東堂がこの女装をはじめてからというもの、何故か荒北は周囲から話しかけられることが増えた。
荒んでいた一年の初めの頃は誰も目を合わせようとしなかったし、自転車部に入って生活態度を改めても、しばらくは福富とその周囲にいた新開や東堂としか交流がなかった。それでも三学期の後半にはクラスメイトとは普通に会話を交わすようになっていたが、進級によって再編成されたクラス分けでほぼリセットされた。
常に不機嫌そうな顔と態度の悪さはこういった時に非常に損で、また遠巻きにされかけたのを緩和したのは、同じクラスになった東堂の存在だった。彼のあまりに馬鹿げた振る舞いを叱りつけ、場合によっては力づくでおとなしくさせているうちに、新学期が始まって一週間でクラスでの認識が自転車部のツッコミの方、となっていたのは非常に不本意である。
ボケの方であるところの東堂は、一部の取り巻きを除けばその振る舞いを諦め半分で愛でられていて、クラスのマスコットのような扱いで定着していたが、ここにきて少し事情が変わった。
ほとんどの男子が女装した東堂に近づくのを、あからさまに避けるようになったのである。
これまで東堂を通じて回ってきていた連絡事項が逆の流れになり、直接伝えればいいようなことまで荒北に伝言を頼まれるので面倒くさい。
直接言え、と文句を言ったところ、口を揃えて近寄りたくないときっぱりとした拒絶が返ってきた。自転車部の二年と三年も悪ノリしてやらせた割には、同じような態度なのが腹立たしい。
「荒北、東堂なんだが、まだアレ続けるつもりなのか……?」
黙認した顧問やコーチまでもが同様なのも、大変苛立たしい。
「東堂に聞ィてください」
「いや……まあ、なあ……?」
その日のうちに性別がバレると思っていたのだ、と顔を覆う顧問の慨嘆など知ったことではない。笑い話のつもりが笑えなくなったと嘆かれても、最初から反対し続けていた荒北からすれば自業自得である。
そもそも、どうして未だに一年達が、あれを女子マネージャーだと信じていられるのかも分からない。そろそろ違和感を感じていい頃合いである。
「そりゃ、可愛いしよく働くし、マメに一年の面倒見てるからなあ。高校入学して部活入ってあんな先輩いたら一年坊主なんて、簡単に舞い上がるだろ」
「ハア」
さっぱり理解できないので、気の抜けた相槌を打つ。
「一年の影響を考えると、これ以上引っ張るのは良くないと思うんだが……」
「本人に言ってください、つーか何でみんなオレに言うんスか?」
一番仲がいいのは新開だろうし、同学年のとりまとめなら福富だろう。
「新開だと一緒に馬鹿やるし、福富には今の東堂にどんな顔で接すればいいのか分からんと泣きつかれてな」
「福ちゃん……」
いつもと変わらない顔と態度にしか見えなかったが、それなりに追い詰められていたらしい。
東堂の今の姿を見てげんなりするとか、しょっぱい気持ちになるのは荒北も同様なのだが、部員やクラスメイトの消耗ぶりは解せない。
「あいつ、お姉ちゃんがいるんだがな」
知っているか、と問われてもつい最近知ったチームメイトの家族構成である。
「東堂そっくりで、優等生でよく気の付くイイトコのお嬢様でなあ」
「オジョウサマ」
聞いた話では、高笑いをする奇矯な性格の美人とのことだったが。
「東堂の家が、この箱根の老舗旅館だって知らないのか?」
「ワザワザ家の話なんかしないんで」
寮に入っているのに、家が地元にあることを知ったのだって、ついこの間のことだ。
「まあ、その女将修行なんだろうな、お茶やらお華やら習ってて、普段から着物姿で家を手伝って、いかにも大和撫子って風情でな。冗談でうちの息子の嫁になってくれなんて言うと、お婿に来ていただけるなら、って返ってくるようなお家なんだが」
「ハァ」
「弟の方も、やたらと今回のマネージャー業の手際がいいから、何でだって聞いたら、お姉ちゃんと一緒に一通り習い事も家事も仕込まれてるから、いつでも嫁に行けるって返ってきてな……」
「ヘェ……」
あんな落ち着きのない騒々しい男が、茶道や華道を習えるものなのかが謎である。
「弟の方なら嫁にくるのか、いいかもしれんとか、うっかり思った時の気持ちが分かるか?」
「イイエ、サッパリ」
何の同意が求められたのかすら分からない。
「だからみんな、お前に頼るんだろうなあ」
それが理解できないからこそだ、と告げられて眉を寄せる。
「お前、今の東堂見てどう思う?」
「途方もないバカにしか見えませんケド」
「お前はそこが揺るがないからな。まあ、アイツも色々考えちゃいるんだぞ。三年とちょっとギクシャクしてたのも、今回の件で吹っ飛んだしな」
三年も同級生と同じく、女装した東堂に極力接しないようにしているだけのことである。どこまで計算尽くだったのかは分からないが、ここしばらく三年が東堂に絡むことはなくなった。
「部室も随分片付いたし」
その辺りの問題は、ちゃんと顧問も認識していたらしい。
「だから、もう、終わらせていいんじゃないかと思うんだが」
「だから自分で言ってくれないっすか?」
「今回の件、学園長のお墨付きだからなあ……」
例の許可証である。
「そういや、アレ何なんスか?」
「学園長は東堂姉弟お気に入りだから……」
そんなあからさまな依怙贔屓が学内に存在していたのかと、微妙な顔になると、顧問は遠い目をする。
「古株の先生の話だと、まだ箱学が共学になる前の男子部と女子部に分かれてた頃、東堂のお祖母さん、男子部の生徒のマドンナだったらしくてなあ……。学生だった当時の学園長、熱烈なファンだったそうだ。たぶん、女装してる東堂がそっくりなんじゃないか?」
「……東堂の一族は、代々箱学にファンクラブ作ってんスか?」
「いや、地元全体にだ」
笑い飛ばさせてくれなかった教師に、頭の痛いものを感じながら、忙しく立ち回る偽マネージャーを眇め見る。
「あー! 東堂センパーイ!」
また絶妙のタイミングで上がった、ハートマークの付きそうな呼びかけは、朝練のランニング中と思われる通りすがりの運動部の女子集団からである。呼ばれて振り返った東堂が首を傾げたところを見るに、知り合いではなさそうだ。
「今日もすっごくキレイですー!」
「かわいー!」
「お仕事、がんばってくださーい!」
次々と上がる声援に頭が痛いが、言われた当人は笑って両手を振った。
「ありがとー!」
「「かっわいー!」」
きゃいきゃいと騒ぎながら走り去っていった女子集団の後ろ姿を見送って、今のは何だ、と顧問が問う。
「バレー部の女子と仮入部中の一年っすね」
「あれは、つまり、他の一年は東堂が男だって知ってんのか?」
「昨日もテニス部女子があんな感じだったんで、女子は上から聞いて知ってンじゃないっすか?」
男子の方は最初皆がまだ悪ノリしていた頃に、運動部の横の繋がりで圧力をかけてネタばらしをしないよう箝口令を敷いたはずなので、まだ情報統制が徹底しているはずである。
女子のネットワークはどうなっているのか分からないが、あの様子からして広く知られた上で、今回の結末を見守られているようだ。
「…………一年がこれ以上傷つく前に、止めた方がいいんじゃないか?」
「自分で止めてクダサイ」
昼休み、購買でパンを買って帰る途中の中庭で、不審な動きを視界の端に捉えて荒北は目を眇めた。どこかこそこそとした男子生徒の背中を見やり、進む方向を変える。
近づくにつれ、彼が何か携帯電話を前に突き出すように構えていることに気づき、その先に細い足が投げ出されているのを目にしてぎょっとした。
短いスカートから伸びた足に履いた荒北と同じ二年の学年を示す色の上履きだけが見えて、何の真似だと男子生徒の肩を掴んで強く引くと、その拍子に指がボタンを押したのか、シャッター音が鳴る。
「テメェ、何して……」
剣呑な顔で問い詰めかけて、見下ろした先の人物に荒北は黙り込んだ。
中庭の芝生の上に横たわった人物は、確かに女子の制服を着ていたが、女子ではなかった。
長めの髪も、大きな瞳を閉ざしてしまうと全体の造りが小さな顔も、女子にしか見えないが、寮生活と同じ部活の誼で、その女子制服の中身が男性であることはよく知っている。一見細い手足は、引き締まった筋肉で見た目よりも随分と重いことも知っている。
紛うこと無く、東堂尽八である。
「この馬鹿……!」
休み時間の合間に処構わず寝る癖のある東堂だが、こんなふざけた格好をしている時にまでその習性を発揮することはないだろうと額を押さえ、そのままじろりと及び腰の男子生徒を睨む。
「何してた?」
「いや、あの、その……」
倒れている女子に何をしているのかと最初は焦ったが、相手が寝ている東堂でも不審行為に大差はない。
もごもごと何か言い訳めいたことを口にして、後ずさるように逃げだした同学年の男子を最後まで睨んでから、足下に目を向ける。
「そんなカッコで寝てんじゃねーよ、ボケナス」
「起きてる」
ぼそりと返ってきた声に少し驚いた。いつもなら、昼休みが終わるぎりぎりまで寝て、周りが騒ごうが、起こそうと揺さぶろうが目を覚まさないのだが、珍しいことに今日は熟睡していなかったらしい。
日が眩しいのか、腕で目元を覆うようにした隙間から、細めた瞳が荒北を見上げているが、気怠そうな表情も見慣れない。
普段ならば、起きた瞬間からテンション高く騒ぎ出すはずなのだが。
「どした?」
顔色が悪く見えて、身を起こそうとしない東堂の横に膝をつく。腕を退かして額に手を当てるが熱はなく、むしろひどく冷たい。
荒北の押し当てた掌から逃れるように身を捩るが、その動作も鈍かった。
らしくない。
「東堂?」
「眠い、だけ……」
寝不足なだけだから寝かせてくれ、という主張がおかしい。いつもの東堂なら、そんなことを人に求めることなく、勝手に寝ている。
「飯は食った?」
「いらない、きもちわるい……」
「体調悪ィなら保健室で寝てろよ」
この顔色ならば、保健医も仮病だなどと言わないだろう。
額に当てていた手を首の後ろに回して起こそうとすると、億劫そうに首を横に振って抗う。
「ここで、いい」
今の見た目では、ここで寝ているとまた先程の盗撮男のような輩が現れそうなので世話を焼いているのだが、分かっていない。
「ったく……」
面倒な、と舌打ちし、仕方なくその横に腰を下ろして昼食の袋に手を突っ込む。
「荒北?」
「寝てろ。午後になっても調子悪ィなら保健室行け」
不思議そうに荒北を見上げていた目が笑った。
「荒北が謎の美少女と昼休みデートしてたと噂になるぞ?」
「謎も何も、今このガッコでテメェの女装のこと知らねェのは、一年の男どもだけだっつーの」
包装を剥いたパンにかじりつきながら、寝ろ、と頭を小突くとくすくすと笑う。少しいつもの調子に戻ったようだが、やはり顔色は悪い。
「もう、やめたらァ?」
つい口を突いて出た言葉に、閉じかけていた瞳がまた荒北を見上げた。
笑みの失せた双眸は、凪いだ水面のように静かだった。
「何を?」
「その馬鹿げたマネジごっこ」
「残り数日だ、やり遂げてみせるさ」
「やり遂げないでくれって言ってんだよ、このボケナス」
周りの精神被害を考えろと毒づくと、口元だけが笑う。
「やらねばならんのだよ」
「誰も頼んでねーよ」
まるで義務のような口振りに呆れると、そうだ、と肯定が返ってきた。
「誰にも頼まれていないな」
感情の色のない白い笑顔に、強烈な違和感を覚えて、弾かれたように正面から向き直ると、きょとんとした目が向けられた。
「どうした、荒北?」
「いや……?」
顔色の悪さは変わらない。
整った顔立ちと血色の悪さがあいまって、作り物のように見えたのが理由だろうか。一瞬前に感じた違和感は霧散して、目の前にいるのは少し具合の悪そうな同級生だ。
「いい、寝てろ」
「ん……」
冷たい顔を手で覆って強引に目を閉じさせると、抗うことなく身体の力を抜く。
寝不足に嘘は無かったのだろう、うとうととした微睡みから本格的な寝息に変わるまでに時間はかからず、しばらく様子を窺ってからそっと手を退けると、今度は完全に寝入っていた。
この姿を、信頼されているのだと勘違いしたことはない。
東堂は誰にでも無防備な姿を平気で晒すし、人懐こい。今ここにいるのが荒北でなく、他の誰でも同じだろう。
「……何だ?」
何か妙な感覚だけがあって、落ち着かない。
いつもうるさい東堂が弱った顔を見せているせいか、はたまたふざけた女子制服のためか、はたまた今の奇妙な状況そのものに対する違和感かもしれない。
もやもやとした感覚を総菜パンごと咀嚼することにして、二つ目の袋を開けながら、荒北は昏々と眠るチームメイトに背を向けた。
昼食を食べ終えて出たゴミを、近くのゴミ箱に捨てに行って、もう少ししたら東堂を起こして授業に出るか保健室に行くか決めさせようと戻ると、何やら姦しい。
声をひそめているつもりなのだろうが、きゃいきゃいと賑やかに囁きあいながら眠る東堂に向かって携帯を向けている女子生徒達に嘆息する。荒北が横で睨みをきかせている間は、通りすがりにちらりと見られる程度だったのだが、ほんの少し離れただけでこれである。
「何してンの?」
おそらく、当人は女装姿の寝顔を盗撮されたところで、何も気にしないのだろうが、荒北は気分が悪い。つっけどんに背後から問うと、下級生の女子の集団は驚いて飛び上がった。
振り返って、そこに立つ上級生の柄の悪さと無愛想な態度に、彼女らは一様に怯えた顔になる。
「あの、私達、別に!」
「そいつ撮りたいなら、起きてる時に頼めばァ?」
自信満々に撮影会を開始するであろう東堂の姿が容易に想像できて、思わず顔をしかめるが、下級生達はその表情を自分達に向けられたものと判断した。
口の中で謝罪めいたことを呟いて、荒北の横をすり抜けて逃げていく。先程の男子に対した際に比べれば、睨みもしなかったというのに反応は非常に悪く、十分に離れたところに逃げた女子の集団から、不満の声が一斉に上がる。
「何あれ、カンジわるーい!」
「ムカツクー!」
声を抑えているつもりなのだろうが、甲高い声はよく響く。
「お前、もうちょっと愛想よくしないとモテないぞ?」
起こそうと手を伸ばす前に、ぱちりと目を開けた東堂が開口一番、いらないことを言う。
「あんなのにモテたくねーよ」
生憎と、荒北はああいった手合いに騒がれて喜ぶ、東堂のような精神構造を持ち合わせていない。
身を起こした東堂が、パタパタと手を彷徨わせるのを見て、転がっていたカチューシャを拾って渡してやると、うっかりいつもの癖が出たのか、髪を全部掻きあげて留めてしまう。
「そーじゃねーだろ」
一度カチューシャを引き抜いて、葉のついた髪を指で梳いて整え、前髪を作ってから改めて空色のカチューシャを差し込んでやると、一瞬奇妙な顔をする。
「ナニ?」
「変な奴だと思って」
「何でお前にそれを言われなくちゃなんねーんだヨ!」
この女装をした変人にだけは、言われたくない台詞である。
「やけに人の髪をいじるのに慣れているから」
「アー、下に妹二人いンだよ」
荒北にとって妹とは、自分で間違って髪や服を変にしておいて、兄が指摘して直してやらないと後で盛大に喚く生き物である。
どうやら、自分はこの同学年の男を妹達と同種の生き物として捉えているのだと気づいて、荒北は嘆息した。根本的に物の考え方が違う、理不尽で我侭で傍迷惑な生き物だ。
「荒北、妹がいたのか?」
「いるけどォ? ってか、お前だって姉貴いんだろ」
わざわざ家族構成など言い合わないだろう、という意味で引き合いに出した途端、驚いていた顔が硬化した。唐突に感情の抜け落ちた白い顔に目を瞬かせると、すぐに薄い笑みが貼り付け直された。
「フクのお兄さんも箱学だったんだぞ。隼人の弟も自転車乗るらしいし、入学してくるかもな」
「へぇ」
気のない相槌を打ちながら、膨れあがる違和感を持て余す。
荒北の妹の存在から、東堂の姉について荒北が触れ、他のメンバーの兄弟の話題となる流れは自然だった。口調もいつも通りで、ただ一瞬の間隙のような表情の喪失が引っかかる。普段、ころころと変わる豊かな表情が剥がれ落ちて、一瞬覗いたのは敵意に似た拒絶だった。
この違和感は何だ、と探りかけた思考は、一つ首を傾げた東堂の次の行動で霧散した。
「ねえ荒北、授業遅れるよ?」
甘く作った声と共に顔を至近距離で覗き込まれ、荒北ははっきり顔をしかめてそのわざとらしい顔を手で押しのけた。
「ヤメロ」
「ひっどーい」
「本気でヤメロ」
スカート姿にはうっかり慣れてきたが、作り声とくねくねと動く所作には未だに拒絶反応が先立つ。嘆息して教室に戻ろうと立ち上がると、同じ場所に向かう東堂も軽い足取りで付いてくる。体調は少し回復したものらしい。
「やる」
頭の上に一つ残しておいた菓子パンを載せてやると、きょとんとした顔をする。
「食えたら食っとけ」
「……ありがと」
「ンだよ、その顔?」
「いや、時々お前はもしかしてすごくモテるんじゃないかと思うときと、顔を見た瞬間にそれはないと思う気持ちが葛藤を起こしてだな」
「すり下ろすぞテメエ」
人の厚意に対していらないことしか言わない東堂の頭を鷲掴もうと、伸ばした手から逃れて、笑いながら走り出しかけた東堂が急に足を止めた。
校舎に入る出入り口の手前に女子の集団が陣取っていて、どうやら先程東堂の周りに集まっていた下級生達のようだ。下手に出て行くと、また荒北には理解不能のテンションで学園アイドルとそのファンのやりとりが繰り広げられることになるのだろう。
姦しく騒いでいる内容も東堂に関する噂話で、聞きたいわけでもないのに抑えていない高い声が耳に飛び込んでくる。
「それでね、お姉さんにフラれた男が逆恨みして酷いこと言いふらしてて! それを聞いた東堂先輩、三年の教室に殴り込んだんだって!」
きゃあきゃあと囀っているのは、先日福富達から聞かされた去年の乱闘騒ぎのことのようだ。
「最初はそいつの言うこと信じちゃってた人も多かったんだけど、それで嘘がバレて、東堂先輩達のファンが凄い怒っちゃって。結局そいつ、学校辞めて逃げちゃったんだって!」
ヒドい、ムカつく、などと一通りその男子生徒に対する感情的なコメントが並ぶのを聞きながら、ちらりと横に立つ東堂の顔に目をやる。話題の主は面白おかしく語られる内容に全くの無反応で、また空虚な白さがそこにある。
「私、東堂先輩と同中なんだけどー、中学の時もあったよ、そういうこと」
知っていることを自慢する声に、東堂の肩が一瞬だけ揺れた。
「うちの学年の女子の間で色々あって、結局そいつも転校して逃げちゃってー」
「えー、何それー?」
「そいつもすごい嘘つきでさぁ……」
捲し立てかけた続きは、予鈴のチャイムにかき消された。
慌てて自分達の教室に戻ろうと騒々しく掛け去る足音を聞きながら、荒北は隣に立つ東堂に目を向け、真っ向から目が合ったことに思わず怯んだ。
「荒北、遅刻するぞ」
たった今まで何もなかった白い顔にいつも通りの笑みが貼り付けられていて、唐突に荒北は違和感の正体を理解した。
どこか憎めない愛すべき馬鹿、そんな人物像は全てまやかしだ。
