エスカレシ

「エスカレーターのカップルのあれは、なんなんだろうな?」
 唐突に言い出した東堂に、一緒に買い出しに出てきた面々はそれぞれの反応を示した。
 また馬鹿なことを言い出した、と顔をしかめたのが荒北、表情を変えずに僅かに首を捻って、言いたいことが理解できないと示すのが福富、にやりと笑って話題に乗るのが新開である。
「アレって?」
 相手にするな、と睨む荒北の目を無視して問うと、東堂は駅のエスカレーターを示した。
「ああいうカップルだ」
「指すなっての」
 荒北の苦々しい声は無視してその指の先を追えば、若い男女が向かい合って上方に運ばれていくのが見えた。
「ああ、よくいるよな」
 世に言うラブラブカップルである。少しでも時間があれば抱き合いたいのだろう、先に乗った彼女が反対向きに立ち、彼氏の肩に手を乗せ、下段に立った彼氏の方は彼女の腰に手を回している。そのままお互いに見つめ合ってエスカレーターに自動的に運ばれていく姿は、さほど珍しい光景ではないが、改めて見るとなかなかシュールな気もする。
「ただのイチャイチャしてるカップルだろ?」
「あれ、必ず女子が先に乗るだろう? 何か決まりでもあるんだろうか?」
 何が疑問なのかと問えば、大真面目に返ってくる。
「……確かに」
「福ちゃん、そんな納得するよーなことじゃないから。単に身長の問題だっつーの。男が先に乗ったら抱き合いにくくなんだろ」
 一般的には彼氏の方が背が高いので、それに更にエスカレーターの段差が加わるとなると、差が更に広がって抱き合うのに支障が出るだけの話である。
「じゃあ、男の方が身長が低いカップルの場合は、男が先に乗ったりするんだろうか?」
「するかもな。あれ、いつもと身長差が変わるのが楽しいんだろうし」
「楽しいのか?」
「楽しいからやってんじゃね? いつもと高さが違って目が合いやすいとか、そーいうのだろ」
 適当なことを言う新開に、東堂がうなずいた。
「やってみよう、隼人」
「いいよ」
 馬鹿二人が馬鹿なことを言い合って、エスカレーターの方に向かっていく。
「アホか!」
 まず意気揚々とエスカレーターに乗り込んだ東堂に続いて新開が乗ろうとするのを、首根っこを掴んで馬鹿な真似をやめさせる。
「あっ、何をする荒北!」
「バカやんなっつってンだよ! 東堂、逆走すんな!」
 彼氏役を付き合ってくれるはずだった新開が、エスカレーターに乗ってこないことに気づいた東堂が、動いているエスカレータを逆向きに下ってくるのを一喝する。引きずり下ろすのは周囲に迷惑になるので、仕方なくエスカレーターに乗り込み、数段昇って小学生のような真似をするお調子者の頭を鷲掴もうとするが、いつもならカチューシャごと握り込める頭部が遠かった。
「お、荒北が小さい」
「段差だっつーの」
 一年の頃と比べると大分身長差は縮まったが、東堂が荒北の背を越すことはなかった。当人はまだ分からないと息巻いているが、荒北も負けるつもりはない。
「っせ、チビ」
「小さくはないな!」
 反射のように言い返しはしたものの、とにかく荒北を見下ろせることにご満悦の様子で、機嫌よく荒北の頭の上に腕を預ける。
「危ねーから前向け!」
「尽八、気分は?」
「楽しいな!」
 叱る荒北を挟んで、新開と東堂がのほほんと交わした会話を聞いて、新開に続いてエスカレーターに乗った福富が疑問を呈する。
「普通のカップルは、彼女が彼氏を見下ろしたくて上に立っているわけではないと思うんだが?」
「そういう特殊な性癖の彼女もいるかもしれねーけど、普通はちょうど目線が合って、イチャイチャしやすい高さになるからな」
「合わないな!」
 荒北と東堂はそれほど身長差があるわけではないので、当然である。
 しかしエスカレーターが最頂部に差し掛かり、段差が消え始めると状況が変わった。下方にあった荒北の頭の位置が上がってきて、その上に預けていた腕が滑って肩に落ちた。
「東堂」
 不機嫌な声に名を呼ばれて、目線が上に上がっていく荒北を見上げ、エスカレーターの吸い込み口の段差に踵が当たって、そのまま後ろに倒れかける。背中から倒れこみかけたところを、ものすごい勢いで引きずり戻された。
「だから危ねーって言ってんだろが!」
 不機嫌にしかめられた顔が急に近づいて、そのまま足が宙を浮いた。肩に担ぎ上げられたと気づいたのはその背中を逆さまに見下ろしてからだった。
「あ、らきたっ!」
「暴れんな!」
 一喝され、足をばたつかせるのをやめて、そのTシャツの背を掴んだ。
 下手に暴れて、二人してエスカレーターを転げ落ちる羽目になったら目も当てられない。
 身が揺れて、エスカレーターから降りたのだろうと判断するが、どうやら信用がないらしく、怒りの伝わる足取りが八歩を数えてから、ようやく降ろされて地面に足が着いた。
「っとにお前は! ヤると思ったよ!」
 ガツンと頭部に拳骨が落とされ、カチューシャが頭に食い込んで痛いが、文句は言わずにおとなしく謝罪する。
「……悪かった」
「だから目離せねーんだよ!」
 何かやらかした東堂に吠える荒北の姿はいつものことなので、止めにも入らずエスカレーターを降りた新開と福富は自体が収束するのを待つ体勢に入った。
「……やると思ってたんだな」
「尽八がやらかすだろーなーと思うと、絶対にカバーできる位置に入るんだよな、靖友」
「アシスト力なのか……?」
「彼氏力じゃね?」
「外野、聞こえてっからァ!」
 背後で好き勝手言う二人に、荒北は唸り声を上げた。