「新入生の皆さん、こんにちはー! 自転車競技部の東堂です。これから自転車競技部、通称チャリ部の紹介をしまーす!」
マイクで拡大された声が体育館に響く。
「マジで出ていきやがった……」
「いやぁ、さすが尽八、やると決めたらやりきるよなあ」
ステージ袖で額を抑えた荒北の横で新開が感心したようにうなずき、すぐ近くにいた別の部の同級生がものすごい表情でステージと新開達を交互に見た。
「……アレ、東堂……?」
「かわいいだろ」
何を仕留めるつもりなのか指で銃の形を作って得意満面の顔をしている新開の横で、荒北はひたすら頭が痛い。
ミーティングのその後、本気で女装してマネージャーとして部活紹介のオリエンテーションに挑むつもりになった東堂を、周りが更にけしかけて計画はエスカレートした。この女装、オリエンテーションの今日だけでなく、一年の誰にも看破されなければ仮入部期間の二週間やり通すことになってしまった。
もはや止めるだけ無駄だ、と諦めた荒北だったが、早計だったかもしれない。
一年前は女子でも通用しただろうが、さすがに今、声や体格で性別を見間違えるようなことはない。すぐにバレるに決まっていると楽観していたのだが、周りの反応を見る限り怪しくなってきた。
どこからか調達してきた女子制服を着て、きらきらした飾りの付いたカチューシャをしただけである。カチューシャはいつも付けているのだから、見た目の印象に大差ないと思われるのに、少し下ろした前髪と幅広の可愛らしいピンク色のカチューシャの威力は絶大だった。
「声どうしてんの、あれ?」
「知るかヨ」
甘ったれたような高い作り声は、本来の東堂のものとは大分異なる。その声が自転車部の活動を説明するのを聞いているだけで、荒北の背筋にぞわぞわと悪寒が走るのだが、少なくとも東堂を知らない新入生達に、その違和感は感じられていないようである。
ざわめきの中に、可愛いという単語まで聞こえてきて目眩がする。
「どー見ても男ダロ」
「いや、見えねえよ、靖友」
普通に可愛い女子に見える、と新開に反論されて荒北は口を曲げた。
隣に立って訥々と説明している福富の体格が良いので、対比で余計小さく細く見えるのが罠だ。実際に目の前にすればたちどころに男と分かるはずだ、と主張するが、曖昧な笑みが返ってくる。
「……ってか、アイツ、本気でずっとアレで通す気かヨ?」
「やると決めたら最後までやり通すぜ、尽八」
それはよく知っているが、今回ばかりはやりきらないで欲しい。
「っとに何考えてンだ、あのバカ……」
「あれでも色々考えちゃいるんだろーけどね」
新開の慨嘆に、荒北は眉をひそめた。
「ナニ?」
「んー、ちょっと本気で心配になってきた」
何がだ、と問いを重ねると、新開は渋い顔で首を振った。
頭が痛いことに、本人の主張する謎の美人マネージャーによる勧誘は、確かに有効だった。
チラシを配りに行ったかと思えば、すぐに数名引っ掛けて戻ってくるのだから、ありえない。どんな詐術を用いているのか知らないが、引っかかる方も引っかかる方である。
部活動紹介のオリエンテーション前から入部希望を出していた者達も含めて、集まった新入部員は三十余名。内、二十名近くがバイクを所有しておらず、ロードバイクに関しては全くの初心者である。
後で大勝利、と高笑いしそうな東堂は、今は猫を被ってにこにこと新入生名簿の作成中だ。
「で、何人残んのヨ、あの初心者チャン達は?」
「まあ、全員が全員、マネジに釣られたわけじゃあるめーけど、どうせうちの部、仮入部期間で半分くらい辞めるしなあ」
「ソーなの?」
途中入部の荒北は、去年の春の状況を知らない。
「こんな厳しい部だと思ってなかった、って連中がまずごっそりいなくなるから、まあ、今回尽八に釣られて来た奴らはまず残んねーんじゃね?」
「意味ネーじゃん」
「一人二人でも、根性あるのが残ればいいってことだろ」
「練習で踏みとどまっても、マネジの正体が知れたら消えね?」
「…………尽八、本気で二週間バレない気かな?」
「知らねーヨ」
「あとアイツ、自分の練習どーする気なんだろな」
言われて荒北は、女子制服のまま新入生をぞろぞろと引き連れて設備の案内をしている東堂に目をやった。仮入部期間中、あの女装を押し通してマネージャー業に勤しむつもりなら、当然練習には参加できない。
「……アイツさァ、ぶっちゃけインターハイどーなの?」
「さあ、決めんのはコーチと三年だし。まあ、たぶん寿一は入ると思う」
「お前は?」
「俺も入るつもり」
悪びれもしないチームメイトの自信に、荒北は小さく舌打ちしたが、スプリンターとして急成長している新開のインターハイのメンバー入りは夢想ではない。福富もおそらくは有力なメンバー候補だ。
「二年から三人……ってのは有りか?」
強豪校として選手層が厚い分、他校なら確実に選ばれる能力の者が、容易く振るい落とされてしまうのがこの箱根学園の自転車部だ。
「ぶっちゃけた話、登りだけのレースだったら、今、この部で尽八が一番速いんだよな。ただ、三日間全行程ってなるとスタミナ的にちょっと怪しいってとこか。平坦と下りのタイムを底上げして、体力付けるのが尽八の課題。で、そこをクリアして今年最後の三年とポジション争いして、勝てばメンバー入り」
「もしかしなくても、今超大事な時期ってヤツ?」
「すっごい大事な時期」
重々しく新開がうなずく。
最終的なインターハイメンバーが決定されるのは五月から六月にかけてだが、その判断期間として今が一番重要な時期だ。
もしかしなくとも、一部の三年と東堂の微妙な空気はそのポジション争いに端を発するものだろう。よくよく考えてみれば、あれはクライマーのチームだった。
「…………何やってンの、アイツ?」
「だから心配してんだってば」
この偽マネージャー企画が持ち上がってから、最初のうちは悪ノリしてけしかけていたくせに、急に新開の態度が変わったと思えば、本気で心配していたらしい。
「尽八、最近山神って名乗ってるだろ?」
「ああ、ナニアレ?」
「うちの部で一番坂速いエースの称号」
さらりと返ってきた回答に、いつもの調子に乗った軽口の一つだと考えていた荒北は一瞬絶句する。
「……なモン、勝手に名乗って大丈夫なのかよ?」
「前の三年の山神が指名してったんだよ、今の三年すっ飛ばして。尽八、前の三年に可愛がられてたし、前の三年と二年、ちょっと仲悪かったから、その辺もあるんだろーけど」
厄介なことをしてくれたものだ、と荒北は苦々しい思いを噛みしめる。
新開が先程評した通り、東堂は登りだけならば現時点で誰よりも速く、同時にエースではない。まだ成長過程の小柄な体躯は、登坂には有利でもレース全体で勝ちに行けるレベルに達していないし、体力も足りない。
そんな未熟なものに、クライマー最速の称号を与えて上級生を蔑ろにすれば、ろくなことになるはずがない。
思っていたより、かなり面倒な立場にいたのだと初めて知って、改めてチームメイトの姿を見つめるが、強豪運動部の複雑な人間関係の渦中にあるはずの少年は、現在女装姿で非常に楽しげである。
「本人は何考えてんだか、心配するな、任せておけって高笑いしてるし、寿一は大丈夫だろうって超大雑把で絶対何も考えてねーし、他の連中も笑って見てるだけだし、靖友どーにかして」
「どーにもなンねーよ、っつーか、オレが超反対してたの、お前も笑って見てたよなァ?」
「いや、すぐバレるだろって高くくってたら、シャレになんない精度で仕上げてきやがってクソ尽八、可愛い。変な虫ついたらどうしよう」
「つかねーヨ」
心配の仕方がどうにも同学年の同性に向けるものではない。
まあ、確かに、今部室でくるくると駆け回っているのを見ても、男子部員には見えないのは事実だが。
「あとさぁ」
「まだ何かあンのかよ?」
「普段の授業どーする気かとか、寮生活どーすんだとか」
そういえば、新入部員の中には入寮している者もいる。
「…………知るか、もう」
何故、当人がさっぱり気にしていなさそなのに、こちらが色々とやきもきしないとならないのだ、と荒北は深々と嘆息した。
「普段の学校生活もこの格好で通すぞ? 男子の制服で歩いているのを見られたらバレるからな。双子の兄妹設定も考えたが、ちょっと無理があるだろう」
「出来るか、バァカ!」
当然と言わんばかりの東堂の回答に、荒北が噛みつくときょとんと目を瞠る。
「学校側の許可なら取ったが?」
「どーやって?」
「きちんと企画の趣旨を説明して、誠心誠意お願いしたら許可された」
それで通るものなのか非常に不可解だが、言っている以上通ってしまったのだろう。
そういえば、今回の初心者歓迎の新入生募集についても、何だかんだ言っているうちにそのこと自体は認めさせてしまっている。狙ってやっているのか分からないが、突拍子もないことを言い出して周囲を振り回し、最終的には自分の考えを通してしまうことが多い。
「寮はァ?」
「この期間は実家から通う」
「お前んち、ドコよ?」
通える距離だったのか、と問うと箱根だ、とけろりとした顔で言う。
「寮入んなよ、そんなン」
「オレにも色々事情があるのだよ」
嘘を吐け、と半眼を向けるが気にした様子もなく、上機嫌に部の日誌を書いている。
本気でマネージャー業に徹するつもりのようで、細々とドリンクの用意や用具の片付けもこなして、この時間である。一年はもちろん、他の部員も帰った後の鍵閉めまで引き受けているのを、荒北と新開も残って今後について問い質して、今に至る。
専ら問うのは荒北で、新開は何やら東堂にべったりと張りついているだけだが。
「練習はどーすンの?」
「とりあえず走り込みなどの基礎練は合同で、自転車に乗る段階になったら経験者と未経験者で分けて……」
「一年じゃなくて、お前の話」
苦々しく遮ると、大きな眼が悪戯っぽく笑った。普段より大きく見えるのは目の錯覚だろう。
「何だ、心配してくれていたのか?」
「新開がネ」
顔を背けるとくすくすと笑う声がする。
「心配したのか、隼人?」
「すっげーしてるよ。尽八がセクハラされたらどーしよーって」
「今お前がしてるのは何だ?」
「スキンシップ」
「物は言い様だな」
じゃれあって話題を横滑りさせている二人に、何をしているのだと振り返り、荒北は目をむいた。
「胸揉んでンじゃねーよ! 何ヤッてんだ新開!?」
「いや、だって気になるじゃん。何かぷにぷにしてるけど、これ何入れてんの?」
「うむ、姉に制服を借りると言ったら、めちゃくちゃ罵倒された上に新品のブラジャー送りつけられた」
反対しているのか応援しているのかよく分からない家族である。
「お前の姉ちゃん、箱学なの?」
「この前卒業したぞ、荒北は会ったことなかったか?」
そもそも姉がいたこと自体、知らなかった。家が地元だということも知らなかったし、部内で微妙な立場だなどとも知らなかった。
「知らネ」
親しいかと言われれば微妙な顔になるしかないが、同じ部の同学年、寮生活、更に物怖じしない性格の東堂が、入学当初荒れていて敬遠されがちだった荒北を気にせず話しかけてきたこともあって、比較的近しい仲だと思っていたが、これだけ何も相手のことを知らないとなると、そうでもなかったかもしれない。
考えてみれば、いつも一緒につるんで馬鹿をやっているのは新開相手だし、人懐こい東堂は誰とでも仲良くやっている。すぐに誰にでも噛みつく荒北とは口論も多く、ある意味一番仲が悪いとも言える。
「どうした、荒北? 拗ねた顔をして」
「してねーヨ」
「おっぱい揉むか?」
「誰が揉むかッ!」
何だそれは、と噛みつくと、スツールに腰かけたまま東堂は小首を傾げた。その動作に黒髪が揺れる。長さが変わっていないのに、印象が随分と違うのは普段露わな額が前髪に隠されているからだろうが、その下からひたりと見つめてくる眼差しは、いつもと変わらない。
「うむ、前に見かけたネット情報で、男が機嫌を損ねたり落ち込んでいる時にはどうしたかを聞くより、おっぱいを揉むか聞く方が有効だと聞いてな」
外見は女子そのもののくせに、声はいつも通り少々横柄にも聞こえる少年のもので、言っている内容がこれなのだから、精神力がすさまじく削られる。
「偽胸なんか揉んでも、ひとかけらも嬉しくねーヨ!」
「いや、靖友、これ結構楽しい。何これ、パッド?」
「うむ、ブラジャーに最初から仕込まれているオイルパッドというやつらしい。触ると気持ちはいいが、現実の女子の胸がどれだけこれで底上げされているのかを考えると、なかなか気分が落ち込むぞ」
「揉むな、新開! 東堂はとっとと日誌終わらせて帰れ!」
放っておくと、どこまでも馬鹿なことをしている二人を一喝すると、荒北は痛む額を押さえた。
心配も何もない、ただの馬鹿の二乗である。
「ちなみに練習なら問題ない。通学のついでに自分でメニューを組んでいるし、皆が上がった後の設備の使用許可ももらっている。集中してやれる分、効率はいい」
新入部員が溢れているために、全て順番待ち状態の他の部員よりも優遇されている、と笑うチームメイトを荒北は眇め見た。
どいつもこいつも、目がおかしいとしか思えない。
こんな目をしたものを、どうやったら女に見間違えられるというのだ。
