恋盗人猛々しい

 オールマイトこと、八木俊典にとって、人生の過半数はヒーローとしての生だった。
 その地位を退くときとは死ぬときだと覚悟を決めて生きてきたから、今の余生は少々心もとない。
 授かり、培ってきた力は後継に託し、後に残ったのはぼろぼろの抜け殻のような身一つだったが、そんなものでもまだ利用価値があるのだと知った。
 スーパーパワーで傷ついた無辜の民を瓦礫の下から救い出すことはできなくとも、これまで積み重ねてきた経験と人脈には価値があった。
 警察や現役のヒーロー達の協力要請に応じて蓄積してきた情報と知識を提供し、知名度と人脈を用いて政財界と渡りをつけ、教師として次世代のヒーローを育成する。それが新しい己の戦い方なのだと切り替えた。
 その中には、次代のヒーロー達の相談に応じることも含まれていたが。
「エンデヴァーが、私に?」
 第一秘書の不安げな顔を前に、オールマイトは首を捻った。
「相談事?」
 青天の霹靂である。
「個人的にNo.1として内密に相談したいことがあるので、都合のよい日を教えてほしい、とのことです。先方も多忙なため、候補日の指定があります。簡単な食事でも、と」
「えーと、それはプライベートなの、オフィシャルなの ?」
 詳細は分からない、と秘書が首を振る。
 プライベートの相談、というのは順当に考えて有り得ない。
 この相談の連絡が事務所を通してきたことで分かる通り、まず、これまで個人的な接点など持ったことがない。
 プライベートというものを、一切出してこなかったオールマイトにも原因はあるが、そもそも周知の事実として、長年に渡ってオールマイトとエンデヴァーは不仲だった。正確に言えば、徹底的にオールマイトをライバル視してきたエンデヴァーによって、馴れ合いは全て拒絶されてきたのである。
「……何かあったのかな?」
 エンデヴァーという苛烈な炎のヒーローは、自身を救いではなく悪を薙ぎ払うための存在と定義していた。非難も悪評も振り捨てて我が道を突き進み、ごうごうと燃え盛って社会を照らしていたヒーローの存在を、オールマイトは好きだった。
 いつでもどこでも自分を睨みつけてきた蒼い眼が、一度だけぶれたのはオールマイトが力を喪い、彼が暫定一位として扱われ始めた時だった。
 No.1とは、平和の象徴とは何か、と彼は問い、オールマイトは大して感動的でもない、ごく当たり前の答えを返した。
 それ以降、エンデヴァーというヒーローは少しずつ変わりはじめて、正式にNo.1に就任した壇上で見ていてくれと呼びかけ、直後の九州での戦いで自身の力を示して見せた。
 全てが都合よくうまくいっているわけではないが、社会はエンデヴァーの時代を受け入れ、動きはじめている。元々迷うことの少ない男だ、彼について心配はしていなかったのだが。
「エンデヴァーが、私に、内密に、個人的な相談事」
 口にしてみると、実に不穏である。
 当たり前の協力依頼ならば、単刀直入に要請してくる男なので、その彼が内密と明言してきた時点で怖い。
「お互いの都合が合う、一番早い日程で調整してもらえるかな?」
 なるべく早く話をした方がよいだろう、と秘書に頼むと強張った顔でボディガードを付けるか、問われる。
「いや、今の最強No.1ヒーローがいるんだから問題ないでしょ?」
 言い淀んだ表情からして、ボディガードはそのNo.1に対して必要と目されたことを知る。
「あの、エンデヴァー、怖い顔してるけど、そんな噛みついたりしないからね。怖いけど」

 左半面に大きな傷跡が残って、ますます怖い顔になった現No.1は、約束の時間に少し遅れて店に着いた。WEBニュースから、出動していたことは把握していたが、事務所間を通して遅刻の連絡も来ていた。
 内密の相談でも、直通の連絡先を聞いてこようとしないところが実に彼らしいが、寂しいので、本日は是が非でも彼の携帯番号なりアドレスをゲットして帰る所存である。
「すまん、遅くなった」
「平和の維持、おつかれさま」
 飲むかい、と問うと、エンデヴァーは少し困惑した顔をした。
「……貴様は、飲めるのか?」
「エンデヴァーが……、私を気遣った!?」
「本当に貴様らは……ッ!」
 ごう、と感情を素直に示して、燃え上がった炎に火災報知器が反応しないか一瞬焦るが、この離れの火災報知器の停止は手配済らしい。不器用なイメージの強い男だが、自身の炎熱の個性は器用に操るので、調度も焦がしてはいない
「墓穴に両足を突っ込んだような風体の半死人に、酒なんぞ飲ませて死なれたら困るに決まっとるだろうが!」
「半死人って、ひどいなぁ。まあ、少しなら問題ないよ。自分の身体のことは自分で面倒みるさ。ってより、私元々下戸なんだよね!」
 笑って告げると苦々しい顔をしたが、やがて深々と息を吐き出して、飲む、と宣言した。
「素面で話せる内容じゃない」
 やはり言い難く、人に聞かせられる話ではないようである。
 指定された店は政財界重鎮御用達の料亭で、しかも離れ。機械や個性を用いた盗聴防止策が何重にも施されていることをオールマイトもよく知っている。
 どんな重大事の相談なのか、身構えざるを得ない。
 これで、息子の成長の確認程度のことならば笑い話で済むのだが、相当に苦い顔からして、覚悟はしておいた方がよさそうである。
 食事の間は、当たり障りのない会話だった。
 昨今のヒーローの近況や、雄英内の公表して差し支えない話などの中に、彼の息子の話も含まれて、機嫌よく聞いていたので、やはりそこは本題ではないらしい。
 オールマイトとエンデヴァーが和やかに食事をする、という、かつての二人の仲を知る誰もが目を疑うような時間が過ぎて、膳が下げられて酒杯だけが残されると、空気が僅かに変わった。
 何事にも回りくどいやりかたを好まないフレイムヒーローが、彼にしてはかなり長い時間逡巡して、ようやく発した問いは、少し奇妙なものだった。
「貴様は、結婚は?」
「結局、しなかったね」
「考えなかったのか?」
 こんな個人的なことに彼が言及してくるとは思っていなかったので、少々戸惑う。
「私は、ヒーローとしてしか生きるつもりはなかったから、そういう相手は作らなかった」
 たぶんそれは強さではなく、臆病の表れだった。
 オールマイトというヒーローはプライベートを完全に排除していて、サイドキックすら一人しか持たず、その相手とも自身の在り方を否定され喧嘩別れし、和解と呼んでいいのか分からない一瞬だけを共有して、永遠に彼を喪った。
 大事な対象を作るのが怖かった、それだけの話だ。
「君は、すぐに結婚したよね。若いNo.2に群がってた肉食女子一掃! って感じで」
「失敗したがな」
 場の空気を明るくしようと、二十歳過ぎで早くに結婚した彼に水を向けたところ、ばっさりと切り捨てられて、地雷を踏んだかと焦る。
 芸能人や同じヒーローではなく、一般女性と結婚した彼は報告だけで済ませ、マスコミもエンデヴァーのメディア嫌いを知っていたし、相手も有名人でないとあって、深く追わなかった。相手の女性が長く入院しているらしい、という噂は耳にしたことがあるが、プライベートを語る男ではなかったし、それ以前に彼とは親しい仲ではなかったので、噂以上のことは知らない。
 ただの病気での入院とは訳が違うのではないか、と察したのは、彼の息子と生徒として接するようになってからで、父子の確執や、家庭内の問題があることは把握している。
 その相談だというのか、と内心狼狽えながら、机越しにNo.1となった男を見やると、アルコールで少し血色のよくなった顔に浮かび上がる傷痕で、ますます近寄りがたい面相になったエンデヴァーが更に苦々しい表情で威圧感を増していた。
「……独身で、No.1として長年やっていたら、美人局のようなこともあったか?」
 少し、想定外のところに話題がずれた。
「そういう、ことも、まあ、ないとは言えないけど」
「言える範囲でいい、どんなパターンがあったか教えてくれ」
「…………待って、それが、相談事?」
「……そうだ」
「つまり、ハニートラップと思われるものを仕掛けられてる?」
「…………可能性を考慮している」
 言い難そうな重い口調が物語っている。
「突っぱねたなら、君はわざわざ私に相談なんかしないよね……? 抱いたんだ?」
「…………ああ」
 想定外かつ、かなり重大な相談がきた、と頭を抱える。
 正直、ヒーローのスキャンダルとしては珍しいものではないが、彼が、となると事態は相当に面倒だ。
 既婚者であるNo.1ヒーローが不倫、というのは社会的に大きなスキャンダルになる。
 芸能人や色気を売りにした女性ヒーローとしばしば浮名を流してスキャンダルを起こす、軽薄な若手ヒーローとは訳が違うのだ。
 愛想を振りまかず、一般に怖いという印象がついたエンデヴァーだが、同時にストイックなイメージも強い。ひたすら犯罪者を狩って、平和の一端を担い続けたと認知された男が、No.1として世間に受け入れられはじめたこの時期に、そんなスキャンダルを起こしたとなれば、ヒーロー全体の信用が崩れかねない。
「何で、そんな馬鹿な真似を……」
 むすり、と黙りこんだ男に半眼を向ける。
「No.1として、って相談だったけど、No.2だった頃だって、似たようなことは山程あったよね? 何で今更……」
「これまでは、敵の仕込みか、スキャンダルを起こして売名を狙った馬鹿か、完全に頭のおかしい奴だったんだ」
「……うん、君がそれ分かってないわけ、ないよねえ」
 敵側に通じた女が情報を得ようとしたり、寝首を掻く目的で近づいてくることはままあって、トップヒーローはその手の警戒を怠らない。
 売名目的で近づいてくるパターンも厄介で、芸能人であったり、場合によっては売り出し中のヒーローであることも多く、名が売れれば何でもいいと手段を問わない真似をしてくる。スキャンダルを起こすことを前提としているから、下手を打てば食い物にされる。
 頭がおかしいというと、言い方は悪いが、そうとしか思えないような過激なファンも一定数いて、勝手に恋人を名乗ったり、自宅を突き止めて押しかけてきたりもする。出張先のホテルのベッドに潜りこまれかけたことは、オールマイトも何度もある。
 エンデヴァー絡みでその手の騒ぎが起きたのを、少しだけ小耳に挟んだことがあるが、どのパターンでも全く相手にせず、やりすぎだと陰口を叩かれるレベルで公衆の面前ではねつけたと聞いている。
 本来、そういう男なのだ。
 オールマイトの方がよほど、女性相手に強く出れず、泥沼にはまったケースが多い。
「……なんか、薬か個性を使われた?」
「いや……、たぶん、それはない」
 少し悩んだということは、その可能性も考慮はしたのだろう。
「酔ってた?」
「いや、相手は酔わせたが、俺は酔ってない」
「何で、手出しちゃったの?」
「……手を、出さないと、あれに干渉する理由が持てなかった」
 また想定外の答えが返ってきた。
「待って、君から手を出したの?」
「…………最終的には」
 誘い自体は向こうからかけてきた、とその口調から判断する。
「関係後、相手の要求は?」
「何もない」
「スキャンダルを仕掛ける気配は?」
「ない」
「敵関係の疑いは?」
「俺はないと思っている」
 打てば響くように返事が返ってくる辺り、その可能性は徹底的に考えて、違うと結論づけたのだろう。彼のその手の判断力は信頼している。
「君が言うところの『頭おかしい』タイプではない?」
「何を考えてるかは全く分からんが、極めて正常だし、馬鹿でもない」
 エンデヴァーの評価でそれということは、大変有能で頭のいい相手なのだろう。
 ますますややこしいことになってきた、と額を押さえる。
「何が目的なのか分からないカワイコちゃんに誘われて、ついうっかり手を出しちゃった。特に何の要求もしてこなくて、逆にちょっと困ってるんだけど、ユー、こういう経験ある? って相談ってことでいいかな?」
「…………概ね、合ってる」
 まとめられ方が気に食わなかったらしく、非常に凶悪な顔をしたフレイムヒーローが不承不承うなずいた。
「って言っても、たぶん、私が体験してきたことって、君とそう変わらないと思うよ? 既婚者の君より、数は多いと思うけど」
 数の違いの理由は結婚の有無だけではないが、そこには触れない。
「スキャンダル狙いでないと判断した理由は?」
「俺よりあれの方が人気がある。ダメージは向こうの方が大きいし、メリットが一切ない」
 スキャンダルで売名する必要のない有名人と聞いて、オールマイトは眉をひそめた。
 今の世の中、この国でNo.1ヒーローとは最大のネームバリューである。
 フレイムヒーローは、少々その性格が祟って、人気No.1とは言えないのが実情であるが、彼が自分以上の人気と言いきった根拠が怖い。
「まさか、相手は、プロヒーローなのか?」
「…………」
 沈黙が十分に答えだったが、更に小さくうなずかれて顔を覆う。
 No.1に匹敵する人気のヒーローなど、対象は非常に限られている。トップヒーロー、おそらくは十位以内の、と考えれば該当する女性は二人しかいない。
「敵サイドではない、と判断したのはそれが理由?」
「以前、俺に近づいてきた敵の回し者はヒーロー資格を持っていた。それだけでは判断しとらん。ただ、あれは、ヒーロー以外の何物でもないと思う」
「イカれたファンでもない」
「頭の構造は理解できんがな」
 スキャンダル目的ではなく、敵の回し者でもなく、もちろん妙な妄想に取りつかれたファンでもない。そんな相手が突然近づいてきた理由とは、と問われて少し考え込む。
「それは、なんか、裏を考えるより、一般的な恋愛事情で考えた方がいいやつじゃないかなあ……? 君の場合、既婚者なので色々社会的な問題が生じるけど」
「これまで一切の接点を持たずにきて、No.1になった途端に近づいてきてもか?」
「んー」
 悩みながら、女性ヒーロー二人の顔を思い浮かべる。
 肉弾戦を得意とするミルコは、比較的エンデヴァーに好意的だった覚えがある。悪党はみんなぶっとばす、という明快なスタンスが似ているためだろう。他とあまり交流しないエンデヴァーにも恐れず近づいて、戦闘のアドバイスなど受けていた。エンデヴァーもそういった若手には面倒見のよい方だったので、これは前々から交流があったと言える。
 とすると、本命はリューキュウか、と判断する。
 若者に非常に人気のある、ミステリアスな雰囲気のクールビューティだ。エンデヴァーとは全く立ち位置が異なり、まず、二人が並ぶ絵面すら想像がつかない。
 礼儀正しい優等生の印象があるが、その彼女がどうして、と顔を覆った手の指の隙間から、正面で苦い顔で酒を呷っている男の様子を窺う。
 かっこいい男だと思っているが、これはオールマイトの主観であって、あまり女性受けする容貌ではない。逞しすぎる体躯も、鋭く冷たい眼光も、大きな傷のある強面を覆い燃え上がる火炎の個性も、怖い、と苦手とする女性が多いのを知っている。
 まあ、異性の趣味は人それぞれであるし、オールマイトも全盛期の姿はエンデヴァー以上の筋骨隆々かつ、画風が違うと言われる容貌だったが、実によくモテたので、あまり関係ないかもしれない。
 色恋沙汰というのは、ややこしいものだ。
「嫌な可能性を指摘するけど、相手に、何か恨みを持たれていると感じたことは? 君を破滅させるためなら、何でもするっていうレベルの」
「感じたことはないが、俺が鈍いだけかもしれん。実はあれの家族や恋人を灼いたことがあるかもしれんし、逆に助けて好かれたのかもしれん。近づいてきた理由も分からん」
「経歴の再確認は?」
「した。綺麗なものだが、情報自体が信用ならん」
「……待って、どういうこと?」
「公開された情報は、ほとんど作られた経歴だと思う」
 平然と告げられ、頭痛が悪化してきた気がする。
「どこ情報!」
「公安」
 やはり酒を口にすべきでなかった、とますます痛む頭を抱えこむ。
「なんで、公安の情報がそんなに改竄されてる可能性のあるヒーローが、怪しくないって判断したの、君!」
「貴様に似ているからだ」
 平然と返されて、一瞬何を言われたのか理解できなかった。
「貴様も、個人情報はほぼ空白だっただろう。あれは、空白を適当な情報で埋めてるだけだ」
「…………えーと」
「自己犠牲の度が過ぎた馬鹿だ。ヒーロー以外の何物でもない」
「…………轟少年って、君の子だよねえ」
 思わずぼやくと、実に嫌そうな顔をする。
「何で今、焦凍の名前を出した?」
「そこで、それを、真顔で言う、みたいなところ、すごくそっくりだよ、君達親子」
 非常に複雑そうな表情をしたエンデヴァーを置いておいて、情報を整理する。
「ええと、あの子の出自が詳細不明ってのは初めて知ったけど、まあ、君の判断として、敵ではない、恨まれている気配もない、どちらかといえば好かれている気がする、ってことでいいかな?」
 渋い顔でうなずかれたが、これは何やら照れ隠しではないかという疑惑を覚えないでもない。
「たぶん、普通に恋愛問題だから、これ以降、相談内容は恋愛相談ってことでいい?」
「恋愛沙汰じゃない」
 恋愛相談以外の何だというのだ、と半眼になるが、睨み返してくる顔は真顔だった。
「じゃあ、何だと思ってるんだい?」
「……俺は、一種のSOSだと思った」
「どういう意味?」
「あれは、ヒーローだ。大抵のことなら一人で片づける。それが、できないレベルの重圧を受けている状態で、助けを求めることもできずに、ねじれた結果が、抱いてくれ、という要求だった、気がする?」
 常に断言する男の口調がいつになくあやふやで、全く自信はないらしい。
「どうしてそんな子に、ほいほい手を出しちゃったの!」
「あの時、あれの精神状態が相当危うかったんだ!」
「余計、手出しちゃ駄目でしょ、それ!」
「手を出した事実があれば、責任を取る義務が生じる!」
「どんだけ時代錯誤だっ!!」
 互いに座卓の天板を叩いて声を荒げる。
 全盛期だったなら、天板を割り砕いていただろうし、対峙した男がその破片を燃え上がらせていただろうが、フレイムヒーローは案外冷静であろうと努めているようで、焦げ目もついていなかった。
「……とりあえず、君の言い分は分かった」
 一瞬全盛期の姿に膨れ上がった身が反動で貧血を起こしかけたので、少し呼吸を落ち着けてから、深く息を吐き出しつつ告げる。
「君は、今回の件が、No.1に救いを求めてきたのだと思っている。でも、相手の立ち位置は非常に複雑で、当たり前の協力要請はできなかった。それで君はその子を抱いて、その責任を取るという形で関わることにした、と」
「正しくないのは分かっとる」
「……他に方法がなかったんだったんだろうとは思うよ」
 全く同様の状況とは言えないが、そういう事態に陥ったことがないとはオールマイトも言えない。倫理上、立場上の問題があろうが、その時、抱きしめなければ守れないことはあった。
「ちょっと、その辺の問題は置いておこう。まず、リューキュウがどういう状況にあるのかを把握しよう」
 SOSだ、という発言が最後になったのは、確たる根拠が全くないからだろう。
 エンデヴァーの抱いた印象にすぎないが、オールマイトは彼の勘を信頼している。
 若いヒーローがどんな窮地に立たされて追いつめられているのか、その把握が最優先となるはずだというのに、エンデヴァーの反応は鈍かった。
「リューキュウが、どうしたと?」
「どうしたも何も、君が彼女のことを相談してきたんだよね?」
「…………ああ、そういうことか」
 何かに納得したエンデヴァーが非常に気まずそうな顔になる。
「リューキュウじゃない」
「え? あ、ごめん、状況的に彼女のことかと思い込んでた」
 確かに、相手の名をエンデヴァーが伏せ続けたため、確認しないまま話を進めていた。
「ええと、ミルコのことだった?」
「違う」
 きっぱりと否定されて、おや、と首を捻る。
 勝手に十位以内のトップヒーローと判断していたが、もう少し裾野を広げて考える必要があったかと人気のある女性ヒーローを脳内でピックアップしてみるが、どうにもピンとこない。
「ごめん、誰?」
「………………ホークス」
 重い口が紡いだ音を聞いて、更に首を捻る。
 真っ先に合致したヒーローは除外し、音の似たヒーローがいたかと悩む。混乱が起こるため、ヒーロー名は被らせないことが必須となるが、これだけヒーローの溢れた社会において、似た名称のヒーローは多くいる。
 オールマイトにも、オールサイトだのオールライトといったあえて似せたのであろう、類似のヒーロー名がいた。
 確か、テレビ番組での解説を専門にしたトークスという名の女性アイドルヒーローがいた気がする、と思考を飛ばしてから、苦虫を噛み潰したようなエンデヴァーの顔に、逃避を諦める。
「……ホークス?」
 重々しくうなずかれる。
「最速最年少?」
「ウイングヒーロー」
 その三つが並べば、他に間違いようがない。
 十八歳でデビューして即トップテン入りし、瞬く間に三位にまで上り詰めてきた若手最高峰の青年である。
 青年である。
「ええと、ごめん、女の子だと思い込んでた」
「いや……、俺も逆の立場だったら候補に含めん」
 何故か謝罪しあったことで、問題の人物が浮き彫りになった。
 ウイングヒーローホークス、ヒーロー名の通り、背に翼の個性を持つ鷹を思わせる風貌の青年だ。
 デビューしてすぐに頭角を現し、早々に三位の位置に着き、オールマイトの引退後は繰り上がる形でNo.2となった。速すぎる男の異名は、その異例の出世スピードと、事件解決の速さ、その背に生えた個性による物理的な速度の三つを指している。
 とにかく有能な若者で、実力に伴って自信家で少々我が強く、毒舌も吐く。
 言動が生意気だと、上の世代には眉を顰められることも多いが、十代、二十代からの支持は絶大で、鮮やかな色の翼の見目良さも相俟って広告塔としても引っ張りだこだ。
 少し前までは若手のファッションリーダーと言えばベストジーニストが担っていたが、今はホークスに変わっているのではないだろうか。
 自分達が二十代だった頃を思い出すと、世代交代の時期なのだとしみじみと時代の移り変わりを感じるような、新世代のヒーローである。
 オールマイトはインタビューで同席したことと、特に何事もなく終わった要人警護の任務などで一緒になったことがあるが、これらの印象が変わるような出来事はなかった。
 スピードタイプの飛翔個性ということもあり、筋骨逞しいヒーローではないが、有翼と言っても天使のような優しげな雰囲気はなく、猛禽類の鋭さと猛々しさを有した青年だ。
 いまどきのカッコいい子、というのが彼と相対した際の印象である。
 つまり、エンデヴァーが口にした「お相手」と、全く印象が噛み合わない。
 なんとなく、自分で自分を追い詰めてしまうような、繊細で思い詰めやすい自己犠牲的な優等生のヒーローをイメージしたので、真っ先にリューキュウの顔が浮かんだのだ。
 ホークスというと、まず、生意気、不遜、ふてぶてしい、といった有能が故に少々扱いにくい若手の問題児というイメージが強い。
 ホークスが九州を本拠地とする上に、元々他の事務所とチームアップをすることが少なく、若手ヒーローとのインタビューに応じるなど有り得ないメディア嫌いのエンデヴァーは、ごく最近まで接点がなかったはすだ。
 先のビルボードでのやりとりなど、よくあのエンデヴァーが式典の場を放棄してめちゃくちゃにしなかったものだと驚いたくらいの、非常に無礼な態度だった。
 これまでの彼ならば、あの華やかな翼をその場で焼き尽くしていてもおかしくなかったし、あの時、エンデヴァーは確実に相手を生意気な若造としか認識していなかった。
 その直後、相当に怒っていたに違いないエンデヴァーをどうやって言いくるめたのか、ホークスの地元である九州で、何らかのチームアップ中に脳無に襲われ、共闘した。
 辛勝の末にエンデヴァーは左半面に大きな傷を負い、代わりに市民の信頼を勝ち得た。
 戦いの中で、ホークスはサポートに徹し、彼の助けがなければエンデヴァーはあの黒い脳無を下すことはできなかった。互いの命を預け合い、力を合わせて強敵を倒し相手を認め合う、まるで少年漫画のようだが、実際にそういった体験をすれば分かる。
 苦難を共に超えれば、心は素直に相手を仲間と認識し、運命共同体だと錯覚する。
 一種の心理的な錯覚ではあるが、ヒーロー同士の連帯感、絆を深めていく意味では有用である。
 エンデヴァーも、少なくとも当初抱いていた、図に乗った軽薄な若者に対する嫌悪感は払拭されたはずだ。
 加えて、噂だけを聞いて正確に事態を把握しているわけではないが、少し前にホークスは敵性個性を受けて一時的に弱体化し、その間、エンデヴァーに保護されていたらしい。
「ちょっと聞いていい? 先月、ネットの噂でホークスが子供になる個性を受けて、君が保護してたって騒がれてたけど、事実?」
「……ああ」
 敵の個性を受けて、ヒーローが弱体化することは珍しいことではない。永続的な効果のある個性は珍しいから、大概が一時的なものだ。
 弱体化している間、身の安全のために他のヒーローが護衛することも珍しくはないが、多忙極まりなく、他のヒーローと組むことも珍しかったエンデヴァーがわざわざ、となると少々妙だ。
「どうして君が護衛を?」
「その事件が俺の目の前で起きたからだ」
 No.2の弱体化の情報が広まるのは望ましくないと判断したエンデヴァーが、その場で保護を取り決め混乱を収めた。その流れは手に取るように分かる。
 つまり、エンデヴァーを研究すれば、その流れに持っていくことも可能だということだ。
「彼を抱いたのは、そのトラブルの直後?」
「……そうだ」
 初めに抱いた相手の悪印象は払拭されて好感情に転じ、その後、目の前で小さな子供になって、保護せざるを得ない状況になる。背に翼のあるヒーローの幼少時など、天使のような外見だろう。危険のない弱体化でヒーローという人種の庇護欲をそそって愛情を抱かせ、大人に戻って何か事情を匂わせながら肉体関係を迫る。
 そういうことも、できたことになる。
「……あのさ、言い難いんだけど、怪しいところしかないよ?」
「貴様が何を考えたかは分かるが……」
「いや、聞いて。そもそも君は、ビルボードの後、彼に呼ばれて彼の地元に行ったんだよね?」
「そうだ」
「呼ばれた理由は?」
「改人の噂に基づいたチームアップ依頼だ」
「で、その場でその改人が襲ってきた?」
「そうだ」
「結果、君は一時生死も危ぶまれた大怪我を負って、あの子は掠り傷程度?」
「……何か怒っているか?」
 不可解そうに問われて、瞬間的に頭に血が上り、なるほど、これは怒りなのだと理解する。
 酷い裏切りに対する怒りだ。
「ああ、怒ってるよ。何をとち狂ったんだか、子供みたいな年の男の子に手を出した? 怪しい状況に全部目を瞑って、あれはSOSだと思う? いい年して色ボケして世迷言抜かしているようにしか思えない。あの君がだ!!」
 叩きつけた言葉に、炎の気性を持つ男は珍しく激昂しなかった。
「どの俺だ?」
「…………ヒーローエンデヴァー以外の君なんて、私は知らない」
「そいつがどんなご立派なヒーローか知らんが、俺はただのろくでなしだぞ」
 よくもそんなことを言う、と睨み据えると、エンデヴァーはひどく困った顔をした。
「…………俺は、何らかの個性操作を受けていると思うか?」
「いっそ、そう思いたいところだね」
 エンデヴァーが子供のような年齢の同性を相手に本気でとち狂っているよりは、何かしらの精神操作を受けていてくれた方がマシだったが、その可能性は考慮しているようなので、必要なチェックや個性効果キャンセルの処置はした上でここにいるのだろう。
「ただのハニートラップだと思うよ」
「……違う、と思うんだが」
「色恋沙汰で君がこんなになるとは思ってなかった……」
 深々と息を吐き出すと、むっとした顔をする。
「色恋沙汰じゃないと言っている」
「じゃあ何だい? 特に助けてくれとも言われていないSOSだっけ?」
「…………後進育成?」
「育成で後進に手出してたら事案だからね!?」
 正論に、エンデヴァーが喉の奥で唸った。
 先の発言に著しく問題があることは理解しているようだが、他に上手い形容が思い浮かばないらしい。
「あれに、未来があるならそれでいい」
「…………今はないと思っている?」
「当人がそう思っている節がある」
 実に重症だ、と嘆息する。
「君さあ、そのザマを息子に見せられる?」
 一番の弱点を容赦なく抉ると、ぐっと詰まる。
 まだヒーローとしても、父親としても、最後の一線は越えきれていないようなので、それが救いだ。
「この件、一回預からせてもらうよ」
 苦々しく告げると、渋い顔をする。
「……内密に頼めるか」
「当たり前……」
 現No.1とNo.2の醜聞など、大っぴらに触れ回るはずがない、と応じかけて、その顔に彼が案じたのはNo.2の立場だと理解する。
 これは、酷い。
 こんなものが恋だとでもいうのなら、あまりにも無様だ。
「私のエンデヴァーを返せ!」
「俺が貴様のものだったことは一度たりともない!」
 結局、彼とは今回も喧嘩別れになった。

 知り合いの雑誌社に、人気の若手であるウイングヒーローと対談をしたい、と声をかければ、企画はすぐに立ち上がって日程が組まれた。
 多忙なはずの青年もこの対談に非常に乗り気で、優先して日程を擦り合わせてくれたのだ、と聞いたが、何が目的かと穿ってしまう程度に、今は悪印象が付いていた。
 彼がデビューした年に一度同様の取材を受けたことがあるので、四年振りとなる。
 当時の彼はまだ未成年だったが、既に場慣れしていて、あまり子供らしさは感じなかった。今とあまり雰囲気は変わらない。
 二つ名にふさわしい鋭い眼光だけでなく、全体的に尖ったイメージがあるが、笑うと印象が大分柔らかくなった。普段の皮肉っぽい表情が愛嬌のある笑顔で緩和されて、人当たりが非常によくなる。
 このあたり、敵味方の区別なく周囲を威圧するエンデヴァーとは異なる。
 今日も、顔を合わせた時点で笑顔を作って、少々軽薄な声で挨拶をしてくる。いまどきの若者らしいその態度を、可とするか不可とするかは人によるだろう。
 これまでなら、オールマイトはちゃんと挨拶してくれる子だと判断したし、エンデヴァーならばそれが目上の人間に対する挨拶かと目くじらを立てただろう。
 しかし、どうにも現時点では先入観があるので、いい印象は受けない。
 どこか人を小馬鹿にしたような態度は、彼のヒーローとしてのスタンスなのだろう。頭のいい若者なので、その態度がどんな反感と支持を生むか、計算の上で選んでいるはずだ。
 今日はよろしくお願いします、と軽い口調で告げたホークスが、何か含みを持たせた顔で逡巡した。どうしたのか、と問わずにいれば、少しして自分から口火を切る。
「あの、オールマイトさんって、来年度も雄英にいらっしゃいます?」
「……どうしてだい?」
 何故そんなことを聞くのか、と内通者の存在で揺れる学内の事情に探りを入れられたような不快感を覚えて問い返すと、少し困ったような顔をする。
「うち、今一人雄英の子をインターンに預かってるんです」
「……ああ、常闇少年」
「ちょっと来期は、うちの事務所でインターンを受け入れられない可能性があるんです。常闇くん本人の問題じゃなくて事務所都合で、本人にもきちんとそう説明するつもりですし、他の事務所も紹介しようと思ってるんですが……、その、あの子が気にしてたら、フォローしていただけると、えっと、嬉しいなーって……」
 語尾が妙に自信なさげな発言に、目を瞬かせる。大体、何を話していても自信たっぷりの生意気さが彼の売りだったと思っていたのだが。
「……インターン、初めて受け入れたんだっけ?」
「はい、うち、事務所の規模そんな大きくないですし、これまで受け入れる余裕なかったんですが、そろそろ考えてみようかと、去年初めて。いや、なんて言うか……十代ってあんなでしたっけ、みたいな……」
 十代だった頃が、そう遠い昔でないはずの若者が何やら宣う。
「どうも、常闇くん、うちのスタッフに、俺が能力ないと判断したらすぐクビにする的なこと吹き込まれてるみたいで、それとは違うから気にしないでほしいっていうか……、もし能力不足なら、ちゃんと戦力外だから要らないって言うんで」
 容赦ないところは特に誤解でないようだが、高校生一人に気を回す様子が珍しい。
「なるほど、君のとこ、インターンの取り扱いマニュアルがないんだ」
「これまで、大体どこでも自分が最年少だったもんで、未成年の取り扱いとか、後進の育て方とかもう未知の世界です……」
「常闇少年、君のこと、師と仰いで信奉してるからねえ」
「計算外ですよ、あんな素直に懐かれるなんて、普通思わないじゃないですか!」
 雰囲気からして、大人に反発しがちな捻くれた子だと思っていたのに、と嘆かれて苦笑する。
 最速最年少が故に、これまでずっとどんな場でも一番年若いヒーローとして扱われてきたホークスが、インターンの高校生相手に少々空回り気味なのが趣き深い。
「そんなに可愛いなら、来年も雇ってあげればいいのに」
「……いえ、ちょっと状況がどうなるか分からないので、無理だと思います」
 その口調に僅かに違和感を覚えて意味を問うが、軽く首を横に振られた。機密事項、と現役No.2に言われてしまえば、雑談の場でこれ以上は問えない。
「常闇君を巻き込みたくないんで」
 生徒のためだ、と重ねられると、教師としてもそれ以上は突っ込めない。
 唐突に壁を築かれた感触に、オールマイトは眉をひそめる。
 元々、あまり人を踏み込ませないタイプの若者だという印象はあったが、珍しく緩んだ雰囲気だっただけに、急な頑なさに戸惑う。
 子供を巻き込みたくないと言った、それがエンデヴァーが懸念しているこの年若いヒーローが抱えている問題なのだろうと察するが、こんな立ち話で探れるようなことでもない。
 確かに、有能で少し斜に構えたスタンスな分、他人に頼るのが苦手そうな印象はなくもないが。
 エンデヴァーの説明の端々から感じられる、危うい印象までは覚えない。
 フレイムヒーローは、大分骨抜きにされていないだろうか。
 骨抜きになったエンデヴァーというものを想像してみて、早々に想像力の限界に達する。お相手がこの可愛げというものが薄い、少々扱いにくそうな青年なので尚更である。
 全盛期から比べると痩せ衰えた身体だが、身長は変わらないので、並外れた体躯の持ち主だったオールマイトからすると、ホークスは大分目線が低い位置にある。エンデヴァーも日本人離れした体格なので、彼にとってもかなり体格差があるはずだ。
 ヒーローとしてはやや小柄と言えるが、最速を謳われるスピード特化型と考えれば、これが彼にとってベストの体型なのだろう。引き絞った無駄のない筋肉が見て取れて、小さいから可愛いらしいなどという安易な印象はない。
 鮮烈な色の翼も猛々しく、女性的どころか中性的ですらない。
 どちらかと言えば童顔なのだろうが、表情に幼さがないので、やはり可愛いという評にはどうしてもならない。
「どうかしました?」
 つい可愛げを探して不躾な目線になったらしく、少し身構えた顔で問われ、慌てて首を横に振って、エンデヴァーとホークスの下世話な妄想を頭から散らす。
「いやあ、ホークスくん、やっぱカッコいいなーって」
「よく言われます」
 にこりと笑う様はとてもふてぶてしい。
「彼女いるの?」
「それもよく言われます」
 先の台詞に合わせることで、いるともいないとも明言しない、その手の質問の対応に慣れたトップヒーローらしい態度である。
 確か、今までも噂程度の女性ヒーローや芸能人との熱愛記事が出ては、すぐに立ち消えていたはずだ。若い女性ファンが非常に多い人気ヒーローなので、もし交際宣言や結婚報告があれば大騒ぎになるだろう。
 その相手が、もしエンデヴァーと報じられた場合の社会的な影響はどれほどだろうか、と考えて、同性、不倫、相手がNo.1ヒーローとなれば、ろくなことにならないという予想に渋い顔になる。
 エンデヴァーが評した通り、あまりにホークス自身にメリットがない。
 考え得るとすれば、自爆覚悟でのエンデヴァーの失墜を望んでとしか思えないというのに、あのいい年した色ボケは助けを求められたのだ、などと抜かすのだ。
「オールマイトさんって、そういう話好きな人です?」
 その表情をどう捉えたのか、ホークスはへらりと笑って軽薄に問うた。
「おじさんは幸せな話を聞くのは好きだねえ。いいよね、恋バナ、甘酸っぱくて」
 助けた子が成長して結婚しただとか、子供ができたなんて話を聞くのが好きでヒーローをやっていたのだ。学生の惚れたはれたの騒動も好物だ。恋愛小説も映画も大好きである。
 誰もが不幸になるような話ではなく、幸せな話を聞きたい。
「おじさんて」
 そんな歳じゃないでしょう、と笑った最速最年少に、いやいやと手を振ってみせる。
「おじさん、君くらいの子がいてもおかしくない歳だからね」
 ぴくり、とホークスの身体が緊張したのが分かった。
 もう敵を倒すスーパーパワーは残っていないが、これまでに培ってきた観察眼は健在だ。
 恋人の有無を問われても定型句とばかりにいなした青年が、元No.1だった男に親子ほどの年齢差を指摘されて、僅かに動揺した。
「ほら、私と同世代のエンデヴァーなんか、常闇少年と同じクラスの息子いるしね。彼、末っ子で上にも兄弟がいるはずだよ」
「……ええ、エンデヴァーさんのおうちで会ったことありますよ」
「へえ、すごいな。エンデヴァーとプライベートで親交があるなんて、長年の付き合いのヒーローでもそういないんじゃないかな」
「……色々事情がありまして」
 少し困った顔で言葉を濁して、触れて欲しくないという態度を示してくる青年の目に、伝説の元No.1ヒーローに対する警戒を感じる。
 なるほど、そこは触れられたくないか、と見つめ返すと、これまでオールマイトという名を立てていた若者が態度を切り替えてきた。
「今のNo.1、2が仲良しだと何か困ることでも?」
 生意気さを前面に押し出してきたのは、怒らせて話を逸らそうという魂胆だろうか、と頭の回転の速い演技派の若手ヒーローにゆっくりと首を横に振る。
「いや、ただのジェラシーさ」
「……ジェラシー?」
「なによ、ちょっと若くて可愛いからって、彼のおうちにお呼ばれしたなんて自慢して! 私だって行ったことないのに! キィィィ! っていうやつだね」
 冗談だが本心である。
「……行きたいんですか、エンデヴァーさんのお宅訪問?」
「実は雄英の家庭訪問の時もトラブルになるからって、私は行くの止められたんだよね」
 担任、副担任で手分けして訪問する、という婉曲な表現だったが、この非常時に余計な問題を増やしたくないという、大変合理的な相澤の判断で制された。
 伝え聞いた話では、神野直後のエンデヴァーは相当荒れていたらしいので、正しい判断である。
「彼、メディア嫌いだから、ヒーロー自宅大公開、みたいなの絶対しないじゃん? 広いとか純和風とだけ聞いているから、気になるんだよね」
 担任という立場上、何度か轟家を訪問している相澤に聞いても、広い、和風、近所に猫がいた、以外の情報が手に入らないのである。
「俺も個性事故で色々混乱してる時に保護されて連れてかれただけなんで、ぼんやりとしか覚えてないです。なんか広かったなーくらいで」
「キィィ、彼に特別扱いされてるアピールね!」
「いやいや、あの人、若手には面倒見いいですから」
 面倒くさい絡み方をしてくるオールマイトに苦笑気味に応じたホークスに、おや、と思う。
 エンデヴァーは、オールマイトに比べれば後進の教育も後継の育成も段違いに上手いが、それは苛烈なスパルタ形式で、あまり手放しで褒められるようなものではない。
 自分のサイドキックと同世代の若手を区別せずに現場の采配を振るうことも多く、デビューしたての自身の判断に自信のない新人が指示を求めることもあって、結果的に教育になっているようだが、若手を育てようという意図があるわけではない。
 一般的な面倒見の良いベテランとは違うのだが、どうもホークスの中では他の若手と同じ扱いであるという認識のような気がした。
 賭けてもいいが、他の誰が同じ個性事故にあったとしても、エンデヴァーは自宅にまで連れていくような面倒は見ない。
 今回の相談を受ける以前から、親子程に世代の異なる新しいトップツー達の話題はヒーロー関係者やネットの噂で聞いていて、随分と気に入って特別扱いしているものだと思っていたが、今の口ぶりだと、ホークスにはその自覚があまりないような気がする。
 そういう骨抜き状態に意図的に持って行ったのと違うのだろうか、と見据えると、金色の瞳が見返してきて、失敗した、と思う。
 警戒しきった野生動物のような目と見つめ合っていた時間はさほど長い時間ではなかったが、スタッフがインタビューの開始に呼びにきて、視線が外れるまで非常に緊張を強いられた。
 軽く感触を確かめるつもりが、完全に警戒されてしまった。
 この後のインタビューでは何も漏らさないだろう、と隙のない笑顔で行きましょう、と促したホークスに諦めて、この場での一撃に切り替える。
「話戻すけど、彼女いないの?」
「あれ、その話題まだ引きずります?」
 笑って流したホークスに、スタッフもそういう話はインタビュー本番でお願いします、と笑う。
「じゃあ、彼氏は?」
 長身を屈めて、低い位置にある耳に一撃を注ぎ込んで反応を窺うが、先と一切変わらない笑顔のまま、ひとかけらの動揺も見せない。
「あれ、そういう風に見えます?」
 この程度の挑発では全く揺らがないことだけが、確かめられたに留まった。
 何でまた、こんな厄介なものにハマったかと、内心フレイムヒーローに文句をつける。二十歳そこそこで結婚して、以来スキャンダルに巻き込まれることなく、ストイックだなどと言われてまともに耐性を付けていないから、こんなところで己の子供のような年齢の同性相手に足元をすくわれるのだ。

 対談式のインタビューは、四年前のそれを踏襲して行われたので、質問もそれに対する回答も予定調和の和やかさで進んだ。四年前と変わったこと、変わらないこと、雑誌の読者対象者が知りたがるような話題に絡めて語る。
 メディア向けの卒のないトークはオールマイトもホークスも得意とするところだ。
 本音を一切晒さないまま対談は表面上盛り上がり、インタビュアーがオールマイトの二十代の頃の写真まで引っ張り出してきて、ふと首を捻った。
「こうしてみると、お二人って結構似た雰囲気ありますね」
 珍しい感想だが、似たような評を最近聞いた。
 エンデヴァーの感覚でいう相似と、このインタビュアーの感覚はおそらく異なるだろうが。
「似てます?」
 椅子から立ち上がったホークスが写真と同じポーズを取って見せて、ご丁寧に自在に操れる個性で前髪を二本直立させる。カメラマンが嬉々としてそれを写すのを眺めて、髪の色がだろうか、と考える。
 金髪で括れば同じかもしれないが、色味は大分異なる。個性の影響だろうが、少しふわついた羽毛のような髪質のようなので、雰囲気も違う。顔つきも似通ったところはないし、体格が全く異なる。個性のタイプも別だ。
「俺にオールマイトさんみたいな力が十分の一でもあれば、全然違ったんですけどね」
 同じく、全く違う、という結論に至ったらしいホークスが肩をすくめて嘆息する。
「あれ、力欲しかった?」
 最小限の労力で最大限の成果を最速で、という最近流行りのスマートでクールな若手ヒーローの筆頭のように扱われている青年なので、力任せなどは馬鹿にするタイプかと思っていたが。
「欲しいですよ、安心度が全然違う。純粋に強いって、すごいアドバンテージじゃないですか」
「力、大事だよね」
 平和を守る力はここにあるのだ、と示すことにオールマイトは心血を注いだ。
 ホークスの言う通り、純粋な力は何よりも強いのだ。
 それを痛感しているらしい、速度と技術のパラメータの高い若手ヒーローの表情を観察する。自在に操作できる丈夫な羽という便利な個性は、感知能力にも長け、災害現場でも犯罪者の追走にも大活躍するが、純粋な戦闘行為では少し不利なのだろう。
 彼の戦闘スタイルを見るに、怪力を誇る敵の相手を慎重に避けているし、対峙することになっても力勝負に持ち込ませないように気を付けているのが分かる。
 先日、エンデヴァーに九州の脳無戦後の二人の怪我の差について怒ったが、一撃でもまともに食らえば即時戦闘不能となっていたのだろうと、軽量そうな身体を目の前にすれば分かる。
 持たない力を羨望するヒーローが、初めて二十代の青年に見えた。
「君がムキムキの筋肉ヒーローだったら、ファン層も大分違っただろうねえ」
 女性読者がメインの雑誌のインタビュアーもそれは困ると笑う。
「そんなのダメですよ。やっぱりみんな、ホークスにはかっこよくいて欲しいじゃないですか。筋肉お化けみたいなヒーローに助けられてもちょっと……。ウイングヒーローの深紅の翼にスマートに助けてもらうことがロマンっていうかー」
 正直な人なのだな、というのが感想だった。
 読者対象の十代後半から二十代の女性の代表インタビュアーとしては、最適の人選とも言える。
 容姿、個性の差別、ヒーロー活動の軽視と、様々な炎上スイッチを踏んでいるので、取り返しのつかない生放送などでなくて良かった、としみじみと思う。
 後で編集される雑誌のインタビューなので、どうとでも修正できる。
「えー、俺ムキムキNGですかー?」
 笑いつつ、今は痩せ衰えたものの、かつては彼女のいうところの筋肉お化けだった元No.1をホークスが目線で示すと、失言にやっと気づいて慌てて取り繕う。
「オールマイトさんはもちろん違いますよ! なんていうか、その壊すだけみたいな力は困るじゃないですか。被害が余計に増えちゃうような、ほら、エンデヴァーさんみたいな! 頭まで筋肉みたいな、単細胞な人ってヒーローでもちょっと……」
 昔から、何度も、丁重にお願いをしているのだが、一向に伝わらないことが一つある。
 頼むから、自分とエンデヴァーを比べてくれるな。ましてや、彼を貶して自分を持ち上げるようなことはしないでほしい。
 ただこれだけのことが、どれだけ言葉を尽くしても伝わらない。
 一方的とはいえ親愛を抱いている相手を貶めて語られることは不愉快だし、そうして誉められても全く嬉しくない。マスコミが自重しないのだから、一般市民もそれに倣って、当たり前のように万年二位と揶揄して、オールマイトに比べて劣った存在のように平然とこき下ろして、その口でオールマイトを称えた。
 そういった風潮に、エンデヴァーにはますます嫌われて溝が深まるばかりで、困り果てていた。
「ええとね……」
 さすがに怒ってもいいだろう、と出されていたミネラルウォーターを一口飲んで喉を整える間に、先を越された。
「エンデヴァーさんって、被害増やしたことありましたっけ?」
 純粋に疑問を口にした、という口調だったが、僅かに滲んだ怒気に、おや、と思う。
「だって、いつも全部燃やして吹っ飛ばせばいいっていう、乱暴なやりかたじゃないですか……」
「いつもって?」
 何のことだ、と首を捻ったホークスに、インタビュアーが助けを求めるようにこちらを見た。
「エンデヴァーは、原則的に既に敵に破壊されたところしか壊さないね」
 大多数の一般市民が抱いている思いこみを、穏やかに訂正する。
「ビ、ビルを壊したり!」
「崩落寸前のビルが周囲を巻き込まないように、最小限の被害に止めて粉砕するのはよくやってますね。どの事件の時の話です?」
「よく壊した建物の中に人が残ってたら、とか仮定で非難されてるけど、一度たりともそんな事例ないんだよね」
「あれ、本当に凄いんですけど、どうやって避難状況把握してるんですかね?」
「基本は探知の個性のサイドキックがサポート入ってるよ。たまに勘でやってるけど、その時は壊し方が違う」
 フレイムヒーローのサポートに長けたサイドキック達や、他のヒーローが万一の場合に対処できる余地を残して、問題のないところから破壊していくのだ。
 要救護者ゼロと確認が取れている場合は、無駄なく一瞬で粉砕している。
 どちらの対応の時も炎の個性は非常に派手なので、やりすぎと言われがちだが、事件を細かく見ていけば、その時取れる最善の手法で、最小限の被害に抑えていたという結論になる。彼の出動で現場の被害が増えている、というのは全くのデマである。
「エンデヴァーさんが対応した直後に現場の上飛んだことあるんですけど、あの跡マジで感動しますからね」
 敵の破壊して回った痕跡にぴたりと合わせて炎の跡が残されているのだと、空からの視点を持ち合わせたウイングヒーローが嬉しげに笑う。
「あれはやっぱりベテランならではの職人芸だよねえ。脳味噌筋肉の単細胞じゃ、戦いながらそんなことできないから」
 元No.1と現No.2に交互に発言を否定されて、インタビュアーが鼻白んだ。
「お二人とも、随分とエンデヴァーの肩を持ちますね」
 逆に、彼女は相当なアンチフレイムヒーローらしい。
 マスコミへの態度がよくない男なので、何か嫌な記憶でもあるのかもしれない。
「あの人、ヒーローなのに、人を助けようとしないじゃないですか」
「基本的にしないね、向いてないから」
 炎の個性は、人の救助には向いていない。個性を控えれば、人を抱えて運ぶことくらいはできるだろうが、そんなことはヒーローでなくともできるのだ。
 下手をすれば助けるために伸ばした手で火傷を負わせてしまう手で、人を救おうとする無駄を彼は早々に切り捨てて、強個性を活かして破壊行為を行う敵を排除し、障害物を粉砕することに切り替えた。
 適材適所で、その方が被害は減り、助かる人間も増える、合理的な判断である。主張自体は正しいのだが、助かる努力は自分でしろ、などと放言したことで、昔大変な反感を買ったりもした。
 そんなエンデヴァーが自分の手で誰かを助けようとしたことなど、数える程度しか知らない。
 その、数少ない対象者が、ここにいるウイングヒーローなのだが。
 どうも、先程から目がきらきらとしている。
 基本的に斜に構えた、冷めた目をすることが多く、それが年齢よりも大人びているような、捻くれた印象を与えて、生意気だと言われがちなのだが。
 とても、目が輝いている。
 そういう顔をすると、本当はとても童顔なのだと初めて知りながら、あえて喜びそうな話題を続ける。
「混乱した現場で、エンデヴァーがいると安心度が違うんだよね。絶対に敵をこれ以上暴れさせないし被害も拡大させないって信じられるから、任せて救助に専念できる」
 嬉しそうなホークスとは対照的に、インタビュアーの表情が苦々しい。
「お二人とも、すごくエンデヴァーのことがお好きなんですね」
「そりゃ、私は昔から彼のファンだからね! ホークスくんもだろ?」
 話を振ると、ウイングヒーローは口元をぱっと手で覆った。
「……そうですね、ファンサしてもらったことないですけど、俺もずっとファンですよ」
 口調だけを聞けば、いつも通りの不遜な若者なのだが、ちょっと手だけでは動揺が隠しきれていなかった。
 フレイムヒーローに対する所感の不一致でヒーロー達とインタビュアーの空気が少しぎくしゃくしたことを察して、同席していた編集者から休憩の声が上がる。
 インタビュアーが体勢を立て直しに席を立ち、スタッフが忙しく立ち回るざわついた空気の中、様子を見てオールマイトはソファの距離を詰めてホークスの隣に座った。
「エンデヴァー、好きなんだ?」
「尊敬してます。俺は持ってない力なんで」
 卒なく応じるところは、とても優秀である。
「ところで彼女いる?」
「その話題、そんなに引っ張ります?」
 油断すると突っ込んでくる、と笑っていなしかけたホークスに、今度は断定してみせる。
「でも、好きな人いるでしょ」
 ばっと、今度は両手で顔が覆われた。
「…………オールマイトさん、勘弁してくださいよ」
「あー、うん、ごめん、もうしない」
 手で隠し切れていない、背の翼と遜色ない色に染まった耳から目を逸らして謝罪する。
「いや、本当、ごめんね……」

「あの子、めちゃくちゃ君のこと好きじゃん!」
 前回と同じ料亭に呼び出して、フレイムヒーローが向かい合った席に着いた瞬間に訴えると、男は薄い色の眼をゆっくりと開閉した。
「言わなかったか?」
「言ってないし、まさか君が自覚してたとも思ってなかったよ!」
 その自信は何だ、と卓を叩く。
「いや、さすがにあれだけ俺だけに態度が違えば気づくだろう」
 正直なところ、そういった人の心の機微にはとても鈍い男だと思っていた。
「否定はせんが」
 今口に出さなかった言葉を読み取る程度のことはできる、と示して見せて、一つ嘆息する。
「貴様と違って、俺に好意的な人間は大概面倒なんだ、いちいち気にしてられん」
「好意を持ってくれてる人には笑顔で応じようよ……」
 まあ、彼のファンというのは非常に男性率が高く、また彼に似た気質の性格が多い。素直に好意を表明しないというか、感情を素直に見せるのを嫌がる、不器用な人間が集まっている印象がある。
「あ、でも例の見ろや少年なんかは……」
「彼は、九州でホークスがファンサービスしているときにこちらを気にしていたので、握手を求めているのかと手を差し出したら、エンデヴァーはそんなことしないと叫んで逃げだしたのが初対面だが」
「君のファン、本当に面倒くさいな!」
 オールマイトファンは絶対数が多かったので、少々扱いに注意が必要な面倒なファンというのも一定数いたものの、全体的には素直に好意を表明されるものだった。
 後継者たる緑谷出久など、最たる素直な例である。
 エンデヴァーの場合、当人の態度とファンになる人物の傾向が相互作用して非常に偏っている気がしてならない。
「おそらく好かれている、程度には分かるが、俺は人の感情に疎い。表明もされていないものに、好かれているという態度を取るのも自意識過剰だろう」
 だから無視する、という結論で長年やってきたらしい現No.1をどう諭したものか、そんな面倒なファンに囲まれたことのないオールマイトとしては悩むところである。
「あの子、一番面倒なタイプっぽいけど、君よく好かれてるって分かったな?」
「あれの様子を見たうちのサイドキックが口を揃えたからな」
「……ああ」
 エンデヴァーのサイドキックは皆、彼の下で働きたいと願った熱烈なファンである。
 同類を嗅ぎ分けた彼らが太鼓判を押したなら、勘で察していた好意を確信に変えただろう。
「最初から分かってたの?」
「いや、最初は何か利用するつもりかと思ってたし、実際に利用もされたんだろ」
「…………九州の脳無?」
「俺をぶつけるのまでは想定内、俺が敵を軽く捻ると思ってて、あの改造人間の強さが想定外だったんだろ。事件後、顔が取り繕えてなかった」
 一時は命も危ぶまれた重傷を負って、切り裂かれた顔には大きな傷が残った。
「まあ、ファンなら泣いちゃうよねえ……」
「そんなに分かりやすければ苦労せん」
 苦労しているのかと見やるが、少なくとも当人は苦労しているつもりのようだ。
「君のファンかぁ……」
 エンデヴァーファンと言えば、不器用で頑固一徹、というのがステレオタイプだが。
「あの子、世渡り上手で器用そうに見えるけど」
 苦い顔で首を横に振られ、薄々感じていた生きるのが不器用そうな印象の方が本質らしいと察する。
 たぶん、彼は取り繕うのが上手いだけで、とても不器用で頑固だ。
「君のファン、本当に面倒くさいな!」
「俺のせいじゃない」
 絶対に当人の性格や生き様が影響してのことである。
「あの子、昔から君のファン?」
「酔狂な子供だったらしいな」
 お互い、あの有翼の子供が生まれる前から、ヒーロー活動をしていた世代である。
 エンデヴァーはあまり子供受けするヒーローではなかったが、その分、ずっと好意を持ち続けたならば筋金入りだろう。
「あの子、めちゃくちゃ君のこと大好きじゃん!」
 もう一度声を高めて、何故その大前提を先に言わなかった、と睨むと、手酌で酒を注いでいた男は平然と応じた。
「表明されていないことを、事実のように言うのも自信過剰だろう」
「……エンデヴァー、ちょっと昔の力出してポカポカ殴ってもいいかな?」
「構わんが、応戦してもいいんだな?」
「離れが壊れるから、やっぱりやめよう」
 店に迷惑をかけてしまう、と自重したところで、エンデヴァーが嘆息した。
「最初に言って、信じたか?」
「……たぶん、色ボケがボケ散らかしてるなーって思ったかな」
 前提が、No.1就任直後に突然近づいてきた若手ヒーローに迫られて関係を持ってしまった、相手は胡散臭ささえ感じる何か企みのありそうな同性の青年、である。
 ここで最初に、彼はずっと自分を好きだったのだ、などと訴えられていたら、とりあえず憐れんだ気がする。
「元No.1の判断を仰ぎたかった」
 あえてマイナスの情報ばかり出して怪しませた上で、現No.2の品定めをさせた男をじろりと睨む。
「私が彼をどう判断して何を言ったとしても、結局のところ、自分のしたいようにしかしなかったよね?」
「そんなことはない。たぶん」
 一応助言を求めてきただけ、信頼のようなものは寄せられているのだろう、たぶん。
「それで君は、君の大ファンの男の子をどうしたいの?」
 改めて問うと、難しい顔をする。
「ホークスが君を大好きなのは確認できたけど、君が言う、何かのっぴきならない事情に巻き込まれてるかどうかまでは分からなかった」
 最初についやりすぎて、警戒されてしまったのも大きい。
「ただ、インターンの受け入れを停止する、とは聞いた。子供を厄介ごとに巻き込みたくないような印象は受けた」
「あそこの事務所は、対応する事件数の割に人員が少なすぎるんだが、増員する気は一切ないらしい。ついでに言えば、口約束は平気でするが、具体的な予定の約束は避ける。将来的に責任が生じることも引き受けない」
 オールマイトにも、覚えのある態度だ。
 預かった力を後継に託した後の未来など自分にはないと思っていた。だから、それ以降の約束はしなかった。
 そういった部分を、エンデヴァーは似ていると評したのだろうか。
「……彼は、強個性だけどデビューからずっと性急すぎる印象は受けた。元々タイムリミットがある個性の可能性は?」
「分からん」
 個性が急速に減退するのか、それとも命に関わるのか、はたまた全く別の理由なのか、ここで話していても分かることではない。
「君はどうしたい?」
「あれが何を考えていようがどうでもいい、俺はあれを生かして残すと決めた」
 清々しい程に明快で、自分勝手な返事だった。
「……彼自身がそれを望まなくても?」
「俺のファンだ、俺の好きにしていいだろう」
「君は、ファンの扱いを著しく勘違いしていると思う」
 ファンとは所有物ではないし、その意志を無視して好き勝手に扱っていいものではない。
「……俺のだろう?」
「違うと思うな!」
「何のために抱いたと?」
「セックスの使い方もなんか違わないかな!」
 傲然と言い放たれて、頭が痛い。
 こういうのを、盗人猛々しいと言う気がする。
「物心ついたときから俺が好きなら、もう俺のでよくないか?」
 こんな居直った男に心を奪われたりするのは、とてもかわいそうな気がしてきた。
「……エンデヴァー、ちょっと、君のヒーローとしての在り方と、倫理観と、ご家族の話と、恋愛相談とあの子の進退について、よく話し合おうか?」

 結局、彼とは今回も喧嘩別れになった。