Hummingbird

 ウイングヒーローホークスは、見た目よりもよく食べる。
 その評に異論はないが、そもそもの見た目の認識に多少の不満はある。
 パワーを前面に押し出した、筋骨隆々のトップヒーローの男性陣に囲まれると埋もれがちなのは事実だが、個性によっては己より小さく細身のヒーローも多々いるし、身体的な数値で言えば身長は平均値だ。
 体重はやや軽いかもしれないが、これは飛ぶ個性故の体質で、これ以上筋肉を太らせて重くしたいとも思っていないが、必要な筋肉はしっかりとつけている。
 平均的な体型に、二十代前半の若さ、ヒーローという職業柄トレーニングは欠かせず、犯罪者相手に大立ち回りをすることも多いので、栄養補給はしっかりとする必要がある。
 周囲との相対的な比較から小柄と判断されることが多く、また個性の翼の印象を鷹でなく、小鳥とでも誤認するのか、あまり食べないだろうと思いこまれて、実際の食欲に妙に驚かれる。
 個性も、実は人が思っているより消耗するのだ。
 防寒対策はしているものの、体温と体力が削られる長距離飛行時には、もはや燃料と割り切って飴やチョコレートを口に放り込みながら飛んでいるが、これはまだ理解が得やすい。
 特に動いていないように思われる、剛翼を使った救助活動が一番の鬼門だ。
 凄まじい集中と緊張を強いられながら、怒号や悲鳴、サイレン等の騒音が渦巻く中で要救助者の発する微細な音を聞き分けて、数多の手となる羽を使い分けて同時並行で瓦礫を支え、障害物を避け、怪我人を小康状態に保ちながら浮かせて安全な場所に移動させる。
 何でもないような顔をする癖がついているが、対応が大規模になればなるほど、ひどく疲弊する。
 子供の頃は訓練の度に身動きできなくなるほど消耗していて、研究者にその個性は脳が大量にエネルギーを消費するのだと教えられた。
 脳が消費するのは糖質で、とにかく糖分を補給すること、というのが幼い頃から染みついた習慣だった。
 更に、戦闘の中で羽を失えば、すぐに新しいものが生えてはくるが、これも無から生まれるわけではない。こちらは更に蛋白質やらミネラル、諸々の栄養素を必要とするから、必然的に食べる量は多くなる。
 ここまで説明すれば誰でも納得するが、正直面倒なので、個性上よく食べる、の一言で済ませている。
 そんなわけで、その時ホークスは空腹だった。
 九州から東京までの長距離飛行、その途中に高速道路でトラックの横転事故に行き合い、散乱した荷を多重事故が発生する前に全て回収し、トラックを脇に寄せ、負傷した運転手を搬送し、その対応で遅れた分を取り戻すべく、速度を上げて東京へ到達した時点で、補給食として持ち歩いている甘味は食べ尽していた。
 食事をしている暇などなく、チームアップの打ち合わせにエンデヴァー事務所を訪れて、話し合いをしようとした途端に、エンデヴァーに出動要請が入った。要請が入ったのはNo.1だけだったが、だからといって手を振って見送るわけにもいかない。
 一緒に出動して、植物を操る個性で暴れ回る敵を相手にするエンデヴァーのサポートをしながら、一般人の避難誘導をし、怪我人を搬送し、屋上緑化が仇になって異常成長を遂げた植物によって崩壊しかけたビルの瓦礫を被害が拡大しないように、一つずつ支えて下した。
 完全にオーバーワークである。
 休憩と食事が必要だと判断して、No.1に申し入れたが、言い方を間違えた。
 粗悪なドラッグでも摂取していたのか、支離滅裂なふざけた言動で暴れまわった敵を相手にして、相当にフラストレーションを溜めていたエンデヴァーに、軽い調子でランチでも、などと夕方五時過ぎに告げたところ、じろりと睨んできた目が非常に剣呑だった。
 これ以上は炎上案件だ、と口を噤み、ミーティングを優先することにした。
 長引く打ち合わせではない、終わった後に何か食べに行けばいいし、案外面倒見のいいベテランヒーローがどこか店に連れていってくれるかもしれない。
 少しくらい、空腹を抱えたままでも大丈夫だろう、と判断を間違えた。
「…………打ち合わせが、始まらない」
 どうやら本日、エンデヴァー事務所は多忙だった。
 先の緊急出動以外にも色々あったようで、少し待っていてくれ、と告げた所長がいつまで経っても戻ってこない。サイドキック達も忙しそうで、最初に出してくれた茶は既に冷え切った。
 炎熱の個性を持つ所長のためか、事務所の空調は少し寒いくらいで、ホークスはジャケットの前を閉めて襟元のファーに顔を埋めると、携帯を取り出した。
 ホークスも出先でも仕事はいくらでもある。自身の事務所に連絡を入れて、いくつか指示をし、データをやりとりしているうちに、ようやくエンデヴァーが現れた。
「すまん、遅くなった」
「いえ、こっちも今一通り片付いたところ……」
 笑ってソファから立ち上がりかけて、くたりを身が崩れた。
 しまった、とローテーブルに手をついて身を支えようとするが、その手が体重を支えきれず、そのままテーブルに顔面から激突しかけたところを、背の翼を掴んで支えられ。
 その羽がばらりと外れて、結局倒れこんだ。
 幸い、少し落下地点がずれて、ソファの方に突っ伏すことになったので、硬いガラステーブルに顔から突っ込む惨状は免れた。
「ホークス! どうした!?」
 顔色を変えた男に、悪いことをしたと思う。
 ホークスの個性である剛翼は取り外し自在な羽だが、当人のコントロールが効かない状態では、下手に触れるとぼろぼろと外れてしまうことがある。髪に触れたらごっそりと抜け落ちたような気持ち悪さだろう、と反省して大丈夫だと示すように抜け落ちた羽を元に戻すが、何故か怒られた。
「謝りどころが違う! 何があった、顔色が悪い」
 抱え起こされ、頬に当てられた手が温かい。
 エンデヴァーの体温はいつも高めだが、どうやら今はホークスの体温が相当に低下している。先程寒いと思ったのは、空調のせいではなかったようだ。
「敵の個性か?」
 遅効性の毒のような個性を受けたことを憂慮した男に、ひどい眩暈を堪えてゆっくりと首を振る。
「ただの、低血糖、です。食えば、治るんで、だいじょぶです」
「低血糖?」
「腹が減ってるだけです」
 つい癖で軽薄な調子になって、エンデヴァーの顔に険がこもるのを見やる。
 怒鳴られる、と判断して首にかけていたヘッドフォンを耳に戻してその大喝を防ごうとするが、怒声はいつまで経っても浴びせられなかった。
 おや、と視線を上げると、怒鳴りつける形に開かれていた口から深々と息が吐きだされて、太い腕の中に抱き込まれる。
「申告は、しとったな……」
 苦々しい声で唸られて、すみません、と謝罪する。
「あの、飯食う暇ない状態で、個性使いまくってるとよくあるんで、問題ないです。適当に飴でも舐めて転がってれば復活するんで」
「……普段からよく菓子をかじってたのはそれか」
 呆れはてた声に聞こえた。
 自己管理の甘さを呆れられたのだろうと、もう一度謝罪すると、己の個性に拠らない力で身が浮いた。
「横になっていろ、点滴は必要か?」
 ソファに転がされ、冷えた額に手が当てられる。
「そこまでじゃ、ないです」
 もう少し重篤な低血糖症状になれば、点滴も必要になるが、適当に高カロリーの菓子でもかじって、三十分もおとなしくしていれば動けるようになるはずだ。
 手足が抜けそうな倦怠感と眩暈に半ば朦朧としながらそう応じると、額の上に置かれていた手が退いた。
「待ってろ」
 言いおいて、離れかけた体温の高い手に咄嗟に縋ったのは、ほとんど反射だった。
 弱体化した状態で置いて行かれる不安もあいまって、本能的に温かいものを追った。
「……分かった」
 嘆息が降ってきて、再度、個性を使わずに身が浮いた。
 朦朧としながら、改めて幼い頃からの憧れを再認識する。
 温かくて大きいというのは、それだけで安心の材料になるものだ。

 低血糖の症状は、冷や汗や眩暈や倦怠感、手足の痺れを伴うが、思考力、判断力の著しい低下としても表れる。
 置いて行かれるのを不安がって腕に縋ってきた時点で、相当意識が混濁していた様子だったし、体温も低下していた。少しの間放置するのも危うい印象を覚えて、抱えて移動すると、その度にひらひらと羽が散った。
 当人の意識がはっきりとすれば、即座に元の位置に整列するのだろうが、ぐったりとしたウイングヒーローの背から、彼の象徴である赤い翼が散っていく様は、非常に見る者の心臓に悪い。
 先程まで明るく愛想よく振る舞っていた男の、身動きもままならなくなった姿に、事務所のスタッフ達が肝を冷やした顔でとんでくる。
「個性由来のハンガーノックだ」
 長時間の運動で起こる体内のエネルギーの枯渇からの低血糖症状に近いが、個性が原因の場合、どれだけのエネルギーを費やしているのか分かりにくい場合が多いのが厄介だ。
 この年若い鷹は、飄々と何でもない顔で緻密に個性を操るが、実は相当に消耗するのだろう。
 今日は何度か空腹を訴えていたが、ばたついた現場や事務所に気兼ねしたか、それ以上の主張はなかった。その結果がこれである。
 今後は問答無用で食わせる、と心に決めつつ、砂糖を大量に放りこんだ湯を飲ませて、スタッフ達が慌てて事務所からかき集めてきた菓子の中から高カロリーのものを口に放り込んでいると、申告通り比較的すぐに回復した。
 それまで、口元に持って行った菓子を素直に食べていたのに、茫洋としていた眼が不意に定まったかと思うと、状況を把握して急にもがきだした鷹を、問答無用で抱き込んで抑え込む。
「あの、エンデヴァーさん、もう、大丈夫なんで」
「…………まだろくに動けんだろうが」
 この若造の言動に信を置いたことはないが、大丈夫だの、問題ないという言動は一番疑ってかかるべきだと理解した。
「エンデヴァーさ……」
 懲りずに何か囀ろうと開いた口に、有無を言わさずチョコレートを放り込んで黙らせる。
「……溶けるな」
 摘まんだだけで柔らかく形を変えるチョコレートは、体温の高いエンデヴァーの指をべったりと汚していた。
「すみませ……」
 何故か謝ってくるのを、キャラメルを包み紙から剥いて放り込んで黙らせるが、これも剥す間にべたついた。
 この手の菓子は、どうにも相性が悪い。
 何か対策を考えよう、と嘆息すると、膝の上で鳥がひどく情けない顔をした。

「エンデヴァー事務所の人達、俺のことをハチドリかなにかと勘違いしてませんか?」
 据わった目で睨まれて、エンデヴァーは年若いヒーローを黙って見下ろした。
 相変わらず遠距離をものともせず、東京までチームアップをしに飛んでくるが、先日以来、迎え入れる事務所の対応に少々の変化があったようである。
「すごい菓子の量だな」
「ご厚意は有難いんですが!」
 彼の訪問時には、茶を出す際に茶請けの菓子を山盛りに積んでいくことにしたようである。特に所長として指示したわけではないが、先日のエネルギーを切らせて弱った彼の姿は、ヒーローのサポートを仕事とする所員達の庇護欲に火をつけたらしい。
 最速最年少のウイングヒーローは、所員達の誰よりも若く、体格も小さく軽い。
 実際にはもう五年のキャリアを持った、戦闘にも参画できる強個性の持ち主だが、童顔もあいまって、エンデヴァー事務所の面々が殊更に子供扱いして菓子を与えている節はある。
 その扱いに不満を覚えての、先の発言なのだろうが。
「ハチドリ?」
 確か、花の蜜を吸う小さな鳥だったという知識はある。
「常に蜜吸ってないと死ぬ鳥ですね」
 苦々しく説明されるが、どうも言葉が少ないようなので、省いた言葉がかなりあると知れて、手元の携帯で検索をかけてみる。
 花の蜜を吸う小さな鳥、という認識に誤りはなかったが、その食餌に特化したためのホバリングを可能とする羽ばたきの高速化、その羽音からついたハミングバードの英名、蜜を吸うための運動量によって、常に蜜を摂取していないとならない本末転倒した生態、蜜が吸えず、気温が低下する夜間には、冬眠に近い仮死状態となって気絶する、といった、今後役立つことがあるか分からない知識を得て、なるほど、とうなずく。
「ヒーロー名を改名したらどうだ?」
「言っておきますけど、エンデヴァーさんがそういう態度だから、周りが真似……」
 姦しく囀る口に問答無用で砂糖菓子をねじこむ。
「……甘?」
 純粋な砂糖の塊は口に入れた瞬間に溶けたようで、他の菓子のように詰め込んで黙らせる役には立たなかったが、甘さだけを残して溶け消えた感覚が不可解だったようで、気が逸れたらしい。
「砂糖……?」
 季節の花の形に押し固めた和三盆糖の包みを持っていけと押し付けると、鷹の名を持つヒーローは矯めつ眇めつして鳥のような仕草で首を捻った。
「どういう顔でこれ買ってるんですか?」
「この顔だが、文句あるか?」
 若造の生意気な顔を片手で覆って指先に力をこめると、騒々しく謝罪の声が上がる。
 毎回似たような口の滑らせ方をして学習しないので、鳥頭なのだろう。
 懲りずにまた何やら開いた口に問答無用で砂糖菓子を放り込んで、おそらく今日中に無くなる菓子をまた買い足すことに決めて、エンデヴァーは深々と嘆息する。
 猛々しい猛禽の名を冠した青年の能力を疑ったことはないが、どうしても日常の場におけるこれは、鷹というよりは甘味を求める小鳥に思える。
「……ヒーロー名、本当に改名したらどうだ?」