マネジ!(おまけ)

※カバー下おまけSS

「新入生への部活紹介、説明は黒田と泉田に任せる」
「「はいっ!」」
 主将の一任に、二年に上がったばかりの二人が背筋を伸ばして返事をしたが、続いた副将の命は快諾できずに固まった。
「……東堂さん?」
「泉田には後で女子制服貸与するから残るように」
 平然とした顔で繰り返した東堂は、そのまま注文を続ける。
「泉田には特別オーダーだ。二週間の仮入部期間、女子マネージャーとして活動。最終日の一年生レースで全員千切ること。コースはお前の得意な平坦でいい」
「いや、ちょっ、待っ、そんなっ!?」
「あの、東堂さん、もしかして、去年のアレは恒例なんすか……?」
 無茶苦茶な上級生命令にまともな日本語にならない泉田に代わって、黒田が顔を引きつらせながら問うと、東堂が胸を張った。
「箱学自転車部伝統の、確実に新入生の心を折る恒例行事だ! 昨年の功労者は翌年の偽マネージャーを指名する権利がある! ちなみに創始者はオレだ!」
「去年からじゃないっすか! っていうか、マジで心折れるからやめてください!」
 昨年の春、女子マネージャーに扮した東堂を本物の女子と信じていた二年生達が、トラウマに触れて一様に涙目になっているのを指し示した黒田の肩に、東堂が手を置いた。
「あれを乗り越えて部に残った一年は、皆メンタルが強くなるんだ」
「ずっと実績あるみたいな言い方ですけど、去年初めてやったんすよねえ!?」
「そう、つまり、ここで止めたら上級生の無体に傷つけられたのは、お前たちの世代だけということになるな」
 ざわ、と部室の空気が揺れるのを眺め、荒北が嘆息する。
「アイツ、ホント人言いくるめんの得意だよな」
「尽八だからな」
 止めるのも面倒という域に達した荒北と、面白がっている新開が眺めている間に、二年生達の洗脳が終わり、自分達だけがあんな理不尽を強いられてたまるか、という方向に空気が変わった。
「……塔一郎、頼む」
「ユキっ!?」
 変節した友人に、孤立無援になった泉田が悲鳴じみた声を上げた。

「泉田、化けたなァ」
「かわいいだろ」
「泉田は髪の短さと筋肉が男らしいだけで、顔は可愛らしいからな。ウィッグを付けて冬服を着せてしまえば分からんさ。スカートの下のジャージはどうかと思うが、本人がどうしてもというのだから仕方ない」
 どうしてお前が自慢げなのだ、とお得意のポーズの新開に半眼を向け、更に自信満々な東堂にも冷たい視線を向ける。
「何で今年は自分でやンなかったの?」
「去年より背も伸びて、そろそろ無理があるからな! いや、もちろんオレがやれば美しいに決まっているが、後続に譲るのも上級生の務めだ」
「譲ってやるなよ、ってゆーかそんな道筋つけンな」
 何故、この馬鹿げた企画を今年も継続したのか、しばらく様子を窺っていたが、特に何を企んでいるわけでもなかったようで、下級生達のために止めてやればよかったと後悔しはじめた荒北である。
「つーか、あんだけ嫌がってた泉田をどう言いくるめたワケ?」
「トレーニング機器の優先使用権と高級プロテイン」
「あー、アイツ、冬にちょっとデブってから筋肉置換にハマっちゃったみたいネ」
 トレーニングを続けてもう少し筋肉が太れば女装も通らなかっただろうが、今現在の引き締められた身体は服の上からでは細身に見える。
「泉田はウィッグを外して服を着替えれば、男にしか見えないから得だな。堂々と寮で寝起きしていても男子制服で授業受けていても誰も気づかん」
 自分の時は苦労したのに、と愚痴っているが、東堂の場合は好きでやっていたようにしか思えないので同情の余地はない。
「新開さん!」
 急に切羽詰まったような声が上がったかと思うと、噂の張本人が逃げてきた。
「どうした、泉田?」
「一年が仕事手伝うってしつこいんです!」
「手伝わせればいいだろう?」
「からかってくるから嫌なんです!」
「甘いな泉田、そういうのは笑顔で悩殺して体よく使うものだ」
「ボクは東堂さんと違うんです!」
 新開の背に回って東堂に小声で噛みつく泉田は、確かに女子にしか見えない。
 髪型と女子制服の効果も高いのだろうが、本人に恥じらいが大きいのか、俯きがちで声も小さく、すぐに赤くなるのが内気な女子にしか見えない。自信満々に愛嬌を振りまいて一年を誑かしていた東堂とは正反対で、その分付け入る隙を与えやすいのか、からかってくる一年を捌ききれずに時々こうやって逃げ込んでくる。
「イズミちゃーん、何逃げてるのー? 初心者歓迎って言ってたじゃーん」
「洗濯物置いてっちゃ駄目でしょ……って、新開さん! 荒北さん!」
 軽薄な声を上げて部室棟の角を曲がってきた一年生達が、三年に睨めつけられて萎縮した。ペダルを回すことよりも女子マネージャーをからかうことに熱心な新入生だが、からかっている相手が本物の女子でないことにも、この場で一番警戒すべき危険人物が新開でも荒北でもなく、東堂であることにも気づいていない辺り、見込みは薄い。
「何、洗濯物干すの手伝おーとしてくれたの?」
「は、はいっ!」
「じゃ、二人でやって。泉田はこっちの仕事頼むから」
 のんびりした口調にも関わらず、滲む威圧感は察したようで、洗濯物の籠を持ってすぐさま踵を返す。
「あー、やっぱイズミちゃんチョロそうだけど、新開さんのガード固ぇよ」
「あれ付き合ってんだろ、絶対」
 聞こえてくる勝手な言い様に、新開の背中に隠れていた泉田が顔を真っ赤にして震えていた。
「泉田、キツけりゃもうギブアップしてもいいけどォ?」
「いえ……こうなったら最終日あいつらまとめてチギります」
「……あっそ」
 顔が赤いのも震えているのも、羞恥ではなく憤怒からきているようである。当人がその気ならば、特に荒北が止めてやる筋合いもない。
「レース、期待してるぞ、泉田」
「はいっ!」
 憧れの先輩からの激励に目を輝かせている泉田に、好きにしろと息を吐き出して、荒北は立ち上がった。
「ローラー空いたなら回してくるワ」
「待て荒北、オレも行く」
 携帯を片手に、もう片方の手で荒北の腕を掴んだ東堂は、横着にも荒北に歩行を任せて千葉のライバルに送るメール作成に集中しており、途中で壁にでもぶつけてやると心に決めたので、文句も言わずにそのまま引いてやる。
 そこの角にしよう、とクラブ棟の端に寄ったところで曲がってきた新入生と鉢合わせた。
「スミマセーン、泉田先輩見ませんでした?」
 にこりと人懐こく笑う一年を胡乱げに見下ろすが、優しげな顔をしているくせに荒北を怖がる様子はない。
「あっちに新開といるけどナニ? あんま泉田に変なチョッカイ出すと、後が怖いからヤメとけよ」
「やだなー、主将に呼んでくるように言われたんですよ。それにオレ、ホモじゃないんで」
 へにゃりと笑って軽く頭を下げ、立ち去った一年生の背中を思わず見送る。
「……バレてんじゃねーか」
「真波山岳、ぼんやりしているように見えて、なかなかやるな……そしてあの顔。来年は奴がマネジ役だな」
「来年もやらせる気かヨ!」
 携帯から顔も上げずに言う東堂に噛みつくと、山神は楽しげに笑った。
「箱学の伝統だからな」