Kiss,Kiss,Kiss

「荒北! オレの好きなところ三か所にキスしろ!」
 脈絡もなくそう詰め寄ってきた東堂に、試験問題集に向かっていた荒北は椅子ごと振り返って半眼を向けた。
「ハ?」
「さあ、やれ!」
 どこにでもキスをしろ、と屈み込んで目を伏し、荒北のリアクションを待つ東堂を見下ろし、荒北はその全開にされた額を指で弾いた。
「痛い!?」
「信じられない、みたいな顔スンナ! オレが信じらンねーよ!」
 何を考えているのだ、と薄い唇を歪めて唸れば不細工だな、などと平然と宣う恋人を、荒北は二人の距離に反比例した遠い目で見やった。
 そう、何の因果か、この突拍子もないお調子者が恋人である。
 時折どうしてこうなったのかを真剣に悩むことがあるが、なるようにしてなったという曖昧な結論にしか至らない。今、まさにその疑問に突き当たった荒北は、改めて悩みの種を見やった。
 頭はキレるが途方もない馬鹿で、姿形は整っているが、小さな顔に大きすぎる眼は人形じみた印象を人に与えて、ある意味異様だ。山神と謳う登坂能力は気味が悪いほどに静謐に満ちている。総合すると、異常だ。
 そう言えば、胸を反らして常人ではないからな、とでも言いかねない摩訶不思議な性格をしたこの男とはひたすらに反りが合わず、喧嘩ばかりしていた覚えしかないのだが、何故か恋人という関係に納まった。ちなみに喧嘩は今でも変わらない頻度でしている。
「で? 何がしたかったワケ?」
 聞いてやらないとまた拗ねて手が付けられなくなるので、渋々問うと、ぱっと顔が輝いた。
「心理テストでな! 最初にキスしたところが、ええと……」
「忘れてンじゃねーよ!」
 思わず声を高めると、悪びれもなく明るく笑う。
「好きなところを三か所というのが気になっただけだからな。お前、オレのどこが好きだ?」
 それを現在進行形で、心の底から悩んでいるところである。
「荒北っ」
「ワクワクすんな!」
 膝の上に乗って顔を覗き込んでくる目が期待に満ちて輝いていることに、荒北は深々と嘆息した。どうしてこんな阿呆な生き物に惚れたのか、さっぱり分からないが、たぶん、この眼は嫌いではない。
 小さく舌打ちして、その中身がさっぱり理解できない頭を鷲掴んで引き寄せ、目元にキ唇を寄せるとくつくつと笑って次は、と問われる。
「ッぜ」
 掴んだままだった頭をもう少し寄せて、カチューシャを引き抜いて放り捨てると、落ちてきた柔らかい髪を摘んで掠めるようにキスをする。
「お前、オレの髪好きだな」
「別にィ」
「照れなくてもい……にぎゃっ」
 何やら鬱陶しいことを言いかける東堂の髪にそのまま指を通し、うなじまで辿ると、長めの襟足をかき上げてがぶりと噛みつけば、色気も何もない悲鳴が上がる。
「あ…らきた! それはキスと言わんだろう!」
「ハイハイ、吸えばいいんダロ?」
 ちゅ、と音を立てて日に晒されることのない部位を吸い上げると、その行為によって全身から血が集まったかのように首筋と、髪から覗く耳が赤く染まった。
「東堂チャン、お前の照れポイント分かンねーんだけどォ?」
「オレはお前のスイッチが分からんわ……!」
 火照った顔から熱を逃そうとでもしているのか、首を振りながら噛みつかれて、荒北は思わずニヤついた。
 どうやら、このよく分からない生き物をやり込められたようだ。
「で? 東堂はオレにキスしねーの?」
「えっ?」
 ここぞとばかりに畳み掛けようとして、返ってきた反応は素の声だった。
 誤魔化す様子もない不思議そうな顔に、荒北も意表を突かれて咄嗟に反応できず、何も言えずに固まった。
「…………あ、好きなところ三カ所か?」
 聞くな、と苦虫を噛み潰した顔をした荒北に、東堂が真顔で眉を寄せ、考え込んだ。
「別に見た目はなあ……」
「てめ……っ」
「好きなのは中身だからな」
 噛みつきかけたところを、てらいもなく告げられて肩すかしを食らう。
 本当に、この男の恥じらうポイントが理解できない。
「ちょっと待て、考える」
「そんな考えてまでしてほしくねェよ!」
 間を置かれると、この馬鹿に煽られて恥ずかしい真似をした事実がじわじわと染みてきて居たたまれない。
「あー、もういいから出てけ! オレは受験生なンだよ!」
 余計なことに頭を悩まさせるな、と部屋から追い出そうと試みるが、その手を取られて指先に口づけられた。
「指は好きだな。長くて細くて綺麗だ」
「っ! ァに言ってんだよ、ボロッボロだっつーの!」
 手を振り払って、牙を剥くように唸る。
 確かに手は大きい方だし、指は長めで中学時代には重宝したが、何度も折ったり割ったりした爪は歪んでしまって、その指先はぼろぼろだ。荒れた指はお世辞にも綺麗なものではない。
「それが好きなんだ」
 まっすぐに笑まれて、言葉を失った。
 東堂は、大概のことにつむじまがりな反応しか返せない荒北からすれば空恐ろしいほどに、好意を表明することを躊躇わない。
 正直、身が保たない。
「いーから、ほんと出てけ」
 もうこれ以上は付き合わない、と椅子に座り直して背を向けるが、そんな天の邪鬼の拒絶を意に介さず、背に吐息が触れた。
「あと背中。背中がかっこいい男はモテるぞ。もしかしたらお前もモテるかもしれん、振り向かなければという注釈がつくがな」
「お前さァ……」
 時間をかけて悩まなければ、好きな部分も思いつかない上にこの言い様である。一体何が良くて恋人などという関係に収まったのか、常に自問自答している問いを投げつけたい衝動に思わず駆られるが、どう考えても墓穴を掘る羽目になるのが目に見えているので、それ以上何も言わずに口を噤む。
 しばらくしてもう一度右手を取られ、今度は何かと半ば諦めながら好きにさせると、セーターの袖を捲られた。暖房は効いていたが、ひやりとした感触に僅かな違和感を覚える。
「ナニしてんの東ど……」
 右肘に触れた柔らかい温もりに、何を言いかけていたのかも忘れた。
 自分がどんな顔をしているのかも見失って、ただ呆然としていると、身を起こした東堂に頭を抱え込まれた。
「痛かったか?」
「……や、ベツに」
 痛みなどとうにない。
 時折天気の悪い日や気温の低い日に、奥が疼くような違和感を覚えることはあるが、普段暮らしている中で不自由を感じることはない。
 結局、中学時代の苦々しい挫折を荒北は誰に語ることもなく、ただ近しい仲間達はなんとなく察して高校生活の三年が過ぎた。いつの間にか語りもしなかった過去を委細承知して、したり顔をしていた東堂と酷い衝突をしたのは、もう随分前のことのような気がする。
「…………何、お前……」
「それは、お前をひどく傷つけただろうが、それがなければお前は今ここにいなかったし、オレが好きな今のお前でもなかった。そう思えば、これほど愛しいものは他にない」
 言って、再度身を屈めて剥き出しにした尖った肘に口づけを落とした東堂に一瞬呆然として、荒北は深々と嘆息すると腕に首を引っかけるようにしてその身体を抱き込んだ。
 この、途方もない相手の好きなところを上げろと言われれば、心の底から悩むが。
 他に、こんなものがいるはずがない。