マネジ! - 7/12

「どした?」
 練習終了後、部室の前でウロウロと落ち着かない一年生達を見つけ、荒北が問いかけると、新入生の中でも抜きん出た長身の葦木場が飛び上がった。
「あ、あのですね! マネジが、そのっ」
 図体の割に気の小さな少年が慌てふためいて、長い手足を振り回しながら何か言い募ろうとするが、要領を得ない。隣で困り顔の泉田に目を向けると、部室の中を指し示す。
「東堂先輩、お疲れみたいで……」
「あー、寝てんの?」
 全てを聞く前に察して、構わず部室のドアを開く。
 年季の入った事務机に突っ伏した背中が目に入って、遠慮なくその後ろに歩み寄って肩に手をかける。朝には重く湿っていたジャケットだが、どうにか乾いたようだ。
「東堂、起きろ。一年が着替えらんなくて困ってっカラ」
 平手でその後頭部をはたくが、予想通り目を覚まさない。
「さっきから声かけてるんですけど、全然……」
「あー、うん、コイツこうなったら起きねーから」
 寝起き自体は良いし、睡眠時間が少なくても元気に稼働しているのだが、突然電池が切れたかのようにどこでも寝てしまうのだ。優秀な体内時計を持っているようで、時間を正確に区切って三十分だけ寝て起きるという芸当もしてみせるが、完全な電池切れの場合は充電が完了するまで外部から何をしても目を覚まさない。
 これは電池切れの方だろう、とペンを手にしたまま突っ伏している体勢から判断して、ペンを引き抜いてキャップをすると、改めて東堂の身体を引き起こす。
「あの! 乱暴なことは!」
「しねーよ」
 荒北の東堂に対する日頃の乱雑な扱いを心配して声を上げた泉田に応じ、背と膝裏を抱えて持ち上げる。途端、びらりと広がったスカートに大いに焦った。
 どこでも寝落ちする東堂を回収するのには慣れたが、女装姿は初めてである。この体勢で持ち上げると、重力に従ったスカートが全開になるなど予想もしていなかったので、一瞬取り落としかけて慌てて抱き込む。下にレースパンツを穿いているので、焦る必要はないのだが、気分の問題である。
「スカート短ェよ、このボケナス!」
 膝下まで裾が長ければこんな事態は発生しなかったのに、とぼやいて体勢を変えて肩に半分担ぎあげるようにして腕でスカートの裾を押さえてやって、部室を横断するとベンチの上に転がす。
 カチューシャを引き抜くと、乱れた黒い髪が顔の上に散って、血の気のない肌が余計青白く見えた。舌打ちをしてその頬に手を当ててみれば、ひどく冷たい。
「っのバカ」
 本日二度目の貸し出しとなる制服のジャケットをロッカーから引っ張り出して、頭の上から被せると、ついでに右手を持ち上げて感触を確かめる。
 僅かに親指の付け根が熱を持っているようだったので、再度舌打ちしてその手を放り出し、ここ数日で東堂が片づけた備品をかき回してテープと湿布、鋏を見つけ出すと、ベンチの横に戻ってもう一度手を取った。
 苦々しい顔のまま、手早く湿布に切れ込みを入れて手の形に合わせて貼り付け、テープを巻くと手当を終えた右手を放り捨て、ようやく一年生達を振り返る。
「コイツ、絶対起きねーから、気にしないで着替えて帰れ」
 手短に指示して、机に広げられていた日誌に手を伸ばす。どうやら、書き終わった瞬間に寝落ちたようで、マネージャー業務は終わらせているようだ。
 暗い窓の外の様子を窺って、雨足の強さに口角を下げる。
 朝の口ぶりでは、この天候でも自転車で帰るつもりなのだろうが、ロードバイクのタイヤで濡れた暗い山道を走行するのは危険が大きい。本人も本調子ではなく、まずいつ起きるかも怪しい。
 どうしたものか、と悩みながら窓の外から視線を戻すと、一年がまだ先程の位置から動いていない。
「ナニ?」
 顔を見合わせている一年に苛立つ。
「ソイツのことは気にすんナ、いいから帰れ」
「でも……」
「ナンダヨ?」
「ぶっちゃけて言うと、柄の悪い荒北さんと寝てるマネジを二人きりにしていいのかって思ってるだけっすけど」
「黒田くん!」
 無遠慮な黒田の物言いを窘めるように声を上げるが、発言自体は否定しないところを見るに、泉田も同意見のようである。
 東堂を女子マネージャーと信じて疑っていない一年の、的外れにも程がある心配に噛みつく気力さえ奪われて肩を落とす。
「……オレが、コレをどーするってェ?」
「今朝、荒北さんがマネジと修羅場って泣かせてたって、スゲー噂んなってますけど」
「…………」
 結局、朝のホームルームに少し遅刻したのだが、東堂が泣き腫らした目をしていたことに物議を醸し出していたのは気づいていたが、学年を越えて噂が駆け巡らなくても良いのではないかと思う。
「どうした?」
「タスケテ福ちゃん……」
 ちょうどいいところに入ってきたチームメイトに助けを求めると、朴念仁の鉄仮面は部室内の空気に首を傾げた。
「何をしている、一年は片付けて帰れ」
 福富の明確な指示には黒田も反発を見せず、諾々と帰る準備を始めた一年達に大きく息を吐き出す。
「ああ、尽…マネジ寝落ちたんだ? 靖友がいじめて泣かせたりするから、疲れちまったんだな」
 ベンチで昏々と眠る東堂に気付いて上着を捲って寝顔を覗き込んだ新開が、荒北を振り返って指で作った銃口を突き付けて口笛を吹く。
「いじめてねーよ」
「何でも、雨に濡れたマネジにグラッときて下駄箱の前で服を脱がせて、人気のない教室に強引に連れ込んだとかなんとか」
 実際の行動に色眼鏡をかけて、おもしろおかしく吹聴されているのは分かるが、この偽マネージャーが男であると知られているはずの二年の間で流れる噂としては、非常に疑問がある。
「ズリぃよ、靖友。マネジは俺が泣かせたいのに」
 完全に面白がっている新開をじろりと睨む。
「なら、問題ねーダロ。お前が怒ってるって言ったら、ソイツ泣いたから」
「…………え?」
「隼人は優しすぎて、去年のゴタゴタに巻き込んじゃったから、今度は絶対巻き込みたくないってさ。良かったネ、相思相愛で。相思相愛すぎて今ちょっとコジれてっけど、ちゃんと話合えばいいんじゃナァイ?」
「え…ちょっ、何だよそれ!」
「ぶっちゃけ超迷惑だからァ。お前らの痴話喧嘩に巻き込まないでくれるゥ?」
「靖友!?」
 これほど慌てふためいた新開を見たのは初めてである。余程虚を突かれたのか、動転しきった顔にじわじわと朱が昇る。
「一年、帰れ!」
 ぽかんとした顔でこちらを見ている下級生を、珍しく怒鳴り散らして追い払うと、部室のドアを閉めた新開が赤くなった顔を向けてきた。
「靖友、なんかキャラ違くね?」
「チャリ乗ってねーのに鬼みたいな顔すんなヨ、隼人チャン」
「靖友くん、今、超ゲスい顔してるぜぇ?」
「…………どういう喧嘩だ?」
 至近距離でいがみ合った二人の横で、福富が首を捻る。
「新開が人で遊ぶのが悪ィ! 大方の意味分かんねーウワサ、テメェが面白がって広めてんだろが!」
「オレだけじゃねーよ! 端から見たら誤解招く行動ばっかしてるのが悪いのに、こっちにスキャンダル要素押し付けるなんて、靖友のくせに生意気だ!」
「どこのジャイアンだ、テメェ!」
 珍しく逆上した新開と、ここ数日の鬱憤が溜まった荒北の応酬に、あっさり興味を失ったらしい福富が、部室の戸締りを始める。その間に二人の言い合いはヒートアップしていくが、福富は気にした様子はなく、ベンチで眠る東堂が目を覚ます気配もない。
「大体、こんな可愛い女子マネと噂になって何が不満だよ!」
「ゼンブ不満に決まってんダロ! しかもオレ悪役じゃねーか! アホなカッコした東堂が横にいるだけで、ヒソヒソされんのムカつくんだよ! 一年はオレから東堂を守るみたいな状態になってっし、黒田はいちいち絡んでくるし! 新開いつも東堂とベタベタしてんだから、これ全部お前が引き受けろよ!」
「トラブル諸々引き受けるつもりで、いつもより三割増しベタベタしてんのに、周りにも本人にもスルーされてんだよ! なんか尽八にビミョーに避けられてこっちはモヤモヤしてんのに、何だそれ自慢かよ!」
「今、どこに自慢できる要素があったよ!? こちとら嫌われんのは慣れてっけどなあ、ここまで見当違いのネタで好き勝手言われんのは、いい加減ウゼえんだよ!」
 声を高めて噛みつくと、新開が首を傾げた。その間に、さすがに怒鳴り疲れたので、荒北は自分のボトルに手を伸ばす。
「靖友?」
「…………ナニ?」
「好きだよ?」
 ドリンクを含んだところを狙ったとしか思えないタイミングの一言に、盛大に噎せ返る。
「新、開……て、め……ッ!」
「いや、なんか靖友、そういうとこ妙にネガティブだなーって。なあ、寿一、靖友のこと好きだよな?」
 突然話を振られても動じることなく振り返った福富が、少しだけ考え込んだ。
「誤解される言動が多いが、真っ直ぐに自転車に向かう姿勢は好ましいと思う」
 自転車馬鹿の飾り気のない言葉に、へなへなとその場にしゃがみ込む。
「新開、テメェ……」
「起きたら尽八にも聞いてみろよ、大好きーって返ってくるから」
「ネーヨ!」
 要するに、先程荒北に不意打ちを食らって大きく動揺を見せたことに対する意趣返しだったらしい、と気づいて嘆息する。
 おそらく、先程の新開も今の荒北と同じような衝撃を食らったのだろう。
 そもそも、この状況は何だ、と我に返ると色々と頭が痛い。
 泣かせただの好きだのといった痴情が縺れたような言葉が飛び交っているのに、関係者が全員同性であると気づけば、なみなみならぬ疲労感を覚えて肩を落とす。
 新開の方もここに至って同じ境地に達したらしく、東堂の眠るベンチの隅に腰を下ろして大きく息を吐き出した。
「気は済んだのか、二人とも?」
 福富に淡々と問われて二人は同時に脱力した。気が済んだというよりは、気が抜けてもういい、と互いに呻く。
「それで、それはどうするんだ?」
 問われて、これまでの騒ぎにも全く目を覚ます気配のない東堂を改めて振り返る。これは、完全に起きない。
「んー、普段なら一時間くらいで起きるけど、これは六時間コースかなあ」
「知らネ」
 東堂の顔を覗き込んでの、新開の起床時間予想に肩をすくめる。
 既に夕方の六時を過ぎているので、そこまで眠られると起きるのは日付を超えることになる。部室に置き去りにするのも問題になるので、どうしたものか悩ましい。
「この雨だしな、家の人に迎えに来てもらうか……?」
「福ちゃん、東堂の家の番号知ってんの?」
「いや、緊急連絡先の名簿があるだろう」
「どこに?」
 部の連絡網は部員本人の携帯電話とアドレスが記載されたものが各自配布されているが、自宅の住所や番号は載っていない。事故などの緊急の際に保護者へ連絡するために用意した名簿があるはずだと言うが、机の上に積み上げられたファイルのどれがそれなのか荒北は知らない。
「……今期の分を、東堂が作成してたはずだが」
「そいつが今使いもんになんねーの」
 今週に入って、いい加減に詰め込まれていたファイルの整理を始めたようだが、整理途中の資料の山は、始める前よりひどい混沌状態にあり、今どこに何の書類があるのかは東堂にしか分からない。
 部の共有パソコンにはデータがあるのだろうが、共有と言いながらも操作していい部員はごく一部の役職持ちに限定されている。会計の東堂が何か打ち込んでいるのはたまに見かけたが、他のメンバーはまず起動のパスワードを教えられていない。
「職員室に行って事情を話して先生にお願いするか……」
「タリィな」
 校舎とクラブ棟はかなり距離がある上に、この雨である。
「そもそもコイツの家って、ここまで迎えにこれンの?」
「……そうか、今一番忙しい時間帯なの、か?」
 実家が旅館だとは聞いたが、どの程度の規模なのかはまるで分からないし、今朝の口ぶりでは、基本的に息子は放任されているようだった。
「寮に運んで寝かす?」
 もちろん、寮も一般生徒を泊めることは厳禁だが、元々東堂は寮生なので、その点は問題ない。運ぶのが少々大変なのと、今、東堂が女子制服を着ているのが面倒だ。
「正面から、これ東堂でーすって通れんじゃね?」
「一年に見つかったら、マネジが男ってバレんじゃん」
「もうバラした方がいいんじゃねーの?」
 諸々面倒なことになっているのは、東堂が女装を解いていないことにある。
 ずばりと言い切った荒北に、福富と新開が微妙な顔になった。
「一年を含め、部員のストレスを考えると、もう止めた方がいいとは思うが……」
 その疲弊した中に福富自身も含まれているようである。
「ストレス溜まってんなら、やめたらって言いたいとこだけど、尽八が何かしんどそうなの、たぶん女装は全然関係ないんだよなあ。これはこれで楽しそうだし、下手にバラすと、ずっと尽八に恨まれる気がする」
 マネージャー業に集中したい、という魂胆はあったようだが、そのために女装をする必要はなかったはずだ。別に女装趣味はないと言っているが、ミニスカート姿にも、女子らしい振る舞いにも、それに対する周囲の反応にも全くストレスを感じていないようなので、男子高校生として非常に不思議なメンタリティである。
 むしろ、この強靭かつ珍妙な精神構造の持ち主を、ここまで疲弊させるような事態が謎だ。何を抱えているのか知らないが、実に面倒な生き物である。
「で、どーすんの?」
「尽八が寝てる間に男だってバラすと、祟られそうだから嫌だ」
「山神、祟んの?」
「少なくとも、向こう一年は延々文句を言われる」
「いや、卒業まで言うね」
 なるほど、それは鬱陶しい。
「じゃあ、どーすんのォ?」
「んー、たまに裏の窓から女連れ込んでる奴いるけど、そのルート使う? 靖友の部屋近いし、そのまま放りこんじゃえば一年に見られることないだろ」
「オレの部屋かヨ! 東堂の部屋に放り込めばいいダロ!」
「尽八、三階じゃん。運ぶの大変だし、一年に見られる可能性も高いし」
 新開ののほほんとした指摘にぐっと詰まる。
 一階に部屋があるのは荒北だけで、他は皆、階が違う。
 東堂を寮に運び込むなら、荒北が部屋を提供するしかない。
「クッソ!」
 吐き出した悪態を了承だと承知している福富と新開は、決まりだな、とうなずいた。