単館上映

単館上映

【デュラララ!! シズイザ】
2017/12/30発行
B6p20/4Cオンデマ/200円

芸能界デビューしたばかりの平和島幽視点の来神時代シズイザ。

サンプル文

 

 平和島幽は、家族にも仕事にも恵まれている。
 仕事はといえば、芸能界に入り、初めての映画出演で主演した。
 映画といっても、ビデオ展開のみのいわゆるVシネマで、内容もタイトルを聞いただけで大概の人間は何とも言えない笑みを浮かべてみせる。
 だが、羽島幽平という芸名で活動する当の本人は、この映画に出演させてもらったことは得難い体験だったと思っている。
 いわゆるB級映画ではあるが、そういった内容を好む層の評価は上々で、口コミで広まってビデオの売り上げもレンタル状況も良いらしい。試験的にミニシアターで短期間の単館上映も決まった。それが幽の地元である池袋だったので、両親がかなりの枚数のチケットを買って知り合いに配って回っているのも、兄がその交友関係の範囲内でチケットを配ったり、時間が合う限り観に行ってくれているのも知っている。
 他人が何と言おうと、家族にも仕事にも恵まれていることを、幽は確信している。
 少しレトロな雰囲気のカメラと、財布を手にして、少し出かけてくると母に声をかけて家を出る。
 この8ミリフィルムのビデオカメラは、その先日出演した映画の監督から手渡されたものだ。素人同然の新人に対し、自分がフレームのどこに収まっているのかを常にイメージするように、と教えてくれて、自分でも撮ってみるといいと、監督が昔自主制作で映画を撮るのに使っていたというカメラを渡してくれた。
 撮影の合間に、監督やスタッフに教えてもらって、自分の手で映像を作るのは新鮮で楽しく、あまり感情が表面に出ない自覚はあるのだが、周りにはだだ漏れていたらしい。映画のクランクアップの祝いと称して、貸してくれていたカメラをそのままプレゼントされた。
 また撮ろう、それまでに撮影の方の腕も磨いておくように、と告げられたのは、社交辞令だったかもしれないが、幽はその言葉を信じて暇さえあればカメラを手にするようにしている。
 現像が必要で、撮れる時間も短く、フィルム自体も安くないので、なけなしのギャラをそんなものにつぎ込んでいる次男に、母親は今時もっと安くて長時間撮れてすぐにテレビに繋げられるビデオカメラが出ているのに、と愚痴るが、幽はこの手間のかかる8ミリフィルムでの撮影が気に入っていた。
 今日も、現像を依頼していたカメラ屋にまず向かって、リール状に巻かれたフィルムを受け取って、新しいフィルムカセットを数本購入してから、改めて行く先を悩んだ。
 できれば兄を撮りたかったのだが、この土曜の休みの朝からどこかに出かけてしまっていた。
 もしかしたら、何回目かの幽の映画を見に行ったのかもしれない。
 とりあえず目的を決めず、ぶらぶらと街を歩いて、気になったものを撮ろうと決めて、店の外を出る。
「……あ、犬」
 公園の方まで歩いてきて、大型のシベリアンハスキーを連れた女に咄嗟にレンズを向ける。
 最新のハンディカメラとは見た目からして異なる、8ミリフィルムのカメラを向けると、警戒されることも多いが、ペットに対しては寛容な飼い主が多いことは最近知った。
 加えて、芸能事務所にスカウトされる程度に整った幽の顔で、モデルの仕事で覚えた笑みを浮かべてみせて、カメラの勉強中なのだと説明すれば、大体のことはまかり通ることも知った。
 今も、にっこりと笑って撮影の許可を求めれば、飼い主は僅かに顔を赤らめて自身の髪を直してうなずいた。
 やはり笑顔は大事だ、と表情の乏しさがマイナスだと所属事務所からも注意されていることを再確認する。カメラの前では自在に引き出せるようになってきたのだが。
 人懐こく、カメラに向かって突進してくる犬を無表情にいなして撮影に適切な距離を保とうとし、ファインダーの中で、犬を避けた人の靴の動きに気づいて、レンズから目を上げる。
 興奮してリードの許す限りの範囲を跳ね回る犬を避けた、その靴の動きだけでなんとなく予感していた通りの顔がそこにあった。
「……臨也さん」
「あれ、幽くん?」
 驚いたような顔がわざとらしく思えるのは、育ちの良さそうな雰囲気の彼の本性を、ほんの一部だけ知っているからだ。
 折原臨也、兄の天敵。
 幽にとってはその認識だけで十分だ。
 兄の静雄がこの男を忌み嫌い、彼も静雄を嫌って、隙あらば陥れようと画策し、そのためになら平然と幽を利用する。
「犬、苦手なんですか?」
 身体の一部が映り込んだだけでも、誰だか分かる特有の軽い足取りが、一瞬乱れたように見えたのだが、にっこりと微笑んでハスキー犬に向かって屈み込んで撫で回した臨也の挙動に恐れはなかった。
「え、何で? 別に普通に好きだけど?」
「そうですか」
 坦々と返してカメラを構え直すと、日本の男子高校生とは思えない器用さでウインクを一つ寄越した臨也は、新たに構ってくれる人間の登場にますます興奮した犬の熱烈な歓迎に向き直る。
 青い目の精悍な顔立ちのハスキー犬と戯れる美形というのは実に絵になるもので、飼い主は目の保養とばかりににこやかに見守っているし、幽が構えたカメラのせいもあるのか、通行人が立ち止まって、何の撮影かと囁き合うのが聞こえる。
 自分がフレームの中にどう収まっているのか、常に意識しろと繰り返したのは、このカメラをくれた監督だったが、俳優を志しているわけでもないくせに、目の前の男はそれを体現していた。
 自身がカメラの中で、また通りすがりの人の目にどう写っているのかを熟知した仕草で笑ってみせる兄と同い年の男に、素直に感心する。
 犬が苦手なら、これほど大型の犬はさぞかし怖いだろうに、まるで気取らせない。
 きっと兄と相対する際も、こうなのだろう。
 本当は怖いのか、そんなまともな精神構造を持ち合わせていないのか、幽には判断がつかないが、まるで対等な顔をして兄に恐れを見せない。
「臨也さんって、芸能界に興味ないんですか?」
 芸能界に入って、男女問わず信じられないくらいに美しいモデル達や、凄まじい表現力を有した役者に接する機会はあったが、この男のようなものにはついぞ巡り会っていない。
 もし彼にその気さえあれば、稀代の名役者として名を馳せるだろうが。
「幽くん、俺は君と違うんだよ」
 柔らかく笑ってカメラ越しに視線を向けてきた臨也の声音には多分に含むものがあったが、幽がそれに反応するより前に、犬の飼い主が嬉しげに口を挟んだ。
「あら、やっぱり二人とも俳優さんなの? テレビで見たことある気がするわぁ」
「いえ、カメラを持ってる彼だけですよ。今上映中の映画で主役もやってます。もしよかったら、どうぞ観てください」
 何故、短期の単館上映しかしていない映画のチケットが当たり前のように出てくるのだと、表情を動かさずに舌打ちする。
「羽島幽平くん、応援してくださいね」
 何故、折原臨也に営業されないとならないのかも理解できない。
 芸能人としてやっていくのなら、ファンサービスは大事だと言葉にせず圧をかけてくる臨也に逆らわず、舞い上がった飼い主に握手とチケットにサインのサービスをして、ハスキー犬の頭を撫でて別れた後、当然のように横を歩く男に冷たい目を向ける。
「なんで臨也さんが、映画のチケットを持ってるんですか?」
「ここのところ、シズちゃんがチケットを持ってウロウロしててね。ほら、君のお兄さん、友達いないから。配ろうにも新羅くらいしか渡せない姿があまりにも哀れで、仕方ないから俺がまとめてもらってあげたんだよ」
 余計なお世話極まりない。
「兄が頼んだとは思えませんが?」
 純粋な善意と好意だとばかりに微笑む男に、今更惑わされることはないが。
「ここのところ、チケット返せって追いかけ回してくるんだよねえ。そんなことしてる間に公開終わっちゃうんだから、おとなしく俺に配らせてればいいのに」
 なるほど、ここのところ、兄が早くに家を出て、遅くなってから帰ってくるのは、チケットを取り返すために、この男を追いかけているせいらしい。
「返してください」
「んー、映研の連中に全部渡しちゃった」
 先程持っていたのは何だ、と突っ込むが、これから観に行くための一枚だったのだと嘯かれる。
「あ、面白かったよ、吸血鬼忍者カーミラ才蔵」
「……どうも」
 設定が荒唐無稽で低予算の荒が目立つのは確かだが、娯楽映画としては普通に面白いと自負しているが、この男に言われると反発と不快感が先立って、素直に礼を言えない。
「あの監督、低予算だから面白いのか、予算あったらもっとスゴイの作れるのか、どっちのタイプだろうね?」
 もちろん、後者に決まっている、と口にする前に笑われた。
「カメラまでもらって、尊敬してるんだもんね?」
 何でそんなことまで知っているのだと、柔らかな声音で人の心をやする男に苛立つ。
 感情の起伏がゆるやかな幽でもこれほどに気持ちを波立たせる男に、兄はさぞかし振り回されているのだろう。
「最近はいつもカメラを持って色々撮ってるんだって? 幽くんがどんなものを撮るのか、俺、興味あるなぁ」
 これほど苛立たされているのに、一瞬手にしていたカメラを構えかけるような、極上の笑顔に、平和島幽は人としても役者としても、少しだけ絶望した。