しがないひと

 うちの雛がランクインした。
 正確に言うと、目良善見の職場であるヒーロー公安委員会が、極秘計画として幼少時より育成したヒーローが遂に公式デビューし、すぐさま実績と人気を勝ち取って最速でトップテンにランクインした。
 関係部署は鼻高々に「うちの鷹」を自慢しているが、幼少時からの姿を知る目良のイメージは今でも、ヒーローのぬいぐるみを抱えていた「うちの雛」である。
 その、かつての雛鳥こと、今はヒーロー名ホークスを名乗る若者の姿を公安本部で見つけて、目良は目を細めた。学生時代にあまり注目させたくないと、雄英や士傑の名門を避けて九州の高校に入学し、そこを地元として事務所を立ち上げたため、本人を直接見かけるのは随分と久しぶりだ。
 ニュースだけでなく、最近は様々なスポンサーが付いて広告に起用されているので、顔自体はよく見かけるが、実際に目の前にすると、大きくなった、と年寄りじみた感慨を抱く。
 まだ十代の若手最注目株のヒーローと、その倍近くの齢の目良では時間の体感が異なる。
 彼の身長が今の半分だった頃に、少々関わった職員のことなど記憶にないだろうと思っていたが、昔から記憶力の優秀だった鳥頭がふとこちらを向いて、ぱっと笑った。
「目良さん!」
 最近、生意気にも髭などを生やしだして、不遜だの太々しいと言われることがますます増えた顔が、妙に無防備に笑いかけてきて、少し驚いた。
「やあ、ホークス。呼び出しですか」
「なんか、お役所語で褒められたり釘刺されたり激励されたりしました」
 辟易とした顔を作って、その顔を隠すように手で毒舌を吐こうとする口元を押さえてみせる。手の動作と合わせて交差された鮮やかな赤色の翼がこの若者の個性だ。見目良い有翼の若いヒーローは、想定以上に好意的に世間に受け入れられた。
「ランクイン、おめでとう」
 散々に浴びせられたであろう祝いの言葉に、ウイングヒーローはテレビで目にした生意気とも評される不遜な態度ではなく、幼い頃にその翼を褒めた時と同じような顔で照れ笑った。
「目良さん、この後暇です?」
「……何でです?」
 業務が詰まっている、と子供を一蹴しない程度の判断ははたらいたが、昔から敏い子だったので、返答までの間で悟られていたかもしれない。
「ご飯おごります」
「…………何故?」
 今度は取り繕わずに、たっぷり間を取って理解不能と示すが、すっかり強かに育った青年は飄々と応じた。
「あれです、新社会人が初任給でお世話になった人にプレゼントとかご飯みたいなやつ」
「僕より適任者がいるのでは?」
「言ったら、こんな顔で『あなたがそんなことに気を回す必要はありません。どうしてもしたいというなら、他に世話になった人がいるでしょう』って」
 声真似は全く似ていなかったが、実に彼女が言いそうな台詞で、脳裏に自動再生される。
 まだ誰にも知られていなかったヒーローの卵を見つけてきた女史は、成長した鳥の恩返しを目良を指名して避けたものらしい。
 困った、とぼさついた頭を掻きながら、社会に出て早々に評価を得たヒーローの祝いに酒でも飲ませてやるか、と考えかけ、あることに気付く。
「君、まだ十八?」
「未成年、かつヒーロー」
 両手を掲げて宣言されて、飲酒は不可、と予定を撤回する。
 元々、目良自身も飲まないので、それはそれでちょうどいい。
「じゃあ、夜にちょっと大人向けのお店に連れて行ってあげましょう」
「女の人がいる店ですか?」
 事務所NGです、と掲げた両腕でバツ印を作ってくるが、その事務所とやらの所長はこの青年である。
「老夫婦二人が切り盛りする小料理屋さんです」
「大人のお店!」
 外見はすっかり大人びたが、あまり中身は小学生の頃と変わっていないのではないかと思われる表情で、若すぎるトップヒーローは他愛なく喜んだ。

 カウンターだけの小さな店の席に、取り外し可能な翼を可能な限り小さくして座った青年は、出された徳利と猪口にやや困惑気味に口を付けて、首を捻った。
「生姜湯です、温まりますよ」
 女将に連れは未成年、と示して出てきたものなので、当然アルコールなど入っていない。元々、目良も飲めないと伝えてあるので、この店で酒を供されることはない。
「目良さんって、飲まないんですか?」
「飲みませんねえ」
「職務上?」
「一滴でも飲んだら、その場で寝る自信がありますね」
 事実を応えて、問いには応じない話法に、それ以上の追及はない。
 昔から、特殊な立場に置かれていた子だったから、己の置かれた立場や状況を探るのに、ごく幼い頃は黙って大人達の話を聞き、ある程度成長してからは口数を増やして情報を得ようとするようになった。
 踏み込みすぎないバランス感覚は、いつくらいから身についたものだったろうか、と出された皿に箸をつけては喜んでいる若手ヒーローを眺める。当初は、箸どころかフォークやスプーンもろくに扱えない幼児だった。
「目良さん、その、大きくなったなーって温い眼差しやめてください」
「子供の時のことを知ってるおじさんとご飯食べるなんて、そういうイジリを覚悟してするもんです」
「目良さんって今いくつですか?」
「三十四」
「老け……たかなー?」
 出会った当初の頃を思い返したらしいホークスが、首を捻る。
「あの頃の僕は一番下っ端の新人ですよ、ハツラツとしてたでしょう?」
「してたかなー?」
 未だ未成年の子供に、徹夜が厳しくなってきて実感する加齢の話など理解できようもないし、説明すると悲しくなってくるので控える。
「目良さんって、結婚しないんですか?」
「何を根拠に、現時点でしてない前提で話すんです?」
「指輪の有無と仕事の仕方と、とある筋からの情報ですけど」
 質問に質問で返すが、公安育ちの若造は飄々と応じて笑う。
「あれ、結婚してました?」
「生憎と独り身ですし、予定もないですねえ」
「職務上?」
 先と同じ問いを重ねられ、アルコールの含まれていない生姜湯を一口含む。
 妻子に己の所属も職務も秘密にしている同僚達もいるが、正直そういう生き方も面倒くさい。
「出会いのない職場なんですよねえ」
 嘘ではない答えで応じると、人気急上昇中のヒーローは大きく口角を下げて不満を示した。ある程度成長して愛想笑いを覚える前は、よくこんな顔をしていた。
「出会えばします?」
「出会えばしますよ」
 誠意なく応じながら、妙なことにこだわる、と疑問に思う。
 子供の頃に少々関わった程度の人間の結婚事情など、そんなに気にするようなことだろうか。
 何故、と問うと更に顰めっ面をする。
「大人になって……、社会人になって」
 未成年、と顔に出たらしく、デビューしたての人気ヒーローが仏頂面でわざわざ言い直す。
「座った瞬間寝落ちるとか、ベッドまで辿り着けないとか、眠いのに寝れないとか、食わなきゃ保たないのは分かってるのに寝不足で胃が荒れて食えないとか、初めて本当に体感したんすよ」
 元々、並列処理の得意な有能な強個性の持ち主だった。デビューと同時に凄まじい事件解決数で一気に新人のトップに躍り出て、翼の個性を含めた見目の良さにメディアも飛びついた。
 最近は様々な広告媒体でも顔を見るようになったから、企業間の獲得競争も相当に熾烈だったのだろう。
 多忙を極めてキャパオーバーしているのでは、と対策を講じかけたところで、もうマネジメントは調整済みだと釘を刺される。
 子供扱いで世話を焼かれるのは嫌らしい。
「で、忙しくて寝る暇がないを体感して、改めて子供の頃のこと思い出したんですけど、目良さん、このままだと死にますよ?」
 据わった目にじろりと睨まれて、そういえば、この子が自分で自分の面倒が見れる程度に大きくなってからは、逆に世話を焼かれていたのだったと思い出す。食料を持ってきてくれたり、行き倒れたところを個性で拾って仮眠室に運ばれたりした記憶がある。
 当時は困った大人の面倒を見ていたつもりだったのだろうが、改めて振り返って身近にいた大人の過労死レベルの状況に今更ながら気づいたものらしい。
「慣れると、これが普通になるんですけどね」
「それ、ダメなやつです!」
 十六も年下の未成年に叱られる。
「目良さんに必要なのは、それおかしいとか、休めって言うカノジョとか奥さんだと思うんですよね」
 それが目良の結婚事情にこだわる理由らしい。
「君が言うようになったから、それでよくないです?」
「俺は、目良さんのお嫁さんになるつもりないんで」
「小さい頃言ってましたよ、『ほーくしゅ、めらさんのおよめさんになりたーい』って」
「そんな事実は一切ありませんし、俺がホークスと名乗り出したのはここ最近です」
 既に多くの敵を倒してきた鮮やかな紅色の羽がふわりと浮いて、目の前で剣呑に揺らめいた。
 これ以上悪質なデマは許さない、という意思表示に両手を上げて降参を示す。
「自分の介護のために結婚するつもりはないですねえ」
「言ってるうちに、介護が必要な年齢か体調になると思いますよ」
 メディアに取り上げられるようになって、目につくようになった辛辣な態度はヒーローとしてのキャラづくりの一環かと思っていたが、元々こんな感じだったと思い出す。周囲に大人ばかりの環境で育ったためか、中学校に上がる頃にはかなりの皮肉屋に育っていた。
「早く結婚して安心させてくださいよ」
「それ、言う側と言われる側が逆転してませんかね」
「まだ俺は言われる年齢じゃないです」
 プロヒーローとして広く認知されているため、社会的には大人扱いされるものの、まだ十八歳の未成年である。さすがに結婚を奨められるはずがなく、もしそういった話が出てきたら、まだ早すぎると周囲が制する年齢だ。「早すぎる」は、史上最年少ランクインしてからメディアが好んで彼に冠している形容なので、突然電撃結婚を発表しても、それで済まされそうな雰囲気はあるが。
「そろそろ、番えとか、交配しろなんて言い出しそうな組織がないでもないですけどね」
 少々毒の効きすぎた声音で、ごく幼い頃から大人の都合に振り回されながら育てられ、その優秀な個性を証明してみせた子供が目を据わらせる。彼の遺伝子を残すべきだ、などという人権にあまり配慮されていない意見が出始めているのを知った上での発言だろう。
 学生時代はあまり目立たないようにと指示を受けていたようだが、それでも見栄えよく、愛想のいい少年がそれなりにモテていたとは知っている。メディアの露出が増えた今は、その比ではなく女性に群がられていることだろうが。
「今付き合ってる子はいるんですか?」
「そんな暇ないです」
 忙しい、と据わった目で切り捨てた若者に、目良は首を捻る。
「それを十五年くらい続けると、僕みたいになりますよ」
 その結果の姿で真理を口にすると、猪口を片手にカウンターに若者が突っ伏す。
 アルコールを一滴も口にせず、酔えるとは変わった体質である。
「もー、本当に家庭持ってくださいよ……」
「いやぁ、忙しくて」
「目良さんって、何のために働いてるんですか?」
 カウンターに懐いたまま、また随分と辛辣なことを言う。
「お給料をもらうためですよ」
「目良さんの能力なら、もっと稼げて楽な仕事はいくらでもあるでしょ」
「しがない公務員が身の程に合ってるんですよねえ」
「目良さんの仕事って、しがないですか?」
「しがないですよ」
 警察組織の一部の、ごく普通の公務員である。
「しがないって、歯と牙がないって意味ですかね?」
「……どうでしたかね」
 猛禽の爪の代わりに、刃にもなる翼の個性を持ったヒーロー故の発想だろう。しがないという言葉の語源など考えたこともなかったが、目良は犯罪者と渡り合う能力など持ち合わせていない。
「ヒーローみたいに名声や金が付いてくるわけでもない、守るべき家庭はない、家族とは十年もまともに会ってない、激務に追われて家にもろくに帰れない、たまの休みは眠るだけ。目良さんの働くモチベーションってなんですか?」
 まだ子供っぽさの残った?の輪郭の片側をカウンターに押しつけたまま、見上げてくる目が鋭い。
 何かに怒っているようだが、有能な若者の怒りの焦点は目良の不甲斐なさだろうか。
「僕には歯も牙もないですし、君みたいに悪と戦うヒーローではないですけど」
 誰の目にも目覚ましい成果を上げて、最速で上り詰めた若い鷹に理解されるかは分からないが、しがない行動原理を口にする。
「これでも正義の味方なんですよ」
 皮肉屋の鷹に一笑に付されるものかと思ったが、若手No.1の青年はかつてヒーローの人形を抱えていた頃と似たような顔をした。
「……知ってます」
 大きく息を吐き出して、どうしようもないと嘆息される。
「分かりました。しょうがないから、俺が大きくなったとき、まだ目良さんが独身だったら結婚してあげます」
 何やら妙なことを言われた。
「まだ、大きくなるつもりですか?」
「まだ伸びますー」
 大型の敵と対峙したり、パワータイプの偉丈夫のヒーロー達と並ぶと、年齢だけでなく子供のようにしか見えない体格差を気にしているのか、まだ成長を見込んでいるらしい。
 年齢からすれば、あと数センチは伸びるかもしれないので、それはいい。
 問題は、台詞の後半だ。
「ケッコン」
「俺がもうちょっとビッグになって、引退する頃ですかね」
 ヒーロー活動に体力の限界を感じた頃とすると、四十代が迫った頃だろうか。二十年ほど先のことのようである。
「ヤですよ。君、なんか現時点で『結婚したい男』とか『抱かれたい男』ランキングに入っちゃってるんでしょ? ファンに刺されて死ぬじゃないですか」
 今でさえ、公安がランキングの調整に苦慮する人気過熱ぶりだというのに、ヒーローとして引退時期でも、婚期としてはむしろ適齢期に五十代も半ばの冴えない男と結婚するなど発表された日には、過激なファンに血祭りに上げられかねない。
「ちゃんと、小学校に上がる前から面倒を見てくれた知り合いのお兄さんだったんです、って紹介します」
「それ、絶対幼児期から狙ってた変態認定されるやつですよね。全くもう……、君の好みが年上の同性とは知りませんでした」
「目良さんは、ガリガリのヒョロヒョロで頼りなくて、全然好みじゃないです」
 好みだと言われても困ったが、全否定されるのも何やら虚しい。
「君の好みは、ムキムキのガッシリした頼もしい人ですか。そういえば、エンデヴァーが好きでしたよね」
 オールマイト全盛の、男の子はみんなヒーローと言えば彼が好き、という風潮の中で、炎をまとったヒーローのぬいぐるみを抱きしめて譲らない、少々変わった幼児だった。
「エンデヴァーは、今もかっこよかねぇ」
 カウンターに懐いたまま、ヘニャリと笑う様はまるで酔っ払いだが。
 ようやく、この奇妙な流れに合点がいって、目良は嘆息した。
「ホークス、君、おなかいっぱいになって、おねむなんですね?」
 アルコールを一滴も入れずに酔っているのかと思ったが、小さい頃も周囲の大人の活動に合わせて起きていて、頑なに眠ろうとせず、こんな風に妙な言動でぐずることがあった。
 大分忙しくしていて睡眠不足のようなので、これは絶対に寝ぼけている。
「今の君を抱っこして運ぶとか、僕には無理ですからね。ほら、起きて」
「眠うなかぁ」
「方言でてる時点で、相当緩んでるんですよ。タクシー呼びますけど、ホテルはどこ取ってるんですか?」
「ダメですー。結婚するまでは清い関係でいるんですー」
「いや、もう結婚の話はいいから」
「目良さんが普通に家庭持ってくれないと、俺、安心できんです」
「別に結婚したからって、安泰になるわけでもないでしょうに」
 目良のことをとやかく言うが、この子だってあまり家庭には縁がない。実の親には金で売られたようなものだ。
「君にとって、結婚ってどういうものですか?」
 問うと、眠たげに瞼を半分落とした鷹が、首を傾げて考え込む。
「一緒に、生きる約束」
「……そうですか」
 彼は、特別な子供だった。
 ヒーローの素質があるからといって、あまりに幼かった彼が大人の勝手な都合に振り回される様を目良は気にしていたが、雛鳥にとっては周囲の大人の一部にしか見えていなかっただろうと思っていた。
 そんな約束を、戯れ言でも口にする程度には、この雛に懐かれていたのだと、初めて知った。

 それから、育ちきっていた鷹の子の身長が伸びることはなかったが、その名声はますます大きくなり、高まって、そして地に墜ちた。
 社会を脅かす犯罪組織との内通の発覚から世情は大きく揺らぎ、社会全体に潜んでいた不穏因子が一気に噴出した。多くの犠牲を出しながらもなんとか事件は解決し、一時期は全ての矢面に立たされた墜ちたヒーローが、実は公安委員会の指図で二重スパイを強いられていたこと、公安組織そのものが深く悪に浸食されていたことが明らかになって、また情勢は大きく変わった。
 ほんの少しだけ善い方向に進んだ世界で、今でも人気のウイングヒーローが、熱愛疑惑を報道されたのがつい先日のことだ。
 相手が二十以上も年上の同性とあって、マスコミが押し寄せたようだが、ついに決着がついたことを目良は速報で知った。
 それはもう、小さな頃から大好きだった、好みのタイプの筋骨逞しい頼れる年上の男性と、一緒に生きる約束をしたと知って、しがない男は少し笑って、かつての雛鳥のために祝電の手配をすることにした。