お幸せに、お大事に

 速すぎる男と持て囃されるウイングヒーローは、その速さ故に実はあまりその活躍する姿をメディアに報道されていない。
 メディアのカメラが彼の速度に追いつけないのだ。
 ヒーロー飽和社会において、事件のスピード解決に慣れたマスメディアの出動も相当に速いが、ホークスはその上を行く。
 個性の剛翼を活かして上空を高速移動し、自在に舞う赤い羽が同時進行で人々を救出し敵を打ち倒し、次の現場に向かう。その速さを追い切れる報道カメラがないのだ。
 ニュースで流れる映像は、たまたま現場に居合わせた市民がスマホで撮影したもので、それも一人の機体では数秒でフレームアウトするから、複数の投稿を繋ぎ合わせてどうにか体裁が整う。スマホのカメラ性能と素人の腕では、どうにも今ひとつな映像になるのが常だった。
 その日、その映像がプロのカメラマンの手で撮られたのは、名古屋で発生した事件に報道が駆けつけてから、応援要請を受けたホークスが飛来したからだった。
 人気ヒーロー到着を受けて、多数の局がちょうど放送中だった昼のニュース番組に生中継をねじ込んだ。
 到着とほぼ同時に、状況を膠着させていた人質の奪還を成功させた勇姿は各社のカメラに納められ、優位性を失った敵の一人が飛んで逃げるのを追跡して羽ばたく紅翼をいくつものレンズが追った。
 そして、その翼が突然停まり、不自然に固まった体勢のまま失速し、きりもみ落下する姿も全国中継された。
 アスファルトに叩きつけられ、折れ曲がった翼と周囲に散った羽、そして紅い羽の間を埋めるように広がる同じ色彩をアップで映し、数秒後慌てたようにスタジオに映像が戻されたが、リポーターもアナウンサーも二の句を継げず、テレビの前でウイングヒーローの活躍を観戦していたファンは凄まじい悲鳴を上げた。

「いやー、死ぬかと思った」
 各局の放送自体は衝撃的すぎるため、自主規制でぼかしがかけられたが、最初に生放送された映像は、ネット上に削除されても上がり続けていた。
 そんな動画を一通り確認して、のほほんと宣ったのは、動画内で百メートル近くの高さから地面に叩きつけられたウイングヒーロー本人である。
「ああ、死んだかと思うたばい……!」
 リアルタイムでニュースを見ていて、どれだけ寿命が縮んだか、と、サイドキックに睨まれたホークスが肩を竦めかけ、ひびの入った肋骨に顔をしかめる。
 追跡中に突然意識をブラックアウトさせられ、為す術もなく墜落、気がついたときには現地の病院のベッドの上で、福岡から駆けつけてきたサイドキックに蒼白な顔で見守られていた。
「割とよくあるんだけどなあ……」
 空を飛ぶ個性を最大活用するホークスだが、もちろん危険も伴う。
 高所を高速移動する際に、個性消失を食らえばその場で墜落する。これが石化や麻痺、睡眠の個性効果でも同じことだ。
 今回、たまたま報道カメラが先に配置についていて、生放送で失態を大写しにされてしまったが、これまで市民の目に晒されていなかっただけで、さほど珍しいことではない。
 カバーしてくれるランドクルーであるサイドキックのフォローと、対策装備で事なきを得ているだけのことである。
 今回は応援要請で機動力の高いホークスだけが県外の現場に急行し、サイドキックのフォローがなかったため、少し重傷になった。
「ホークス、装備ば見直そうや」
「んな、大袈裟な」
 大袈裟ではない、とベッドの両サイドから叱られて閉口する。
 こういった事態の回避策として、コスチュームにはエアバッグのような機能をつけてあるが、今回一部がうまく作動せず、肋骨を数本と、両足を複雑骨折する羽目になった。
「あまり感度上げると、敵と接触しただけで作動して活動の邪魔になるんですってば」
 安全を優先しすぎて、まともに敵と渡り合えなくなっては本末転倒だというホークスの主張は、今回ばかりは通らなかった。
 全国報道された墜落映像が衝撃的にすぎたようで、過保護気味になったサイドキック達が断固と譲らず、コスチュームの改良を約束させられる。
「装備のアップグレードは、エンデヴァーを見習いんしゃい」
「なんで今エンデヴァーさんの名前出したかな?」
 憧れのヒーローの名を引き合いに出せば、多少は聞く耳を持つだろうと思っているだけのことである。
 傲岸不遜な生意気な若手で、先輩ヒーローにも敬意を示さないと広く認識されているホークスが、大ベテランのフレイムヒーローに強い憧憬を抱いていることは、サイドキックとして近くにいれば察せられることだったし、当のエンデヴァーもそんなホークスをかなり特別扱いで可愛がっている。フレイムヒーローの可愛がるとは、叱って鍛えて伸ばす、を意味するので、今回の失態にそろそろお叱りの電話がかかってくるかもしれない。
「ああ、病院と事務所からの発表が公開されましたね」
 命に別状がない旨は先に告知済みだったが、意識の回復、怪我の状態も大事ないこと、活動復帰について改めて発表を出したのが、一斉に報道されたようだ。
 SNS上の情報拡散に伴って、溢れる安堵と喜びの声が上がる様子を見守って、サイドキックが反省を促してその画面を所長に突き付けた。
「イヤァ、ご心配おかけしましたー」
 叱ってもらおう、と所長より年嵩のサイドキック二人が同時に同じ人物を脳裏に思い描いた途端、突き付けていたホークスのスマートフォンが震えた。
 タイミングよく、エンデヴァーからのお叱り文言でも送られてきたかと思うが、メッセージの着信告知が止まらない。
「あー、回復の発表見たヒーロー仲間からですねー」
 それまで連絡を控えていた親しいプロヒーロー達から、からかいと冗談と心配が等分に混ぜ合わさったメッセージが次々と届いたものらしい。
「あ、常闇くんが心配してる……」
「そりゃ、あの報道見たら、誰だって死ぬほど気を揉みますよ」
 可愛がっている年下の心配にも少し弱い、と判断して、ここぞと畳みかけると、どうにも自分の命を軽視する傾向にあるウイングヒーローが少し決まり悪げな顔をする。
 ひとまず返信対応に追われた上司を置いておいて、部下二人はウイングヒーローに割り当てられた病院の個室を整える。
 治癒力を高める個性付与はされているものの、両足の骨が砕けているので、数日は安静を命じられている。
 用意した入院用の荷物を片付け、おそらくこの後殺到するであろう見舞いの品の取り扱いを決め、置くスペースを確保した頃には一通り返信も終わったらしい。
「エンデヴァーに、何ば言われた?」
「すぐにエンデヴァーさんの名前出すの、やめません? それに何も連絡は来てません、あの人忙しいんだから、俺の怪我のことなんか知りませんよ」
 少しむっとした顔で応じたホークスに、おや、とサイドキック二人は顔を見合わせた。
 何か事件の対応真っ最中なのかもしれないし、フレイムヒーローが自分達の上司並に多忙なのは重々承知しているが、彼がホークスの状況を気にかけていないはずがない、と言うのが二人の共通認識である。
 当人だけが、その特別扱いをさっぱり理解していないのが不思議なくらいである。
 敏いのに妙なところで鈍い若者の手の中で、端末がまたぶるりと震えた。
 画面に目を落としたホークスの表情が少し変わって、やっと連絡が入ったかと思う。フレイムヒーローはあまりスマートフォンの操作が得意ではないようなので、長文の叱責文を用意してこの時間になったのかもしれないと邪推したが、開かれたメッセージは非常に短文だった。
「ショートくんからだけど、これ、送り先間違ってないかな?」
 見せられたメッセージアプリの画面は、フレイムヒーローの愛息子からのもので、表示されたメッセージも簡潔だった。
『今、親父が事務所を出ました』
 文章は平易だが、同時に何を知らせたいのか、今ひとつ不明である。
「これ、家族用の連絡じゃないかな?」
「ああ……」
 今から帰る、などの家庭内の連絡なら納得できるメッセージである。
「お姉さんに送りたかったんじゃないかなー」
 送り先を間違っているのでは、と指摘して送ると、すぐに返事が返ってくる。
『ホークスさん宛てで合ってます。すみません、急いで連絡したので言葉足らずでした。お怪我は大丈夫ですか? お大事にしてください』
「うーん、なんかもう、説明足りないところ、父子って感じ」
 苦笑したホークスの手の中で、立て続けにスマートフォンが震える。
「サイドショットと、ミルコ?」
 二人のヒーローは同じ場所に居合わせたようで、二人揃ってほぼ同じ文言を送ってきていた。
「エンデヴァーさんが、花屋で花を買っていた。しかも真っ赤なバラ? 何それ見たい。二人だけズルイ!」
「……あの人、花なんか買うんですか」
「割と買うよー。お見舞いとか、墓前の献花とか、あと自宅用に飾るのとか。基本的に和風の花が多いから、バラは見たことないパターンかも。超レア、見たい」
 当人は、珍しいものを見逃したことに悔しげだが。
 なんとなく顔を見合わせたサイドキック二人のどちらが切り出すか無言でやりあっている間に、またアプリに着信があったようだった。
「あれ、リューキュウ?」
 珍しい相手からのメッセージに、ホークスが首を捻る。チームアップすることもあるし、年齢も近いので、それなりの交流はあるが、気軽にアプリでメッセージをやり取りするほどでもない距離感の付き合いである。
「お見舞いですか?」
 真面目で義理がたいので、同じ飛翔個性の括りで今回の怪我に対する見舞いのメッセージを送ってくるくらいは不思議はないのだが、ホークスの困惑顔は先のショートからのメッセージを読んだ時と同様だった。
「や、またエンデヴァーさん情報なんだけど、なんでみんな俺に言ってくんの……? そしてこの大丈夫は何にかかってるの……?」
 また示された画面に表示されたメッセージも、確かに前提の理解がないと読解が難しい。
『花束を抱えたエンデヴァーが、シュガーマンの店でチョコレートを凄い顔で買っていたけど、大丈夫?』
「……シュガーマンっていうと……」
「甘味ヒーローとして最近デビューした子だね、ツクヨミやショートと雄英で同期。事務所兼洋菓子店なのが、ちょっと変わってる。その店のチョコが美味いって、俺がエンデヴァーさんに教えた。あの人、溶けるからチョコはあんまり手を出さないけど、贈る相手がチョコ好きなら買わないわけじゃないよ。自分の個性のことは分かってるから保冷剤で対処してるだろうし、放熱もなるべく抑えるだろうから溶ける心配はないと思う」
 大丈夫とはチョコレートの心配だろうか、と首を捻るホークスは昔から変わらず情報通で、当人は秘しているつもりながらもフレイムヒーロー周辺の情報には特に詳しい。
「…………花とチョコって、誰に贈るんやろか?」
「娘さん……? それとも、元奥さんかなあ、今も関係は悪くないみたいだし」
 真っ赤なバラの花束だもんなあ、と深紅の翼を持つ男が首を捻る。
 情報自体は出揃っているにも関わらず、全く結びつかないのは、前提の理解がないからだろう。
「……リューキュウの『大丈夫』はホークスにやろ」
「怪我のことなら、前半のエンデヴァーさんの目撃情報いる?」
 理解がない。
「……なら、チョコが溶ける心配か、買う時の顔が心配になるレベルやったんやろうね」
「だから、何で俺に聞くかな?」
 首を捻りつつ、人気店のチョコレートの紹介は自分がしたこと、チョコレートが溶ける心配はないこと、顔が怖いのは通常運転、などを書き連ねて返信して、少ししてからその返事があったようだった。
「リューキュウ、なんて?」
「もう余計なこと言わない、ごめんね、お大事にって」
 理解のなさを、ドラグーンヒーローにも把握されたらしい。
「ん、今度はロックロックさん?」
 また着信したメッセージは、普段は個人的な連絡など入れてこない程度の交流のプロヒーローである。年齢やヒーローとしての活動のスタイルから、ホークスよりエンデヴァーと交流のある方だろう。
「…………何と?」
「東京駅で、でっかいバラの花束担いだエンデヴァーさんに遭遇したと。あとはお大事に、的な。え、何? みんな、レアエンデヴァー遭遇自慢なの? 俺も見たい、誰か写真撮って……!」
 どんな顔で深紅のバラの大きな花束なんてものを抱えているのか見たい、と満身創痍で転がり回りそうな一ファンをなだめつつ、部下二人は続々と寄せられる目撃情報に嘆息した。
「新幹線、乗ったみたいやね」
「エンデヴァーさんの自宅、静岡だから」
 何の不思議もない、という顔をしている手負いの鷹は、これまで寄せられていた怪我の心配のメッセージが一転して、エンデヴァーの現在位置とその行動を伝えられている意味を全く理解していないようである。
 どうする、とサイドキック同士でアイコンタクトを交わし、察知させたら鳥は手負いでも飛んで逃げるので、このまま悟らせない、と結論に至る。
「ホークス、今後のスケジュールの組み直しやけど」
「あ、はい」
 仕事の話を振れば、ワーカーホリックの傾向のあるホークスはあっさり意識を切り替えて着信を続けるスマートフォンの通知を切って手元から離した。
 今後の治療予定、ヒーロー活動の復帰、企業広告への影響、その契約の調整の話を詰めて、時計を見やる。
「そろそろ時間なんで、俺達はこの辺で」
「時間、って何かありましたっけ?」
 中途半端な時間を示した時計に、ホークスが不可解そうな顔をしたが、単純に東京から新幹線で名古屋までにかかる所要時間と、駅からタクシーを使ってここまでやってくるまでの時間を足して、そろそろタイムリミットなだけである。
「ホークスはとにかく今は回復に専念、無理したらいけん」
「医者の言うこと、ちゃんと聞くんよ」
「はいはいはい」
 小言の二重奏を聞き流す若いボスに諦め、その部下達は連れ立ってドアに向かう。
「それじゃ、ホークス、お幸せに」
「はいはい……って、そこ、お大事にって言うとこ……」
 聞き流しかけた一言に、苦笑しながらドアに目を向けたホークスが絶句した。
 少し前に無邪気に写真を欲しがった人物が、そこに立っていた。
 大きなバラの花束なる華やかでロマンティックなアイテムが、残念ながら武器か何かにしか見えない。顔に大きな傷のある偉丈夫は元々威圧感があるが、今は怒髪天を突いたとしか形容しようのない表情と相まって、憤怒の権化のようだ。
 お寺にこういう像があった気がする、などと益体もないことを考えたホークスに、ドアの脇に分かれてフレイムヒーローを出迎えたサイドキック二人が深々と嘆息した。
「エンデヴァー、今は痛み止め効いとるんで、ケロッとしてますが、一応重傷なのでイラッとしても手加減を」
「うちのボス、大事にしてくれんね」
 よろしく、と口々に言って立ち去った部下に見捨てられたことは察したが、何が起きているのか全く理解できない。
 打ち合わせ最中も送られてきていたエンデヴァー目撃情報が、ヒーロー達が発していた警報だったと今理解したが、それでもこの状況と全く繋がらない。
 己が鳥の翼を持つせいか、フレイムヒーローに鳥扱いされることはしばしばあったが、今、この形相とひしひしと感じる怒りの波動からして、下手を打つと、取って焼いて食われそうな雰囲気だ。
 ヒーロー仲間には、もう少し分かりやすく、フレイムヒーローが今回の怪我をした間抜けさに怒り狂って叱りに向かってきている、といった情報を回してほしかった。
 何故、皆遠回しな上に、取って付けたように「お大事に」の一言を結びの言葉にしたのかも理解不能だ。

 お大事に、という言葉が、ホークスの知らない間に全く違う意味に変遷している気がした。