左手の法則

左手の法則

【弱虫ペダル 荒東】
2016/08/12発行
文庫p152/4Cカバー+1Cオフセ本/700円

スペアバイク後の14歳東堂がタイムリープして、高校2年の17歳荒北に会う話。

サンプル文

 

 ホームルームが終わった後、友人が浮かれた足取りで机までやってきた。
「尽八、今日うちに寄ってくだろ?」
 誘いではなく、断定で話し始めた糸川に、東堂は宿題のプリントの最後の設問のマスを埋めながら生返事を返した。
「今日、来年モデルのフレーム入るって言っただろ! ビアンキ組み立て終わってるらしいから、見に来いよ」
「びあんき」
 きっと、友人が今非常に心血を注いでいるスポーツバイクの、メーカーブランドの名前だろう。聞き慣れないカタカナ語ばかりで、正直なかなか覚えられない。
「見ても構わんが、オレはリドレイでいいぞ?」
「一応、他のもちゃんと見てみろよ、ガンコだなぁ」
 まあ、リドレーいいよな、とやにさがったのは、彼の乗る愛車がそのブランドだからだ。先日、彼がレース中に足を痛めて、代わりに途中から東堂がその機体を引き継いで走って入賞した。
 あの時感じた高揚を、もう一度確かめてみようと、友人と同じ自転車が欲しいと伝えると、彼はひどく喜んでどっさりと各種メーカーのカタログと入門書を寄越してきて、ここのところ毎日のように、自転車屋である実家に誘ってくる。
 これまで、彼の語る自転車の魅力なるものを半ば聞き流してきたが、興味をもって接してみると、なかなかに面白かった。しかし、自転車の名前も用語も何もかもが横文字なのが困る。カタカナはどうにも頭に入りにくい。
 しっかりと覚えたのは、先に乗った友人の自転車のブランドだけだ。
「ビアンキなら、入門用ロードは結構手頃な価格だぞ。……まあ、手頃って言ってもあれだけど……」
 自転車といえばママチャリの価格帯が基準となる東堂にとって、カタログで目にした価格の桁が未だに信じられない。
「……やっぱ、買ってもらえなさそう?」
「いや、買うのは自分の貯金からだ」
 値段がネックになっているのかと問われて、そう告げると、幼馴染みに金持ちと喚かれて閉口する。
 これまでのお年玉や小遣いを貯金していたら、それなりにまとまった額になっているだけのことだ。東堂の親は子供に物を買い与えるタイプではなく、現金を渡して使い方を監督する方針で、これが普通なのだと思っていたが、クラスメイトと話していると時々齟齬に気づかされる。
 資金はあっても、親をきちんと説得できなければ購入できないという東堂家の常識を、欲しい物は親に買ってもらうものだと考えている同い年の友人達に理解させるのは案外に難しい。
 どう説明しようか、と悩みながら手にしていたシャーペンをくるりと回すと、友人が妙な顔をした。
「なあ、尽八何でさっきから左手で書いてんの?」
「なんとなく」
 適当に応じると、またカッコつけて、とぼやかれる。
「左手で書く自分、カッコイイとか思ってんだろ?」
「オレは元々左利きだぞ」
「嘘吐け! オレ、お前のこと小学校から知ってんだからな!」
 地元の小学校はクラス数が少ないこともあって、三年と四年の二年間だけ別れたが、残りの四年はクラスも一緒である。
「だけど、左手でもちゃんと字書けんのな。何でも器用だよな、お前」
 プリントを覗き込んで、幼馴染みが嘆息する。
 いつも自分が書く、習字で覚えた硬筆での楷書の書き方とは異なる、少し癖のある字を見下ろして、東堂は小さく嘆息して終わらせたプリントを畳んだ。
「親が、自転車にあまりいい顔をしないんだ」
「何で?」
「最近、ロードバイクで箱根に来る人が増えているだろう。広くもない道で、何台も続いて走ったり」
「あー、長すぎるトレインはちょっと危ないよな」
「車からすると遅いし、歩行者にとっては速くて危ない。この前、とうとう人身事故があったからな。あれで決定的に心証が悪い。あんなブレーキも付いていない、自分にも周りにも危険な乗り物は絶対許さないと」
「違う! ブレーキ付いてないのはロードじゃない! ピストでも、そんなもんで公道走っちゃダメだから! ブレーキないピストってのは、完全にレース用のトラックしか走っちゃいけないことになってんだよ! あの事故は、法律無視した最低の馬鹿がやらかしたことで……! ロード乗りはそんなこと……まあ、ちょっと、最近ブームでマナー悪い人も増えたけど……」
「オレに怒っても意味ないぞ?」
 母の主張する意見が一部間違っているのは、まだ知識の浅い東堂も察しているが、既に深く根付いたスポーツバイクに対する不信感を拭い去れるだけの論拠を持たない。
 ブレーキのない自転車で、前もろくに見ずにヘッドフォンで音楽を聴きながら暴走した上に、観光客をはねて重傷を負わせた事件は、この観光地で旅館を営む両親に最悪の心証を残した。
 これまでならば、仲の良い糸川が自転車屋を営んでいることもあり、スポーツとして自転車を始めたいと言えば反対されなかっただろうが、今はとにかくタイミングが悪かった。
 息子が加害者にも被害者にもなりうる自転車に乗るなど、絶対に許さないという姿勢である。
「あー、タイミングなー」
「とにかく、今はちょっと難しいな」
 いつなら通るかと言うと、これだけ強くスポーツバイクは危険と刷り込まれた母を説得する方法を東堂は思いつかない。
 手詰まりな状況に一つ嘆息して、とりあえず話題を変えることにする。
「それで、そのびあんきというのは、何が特長なんだ?」
「んー、色かな」
「色?」
 またコンポがどうの、フレームが、素材が、と話し出すものだと思っていたので、思いがけない言葉にきょとんとする。
「ブランドカラーっていうのかな、ビアンキっていったらチェレステっていうフレームの色があるんだよ。ちょっと独特な青色なんだ」
「青」
「水色っていうか、青緑っていうか。うち、今日までチェレステの在庫なかったから、尽八見てないだろ」
 見れば分かると言われ、それもそうかと鞄を肩にかけて立ち上がる。
「東堂くん、バイバーイ」
「もうカチューシャしないの、東堂君」
 教室のを出る手前で、女子二人に声をかけられて挨拶を返すと、嬉しげな悲鳴が小さく上がる。
「何でお前にだけ言うかな!」
「オレに話しかけたかったからじゃないか?」
「知ってるから言うな!」
 こんな性格なのに何故モテるのだと嘆く糸川に、見た目、と坦々と返すと、だから性格、と頭を抱えて騒ぐ友人は実に面白い。
「そういや、お前カチューシャしなくなったよな」
 切り替えの早さも、東堂がこの友人を好きな理由である。
「まだ自転車買ってないからな」
 邪魔にならないから、と答えると、その方がモテるからだろうと絡まれる。
「何を言っている、カチューシャをしていった日はいつもよりモテてただろう」
 レースの翌日、周りの評価を見ようと学校にして行ったら、いつもより女子に囲まれたのを忘れたか、と問うと覚えていると唸られる。
「お前、本当に何でも恵まれてるよな! 顔良くて頭良くてスポーツできて金持ちで女にモテて!」
 冗談のつもりで噛みついた友人に、一瞬だけ動揺した。
「尽八?」
「……僻みか」
「うるさい! ハイハイそうだよ、僻んでるよ!」
 横で大騒ぎしはじめた糸川に、行くぞと声をかけて、すたすたと歩きだす。ムカつく、と喚く声を背に受けながら、東堂は内心首を傾げた。
 自分は、恵まれているのだろうか。

 友人の店で見せてもらった新型モデルという自転車は、確かに不思議な水色だった。
 女の子の喜びそうな色だと言えば、女性にも人気が高いのだと説明された。男が乗っても違和感があるほど可愛らしい色ではないので、男女共に人気があるというのはうなずけた。
 それは認めた上で、リドレーがいいと告げれば、まあそう言うと思っていた、と長年の付き合いの友人がうなずいた。
 それでも水色の自転車がたくさん載った分厚いカタログを強引に貸してくる辺り、友人もマイペースだ。初心者向けの「初めてのロードバイク」なる自転車の選び方雑誌も押し付けられて、荷物が非常に重い。
「ただいま帰りました」
 旅館の裏手から入って、裏口で声を上げる。
 丁寧だな、と遊びにきた友人にからかわれることもあるが、家族以外の従業員も出入りするので仕方ない。
「あら坊ちゃん、お帰りなさい」
 今日も従業員に声をかけられて、ぺこりと頭を下げる。
 この坊ちゃん呼ばわりも同級生にからかわれる要因だが、以前ゴネてみたものの、古株の従業員はほぼ直らなかったのでついに諦めた。
「さっき、女将さんが探してらっしゃいましたよ」
「母さんが?」
 何だろう、と首を捻ったところで、当人が向こうからやってきた。母の和装姿は見慣れたものだが、これもしばしば同級生のからかいの的だ。仕事で着ているものをからかわれる理由が分からないので、相手にしたことはない。
「遅かったのね」
「修作の家に寄ってたから」
 あまり先方の迷惑にならないように、と釘を刺した後、母親はちょうどよかった、と用件を告げた。
「その糸川さんのところで、今度自転車買いましょう」
「えっ」
 思いがけない言葉に、思わず声が上擦った。
 あれだけ強固に自転車なんて、と否定していたのに、どういう風の吹き回しだろうと母の顔をまじまじと見る。
「今ある自転車、あまりに古くて重くて乗りにくいでしょう。尽八以外誰も乗らないし。あれとは別に、皆が気軽に使えるように電動自転車というの? あれを買おうと思うから、今度パンフレットをもらってきてくれる?」
「……分かった、修作に頼んでおく」
 一瞬膨らんだ期待は即座に萎まされて、その気分が声に顕著に表れていたらしい。
 息子の胸中を読み取った母が、ここしばらく続いている子供のわがままに表情を険しくした。
「まだ、あんな自転車が欲しいなんて言っているの」
「……母さんは、ロードバイクを誤解している」
 言い返せばますます頑なになるのは分かっていたが、ぼやくように言うのを止められなかった。
 案の定、息子の反抗的な態度に母は非常に機嫌を損ねた。
「あんなもの、絶対に許しません! 最近のお前は何なの、みっともない格好をしたがったり、自転車なんかに乗りたがったり。もうすぐテストでしょう、遊んでばかりいないで勉強しなさい!」
 子供の言い分など聞く耳を持たないとばかりに、一方的に叱りつけて立ち去った母に、一つ嘆息すると、東堂は自転車のカタログが詰まって重い鞄を肩に担ぎ直して自室に向かった。

 来週からは中間試験なので、苦手な理科の教科書とノートを開いて、重要な部分にマーカーを引いて、ルーズリーフに書き出していく。
「ええと、電、磁、力……?」
 理科の教師がこう覚えろと言っていた、左手の親指と人差し指、中指をそれぞれ三方向に直角に広げる形を作って、手首を捻りながら首も捻る。
 この法則が結局どういうことなのか、今ひとつ理解できていない。
 左手をそのまま、右手でシャーペンを持って、書き出しかけた字が、その前に書いていた筆跡と大きく異なって、その手を止める。
 今も通っている習字教室で教えられた硬筆の書体は、教師やクラスの女子から褒められる程度には整っている。「磁界」と書いた単語だけが、留めやはらいが整っていて、妙に浮いたそれを消しゴムで消して、左手に持ち替えたシャーペンで書き直した。
 少し丸みを帯びた、右下がりの文字は右手で書いた文字に比べて随分と子供っぽい。
 この方が、年齢相応な気がして、最近は左手で書いている。
 昼間、幼馴染みは一蹴したが、元々東堂は生まれつき左利きだ。ただ、筆記も食器の扱いも、小学校に上がる前に右手を使うように矯正されている。
 小さな頃は、よく左右を混乱して周りに比べて不器用だったが、今ではすっかり、どちらも器用に使える。
 左手を使うと親が嫌がるので、右手を主に使うようになっていたので、長年の付き合いでも東堂が左利きだと知らない者が多い。その事実が最近急に嫌になって、あえて左手を使っている。
 たぶん、いわゆる反抗期なのだろう、と自覚している。
 同世代に比べてみると、自分の家は少し特殊だ。百年近く続く老舗の旅館の伝統などというものが、どれだけ本当に大事なものなのかよく分からない。家名を背負って、みっともない真似をするなと口うるさく言われて育っていて、これまでは言われるままそれが正しいのだと思ってきたが、生来の左利きさえもが、親にとってはみっともないことなのだと気付いてしまった。
 生まれつきの体質まで親に否定されていることに反発はあるが、本気でグレてみようとは思わない。この辺り、己の美意識が許さないのだが、不良はだらしないと感じる思考までもが親の教育の結果でないかと気付いてしまい、最近、少々鬱屈している。
 ロードバイクに執心しているのは、そんな鬱屈が全部吹っ飛んだからだ。己の中にしかない力を全部振り絞って、全部切り捨てて、切り捨てた分だけ背負ってゴールまで持って行くあの感覚を、高揚を、もう一度体感したい。
 なのに、そのロードバイクを強硬に反対されている。
 ちらりと、ペン立てに挿したカチューシャに目を向ける。
 先日、箱根学園の自転車部のマネージャーからもらったものだ。不要だと付いていたリボンを引きちぎったところ、大変がっかりさせてしまい、結局これはもらって、代わりの髪飾りを買って、同じ学校に通う姉に渡してもらった。
 しばらく付けてみていたが、親には非常に不評で、みっともないとうるさいので渋々外している。
「……オレ、恵まれてるかな……?」
 同級生がからかうほど、金持ちの家というわけではない。文化財に指定されている立派な門構えや、ガイドブックに必ず載る内装は、利用客のためのものであって、その家の子供だからといって好きに使えるわけではない。金銭的な事情で何かを諦めなくてはならないような家ではないので、そこで不自由はしていないが、それは他の友人達もそう変わりない。
 恵まれていないとは思わないが、何一つ不自由ないというには、少し息苦しい。
 左手で手慰みにペンを回しながら、これも母親が見ると眉をひそめるなと思いながら、ベッドの上に置いておいた、自転車のカタログに手を伸ばす。
 独特な水色のカタログを手に取ろうとして、左手からうっかりシャーペンを弾いてしまったことに意識が向いた。椅子に座ったまま、身体を捻ってベッドに向かって手を伸ばしていたところに、意識を逸らしたものだから、呆気なくバランスを崩した。
 しまった、と思うがもう体勢を立て直せない。
 椅子ごと倒れ込んで、ベッドに転がったのだろうか。あまり、痛くない、と思う間もなく、胸倉を掴んで引きずり上げられた。
「えっ?」
 重力に逆らって引きずり上げられた先に、凶悪に歪んだ男の顔があった。
 固められた拳が目の前に迫って、意味も分からないまま咄嗟に目を瞑ると、直前で逸れたらしい拳が左頬をかすめてマットレスを沈めた。
 そっと目を開けると、歪んだ男の顔に、僅かな困惑が滲んでいた。
「…………誰だ、テメェ?」
 正体不明の男の、低く押し殺した声に問われて、びくりと身が竦んだ。
「え、だ…れ……?」
 呆然と、突然現れた男を見上げ、これはどういうことだと混乱する。
 家が客商売ということもあり、同級生達に比べて東堂の両親は行儀にうるさい。だらしのない姿勢、みっともない格好をするな、とあまりに言われるとうるさくも思うが、こうしてだらしなくペンなど回しながら椅子に横着に座っていたから、みっともなく転ぶようなことになったのだ。
 夜中に一人で自分の部屋で椅子ごと転んで、痛い思いをするくらいは自業自得だろう。うまくベッドに倒れ込んだのは僥倖だったが、のしかかってきた男の存在が理解できない。
 これも行儀の悪さが招いたというのかと、一瞬のうちにくだらない方向に思考が向かい、はたと我に返る。
「だ……れだ!」
 不審者が自室に押し入ってきたのだ。
 旅館の母屋と東堂の家族が寝起きする離れは建物自体は分かれていて、宿泊客が迷い込んでくるようなことは通常ありえないが、同じ敷地内にあるので不心得な人物が入り込もうとしたことが過去にもあった。
 戸締まりについては昔から厳しく言われているが、特に最近は年頃の姉がいるので親も心配している。つい先日も、手伝いに表に出ていた姉にしつこく絡んで、離れの方までついてこようとした迷惑な客がいた。
 姉の部屋と間違えたのでは、と思い至って、かっと頭に血が上った。
「出て行ってください、警察を呼びますよ!」
 客かもしれない、というのが頭の片隅にあったので、口調だけは取り繕ったが、手加減はしなかった。
 思い切り男の胸を突き飛ばして、とにかく組み敷かれた状態から抜け出そうともがくが、驚いたように体勢を崩しはしたものの、男の身体を完全に退かすことができなかった。
「姉さん逃げて! 人呼んで……!」
 隣の部屋にいるはずの姉に危険を知らせようと声を高めると、焦ったらしい男が身を捻った東堂の振り回す両腕を掴んでベッドの上に縫い止め、口を掌で塞いだ。
「おい、バカ、大声出すな!」
 そんなことを言われておとなしくしたところで、何の解決にもならない。思い切りその手に歯を立てると、予想以上の嫌な感触と血の味が口内に広がって、動揺した。
「ってェ……!」
「あ……」
 取り返しのつかない怪我をさせてしまったのでは、と焦って振り返ると、左手を押さえて顔をしかめる男につい動じた。
「あ、あんたが、勝手に人の部屋に入ってくるから……!」
 この男は不法侵入者なのだ、と己に言い聞かせるように声を上げると、男は妙な顔をした。これまで相手の顔をよく見る余裕などなかったが、随分と若い。高校生くらいではないだろうか。
 姉と同じ学校のストーカーか、と睨みつけると、ますます妙な顔をする。
「東堂、だよな……?」
「弟だ」
「え、東堂の弟……いや、え? 弟いンの? さっきまでいた東堂は……?」
 訳の分からないことをぶつぶつと言う男は、相当に頭がおかしいのかもしれない。
「出ていけ……!」
「……あのな、東堂。ここ、オレの部屋」
「何をふざけたことを……!」
 いいから出て行け、とドアを指さそうとして、左手の人差し指の先に、ドアがなかった。
「え……?」
 十四年暮らしてきた部屋の間取りが違う。慌てて周囲を見回して、ベッドと机、チェストでほぼいっぱいの狭い部屋に気がつく。ベッドの横の壁に吊したハンガーには姉と同じ箱根学園の男子制服。机の上には教科書やノートが乱雑に広げられていて、床の上にもダンベルやら学校鞄が置かれ、あまり片づいていない部屋は余計に狭く感じられた。
 自分の、部屋ではない。
「ここ、どこ……?」
「オレの部屋ァ」
 混乱した東堂に、どこかだるそうな物言いで、男が繰り返した。
「だって、オレ、さっきまで、自分の部屋にいたんだぞ!?」
「…………お前が東堂だって言うなら、お前の部屋は隣」
「は?」
 噛まれた手を押さえていた男が、何とも妙な顔で東堂を見下ろした。
「お前、本当に東堂尽八?」
 訳の分からない状況に混乱しながら、名を呼ばれて東堂は小さくうなずいた。
「オレが知ってる東堂は、オレと同い年のカチューシャ頭のアホ。うるさくてバカ。オレの部屋に押し掛けてきて、さっきまでそこでダベってた」
「…………何言って……?」
「で、オレにはお前が東堂っぽく見えンだけどォ、なんか、小さいンだよネ」
 意味が分からない。
 呆然と男を見上げていると、一つ舌打ちした男は東堂の腕を掴んでベッドから引き起こした。逆らうことも思いつかずに、カーペットの上に立つと、随分と背の高い男は立っても見上げないとならなかった。
 そんな東堂の頭の上に手を置いて、何かを測るかのように数度頭の上で手を弾ませた男は、一つ深々と嘆息した。
「でさァ、オレが知ってる東堂は高二なんだけど、お前、今いくつ?」