。
そんな東堂を横目に、クラッカーの空筒と散らばった紙テープを拾い集めていた荒北は、とうとう無視しきれなくなって舌打ちした。十八本の蝋燭を差したケーキを前に、火を点ける道具がないと、今更慌てている下級生達を見ながら笑っている東堂の顔が気に食わない。
「……ンだよ、その顔は……!」
拾い集めた紙屑をごみ箱に叩きこみ、山神様などと書かれたたすきを掴んで引っ張る。
「どうした、荒北?」
誕生日の主役ということで鷹揚な気分なのか、乱暴に引っ張ってもいつものように怒り出すことなく、かさりと笑う。
正確には、乾いた音を立てたのは首に巻かれた折り紙の輪飾りだったが、その笑顔もどこか干からびていた。
「ちょっと面貸せ」
話があると引っ張れば、一年の頃だったら大慌てで周囲が止めただろうが、二人のやり合いに慣れた今では誰も焦らない。東堂も素直についてきたので、連れ出している間にライターかマッチを探して来いと下級生に指示して部室を出る。
苛々と歩を進めれば、普段なら引っ張る手が痛いだの、何の用だなどと喚くはずの東堂は何も言わずについてきて、代わりに折り紙で作った鎖がかさかさと鳴った。
金色の紙の王冠と、紙の鎖に使われた銀色の折り紙が夏の陽光をきらきらと反射するのを目の端に捉えて、七夕飾りのようだと埒もないことを考える。
インターハイの優勝祈願と称して、東堂が部室に大きな笹を用意したのは先月のことだった。竹なんか持ち込むなと怒鳴った荒北に、竹と笹の違いも分からないのかなどと的外れなポイントで怒った東堂と、くだらない言い争いをした。未だに違いはよく分からない。
東堂も竹のような人間なので、余計に七夕飾りのような印象が拭えない。
真っ直ぐで、しなやかで折れない。打てばよく響くところを見るに、中身は空っぽなのだと思っているが、少なくとも、荒北の知る東堂尽八という男はこんな干からびたような空虚な笑い方をしない。
「ナニあった?」
「荒北?」
クラブ棟から十分に離れて、校舎の影に回ってから切り出すと、不思議そうな顔で少し上背のある荒北を見上げる。
何を言っているのか分からないと言いたげな表情は自然だが、そもそも態度の選択を間違っている。荒北と東堂の関係ならば、ここまで引っ張って来られる間に怒ってみせるのが正解だ。
全く普段通りに振る舞えていないくせに、ごまかせると思っていることに腹が立つ。
「ブサイクな顔してんじゃねェよ」
「オレのどこが……!」
いつも通りにいきり立ってみせようとして、東堂は途中で失速した。
「……巻ちゃんが」
結局またそれか、と荒北は苦々しく舌打ちしかけ、ふと違和感を覚えた。
東堂のライバルに対する、少々異常な程の執心は周知のもので、誰も聞いていなくとも総北高校のクライマーについて熱弁をふるう病癖は今更だ。
だが、巻島裕介という男について語る際、東堂は満たされた顔をするのが常で、こんなごっそりと何かが欠けたような表情をしているのを見たことがない。一度だけ大きく崩れたのは、先日のインターハイの一日目のことだったが、あの時はライバルとの勝負が反古となりかけたことに対する焦慮と混乱で満たされていた。
「……どうした?」
改めて問うと、のろのろと東堂が続きを口にした。
「イギリスに行くって」
「……ヘェ?」
それがどうした、というのが第一印象だった。夏休みの残りを旅行にでも使うということなのか、そういえば東堂からだだ漏れする巻島の個人情報の中には金持ちという要項もあったな、などと思い、受験生だろうに余裕綽々なのは既に推薦でも決めているのだろうかと考える。
「九月から、向こうの大学に入るんだって……」
「は?」
既に入学を決めていたと聞かされても、一瞬意味が理解できない。伝えている東堂自身もよく理解できていないようだった。
「留学するってことか?」
たぶん、と自信のなさそうな顔でうなずく東堂がらしくない。
「総北でやってる、交換留学とかそういうの?」
違う、と首を横に振る。
「イギリスの大学に進学するって……、もう、日本に戻ってくるか分からないと……」
「……聞いてなかったの?」
わざわざ確認するまでもなく、その呆然とした顔で知れた。
東堂の過ぎた好意はそこまで一方通行というわけではなく、お互い認め合った関係だったはずだが、その別離を伴う進路を巻島は今の今まで秘していたらしい。
さほど彼のことを知るわけではないが、周囲に何を言われようと自分のスタイルを突き通す性格と、その分対人関係が苦手で口下手なところがあるのは知っている。インターハイの勝負まではあえて黙っていたのだろうし、それ以降は言うタイミングを逃し続けていたのではないかと思われる。
「さっき?」
昼頃まではいつも通りだった。夏休み中だというのに、わざわざ誕生日のプレゼントを渡しにくるファンの対応をして、部員達の祝いはないのかとチラチラ見てくるのを、夕方まで隠し通せという福富のオーダーに従って、部員達がスルーし続けていたので、だんだん不安そうにはなっていたが、先程まではこんな顔はしていなかった。
こくりとうなずいた東堂に、何も今日でなくてもよかっただろうと嘆息する。
わざとではないだろうが、東堂が電話で巻島に誕生日の主張をしていたのを横で聞いている。巻島の誕生日が七月七日、東堂が一ヶ月後で八月八日。揃えたようだ、運命だなどと喚いていて、関係ない荒北が覚えてしまったくらいだというのに、聞いていなかったのか、失念したのか、今日このタイミングで別れを告げてくれたものらしい。
電話がかかってきた時に、東堂が期待したのはライバルからの誕生祝いの言葉だろうから、一気に叩き落とされた気分だろう。
「で?」
こういった時、新開ならば親身に寄り添ってやるのだろうが、生憎と荒北はそういった優しさを持ち合わせていない。
突き放した声音で問うと、空っぽだった瞳が揺れた。
「……分からない」
かさかさと、紙の鎖が八月の風に吹かれて音を立てる。
「分かった、と言って、電話を切った。でも、よく分からない。もっと他に言わなくちゃいけなかったと思うんだが……、何も考えられない」
「だろーネ」
茫然自失を絵に描いたような顔をして、誕生日祝いで身を飾りたてている様は滑稽で、哀れだった。
どうやら本人は理解していないようだが、要するに東堂は失恋したのだ。
ライバルに向ける度の過ぎた感情を同性愛ではないかと揶揄されては、そんな不純な感情ではないとムキになって反論している姿を時折見たが、東堂に向ける執心をとっくに恋と見定めた荒北からすれば、それは単純に気づいていないだけのことだ。
荒北のように諦めて認めてしまえば、それは恋でしかなかった。
定まる前の感情があっさりと散らされて、その喪失感に呆然としている。それだけのことだ。
じり、と焼ける感触に視線を落とすと、校舎が作る鋭利な直線の影からわずかにはみ出した左手の甲がじわじわと焦がされていた。日陰ではあるが、熱された空気は息苦しい。
ぽた、と水滴の落ちる音に目を上げれば、危惧していたような涙ではなく、熱気にふつふつと浮いた汗が頬の輪郭に沿って伝い落ちていた。涙に似た軌道を辿る水滴を指で拭って、表情の欠落した顔を掌で覆う。
拭ってやったばかりなのに、掌を濡らす感触に手を除ければ、くしゃりと歪んだ顔がそこにある。
「ヒッデェ面」
「っせえ!」
年相応の悪態を吐いて荒北のジャージを握りしめた東堂が、引き寄せた荒北の肩口に泣き濡れた顔を埋める。
「人のジャージで顔拭かないでくれるゥ?」
文句をつけると、ぐりぐりと顔を押しつけるようにされて、少し身を屈めた中途半端な体勢のまま荒北は嘆息した。
暑い。
時折小さく嗚咽を漏らして揺れる背に触れかけて、かさりと乾いた紙の輪に触れてその手を止める。長く作りすぎたのだろう、何重にも巻かれた紙の鎖は、熱風に煽られてたなびいては乾いた音を鳴らす。
数字の8を連ねたようなその影が、校舎の影からはみだして踊るように揺れるのをしばらく眺めて、中途半端な姿勢のまま荒北は東堂が泣きやむのを待った。
「なァ、東堂ォ。暑いンだけどォ?」
「奇遇だな、オレもだ」
「じゃあ離れてくんナァイ?」
「イヤだ、こんなみっともない顔を人様に晒せるか」
「オレにはいいのかヨ」
「荒北だからな」
どういう意味だと問えば、非常に腹立つ答えしか返ってこないと分かっているので、わざわざ聞かず、首を傾けてその耳元に口を寄せる。
「好きだ」
反応は面白いほどに顕著で、がばりと顔を上げた東堂に頭突きを喰らわないようにのけぞった荒北は、にやりと笑ってみせた。
「止まったァ?」
「しゃっくりじゃない!」
真っ赤になって怒った東堂が振り回した拳を避けて、山神と書かれたたすきを引っ張る。怒ってみせられるようなら、もう問題ないだろう。
「そろそろ戻らねェと、ケーキだめになるんじゃね?」
皆が待っていると示唆すれば、少し落ち着いたのか素直にうなずく。
「荒北、その……お前には、いつもカッコ悪いところばかり見せてしまうな……」
「いや、前も言ったけど、お前は大体いつでもカッコ悪ィからァ」
「そんなことはないな!?」
殊勝な態度をたちまちかなぐり捨てた東堂に、元気になったようだと小さく笑えば、東堂も微笑んだ。
「……荒北、ありがとう」
「何がァ?」
礼を素直に受け取る性格でもないし、そもそも他の誰にも揺らいだ東堂を引きずり戻す役を譲ってやる気のない、狭量な独占欲など、礼を言われるようなものではない。
そっぽを向いて部室に向かって歩き出すと、かさかさと紙の鳴る音がついてくる。
「なぁ、荒北。お前、オレのことが好きだったのか?」
「バァカ」
「バカではないな!」
怒声はくぐもって背中に直接響いた。
背に当たる感触から、また東堂が頭を預けてきたと知って、口では暑いと文句を言う。
「だからこんな顔を人前に晒せるか。顔洗うから水飲み場に寄ってけ」
「ヘイヘイ、お誕生日様」
「ヘイは一回!」
「ヘイヘイヘイ」
一回増やして答えた荒北は、そのまま振り向かずに、肩にかけていた鮮やかなエメラルドグリーンのタオルを引き抜いて背後の東堂の頭の上に落とした。
「やる」
「……何で?」
泣いているからに決まっているが、どうにもそれでは納得しなさそうだったので、仕方なく言い換えた。
「誕生日プレゼント」
「……もらっといてやる」
振り向くと、また泣き顔を見る羽目になるのだろう、他の男に泣かされた顔など見たくもなかった。
どうせ、東堂は先の言葉を、ひとかけらも本気にしていない。
巻島裕介という、東堂の心のほとんどを占める男の別離の言葉より強い言葉を他に思いつかなかっただけのことで、恋心を告げてみたところで言葉はあっさり負けた。そんなことは最初から分かっていたから、ごまかした。
「振り向いたら、オレが泣くっつーの」
口の中にこもらせたぼやきは、かさかさと鳴る折り紙の輪にかき消された。
結局、荒北は部室に戻るまで一度たりとも振り向かず、背に押しつけられた東堂の顔の熱を、泣いているから、または八月の暑熱のためと理解したが。
そのため、その時に空色をしたタオルの下で、東堂がどんな顔色をしていたか、荒北が知ることはついになかった。
