恋は盲目

 現場は、阿鼻叫喚だった。
 個性で人を洗脳して犯罪を犯させる人物が捜査線上に上がり、まだ敵指定を受けていない容疑者を、警察とヒーローが協力して検挙しようとして失敗したと、事態収拾の協力要請がホークスの事務所まで来た。
 なまじ火力の高いヒーローで逮捕に向かって、そのヒーローを洗脳され最悪の事態になったのだという。
 個性の詳細が不明な容疑者の確保を要請された時点で、相当厄介な事件である。武闘派のヒーローが二名も洗脳され、容疑者の女を護衛して周囲に破壊を振りまいているというし、彼らを武力制圧するわけにもいかない。洗脳の解除条件も不明、下手に近づけば自身が洗脳される可能性もある。
 まず様子を見て相手の個性を少しでも把握しようと、現場近くのビルの屋上から見下ろした光景は、阿鼻叫喚の一言に尽きた。
「俺は彼女を愛してる! 彼女を傷つけるものは絶対に許さない!」
「ふざけないで!この子を一番愛しているのは私! 私が彼女を逃がすの!」
「そんな……! ヒーローのお前が敵に与するなんて……! 信じられない……。だが、愛するお前のために、俺が道を切り拓こう!」
「…………ひどいシュラバだ」
 言わされている感の強いメロドラマの台詞めいた言い回しは個性の影響だろうか、犯人を一番愛しているのは自分だと罵り合いながら、周囲に破壊を振りまく男女のヒーローと、相棒の男性ヒーローに対し熱く愛を叫びながら、現場を包囲した警察に対し車を投げつけるヒーロー、黙々と射撃を続ける警官という地獄絵図である。
「やっぱ、操作するんじゃなくて、洗脳系ですねー。言動から察するに、自分を愛させて支配するタイプでしょうか」
「一人、ヒーロー間で洗脳が成立してるっぽいから、対象は本人限定ではない感じですかね。その相手が容疑者に支配されてるから、それを手伝う、って形になっちゃってますけど」
 双眼鏡を覗き込むサイドキックと分析し合いながら、対策を練る。
「周囲の全員を洗脳してないところを見るに、一度に洗脳できる数には限りがありそうですね」
「条件的には、個性をかけられて初めに見た相手、かな。警察官同士であの相手の希望を何でも叶えようとする状態になった人達がいるみたいですが、すぐ解除されたらしいです。警官同士、ちょっと感情がバグっても容疑者確保の意志は共通してるから、向こうに都合がよくないってことでしょーね。暫定、一目惚れの個性ってことで」
 ある程度分析したところで、厄介な能力であることには変わりない。
「まあ、長引かせると洗脳されたヒーロー達の立場と請求される被害総額がえげつないことになりそうなんで、早めに片づけましょう」
「容疑者への永遠の愛叫んじゃってるヘビータンクさん、新婚ほやほやなのに……」
「ご家庭も守ってあげないとねー」
 じゃあ、行きます、と軽く告げて剛翼を広げると、サイドキックは不安そうな顔をした。
「もし、俺がうっかり洗脳食らったら、トップヒーローに収拾依頼してください。エンデヴァーさんだったら羽全部焼いて拘束してオッケーって伝えといてください。丸焼きは勘弁ってのも」
 縁起でもない、という顔のサイドキックに、バックアップはよろしく、と笑って告げて目を閉ざしたまま屋上から飛び降りる。
 着地と同時に、容疑者を背に庇いながら発砲を繰り返していた警官の手から銃を取り上げ、制服の中に数枚潜り込ませた剛翼で宙に引き上げ、水平移動して警官達の集団に放り込んで、一時的な拘束を指示する。
 次に、道路に降り立ったウイングヒーローに気付いて、向き直ったヒーロー達の顔半分を剛翼で覆って視界を奪い、強化型の剛腕がやみくもに振り回されるのを身軽に避けて、足をひっかけて二人まとめて転ばせると、大量の剛翼で地面に縫いとめる。
 怒声を上げるヒーロー達の巨体をまわりこんで犯人の前に立った途端、鼻を突いた甘い香りに、しまった、と飛びずさるが、もう遅いと女が哄笑した。
「No.2が、わざわざ下僕になりにきてくれて嬉しいわぁ。ねえ、ホークス、私を逃がして」
「や、お断りします」
 相手のフェロモンを嗅ぐのが個性発現の条件の一つだったようだが、最初に見た相手、という条件を達成しなければ問題ない。
 ゴーグルの奥の両眼が閉ざされていることに気付いたのだろう、舌打ちが聞こえたが、すぐに居直った気配があった。
「よくいるのよ、そうやって目を瞑ってれば大丈夫だって思う馬鹿。それで、どうやって動け……!」
 拘束を得意とする女性ヒーローの伸ばしてきた髪を避けて、無造作に犯人の腹を風切り羽の広い面で打ち据え、そのまま羽を丸めて拘束する。
「いや、別に、目が使えなくても支障ないんで」
 呻く犯人を庇って髪を伸ばしてきた女性ヒーローも丁寧に頭の周囲を羽で覆って固め、風切り羽を丸めて同様に拘束したところで、不意に身の周りを取り巻かせた剛翼に触れた人物を、まず浮かせて遠ざけてから検分する。
 もう一人、洗脳された被害者がいたようである。
 今の一連の動作で、相手の体格、体重、顔の輪郭まで一通り測れるし、洗脳された他の被害者達同様、体温の上昇と心拍の乱れが見られるのも確認できる。服の様子からして、警官だろうと判断もできた。
 剛翼の個性によって取得できる情報量は適宜調整しているが、必要とあれば、視力を切り捨てても支障はない。
 ここまでの処理を着地してから三分以内に済ませ、目を閉じたままホークスは首を捻った。
 ところで、目を開けても大丈夫だろうか。

「ってなことがありまして」
 目隠しの布を巻いたまま、話し相手の方向に笑顔を向ける。
 視界は真っ暗だが、剛翼の個性で不機嫌に燃え立つ熱気は知覚できる。個性を使わなくとも、肌にも感じられるが。
「洗脳されてた人達は解除させたんですけど、洗脳が完了してない状態の俺だけ、どうしようもなくて」
 一目惚れの個性という認識に、それほど相違はなかった。
 女のフェロモンが含まれた体臭を嗅ぎ、最初に見た人間を溺愛し、相手の希望を叶えようとひたすら尽くす行動に走るという、実に厄介な個性である。
 洗脳状態が成立した相手は任意で解除できるようだが、発動条件を満たさずにいるホークスは、嗅いだフェロモンの効果が切れるまで視界を遮っている。
「あと、どれだけかかる?」
 チームアップの打ち合わせにわざわざ九州まで出向いてきたというのに、ホークスがこの状態とあって、エンデヴァーの機嫌が非常に悪い。
「効果は二十四時間ってことですが、誤差があるんで、確実に問題なくなる三十六時間、目隠しは取らんようにって言われてます。昨日の午後の事件なんで、もう半日はこのままですね。そんなに不自由はないです」
 このままでも、簡単なパトロールや些細な喧嘩程度なら対応できるのだが、午前中外に出て一時間もしないうちにサイドキック達の猛反対を受けて、仕方なく事務所に引っ込んだ。
「結構、地元で昨日の事件がニュースが大きく取り上げられたんで、俺が中途半端に個性かかってるって知られちゃってるみたいなんですよね」
「目が見えん状態でヒーロー活動をする馬鹿がおるか!」
 オフィスの空気をびりびりと震わせる怒号に、ホークスは剛翼の感度を僅かに下げてから笑ってみせた。
「いや、目は別に見えなくても大丈夫なように訓練してるんですけど、かけられた個性の方が問題で」
 昨日の事件の犯人の個性を分析して、ホークスの状態も推察した者がSNSなどで好き勝手に話を広げたものらしい、一晩明けると、街にはホークスの目隠しを取れば恋人になれるなどという噂が流布していた。
「冗談半分のファンの子くらいは、問題なくいなせるんですけど、俺を自由にできるようになる、って強個性の敵が狙ってきたらさすがに洒落にならんし、とりあえず残りの半日は引っ込んでようかと」
 目の前のソファから更なる炎熱が立ち上り、天井が焦げないかを心配する。
「面倒なんで、適当に身内を見ておこうかとも思ったんですけど、拒否られまして」
 サイドキックを見て洗脳を成立させてしまおうかと考えたが、部下達に本気で泣いて拒否されたので、渋々このままの状態でNo.1を出迎えることになった。
「ちょっと文字読むのだけ不自由なんですけど、書類読むのとかメールなんかは個室籠ってやるんで、とりあえず今日はこれで……」
 目隠しに巻いた布を示し、目を合わせられない無礼は容赦してほしい、と軽口を叩いたところで、向かいのソファから伸びてくる五指を見る。
 正確には、感知だ。
 一般的な平熱より遥かに高い体温と、腕から立ち上る炎熱、掠めた炎に身の周りに浮かせた羽の一枚が焦げる感触。
 そういったものを感じ取りながら、眩しい、と思う。
 幼い頃から焦がれたヒーローは、見えなくても目映い。
 思わず笑った口元を見咎められた気配があって、じろりと睨んできたであろうエンデヴァーに、口元を隠して澄ました顔をする。
 目隠しをしているので、手で口元を覆ってしまえば、表情も何もないのだが。
 がしり、と頭部を熱い手に掴まれて、このまま締め上げられるのだろうと覚悟を決めたところで、視界が開けた。
 暗闇に慣れた網膜を、明るく燃え上がる布地が灼いた。
 呆然と炎の残像の向こうで、非常に不機嫌そうな顔を目にして、フレイムヒーローが目隠しを灼ききって毟り取ったことを知る。
 火炎に縁どられた男の顔をたっぷり十数秒見つめ、はたと気づいて壁の時計に目を向ける。
 先日の事件からは二十四時間と三十分が経過している。
 己の心拍、体温、思考状態に異常がないかを確認するが、予想外の事態に脈拍は早くなっているし、冷や汗もかいているし、焦慮で思考が普段よりまとまらない。これが洗脳状態なのかどうか、しばらく脳内で審議してから、おそらく効果はもう切れていた、と結論を出し、顔を上げて半眼でエンデヴァーを睨む。
「あのですねえ……。人の説明聞いてました?」
「聞いた。公安やら病院やらが言う個性効果時間なんぞ、真に受けてどうする。診断ミスの責任逃れで、二倍の数字を平気で言ってくる連中だぞ。全治半年と言われても二日で治る」
「それ、リカバリーガールが治癒してくれたからですよねえ!?」
 脳無との戦いで負った怪我は、本来ならば半年どころか年単位での療養を要するものだったが、この頑強な男は手術後に即、治癒の個性治療を受けて、二日後には当たり前のように自分の足で退院していた。通常、何度かに分けなければならないはずの治癒を一度で済ませた、実にでたらめな生命力の男である。
「ったくもう……、効果が切れてなかったらどうしてくれるんですか……」
 伝えられた三十六時間の内の三分の一は不要なものだろうとはホークスも思っているが、あの洗脳の個性の阿鼻叫喚ぶりを目にしているので、慎重にもなる。
「効果が残っていたところで、何か問題が?」
「いや、あるでしょ」
「何故だ?」
 不可解そうに問われて、どこから突っ込むか困ったところで、駄目押された。
「貴様が、俺に惚れて尽くしたところで、それが今と何か違うのか?」
「…………ええと」
 当人にきちんと告げたことはないが、ホークスはエンデヴァーというヒーローに長年執心している。幼少期からの憧れには様々な感情が積み重なって、もはや自身でも把握できないものに変質している。正面から向かい合うにはあまりに厄介な感情の、上澄みの綺麗なところから敬愛や憧憬といったものを適当に軽薄な態度でくるんで当人に接しているが、さほど包み隠せていないらしい。
「まあ、No.1を立てて推してくって部分は変わらないですね。俺、エンデヴァーさんのこと大好きですし」
 きっと嫌そうな顔をするだろう、と思いながらにっこりと笑ってみせると、案の定、苦々しい顔をする。
「問題はないんだろう、さっさと資料を読め」
「はいはい、字が読めないのが、エンデヴァーさん的に一番の問題だったんですね、分かります」
 投げつけられた書類を手に取って、軽口を返しながら目を通していく。
「違う。一番の問題は、貴様がそんなくだらん個性を食らった挙句、他人に付け入る隙を残して丸一日もヘラヘラしていたことだ」
 危機感が足りない、と叱られて、首をすくめる。
 当初は視力が封じられた程度に思っていたが、ファンが目隠しを剥ぎ取ろうとする今朝の騒ぎが生じて、少し考えが甘かったことは反省している。悪意ある敵との間に洗脳が成立していたら、それこそ大問題になるところだった。
「あれ、エンデヴァーさん、もしかして効果切れてなくても引き受けてくれるつもりで目隠し取りました?」
 No.2ヒーローの力を悪用することのない男が、じろりと睨み返してくる。
「分かりました、今度こういう個性受けたら、エンデヴァーさんのとこ行きますね」
「そういうところが問題だと言っとるんだ……!」