Lesson 3
「新開、助けろ」
下の名で呼んでこなかったところを見るに、あまり機嫌がよろしくない。今度はどうしたのかと談話室のテレビから目を離して振り返ると、珍しい光景がそこにあった。一つ口笛を吹いて、問いかける。
「どしたの?」
「見れば分かるだろう」
不機嫌そうな顔で、東堂は背負った荷物を揺すりあげた。
その拍子に細長い手足が揺れる。やや小柄な東堂に背負われた荒北は、同世代と並ぶと縦には長い方なので大変珍妙な姿に見える。横幅はないので、重量的には東堂にも十分背負えるから今の状況なのだろうが、なんとも不思議な光景だ。
完全に潰れているのだろう、意識があれば今の扱いを荒北が許容するはずもない。春頃は少々時代遅れな分、悪目立ちしていた不良の代名詞のような髪型は入部する前に短く刈られていて、それから少し伸びた黒髪は濡れているようだった。
「風呂で潰れたの?」
「上がって着替えたところで潰れたみたいでな、あともうちょっと自分の部屋まで頑張ればいいものを」
「風呂の中じゃなかっただけ良かったんじゃね?」
大して広くもない寮の脱衣所で転がられると邪魔だと他の寮生から苦情がきて、仕方なく東堂が回収に行ったらしい。
「寿一は?」
「許可もらって、まだ自主練中」
荒北の目付役と言えばまず福富で、こうやって荒北が練習中や後にひっくり返ると、福富がまず呼ばれ、彼の姿がない時は新開に声がかかるのが通例だったのだが。
荒北を恐れないという意味では、東堂も新開と変わりないが、二人を引き合わせると喧嘩を始めるので、騒音を避けるためにも荒北の苦情を東堂に持ち込まないのが、寮生間の暗黙の了解だったのだが、ここ最近になってその認識が変わってきたようである。
福富の負担を減らすためと称して、荒北の練習の指導を東堂が一部引き受けるようになり、最初の頃は部員もひやひやと反りの合わない二人を見守っていたが、意外なことに部活中は互いに反発もせずに過ごしている。東堂の指示を荒北は黙々と受け入れ、東堂も丁寧に指導して、少々耳に痛い手厳しい物言いを控えている。
部活が終わると、互いに我慢していた分なのかくだらない口論をしていたりもするが、お互い相手に慣れたのだろう、仲良くなったとは言い難いが、前よりも距離は近くなった。
その空気が寮生にも理解されての、今回の指名なのだろう、とスナック菓子を口の中に放り込みながら考える。
「新開、手伝えと言ってるだろう。それに、そのポテトチップは何だ。夕飯後にまたそんなものを食べて。身体は資本だと何度言ったら分かるんだ、間食するにしても食べるものを選べと……」
説教を首をすくめてやり過ごし、新開はソファから立ち上がると改めて自分より体格のよい男を背負ったチームメイトの姿を見つめた。
「写メっていい?」
「やめんか」
「靖友、寝てるとかわいくね?」
「こんな重い野郎のどこがかわいいんだ? いいから手伝え」
大荷物で両手が塞がっているので、ローキックを食らう。痛い、と笑ってカチューシャで留めた頭と、濡れた短い黒髪を等分に撫でてみる。完全に寝落ちているらしい荒北が目を覚ます気配はなさそうなので、これはやはり部屋まで運ばないと駄目そうだ。
「で、何手伝えばいい? 残り運ぶ?」
「いや、受け渡すのが面倒だからいい。荷物持って、ドア開けてくれ」
「ほいよ」
洗面具ときちんと畳まれた服を受け取って、見た目より力持ちな友人について歩く。普段は足音を立てない東堂だが、二人分の体重に年季の入った床が軋む。
「鍵かかってるか?」
「いや、外出てる時以外はかけてなかったはずだけど」
防犯的には正しくないのだろうが、長時間留守にしない限り、部屋に鍵をかけないのが通例である。入寮当初は周囲を拒絶するように鍵をかけて部屋に閉じこもっていた荒北だったが、最近は慣れてきたのか開けっ放しで寮生活を送っている。
試しにノブを捻ってみれば、難なく開く。壁のスイッチを操作して灯りを点け、東堂が荷物を抱えて入りやすいようにドアを大きく開けてやると、一歩部屋に踏み入った東堂から汚い、と憤懣の声が上がる。確かに、床には着替えが散乱し、机の上も教材とプリントが雪崩を起こしていた。
床の上の障害物を足で退けてベッドまでの獣道を作り、ベッドの上に放り出されていた制服を床に落とし、携帯だけは床に置かれた充電スタンドに差し込んでやって、東堂を振り返ると、言いたいことが山ほどありそうな顔をしていたが、荷物を下ろすことを優先したらしい。布団を捲ってその下に荒北を放り込んで、きっちりと布団を被せると、もはや何も言わずに制服を拾って皺を伸ばし、ハンガーに掛けていく。
「あー、それ以上はやめとけって。勝手に触んなって、靖友怒るから」
床の物にも手を出す前に、その後の騒動を回避するために制止すると、非常に納得のいかない顔ながらも渋々手を引いた。
「後で絶対に本人に片付けさせるからな!」
宣言を聞く限り、衝突は避けられないようである。
「まあ、今日のところは寝かせてやろうぜ?」
「……全く世話の焼ける」
荒北が聞いたら怒り出しそうな慨嘆を洩らし、部屋の外に出て行く東堂の背を追う。壁のスイッチに手をかけ、一度ベッドを振り返るが、熟睡している荒北がこの一連の出来事に目を開ける様子はない。
「おやすみ、靖友」
当然、応えはなかったが、にんまりと笑って新開は電気を消した。
「おい、新開、このバカどうにかしろ!」
不機嫌な声に新開が振り返ると、先日目にしたのとよく似た光景がそこにあった。
違うのは放送されている番組と、食べているスナック菓子の味、それから背負っている人間と背負われている人間が逆転しているところである。
思わず噴き出しかけて、口の中に入れていた菓子のかけらが喉に引っかかって盛大に咳き込む。
「何してンだよ?」
「……いや、どーしたの、尽八?」
「起きねー」
不機嫌極まりない顔で応じる荒北に、またか、とうなずく。
部活終了後にばったりと力尽きるのは荒北の方が頻度が高いが、睡眠が足りなくなるとどこでも眠り込むのは東堂も同様である。東堂も一度眠ると自ずから目が覚めるまで誰が何をしても起きないのだが、荒北ほど邪魔になるところで寝ないので、基本的には放置されている。ごく稀に回収要請がくる時には、新開のところに連絡がきたものだが、最近は荒北が勝手に拾ってくるようになった。
「どうする、ここ転がしとく?」
談話室の空いているソファを示すと、荒北の眉間に深く皺が寄った。
「いや、部屋に放り込む。こいつの部屋、ドコ?」
「三階」
階段を昇らないとならないと聞いて、荒北の顔がますます渋くなるのを見やり、立ち上がった新開は手を差し伸べた。
「交代する?」
「…………下ろして渡すのがメンドウ。部屋の場所教えろ」
奇しくも先日の東堂と同じようなことを言う荒北に思わず笑うと、気に食わなかったのかミドルキックを食らう。
実は似た者同士なのではないかという疑惑を確信に変えつつ、先導して歩き出すと舌打ちを一つしてついてくる。階段に差し掛かると悪態は更に増えたが、変わろうか、と申し出ると顔をしかめて黙り込む。
にやにや笑いながら先に階段を昇っていくと、表情が見えたはずはないのだが、勘良く察知したらしく、ウゼえと蹴り込まれた。
「はい、ここ」
部屋のドアを示すと、新開が開ける前に荒北がドアを蹴り開けた。東堂が起きていたらまた怒り出しそうな所作だったが、今のところ規則正しい寝息に乱れはない。
壁のスイッチを叩きつけるようにして灯りを点けた荒北が、ホテルのように綺麗に整えられたベッドに東堂を放り捨て、憤然と出て行こうとするのに入れ替わるように物の少ない部屋に足を踏み入れると、胡乱げな顔で荒北が足を止めた。
背に荒北の視線が突き刺さるのを気にせず、投げ出されたままの横倒しの体勢で眠り続ける友人の背を抱え起こし、ベッドカバーをマットレスの下にきっちりと畳み込んでいるのをどうにか引っ張り出すと、その下に東堂の身体を転がしてやる。捻れかけた手足を丁寧に直し、布団を掛ける前にベッドの端に腰掛け、その顔に向かって屈み込む。
「ナァニやってんだ!」
髪を鷲掴まれて制され、怒りに満ちた声が降ってくる。
「おやすみのチュウ?」
「すんな! ホモか、テメエは!」
「ははは」
「否定しろよ!」
冗談だと笑ってみせるが、荒北の顔は険しいままで、新開の襟首を掴んでベッドから引きはがすと、乱暴に布団を引き掴み頭まですっぽり覆い隠す。
「それ、息苦しいんじゃないかな?」
「っせ! オラ、出てけ」
背中を膝で蹴られて追い払われる。さながら番犬のようだが、当人に自覚があるのかは不明だ。
「ったく、世話焼けるバァカが」
先日、全く逆の立場から同じような感想を聞いた。
「何笑ってンだよ!?」
「いや、うん、相思相愛?」
「アァ?」
柄の悪い声音が一気に不機嫌に傾いて、罵声を浴びせられるのを覚悟して内心身構えるが、いつまで経っても怒声が上がらない。
どうしたのかと振り返ると、荒北の視線は机の上に固定されていた。
片付いた机の片隅は、リボンやラッピングで華やかだ。差し入れられた菓子やプレゼントの一群である。可愛らしい包装の中に、少々異彩を放つ青色があった。
「あれ、珍しいな、炭酸もらったのか」
炭酸飲料の缶だ。
飲み物はよく差し入れられている姿を見るが、スポーツドリンクであることが多いので、炭酸は非常に珍しい。
何故、と一瞬疑問に思って、その特徴的な青色の缶の銘柄と、それを凝視する荒北が脳内で結びついた。
「ふぅん?」
「……ンだよ?」
「いや、別に」
半眼が新開に向けられたが、これ以上話題を続けても良いことはないと判断したのだろう、行くぞ、と不機嫌な声と共に肩を押されて半ば強引に部屋から押し出された。
「荒北」
呼びかけと同時に、口の中に甘味が押し込まれた。
人の顔を見るとラムネを突っ込んでくる東堂の悪癖は、完全に定着したようである。
「隼人もあーん」
「ん」
全く抵抗のないらしい新開にも星形のラムネを食べさせているが、この二人は一事が万事この状態なので、談話室に居合わせた誰もが気にしない。
「このラムネ、随分たくさんもらったんだな」
「ああ、でもこれが最後の一袋だな」
そんなやりとりが聞こえてきて、ようやくこの砂糖菓子を出会い頭に突っ込まれることも無くなると安堵する。
なんだかんだと、半分以上食べさせられたような気がする荒北である。
「何の番組だ?」
「犬猫特集」
「ああ、荒北は案外そういうの大好きだな」
「っせ!」
テレビの前のソファに、ある程度の距離を置いて新開と並んで座っていたのだが、その間に東堂が無理やり割り込んできたので人口密度が上がった。邪魔だと押しやると、むっとした顔で押し返してくる。
「向こう行け!」
「イヤだ!」
意地になって押し合っていると、後ろから拳骨が降ってきた。
「うるせーぞ、チャリ部一年!」
三年の寮生に叱られて、荒北はむっつりと黙り込み、東堂はすみませんと謝罪してから涙目で荒北を睨んできた。
「荒北のせいで、オレまで怒られた!」
「むしろお前のせいだよ!」
「っせえって言ってんだろが、荒北、東堂!」
連名で叱りとばされて、不承不承口を噤む。
このお調子者が横にいることが増えたせいか、二人セットで叱られることが増えてきたのが業腹だ。
寮生は体育会系の部に所属する者が多いので、寮生活も上下関係が厳しいのだが、入学当初にその輪からはぐれた荒北は何をしていても干渉されなかった。下手に関わって喧嘩沙汰にでもなって、部活動支障が出るようなことになってはたまらないというのが本音だったのだろう。
ここ最近、ぽんぽんと叱られるようになったのは、東堂や新開に巻き込まれているせいで、周囲の見る目が変わったからだ。少し怒鳴った程度では本気で怒ったりしないと判断されるようになったということで、要はナメられている。
福富に喧嘩を止められているので、わざわざそれに反発することはないが、複雑な気分である。
二人掛けのソファに男子高校生が三人収まれば手狭で、もぞもぞと身動いでどうにか収まりどころを見つける間に、番組はCMに入っていた。
新発売の炭酸飲料をアイドルの女の子が楽しげな笑顔で踊りながら宣伝し、それを見て寮生達が口々にどの子が好みだ、付き合うならこの子がいいなどと世迷い言を言い合うのを聞き流しながら、そういえば、と思い出す。
「なァ、お前、ベプシ嫌いなの?」
「えっ?」
驚いたような顔で振り返ってきた東堂から視線を外し、面白くも何ともない保険のCMに顔を固定する。
「机の上に置きっぱなしだっただろ。要らねーなら返せ」
常温のまま放置しているということは、飲む気がないということだろう。先日、買った時点で付いていた特徴的な缶のへこみを覚えていたので、同一の缶なのは分かっている。
「いや、飲む! 飲むぞ! 今はちょっと気合入れているところだ!」
何故か焦ったように首を横に振るが、気合を入れる必要性がさっぱり分からない。
「東堂がベプシ? 無理じゃねーの、ベプシって炭酸多くなかったか?」
「あー、ちょっとキツいよな。東堂のお子ちゃま舌じゃ無理無理」
やりとりを聞いていた一年の寮生が口を挟んできて、決まり悪げな顔をした東堂とその向こうの新開の表情を見て、今入手した情報が事実だと知る。
「何? お前、炭酸飲めねーの?」
それならば最初から言え、と荒北は嘆息した。
「飲めなくはないぞ! 慣れてないだけだ!」
「慣れてねーって、お前小学生じゃあるまいし……」
子供のような言い訳に呆れかけるが、何故か周囲が悪のりした。
「東堂、お坊ちゃまだもんな、おうちでコーラなんか飲んじゃイケマセンって言われてんだよな」
「コイツ、カップラーメンの作り方知らなかったんだぜ」
「箱入りだもんなー」
「ほんっと世間知らずだよな、お前」
東堂が周りからいじられるのはいつものことである。ソファの後ろからぐしゃぐしゃと髪をかき回され、カチューシャがずれてひどい有様だ。
落ちた前髪が目元を隠して、一瞬覚えた違和感に思わず手が出た。
「どうした?」
額に手を押し当てるようにして黒髪をかきあげると、きょとんとした目がまっすぐに荒北を見つめていた。
いつも通りの顔だ。
「……ダッセ」
特に意味もなく吐いた悪態に、むっとした顔をした東堂がその場で立ち上がる。
「ダサくはないな!」
「炭酸飲めねーんだろ?」
「飲める!」
言い張る東堂に、周囲から無理をするな、と揶揄する声が上がって、ますます意固地になる。
「飲むからな!」
待ってろ、と言い捨ててばたばたと階段を駆け上がっていったが、仕草は子供じみていてばたばたとしか表現できないのに、音はほとんど立てていないのが彼らしい。
「ホント、ちゃんとシツケられてんのな」
箱入り、坊ちゃんと並べられた言葉がぴたりと符号するが、一つ、納得のいかないものがあった。
「なあ、新開。アイツって世間知らず?」
「さあ? 割と世慣れてる気もするけど、逆に危なっかしいかなあ。知らないことはとことん知らないし」
こちらの常識が今ひとつ通用しないというのは確かだが、それを世間知らずと評してよいのか分からない。
子供じみた振る舞いが目立つが、今東堂を子供扱いしてからかった寮生達の中では実は一番大人なのではないかと思うことが時折ある。
くるくる変わる表情の下から時折覗く、冷静な洞察力を宿した眼差しと、どこか諦めたような表情が引っかかって、向き直るともう、いつもの子供のようなはっきりとした喜怒哀楽を示している。その度に肩透かしを食らったような気分になって、もやもやとする。
「尽八が気になるかい?」
「なんねーよ」
長かったCMがやっと終わって、白黒のぶち模様が完全に左右対称な子猫の兄弟が映し出されたが、カワイイカワイイと騒ぐ女性タレントの甲高い声が耳に付く。僅かに苛立ったところを、更に鬱陶しい声が背後から響いた。
「持ってきたぞ!」
自室から青い缶を取ってきた東堂が、ソファを乗り越えて元の位置に納まる。無理矢理押しのけられ、これのどこが行儀良く躾けられているのかと荒北は渋面になった。
「冷やしてねーんだろ、氷取ってこい、バァカ」
「え、ああ、そうか」
指摘されるまで、炭酸は冷やして飲むものだという概念もどうやらなかったものらしい。
共有の冷蔵庫まで氷を取りに、再度ソファを乗り越えてぱたぱたと駆けていった、東堂の背を見送って、おもむろに新開が缶を手に取った。
「……ヤメロ」
そのまま振ろうとするのを頭をはたいて止めると、周囲から不満の声が上がるのを一睨みで黙らせる。
「ぶちまけた場合、オレもお前も被害食らうだろが。誰が片付けて、ギャンギャン喚くあのバカ黙らせんだよ?」
そんな面倒は嫌だ、とその場の全員の思いが一致し、渋々と新開がローテーブルの上に缶を戻す。
「今度外でやろう」
「オレのでやったらマジで殴ンぞ、新開」
ち、と舌打ちが聞こえた気がしたが、睨みやると既に飄々とした顔に戻っていた。
その間にグラスに氷を入れて戻ってきた東堂が、友人から裏切られかけたことも知らず、缶を手に取りプルタブを開けた。
ガスの抜ける音と共に僅かな泡が溢れたが、噴きこぼれるほどではなく、グラスに注がれた黒い液体は大量の気泡を含んでグラスの水位を上げた。
しゅわしゅわと音を立てるグラスをじっと眺めている東堂が、そのまま全く動こうとしない。
「……飲めねーなら無理すんな」
「飲める! 今は集中力を高めていてだな!」
「集中して飲むようなもんじゃねえ! 飲めねえなら寄越せ!」
もはやバラエティ番組などそっちのけで東堂の一挙手一投足をにやにやと見守っている周囲に、本人だけが気がついていないようで、見かねて手を出しかけた荒北よりも先にグラスを手にとった。
そんな悲壮な顔をするなら、無理をするなと言っているのだが、頑として聞く耳を持たずにグラスを呷る。
「………………」
「泣くな!」
そこまでして飲めなど誰も言っていない、と目元を覆って俯いた東堂の手からグラスを引ったくって残りを呷る。
まだ半分以上残っていた缶の方も掴んで口をつけ、冷えていなかったことを思い出すが、目をつぶって温いコーラを飲み干すと、缶専用のゴミ箱に投げ捨てる。狙い違わず小さな投入口に缶が吸い込まれるのを見届けず、視線を東堂に戻すと、上げられた顔が怒っていた。
よく物言う目が、勝手に飲んだ、と訴えてくるが、そんな涙目で何を言うかと額を指で弾く。
「痛い!」
「飲めねーなら無理すんなって何回言ったら分かんのかなァ、東堂チャンはァ?」
「飲めないわけじゃないと……」
「飲めてねえ! 一口飲んで泣く奴が四の五の抜かすな!」
一喝すると、むくれた顔をする。
「別に泣いてない、目が痛かっただけだ」
「ア?」
「炭酸飲むと目と鼻がパチパチするだろう? あれが痛くて苦手なんだ」
子供の頃、初めて炭酸を飲んだ時にそんな感想を抱いたような記憶がある。舌が痺れて口でも喉でも気泡が弾ける未知の感覚に、こんな痛い飲み物は二度と飲みたくないと思ったものだが、そういえば、いつの間に当たり前のように飲めるようになったのかが思い出せない。
おそらく、飲んでいるうちに刺激に慣れたのだろうが。
どうやら厳しい家で育ったらしい東堂は、これまでほとんど炭酸を飲む経験を積んでおらず、小学生と同じ感覚で炭酸飲料を苦手としているらしい。
それを、周囲に子供舌とからかわれているわけだが。
「ジュースならまた何か買ってやっから、飲めるもん言え」
子供舌を指摘すると怒ることは目に見えていたので、懐柔策に出ると、あっさりと険を解いた東堂は少し考え込んだ。
「ラムネ」
「却下」
何故そこで果敢に炭酸に挑戦するのだと目を据わらせる。
「瓶のラムネは飲めるぞ! 缶のは好きじゃない」
「ワガママかよ!」
面倒な生き物に絡まれて、深々と嘆息する。
「ハイハイ、瓶のラムネね。見つけたら買ってやるよ」
秋も深まってきたこの季節に、行動範囲のコンビニなどに売っているかどうかは怪しいが。
「ホントだな?」
「ハイハイハイハイ」
見つけたら買うとおざなりに約束してやって、カチューシャ頭越しにこちらをじっと見つめてくる新開の顔をじろりと睨む。
「ンだよ?」
「おめさん、尽八に慣れたなぁ」
からかうというよりはしみじみとした口調だったので、反発心も起きずに荒北も嘆息した。
「…………刺激物って、慣れだよネ」
