ホームメイド

 ヒーロー業を生業にしていて、少々困ることというのはいくつかあるが、そのうちの一つとして、御礼というものがある。
 人を助けるのが仕事である。
 仕事である以上、報酬も発生するわけで、これもしばしば争議の的になるが、ひとまず今回は関係ない。
 助けた相手の感謝が、金品になった場合の問題である。
 自身や家族の命、財産などをヒーローの活動によって救われれば、感謝するのは人として当たり前の感情であるし、感謝の言葉だけでは到底足りない、という気持ちも自然なものだろう。
 ただ、金品を受け取ることは、ヒーローとしても公務員としても不可能である。
 あからさまな金品であれば、相手の気持ちを尊重しながら礼を述べ、どうにか丸く収めて断らねばならない。
 一方で、気持ちがこもったプレゼントを片っ端から断るわけにもいかない。
 迷子を案内した幼児がくれた絵や花は笑って受け取るし、事務所へのちょっとした飲食物の差し入れくらいなら、ありがたく受けることもある。誕生日や行事ごとに贈られてくるプレゼントは、中身を仕分けた上で慈善団体に寄付してその対応を公表している。
 このあたりの線引きは非常に繊細で、注意を要するものである。
 どこぞのNo.1は「要らん」の一言で全て切って捨てているそうだが、一般人気を維持したいホークスはなかなかそうもいかない。
 地元に密着した町内ヒーローレベルなら、事務所の近所の奥さん方が気軽に食事を差し入れたり、その旦那達が持ってきた酒で飲み明かすようなこともあるらしいし、それはそれでヒーローとして一つの在り方だろう。
 ホークスの場合、デビュー初期から全国区に名を売ってきたので、立ち位置は芸能人に近い。
 人気のヒーローに対する軽い好意から.-、熱烈なファンの熱い応援、警戒を要する歪んだ感情を寄せられることもあれば、職業柄犯罪者の恨みを買って、明確な悪意を向けられることもある。
 何が混入されているか分からないため、食品の受け取りはかなり慎重にしているが、今回は少々事務所間での連携がうまくいかなかった。
 農道の脇に停まった無人の軽トラックを上空から見かけて、違和感を覚えて降り立つと、トラックの影になっていた側溝に七十代の女性が二人落ちて動けなくなっていた。
 一人が助手席に乗ろうとした際に誤って落ち、助けようとしたもう一人も逆に落ちてしまって、途方に暮れていたという。
 剛翼で二人を救出し、すぐに病院へ搬送したところ、幸いにして怪我は大したことはなかった。放置したままの収穫物を載せた軽トラックを気にしていたので、一っ飛びして摘み立ての苺を納品先まで剛翼で空輸し、ついでに彼女らの知り合いに車を回収してもらうように依頼した。
 ヒーローとして当然の行動である。
 後日、退院した二人が育てた苺を持って礼にやってきた際には断らず、瑞々しい紅い苺を頬張って、美味しいと笑って受け取った。
 孫のような年頃のホークスに、彼女達はひどく喜んで、規格外のものだから気にするなと言って、どっさりと苺を寄越してくれた。地元名産の品種なので、それなりに値の張るものなのだが、商品にならない規格外品だというし、ホークスの事務所ルール上、受け取っていいラインのものだった。
 ただ、助けた本人達以外に、それぞれの家族が入れ替わり立ち替わり礼をしにきては苺を置いていって、たまたま毎回違うスタッフが対応したため、気づいた時には事務所内が苺の甘い香りに満たされていた。
 店が開けそうな状況に少々困ったが、受け取った善意である。
 その日のおやつとして事務所のメンバーで食べたが、一人はアレルギーで戦力外、あまり苺が好きでないスタッフが二人、残りの人員でがんばって食べても、まだ大量に余った。
「……次、常闇君が来る日は?」
 インターンの現役男子高校生の胃に縋りたい、また寮生なので、帰る際に土産として持って行かせれば、育ち盛りの学生達が綺麗に片づけてくれるだろう、という淡い期待を抱いて確認するが、ちょうど試験期間でしばらく来る予定がない。
 傷があったり、少々熟しすぎている規格外の苺は、彼が来るまでに保たず、駄目になってしまうだろう。
「……近所の事務所にお裾分けします?」
「さっき、よくチームアップするところ二カ所から、苺もらいすぎたからいらないか、って逆に連絡があって、丁重に断りました」
「何なの、苺農家さんはヒーローに大量に苺くれる習性でもあるの……?」
「まあ、繁忙期で何かとトラブルあって、お礼品として行き交うんでしょーね」
 近隣のヒーロー事務所は大体苺が溢れているようである。
「エンデヴァー事務所に持って行ったらよか」
 少々無責任な放言に、ホークスの目がすっと冷えた。
「東京に行く予定無いです」
「いつも、そんなん気にせんと行っとーやんか」
「そうですか?」
 冷え切った声に、サイドキックも年下の所長の機嫌の低下に気づいて口を噤むが、少々遅かった。
「用もなく上京してるつもりはなかったんですが、今後は気をつけます」
 淡々と謝罪の言葉を口にして、踵を返す。
「馬鹿、ホークス、この前エンデヴァーさんに大した用もないのに頻繁に来るなって叱られたんだよ」
「うわ、やってもーた……」
 個性の都合上、ひそめられた所員のやりとりがよく聞こえて余計に居た堪れない。所長室に入って、扉を閉ざして天井を仰ぐ。
 やってしまった、はこちらの台詞である。
 少々気にしていたことを冗談にされて、勝手に不機嫌になって、それを隠せもせずに八つ当たりするなど。
 速すぎる男などと呼ばれ、そこに含まれる、他者を置き去りにして顧みず、一人で進んでいく、という非難は承知した上で、ついてこられないなら不要と歯牙にもかけないが、己を支えるスタッフを粗略に扱ったことはない。
 徹底した実力主義で、能力のない者は容赦なくふるいにかけるが、残った人員についてはホークスなりに気を遣って接している。
 最近になって初めて受け入れたインターンの高校生を除き、事務所のメンバーは全員ホークスより年上である。実力主義を振りかざして、無為な反感を買って、仕事の効率が下がるのは馬鹿らしい。
 生意気、不遜と言われることが多いが、処世術として年長のスタッフを立てながらこれまでやってきた。
 こんな、子供のように自分の機嫌で当たり散らすなど。
「ホークス、エンデヴァーさん大好きだもんなぁ」
「悪かことしてしもうた」
 扉越しに聞こえてきたやりとりに、思わず額を壁に打ち付ける。
「え……?」
 ホークスは、エンデヴァーというヒーローが好きである。
 子供の頃からの憧れなので、理由などない。
 ただ、その憧れの対象であるフレイムヒーローは、実に人気が低かった。
 威圧的な容貌、容赦ない苛烈な性格と言動、民衆が望む、心優しく悪を許さない優等生な英雄像に一切迎合できない不器用な男で、彼を好きだと言うと、子供の頃から変わり者扱いされた。
 エンデヴァーファンというのは、ここで二つの傾向に分かれる。
 あんな強いだけの傲慢なヒーローが好きなのか、どこがいいのか分からない、といった反応を受けて、反発するように自分がファンであることに拘り、無理解な周囲を気にせず、我が道を突き進むタイプと、何も言わずに黙り込んで好きで居続けるタイプである。
 ホークスは完全に後者で、自分が好意を表明したことで、好きなヒーローが悪し様に言われることが我慢ならなかったので、ごく幼い時点で黙った。
 少々特殊な環境下で育ったため、自分が彼に憧れていることを、第三者にしたり顔で心理分析と称して語られるのは非常に不快だったし、もし、何かこのことでエンデヴァーに迷惑がかかるようなことがあっては困る、と長年徹底して秘めてきたのだ。
 相当に年季の入った隠れファンだと自負しているというのに。
「……端から見て、バレバレかー」
 秘してきた分、少々こじらせている自覚はある。
 プロヒーローとして同じ土俵に上がっても、本拠地が遠かったため、同じ事件に関わることはなかった。有能なサイドキックを潤沢に擁したエンデヴァー事務所は、あまり他のヒーローとチームアップすることもなかったので、声がかかることもなかった。
 それなりにマスコミに持て囃されてきたし、可能な限り最速でトップヒーローに追いついたつもりだが、オールマイトという象徴だけを見据えていた彼の視界に全く入っていなかったのは知っていた。
 その象徴が墜ちて、社会情勢が大きく変わり、非常に不本意そうな顔で念願だったはずのNo.1の座に繰り上がった時点で、初めて後進のホークスを目にしたのだろう。
 自分でしたことだが、ビルボードの壇上では最悪の印象を与えたはずだ。
 ホークスのような人間が最も嫌いだ、などという最低評価をもらって、こっそり落ち込んだりもしたが、No.1になって、少し変わりだしていた憧れの男は、相当に胡散臭い己の言葉にわざわざ九州まで出向いてきた。
 そして、連合の放った改人との戦いである。
 幼い頃に無邪気に夢想した、憧れのヒーローをサポートして共闘する夢は、最悪の形で実現し、連合に通じるための画策の中で、彼を半死半生の目に遭わせ、消えない傷を刻みつけた。
 どん底まで落ち込んでいることを、外には出していなかったつもりだったが、大怪我をした当人が妙に優しくて、今後の協力体制の継続を匂わせて去って行ったので、持ち前の図々しさを盾に、上京の度に事務所を突撃していたら慣れられた。
 彼の子供と同世代だからだろう、案外面倒を見て可愛がってくれて、少し調子に乗った。
 ついに先日、本拠地をないがしろにしすぎだと、実に正論でもって叱られたばかりである。
「あー、カッコ悪い……」
 調子に乗って叱られて、それに苛ついて他人に当たるなど、無様にも程がある。しかも、隠しているつもりの、憧れのヒーローに対する好意は、他者に筒抜けだったらしい。
「…………仕事しよう」
 考えているとひたすら落ち込みそうだったので、頭を切り換えて山積みの書類仕事に取りかかる。
 デスクワークに黙々と集中して、特に緊急出動がかかることもなく、キリがいいところで作業を止めると、大分夜遅くなっていた。深夜シフトのスタッフだけが残っている状態で、冷蔵庫にぎゅうぎゅうに詰められていた苺に気づき、しまった、と口元を押さえる。
 執務にこもって、持って帰っていいと言いそびれていた。
 かなり熟しすぎているものが多いので、冷蔵庫に入れても明日まで保たないものが大量に出そうだ。
「どうすっかなぁ……」
 このままで駄目になるのなら、加工するのが一番だろう、とスマートフォンを取り出し、レシピサイトで「イチゴ」と入れて検索をかけると、簡単、おいしい、と銘打ったレシピが上がってくる。
 ざっと目を通して、ジャム、という結論に達するのに時間はかからなかった。

 痛みかけた苺だけを選別し、剛翼で運搬しつつ、遅くまでやっているスーパーで砂糖とレモン、瓶を買い込んで自宅のマンションに着く。
 苺を洗って、ヘタと傷んだ部分は切り落とし、重量を量ろうとした時点で秤がないことに気がついた。
 脳内で憧れのヒーローが、人に料理をしないなどと言っておいてその体たらくか、などと宣う幻聴が聞こえたので、なくても大丈夫な簡単な料理を作っているのだ、と頭の中で言い訳をしつつ、剛翼で支えてみて、大体の重量を算出する。
 災害救助時など、瓦礫を支えたり怪我人を運搬することも多々あるので、持てばある程度の重量も分かる個性である。
 苺の重量の四十パーセントという砂糖の量も剛翼で量って、その半分を鍋に入れた苺にまぶしてしばらく置くというレシピに従って、その間に簡単な家事をすませて夕食を済ませた。
 できれば半日置け、という指示は無視して、まぶした砂糖の白が消えて浸みだしたジュースに浸かった苺にレモン果汁を入れて、火にかける。
 ふつふつと煮立つ苺が焦げ付かないようかき混ぜながら、浮いてきた灰汁を取り除いていき、残りの砂糖とレモン果汁を入れ、苺がつやつやした綺麗な赤色になった時点で火を止める。
「……めっちゃ簡単だった」
 キッチンに甘い香りが充満して、身体に染みついた気がするのが困るが、とりあえず今後、今回のような事態になった時の対処法は確立した。
 これでよし、と洗って水気を切った瓶に詰める段階で少々トラブルが発生したが、概ね問題なく完了した。

 翌朝、作ったジャムを事務所に持って行って、スタッフに配ると喜ばれた。併せて、昨日の態度を詫びておくと、年上の部下達は笑って流してくれた。
 市内のパトロール中にいくつかの軽犯罪の対応をして事務所に午後戻ると、スタッフの満面の笑みと、不機嫌そうなフレイムヒーローの渋面に出迎えられた。
「あ、え……何でっ!?」
 ここで動じるからバレるのか、と自覚はしたが、少し取り繕うのが遅かった。
 立てた襟に口元を埋め、じとりと目を据わらせて用向きを問うと、エンデヴァーは苦い顔をした。
 立ち話もなんだから、と何故か場を取り仕切って応接室に案内したサイドキックにピンときて、何か勝手にエンデヴァー事務所と連絡を取っただろう、と目で訴えるが、さらりと無視されて、応接室に二人で取り残された。
「……それで、何かあったんですか?」
「たまたま、こっちに所用があっただけだ」
「そうですか、わざわざ寄ってくださってありがとうございます」
 諸々の動揺を押さえ込むため、素っ気なくなった態度に、強面が更に不機嫌そうにしかめられ、不意に不思議そうな顔になった。
「何か、香水をつけたか?」
「いえ? あ、苺、ですかね?」
 朝もまだキッチンには甘い香りが残っていたが、自分の身からは特に感じられなかったので失念していたが、単に嗅覚が麻痺していただけらしい。
「苺とは?」
「助けた農家の方にたくさんもらっちゃいまして、ジャムにしたんです」
 一言で終わる状況説明に、む、と返事があるが、単に納得したのか、呆れられたのかはよく分からない。
 ちょうどコーヒーを運んできたサイドキックが、図ったようにジャムの小瓶をお土産に、と置いていくのを、じろりと睨む。
「サイドキックにその態度はどうなんだ?」
「エンデヴァーさんに言われたくないです。あと、あの人達、今、俺を超からかって遊んでるんです」
「わざわざ、貴様が落ち込んでると連絡を寄越してきたんだぞ」
 余計なことを、と内心喚きながら、半眼で尊敬するヒーローを見上げる。
「それで、そんなことでわざわざ九州までフォローに来てくれたんですか?」
「…………所用のついでだ」
「はい、ついでですね」
 にこりと笑って相手の主張を肯定したというのに、エンデヴァーは苦々しい顔で嘆息した。
「……二度と来るなと言ったわけじゃない」
「はい?」
「上京の頻度が異常だと言っただけだ。貴様は自分の個性で飛んでくるが、この距離の往復は貴様にも楽じゃないだろう」
「ええと……」
「必要もなく来てるとは思っとらん。ただ、あまりに忙しすぎるだろう。もう少し他人を頼って、きちんと休めと言ったんだ」
「……って、わざわざ言い直しに来たんですか?」
 可愛げのない憎まれ口に対する回答は、身を取り巻く炎の倍増だった。怒りの表明なのか、照れ隠しなのかは、渦巻く炎で暗い影となった顔の表情からは読み取れない。
「エンデヴァーさん」
 無駄だ、と悟って顔を取り繕うのをやめて、へにゃりと笑う。
「ありがとうございます」
 ふん、と鼻を鳴らしたエンデヴァーが視線をそらして、机に置かれた小瓶を手に取る。
「こんなものを作っとらんで、寝ろ」
「えー、朝トーストで食べたんですけど、結構美味しくできたんですよ! 見た目も綺麗でしょ」
 抗議すると、胡乱げに瓶を見下ろしていた青い瞳がまっすぐにホークスを見据えた。
「綺麗な赤色だな」
「なんで、こっち見て言うんですか……」
「貴様の言動は支離滅裂か!」
 支離滅裂にさせているのは誰だ、と恨みがましく思いつつ、彼が特に口に出しはしないものの、見た目を気に入っているのを知っている赤い翼を一度大きくはためかせて平静を保つ。
「あ、ジャムなんですけど、瓶の消毒が甘いんで、早めに食べちゃってください」
「……分かった。貴様の言動に一貫性は求めん」
「レシピサイトの、『これで完成!』の後に煮沸消毒した瓶が突如現れる仕様って罠ですよね」
 レシピというものを目にしたことがないらしい男が、理解不能という顔をしていたが、何か応じようと思ったのだろう。
「滅菌消毒が必要だったのか?」
「長期保存しようとするなら、って感じみたいですけどね。そもそもうち、鍋一個しかないですし、いきなり最後に煮沸消毒とか言われても」
「分かった、今度それが必要になったら俺を呼べ」
 支離滅裂なのは、彼の方だと思う。
「…………ジャム作るのに、瓶を煮沸に来てくれるんですか?」
「出来ると思うが?」
「そりゃ出来るでしょうけども!」
 彼の個性での可能不可能を訊いているわけではないのだが、諸々諦めて降参する。
 ここで、表情を保てないから周囲に筒抜けなのだろうと理解した。
「じゃあ、次ジャム作るときは、呼びます」