カスタムメイド

 先日、諸般の事情で相手の服を駄目にしたため、詫び代わりに誂えさせたスーツが完成したというので、当人に取りにくるように伝え、合わせて延期にしていた食事もするから時間を空けるように、と通達したところ、妙に身構えた態度でドレスコードを問うメッセージが返ってきた。
 前に彼の本拠地で案内されたような店がよいかと思っていたが、せっかくスーツを作らせたのだから、それに合わせるのも一興かと思い直した。
 タイ着用で、と返せば、やさぐれたような反応が返ってきて、己の子供と変わらない年頃の若手がそういった場にやや苦手意識を持っていることを察する。
 今回、スーツを作る流れになったのも、彼が喪服くらいしかフォーマルなものを持っていないと嘯いたのが理由だった。
 どうせ、ピンやカフスなどの小物もほとんど持っていないのだろうと考えて、やるならば徹底的にやろう、と決めた。

 マンションのコンシェルジュから来訪の連絡が入り、少しして玄関のベルが鳴ったのでドアを開けると、目に鮮やかな緋色の翼を持つヒーローは、エンデヴァーの姿を目にして妙に嬉しげに笑った。
「わぁ、エンデヴァーさん、スーツカッコいい。撮っていいです?」
 実に今どきの若者らしく、スマホを取り出したホークスに、やめんか、と唸ってカメラのレンズを手で覆って遮る。
「そんなことより、スーツはどうした?」
 ドレスコードのある店に食事に行くと決めたから、スーツで待っていたというのに、当人はいつものチャラチャラとした雰囲気の服を着たままだ。
 手に大きな紙袋を下げているので、そこに受け取ったスーツが入っているのだろうが、てっきり着てくると思っていたので、少々解せない。
「わざわざ脱いできたのか?」
 仕立てた服は、ただ受け取るだけでなく、その場で試着して仕上がりを確認するものだし、そのスーツで食事に行くと決めているのだから、脱いで出てきて、またここで着替えるのは時間の無駄である。
「いや、一度着たまま店出たんですけど、出た瞬間、ファンの子に遭遇して……」
 最近、ターゲットの年齢層を広げて更に人気を増やしている男なので、国内のどこを歩いても必ずファンに遭遇するだろうが、若さの割にファンの扱いに手慣れた彼が困るようなことはないはずだが。
「なんか、尋常じゃない悲鳴が上がって」
「尋常でない」
 二倍近い年齢のエンデヴァー相手に好き放題煽ってくるような豪胆な男が、即座に店に逆戻りして服を着替える判断を下すような状況だったということである。
「貴様、どんないかがわしい服にしたんだ?」
「全部決めたのは、エンデヴァーさんですよねえ!?」
 オーダーの仕方が全く分からないというので、型から生地の選択、ボタンに至るまで全て決めたのはエンデヴァーだが、仮縫いにも今日の試着にも付き合っていないので、どんな仕上がりになったのかは知らない。
 注文通りならば、ごくオーソドックスなスーツになっているはずである。
 とりあえず、いつまでも玄関先で話していても仕方ない、と上がるように示すと、神妙な顔で靴を脱いで上がってくる。
「あれ、ここってエンデヴァーさんしかいないんですか?」
「今日は後で息子が来るが、基本的には泊まり込み用の別宅だからな」
 本宅は静岡にあるので、仕事で帰れなくなった際に寝泊りするための部屋だったが、No.1になってからは特に忙しく、こちらでの生活が主体となっている。
「拠点あると便利ですよねー、俺も東京に部屋借りとこうかなー」
「今の頻度で上京するようなら、用意しておいてもいいんじゃないか」
 ヒーロー業でも全国を文字通り飛び回っている上に、エンデヴァーと異なり積極的に広告出演もしているホークスは、上京する度にエンデヴァーの事務所に土産と情報を落としにくるが、その頻度は呆れるレベルである。
「東京よく分かってないんで、部屋探すの手伝ってください」
「構わんが」
「えっ?」
 厚かましく軽口を叩くくせに、こちらが了承すると驚く理由が分からない。
 相も変わらず掴みどころに困る若者だ、と思いながら、まずはスーツだと紙袋を指す。
「どうなったんだ?」
「七五三みたいになりました」
「……着てみろ」
 腕のいい職人に任せているので、そうそうひどいことになるはずがないのだが、何かオーダーミスをしたか悩みながら指示すると、紙袋から箱が幾つか取り出される。
「そういえば、なんかコートや靴まで揃ってたんですが?」
「スーツに合う靴なんぞ持っとらんだろう」
「革靴くらいありますよ」
「今回のスーツに合わんだろうが」
 葬式にも着ていけるダークスーツしか持っていないと彼が嘯いたところから、立場と年齢に見合ったものを作ってやることにしたので、今回のスーツに合うものの用意があるはずがない。
「…………エンデヴァーさんって、スーツ作る度に靴買ったりしてないですよね?」
「毎回は作らんが?」
「そもそも靴もオーダーだった」
 世界が違う、とぼやいて、諦めた顔で次の箱を出す。
「あ、シャツ、なんかスゴかったです!」
 コロコロと変わる表情に、一つ瞬いて、凄いとは、と問うと、背の翼がぱたぱたと揺れた。犬の尾のような感情表現だろうか、と考えつつ、説明を促す。
「スーツって、羽動かしにくくて窮屈なイメージだったんですけど、動かしにくいの困るって言ったら、ヒーローコスレベルの可動できるのに、スゴいぴったりで、オーダーメイド半端ないっていうか!」
 エンデヴァーは個性上、服に耐火性を最優先するが、ホークスの場合は背の個性の動きを抑制しないことを求めるらしい。
「俺、ここのシャツならあと何枚か欲しいです!」
 これまで、ヒーロースーツ以外は既製服の背に翼を通す穴をあけて調整して着ていた若者は、完全なオーダーメイドでデザインされたシャツにかなり惚れ込んだらしい。
「追加で頼んでおくか?」
「……自分で頼みますから、買わないでください」
 急に警戒の目になった理由が解せない。気分の浮き沈みの激しい若者である。
 とりあえず着てみろ、と告げると、ジャケットとセーターを無造作に脱ぐ。
 ヒーローホークスの象徴とも言える長大な翼の、彼の意のままに動く羽に痛覚は通っていないらしく、実に雑に扱われて服の狭い穴を潜り抜けた後、不意にぱっと四散した。
 動画を一時停止したかのように、ぴたりと中空で静止した紅い羽に囲まれたまま、白いシャツを羽織って、背に僅かに残った翼の付け根をシャツのスリットに通した後、宙に浮いた羽がするすると戻って翼を形成する。
 自身の個性に対しては扱いが雑なので、この丁寧さは仕立てたシャツに対する敬意らしい。
 以前、エンデヴァーの事務所でTシャツに穴をあけて翼を通した際は、実に粗雑に狭い穴に翼を通していたが、こうして取り外してすぐに戻せるなら、その方が羽も服地も傷めないのではないかと思うが、どうやらただのものぐさらしい。
「いちいち並べ直すの面倒なんです」
 羽の数を考えると分からないでもないが、見栄えも売っているヒーローなのだから、もう少し気を遣えと呆れると、シャツのボタンを留めながらへらへらと笑ってごまかす。
「あ、これ、ここのボタンだけ赤いの可愛くないですか?」
「……かわいい」
 同意したわけでなく、言葉の使い方に世代差を感じての鸚鵡返しである。
 彼の個性と同じ色のボタンを一つ、喉元に配置させたのは一種の洒落であって、可愛さを求めた覚えはないが、この若者がそれを表現すると「かわいい」の一言で終わるらしい。
「……エンデヴァーさんが『かわいい』とか言うと、破壊力が抜群ですね?」
「よし、可愛がってやるからこっちに来い」
 口の減らない若造を、指の関節を鳴らしながら手招くが、警戒したようでシャツを羽織った鳥はふわりと浮き上がって距離を取った。
 妙な緊張感を孕んで、このウイングヒーローの足首を掴んで引きずり降ろせるかを算段していると、不意に電話が鳴った。
 またマンションのコンシェルジュからの来訪者の連絡で、今度は呼んでいた息子がやってきたらしい。通すように告げ、その旨をホークスにも伝えると、床に降り立って少し慌てたように残りのボタンを留め始める。
「ショート君です?」
「いや、上の兄の方だ」
「ええと、ナツオ君」
 雄英生としてメディアに露出があり、エンデヴァーの息子として広く認識されている末っ子はともかく、エンデヴァーは他の子供達のことを表に出すことはない。長くトップヒーローとして活動し、検挙率最多を誇るエンデヴァーは、犯罪者達の恨みを多く買っている。
 逆恨みが子供達に及ぶことがないように、彼らの存在はなるべく隠してきた。
 それなりに付き合いの長いヒーロー仲間も、彼が既婚者であり、子供もいることくらいは知っていても、詳細は全く知らないはずだ。多くは焦凍を一人息子だと思っていることだろう。
「……よく知っているな」
 低まったエンデヴァーの声にこもった僅かな怒気と疑念を察して、立てたシャツの襟で口元を隠すが、本当にうっかりなのか意図的なものなのか、ぽろぽろと言い零す割には、情報の入手経路を明かすつもりはないらしい。
 じろりと睨む目をにこにこと見返してくる得体の知れない鳥の正体を見極める前に、玄関のチャイムが鳴った。
 少し慌てた様子でスーツを着込み出したホークスを置いて玄関に向かい、ドアを開くと苦々しい顔の次男が立っていた。
 挨拶の一言もなく、手にしていた紙袋を突きつけてくる。
「メーワク」
「……何がだ?」
 苛々と叩きつけられた言葉は短く、不機嫌は理解できたが詳細は分からず、その理由を問うと、息子は簡単に激発した。
「アンタの忘れもん届けろとか、スゲー迷惑!」
「忘れたわけじゃない。用意をしたが、仕事で取りに戻る暇がなくなっただけだ」
「知るかよ!」
 事件が重なって東京に泊まり込むことになったので、娘に用意しておいた品を送ってくれと頼んだところ、夏雄がちょうどこちらに来るから持たせると返事が返ってきた。
 大丈夫だろうか、と思っていたが、やはり本人は非常に不本意だったようである。
 家族の中で父親に対して一番激しい反発を見せる弟のことで気を揉み、関係を取り持とうとしての策だったようだが、却って逆効果でないかと思う。
「すまん」
「何がだよ!? 別に何も悪いと思ってもいないくせに、何謝…って……」
 高まった声が急にトーンダウンして、どうしたかと思うが、その理由はすぐに知れた。
「こんにちは」
 聞き覚えのない声に、不審な顔で振り返ると、グレンチェックのスーツを着込んで澄ました顔で笑うウイングヒーローが立っていた。
 本人は七五三などと言っていたが、普段より数割増し大人っぽく見えた。しかし、声まで変わったのが解せない。
 今のは、どうやらよそゆきの声らしい。
 落ち着いた、大人びた男の声に、これまでのちゃらついた態度以外の対応もできたのかと半眼になるが、さらりと無視したホークスは玄関に立ち尽くした夏雄に笑いかけた。
「お邪魔しています」
「え……あ、ホークス、さん!?」
 画面越しに見知った有名なヒーローの名を口走って、慌てて敬称を付ける。
「何でこんなところに!?」
「こんなところて、 No.1ヒーローの東京のおうちでしょ」
 被った猫を早々に脱ぎ捨てて、ホークスが笑った。
「それは、そうですけど……、あ、何か父とチームアップですか? スーツ姿、初めて見ました、めっちゃカッコいいです!」
 これまで見たことも聞いたこともない表情と声音をウイングヒーローに向けた息子を、ついまじまじと見やると、ぎろりと睨み返された。どうやら、第三者の存在で多少の体面を保とうとしたのと、その第三者がホークスであったことが大きいらしい。
 そういえば、この最速最年少と持ち上げられる若造は、十代から二十代の若者に絶大な人気を誇るのだった、と思い出し、ちょうど息子がその年代であることを理解する。
 次男が誰か特定のヒーローのファンかどうかは知らないが、少なくともヒーローホークスは憧れの対象ではあるらしい。
「えぇと、仕事ではなく……、え、俺、ここで何してるんだろ?」
 唐突に自ら心折れた顔をしたホークスが、虚ろに宙を見つめ、代わりに次男の目に険が増した。
 ウイングヒーローに何をした、と睨まれ、応じかけて説明に困る。
 端的に言うと、うっかりホークスの服を燃やしたので、スーツを着せて食事に行くことにした、ということになるが、並べてみると因果が成立していない気がする。
 この若造が何やら理解し難い言語で色々と言い募ったのが、途中に挟まるのだが。
「…………デート?」
「何でよりによって、その単語チョイスしたかなあっ!?」
 理解を越える単語を父親から浴びせられ、凍りついた夏雄に代わって、今度はホークスが声を高めた。
「貴様が言ったんだろう?」
 自分の認識している意味合いとは異なる用法が、彼らの世代にはあるのだと思っていたが、特に通じていないようである。
「言…い、ましたかね……?」
 自分の囀りに責任感のない鷹が首を捻る間に、まだ固まっていた息子の手から紙袋を取り上げ、中からいくつか小箱を取り出す。
「ホークス」
 指で招いて、おとなしく近づいてきた青年の顎に手をかける。
「は、い……?」
「動くな」
 指示通り、ぎしり、と固まった男に、よし、とうなずいて小箱を開けて、中に収まったタイピンと瞳の色を比べて確認し、次の箱を開けていく。
 赤みを帯びた琥珀色の瞳だと思っていたが、あれはエンデヴァーの炎を映した色だったらしく、上を向かせて光を入れると飴色に近い。色素が薄い分、感情でも左右される猛禽の瞳の色だ。
「これで」
「はぁ……、何だったんですか?」
「目の色に合わせようかと思ったが、こっちの方がかわいいんだろう?」
 赤い石の填めこまれたピンを示すと、何度か無意味に口が開閉し、周囲を見回し、助けを求めるように夏雄を見上げたが、まだ思考を停止している様子に諦めたらしく、大きく息を吐き出しながら、はい、と応じた。
「お借りします」
「やる。俺は使わん」
「…………ええと」
 困った顔を無視して首元に手を伸ばし、タイを一度解いて巻き直す。
「あれ、結び方おかしかったです?」
「いや、基本の結び方は合ってるが、スーツをクラシックに作ったからな、結び方も……」
 ウィンザーノットで結びかけたが、ちらりと頭一つ小さい若者を見下ろし、巻きを変えてセミウィンザーノットに変更する。
 片手で掴めるサイズなのは認識していたが、頭が小さいのであまり結び目を大きくすると似合わなくなる。
 タイピンを挿し、対になっているカフスボタンを取り出し、腕を上げさせ、ボタンをはめていた袖口を外させる。
「この時計は?」
 今時の若者がよく付けている、大型の腕時計である。文字盤に鷹の頭の意匠が入ったそれを、街中のポスターで見かけた記憶がある。
「モデルやってるブランドのです。俺のイメージの限定モデルなんですけど、カジュアルすぎます?」
「駄目ではないが、大型で分厚いから袖口に引っかかる。それは、専属契約で必ず付けていないといけないのか?」
「いや、そこまで契約の縛りはないです」
 ならば、と今している時計を外させ、紙袋から別の小箱を取り出し、薄いケースの腕時計をその腕に巻きつけて顔をしかめる。
 痩せているわけではないが、限界まで鍛えたエンデヴァーの腕と比べると、半分の太さといっても誇張ではない。ベルトが余るというより、二重に巻けそうなくらいだが、そういうわけにもいかない。
 諦めてもう一つの箱を開けて、金属ベルトの時計を取り出す。
「革ベルトの方がフォーマルなんだが」
「え、そうなんです?」
 逆だと思っていたらしい若者に、黒革が正装、と教えながら、手を下に向ければ抵抗なく落ちる程に余ったベルトの両端を摘んでみて確認し、一度手首から外す。
 爪の先で連なった金属ベルトの一部を焼き切り、切断した部分を高熱で無理やり溶かして繋ぎ、逆側も同様にする。
 熱されたベルトが、少し冷めるのを待って、改めて若者の手首に嵌めて、ベルトの切れ端をその手に乗せる。
「無理やり切ったから、今後も使うなら店に持って行って直せ」
「ええと、これ……」
「やる」
 使っていないものだから持って行け、と告げると、非常に嫌そうな顔で文字盤を見やり、ブランドロゴを読みとって額を押さえる。
「待って……、俺、今全身でおいくら……?」
 何を言っているのかと、ほとほと呆れる。
「いや、エンデヴァーさんはそういう顔しますけどね、俺は基本庶民なんです! 無理に高価なブランド物で固めても、めちゃくちゃかわいそうなことになるんです!」
「中身が見合ってないならともかく、貴様自身の方がよほど価値が高いだろうが。今は適当な格好をしても、若さで許されているだけだ。自分の価値に相応のものを身につけ慣れていないと、後で恥をかくことになるのは貴様だぞ」
 どうにも自分の価値の見積もりの甘い若造に呆れると、非常に珍妙な顔をして無意味に口を開閉させた後、やおら夏雄を振り返る。
「エンデヴァーさんって、いつもこうですか!?」
「え……あ、や、よく分かんないですけど、うちの親父がスミマセン!」
 No.2に詰め寄られて、ようやく我に返った次男が、即座に父親に非があると決めつけて謝罪する。
「ええと、親父が何か……?」
「……俺の今のカッコ、全部エンデヴァーさんプロデュース……」
 逆のはずなのに、どうしてこうなった、などと訳の分からないことをぼやくホークスの全身に改めて目を走らせた夏雄が鋭い目を父親に向けた。
「何やってんだよ、あんた?」
「……これが、スーツを持ってないと言うから」
「No.2を、あんたんとこのサイドキックと一緒にすんな! あんたが余計なことしなくても、必要になったらちゃんと買うに決まってんだろ!」
「必要になってからでは遅いだろうが!」
 ホークスも夏雄も似たようなことを言うが、まだ一般的な体型の次男は、既製服の店に当日駆け込んでもどうにかなるかもしれないが、背に調整が必要となるウイングヒーローは下手を打てば間に合わない。間に合ったとしても、実際の翼の形状に合わせていない、ただ背に穴を開けて調整したようなものでは様にならない。
「No.2にみっともない格好をさせられるか」
「あんたの価値観で決めつけんじゃねーよ!」
 言い合うごとに高まっていく息子の声に、どうしたものかと思いながら、ちらりとホークスの顔に目を走らせると、てっきり笑っているかと思った小生意気な若造は、ひどく困った顔をしていた。
 狼狽えているといってもいい。
 他人の家の親子の諍いを目の前で始められたら困るのは当然だろうが、もう少し他人の事情に無関心かと思っていた。
「…………スイマセン」
 夏雄もばつが悪そうに謝罪して、改めてホークスの全身に目を走らせると、父親を睨んだ。
「……あんたの趣味?」
「そうだが」
「古臭い」
 先程、格好良いと目を輝かせていた気がするのだが、指摘すると更に怒りを招くのだろうと、とりあえず何も言わず考え込む。
 明るい金茶の髪色の上に、背に鮮紅色の大きな両翼があるので、あまり冒険はせずに普段のヒーロースーツとベースの色が変わらない薄い茶色ベースのグレンチェックのツーピース、タイは無地のチャコールグレー、全体的に英国式にクラシックにまとめたので、その印象で間違っていない。
 基本的に軽薄な印象が強いため、下手に細身のダークスーツなど着せた日には、水商売の男のようになるのが目に見えていたので避けた。
 実年齢が大学卒業したばかりの新人と同じなので、同世代の若者が着るような形の紺や黒のスーツでは、就職活動中の学生か、新社会人にしか見えなくなる。年齢で判断され侮られないように、古典的なスタイルで明るめの色と柄のフォーマルとカジュアルの境くらいのものを選択したつもりだが。
 似合うものを、とオーダーを決めていく際に、スポンサーとの会食に着るようなきちんとしたもの、という当初の目的が抜け落ちていたことに気付く。
 このスーツでも問題はなかろうが、少し雰囲気がカジュアルかもしれない。
「すまん、ビジネス向きにしなかったな。もう一着用意しよう」
「なんか考えた末に、よく分かんないとこに着地された!?」
「いや、つい趣味で可愛く作りすぎた」
 悪かった、と謝罪すると、ウイングヒーローは頭を抱えてその場にしゃがみ込む。
 時折、妙なところで大仰な反応をする若造の思考回路が今一つ理解できない。
「あの……、おたくのお父さん、いつもこうですか?」
「スイマセン、本当に頭おかしくてスイマセン……」
 世代の近い二人が揃って何やら沈痛な面持ちでいるのが解せない。
 ホークスは長女と年齢が一緒なので、次男より三歳ほど年長のはずだが、並ぶと夏雄の方が背が高いので、あまり年上に見えない。
 なんとなく二人を見比べていると、視線に気づいたホークスが夏雄を押しやってきた。
「スーツは余所の同業にじゃなくて、息子さんに作ってあげてください」
 まだ早いだろう、と一瞬思ったが、そういえばもう高校は卒業したのだったと思い出す。
「……おまえも作るか?」
「いら……ッ!」
 反射的に突っぱねようとした夏雄が、背後の若手人気一位のヒーローの存在を思い出して口ごもる。
「あんた、趣味悪いし……」
 大分トーンダウンした拒否に、少し考え込む。
「これのスーツを仕立てたところなら、自分の好きに作れるが?」
「夏雄君、騙されちゃ駄目だ。自由すぎて初心者には難易度高すぎる罠だよ。最近よくある三万円で作れるパターンオーダーとかと訳が違うよー」
 後ろから鷹が余計なことを囀る。
「俺は最終的にエンデヴァーさんに丸投げしました。ぶっちゃけ、無理」
 No.2の言葉は非常に素直に聞き入れるらしい夏雄が警戒心に溢れた目をこちらに向けてきたので、近々問答無用で店に放り込むと決める。
 一緒に羽の生えた若造も、もう一着作らせるために放り込めばちょうどいいだろう、と算段していると、不意に携帯が鳴った。
「すまん、事務所からだ」
 学生の次男と大差ない雰囲気だったホークスの顔が、その一言でスイッチを入れたように切り替わる。
 緊急か、と目で問うてくるのに、出動要請のコールではない、と首を振って応じて通話のために奥に引っ込む。
 事務方からの少々急ぎの問い合わせに指示を出し、事務所の状況を確認して電話を切るまでそれほど時間はかからなかったはずだが、玄関口に戻った時にはもう次男の姿はなかった。
「彼女とデートの時間だそうです」
 逃げたか、と考えたのを察したように、ホークスが笑って言う。
「クリスマスのイルミネーション見に行くらしいんで、鉢合わせしないように避けてあげてくださいね」
「……そんなことまでアレは貴様に言うのか?」
「デートの話なんて、むしろ家族には言わんでしょ。俺、なんか遊んでそう認定されがちなんで、ちょっとアドバイス聞かれただけです」
 スーツ姿で大分真面目そうに見えるようになった青年が、少し困ったように苦笑するのを見下ろす。
 まだややチャラついているので、耳飾りを外させ、眼鏡でも付けさせて髪もきっちり固めてやろうかと考えつつ、疑問を口にした。
「遊んどるのか?」
「ご想像にお任せします」
 人気ヒーローのお手本のような回答に、なるほど、とうなずく。
 デビュー直後から名の売れた、見栄えのいい翼の個性の実力派ヒーローは、テレビや雑誌でアップに耐える程度に見目もよい。
 斜に構えた態度は生意気だが、毒舌気味の歯に衣着せぬ言動が若い層に人気らしい。
 当人は庶民だなどと宣うが、No.2の立場と、メディアへの露出頻度を考えれば、彼の方こそ高額納税者だろう。
 加えて、独身のまだ二十代前半となれば、非常にモテるはずだ。
 その立場を享受するかどうかは、また人に拠るのだが。
 この見た目も経歴も派手派手しい生意気な若造の、実際の中身が異なるのは理解し始めている。
「そう言うエンデヴァーさんは、どうなんです?」
 にっこり笑いながら聞き返して話を逸らす手口は、非常にマスコミ慣れしている。
 エンデヴァーの場合は、もう礼を欠いた質問自体をさせない空気を作っているし、事件に無関係なプライベートの質問など、全て黙殺するやり方で通している。
 ヒーロー同士のやりとりでも、エンデヴァー相手に軽口を飛ばしてくる者は限られるので、この手の問いは非常に久しぶりに向けられた。
「俺は貴様とは違う」
「ああ、はい、でしょうねー」
「貴様と違って、俺は何も言わなくとも勝手にストイックだと思われるんだ」
「…………エンデヴァーさん、実際のところは?」
「想像に任せる」
 にやりと笑ってみせると、一瞬虚を突かれた顔をしたホークスが、ずるい、と妙に子供じみた顔で喚きだした。

 予約していたレストランに連れていくと、若造は何とも珍妙な顔をしていたが、それなりに場慣れしているのだろう、臆することなく席に着く。
 オーダーもカトラリーの扱いも、特に問題はなく、あの妙に身構えた態度はなんだったのかと拍子抜けする。
「案外ちゃんと、テーブルマナーを知っとるんだな?」
「学校で習った程度ですけどね。ヒーロー科でマナーレッスンとか、必要かなとか思っててスイマセンデシタってくらい役立ってますね、今」
「広告スポンサーとの会食なんかもしてるんだろうが」
「ハイ、色んな場面で役に立ってマス!」
 物言いに含みを感じるが、とりあえずこれまでの言動から想定していたよりは、一通りのマナーは身についているらしい。
「和食や中華のマナーは?」
「よく知らないです」
 学校で習ったのは、フレンチのテーブルマナーのみらしい。
 では、今度はそっちで連れて行こう、と考えたところで、非常に警戒した顔をされる。
「何だ?」
「なんか、一見さんお断り系料亭に連れて行かれそうな気配を察知しました」
「慣れておけ」
「ヤダコワイ」
 本当に怖がっているなら、そもそもエンデヴァーに対してこんな態度を取らない。
 なんだかんだと太々しい若者に、作法を覚えておけ、と通告すると、深々と嘆息してみせる。
「今日も駄目駄目だったら、この場でマナー教室だったわけですね……。本当に、案外若手に面倒見のいい……」
 ぼやかれた台詞の意味が理解できず、首を捻る。
「別に面倒を見たことはないが?」
「え? 結構サイドキックを育ててますよね?」
「いや?」
 基本的に自分本位に振る舞ってきた自覚はある。事務所に所属するサイドキック達の数は多いが、エンデヴァーに反発して辞める者も多い。
 所属するサイドキック達の能力は当然把握しているし、必要に応じて指導し、仕事を割り振って任せているが、後進の育成に力を注いできたとは言い難い。
「だって、エンデヴァー事務所出身のヒーロー、ほぼ全員第一線で活躍してるじゃないですか」
「あれは当人の力だろう。俺の下で長年やれた上で、独立した奴らだぞ?」
 検挙率最多を誇り、凶悪な敵相手の出動の多い忙しい事務所で揉まれて、独立するだけの頭角を現したのだから、実力があって当然である。更にエンデヴァーという癖の強い上司の存在にも耐えた精神力の持ち主なので、個人事務所を構えると同時に評価される者が多いようである。
「……なんか、炎の強化塾みたいなことになってませんか?」
「育てとらん」
「でも、いつもきちんと独立支援してますよね?」
 余所の事務所の事情に、無駄に詳しい男である。
「そのくらいはどこの事務所でもするだろう」
 独立を考えるサイドキックの相談には乗るし、資金の問題があれば融資もする。独立後も軌道に乗るまで、多少の人的、資金的な援助をしたり、仕事の斡旋をしたりもする。
 中堅以上の事務所ならどこでもしていることである。特別に手厚いわけではない。
 エンデヴァー事務所の規模が大きいので、多少他より安定して独立できる部分はあるかもしれないが、そこに至るまで、エンデヴァー本人の苛烈さと、事務所の過酷な業務に耐え抜くだけの実績を要する。
 要するに、当人の実力である。
「で、独立する時に、スーツ仕立ててレストラン連れてきて教育するんでしょ?」
「何の話だ?」
「夏雄君が、独立するサイドキックにはスーツを贈ってた、と……」
「ああ…… 」
 夏雄が主張する通り、ほとんど彼を顧みたことがない。己の仕事に関わることに触れさせたこともないので、どこでそんなことを聞きかじったのかも分からない。
 そのこと自体が、己の過ちなのだろう、と考えてから、また居心地の悪そうな顔をしているホークスに気付いて、言葉を続ける。
「スーツ違いだ。独立するサイドキックのヒーロースーツの新調のことだな」
 腕のいいデザイン会社を紹介し、国からの補助に更に資金を上乗せしてやっている。祝儀代わりだし、あれも一種のオーダーメイドではあるが、認識が大分異なる。
「服を、贈ってるわけじゃない?」
 生じていた齟齬を修正したホークスの、妙に悲壮な顔を不可解に思いつつ、その通りだとうなずくと、若者は自分自身を指さした。
「じゃあ、これ何ですか?」
 正確には、着こんだスーツを指したものらしい。
 何と問われても困るが、一言で言うならば。
「理由はいくつかあるが、俺の趣味だ」
 がちゃり、とホークスの手元で食器が不穏な音を立てた。
 加減はしたようだが、ナイフとフォークを握った両拳を、テーブルの端に降ろした姿勢のまま、深くうつむいた青年が呻いた。
「マ・ガ・オ!」
「まがお?」
「……いえ、言われた言葉の意味がよく理解できなくて」
 それはこちらの台詞だと思うのだが、顔を上げたホークスの目が据わっていて、これ以上刺激するのは得策ではないらしいと悟る。
「趣味ってなんですか?」
 この見栄えのいい若者を着飾らせるのが、思いの外楽しかったというのが正直なところだが、そのまま言うと間違いなく爆発する、次男のそれとよく似た気配を感じる。
「趣味というか……」
 目の前に座る、己の子供と同世代のヒーローは、その若さでランキング二位にまで上り詰めた実力者で、既に独立して五年近くになり、場数も踏んでいる。
 器用な個性を使いこなし、戦闘から災害救助、犯罪捜査、市内パトロールまでそつなくこなす。汎用性の高さはエンデヴァーの比ではない。
 事務所の規模がやや小さく、本拠地を地方都市としていることで、検挙率は今のところエンデヴァーが勝っているが、人員を増やし、事務所の規模を拡大してくれば、どうなるかは分からない。
 ビルボードの壇上で支持率の低さを皮肉ってきた通り、若い世代に対する影響力は絶大で、なんらかの媒体で彼の顔を目にしない日はない。メディア嫌いのエンデヴァーと違って、人気の獲得に熱心で、少し前まで切り捨てていた上の年代にも支持を広げる戦略に変更してきたようだ。
 正直、個性のタイプも違えば、自分の数倍器用で世渡りもうまい若者の育成の余地など、ほぼ見当たらない。
 僅かに、経験のなさから正装が必要な状況に対する気後れのようなものを覗かせたので、その教育くらい引き受けてやろうかと思った。
 その心境を言い表すならば、後進育成となるのだろうが。
 これまで告げている通り、エンデヴァーは若手の育成に熱心なタイプではない。
 同年代のヒーローの中には、もう次世代の育成に活動の重点を変え、ヒーロー科の講師に就任する者も増えているが、今のところ、エンデヴァーはそういった転換を考えていない。
 部下が独立を考えるなら支援をするのは所長の責務だと考えているだけのことだし、サイドキックの育成自体は使えるようになれ、という傲慢な指示でしかない。エンデヴァーに見切りをつけずに食らいついてきた者が結果として有能になっただけで、彼らの成長にエンデヴァーは関わった覚えがない。
 本気で育成に取り組んだ息子に関して言えば、周囲の制止も悲鳴も泣き声も何も聞かずに突き進んで、取り返しのつかないことに今更気づいた有様だ。
 後進育成など、どの顔で言えるのか、という身の内から湧き出る苦々しい感情を自覚すれば、この若いNo.2を育てようなどと驕ったことは考えられない。
 既に十分に有能で名声も得た若者に、同業であるということ以外に接点のない、親子程にも年齢の離れた自分が、どんな立ち位置で接すればいいのかと考えると、また難しい。
 もしも、年齢だけを理由に、無意識にでも彼を自分の子の代わりにして、必要もない面倒を見て贖罪の代わりをしているつもりなら、暴慢に過ぎる。
 ホークスという、突然目の前に現れた胡散臭い若造に関する感情が、非常に複雑怪奇なことに、今更気づいて考え込む。
「……エンデヴァーさん、沈黙が怖いです」
 黙っていると怒っていると取られがちな顔に、今は更に威圧的な大きな傷も追加されたのだった、と思い出し、不安げな表情に変わったホークスに目を向ける。エンデヴァーがどんなに凄もうが平然としていたくせに、妙なところで困惑した顔を向けてくる、掴みどころに困る若造である。
「いや、思うところが色々あって整理がつかんだけだが」
「オモウトコロ」
 鸚鵡返しにされた言葉が、どうにもこの頭の回転の速すぎる若者の脳内で謎の展開を見せている気がして、補足する。
「まあ、一種の後進育成でいい」
 自分でも理解できていないこの若いヒーローに対する対応を、大雑把にまとめて告げると、やはり飲み込めなかったようで眉をひそめる。
「えぇと、このガキ超生意気だから今のうちにしつけとこう、的な?」
「自覚があるようで何よりだ」
 年長者に反感を買いやすい言動が若い世代に受けているようなので、パフォーマンスの部分も大きいのだろうが、非常に生意気な若造である。
 相手のペースに乗せられると非常に厄介だったが、彼の想定を外してやると慌てる姿は年相応だった。
 食えない風を気取っているが、まだ隙は多い。
 結局のところ、生意気だが有能で見目良く、伸びしろも多い若鳥を構うのが、存外に楽しかったの一言に尽きるのだろう。
 これを彼らの世代に合わせて言うと。
「要するに、可愛かったからだ」
 白いクロスに覆われたテーブルが、また振動に揺れ、ワイングラスの中身を波立たせた。
「だから……! 真顔ッ!」
 この辺りの反応が妙に子供じみるところが、可愛げがあると思っているが、指摘すると逆上するのが目に見えていたので、彼の言うところの真顔、笑いに緩まないように引き締めたしかめ面で、行儀が悪いと指摘すると、テーブルの端に縋るように沈み込んでいたホークスがのろのろと身を起こして姿勢を正した。

「あー」
 目の前のカウンターに置かれた美しく球形に削られた氷が入ったグラス、正面の棚に並ぶ様々な酒瓶、灯りを抑えた落ち着いた雰囲気の店内、大きなガラス張りの窓の向こうの夜景、とぐるりと視線を巡らせ、若造はにこりと笑った。
「自分の好みで作った服着せて、アクセもプレゼント。隠れ家系フレンチの後は、高級ホテルのバー。後は、『実は部屋を取ってあるんだ』って鍵取り出したら完璧ですね」
「取ってあるぞ?」
 先に渡しておく、とカードキーをカウンターの上に置くと、自分で言い出したくせに若者は恐る恐る口にしていたウイスキーに咽て咳きこんだ。
「エ…デば、さん?」
「落ち着け」
 声を裏返させたホークスの背を軽く叩いてなだめると、引き攣った顔が向けられる。
「別に、そういう意味じゃない」
 呑んでそのまま休めた方が楽だろう、と告げると、逆立つように膨らんでいた翼が少し落ち着いた。
「いやァ、No.1にお誘い受けたかと、びっくりしました。あー、ドキドキした。俺が女子だったらシャレになりませんでしたよ」
 へらり、と笑ってみせるが、かなり本気で動揺していたので、有翼の最速最年少のヒーローはこれまでに、あまり冗談として笑えない誘いを受けてきた経験でもあるのかもしれない。
 そこは深く追及せず、話を変える。
「普段は何を飲んでいる?」
「ビールで乾杯して、適当にハイボールとか、地元柄、焼酎は多いですね。ワインや日本酒も少し。こういうウイスキーなんかは全然飲んだことないです」
「どのくらい飲めるんだ?」
「弱くはない、ですけど……」
 食事のワインでは顔色も変わっていなかったので、見栄を張っているわけではないだろう。
 予想していたが、そもそも限界まで飲んだことがないらしい。
 高校卒業後、すぐに事務所を構えた経歴の持ち主だ。ヒーローという職業柄、未成年の間は飲酒など一切していないだろうし、デビュー後、すぐに頭角を現してトップヒーローとして名が売れた彼は、あまり羽目を外すような真似もできなかったはずだ。
「自分の酒量を把握しておけ。面倒は見てやる」
「え、ぐでんぐでんになったら送ってくれるんですか?」
「そのために部屋を取ったんだ」
「吐いたら?」
「気分が悪くなったら早めに申告しろ」
「酔っぱらって、個性使って暴れ出したら?」
「責任持って、その羽を全部灼いてやる」
 一つ一つ真面目に応じると、ホークスは不意に噴き出した。
「ヤバい、ガチ勢に刺されそうな至れり尽くせり」 
 何が笑いのツボなのかよく分からないが、妙に嬉しげに笑って、グラスを手にして、己の瞳の色に似た琥珀色の酒越しにこちらを見つめてくる。
「高いの頼みまくりますよ?」
「どれが高いのか分かるのか?」
「大ベテランのNo.1が、手取り足取り教えてくれるんでしょ?」
 実に生意気な笑みを浮かべた青年に何か言ってやろう、と効果的な台詞を悩んだその時、カシャ、とシャッター音を模した電子音が響いた。
 反射的に振り向くと、テーブル席に着いていた二人の女性客の片方がスマートフォンを向けていた。
 エンデヴァーの反応に、慌てた様子で手を下ろすが、既に一枚撮ったはずだ、と目を鋭くしたところで、くすんだ色の金髪が視界を邪魔した。
 顔の前で片手を立てて頭を軽く下げ、何やら口を開閉したようだが、音としては発せられなかった。そのジェスチャ一つで、人気ヒーローを盗み撮りしていた女性客は慌てたように携帯を操作して、こちらに画面を向けて、ごめんなさい、と口を開閉した。
 撮ったものは消した、という仕草に、にこりと笑って軽く手を振ったホークスがカウンターに向き直る。
「……すごいな」
「何がです?」
 素直な感想だったのだが、ホークスにとっては日常茶飯事すぎて、何を褒められたのか理解できなかったらしい。
「俺だったら、相手を叱りつけていた」
 元々愛想がなく威圧的な雰囲気のため、近づいてくるファン自体が少なく、マナーの悪い者も少ないのだが、それでも有名なヒーローというだけでファンサービスを要求してくる者はいて、エンデヴァーはその手の相手の対応が壊滅的に下手だ。
 サービスはしなくてもいいから、アンチにしないでくれ、と広報担当に嘆かれるが、マナーの悪い一般人をどう扱えば正解なのか、どうにも分からない。
「あー、向こうが悪くても、一方的に叱ると反発して悪感情持たれますよね。俺はファンサタイムとそれ以外を線引きしてるよ、って明示してます。まず第一にヒーローだから、その活動の阻害は絶対NG、最優先はヒーロー活動、ってのは繰り返し主張して、ファンサ切り捨てる線引きがあるってことを納得してもらえるように下地作っておきます。で、切り捨てる時はなるべく申し訳なさそうな顔しとくと、ヒーロー活動が優先なんだからしょうがないって思ってもらいやすいですね」
 そこまで媚びないといけないものか、という感情が顔に出ていたのだろう、世渡りの上手い若造に笑われる。
「エンデヴァーさんは媚びないのがカッコイイ勢がついてるんで、下手に変えるとそのガチ勢がガッカリするやつです」
「……分からん」
「エンデヴァーファン、拗らせてるの多いからなぁ」
 何故、当人が把握できていないものを、他所のヒーローがしたり顔して語るのか、非常に不可解である。
「さっきの場合は、ヒーロー活動とは言い抜けできないだろう?」
「逆の線引きです。プライベートだから勘弁してね、って謝れば、大体納得してもらえますよ。そっとしておいて、秘密にしてね、協力ありがとう、って感じです」
 先の口の開閉は「プライベート」の単語を声に出して注目させずに、気づいた相手にだけ伝えたものらしい。
「なるほど、相手にヒーローに協力した、という気持ちにさせるのか」
 プライベートに干渉するな、盗撮は駄目だ、と正論ではねつけて反発を招くより、秘密の共有や協力を呼びかける形で気分よくさせた方が、双方に良い、という理屈は理解する。
 自分にできるかどうかはまた別の問題だが。
「エンデヴァーさんって、プライベートでヒーローバレすることあります?」
「ほとんどないな。目立つヒーローが横にいると、連鎖的に見つかるが」
 たとえば、今隣にいる派手な赤い翼の若造などがいい例である。
 基本的にヒーロー活動中、マスク代わりに炎を顔に纏っているので、エンデヴァーの素顔を把握している人間は少ない。コスチュームを脱いで、街中を歩いていてフレイムヒーローだと看破されることはほとんどない。
「あれでしょ、バレる時って、うっかり火を出したとかそういう時でしょ?」
 その通りだが、お見通しとばかりに笑われると、むっとする。
「貴様はむしろバレないことがあるのか?」
「必要な時は変装しますねー。羽外して帽子被って眼鏡して」
「外すのか」
「色変えたり、他の個性に見えるように上に変装パーツ付けることもありますけど、外すのが一番早いですね」
 取り外し可能な個性であることは理解しているが、バーのスツールに留まっているのが妙に似合う、大型の翼を生やした青年に妙な気分になる。
 ホークスというヒーローのアイコンである赤い翼がその背になければ、ごく普通の大学生くらいの若者に見えるだろう。
「……どうして今日は外さなかったんだ?」
「羽がある前提で作ってもらったオーダーメイドのスーツなんで、外すと間抜けな感じになると思ったんで。あと、必要なら外して変装しますけど、置いていくのは不安なんで、持ち歩くことになりますから」
 このスーツ姿で羽の入った大きなバッグを持ち歩くことになる、と説明されて、なるほど、とうなずく。
「あと、エンデヴァーさんが横にいたら、そうそうファンに囲まれることもないかなって」
「そうか」
 二回りも年上の先輩ヒーローを人避けと認識していた若造の頭の上に手を置いて、指に力と熱を込めていくと、熱い痛いと情けない悲鳴が上がる。
「うう、マジで今日、見られはするけど、めちゃくちゃ遠巻きで超楽なのに」
「……凄い悲鳴だったが」
 レストランは個室タイプの店だったので、他の客の目も気にならなかったのだが、このホテルに移動してエントランスに入った途端、尋常でない悲鳴がいくつか上がったことには驚いた。
「スーツ受け取って店から出た時もあんなだったんです。あれですね、スーツ萌え」
「スーツもえ」
 意味の理解できなかった単語を繰り返すと、一瞬非常に妙な顔をしたホークスが、一つ咳払いして真面目な顔を作って説明してくる。
「特定の衣装にものすごく興奮する的な意味です。着物とか、学校の制服とか、要はコスプレみたいな?」
「スーツは特殊な服ではないが?」
「普段着たことなかったですからねえ。ギャップ萌えだと思います」
 彼の言う「もえ」とやらは、何かしらのフェチズムから発する情熱を指しているらしいと理解し、少し考え込む。
「着物は着た事あるのか?」
「ないですけど……、作らなくていいですからね!?」
 急に警戒したホークスに、小さく舌打ちする
「エンデヴァーさんが、着せ替え大好きだったなんて、初めて知りました」
 何も言わずに手を頭の上に置くと、ぴたりと憎まれ口の囀りが止む。
 厄介な鳥だ、と嘆息しながら、エンデヴァーは空になったグラスを取り上げて、別の酒を頼んでやった。

 よく囀るウイングヒーローの口数が少なくなってきた時点で様子を窺い、グラスに口を付ける頻度が減って、溶けた氷で酒の色がかなり薄くなったところで終了を告げた。
「え? まだ大丈夫ですよ?」
 ふわふわとした口調の主張を無視して、会計を済ませると、先にスツールから降りて、降りろと手招く。
 もう少しごねるかと思ったが、案外素直にスツールから滑り降り、そのままがくりと崩れ落ちかけたホークスの腕を掴んで支える。
「あれ?」
「この一杯前でやめておけ」
 立った途端に酔いが回った若者に言って聞かせるが、明日以降覚えているかどうか怪しいので、また後日改めて限界酒量は伝えてやることにする。
 軽めのカクテルから、各国のウイスキー、スピリッツなど、一通り飲ませてみたが、相当強い。少し口調に訛りが増えて、子供っぽい印象にはなるが、暴れたり絡んだりもしない、おとなしい酔い方をする。
 段々静かになるので、むしろ飲ませた方が扱いやすいかもしれない。
「えー、なんで、エンデヴァーさん、俺と同じペースやったのに、どんだけ強いん?」
 まっすぐ立つのが難しいようで、肩に懐いてくる鷹がふにゃふにゃと問うてくる。
「俺は、その気になれば、アルコールを吸収する前に燃やせる」
 炎熱の個性故の特技である。
 酔うわけにいかない場合など重宝するが、一人素面のまま酔っ払いに絡まれることになりがちなので、あまり大っぴらには使わない。
 今日はこの若造を酔わせて面倒を見るつもりだったので、自身のアルコールは全て飛ばしていた。
「何それズルか。ヒーローのくせに、そんなズルしていいと思うとるんですかー?」
「暴れるな」
 一人で立てない状態で腕を振り回すな、と両手首を拘束すると、紅い翼をばさばさと羽ばたかせるのに閉口する。
 他の客に迷惑にならないよう、翼を折り畳むようにして背を抱え込み、問答無用で連行しようとしたところで、先にウイングヒーローを盗撮しかけた女性客達と目が合った。
 また携帯を手にしているが、構えてはいない。
 熱烈なファンかどうかは分からないが、興味のある有名人がこれだけぐだぐだに酔っていて、手元にカメラがあれば撮りたくなる気持ちは分からないでもない。
 ただ、この姿がネット上に上げられて、ヒーローのくせに、などとねじ曲がった非難に晒されるのは避けたい。
 パタパタと腕の中で翼を暴れさせる生き物を見下ろして一つ嘆息し、彼女達に向かって唇の前で指を一本立てる。
 プライベート、と口を開閉させると、こくこくと慌てたようにうなずき返される。
 通じたようだ、と一つ頭を下げて、酔いどれた鷹を肩に担ぎあげてバーを出ると、しばらくして何やら悲鳴が上がっていた。
 またスーツもえとやらだろうか、と考えていると、肩の上でもぞもぞとホークスが身動いて嘆息した。
「エンデヴァーさんに禁断の技を伝授してしまった……」
「何がだ。おい、浮くな、羽ばたくな」
 ふわふわと浮かび上がる、糸の切れた風船のような若造の足首を掴んで引き戻し、飲酒飛行は禁止だと言い聞かせるが、これは浮遊だなどと屁理屈をこねてくる。鳥類と思えば大して腹も立たない世迷言を囀るのをいなしながら廊下を進んで、取っておいた部屋に酔鳥を放り込む。
「スーツが皺になるぞ」
 ふらふらとベッドの上に不時着した鷹に呼びかけると、のろのろと身を起こしてスーツの前を開けたあたりで力尽きて、ぱたりと後ろ向きに倒れ込む。
 痛覚がないのは知っているが、雑に折れた翼が非常に気になる。
 コートをハンガーにかけてやって、ベッドに歩み寄ると、もう目が開いていない。
 とりあえずネクタイを解いて巻いたものをピンで留め、サイドボードに置き、腕時計とカフスも外してネクタイの横に並べ、ベルトを引き抜いて靴を脱がして揃える。
「ホークス」
 されるがままの酔っ払いを引き起こして、背の翼を見下ろす。下敷きになっていた風切り羽に折り目が付いていたが、見る間に綺麗に伸びた。
 彼の人気の大きな要因である、鮮やかな色の大きな翼を当人が非常に雑に扱っているのは目にしているし、戦闘中に焼き尽くしたこともあるが、今、この場で自分が雑に扱うのは違うだろう、と少々悩む。
 以前、彼がTシャツに開けた小さな穴に豪快に翼を通す様をみたことがあるが、当人がやるならともかく、加減の分からない他人が無理をすれば、剛翼も服も傷めかねない。
「ホークス、自分で脱げ」
 起きろ、と軽く頬を叩くと、くつくつと酔っ払いが笑う。
「今の言い方やばか」
「何がだ。俺がやったら羽を傷めるだろうが」
 笑いながら肩に懐いてきた鳥が、声をひそめる。
「乱暴にしていいから、脱がせて?」
 今の言動の方がまずかろう、と渋面になるが、酔っ払いは機嫌よくけらけらと笑っている。
「……せめて羽を落とせ」
 苦々しく告げると、素直に羽がその背から落ちた。
 シャツを羽織る時には外した羽は浮かせたままだったが、今はコントロールしていないようで、ベッドの上に緋色の羽が積もる。
 同時に、異様に軽かった生き物が相応の重量となって腕に荷重がかかってきたが、扱いに困る軽さよりやりやすい。笑いながら懐いてくるのをいなしながら、付け根が僅かに残る程度に小さくなった翼から上着を抜き取る。シャツはそのままでもいいかと思ったが、着心地を随分と気に入っていたのを思い出し、こちらも喉元の赤いボタンから外していって剥ぎとった。
 ここまでしたら、もう一緒だ、とスラックスも抜き取るために抱え上げると、するすると羽が背に戻っていって身が浮く。
 脱がせやすいのはいいが、それができるなら自分で脱いでほしい。
 剥いだスーツをハンガーに掛けるために、ぷかぷかと浮く生き物を押しやると、宇宙遊泳さながらにゆっくりと回転しながら宙を漂っていき、ぽとりとベッドの中央に落下する。
 見事な酔っ払いだが、怪我をするような真似はしないようなのでよしとする。
「おい、寝るならきちんと布団を掛けろ。あと、この残りの羽はどうするんだ?」
 半分ほど戻した状態で取り残された羽を示すと、意味をなさない鳴き声のようなものが上がって、羽が一枚ずつゆっくり戻っていった。たまに順番を間違えているのか、妙なところに長い風切り羽がぶら下がっては入れ替えられるのを黙って見守る。
 個性そのものがまだほとんど解明されていない上に、他人の個性などというものは全くの未知数である。
 結局これはどういう仕組みなのだろうかと、興味深く眺めていると、視線を感じたのかベッドに突っ伏していたホークスがこちらに首を巡らせた。
「さわります?」
「…………」
 一瞬閃いた光は、顔を走りかけた炎を慌てて抑え込んだ際に発したものだ。
 火災報知器を作動させるわけにはいかない、と制御に努めている間に、左翼だけが伸ばされてきた。
「どうぞ、撫でたがる人、多いんで」
 ヒーローとしてのファンサービスの一種らしい。地元でファンの子供達が撫で回しているのを見たが、同様にエンデヴァーの凝視を触りたがっていると判断したものらしい。
 黙って広げられた翼を見下ろし、少し考えてから手を伸ばす。
 鳥の羽毛は暖かいものかと思っていたが、血の通わない羽の羅列は熱を有していなかった。柔らかさと張りのある硬さが同居したそれは、しなやかと表現するのが正しいのだろう。ひんやりとしたなめらかな感触を指でなぞると、少しずつ熱を孕んでいく。
 人肌に触れていれば熱を溜めていくらしい紅い羽は、触り心地がよい。
 これは、確かに触りたがるファンが多いのも理解できる。
 ふと、思いついて明るい色の髪に手を伸ばしてみて、整髪剤を使った硬い感触に閉口する。鳥の冠羽に似た印象のそれが、羽と同じ感触なのかどうかが判別できない。
 くしゃくしゃとかき混ぜてやると、普段上げている前髪が下りて、年齢以上に幼く見えた。
 可愛らしいものだ、と考えて、その思考に違和感を覚える。
 一般的に、自分の子供と同世代の青年を捕まえて、したたかに酔わせ半裸に剥き、その身体を撫で回すというのは、あまり尋常な状況ではない。
 これは良くない、と手を離すと、急に止まった慰撫に不思議そうにこちらを見上げてくる。
「……貴様は一体何なんだ?」
 少々恨みがましい口調になったが、肘をついて僅かに身を起こしてこちらを見上げてくる鳥の目はきょとんとしていた。
 彼のデビューは派手だった。
 後進をあまり気にしないエンデヴァーでも、破竹の勢いでランキングを駆け上ってきた有翼の新人については当初から認識していたくらいだ。ただ、活動地域が異なり、同じ事件に携わることもなく、彼がNo.3の位置まで付いた時も下位に興味はなく、向こうも関わろうとはしてこなかったから、そういう新人がいるとだけ認識していた。
 先日のビルボードの会場で突然絡んできたかと思えば、胡散臭い態度でのチームアップの要請、直後に改人に襲撃を受け、大きな怪我を負いつつも辛勝して世間にエンデヴァーはNo.1として受け入れられた。
 事件前の言動から、そこまで狙って仕組んだのかとも疑ったが、大きな傷痕の残ったエンデヴァーに見せた顔は途方に暮れた子供のようだった。
 最初は、慢心した実力のある若手が、長年上位にいるロートルヒーローに珍しくもない反発を向けてきたのだと思ったが、どうやら違うらしい、とは理解している。
 エンデヴァーはヒーローとしては反感を買いやすく、人気も低いが、世の中には奇特な人間がそれなりにいて、好意を向けられることは皆無ではない。
 勘違いでなければ、この羽の生えた若者に自分は好意を持たれている。
 非常に分かりにくいが、献身的とも言えるその態度は、かつてヒーロー活動の中で助けでもしたのではないかと昔馴染みの治癒個性のヒーローに指摘されて、一通り昔の記録を確認したが、該当するようなものはなかった。直接的な関わりでなく、彼の家族や友人を救っただとか、エンデヴァーの何らかの活動で気持ちが救われたなどという内面的な事情ならば、当人の申告なしには把握も不可能だ。
 まともに会話を交わしてから三ヶ月にも満たない時間で、ちゃっかりと人の人生に割り込んできた生き物が何なのか、未だに見極めがつかずにいる。
「……何なんだ、おまえは?」
 深々と嘆息しながら問うと、ゆっくりと鳥は瞬いた。
「お好きにどうぞ」
 にっこりと笑って広げられた鮮やかな色の翼を、苦々しく睨む。
「どういう意味だ?」
「あなたが望む通りにしますよ。使い勝手のいい便利なサポートヒーローでも、育てて伸ばしたい生意気な後輩でも、子供代わりでも、ペットの鳥でも。ご希望に合わせてカスタムします。人に望まれた通りに振る舞うの、俺、結構得意です」
 ふわふわと笑う声は酔っているのだろうが、あまりにもふざけた台詞に苛立つ。
「おい……」
「……迷惑かけたいわけやなか」
 どの口でそれを言うか、と言い掛けて、彼の表情に気づいて黙り込む。
「どうして欲しいか、言ってくれたら、もう、俺、そうするから。それ以外、せんから。俺、エンデヴァーさんが何考えてんのか、全然分からん……」
 そんなもの、当人が分かっていないのだから当然である。
「一番嫌いなタイプなら、もう近づかんから……」
 どうしてそうなった、と眉をひそめるが、それがビルボードでの彼の態度に腹を立てて放言した彼に対する己の評だと思い出して、更に顔をしかめる。
 気にしていたならそう言え、と苦々しく思う。
 言いたい放題に奔放に振る舞っているように見えて、本音は全く別のところにあるらしいとは理解しはじめている。
「あなたの好きにしてください」
 聞きようによっては非常によろしくない台詞だが、迷子の子供のような顔に気力が削がれて、一つ大きく息を吐き出すと、その?に手を伸ばす。
 ヒーロー名の通り、猛禽類に似た鋭い印象を与える造りの顔が、更に困惑したように歪むが、触れた手から逃げようとはしない。
「俺の思い通りになると?」
「はい」
 肯定されても困るのだが、引く気配はない。
「……目を閉じろ」
 告げれば素直に目が閉ざされた。
 片手で掴めるサイズの頭を押しやると、逆らわずに身を横たえる。
「寝ろ」
 ベッドカバーをはがして、毛布の下に酔っ払いを転がして命じれば、指の隙間から金色の瞳が見上げてくる。
 寝ろ、と繰り返すと、おとなしく目を閉じる。
 命じたからというよりは、単純に酔いが回っただけだろうが、速やかに寝息を立てはじめた青年の上に毛布を引き上げ、念入りに肩まで覆い隠してからようやく顔の上に置いた手を離す。
 起きだす気配がないのを確認して、エンデヴァーはその場で頭を抱えて大きく息を吐き出した。
 今回のスーツを仕立てる際に、若すぎるNo.2は勝手が分からず困り果てた末に、オーダーをエンデヴァーに丸投げしてきたが、エンデヴァーはこれまで、何かの選択に迷ったことがほとんどない。
 日常の細かな場面でも、人生の大きな岐路でも、ほぼ迷うことなく即断即決してきた。
 その決断自体が誤っていても、なかなか気づけずに突き進む欠点でもあるが、瞬時の判断を求められることの多いヒーロー稼業には必須の能力だった。
 基本的にエンデヴァーは自身に迷うことを許していないし、選べないなど泣き言を吐くのは惰弱であると考える。
「…………どうしろと?」
 非常に厄介な選択を丸投げしてきた若造に、No.1ヒーローは深く、深く嘆息した。