Lesson 7
気づくと、馬鹿二人が手を繋いでしずしずと歩み寄ってきていた。
何かやらかすつもりだ、と警戒を強めた荒北だったが、新開と東堂の行動の予測はつかない。
睨む荒北の凶悪な面相に怯みもせず、まっすぐに荒北を見据えた二人は、繋いだ手をゆっくりと持ち上げた。
「「バルス」」
日本人の大半が知っている滅びの呪文と共に、繋いだ手を開いた次の瞬間、手にしていたペットボトルから炭酸が噴き上がった。
俗にメントスガイザーと呼ばれる、多孔質の砂糖菓子を炭酸飲料に放り込むと、一気に炭酸ガスを発生し大量の泡を噴き出す現象である。
どうやら、この馬鹿二人は荒北の手にしていたペットボトルにラムネを放り込んでくれたものらしい。
「てめェらァッ!」
一気に減ったペットボトルの中身と、噴出した泡を被ったことに激怒した荒北が声を荒げると、加害者達はゲラゲラと笑いながら逃げ惑った。
狭い部室内のことなので、捕まえるのはそれほど難しくはない。
とりあえず、カチューシャをしたお調子者を羽交い締めにして、その白いジャンパーでべたべたになった手を拭うと悲鳴が上がる。
「何をする! なんてヒドい奴だ!」
「今、ヒドいとか言ったか!」
人の飲み物を台無しにし、上着にぶちまけてくれたのは誰だと締め上げると、じたばたと暴れながら謝罪する。
「悪かった! ほんの出来心だったんだ! 痛い痛い痛い!」
「ゴメンで済むなら警察いらねーンだよ!」
「さすが荒北、絵に描いたようなチンピラ語彙だ……痛い! 待て、本当に痛い! スマン、本当に悪かった!」
腕に力を込めると、たちまち降参した東堂がきゃんきゃんと泣き喚く。
「荒北ぁっ! 何ふざけてるっ!」
「オレっすか!?」
騒ぐ三年達に監督から叱責の声が上がったが、噛みつくように叫び返した荒北に、振り返って部室の惨状を目にした指導監督は、荒北をまっすぐに見やって、一つ嘆息した。
「今日一日、東堂と新開に掃除と洗濯させろ。今日は自転車乗せるな。機材も使わせるな。体力有り余ってるようだし、自分の足でランニングでもさせろ」
「ィッス」
短く応じて、しまった、という顔をした東堂と新開の頭に拳骨を落とす。
「片付けろ」
短く命じると、副主将とエーススプリンターはしゅんとして、素直に掃除用具を取りに行った。
「一年、今日は掃除洗濯係アイツらだから、全部やらせろ。東堂、新開! 雑用終わったら、お前らの今日のメニュー書き出しとくから、全部消化しろ、いいな!?」
適当にその辺のメモを破り取って書き連ねた筋トレメニューを机に叩きつけると、べたつく手や顔をどうにかするために荒々しい足取りで部室を出る。
「スゲエ、さすが荒北さん!」
「新開さんと東堂さんの最凶タッグ、どうにかできんの、荒北さんだけだよなあ……」
背に聞こえてくる畏敬の台詞に頭が痛い。
二年前は、どちらかと言えば問題児は荒北の方で、福富はともかく東堂がその監督をしていたと言っても今では誰も信じないだろう。
「っとにあの馬鹿ども……」
放置するとろくなことを思いつかない、と愚痴りながら行きがけに汚れた上着を脱ぎ捨てて洗濯機に放りかけ、気を変えた。
「東堂」
一声呼んで、警戒しながら近づいてきた東堂に手を伸ばし、先程その背中で手を拭ったために茶色く汚れている東堂のジャンパーも剥いで己のと一緒にして押しつけた。
「洗え」
「亭主か!」
「お前みたいな面倒くさい嫁はいらねェよ」
「何を言う、この美形を捕まえて……!」
ご自慢の美貌は頬を摘んで歪めることで黙らせた。
「洗え、掃除しろ、終わったら一日自分の足で走り込め。終わったら新しくベプシ買ってこい。いいな?」
凄むと、これ以上逆らうのは得策でないと判断したのか、こくこくとうなずくのを確認して踵を返す。
後輩達の間で再度、すごい、という声が上がるのは黙殺した。
練習前に馬鹿をやらかしたので、一日筋トレをやらされることになった東堂だったが、一緒に罰則を喰らったのが新開だったため、ギャラリーには大満足だったようである。
ただ走らされているだけなのに、黄色い悲鳴と声援が上がるのだから馬鹿馬鹿しい。
「東堂さんって、マジでファンクラブあるからスゲーッスよね……」
呆れ半分、羨望半分の声を上げて、一年がしみじみとその様子を眺めやる。
「しかもスゲーしっかり組織だってるっつーか」
「あー、昔は酷かったけど、今はお行儀よくなったねェ、あの子達」
一部のファンがマネージャーと入部してきて、他の部員とトラブルを起こしたこともあったが、その後何やら東堂も対策を取ったようで、今では非常に統制の取れたファンと学園アイドルという円満な関係を築いている。
東堂が調子に乗ることと、本当にあの男の何がいいのかと問いたくなること以外は、特に不満はない。
「オレ、女の子に差し入れとかしてもらったことねーっす……」
「欲しーかァ? 面倒だろ」
「欲しいっすよ! 何すか、荒北さん、何でいつもそんな余裕なんすか。実は彼女いるんすか!」
「いねーよ」
単純に、東堂のファンクラブに対する細やかなサービスや、新開のグルーピー間の諍いなどを見ていると、羨ましさよりも面倒さが勝るだけである。
今日も今日とて、何やら菓子の包みを渡された東堂が、色々と調子のいいファンサービスを振りまいてようやく戻ってくるのを見るだけで辟易とする。
手にしているのは小さな花束と、セロハンの袋で、袋の方を広げながらこちらに向けてきた笑顔で中身は知れた。
「荒北」
「あ」
もうハンガーノックでへたばる初心者ではないというのに、東堂は今でも手元にラムネがあると荒北に食べさせなければならないと思い込んでいる節がある。
抵抗するだけ無駄なので、おとなしく口を開けると、楽しげに砂糖菓子を詰め込まれた。
「多い!」
食べ物で遊ぶな、とカチューシャ頭を張り飛ばし、口の中いっぱいのラムネを噛み砕く。
元々、東堂自身も補給食にラムネを使っているので、差し入れ率が高く、こういったことがしばしば起きるのが非常に迷惑である。
「あ、ベプシ忘れてたな」
「買ってこいよ」
「分かった分かった。今日はこの後フクと監督で打ち合わせがあるから、その後で買っといて寮の冷蔵庫入れとく」
安請け合いをして、東堂は荒北の口にまた砂糖菓子を放り込むと立ち上がった。
「東堂ォ、冷蔵庫のベプシ、お前が買ってきたやつ?」
「見れば分かるだろう」
開封せずに部屋まで持ってきて確認した荒北に、ベッドの上に寝転がって携帯を片手に長文メールを打っていた東堂があっさりと応じた。
「名前書いとけよ、分かんねーし、誰かに飲まれっかもしれねーだろ」
「この寮で冷蔵庫にベプシが入っていて、勝手に飲む度胸のある馬鹿はいないと思うが」
「新開」
「…………その場合、名前が書いてあっても飲むし、構ってのサインだぞ」
「構いたくねーよ!」
どいつもこいつも、と毒づきながら、勝手に室内に入り込んだ荒北は、いつも通りきっちりとベッドメイクされた上にどっかりと座り込み、プルタブを開けた。
「くつろぐな」
「今、お前んとこに雑誌集まってんだろ」
自転車雑誌や漫画雑誌等、皆で買って回し読みしていくので、そういうこともある。完全に読んでいく体勢に入った荒北に、それ以上文句をつけず、東堂も携帯に向き直った。
「ラムネ、食べるか?」
「いらね」
「ラムネを食べた後にベプシを飲むと大変なことになるという都市伝説があるんだが」
「東堂、ベプシ飲みたいか?」
口調は普段通りのまま、顎を掴んだ荒北に自分の身体で実験されかねないと理解した東堂が慌てて謝罪する。
「チョコとクッキーとマシュマロもあるが」
「新開にやれ」
あの後また差し入れられたのか、机の上に可愛らしいラッピングの袋が増えている。
ちらりとその様子に目を走らせ、その横に活けられた花に目を留める。
「ああ、もらったんだ」
「知ってる」
小さな花束を手にしているのは先程見た。気にしたのは、瓶の方である。
薄青い、レトロな形状のガラス瓶だ。
「ふーん」
「………………出てけ」
「別に何も言ってねーだろ!」
「っせぇ、出てけ!」
すっかり口と足癖の悪くなった東堂にベッドから蹴落とされ、部屋から追い出されて鍵まで掛けられた。
「お、痴話喧嘩か?」
「ぶっ殺すぞ、新開」
通りすがりにいらないことを言ってくるチームメイトを睨むが、このままだと明日以降に引きずって機嫌を損ねることも知っている。
「東堂ォ」
『黙れ』
「ラムネ飲む?」
猫撫で声を出すと、一瞬ドアの向こうが沈黙した。
『…………お前、本当にラムネさえ用意すればオレの機嫌が取れると思うなよ』
機嫌を取ろうとしたという事実に、単純に喜ぶのは東堂の方である。
おかげで、寮の共有冷蔵庫には無記名のラムネ瓶が常備されており、寮生はたとえ新開でもそれだけには絶対に手を付けない。
「飲む?」
『…………飲む』
いつもながら、山神は岩戸に籠もってもチョロい。
口にすると更に拗れるので、賢明に沈黙を保って冷蔵庫に向かう。もはや、この二年間で何本目の奉納になるか分からないラムネだが、把握しようと思えばできる。
東堂が机の引き出しの中に貯め込んでいるビー玉の数を数えれば良いだけの話だが、その存在を知っていることが知られるとまたひどく機嫌を損ねるので、今のところ挑戦するつもりはない。
