かわいい×かわいい=?

「荒北、携帯鳴ってるぞ?」
「勝手に出すな!」
 連絡に非常に無精なライバルを得てから、着信に非常に敏感になった東堂が、ロッカーに着替えと一緒に放り込んでいた携帯の振動に気づいて、勝手にロッカーを開けて取り出した携帯を荒北に向かって放ってきた。
「ご家族からメールみたいだぞ」
「見ンな!」
 簡易な液晶表示を取り出す間に読み取った東堂が見えたんだ、とぬけぬけと言うのをじろりと睨み、荒北は受け止めた携帯を開いてメールのメニュー画面を眺めた。
 先日から春休みにも帰って来ない長男に対して、家族旅行の誘いが入り、部の練習があるから無理だと一蹴したところ、ならば旅行の途中で学校に行ってもいいかと問われてこれも断った。その後、しつこく連絡してくるのを無視していたので、確か今日が旅行の当日だ。
 添付ファイルが付いているところをみると、旅行の様子の報告かもしれない。
 メールを開くと、実家の愛犬の写真だった。本文は一言。
『アキちゃんも来てます。今学校の駐車場」
 有無を言わさぬ強引さは、長男の性格を正しく理解してのことだろう。
 親が顔を出すことに反発して怒ることを見越して、愛犬まで引っ張り出してくる辺りが大変に姑息だ。
「ッの……!」
「どうした?」
 ひょい、と無造作に荒北の手元を覗きこんできた東堂が、少し考えて顧問を振り返った。
「先生、荒北のご両親が犬と一緒にご挨拶に来ているそうです」
「文脈読むな!」
 なぜ犬の写真とこの本文だけで状況を読みとる、と噛みつくと、副将は平然と、山神だから、と応じる。
 山の妖怪の間違いだろう、と毎度のことを思うが、それこそいつものことなので突っ込むのも面倒だ。
「スンマセン、ちょっと行ってきます……」
 一つ嘆息して、顧問と監督に断って駐車場に足を向ける。
 と、背後の気配が隠す様子もなくぞろぞろとついてきた。
「何のつもりだ、テメェラ!」
「いや、もう昼の時間だし」
「ちょっと駐車場の自販機まで」
「噂のアキチャンが見たい」
「オレとフクはお前の保護者のようなものだからな! 実の保護者にご挨拶するのは当然だろう!」
「挨拶は、大事だ」
 曖昧な顔でへらへらと笑ってみせたのは一年で、同学年のチームメイト達は悪びれもせずに好き勝手なことを口々に言う。
 数の暴力で押し切られて、結局駐車場のところまでついてこられた。
 後で覚えていろよ、とまるきり三下の台詞を吐くが、一年経って、後輩達すら恐れ入らなくなったのが業腹だ。
 ちらほらと咲き出した桜並木を、来客用の駐車場に辿りつくと、停まっていた車の後部ドアが開いた。飛び出してきた大型犬が、全力でこちらに向かってきたことで、野次馬達が怯んで後退さったが、荒北だけは逆に前に出た。
「アキチャン!」
 呼ばれて愛犬は嬉しそうに鼻を鳴らして、尻尾をちぎれそうなほどに激しく降りながら、荒北の周りをぐるぐると走り回った。手を出すと、その場でごろりと転がって腹を見せて身をくねらせたので、長い毛がたちまちのうちに砂まみれとなる。
「あーもう、アキチャン、何やってんの!」
 車に戻れないだろうが、と口では叱りつつ、転がる愛犬の頭に両手を当てて、わしゃわしゃとかき混ぜてやると、甘えた声で鳴く。
「ナァニ、アキチャン、お兄ちゃんいなくてさみしかったのォ?」
 不在の長い長男に久しぶりに会ったことに、興奮と嬉しさを素直に示してくる愛犬は可愛い。手や顔を舐め回されて、思わず笑うと、ざわりと背後が揺れた。
「……お兄ちゃん」
「おにーちゃん」
「そうか、お兄ちゃんか」
 しまった、と振り返れば、チームメイト達が思い思いの表情をしていた。
 家での癖が、つい出た。
 家族は妹達はもちろん、両親もよく長男をお兄ちゃん呼ばわりするが、荒北自身は妹達に対しても一人称をそう名乗ることはない。ただ、愛犬だけは特別である。彼女だけには、荒北は「お兄ちゃん」である。
 が、この場で口走ったのはまずかった。
 にやにやと、にんまりと、またはにこりともせずにいる三人を睨みやると、思いがけない方向から追加の攻撃を食らった。
「……荒北さんが……笑った」
「荒北さんが、超笑顔……」
「何か言ったか、黒田ァ!」
「何でオレだけ!」
 一人だけ名指しにされた後輩が理不尽だと声を上げたが、単純にひそひそと囁き合う一年の中で、一番怒鳴りやすかっただけである。
「アキチャン、やってイーヨ」
「うわうわうわっ!」
 黒田を指さして告げると、飼い犬は命令を理解して、指し示された人物に飛びかかった。人懐こい性格で滅多に吠えることもないのだが、大型のコリー犬が飛びかかってくるという状況に恐怖を覚えた後輩が、尻餅をついて逃げる上に犬がのしかかった。
「ぎゃー! スミマセン、荒北さんスミマセン、助けて!」
 重量のある犬にうきうきと嗅ぎ回られ、顔を舐められた黒田が悲鳴を上げて助けを求める。
「アキチャン、戻って」
 謝罪の言質を取って呼び戻すと、愛犬は駆け戻ってきて次の命令を待って素早く座った。
「おー、アキチャン賢い」
 犬に向かって屈み込んだのは新開で、触ってもいいか、と問うたのは福富である。構わない、とうなずけば、新開は遠慮なく長い毛に指を埋めて撫で回し、福富は慎重に背中を撫でた。
 部の中心の二人が犬を構いはじめれば、他のメンバーもおっかなびっくり触り出す。
「あれ、東堂は?」
「靖友がアキちゃんに気取られてる間に、靖友のお父さんとお母さんを副部長として部室に案内したみたいだよ」
 勝手なことを、とクラブ棟のある方向を振り返って睨むが、既にその姿は影も形もない。
「ところで、靖友、妹ちゃんいるんじゃねーの?」
 すっかり毛並みが気に入った様子の新開が犬を撫で回しながら、車の中に残っている人影を指摘し、荒北は肩をすくめる。
 二人ともいるのだろうが、犬だけを放して出てこないということは、顔を合わせる気がないのだろう。特に仲がよいわけでもないので、滅多に帰ってこない兄と、その仲間などという厄介なものに関わりたいたくないのだと思われた。
「いやぁ、何ヶ月かぶりとかだろ、会っとけって。うちも、弟が久し振りに顔合わせたらなんか拗ねててさぁ。よく分かんねぇし、まあいいかって放置したら、余計拗ねてこじれて困ったんだよな、この前」
 新開の兄弟関係など知ったことか、と思うが、似たようなこじれ方をまさにしそうなのが上の方の妹である。
 一応声をかけておいた既成事実は作ろう、と至近距離にいる家族に、出てこないのかとメールを送る。
 すぐさま返ってきた返事は、要約すると、馬鹿な兄とその脳筋集団などと顔を合わせると、知能指数が下がるので断るといった趣旨の辛辣な内容で、なるほど、とうなずいて短い返信を打ち込む。
「女の子に何てことを言うんだ!」
 出てくるな、ブス、と怒りマークを付けて送信しようとする直前にその手をはたかれて制された。人の親を勝手に部室に案内して、当人はすぐにこちらに戻ってきたものらしい。
「ご両親に、荒北君は真面目な部員で後輩の指導にも熱心な良い先輩です、と誉めといたが、取り消してくるぞ!」
「取り消せよ、今すぐ!」
「あ、ちなみにさっき、アキチャンに黒田襲わせてた」
 横から新開が茶々を入れてくるので、ただでさえ面倒な東堂が余計手がつけられなくなる。
「荒北!」
「アキチャン、おいで」
 男子高校生達の手にそれなりに我慢を強いられていたらしい愛犬が、呼ばれてコレ幸いと大喜びで駆け戻ってくると、説教に入ろうとしていた東堂の身が一瞬逃げた。
 珍しく途中で止まった文句に、違和感を覚える。
「東堂ォ?」
「……不細工な顔の上に、その人相の悪さは何だ、荒北?」
 一言も二言も多い東堂に、気遣いは無用とその肩を掴んで逃げないように取り押さえる。
「何、お前、犬怖いの?」
「別に……、ただ、あまり、大きな犬は、近づいたことが……ッ!」
 老舗旅館の息子にとっては大型犬は未知の生き物のようで、尻尾を振りながら手の匂いを嗅ぎにきた犬にびくりと身を震わせた。
 もしかすると、勝手に人の両親を案内して早々にこの場を離れたのも、荒北家の愛犬の存在のせいだったのかもしれない。
「東堂、お座り」
「は?」
 お座り、の一言を聞いて、ぴしり、とその場で座ったのは愛犬の方で、伝えた相手は唖然としていたが、有無を言わさず羽交い締めにして、コンクリートの地面に座り込んで東堂も引きずり倒す。
「アキチャンはイイコだからおいで」
「なっ、おい、待て、離せ!」
 むごい、とその場に居合わせた皆が思ったが、呼ばれてとことこと近寄ったコリー犬は硬直する東堂の匂いししばらく嗅いだ後、ぺろりとその頬を舐めた。
「…………おかしい、お前の犬なのに、素直でいい子だぞ、あきちゃん」
 愛想の良い人懐こい大型犬に、本能的な怯えが少し薄れたのか、強ばっていた身を緩めて告げた東堂の頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜてカチューシャを落とす。
「アキチャンはかわいいんだよ!」
「……あきちゃん」
 恐る恐る出した手を舐められ、東堂の顔が緩んだ。少し思い切って触れて撫でた後に、背後の荒北を振り返って笑う。
「おお、かわいいな、あきちゃん」
「って、最初っから言ってンだろが!」
 人の家の犬を何だと思っているのだ、と柔らかい髪質の黒髪を念入りにかき回してやる。その様子を見た愛犬が、自分も、とばかりに頭を突き出してきたので、そちらも等分に撫でてやる。

「……新開、何をしている?」
「いや、撮るだろ、寿一」
 携帯をカメラモードにしている友人に、福富は確かに、とうなずいた。
「荒北のあんな笑顔は初めてみた気がする」
 愛犬効果か、と呟いた福富に、いやあ、と声を上げる。
「寿一、問題。かわいい×かわいいは?」
「…………すごくかわいい?」
「それな」