おもかる

「あ、東堂さんが寝てる」
 葦木場の一言に黒田が振り返ると、確かに少し前に部を引退した三年の先輩が食堂の外に置かれたテーブルに突っ伏して眠っていた。課題でも片付けていたのか、ノートを広げ、手から落ちたと思しきシャーペンが今にもテーブルから転がり落ちそうだ。
「東堂さーん、こんなとこで寝てたら風邪ひきますよ」
 一応肩に手をかけてそう呼びかけてみるが、予想通り起きそうにない。どうしたものかとチームメイトに目をやると、葦木場は両手を合わせて目を閉じていた。
「南無南無」
「拝むな」
「だって、山神が寝てるところを見つけたら、恋が叶うって噂があるんだよ!」
 色々な意味で凄いと誰もが口を揃える東堂の二つ名に、「眠れる森の美形」なるものがあるが、彼の静謐な走りを喩えたはずのそれは、学園内で別の意味で有名だ。
 一度眠ると、何があっても自ら目を覚ますまで絶対に起きないのである。
 先程は後輩として遠慮しながら揺すったが、おそらくもっと粗雑な扱いをしたところで、ぴくりとも動かなかっただろう。
 この特殊な眠り癖と、もう一つの二つ名、山神がどんな作用をしたのか、学内で眠る東堂を見かけたら恋が叶うというジンクスまであるのは確かだ。東堂尽八という男は、この箱根学園において知らぬ者のない有名人で、一種の学園アイドルのような存在なので、もう黒田としては彼がファンの間でどう崇め奉られていようが驚きはしない。
「葦木場、お前、好きな奴いんの?」
「ッ!?」
「いねーのに拝んでたのかよ!」
 天然極まりないチームメイトの高い位置にある頭をはたいて、様式美として突っ込んでから、改めて健やかに眠る東堂に目を向ける。
 秋も深まってきた時期だ。まだ日が照っているので、今のところはそれほどでもないが、もう少しすればこの辺りは建物の影に入って肌寒くなる。
 寒さに目を覚ましてくれるようならいいのだが、黒田が知る限り、東堂の異常なまでの深い眠りは、そんな生易しいものではない。
「荒北さんに知らせた方がいいのかな……」
 携帯を引っ張り出したはいいが、連絡していいものか通話ボタンに指をかけたまま躊躇する。
「あ、荒北さんだ! スゴい、電話してないのに呼べるなんて、ユキちゃんエスパー!?」
「ツッコマねえぞ、もう」
 他の誰かから通報がいったのだろう。
 苦々しい顔でこちらに向かってくる荒北は、眠る山神の回収係として周知されている。何をしても起きない東堂を、問答無用で拾っては部室か寮まで運んでいくという重労働を、文句たらたらながらも三年間やっていたというから、ご苦労なことである。
 なかなか不思議な絵面のそれは、既に学園の名物だ。
 その様子も、もう後何回展開されることになるのかと思えば感慨深いが、当人はそんな感傷的な気分とは程遠いようで、テーブルの前で足を止めると、まず半眼で眠りこける東堂を睨み、それから後輩達を振り返る。
「ご、ごめんなさい、荒北さんっ!」
「意味もなく謝んな!」
 荒北の不機嫌そうな顔に条件反射で謝罪した葦木場の背をどつき、黒田はこれ以上友人が何か口走る前に口を開いた。
「すみません、声はかけてみたんですが、東堂さん起きませんでした」
「だろーネ」
 言って、荒北は固めた拳を無造作に、東堂の頭に向かって振り下ろした。
 一瞬ひやりとするほどいい音がしたが、叩いたのは顔のすぐ横のテーブルだったようだ。プラスチック製のテーブルが大きく揺れて、微妙なバランスを保っていたシャーペンが端から転げおちたが、健やかな寝息が乱れる様子はない。
「ったく、このバカ……」
 ぼやきながら広げたノートを回収し、落ちたシャーペンを拾って横にあった鞄に適当に放り込む荒北に、今度は別の意味でひやひやする。
 後で確実にノートが折れただの、筆記用具はペンケースにしまえだの東堂が怒り出すパターンで、それに対して荒北がまた噛みつくのが恒例だ。黒田達が部活を終えて寮に戻るまでに、済ませてくれているといいのだが、夕飯時や入浴時にかち合うと大変に姦しく、他の部の寮生達からクレームが来る、非常に傍迷惑な先輩達である。
 その後に喧嘩にしかならないのなら放置すればいいものを、毎度律儀に回収にくる荒北は、学校の指定鞄を右肩に担ぐと、腕を引いて引き起こした東堂の身体を空いている方の肩に担ぎ上げる。
「おっも……」
 小柄なイメージがあるが、実は平均身長はある、運動部を引退したばかりの男子高校生だ。この強豪校で三年間鍛えた身体が軽いはずはないが、そう言う割に軽々と抱えているように見える。元々荒北は何でもないことにも不平不満の多い男なので、どこまでが本音で、どこからがただの悪態なのか判別し難い。
 本当に重いのだろうか、という疑問が顔に出ていたのか、勘の鋭い男が黒田を振り返った。
「黒田、手ェ」
「は?」
 意味が分からないまま上級生命令に従って差し出した両手に、無造作に東堂の身体が投げ落とされた。
「うっわ!」
 諸共に倒れ込みかけて、危ういところで踏みとどまる。
「重っ!?」
 全く予想していなかったのもあるのだろうが、それを差し引いても重い。
「コイツ、なんつーか中身詰まってんだよネ」
 少々分かりにくい表現だが、支えてみれば分かった。
 クライマーらしい肉付きは一見細身に見えるが、引き締まった筋肉は鋼鉄製かと思うようなずしりとした重量感がある。プラスチックのおもちゃだと思っていたら、見た目だけポップな色に塗られた鋼鉄の重りだったようなギャップだ。
 どうにも東堂自身が軽薄というか、重厚感に程遠いため、簡単に持ち上げられそうな印象があるのだが、全くそんなことはなかった。
「っていうか、スイマセン、助けて下さい……」
 何の心構えなく預けられた十八歳男子の体重をどうにか支えてはいるが、中途半端な体勢で支えたまま身動きが取れない。
「重いダロ?」
「重いです」
 一切逆らわずにうなずく。
 ここでこの重量物に意識があれば、重くはないと大騒ぎするのだろうが、今のところ目を覚ます気配はない。
「部室か寮持ってくゥ?」
「無理です」
 体勢を立て直せば運べなくはないだろうが、距離を考えれば遠慮したい重労働だ。
 毎度、校内の様々なところで行き倒れているこの荷物を、文句を言いながらよくも毎度回収しているものである。身長に比するとかなり細く見える荒北の体力に、ほとほと呆れる。
「っていうか、スイマセン、ほんと助けてください」
 ずるずると重力に引きずられて落ちていく東堂の身体を、どう扱えばいいのか始末に困って助けを求める。中腰の状態で膝で支えるようにしてその背を抱えているが、遠慮して手を添えているだけでは滑り落ちそうで怖い。
 しかし、仮にも先輩を地面に落とすわけにもいかず、さりとてしっかりと抱き留めるのも色々と抵抗がある。
「あ……!」
 ずるり、と滑った拍子に髪を留めていたカチューシャが外れて、地面を転がった。咄嗟に掴もうと手を伸ばしてしまい、完全にバランスを崩す。
 東堂を落とすわけにはいかない、と慌てて強く抱き込んで尻餅をつき、そのまま黒田は固まった。この状況でも目を覚ます様子のない東堂の顔が近い。押さえを無くした長めの黒髪がさらさらと揺れて頬をくすぐる。
 やや珍妙な印象を与えているカチューシャが無くなると、この男は自称する通り、確かに非常に整った顔をしていた。いつものくるくると変わる表情も、顔の美醜などどうでもよくなってくる大変個性的な言動も付加されていないと、ひどく無機的な印象の造形だった。
 外見は作り物めいた冷たささえ感じるのに、倒れこんだ黒田の上に乗り上げたエースクライマーの身体は柔らかく、温かく、ずっしりと重かった。
 すうすうと、子供のような寝息が襟元にかかる。
「なんか色んな意味でヤバイんで助けてください!」
 身動きできずに喚くと、荒北が一つ舌打ちして手を伸ばしてきたが、その前に東堂が眉間に皺を寄せた。
「ん……」
 まっすぐな睫毛が揺れて、不思議な風合いの瞳が茫洋と黒田を映した。
 その視界を遮る長めの前髪をかきあげながら、僅かに身を起こした東堂は、状況が把握できないのか、どこか紗のかかったような眼差しで黒田を見下ろし、ゆっくりと目を瞬かせる。
 寝起きのためか、まだどんな表情も乗っていない端正な顔は、やたらと凄みがあった。
「……黒田」
「ハイッ」
 普段より幾分低い声が名を呼んで、黒田は地面に転がったまま引きつった顔で返事をした。
「……まあいい、大体分かった」
 黒田の狼狽ぶりと、中途半端な距離でしかめっ面をしている荒北の姿を見やって、何を納得したのか、気づけば後輩と地面に転がっていた状況について子細を問わず、じろりと荒北を睨んで東堂が立ち上がった。
「見損なったぞ、荒北!」
「アァ?」
 それまで緩慢だった仕草が、背筋が伸びた瞬間いつもの調子になって、びしりと指差された荒北が大きく顔をしかめる。
「後輩を使って無防備に眠るオレの貞操を襲わせるとは、鬼畜の所業としか思えん!」
「なんかものっすごい方向にぶっ飛んだ結論を前提に話しだすのやめましょうよ、東堂さんッ!」
 目覚めてすぐに全開で思考を明後日の方向へ吹っ飛ばした東堂に、荒北が怒り出す前に黒田が泣きついた。
 その肩に東堂が両手を置き、穏やかに笑って見せた。
「いいんだ、黒田。お前の意志でないことなど分かっている。未遂で済んだのだし、お前の罪は大したことはない」
「どうしてアンタは、人の話をひとかけらも聞いちゃいないんですかぁっ!?」
「黒田ァ、お前、東堂に遊ばれてるだけだからァ」
「は……?」
 横から面倒そうに口を挟んだ荒北にぽかんとすると、東堂が横を向いて吹き出した。
「東堂さんっ!?」
「いや、目が覚めたら、男が鼻息荒くのしかかってたなら、危機感の一つも覚えるが、逆だわ、黒田は珍妙な顔して固まってるわ……、どうせ荒北にいきなり寝てるオレを押しつけられてコケたんだろう?」
 そこまで分かっていながら、黒田をからかうためだけに突拍子もないことを言い出したらしい。
「東堂さん……」
 思わず恨みがましい目を向けるが、自由な先輩は後輩の非難に頓着せず、拾い上げたカチューシャを留め直すと、改めて荒北を指し示した。
「意識のないオレの無防備な身体を、他の男の手に委ねるとは何事だ!」
 何故、そう語弊しかないような言葉を選ぶのか問いたいが、どうやら全部分かってやっている。
「ッセ! その辺で寝んなっていつも言ってんだろうが!」
「誰も迎えに来いなどと言ってないと、オレもいつも言ってるぞ! 大体、何で黒田に引き渡した!」
「黒田が東堂のこと軽そうとか思ってたから、現実教えてやったんだよ」
 嘯いた荒北に、険しい目をした東堂が黒田を振り返ってきた。
「太ってないぞ!」
「いや、太っちゃいないっすけど、東堂さん、細く見えても全部筋肉だから、見た目より重いんすよ」
 外見から判断すると相当細い印象があるだけに、実体重の負荷に驚かされる。
 その事実を述べただけだったが、東堂の非常に不可解な思考回路は、それを「隠れデブ」という単語に変換して捉えたようだった。
「重くはないな!」
「重いっつーの。お前、オレと体重大して変わんねーだろ」
「身長だって大して変わらん! それにお前は、むしろ痩せすぎだ!」
 ささやかな数字の差を大声で喚きだした二人に、黒田は嘆息し、放っておいて部室に向かっていいものかを悩んで時計に目をやった。
 引退した三年には暇な時間でも、現役の黒田達には貴重な練習時間である。いや、受験勉強で忙しいらしい荒北には暇な時間などないはずだが。
 息抜き代わりのじゃれ合いの喧嘩なのか知らないが、喧々囂々とやりあう二人から離脱する間合いを計っていると、そんな黒田の心情を全く汲まない葦木場が口を挟んだ。
「東堂さんって、そんなに重いんですか?」
「重くない!」
「だってユキちゃんが……」
「黒田! 訂正しろ、オレは重くない!」
 天然極まりない葦木場の発言に噛みついた東堂の意識が、また後輩達に戻ってきてしまい、黒田は葦木場の向こう臑を蹴り込んだ。
「痛いよ、ユキちゃん!」
「いいからお前は黙っとけ!」
 これ以上余計なことを言うな、と口を封じさせると、天然記念動物は何も言わない代わりに唐突に行動に出た。
「うわっ!?」
 問答無用で引っこ抜くようにして、先輩の両脇に手を差し入れて持ち上げた葦木場に驚いた声を上げた東堂だったが、長身の葦木場に高々と抱えあげられて、暴れるのも危険だと判断したのか、抱き上げられたおとなしい猫のような態度で後輩を見下ろした。
「東堂さん、別に重くないですよ?」
「そうだろう」
 その一言に満足したのか、不安定に吊り下げられたままうなずく姿が非常にシュールである。
「ユキちゃん、ひどいよ! 東堂さん軽いよ!」
 葦木場はあまり自転車以外の運動能力に恵まれていないが、並外れた長身にはしっかりと毎日の猛練習で鍛えあげた筋肉がついている。運動神経としては表れないが、力自体は相当強い。加えて、先程と違って今の東堂には意識がある。
 心構えなくその荷重を預けられた黒田とは、前提条件がかなり異なるのだが、そういった問題に一切頓着せず、葦木場が黒田を糾弾してくる。
「うむ、美しいオレが重いはずがない。ところで葦木場、下ろしてくれ」
 足が完全に宙に浮いた状態で東堂が要望を述べるが、葦木場は聞いていない。言うだけ無駄と早々に判断したらしく、東堂は黒田を見下ろした。
「黒田、なんとかしろ」
「……スイマセン。オラ、葦木場!」
 遠慮無く葦木場の足を蹴り込むと、驚いて手を引っ込める。
 前触れもなく宙で放り出された形になった東堂が、短い距離を落下する。
 背中からコンクリートに激突する寸前に身を滑り込ませた荒北が、傾いだ東堂の背を抱え込むと、そのまま葦木場を睨んで一喝した。
「葦木場ァッ! うちのエースクライマー怪我させたらただじゃおかねェ……!」
 噛みつきかけてから、咄嗟に庇ったチームメイトが、既に部を引退済みであり、自身もその身の上であることを思い出したらしい。
 決まり悪げに舌打ちした荒北は、抱え込んだ東堂の身体を放り捨てる。
「あ、もうカンケーねーや」
 その粗雑な扱いにカチンときたらしい東堂が、むくりと起き上がって荒北をまっすぐ指し示した。
「荒北、何だ、その態度は……? オレが部を引退したら、もう用済みとでもいうのか!」
 面倒そうに顔をしかめた荒北に、まずい、と思うが止める暇は無かった。
「たりめーだろ。もうチームじゃねーんだし、お前がアホやっても部の問題になるわけでもねーし、怪我とか体調不良とか、オレが面倒みてやる必要ねーだろ。そーいや、もうその辺で寝てるからって、クソ重い思いしてオレが拾いに行く義理もねーじゃねェか」
 またそうやって心にもないことを言う荒北に対し、ふつふつと東堂の細身から怒気が膨れ上がる気配を感じ、黒田の肝が冷える。
「オレは重くない!」
 怒りポイントは、あくまでもそこらしい。
 そして、売り言葉に買い言葉で応じる荒北も更に余計な言葉を重ねた。
「っせぇ、デブ!」
「なーっ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい! オレのせいでごめんなさいいい!」
 口論を激化させる先輩二人に、その切っ掛けとなった葦木場がパニックを起こして謝罪を喚くという修羅場に、黒田は両手で顔を覆って嘆息した。

「で、今度は何があったわけ?」
 ずしりと肩におぶさった東堂の存在を気にせず、新開はまず荒北に説明を求めたが、悪態しか戻ってこなかったので、箸の先を黒田に向けた。
 すかさず、東堂から人を箸で指さない、と説教が飛んだので、新開の背に顔を伏してはいるものの、周囲を見てはいるようだ。
「荒北さんが、東堂さんを重いと言い張りまして……」
「重くない!」
「…………靖友」
「ッセ! デブはデブだろ!」
 呆れと非難の混じった目を向けられ、意固地になった荒北が更に傷口を広げる。
「おめさん、そういう変な意地張ると後で後悔するぜ?」
「じゃあ、今お前重くねーのかよ!?」
「や、重いけど」
 食べにくいし、と言いつつも箸は止めない新開に、その背にのしかかっていた東堂が衝撃を受けた顔をした。
「あー、尽八、こっちおいでこっち」
 首から解きかけた腕を掴んで、同い年の友人を自分の膝の上に座らせた新開は、夕食のトレイから煮豆を摘んだ箸をその口に突きつけた。
「そりゃ、女の子じゃあるめーし、軽くはねえさ。でも、太ってるなんて言ってねーだろ。変に痩せようとか思うんじゃねぇぞ。おめさん、見た目はすげぇ細いんだし、脂肪率も相当低いだろ。変な食事制限したら身体壊すからな。ほら、あーん」
 女子ではないと言いながら、さながら彼女のダイエットを制する彼氏のような言動である。まだ少し納得いかない表情ながらも、東堂も駄々を捏ねず友人の膝に腰掛けたまま口を開けた。
「美味しい?」
「ん」
 その体勢とやりとりに疑問はないのかと突っ込みたいが、この二人は昔から平然とこういうことをしているので、言うだけ無駄である。
「な、後悔しただろ?」
「してねーよ! ナニがだよ!」
 東堂の口に豆を放り込んだ箸で指された荒北が苛立った声を上げると、何の騒ぎだ、と少し遅れて食堂にやってきた福富がトレイを手にやってきた。
「フク! 聞いてくれ!」
「聞かなくていいから、福ちゃん!」
 同時に声を荒げた二人を見下ろし、福富は新開に目を向ける。
「尽八が重いって靖友が言うから、尽八が拗ねてる」
 友人の説明を聞き、福富は首を捻って東堂を見下ろした。
「もう少し筋肉をつけてもいいくらいだと思うが?」
「オレとしてはこれがベスト体重だと思っているんだがな」
 真顔での意見に、東堂も生真面目に返しながら両手を福富に向けて差し伸べた。
「…………東堂?」
「抱っこ」
 きっぱりと要求した東堂に、しばらく考え込んだ福富は、東堂を膝に乗せたままにやにや笑っている新開と、もはや一切関わらないとばかりに夕食をかき込んでいる荒北に目を向け、黒田にも視線を転じたが、どんな意見もないと強く首を横に振ってみせれば、諦めたように嘆息して福富はトレイをテーブルの上に置いた。
 大真面目な顔で東堂の両脇に手を差し入れて抱え上げた福富は、その掴んだ脇の厚みに眉をひそめた。
「……やはり、もう少し筋肉をつけてもいいんじゃないか?」
「そうか?」
 吊されたまま首を捻った東堂は、地に足を付けると嬉しげに笑った。
「つまり、オレは重くはないということだな!」
「いや、重いが」
 新開と同様に、そこは否定しなかった福富に、東堂が愕然とした顔をする。
「だから東堂さん、前提が間違ってんすよ! 東堂さん、いくら細く見えても六〇キロ前後はありますよね? スポーツ選手として軽い方でも、普通に六〇キロのウエイトって軽いもんじゃないでしょーが。そーいう意味ですから!」
 その隙に黒田は説得を試みるが、重いと言われたことにショックを受けている東堂の耳に届いているかは怪しい。
「それに、東堂は見た目より重いからな」
 更に追い打ちをかけるように、福富が余計なことを言う。
 実際、外見で予想するより重量感があって驚かされるのだが、今ここでそれを言っても面倒になるだけである。
 それに遅まきながら気づいたらしい福富が、フォローのつもりなのか、妙なことを言い出した。
「東堂は、伏見稲荷のあれに似ている」
「……伏見?」
 その単語は、先のインハイで脅威となった京都の高校の名を彷彿とさせたが、稲荷と付けば京都伏見にある稲荷神社の総本宮である。無数の赤い鳥居が並ぶ不思議な空間は、黒田も中学時代に修学旅行で体感した覚えがある。
 言葉がやや足りない福富の言いたいことを察した新開が、なるほど、とうなずいた。
「あの石か」
「ああ」
 二人の間では通じても、周りで聞いている者にとっては全く意味が分からない。
 周囲の説明を求める空気を読んで、新開が言葉を足した。
「京都に伏見稲荷って神社があってさ、中学ん時に行ったんだけど」
 神奈川の公立中学は基本的に京都、奈良に修学旅行に行くため、同じ中学出身の福富と新開も修学旅行で神社を訪れたものらしい。
「そこに願い事が叶うかどうか分かる石ってのがあって、それに尽八が似てる」
「……何がだ?」
 石と自身の相似性について、当人は全く理解できなかったようだったが、黒田はその石の存在を思い出してつい納得した。
「ああ、似てます。おもかる石」
「形がか?」
「いえ、灯籠の上に置いてある丸い石なんすけど。願い事考えながらそれ持ち上げて、思ってたより軽かったら願い事が叶って、重いと叶わないっていう」
「で、重いんだよ、それ」
「予想よりかなり重い」
 黒田、新開、福富が口々に言葉を重ねて、東堂が今ひとつ納得のいかない顔で首を捻る。
「それの何がオレに似てると?」
 予想したより重いところだ、と口を揃えられて、東堂が渋い顔をした。
「石だし、軽いとは思っちゃいないんだけど、予想以上に重いんだよな」
「でかくはないんすけど、重量感パないんすよ」
「似ている」
「…………つまり、皆オレが重いと言いたいんだな?」
 しまった、と思うが、もう遅い。
 完全にへそを曲げた東堂に周囲が苦心する中、我関せずと食事を終えた荒北が空の食器を下げに立ち上がり、さっさと食堂を後にした。

「……で、何、この状況?」
「靖友が『尽八は軽いな、羽が生えてるみたいだ』って言ってやんねーからだよ」
「オレのせいにすんなよ!」
 明らかにおかしいのは自称山神の頭の中身だ、と新開に唸ってから、荒北はそのふざけた光景を睨み付けた。
 引退後もちょくちょく顔を出している他のメンバーと異なり、受験勉強に専念している荒北は久しぶりに自転車部に顔を出したのだが、そこでは予想外の光景が繰り広げられていた。
「で、何でアイツは泉田に乗っかってンの?」
「だから靖友が尽八を重いって言い張るから、すっかり尽八が下級生に絡んで持ち上げろって要求するようになっちまってさ。泉田が主将の責任感で尽八乗っけて筋トレするように……」
 背に東堂を乗せて腕立て伏せをしている新主将を眺めやり、荒北は頭を掻いた。
 有無を言わさず、新開に自転車部に引っ張ってこられた理由は分かった。可愛がっている後輩に無意味にかかった負担を、どうにかしろという抗議である。
「……泉田には迷惑かけて悪ィけど、オレのせいかよ?」
 石に似ているなどと言い出して、事態を完全にこじらせたのは荒北ではない。
「靖友が怒らせなければ、こんなことになってない」
 きっぱりと言い切られて、荒北は渋い顔で後輩の背の上に胡座をかいている東堂を眺めやった。
「で、あれは何?」
「途中で泉田から銅橋が引き取ってくのが、ここんところの日課」
 一礼して恭しく傍迷惑な山神を受け取った銅橋が、軽々と男子高校生を担ぎあげてスクワットを開始している。もはや完全にウエイトトレーニングの重りである。
「銅橋、一回おめさん達の喧嘩に巻き込まれてから、尽八には絶対逆らわないからなあ」
 泉田に傾倒している銅橋だが、それとは別枠で東堂には服従すると肝に銘じているものらしい。基本的に、自転車部で東堂に逆らえる後輩などまずいないので、珍しい話ではない。
 逆らえないというより、逆らうだけ無駄だと、全部員が弁えている。
 同学年ならばまだしも、下級生はまず歯向かおうとも考えない。同学年でも、面倒を嫌って東堂を放任する者が多いので、毎回彼が何かやらかすごとに叱りとばすのは荒北くらいのものである。
「……今回のは、ちょっと部に迷惑かけすぎだろ」
「早めにどーにかしてくれねえか?」
 迷惑な男の後始末を丸投げされて苦々しく思うが、新開は今回の問題の原因が荒北にあると確信して責任を問うているらしい。
「だから、後悔するって言っただろ」
「後悔してねーよ、面倒なだけだっつーの」
 しかし、このまま放置すると更にこじれるのも経験上身に染みているので、一つ大きく嘆息すると、東堂の首根っこを掴んで回収するために一歩踏み出しかけるが、その前に状況が変わった。
 基本的に下級生は東堂に逆らわないが、唯一の例外がひょこりと顔を出して、銅橋に話しかけ、何やら話しがまとまったのか、東堂の身柄を引き取ったのである。
「……真波?」
 東堂に逆らうわけではないが、特に言うことも聞かない自由極まりない一年生は、東堂を横抱きにして首を捻っている。東堂も別にその体勢に満足しているわけではなさそうだったが、積極的に拒む必要性も感じなかったようで、そのままおとなしく抱きかかえられている。
「みんな重い重いって言うけど、東堂さん軽いですよ?」
「そうだろう!」
 いわゆるお姫様抱っこと呼ばれる体勢で、後輩の腕の中でも気にせずそっくりかえれるメンタリティが、東堂の東堂たる所以である。
「な、後悔してんだろ?」
「してねーっつってんだろ」
 ちょっと目を離した隙に、厄介なことになっていたのは事実だが。
「ちなみに、今はまだ自転車部内で収まってんだけどな。ちらほら部外にも噂が流れてるから、早めに止めさせないと、東堂尽八を持ち上げて、思ってたより軽かったら恋が叶うってジンクスが定着するぞ」
「…………」
 そんな馬鹿なことがあるわけがないと言いたいところだが、三年間の学園生活で着実にシンパの数を増やしている東堂である。
 眠る東堂を見ると恋が叶うというだとか、東堂に指差してもらうと一日いことがあるだとか、晴天祈願だとかいった謎のジンクスがまかり通っており、今回の件も彼のファンの間に広まれば立派にジンクスとなりかねない。
「とりあえず謝って仲直りしとけよ」
「別に喧嘩してねーよ」
「いーから!」
 四の五の言うな、と背を押されて、渋々部室の戸口をくぐる。
「荒北さん!」
「お久しぶりです、荒北さん!」
「顔出しありがとうございます、荒北さん!」
 たちまち、後輩達に熱烈歓迎を受けたが、単純に慕われているというには少々必死な顔が多い。荒北に向けられた目が、先のインターハイメンバーのクライマー二人組に向いた後、また懇願するような眼差しが荒北に向くのは、どうにかしてくれという無言の要望に他ならない。
 東堂とは三年間、ひたすら反発しあって毎日喧嘩をしていた覚えしかないのだが、いつの間にか東堂の奇矯な行動の制止役として周囲に認識されるようになっていたのが、不可解である。
「真波、それ、寄越せ」
「え、何でですか?」
 溜息混じりに要求すると、上級生を抱えたまま東堂とはまた別の不思議な思考回路を持った一年が、まっすぐに聞き返してくる。
「……話があんだよ」
「オレはないぞ!」
「東堂」
 呼びかけると、東堂はむ、と口元を引き結んで押し黙った。
「下の奴らに迷惑かけんな、いーから来い」
 身を捻って後輩の手から滑り降りた東堂が、じろりと荒北を睨み据えた。
 仁王立ちになった姿は、雄弁にここで弁明しない限り絶対に動かないと主張していて、荒北は一つ嘆息すると有無を言わさず東堂の身体を肩に担ぎ上げた。
「荒北!」
「悪ィ、邪魔したな。ちゃんと叱っとくからァ」
「下ろせ、馬鹿者!」
「暴れっとぶつけるよォ」
 注意するが、勢いよく上半身を起こした拍子に思い切り戸口に後頭部を打ち付けた東堂が身体を折る。
「ハイハイ、痛い痛い」
 相当痛かったのか、言葉もない東堂の頭を撫でてやりながら、にやにやと笑っている新開を睨みつけてその横を通り過ぎる。
 意識があるからだろう、普段より負荷の少ない荷物をどこに運ぶか算段していると、時折人の思考を山の妖怪のように読む東堂が、寮、と告げた。
 指示に従う前にちらりと後ろを振り返ると、新開が相変わらず苛立つ表情で笑っていたが、付いてくる気配はなさそうなので、もう一度嘆息すると荒北は敷地内にある学生寮に向かって歩き出した。

 今日は意識があるはずだが、東堂が肩から降りようとしなかったので、そのまま気にせず担いでいく。道すがら、同級生から笑いながら労われたり、下級生から指差されたりしたが、東堂は全く反応を示さない。
 ぴくりとも動かないので、傍目には死体でも運んでいるような絵面となっていたはずだが、寮の入り口を入る時にも全く見とがめられなかったのは、三年間の実績だろう。
「オレの部屋? お前の部屋?」
「近いほう」
 あまりにも反応がないので、うっかりそのまま寝たのではないかと疑っていたのだが、どちらの部屋に行くかと聞けばすぐに答えが返ってくる。
 起きているのなら自分の足で歩けばいいものだが、東堂は今に至っても降りようとせず、荒北も何も言わずに靴を脱ぎ、東堂の足からもスニーカーを引き抜くと、通りすがりの寮生に靴をしまっておいてくれと頼んで、逆の肩に東堂を担ぎ直した。
 その大きな荷物に、いつもの眠る山神の回収と判断した下級生が大変ですね、と声をかけながら靴を片付けてくれるのに生返事を返し、階段を上らずにすむ自室に向かう。
「重ェよ」
 部屋の鍵を開ける段階になっても自分の足で立とうとしない東堂に毒づきつつ、滑り下ろした身体を肩に寄りかからせながら鍵をズボンのポケットから引っ張り出して開くと、抱えて自室に踏み入り、後ろ手にドアを閉めると荒北はドアに背を預けてその場にずるずると座り込んだ。
 距離と重量を思えば、大変な重労働である。
「…………で?」
 疲労の分、刺々しくなった声で問うと、東堂がようやく顔を上げた。
「何、その顔?」
 ふて腐れた顔でもしているのかと思っていたが、途方にくれたような顔に、両頬を摘んで引っ張ってやる。
「まず確認しとくけどさァ、オレ、お前とケンカしてたァ?」
 問うと、ゆっくりと首が横に振られた。
 荒北の否定を、新開はいつもの意地張りと解釈したようだが、荒北は本当に喧嘩をした覚えがなかったのである。
 確かに、先日体重のことでくだらない口論はしたし、当日の夜は拗ねて手が付けられなかったが、翌朝にはいつも通りの態度に戻っていたのである。もうとっくに機嫌は直ったものと思っていたし、その話題が蒸し返されることもなく普通に過ごしていたので、今日、新開に自転車部に引っ張って行かれるまで、こんなことになっているとは思ってもいなかった。
「じゃあ、何で下の連中にあんな絡み方してたワケ?」
「…………」
「東堂ォ?」
 摘んだままの頬を更に引っ張ってやると、痛い、と情けない悲鳴が上がった。
「また何かワケ分かんねーコト考えてんだろ、お前?」
 勘弁してくれ、と嘆息して、荒北は東堂の薄い背を抱き込んでその肩口に頭を預けた。
「もォ、ソレほんっとにやめろ」
 この開けっぴろげに見えて、全く底の知れない男の思考は突飛すぎて、荒北にはさっぱり理解できない。
 三年間の積み重ねで、気心も知れたなどと考えてはいけないことを痛感したのは、少し前に言葉足らずに互いの関係を変えた時のことである。互いの気持ちを確認しなかったことで、危うく修復不可能なまでに拗れかけたのを、どうにか誤解を解いて恋人という関係に落ち着くまでの騒動のことは思い出したくもない。
 己の天の邪鬼な性格などかなぐり捨てて、頼むから何を考えているか伝えてくれ、と懇願する程度には、その時の出来事はトラウマになっている。
「頼むからァ」
 情けない声になった自覚はあったが、それを聞いた東堂がようやく動いて荒北の頭を抱え込んだ。
「オレは重いのかと……」
「…………ソレ、お前ちゃんと納得したよな?」
 ようやく返ってきた答えに、思わず目が据わる。
 体重の問題は、先日の夜に延々とやりあって、荒北が言いすぎを謝罪し、東堂は太っていないがその重量はそれなりの負荷である、と合意に至ったはずである。
「いや、体重のことじゃなく」
「ア?」
「皆、思っていたより重い、と言うだろう。一部の軽いと言う奴は筋力が有り余ってるか、周りが重い重いと言うから覚悟していたより軽いというだけで」
 それはそうだろう。
 クライマーらしい体格の東堂は、一見痩せて見える分、しっかりとついた筋肉の重量に驚かされる。また、少々オーバーアクション気味の行動が軽薄な印象を与えるせいか、重量感に違和感を覚えるのである。
「巻ちゃんの時も、散々周りからちょっと重いだの、もう一歩でストーカーと言われたし」
「……巻島?」
 急に引き合いに出された東堂のライバルの名に意表を突かれる。
「巻ちゃんに対する接し方はあれがベストだったと、オレは思っているんだが」
 東堂が執心していた総北のクライマーは、生活に支障がありそうなほど人付き合いが悪く、東堂の過剰にも思える干渉が無ければ、互いにライバルとして認め合うに至らなかったのは確かだが、県外、他校、没交渉な性格といった距離間を蹴散らす勢いのメールと電話攻勢をベストと言ってよかったかどうかは非常に疑問である。
 つい何とも言い難い表情になると、小さく嘆息した東堂は俯いた。
「荒北がそういう顔をするということは、オレは無自覚に重いんだろうな」
「……いや、ちょっと待てお前」
 物理的な重さの問題でなかったことは理解したが、どうしてそこを悩んで、後輩達にのしかかるという奇行に出たのかが分かりかねる。
「あいつら、基本的に言いたいことは言うからな。皆に重いと言われれば、少しは自覚できるかと思って」
「なんかもう、色々違ェだろ……!」
 精神的な重さと物理的な重量をあえて混同しているらしいが、どうにも了簡がおかしい。
「お前なァ……」
 考えていることをきちんと口にしてくれと懇願した身ではあるが、説明された内容に頭の痛いものを感じながら、一人で勝手に悩みこんで見当違いの方向に突き進みかけた恋人の頭を鷲掴む。
「東堂チャン、よぉく聞けよ?」
「……何か怒ってるな?」
「怒るわ! お前、オレがいつまでもお前が他の男に抱かれてんのニコニコ見てっと思うなよ!?」
「お前が笑ってたことがいつあった!?」
「今はそこじゃねェだろ!」
 どこまでもとぼけたことを言う口を一喝して黙らせると、大きな目を瞬かせた東堂は、はたとポイントに気がついた。
「お前、それだとオレが他の奴に触られてるのが嫌だと言っているように聞こえるぞ?」
「言ってんだよ!」
 何故、ここまで話が通じないのだと、目眩まで感じながら噛みつく。
「っとに、毎度毎度新開とベタベタしやがって、お前らホモ疑惑あんの知ってんのか!」
「オレと隼人が、何故?」
 名前で呼び合い、必要以上に距離が近く、毎日当たり前のようにいちゃつくからである。
「嫌なのか?」
「……いー気持ちはしねーよ」
「しかし、そうすると、お前はヤキモチを焼いていることにならないか?」
「オレはさっきからずっとそう言ってるよなあ!?」
 何故この主張が通らない、と思わず声を荒げるが、この、当然分かると思っていることが全く伝わっていなかったのが、付き合う前に散々拗れた原因である。
 東堂に考えを伝えることを要求するならば、荒北も恥も外聞も捨てて伝える努力が必要だと身に染みているので、気力を振り絞って時折話の通じなくなる恋人の両肩を掴む。
「オレは心狭ェし、お前が全然そんなつもりじゃねーの分かってても、他の奴に触られてたらイラッとすンの。嫉妬深いンだよ。要するに、オレだってそーいう意味じゃ重いんだよ、分かるか?」
 目を瞬かせる東堂がきちんと理解しているかどうか、非常に怪しい。
「重くていーんだっつーの。つーか、そんくらいの気持ち寄越せ、バァカ」
 ぱちり、とゆっくりと瞬いた東堂が、ふと笑んだ。
「重くて、いいのか?」
「たりめーだ」
 苦々しい顔で応じると、大きく破顔した東堂が抱きついてきた。二人分の体重をかけられた寮の年季の入った薄いドアが、少々不穏な音を立てて軋む。
 壊れないかひやひやしつつ、啄むようなキスを仕掛けてくる恋人を無碍にできない。
 腹筋を総動員して軽くはない恋人の体重を支えながら口づけを受け、頃合いを見て身体を入れ替えるようにして引き倒すと、天井と荒北を見上げた東堂が笑った。
「重かったか?」
「重ェよ」
 押し倒した東堂の身体に乗り上げて体重をかけながら、そういえば、と思い出す。
「オレさぁ、福ちゃん達が言ってた神社の石ってのは、見てねーから分かんねーんだけど。京都はアレ行ったんだよ、清水寺」
 修学旅行の定番である。
「あそこもなんか、でっかい杖みたいなのが置いてあって」
「ああ、何か見た気がする。男子が何人か、一生懸命持ち上げようとしてた」
 それだ、とうなずく。
「何か、それ持ち上げるとスゲー美人が嫁になんだとよ。で、やってみたらどうにか持ち上がったけど、クソ重くて」
 他の誰も持ち上げられなかったところを、意地になって持ち上げたのだが、後で聞いたところ、百キロ近い重量の鉄の錫杖だったらしい。
「つまり、嫁ってクソ重いのが当たり前なんじゃねーの?」
 その時の御利益なのかどうか知らないが、スゲー美人の素っ頓狂な恋人は、それを聞いて一瞬きょとんとした後、心の底から嬉しそうに笑った。