チャイルドプレイ

 そのぬいぐるみは君のライナスの毛布なんだね、などとしたり顔で言ったのが誰だったかは覚えていない。
 物心ついた時には手にしていたヒーロー人形の、肌触りのいい柔らかな感触が好きで、いつも抱えていた。
 強く抱き込むと、低く震えるようにぼうぼうと鳴って、その音を聞きながら眠るのが常だった。
 ブランケット症候群などと呼ばれる、幼児が毛布やぬいぐるみに強く執着して安心感を得る現象だ、と言われて後から振り返ればその通りで、何があってもそのヒーローのぬいぐるみさえあれば平気だった。
 幼児特有の力加減であちこち無理に引っ張ったり噛みついたりしても、文句を言わない我慢強いフレイムヒーローのぼうぼうと鳴る音を聞けば、いつでもどこでも、たとえ知らない大人だらけの場所でも眠れた。
 しかし、ある日を境に次第に音が小さくなっていって、ついに人形のどこを押しても音が鳴らなくなって、パニックに陥った。
 既に公安に引き取られた後のことだったが、それまで言葉が少なく、喜怒哀楽の表現も薄かった可愛げのない幼児が突然大泣きしたことに、周囲の大人は相当慌てふためいたものらしい。
 大の大人が数人がかりで、エンデヴァーが死んでしまったと泣き喚く子供に、ヒーローエンデヴァーは無事だと説得しても話が通じず、子供の言うのが人形を指していることにようやく気づき、今度は人形は元々生きていないことを言い聞かせた。
 これが稼働するおもちゃならばもう少し話が早かったのだろうが、元々動かないぬいぐるみが外見上の問題もなく、きちんと子供の手の中に納まっている以上、大人達には子供が何を泣いているのか理解できない。
 ようやく、その人形に音声が組み込まれていることを突き止めた職員が、頑なに人形を握りしめた子供の手からどうにか人形を預かり、電池を交換して解決した事件である。
 いまだに当時のことを知る職員から、電池は切れていないか、とからかわれるが、その頃の自分は電池や充電の概念を知らなかった幼児だったのだ。
 今ならば、あの火が燃える音を模した電子音声が、子供向け商品に協力を拒否した当時のNo.2に対するおもちゃメーカーの苦肉の策だったことも理解できる。
 下手に協力されて、低い声で必殺技名でも叫ばれていたら、幼少時の自分があれほどぬいぐるみに依存していたか怪しく、必然的にヒーローという存在を認識することもなく、公安に見いだされることもなかったかもしれないので、因果というものは実に不可解なものだと考えながら、いつもならぼうぼうと燃え盛っているはずの背を眺めていると、人形ではかなりマイルドに表現されていた人相の悪さで睨まれた。
「何か言いたいことでもあるのか?」
「いいえ、別にー?」
 へらりと笑って流すと、ぬいぐるみでは白目のみしか表現されていなかった冷たい蒼い瞳が更に鋭くなった。
「仮眠を取って来い」
「え?」
「横でぼんやりされても気が散る。本番までにパフォーマンスを落とされても迷惑だ、いいから寝ろ」
「あー、でも、俺の方が見張り向きですけど……」
 いわゆる、突入待機中である。
 敵組織間で武器の大掛かりな取引の可能性がある、という情報を元に、武力突入を前提としてチームアップされ各班に分かれて昼過ぎから待機しているのだが、予定時間の夕刻を遙かに過ぎてもどうにも動きがなく、緊張感がだれてきていた。
 取引日時が変わったのではないか、その場合、僅かに時間がずれただけなのか完全な延期なのか、見当がつかない。
 突入計画を撤廃すべきかどうかで捜査本部が揉めているのは想像に難くないが、トップの二人を動員しているだけに、引っ込みがつかないのだろう、という事情も分かる。
 そして、気難しいNo.1との待機を他のヒーローや警官達は尻込みしたのか、この待機用の一室はエンデヴァーとホークスの二人だけに割り当てられた。
 不遜なNo.2はフレイムヒーローの圧も笑っていなすとでも思われているのだろうが、買い被りだ。年期の入ったファンとして、何重にも緊張する相手と同じ空間で二人きり、終わりの見えない待機など、さすがに神経が削られる。
 理由は分からないまでも、その疲弊の色を読み取ったのだろう。仮眠を取れ、と再度宣告された。
「突入指示があるまで、無駄に体力を使うな、寝てこい」
 頑固な男が譲らない構えになったので、これ以上の押し問答を避けて諦める。
「分かりました、隣で寝てきます」
 長丁場になる予定はなく、混戦の可能性の高い荒事のつもりでいたので、少々神経が高ぶっている。眠れる気はしないが、フレイムヒーローの神経をこれ以上逆撫でしないよう、おとなしく横になっておくべきだろう。
「エンデヴァーさん、眠れそうにないんで、子守唄歌ってください」
 戯言を告げると、普段ならば天井を焼き焦がす勢いで炎が増しただろうが、突入待機用に宛がわれた室内では、火の気を悟られないよう、エンデヴァーは炎を纏っていない。
 代わりに冷たい色の瞳で焼き焦がさんばかりに睨まれ、剛翼をばたつかせながら這う這うの体で逃げ出す素振りで隣室に向かう。
 古びた団地の空き部屋の一つを割り当てられているので、野外での待機より気楽だが、がらんとした埃っぽい部屋に何故か既視感を覚えて、幼少時に住んでいた実家だと記憶を掘り起こす。
「あ、これマジで寝られんやつ」
 畳んで置いてあった毛布を床に敷いて、ゴーグルだけを外して装備をそのままに寝転んでみるが、全く落ち着かない。
 毛布越しに伝わる固い床の冷たさと、埃っぽい空気、長丁場になった時のために用意されたコンビニ袋に入った飲み物と食料が、妙に子供時代を思い起こさせる。
 ぞくり、と寒気を覚えて敷いていた毛布にくるまるようにするが、全く温かくならない。
 体勢を何度か変えてみても落ち着かず、ほとんど無意識のうちに毛布の上を探った手に気づいて、苦笑する。
 人より少々遠いところのものに届く個性でもってしても、海を挟んで遠く離れた九州の自宅の戸棚の奥にしまわれた古ぼけたぬいぐるみには手が届かない。
 一度電池の液漏れを起こしてから、電池を外したきりだが、まだあれは鳴るのだろうか、とぼんやりと考える。
 幼い頃は加減など考えず、力任せに握り込んでいて、随分とくたびれてしまったぬいぐるみには、もう長らく触れていない。
 あの、ぼうぼうという低い電子音に近い音を、当人が出すことがたまにある。出力を絞って火を弱めた時も似た音になるが、剛翼が灼かれた時が一番近い。フレイムヒーローを怒らせると高確率で炙られるし、冗談で羽を飛ばしていると灼き墜とされるので知った音である。
 今は、待機中で個性を制限しているので、目の前を飛ばしても手で叩き落とされる程度だろうが。
 だから、灼かれる目的ではなく、眠ることを諦めて小さめの羽を一枚隣室に送り込んで、フレイムヒーローの目に留まらないうちにその背にぺたりと貼りつけた。
 途端に、ごうごうと鳴った音に驚く。
 どうせ眠れないのなら、隣室の動きが分かるようにしておこうと、耳代わりに送りこんだ羽を、いつもならば近づけただけで燃やし尽くしてくる男の身体に貼りつけたのは、単純に見つからないためだったが、身体にぴったりと合わせて作られたヒーロースーツに密着した剛翼はダイレクトに心音を伝えてきた。
「うわ……!」
 一瞬うろたえて背の両翼を広げかけるが、その心音がどこかぬいぐるみの響かせた音に似ていることに気が付いた。
「すごい、生きとる……」
 電池を換えなくとも動いている、と妙なところに感動して、目を閉じる。
 何故、そうなったのか未だに理解できないのだが、あの男の腕に抱かれたことがある。
 体温の高い腕の中に閉じ込められて、相手の心拍より自分のそれがうるさすぎて、沸騰しそうな状況に比べれば格段に穏やかに聞ける。
 羽越しに伝わるのは振動だけで、熱が伝播するはずがないのだが、何故か背がぽかぽかと温かくなってきたような錯覚まで覚える。
「ね…む……」
 数分前まで絶対に眠れないと思っていたはずなのに、その熱にどろどろと意識が溶けていく。
 待機中に本気で寝入るわけにはいかない、と足掻くようにして意識の一部を浮上させているうちに、どれだけ時間が経ったのか、不意に規則的な心音に異質な振動音が混じってはっとする。
『……エンデヴァーだ』
 通信機に応じた隣の声に跳ね起きかけるが、通信機の向こうの申し訳なさそうな声に、焦る必要はないらしいと判断する。
『分かった、撤収する』
 結局、作戦は中止になったらしい。
 連絡してきた警察関係者は相当にビクついていたが、こういった空振りは珍しいことではない。エンデヴァーもホークスもその程度のことには拘らない。
 さっさと片づけて撤収しようと、中途半端な睡眠を取ったことでまだぼんやりしている頭を振って眠気を払い、毛布を畳んで集音マイク代わりの剛翼を隣室から回収しかけ。
 はし、と羽を掴まれた感触に、しまった、と身を竦める。
 さすがに戻る時まで見逃してはもらえなかったらしい。捕えられた羽に向かって、叱責が落とされる。
『寝ろと言っただろうが……!』
 それなりにちゃんと寝ていた、と壁越しに反論もできず、急に叩きつけられた大喝に耳を押さえる。
 正確には、鼓膜を利用しないで聞いているので、耳を押さえることに何の意味もないのだが、ただの気分である。
『ホークス、聞いていたな? 撤収だ』
 そのまま一方通行の通信機の一種として羽を扱うことにしたらしいエンデヴァーが、掴んだ羽を口に近づけて伝えてくる。
 声どころか、嘆息交じりの吐息すら感知して、近い、と呻く。
 離れた状態で喋ってくれて十分なのだ、感度を下げればいいのだが、どうにも焦って上手くコントロールができない。
『ホークス?』
 だから、近い、と畳みかけてぐちゃぐちゃに握り込んだ毛布に顔を埋める。
 じたばたと羽を暴れさせているのに、二本の指にしっかりと挟まれて、全く抜け出せない。しかも、普段は平気で人の個性を燃やすくせに、今回に限って握り込んだ羽を折らないように気をつけているらしく、挟み込まれた部分以外の触れ方がひどく優しい。
 羽軸をなぞった親指の腹のざらりとした感触に、息が詰まった。
『どうした?』
 問う低い声が、鼓膜を通さず直接身を震わせて、ぞわりと肌が粟立つ。
 あの傷だらけの指に、この身を暴かれた。あの声が耳に直接吹き込まれて、熱い腕の中に囲い込まれ、逆上せて惑乱した。
 あの時、自分が一体何を口走ったのか、どんな醜態を晒したのかすらあやふやで、非常に怖い。
 どうしてこうなった、と皺だらけになった毛布に爪を立てて呻く。
 ずっと、好きだった。
 幼児期からの刷り込みじみた憧憬は、とっくに綺麗事では済まなくなって、自分勝手な理想の押し付けと一方的な依存で混沌とした中には、肉欲だって含まれていた。
 だからって、叶うなんてひどい。
 もう、泣き喚いたら大人が宥めて理由を聞きとって電池を取り換えてくれるような子供ではないのに、勝手に欲望を叶えられた。
 こんな浅ましいものを叶えるなんて、ひどい。
 どうして、とぐるぐると巡る感情に気分まで悪くなってきて、柔らかな毛布を力任せに握りこんで、ああ、とその感触に得心した。
「ホークス!」
 今度は耳に呼びかけが届いて、のろりと顔を上げると、反応のないホークスを訝って様子を見にきたらしいエンデヴァーが焦った顔をしていた。
「どうした!?」
 問いながら蹲っていた身体を軽々と抱え上げた男に、確信する。
「ぬいが……」
 今、あっさりと抱え上げられたのと同じように、幼い頃は彼のぬいぐるみを抱えてたくさんの無体をはたらいた。
「復讐……」
 力任せに抱きこんだり、歯を立てたりしていたから、今こんな目に合うのだ。
 おもちゃを大事に扱うよう教えるような親ではなかったし、その後の己を教育した人間は、最初から自分を使い捨てるつもりで育てた。
 物を粗末にするとバチが当たるなんて、誰も教えてくれなかった。
「復讐? どの敵の報復だ! いつ……!?」
 低い声と太い腕の両方に頭と身体を揺さぶられ、頭痛と吐き気がいや増す。
 ぬいぐるみの逆襲がひどい。
「いじ、めた…わけやなか……」
「ホークス?」
 急に嗄れはじめた声で訴えると、訝しげに額に当てられた手が珍しく冷たい。
「おい、おまえ熱で錯乱してるだろ?」
 顔色が悪いから睡眠をとらせたのに、と舌打ちする声が響いて、感度をコントロールできない剛翼から背にかけてぞくぞくと寒気が走る。
「ただの風邪にしては妙だが、何か個性を受けた心当たりは?」
 炎を出していないのに、その声がぼうぼうと震えて聞こえて、何を言っているのか分からない。
「ホークス?」
 最近のぬいぐるみは高性能なのか、これだけ大きなものだからなのか、てきぱきと器用にホークスの身体に毛布を巻き付けて拘束してくる。
「……怒らんで」
 今度はどんな無体をはたらかれるかと身構えながら伝えると、ぼうぼうという嘆息が応えた。
「怒っとらん」
 毛布でぐるぐる巻きにされたまま抱え上げられてしまって、剛翼がうまく使えない。せめて身を浮かせようとすると、毛布越しに背を撫でられた。
「個性は使うな、余計に消耗する」
 翼を毛布で覆われて、少しぬいぐるみの声がはっきりした。
 どうやら、剛翼で感知した音と耳から聞いた音がうまく合わせられていなかったらしい。
 先ほどからうまく制御できない個性に意識を向けて、スイッチを切るようにすると、途端に身体の制御も切れた。
 がつり、と勢いよくぬいぐるみの肩の装甲に頭がぶつかって、わんわんと痛みが響く。
 音なのか痛みなのか判別できない波が占める頭の片隅で、ずいぶん硬いぬいぐるみだな、と思ったのを最後に、意識もスイッチが切れた。

 ずっと奇妙な夢を見ていた。
 キーキーと意味のわからない鳴き声を上げるおもちゃの群れに襲われて、ロボットの冷たいブリキの手や着せ替え人形のビニール製の手に手足を拘束される。大声を上げて振り払っても、おもちゃは次々と湧いてきてのしかかった。
 うさぎのぬいぐるみが柔らかいのに一番力が強くて、押さえつけながらゲラゲラと笑う声が頭に響く。
 背の翼を広げて、全てを切り刻もうとした瞬間、羽の一枚一枚が音を立てて燃え上がった。青い炎に一瞬呆然として、次に半狂乱になって燃え尽きようとしている羽を掴みかけた手を、分厚い手に掴まれて阻まれた。
「エン、デヴァ……?」
 オレンジ色と濃い青色のぬいぐるみ。自分の持っているものとは少し違って、左目に大きな傷があるし、何よりサイズが桁違いだったが、フレイムヒーローのぬいぐるみに間違いなかった。
 ぼうぼうと喋る低い声は最初よく聞き取れなかったが、あまり触り心地の良くないぼろぼろの手で頭をぽすぽすと宥めるように撫でて、繰り返し忍耐強く伝えられた言葉をどうにか理解する。
 落ち着け、大丈夫だ、と言っていることに気付いて、手の中に一枚隠していた小さな風切り羽を手放すと、見上げる程に大きなぬいぐるみに抱え上げられた。そのまま、ぼうぼうと何か言うと、周囲のおもちゃ達がおとなしく引き下がる。
 おもちゃの国の王様みたいだ、と見つめていると、炎のヒーローなのに冷たいボロボロの手で顔を覆われた。
「いい子だから、寝ろ」
 ぼうぼうと鳴る声に命じられた途端、視界が真っ暗になる。
 その暗闇の中を人形達に引っ張られ、何をされるのか分からない不安感に、暗がりの中でも明るいフレイムヒーローのぬいぐるみを何度も振り返っていると、一つ嘆息したヒーローのぬいぐるみが小さく変身して腕の中に収まってきた。
 小型化すると喋れなくなるらしく、代わりに柔らかくなったぬいぐるみを抱きしめて、これで大丈夫だと安堵する。
 ぎゅうぎゅうと力任せにフレイムヒーローに抱きついて、昔と同様に見知らぬ奇妙な生き物達の中で、耳障りな音を遮断して眠る。
 やっと眠れたかと思えば、またすぐにケンサだ、とキーキー喚いては腕を掴んで引き起こす人形達に、意味も分からず引っ張り回され困っていると、また巨大化したエンデヴァーのぬいぐるみが、ぼうぼうと怒りながらホークスを担ぎ上げて、静かなところに連れて行ってくれた。
 ようやく周囲から騒々しいおもちゃ達がいなくなり、小さくなって無言になったぬいぐるみを抱き込んで、背を丸めて翼で覆う。
 夢なのだから、すぐに元に戻っていればいにのに、そんなところだけはリアルに、灼かれて激減した翼では体全体を覆えない。ぱたぱたと意味なく羽をはためかせていると、嘆息したぬいぐるみが起き上がって毛布をかけてくれた。
「寝ろ」
 また、何も言わないサイズに戻ろうとしている、と気づいて、まだ柔らかくなっていない腕に縋る。
 電池をちゃんと交換するから、という訴えを辛抱強く聞いてくれたヒーローが、枕元に腰かけてぼうぼうと何か喋りだした。ぬいぐるみの言葉はほとんど理解できなかったが、生きている音に安堵して、ようやく安心して、眠った。

 目を開けると、視界がファンシーだった。
 一抱えもある大きなクッションともぬいぐるみともつかない物体と目が合って、生地にプリントされた青緑色の目と見つめ合いながら状況を整理する。
 滑らかな肌触りの布地に色鮮やかなプリントで、紺色のボディスーツをベースに明るいオレンジ色のアーマーとブーツ、全身を炎で覆ったヒーローが、三頭身に満たないデフォルメイラストになっている。人形と呼べるほど人の形を成していないが、申し訳程度にイラストのフォルムに合わせた形をしている。触れるとそのまま沈んでいく何とも言えない感触のそれを、ホークスは知識の上では知っていた。
 確か、そろそろ販売開始したはずのヒーローグッズの一つである。
 購入形態が少々変わっていて、くじで当てたクラスのグッズが手に入る。ホークスのアイテムもあって、デフォルメされたイラスト使用の許可をかなり前に出した覚えがある。
 これは何等だったか忘れたが、そこそこサイズが大きいので、上位の賞品ではないだろうか。
 コンビニなどで売っているとは知っているが、どの店舗でいつから販売されているのかまで把握していない。
 抱きついていたNo.1ヒーローのビーズクッションから目を外すと、その周囲もヒーロー関連のぬいぐるみで埋め尽くされていた。トップテンのヒーローは一通り揃っていて、大きさも様々だ。サイズが半分ほどの似たようなクッションや、フェルトのぬいぐるみ、丸いお手玉のようなものにヒーローの顔がプリントされたものまであって、ヒーロー達のコスチュームが色彩に富むので、ベッド全体がカラフルである。
 ベッド、と認識して、枕元を埋め尽くしたヒーロー人形から目を離して改めて周囲を見回す。
 キングサイズのベッドが二つ並び、横にソファとテーブル。壁際に机とライトとテレビ、短い通路の先にドア、その手前に浴室と思しきドア、と見て取って、調度からそこそこのランクのホテルの一室、と判断する。
 隣のベッドは綺麗にベッドメイクされたままで使われた様子はない。
 これだけ見るために首を巡らせただけで、身体の節々がひどく痛んで眉をひそめる。
 ずきりと頭の奥が痛んで、額に手をやると妙な手触りがして、何かが貼りつけられているのに気づく。
 慎重に剥がしてみると、市販の熱冷ましのシートだった。温まったジェルの入ったシートを手に、改めて状況を整理する。
 記憶は警察からの応援要請を受けて、犯罪組織の武器取引に対する突入待機から途切れている。想定より長丁場になって、同じ場所に待機していたエンデヴァーに仮眠を取れと命じられて以降の記憶がない。
「……倒れた?」
 節々の痛みと、額に張られた冷却シートから推測するに、熱でも出して身動きできなくなったのだろう。
 少々妙なのは、ここが病院のベッドでないことと、記憶がなくなる直前まで全く体調不良の自覚などなかったことだ。何らかの個性を受けて察知もできずに昏倒した可能性もあるが、なおさらここが病院でないのが不可解だ。
 拘束されているわけではなく、着ている物はこのホテルの部屋着のようで、裾が足下まであるシャツのようなガウンだ。ヒーロースーツは一揃いソファの上に置いてある。
 背に違和感を覚えて、肩越しに確認すると、ホークスの個性である剛翼がそのサイズを激減させて、少し大きめの部屋着の背の中に納まっていた。
 ひとまず着替えて状況を把握しにいこう、と起き上がりかけて、頭痛と身体の軋みに加えてひどい空腹感に目眩を覚える。
 下手に起きあがるのも危険そうだが、このまま何も食べずにいると動けなくなる、と判断して部屋に備え付けの小さな冷蔵庫に何か入っているか確認しようと、そろそろと足を絨毯に付けたところで、ドアの向こうに人の気配を感じた。
 カードキーでドアを開けて入ってきたエンデヴァーの姿は予想はしていたものの、気構えはできていなかった。
「起きたか」
 身体を起こしていたホークスを見て、顔を僅かに歪める。左半面に大きく走った傷のため、表情が正対象に連動せず歪んで見えるようになった、というのが正確なところだが、不機嫌そうな人相の悪い印象を受ける。
「……いや、顔つきが悪いのは、昔からですね」
「回復したようで何よりだな?」
 うっかり口に出ていた感想に、一瞬緩んでいたように見えた顔が怒気に占められて、がつりと大きな手に顔を掴まれた。
「いたた……ごめんな、さ、ッぐ……!?」
 笑ってごまかそうとした声が途中で嗄れて、大きく咳き込む。
 咳が止まらず、差し出された腕に縋ると抱き込まれて背をさすられた。
「す、みま、せ……」
「喋るな、水を飲めるか?」
 口元にコップをあてがわれて、ぬるめの水を一口嚥下すると、ひどい喉の乾きに初めて気づく。
 一気にグラスの中身を干すと、ポットから温かくも冷たくもない温度の水を注ぎ足して飲まされる。
「もういらないか?」
 人心地がついたところでうなずくと、濡れた口元と咳の発作で潤んだ目元を指で拭われ、額に温かい手が押し当てられる。
「まだ少し熱があるな」
 この手よりは低いはずだが、常時体温の高いフレイムヒーローの手が、少し温い程度に感じると言うことは、エンデヴァーの言う通りなのだろう。
「おまえのサイドキックが先程到着した、話せるか?」
「ホークス!」
 どこに、と問う前に声をかけられて、いたのか、と動揺する。
 どうやら、先にエンデヴァーが入ってきた時に後ろにいたようだが、大柄な男の影に隠れていたらしい。
「ホークス、つらかとこはなか?」
「えと、俺、まだよく状況分かってなくて……」
 背を支えていた腕を外し、サイドキックと入れ替わるように退いたフレイムヒーローがのっそりと浴室に入っていくのと、己のサイドキックを交互に見ながら疑問を口にする。
「突入作戦前に、別件でホークスが捕まえた敵の一人が、厄介な個性持ちやったんばい」
 白昼堂々と強盗をして警察と追走劇を繰り広げていた窃盗団を、東京に向かう通りすがりに捕まえた覚えはあった。
 作戦への合流を急いでいたので、事件のあらましすらろくに聞かず、捕獲した敵を引き渡して済ませたのだが、夜になってその事件に関わった警察関係者がばたばたと倒れたらしい。
「なんでも、触った相手の免疫を著しく下げる個性やったそうで」
 事件の数時間後に、いわゆる日和見感染をそれぞれ発症して重篤になったという。
「俺もそれに?」
 免疫力が下がった状態で、待機場所の埃っぽい空き家の冷たい床で寝るなどという環境下に数時間置かれて、ものの見事にひどい風邪をひきこんだらしい。
 正確には何か病名がきちんとつくのだろうが、症状としては高熱と気管支の炎症である。風邪が悪化して肺炎を起こしかけた、という認識が分かりやすい。
 仮眠を取りに行って以降の記憶がホークスにはないが、高熱で錯乱して連れていかれた病院で暴れかけたようで、かなりエンデヴァーの手を煩わせたらしい。錯乱したまま個性で人を傷つけないように剛翼を焼かれたと聞いて、先程まで見ていた支離滅裂な夢を思い出す。
 あれは、もしかすると半分程度は夢ではなかったのかもしれない。
「最初、病院に連れてかれてました?」
 おもちゃの群に襲われて暴れた夢の記憶がおぼろげにあるが、あれは医療関係者だったのでは、という疑念に駆られて恐る恐る問うと、まだその時点では駆けつけられていなかったサイドキックがそうらしい、とうなずく。
「やらかした……」
 普段は激痛や薬物で狂乱して暴れる相手の取り押さえをするヒーローが己の仕事なのだが、自身が逆の立場になってしまうことも稀にある。なまじ強個性な分、周囲の被害も大きくなるので、エンデヴァーが付いて抑えてくれたのだろう。
「どこの病院です? お詫びとお見舞い……」
「いらんです」
 きっぱりと冷たく宣告され、何があった、と眉をひそめる。
 今、その病院の病室にいない理由のようだが。
「診察を受けた頃には、免疫低下の個性効果も薄れてきとって、後は休んで風邪さえ直せば問題なかったちゃけど」
 どうにも病院のスタッフの質が悪かったようで、寝込んでいるホークスの病床の写真をネットに上げ、瞬く間に病院が特定され、マスコミと心配するファンが押し掛ける騒ぎになったという。
 弱ったヒーローに恨みを抱く敵が病院を襲撃することもあるので、エンデヴァーを筆頭にヒーロー達が対策を講じて、問題の病院から転院させたらしい。
「……転院?」
 ここは、病院には見えないのだが。
「そこでも似たようなことになって、大激怒したエンデヴァーさんがホークスを連れ出して消えたんや」
 後は休息を取って回復を待つだけ、という状況だったため、これ以上のトラブルを避けて、このホテルの一室に放り込まれた、というのが事の経緯のようだ。
「……医療現場のモラルどーなってんの?」
 生半可な芸能人以上の人気がある自覚はあるが、意識が混濁した状態で、まともに治療を受けられない状況は怖い。
「病院側には、事務所から正式な抗議を準備中やけん」
 その問題が片付くまではこちら側から低姿勢を見せないように、と告げられて、手回しのよい部下にうなずく。
 福岡の事務所に残って今回の件の調整と、東京に出向いて所長のフォローに分かれて対応してくれているサイドキックに礼を言って、改めていくつかあるうちの懸念事項を一つ訊ねる。
「ところで、エンデヴァーさん、何でいるの……?」
 病院側の問題は理解した。
 二回続けて医療機関でモラルの低い同様のトラブルが起きたなら、No.1の力で強引にホークスの身柄を確保してホテルに放り込むというのも、いかにもエンデヴァーのやりそうなことなのも理解できる。
 しかし、なぜこの場にいるのか、と浴室に入って出てくる様子のない男の気配を窺いながら小声で問う。
「や、俺らもエンデヴァー事務所から連絡もろうて、向こうのサイドキックを護衛に付けてくれてるとばっかり……」
 先程到着して、フレイムヒーロー本人に出迎えられて驚愕したと、サイドキックも声をひそめて応じる。
「何してくれてんの、No.1……!」
 まさかずっとついていてくれたなど、あるはずがないと思いたいところだが、非常に嫌な、曖昧な記憶がある。
 夢の中で何度もエンデヴァーの巨大なぬいぐるみが助けてくれて、最後に泣きついて駄々をこねたような気がする。何を言ったかさえあやふやな病人の妄言に付き合ってくれる、妙な義理堅さがフレイムヒーローにはある。
 まだサイドキックも着いたばかりで状況が把握できていないらしく、二人して頭を抱えながら、とにかく事態を把握して御礼と謝罪、と取り決める。
「ところで、今、いつ?」
 二つ目の懸案事項を問うと、突入待機していた晩から二日経っていると聞かされ、跳ね起きた途端、ぐらりと眩暈を覚えた。
「大丈夫やけん、寝んしゃい!」
 ぬいぐるみの中に強引に沈められ、個性影響とはいえ、今回のことは過労も重なったはずだとこんこんと諭される。
 幸い、突入作戦は延期になったものの、もしこの体調不良時に参戦することになっていたらどんなことになっていたか、そもそも、ヒーロー活動時に接触した敵や救助者の個性の把握を疎かにしない、スピード解決に拘りすぎない、とここぞとばかりに叱られる。
「話は済んだか?」
 浴室にしばらくこもっていたエンデヴァーがタオルを片手に出てきて、部下から小言を食らっているホークスを見下ろした。
「お説教タイムです」
「続けろ」
 よく反省しろ、と言い渡して、おもむろに手にしたタオルを顔に押し当ててくる。
「あっつ……!?」
 湯気が上がっているのは気づいていたが、それを平然と素手で持つフレイムヒーローの熱耐性の認識が甘かった。
 予想以上の熱さに驚愕する間に、寝間着のボタンを外されて服を剥かれ、肌に熱されたタオルを押しつけられる。
「ぎゃー! 蒸し鳥になる!」
「分かった、責任取って食ってやるから、おとなしくしろ」
 個性は灼かれ、少し前まで高熱で伏せっていた身ではろくに抵抗する力も残っていない。四半世紀プロヒーローの前線に立つ男にいいように弄ばれ、ぐったりしたところを、サイドキックの持ってきた荷から取り出された着替えを、子供のように着せ付けられる。
「もうお婿にいけない……」
「分かった、責任取って食ってやるから黙れ」
 さめざめと泣き真似をしてみせると、先とほぼ同様のいい加減な返事が返ってきて思考を停止する。
 大体において、ホークスが益体もないことを囀り、エンデヴァーが腹を立てるのが基本なのだが、時々軽口なのか冗談なのか判別できない発言が返ってくるのが困る。
 おそらく、意味はない、と結論に達するのに、まだ熱をもった脳では少し時間を要し、その間にあっさりと横抱きにされて、また脳が処理エラーを起こす。
 硬直している間に、ひょい、と隣のベッドに移されて、シーツとシーツの間に放り込まれた。
「もう少し寝てろ」
 くしゃくしゃと髪をかきまぜて言い聞かされ、なるほど、と理解する。
 彼にとって今の一連の行動は、高熱を出して寝込んでいた子供の汗だくになった服を剥いで拭って着替えさせ、同じく汗を吸った寝具を取り替える手間を省いてツインルームの未使用のもう一つのベッドに移して寝かせただけのことにすぎないのだ。
 元々、彼の実子と同世代ということもあって、子供扱いされる傾向にあったし、少し前に彼の前で個性影響で幼児化したことで、その認識に拍車がかかった。今回も敵の個性をあっさり食らって迷惑をかけたので、彼にとってホークスは手のかかる子供以外の何者でもないのだろう。
「……おい、何で潜る?」
 息苦しくないのか、と上掛けを剥ごうとする手に抵抗していると、毛布越しに部下から困った声音でフォローが入った。
「ホークス、何か食べられると?」
「冷蔵庫に、うちのスタッフが用意したものが一通り入ってる」
「ああ、助かります」
 寝具の向こうのやりとりの後、問答無用で毛布を剥がれた。
「拗ねとらんで、胃にもの入れて薬飲んで寝る! ほら、何なら食べられると?」
 サイドキックの年下の上司に対する扱いが、完全に手のかかる風邪っぴきの子供に対するものになっている。
「……肉」
「二日寝込んだ後に消化できるもんを言いんしゃい!」
「蛋白質。羽、戻さんと……」
 ぼそりと応じると、部下が大きく嘆息してベッドの上に並べていた中からヨーグルトの容器を投げつけてきた。
「何か用意してくるけん、食べれるもん食べんしゃい!」
 絶対に起き出さないように、と釘を刺された上で、更に全く上司を信用していない態度を隠さず、No.1ヒーローに子守りを依頼していく。
「エンデヴァーさん、その子、俺らがガキ扱いしてもスルーしますけど、エンデヴァーさん相手だと拗ねてヘコむけん、扱い気をつけてください」
 ドアの向こうに消えたサイドキックを黙って見送り、先に投げつけられたヨーグルトを付属のプラスチックの匙で掬ってもそもそと食べているホークスを見下ろしたエンデヴァーが嘆息した。
「十分拗ねてへそを曲げているようだが」
「曲げてません!」
「部下にあまり面倒をかけるのは……」
「今ここにいるエンデヴァーさんに言われたくないです!」
 多忙なNo.1がこんなところで何をしている、と睨み上げてから、心底落ち込んだ。
「……スミマセン、色々とご迷惑をおかけしました」
 自身の失態で丸二日も仕事に穴を空けておいて、更に無駄に機嫌を損ねて迷惑をかけた相手に八つ当たりなど、見苦しいにも程がある。
 みっともない、とまだ熱っぽい顔を片手で覆ってうつむくと、フレイムヒーローが横で狼狽えた気配があった。
 付け根に僅かに残った羽でもその程度は感知できて、一度ホークスの背に手を伸ばしかけた手がもう一つのベッドの方に向かって、また戻ってきたのは察知したが、頭の上に載せられた柔らかな感触については理解が及ばなかった。
 頭上の軽い柔らかなものを掴むと、低反発の独特の感触で布地が形を変える。
「……なんですか、これ?」
「らすとわんしょう?」
 なるほど、ラストワン賞品だったか、と予想よりレア度の高かった一抱えもあるクッションを頭から引きずり下ろして抱え込み、自身の発した言葉の意味を理解していなさそうな男を見上げる。
「一応俺もラインナップに入ってるんで、くじの賞品なのは知ってます。俺が聞いてるのはこれを今渡してきた意図です」
「……これを持たせておくと、落ち着いた」
 高熱で相当錯乱していたらしいが、何があったのか、詳しく聞くのも聞かないのも非常に怖い。
 目の前の実物より百倍ほどかわいらしくデフォルメされたヒーローのクッションを抱き潰しながら、じっと見上げると、少し考え込みながら隣のベッドからウサギに似たぬいぐるみを手にする。
「ミルコが……、いや、そこからではないな」
 最初から、とラビットヒーローのぬいぐるみを見下ろして悩んだエンデヴァーの次の言葉を待ちながら、ホークスは渋い顔をした。
 今回の突入作戦には、武闘派のミルコも参加していた。待機場所は別だったが、ホークスが倒れたと聞いて病院にも同行したのだろう。
 年齢は少し上でプロデビューも当然彼女の方が早いが、人気が出てきた時期がほぼ同じなので、同期のような扱いをよく受ける。向こうはホークスを生意気極まりないスカした鳥野郎と放言して憚らないし、ホークスも筋肉以外にエネルギーいかないんですかね、と毒舌で応戦する仲である。周囲の評は何故か仲が良いことになっているし、本当に険悪なわけでもないが、お互いちょっとでも失態を犯せば、腹を抱えて笑う関係だ。
 つまり、今回のホークスのそこまで重篤にならなかった風邪の症状など、格好のからかいのネタである。いらないことを色々としてくれた気がしてならない。
「深夜二時過ぎに、突入作戦が中止になって撤収になった時点で、様子を見に行ったらおまえが高熱を出していた。譫言で『ぬいの復讐』だと言ったんだが、覚えているか?」
 全く記憶にない、と首を振る。
「病院搬送後、検査を受けさせようにも錯乱して暴れるので、俺とミルコで抑えている間も、『ぬい』が襲ってくるとうなされていて、ミルコがきっとぬいぐるみのことだと言って、病院の隣のコンビニで大量に買ってきたのがこれだ」
「……ラストワン賞がもらえるって、つまりくじ総ざらいしてきたと?」
 何をしてくれているのだ、と同僚への嫌がらせに余念のないラビットヒーローに舌打ちする。
「これを渡したらおとなしくなったので、間違ってはいなかったんじゃないのか?」
「いや、人形に襲われる夢、ってか幻覚? みたいなのは確かに見てたんですけど。なんで襲われる妄想にパニクってる病人に、襲撃してくるもの渡すんですか」
「……ヒーローの人形なら、味方だと思ったんじゃないか?」
 夢の中で人に乗り上げてゲラゲラ笑っていたうさぎのぬいぐるみの存在を思い出し、別にヒーロー人形ならばなんでも良かったわけではないと確信する。
 落ち着いたのは、このフレイムヒーローのクッションだけが理由だ。
 三つ子の魂百までとはよく言ったものである。
 その辺りの事情を懇切丁寧に説明する羞恥プレイに耐える精神力も体力も残っていなかったので、無言でクッションに顔を埋めていると、生え揃おうとして敏感になった翼が背後の動きを感知した。
「エンデヴァーさん、せんでいいです」
 クッションに懐いて落ち着いたと見て、他のぬいぐるみを与えた方がいいとだも思ったのか、横のベッドからぬいぐるみを移し出した男に、顔も上げずに告げる。
「ミルコが、おまえはベッドをぬいぐるみで埋めないときちんと眠れないと言ったが?」
「あんにゃろ……」
 悪質なデマをNo.1に吹き込んでくれたミルコに毒づいて、風評被害だと訴える。
「……楽しそうに写真を撮っていたぞ?」
「漏洩したら、報復手段があるんで大丈夫です」
 その辺りは想定内である。
 悪ノリはするが、あれでもプロヒーローなので馬鹿はやらかさない。せいぜい身内で写真を見せて酒の肴の笑い話にするつもりだろうが、ホークスより隙の多いミルコの方が弱みは多いので、対処できるはずだ。
「……あれ、なんか、病院スタッフが写真上げたんでしたっけ?」
「ミルコが撮っているのを見て、看護師が真似してネットに上げたらしい」
 拡散したのはぬいぐるみに埋もれた写真か、と頭を抱える。
「すぐに病院が特定されて、マスコミとファンが押し寄せてきたので、移動させたんだが、何故かまた同じことになった」
 しつこく人をぬいぐるみで埋めたりするからである。
 しかも、エンデヴァーに人形に埋もれていないと安心して眠れないなどと悪質なデマを吹き込んだため、このホテルに移動後もフレイムヒーローが律儀に枕元に並べてくれたものらしい。
「全部ミルコのせい、了解です」
 責任をとって悪ふざけがすぎたことをSNSで謝罪させて、今回の騒ぎを鎮火させよう、と心に決める。
「仲……」
「良くないです」
 若手組で括られがちな二人に対する評をきっぱりと否定する。
 お互いに弱みを握りあうことを前提に成り立つ、職業ヒーローの友情など存在するはずがない。
 クッションに懐きながら、この貸しを最大限に活用する方法を思案する間に、ぬいぐるみはいらない、と情報を書き換えてくれたフレイムヒーローが、半分程移動させていたヒーロー人形を隣のベッドに戻し、ついでにクッションも取り上げようとしたので、しがみついて阻む。
「……いらんのだろう?」
「冷たくて気持ちいいんです」
 つるつるとした感触の冷たい布地は肌の熱を吸ってすぐに温まるが、押し当てる場所を変えると心地よく冷えている。
「また熱が上がってきている。食べたら薬を飲んで休め」
 額にまた手を押し当ててきた男の顔が非常に困惑していて、その理由を少し悩むが、これが逆の立場でエンデヴァーが自分をモチーフにしたぬいぐるみもどきのクッションを抱えて離さなかったら、困惑を通り越して憤死する。
「他に食べられるものはあるか?」
 空にしたヨーグルトの容器を取り上げ、口にできるものを選べと色とりどりのゼリーだの缶詰を並べてくるフレイムヒーローは全くらしくなく、これも幻覚なのでは、という疑惑が湧いてくる。
 小さな頃、自分が手にしているぬいぐるみがヒーローである、という知識だけで脳内に作り上げていたイマジナリーヒーローの「えんでばー」は、拙い想像の範囲内のヒーロー像で、寒ければ温めてくれて、お腹が空けば何か食べ物をくれて、いつでもそばにいてくれた。
 試しに腕を差し伸べてみると、ひどく困った顔で抱きとめてくれたので、幻覚だ、と確信する。
「もうおとなしく寝ろ、熱が上がってる」
「エンデヴァー」
 少し籠った声を遮って首に縋る。
「抱いて」
 何が詰まっているのか、柔らかかったヒーローの身体が瞬間的にがちり、と固まった。数秒のタイムラグの後、ぎくしゃくと機械仕掛けの動作で抱き込んでくるのに、違う、と首を振る。
「セックスしましょ?」
「ホークス、そこに直れ」
 ベッドの上に置き直されたので、言われた通り正座すると両肩を掴まれた。
「します?」
「しない」
「なんで?」
 じゃあどうしてこの前は抱いたのだ、と首を傾げると、幻覚が大きく顔をしかめた。
「いいか、おまえはつい先程まで著しく免疫が低下していた。次に、おまえは今、病み上がってすらいない。というか、また錯乱しかけている」
 だから手は出さない、と言い聞かされて、更に首を捻る。
「治ったら抱くと?」
 随分と多彩な表情を見せた巨大なヒーロー人形に、問答無用でベッドに押し倒されて、毛布の下に放り込まれたかと思うと、またやわらかな小さな人形に代わって布団の中に潜り込んでくる。
「……クッション」
 違う、これはラストワン賞のふわふわヒーロークッションぬい[特大]だ、と気づき、クッションを抱えて更に特大のヒーローの幻覚を見上げる。
「エンデヴァー」
 呼ぶと、不機嫌そうなくせに、律儀に身を屈めてくる辺り、確実に幻覚だ。
「何でここにいるん?」
「……そろそろ絞め落として寝かせていいか?」
「エンデヴァーさんなら、どっかで事件解決しとるもん」
 検挙率最多舐めるな、と唸ると、ぐ、と唸り返される。音が妙なので、内蔵されたスピーカーに異常があるかもしれない。
「……ここは事務所の隣のホテルだ、俺が出る必要がある時は呼ぶから、こっちにいろと言われた」
 サイドキックで片付く事件は彼らで回しているらしい。人員の潤沢な事務所は良いな、と今回の対応で一人上京してきたことで大変なことになっているであろう己の事務所を思い起こして羨む。
 この暇そうなエンデヴァーを一人もらってはいけないだろうか。
「こっちのエンデヴァーは何で仕事干されとうと?」
「干されとらん。あと、俺がたくさんいるような言動をやめろ」
 仕事のできないエンデヴァーだと困る、とぺたぺたと身体に触れて異常がないかを確認する。電池を交換すれば問題ないだろうか。
「…………焦凍かおまえか、病気はせめてどちらかにしろと追い出された」
 随分と事務所での立場の弱いエンデヴァーである。
「ビョーキ?」
「そうだな……」
 腕をクッションに巻き付け直され、顔を手で覆われて枕に沈められる。
「とりあえず、おまえが熱を下げて、幻覚と会話するのをやめて、へらへら笑って生意気抜かしてれば治るから、とっとと寝ろ」
「俺のはもう治らんもん……」
 傷の多い、少し歪に歪んだ温かい手に顔を覆われて、うとうとしながら応じると、急に眠りに沈めようとしていた手に反対に引きずり上げられた。
「どういう意味だ?」
 形相の変わったフレイムヒーローに、これのことだが、と首を傾げる。
 ブランケット症候群と呼ばれる不治の病である。
 幼児期のぬいぐるみに対する依存は大人になったので治ったものと思っていたが、今回、ぬいぐるみに散々に振り回され、復讐されるはめに陥った。
 といったことを訴えると、少しポンコツのエンデヴァーが頭を抱えて嘆息した。
「……そうだな、それは治らんから寝ろ」
 抱えたクッションごと再度ベッドに沈められ、ばさばさと隣のベッドに積まれていた毛布も重ねて追加される。
「電池、換えます?」
「…………なんか喋れと言いたいんだな?」
 前回より話の早くなったヒーローが、枕元に腰掛けてぼうぼうと唸るのを聞きながら、抱えたクッションに懐く。
「何をしとる?」
「ぬいぐるみは報復してくるんで、されてもいーことしてます」
「はきはきと錯乱するな」
 わざとらしくリップ音を響かせながら熱っぽい顔を寄せていたクッションを毟り取られて、一瞬むっとするが、覆いかぶさってきた男の身体に目を瞬かせる。
 今回の報復は、随分と早かった。