メレンゲ

 三月十三日夜、寮内に甘ったるい香りが充満していた。
 男子寮には通常縁のない匂いに、ふらふらと誘い出されてきた寮生達は、本来なら夕食後は片付けの邪魔だからとすみやかに追い出される食堂を覗き込んだ。
 テスト期間前などはグループで勉強するために食堂のテーブルを使う許可も出るが、テストも終わり、春休みまで残り僅かなこの時期に開放されることはない。三年も卒業して退寮し、広くなった寮内で浮かれた残りの寮生達に空間を与えてもろくなことにならないのは明白なので、正しい判断である。
 本来なら朝まで閉鎖されているはずの食堂の扉があっさり開き、甘い匂いが一層濃くなる。同時に、扉の正面に座っていた痩せぎすの寮生にじろりと睨まれた。
「何やってんの、荒北?」
 二年ほど前だったら、この不機嫌そうな顔に怯えていたかもしれないが、二年も生活を共にしていれば彼のこの表情は常態と気づいて、気にもならなくなる。あっさり問うと、苦々しい顔で荒北は灯りの点いた厨房を示した。
「東堂と新開がアホやってる」
 この荒北と同じ、自転車部の名物コンビの名を聞いただけで、なんとなく納得できるのが寮内における彼らの認識だ。
 二人揃って明るく仲良く楽しく、大変自由気儘に生きているので、よく二人に対して荒北が怒声を上げているのが箱根学園男子寮の日常である。大半の寮生にとっては、巻き込まれない限り、また自転車部が馬鹿をやっている、と眺めていられる。
 今回は何やら厨房で菓子でも作っているようで、甘ったるい匂いが少々弊害である。
「厨房勝手に使うのはヤバいんじゃね?」
「東堂がその辺下手打つわけねェだろ、ちゃんとオバちゃん達言いくるめてる」
 新開も東堂も人並み以上に顔がよく、人懐こく愛想を振りまいて、更によく食べる。食堂スタッフに可愛がられて、よく贔屓されているのは寮生全員の知るところである。
 東堂が愛想よく、料理をしたいから厨房を使わせてほしいと頼み込めば、二つ返事で許可を出したに違いない。
「で、何作ってんの?」
「クッキー」
 甘ったるい匂いがするはずである。
 新開の大食漢っぷりと甘いもの好きは周知の通りだし、東堂も甘いものはよく食べている。東堂は料理の腕もよく自慢して、休日にたまに何やら作っていたりもするから、突然、平日の夜にこの二人が菓子作りを始めたといって驚くことはない。
 しかし、彼らは顔が良くて強豪運動部の主要選手だ。ファンの女子が常に大量の差し入れを捧げていて、甘いものに不自由することはないはずである。
 二人して甘いものが切れたということもまずないだろうし、そこでいきなり手作りを始めるくらいなら、まず他の寮生の部屋を襲撃するか、コンビニ買い出し組を募るだろう。
 何故、唐突に菓子作り、と疑問を顔に出した寮生達に、一貫して不機嫌そうな顔をしている荒北が端的に説明した。
「ホワイトデー」
 なるほど、今日は三月十三日である。
 先月、誇張ではなくチョコレートを一山ずつ持ち帰ってきた二人である。お返しも大変だろう。昨年は個々に飴やら花やら返していたようだが、今年は共同戦線を張ることにしたらしい。
 大変だからどうした、というのがモテない男達の僻みである。
 半眼を甘い匂いの漂う厨房に向けると、その先から話題の人物が現れた。
「靖友、まずい」
「味がァ?」
「いや、味は結構うまくできたと思う」
 もぐもぐと口を動かしながら、新開は焼いている間に割れたというクッキーを荒北の手に落とし込む。
 つまらなそうな顔でクッキーのかけらを口の中に放り込み、フツー、と感想を告げた荒北がじろりと新開を睨む。
「で?」
「材料が足りない」
「だったら食ってんじゃねェよ」
 明るい色の頭をはたいて荒北が突っ込むと、これは失敗作だから、ともごもごと言い訳する。
「一回作ってみたら、用意してた材料じゃ全然足りないっぽくて」
「買い足しにいくのォ?」
 既に門限後である。事情を話して外出許可をもらうのも骨だし、この時間で開いているのはコンビニくらいのもので、菓子の材料がどれほど揃っているか疑わしい。
 せいぜい困れ、と寮生達の僻みが無言のまま一致したが、奥から携帯電話を片手に出てきたモテる勝ち組の片割れが明るい顔で新開に手を振った。
「おばちゃんからOKもらったぞ。明日、使った分を買い足しておけば、厨房の材料使っていいそうだ」
 愛嬌で問題を解決したらしい東堂に、隠しきれない舌打ちがいくつか上がったが、勝ち組は負け犬のささやかな遠吠えを黙殺した。
「それでもちょっと数が心許ないと言ったら、卵がたくさんあるから、メレンゲ焼いてかさ増しするといいと助言をもらってな」
「めれんげ」
 卵白を泡立てて焼くらしい、と説明して、問題が一つ、と指を立てる。
「材料と機材は問題ないが、人手が足りん」
 困れ、と無言の呪いが東堂に集中したが、向けられる負の感情に何一つ気づかない顔で、まずちらりと荒北を見て、すぐに視線を食堂に集まった寮生達に向けた。
「先月チョコをもらったにもかかわらず、明日のことをすっかり忘れていて焦っている奴、手伝えばラッピングまで助けてやるぞ」
 相変わらずの上から目線の物言いだったが、それまで爆発してしまえ、と統制されていたはずの一同の結束に乱れが生じた。
 そわそわと手を挙げた数名に鷹揚にうなずいてみせた東堂は、更に後輩二名を指名した。
「黒田、泉田、手伝え」
 喜んで、と応じたのは新開に心酔する泉田で、何で自分が、と不満を口にしたのが黒田である。
「後輩だからだ」
 問答無用の強権を振りかざされ、無駄を悟った黒田も抵抗を諦めたようだった。
 山神の名が完全に馴染んできた東堂は、ごく当たり前のように理不尽なわがままを振りまくが、周りが面倒を避けてそれを受け入れるようになってきたのが問題である。
 度し難い、と他人事の顔で事態を眺めていた荒北が嘆息した。

 最初は何やら不安をかきたてる悲鳴が厨房から時折上がっていたが、男子高校生達による夜のお菓子作りは順調に進みだしたようで、もう監督不要とみた東堂は食堂の方に出てきて、冷ましたクッキーを袋に詰めてラッピングを始めていた。
 昨年も花束か何かを作っていた覚えがあるが、リボンを巻く手つきはよどみなく、手慣れたものである。
「少しは手伝おうという優しさはないのか」
「テメェ、さっき手伝わせる気全くねェって顔してたよなァ?」
 菓子作りの人手を募る際に、視線をきっぱりと外したことを根に持っていた荒北の唸り声に、東堂はリボンを結ぶ手を止めた。
「当たり前だ。お前、人の口に入るものを作っていい顔をしているつもりか」
「そこ、顔関係あるか!」
「そのすぐ怒る性格が顔に出ているんだろうが! せっかく作ったものを割ったら怒るぞ!」
 机に手を叩きつけようとしたのを先んじて制されて、お前だってすぐ怒るくせに、と歯噛みする。
「割るな、かわいそうだ」
 横から告げたのは福富で、こちらも菓子作りには誘われていないが、袋詰めは手伝っている。ヒヨコ型に抜かれたクッキーを丁寧に一つずつ小さな透明袋に詰めていた福富がかわいそうだと言うのはそれを作った男子達ではなく、クッキーそのもののことだろう。
 荒北と東堂の言い合いはいつものことなので、既に注意の範疇に入っていないようだ。
「……つーか、福ちゃんも手伝うなよ」
 強豪自転車部の主将である福富も、東堂や新開ほど派手ではないが、いくつかバレンタインにもらっていて、そのお返しの相談を先日された。妹が二人いる荒北が、その経験に基づいて適当に菓子を返しておくように告げて、その助言通り小さな包みを用意していたはずだ。
 今、わざわざ手伝って菓子を分けてもらう必要はないはずだから、純然たる好意で手伝っているのだろう。福富が手伝っているなら仕方ない、と嘆息して、袋とクッキーの並んだ皿に手を伸ばす。
「市松模様の四角いのと、ハートとヒヨコが一枚ずつ、メレンゲは三つ詰めてくれ」
 メレンゲとはなんなのか全く分からなかったが、言われた形状以外の、絞り出した白いクッキーのようなものがそれらしい。適当に摘まんだら、予想より脆かったそれをうっかり砕いた瞬間、東堂に叱られて閉口する。
 甘ったるい匂いの充満する中、二人の口論が言葉だけで済まなくなりそうになると、落ち着け、と福富の制止が入るやりとりを繰り返しながら手分けして詰めていけば、袋詰め自体はすぐに終わった。
 後は東堂が無駄に慣れた手つきでリボンをかけ、小山になった可愛らしい袋を数えて、必要数をカウントする様を、うんざりした顔で眺めやる。
「次のクッキーが焼きあがったら、残りの六袋を詰めて終わりだな。皆、ご苦労だった」
 どこまでも偉そうな態度で周囲を労った東堂が、確実に余るクッキーを摘まんで福富に差し出した。
「……甘い」
「美味いだろう?」
「……うまい」
 与えられたクッキーを咀嚼してうなずく福富の感想を強制した東堂が、白いクッキーを手にして振り返った。意図を察していらない、と突っぱねようと開いた口に問答無用で菓子が放り込まれる。
 噛み砕いてから怒鳴りつけてやろうと歯を立てた菓子が口の中で半ば溶けた。歯触りは固いのに、しゅわりと溶ける奇妙な感覚に顔をしかめると、メレンゲ、と告げられる。
 先程うっかり砕いた菓子だ。どうにも脆いと思えば、妙に軽くてすかすかしていて、主成分が砂糖なのか、口の中に入れるとそのまま溶ける。見た目はクッキーに似ているが、全く違う菓子だ。
「…………お前みたいな菓子だネ」
「どういう意味だ!」
 褒めていないだろう、と突きつけてきた指を下げると見せかけて抑え込んで動きを封じると、その口にメレンゲとやらを詰め込んで黙らせる。
「軽くてスカスカ?」
「…………ッ!!」
 文句を言いたいようだが、とりあえず口の中の大きなかけらを処理するためにバリバリと噛み砕く音が姦しい。
 うるさいところもよく似ている。それから、本気で噛み砕こうとすると、肩透かしをくらうところも。
 口の中を空にすると、うるさく喚きだした東堂の特に意味のない苦情と文句を耳を塞いで聞き流す。荒北が聞いていようといまいとどうでもいいのか、言いたい放題言い散らして気が済んだのか、すっきりした顔をした東堂が、取り分けた小袋の一つを手にして放ってきた。
 水色と銀色のリボンを二重に結んだ袋を落として中身が割れるとまたうるさそうなので、仕方なく受け止める。
「お前の分だ」
「ア?」
 手伝ったからな、と宣う東堂に、いらないと突っぱねる前に、砂糖菓子のように軽薄な男はその一瞬だけ声音に重みを持たせた。
「ちゃんと返事をしろ」
 口を噤んだ荒北がその意味を理解したことを察すると、東堂は最後に焼きあがってきたクッキーを持ってきた後輩達に向き直って、また軽薄な声を張り上げた。

 先月、チョコレートをもらった。
 多少交流のある運動部の女子やクラスメイトが、大変雑な扱いで徳用パックのウェハースだのチロルチョコ数個だのを寄越してきた。彼女らには朝と昼に捕まって、お返しと称してジュースをおごらされた。何故、別にほしくもないチョコ菓子を押し付けられた上に、三倍返しを強要されたのかがさっぱり理解できない。強盗のようなものである。
 つい文句を言ったら散々に罵倒されて心が削られたが、それより問題は最後のチョコレートの贈り主だ。
 正確に言えば、チョコレート味のカップケーキだったが、バレンタインのチョコレートとしてカウントしてよい品だろう。何の言葉も添えずに渡されたそれを、本命チョコだと断じたのは東堂だ。
 もちろん、他の女子からもらった駄菓子とは一線を画すことくらいは荒北にも分かっているが、どういう意図なのかは全く示されていない。返事をしろと東堂は怒るが、何も言われていないのに返事はできない。
 一人で浮かれて、馬鹿を見るのはごめんだ。
 意外とネガティブだとか、モテないからって被害妄想も甚だしいと新開や東堂は好き勝手言うが、慎重にならざるをえない過去くらい、荒北にだってある。
 だから、何も言わずに渡されたバレンタインのチョコレートには、特に何も言わずに菓子を返すのが道理だろうと、放課後、どうにか渡り廊下で見つけた贈り主に声をかけて、菓子の袋をその手に落とした。
「先月はドーモ。コレ、お返し」
 それじゃ、と立ち去ろうとすると、え、と声が上がった。
 振り返った拍子に少し眉間に険がこもった顔を見て、びくりと怯えた少女に焦って表情を和らげる。チームメイトを筆頭に、周囲の人間が荒北の表情や態度に全く動じなくなってきていたので失念していたが、元々はこういう反応の方が一般的だった。
「ナニ?」
 なるべく穏やかな声を心掛けたのが通じたのだろう、怯えの色が消えた代わりに、真っ赤になった顔にたじろぐ。
「荒北君って、彼女、います、かっ?」
 つっかえながら問われて、しまった、と思う。
 ないと否定しすぎて、こういった場合の対処法を何も考えていなかった。
「わ、私じゃダメですかっ!?」
 振り絞られた言葉に途方にくれる。
 彼女ならいない。真っ赤になってうつむいた女の子は普通にかわいいと思う。人よりひねくれている自覚はあるが、それでも好意を向けられれば単純に嬉しい。
 では付き合うかといえば、無理だ。
 自転車部の面々はどうやってこの手の告白を断っていただろうか、と必死に思い返す。
 まず浮かんだのはファンクラブまで有したお調子者だったが、あれは論外と脳内で一蹴する。次ににやにやと笑う大食漢を思い起こして、アレは告白を断らない馬鹿だと、これも除外する。
 福富の、自転車を最優先したいので今は考えられない、すまない、という実直な詫びを思い起こして、これしかない、と焦りながら告げるべき言葉をまとめる。
「っと、彼女はいねェけど……」
 出だしで断られることは察したらしい少女が、諦め顔で言葉に迷う荒北の台詞の続きを口にした。
「他に好きな人がいる?」
「ハ?」
 想定外のことを問われて、一瞬頭が真っ白になった。
「いや、いねェけど……」
「けど?」
 何故そこを詰めてくるのだ、と焦る。
 部活で手一杯だから無理だ、ごめん、ありがとう、のコンボで終わらせてほしいというのに、何故か一番考えるのが苦手な分野をピンポイントで問われて困り果てる。
「……オレのこと、好きなヤツが、いるから」
 つい口走った台詞に、自分でも疑問を覚えた。言われた少女もきょとんとしている。
 バレンタインに手作りのチョコ菓子をくれて、今、付き合っている相手がいないなら自分では駄目かと、赤い顔で聞いてきた彼女も、たぶん荒北のことが好きなのだ。
 それを、他に荒北のことが好きな子がいる、というのは断る理由になるわけがない。
 ないのだが。
「……分かった」
 ごめんね、ありがとう、と消え入りそうな声で告げて走り去った女子生徒を、何が分かった、と呆然と見送る。
 言った当人が何一つ理解できていないというのに、一体何がどう理解されたのかさっぱり分からない。それでいいのか、と問いたいが、追いかけて行って問いただすわけにもいかない。
 何とも言い難いもやもやした気分を抱えたまま、部活に向かうと、今一番見たくなかった顔が出迎えた。
 いつお返しを渡す女子に遭遇しても良いようにというのか、サイクルジャージの背中のポケットに大量にクッキーの包みを詰め込んだ姿は間抜け以外の何者でもなく、この男の何がいいのか毎度不思議になる荒北である。
 自称美形のお調子者は、荒北の顔を見ると問答無用で人の口に菓子を詰め込んできた。食べるかと聞いてくる新開の方がまだマシだ。
 何をする、と口の中にいれられたものを噛み砕いて唸ると、昨日調子に乗った寮生達が作り過ぎたのだなどと宣う。荒北が問うたのは、有無を言わさず食べ物を詰め込むその了見であって、菓子が余っている理由ではないのだが、この不思議な生き物に荒北の常識が通用したことはない。
 諦め半分、更に人の口に菓子を放り込もうと狙っている東堂の両手首を掴んで取り押さえ、今のところ来年の新入生用に空いているロッカーにクライマーの細身を折りたたんで放り込む。扉を閉めて押さえ、暴れて喚く気配が収まるまで三分ほど待って扉を開ける。
 開いた瞬間、何か喚こうとした気配を察知して、もう一度閉めて今度は二分待つ。
「何か言いたいことはァ?」
「……ゴメンナサイ」
 卒業した三年の誰が使っていたロッカーだったか忘れたが、空になってからも籠っていた匂いにすっかり衰弱していた東堂が降参したので、手首を引っ張って出してやる。
 何故か畏怖の表情を浮かべて遠巻きに見ていた一年達が、さすが荒北さん、などと囁き合うのが聞こえてくるが、別にこんな生き物の扱いに慣れたくて慣れたわけではない。
「クッキーが割れたじゃないか」
「たくさん余ってんダロ?」
 ラッピングした分はそんなに余剰がないのだ、と怒られたが、詰め直せと突き放す。
 乱暴者め、と愚痴りながら、ポケットに突っ込んでいたクッキーの袋を引っ張り出していた東堂がふと荒北を見た。
「渡した」
 またうるさく問われる前に、ホワイトデーのお返しは渡したと告げれば、一瞬、ひどく複雑な顔をした東堂が、また口を開きかける。
「断った」
 これも問われる前に答えると、不発に終わって中途半端に開いた口に、机に置かれていた菓子を放り込んだ。
 何とも間の抜けた顔をしたチームメイトのカチューシャで露わにされている額を指で弾き、メレンゲが東堂を黙らせている間にビアンキを担いで出て行く。
「あっ、決めたメニューに従え!」
「始まる前に、ちょっと下のコンビニに買い出しィ」
 副将の小言に振り返らずに告げると、嘆息が返ってくる。
「早く戻れよ。遅刻すると一年に示しがつかない」
「へいへい」
 生返事をすると、更に小言がプラスされるのがいつものパターンだったが、ちょうど東堂のファンらしき女子達がやってきたので、彼女達向けの表情に切り替えたようだった。
 聞いていると頭が痛くなってくる東堂のファンサービスの口上から逃れてペダルを漕ぎだし、その声が聞こえなくなる距離を稼いでから、荒北は深々と嘆息して、ハンドルから両手を離して顔を覆った。
「ッベェ……」
 まず、大概において、東堂という男は馬鹿だ。
 やることなすこと、全てが突拍子もなく、滑稽なほどに自意識過剰で姦しい。余計なことばかり言うくせに、大事なことは何も言わない。
 そのくせ、唐突に、あんな顔をする。
「ンな顔すんなら、最初っから、返事しろとか付き合えとか言うんじゃねェよ、バァカ!」
 ほっとしたような、泣き出しそうな顔に、うっかり伸ばしかけた手を、咄嗟にデコピンに切り替えられなかったら、たぶん、危なかった。
 新開が事あるごとに思わせぶりに匂わせてくれば、さすがに荒北も何が言いたいのかくらいは察する。
 東堂は、荒北のことが恋愛的な意味で、好きらしい。
 普段のあのどうしようもない言動と、荒北に対する雑な扱いを見ていると、新開は何を勘違いしているのかと思うが、東堂がごく稀に蓋をしきれずに零れたように見せる表情や態度で、事実なのだと悟ってしまった。
 知ったからといって、当人が何も言ってこない以上、荒北としても何も反応はできないのだが。
 されてもいない告白に、返事はできない。
 好意にはただ困惑するが、何も言われていない以上、相手のその感情の理由を問うことも、拒絶することもできない。
「どうしろってンだよ……!」
 ふざけるな、とハンドルを握り直して歯噛みする。
 あれが自分を好きなおかげで、荒北はどんなに可愛い女の子に告白されても断るしかないというのに、あれは大事な言葉は何も寄こさずに、甘ったるいスカスカの菓子ばかり勝手に詰め込んでくるのだ。