空に鳥がいなくなった日

空に鳥がいなくなった日

【僕のヒーローアカデミア 炎ホー】
2021/03/14発行
文庫p84/2Cオフセ+封筒+ポストカード/500円/R-18

スチームパンクパロセフレ炎ホ。
新進気鋭の飛空士のホークスにセフレ関係を強要されるエンデヴァー。ホークスの意図が掴めず、困惑しながらも関係を続けていたある日、ホークスが行方不明になり……。
ポンコツラブです。
本とSS付きポストカードをセットにして封筒に封入して頒布しています。

サンプル文

 

 事の始まりは雨だった。
 さほど激しくもなく、ただ広範囲に長く降り続いた雨は各地に氾濫や洪水をもたらし、そして、止まなかった。
 一晩で海面が百メートル上昇したと言われる異常気象に、人類は為す術もなく水に沈み、文明は一度滅んだ。人類の文明とは河と共にあり、世界の多くの大都市は水際に接していたのだから、ひとたまりもない。
 その後も雨は降り続き、災害前から五百メートル程上昇したと言われる海面は未だに引かない。北極と南極の氷が全て溶けたとしても、これほどの海面の上昇は有り得ず、この災害を引き起こした水が一体どこから来たのか、知る者は誰もいない。
 災害の原因を突き止めるより前に、高地に僅かに生き残った人類がまず直面したのは、その後の異常気象と、海に沈んだ都市由来の海洋汚染、それらに起因した食糧難、疫病の発生、少ない資源を奪い合う争乱だった。
 いつしか異常は日常となり、悪夢は現実として人は環境に適応し、一度崩壊した文明は再度新たに構築された。
 再びの災害を恐れた人類は更に高地に街を作り、海に沈んだかつての都市の上に水上作業区を設けて資源を引き上げた。海洋は未だに汚染が酷く、その生態も大きく狂って、巨大な凶暴生物が跋扈する魔境となっており、引き上げた資材を高地に築いた都市に運搬するには空路が主流となっていた。
 海によって分断された都市を繋ぎ、資材を運搬し、未開の地図を更新して人類の世界を広げていく飛空士が、今の子供達の憧れの職業である。

 飛空士の仕事は、単純に物資の運搬だけではない。
 荷を狙う賊を退治し、航路の安全の確保と拡張、海上作業区周辺の危険生物の掃討、水際の安全も担う。運んだ物資の流通、販売にも責任を持ち、商社としての役目も果たす。小さな集落においては犯罪の取り締まりや治安の維持といった、司法権すら委任される立場である。
 無論、飛空士にもピンからキリまであって、移動空域を限定して荷物運びをするだけの末端から、多くの飛空士を抱え、多岐にわたる権限と武力、機動力を有した巨大組織まで様々である。
 エンデヴァーがどちらに属するかといえば、後者だ。
 多くの配下と飛空挺を有し、王国とまで形容される大企業となった会社に君臨する絶対君主、それが他者からの評価だ。
 資格を取って十代で空に出て、身一つでここまで成り上がった。英雄としての名声や人気としては、近頃引退した男に最後まで一歩遅れを取ったが、社会に対する貢献度は引けを取らないという自負もある。
 順風満帆の人生だの、挫折を知らないだの、悩みなどなく全てが思うがままなのだろうなどと、好き勝手に外野は言うが、他人を指して悩みがないなどと宣えるような知能の人間に割く興味が無いのでどうでもよい。金と権力と武力を有していれば、この世界で思い通りにならないことなどほとんどないのは事実である。
 ただ、最近、どうにもままならないことが多い。
「親父、ちょっと聞きてぇんだけど」
「なんだ、ショート!?」
 帰港を間近に控えた艦橋で、息子からの珍しい呼びかけに勢いよく振り返ると、心底面倒くさそうな顔をされる。
「アカデミー卒業記念の指輪って作ったか?」
「……ああ、もうそんな時期か」
 必要最低限の質問しかしてこない末息子が、船の運航に関わる以外の質問を投げかけてきたことに虚を突かれたが、すぐに彼が通う飛行学校の卒業を控えての、記念指輪選定のことだと気づく。ついこの間入学したばかりだと思っていたのに、もうそんな時期か、としみじみしていると、息子はさっさと父親に見切りをつけた。
「作ってねぇならいい」
「いや! 作った、作ったぞ!」
 話を切り上げかけた息子に食い下がると、一つ嘆息してカタログを示された。
「何パターンかあるけど、どれで作った?」
 卒業記念の、いわゆるカレッジリングである。
 必須ではないが、卒業生のほとんどが飛空士訓練学校の最高峰であるアカデミーの校章の刻まれた指輪を作る。
 校章、卒業年、専攻科、己の名を刻むのが基本だが、加えて好きなモチーフを選ぶこともできるし、石をはめこんだり、愛着があれば寮章を刻んだり、属したクラブをメインに据えることもある。
 自由度がそれなりにあるため、かつての卒業生である父親の意見を求めてきたのだ、と理解して、エンデヴァーはカタログを覗き込む。
「これだな。中央に校章、周囲に卒業年度と校名、右側に飛空科の級章、左側に自分のイニシャルと炎のモチーフを入れた。これは社章としても登録している 」
 一番最初に掲載されている、オーソドックスなパターンを指し示すと、息子はこくりとうなずいてそのデザイン案に大きくバツを付けた。
「分かった、それ以外にする」
「ショートォォォッ!?」
 父親と絶対同じ物を身につけたくない、と宣言されて思わず声を高めるが、当人は全く気にせず、横にいた息子の同級生が鼻で笑った。
「オッサンはいい加減、現実見ろよ」
「カッちゃん!」
 見習い先の船長を全く敬わない少年の幼馴染みだというもう一人の見習いが、慌てて取りなすように口を出してくる。
「あの! 僕らのクラスは仲が良くて、クラスをトップ面に出したお揃いにしようって案が上がってるので、ショート君が言ってるのもそういう意味で!」
「いや、別にそういう意味じゃない。コイツと似たのは嫌なだけだ。クラスでお揃いは、いいと思う」
「オレはぜってぇ嫌だからな。仲良しゴッコのデザイン決まったら教えろ、それ以外にする」
「カッちゃんはブレないよね……」
 不協和音甚だしいが、アカデミーの学生の実地研修に息子を受け入れようとしたところ、友人として紹介された二人である。本当に仲がよいのか親として疑問に思うところもあるが、それぞれ個性的で優秀だ。
「……ショート、デザインは何を選んでもいいが、素材はプラチナにしておけ」
 嫌だ、と返事が返ってくる前に理由を告げる。
「安定した素材で薬品に強く、錆びない。融点も高い」
 返事はなかったが、考慮する、といった顔をしたので、合わせて言い募る。
「あと、最近、何故か中指にする者が多いが、あれは小指にするものだ。小指のサイズで作りなさい。それに、最近じゃらじゃらと指輪を付ける若いのが多いが、あれもみっともない。男の装飾は小指のカレッジリングだけでいい……」
 色違いの瞳に見据えられ、口を噤むが少々遅かった。
「あんたがしてんの見たことねぇけどな」
「……色々あって、カレッジリングは無くした」
「結婚指輪してんのも見たことねぇけどな」
 母親似の顔と、母譲りの右眼に軽蔑の色を見るのは厳しい。
「オッサン、本当に現実見てから喋った方がいいと思うぞ」
「カッちゃん!」
 ままならない。
 何とも言えない空気になった艦橋で、会話が終わるのを待っていたらしい通信士が、間もなくの到着を伝えてきた。

 母港に入り、入港の手続き、荷の手配、船の整備の指示をして本社に戻る。留守中の報告を受け、溜まっていた書類を決済し、今後の予定を決めていく。後ろに雛鳥のように見習いがついてきていても構っている暇はないが、部下達が任せられる仕事を割り振っているようなので、後で成果は確認する。
 一通り急務が片付いたところで、急ぎではないと分類された書類に手を伸ばす。
 封書がほとんどだが、秘書の手で開封され、既に成された対処がメモ書きされている。大方が業務提携依頼のアポイントを望むもので、確認優先順位の低い扱いの通り既に断り済みで、特にその判断を覆す必要もない、と捌いていき、未開封の封書一通が手元に残った。
 これは、開封不要、急ぎの処理も無用と伝えている通りの処置である。
 左上に社名と住所、社章を黒インキで印刷した白封筒、宛名にもタイプを用いた、いかにもビジネスレター然とした非常に素っ気ない郵便物を手に取って、エンデヴァーは顔をしかめた。
 裏返しても署名はないが、代わりに濃紅の封蝋で表に印刷されたものと同じ、意匠化された鳥と社名のイニシャルをオリーブの葉で囲んだ紋が押されていて、差出人を明確にしていた。
 封を切って、カードを一枚取り出すと、これも白いカードにタイプライターの無味乾燥な文字が、明日の日付と場所だけを指定していた。最後に「ホークス」の署名が付いただけマシなのだろうが、人を呼び出すには随分と不躾である。
 あの傲岸不遜な若造に、躾を期待したことはないが。
 消印を確認すると、一週間前の日付だ。
「ホークスは、まだこの街にいるのか?」
「出港の情報はないので、おそらく。社長と入れ違いで戻ってきて、こちらにスケジュールの問い合わせがありました」
 天候不良で一日帰港が遅れたのだが、それを含めた呼び出し日程のようだ。
 お見通しと言わんばかりの設定が気に食わず、断り済みの手紙から無理矢理予定を入れて断るか一瞬検討するが、どう考えても、生意気極まりないが非常に有能な若造と会う方が有意義だった。
「ホークスと親交があるんですか? さすが、一流は一流と繋がりがあるんだなあ」
 横から感嘆の声があがったことに、見習いの一人を振り返る。
「奴を知っているのか?」
「知らない人なんていませんよ! 最速の赤い翼って。会社の規模は小さめですけど、技術力が突出していて、有り得ない速度で飛ぶと評判です。独自の情報網で航路を確保しているようで、たぶん気象予測も精度の高い……」
 息子の友人の一人であるミドリヤは飛空士に対する憧れが非常に強く、現行の飛空士に対する造詣が深すぎる。おそらく一般的ではないだろう知識を滔々と語る少年から視線を外し、息子に目を向けると無視されたので、もう一人のバクゴウを見る。性格にかなりの難があるが全ての能力値が高く、常識を弁えた上で社会性を逸脱させているので、評自体は信頼が置ける。
「宣伝がクソうめえだけの、ヘラヘラスカした中二病野郎。どういう伝手と技術持ってんのか、とにかくクソ速ぇ」
「速いなら宣伝だけじゃないだろ」
「ッセェ! パフォーマンスが先に来る時点で雑魚なんだよ!」
「パフォーマンスは大事だって、ミッドナイト先生がいつも言ってる。それに、トコヤミが傾倒してる」
「だから同病の中二病って言ってんだろが! なんだ、あのアホみたいなド派手な羽!」
 仲がよいのか、制した方がよいのか悩むやりとりに、ミドリヤが割って入ってなんとなく納めてくれるまでが定例で、下手にエンデヴァーが口を出すと、より荒れるのはさすがに学習した。
 子供達相手にままならない。
 ひとまず、あの新興の若造は、飛空士候補生達にもよく名が知られていることは理解できた。

 最近急激に名を売りだした若い飛空士の社屋は中央にあるが、そこはただの事務所の扱いのようで、当人は不在にしていることが多い。船に乗ってどこかへ飛び立っていることがほとんどで、街に帰還した際もほとんど港の船の整備のために船渠に詰めていて、そのまま船内で寝起きしているようだ。
 若い飛空士など、船が着くと同時に港ごとにいる女の家に転がりこむ者も珍しくないが、派手な外見と華々しい名の売り方に見合わず、彼にはそういった噂が一切ない。
 通りのあちこちから吹き出す蒸気と海霧が混じりあい烟る埠頭を進み、係船渠内の赤い船の前で立ち止まる。夜目にも見間違いようのない深紅の船体に「ホークス・エクスプレス」の社名を確認して一つ嘆息すると、それを聞きつけたかのように船の上に人影が現れて手を振ってきた。
「こんばんは、エンデヴァーさん、時間通りですね」
 時間も場所も、勝手に決めて送りつけてきておいてよく言う、と睨みあげると人とは少し異なるシルエットが肩をすくめる。
「今、ハシゴ下ろしますねー」
「いらん」
 搭乗用のタラップなど必要としない船長が、エンデヴァーのために準備しかけるのを断り、背負ったギミックから炎を一瞬噴出して飛び上がり、甲板の上に降り立つ。
「わあ、今のカッコイイ! もう一回! もう一回やってください、写真撮るんで!」
「撮るな。自分でも撮ってろ」
 カメラを探しに船室に戻ろうとする青年の背負った翼を鷲掴んで制すると、自撮りの何が楽しいのだ、と抗議された。
 自身の写真を残すことに興味がないのはエンデヴァーも同じなので、分からないでもない主張だが、見習い達の説明によるとこの若造は巷の女子に大人気なのだそうで、ブロマイドの売れ行きが凄まじいのだと聞かされた以上、おとなしく被写体になって経済に貢献すればよいと思う。
 通信士のようなヘッドフォンを常に付け、耳に穴を開けて装身具を飾り、指にもじゃらじゃらと大量に指輪をはめ、髭など生やした、実に今時の軽薄な風体だが、女子に人気があるのはよく分かる。
 過酷な空で長年過ごして鍛え上げられたエンデヴァーからすると小さく思えるが、成人男性としては平均の域だろう。均整の取れた体型で、整った顔に少々鋭すぎる金色の目が嵌め込まれているが、愛想の良い表情でその印象を和らげている。金髪というにはくすんだ光沢のない色合いの、柔らかな癖毛はヘッドフォンで押さえられていないと奔放にはねる。
 可愛らしい、という評判なのかと思ったが、巷ではこの年若い飛空士はかっこいいという扱いだそうだ。
 最大の特徴は、今エンデヴァーがつまみ上げている大きな翼のギミックで、日の光の下で見ればこの飛空挺と同じ、鮮やかな緋色をしている。
 この地域ではさほど信仰されていないが、かつての欧米地域で広く信仰された宗教上の天使に似た姿で鷹と名乗るのが彼のプロモーションで、最大の効果を上げている。
 これを口の悪い見習いの少年がチュウニビョウのパフォーマンスと毒づいていて、意味を正確に把握はしていないが、人目を惹くことを目的とした奇抜なファッション、といった意味合いだろうと理解している。
 金属的な光沢を持った鮮やかな緋色の羽を並べたギミックで、滞空もしてみせれば、羽を自在に飛ばして武器にもなる実用性と、衆目を集める宣伝効果を兼ね備えていて、こんなものを他の誰が背負っていても呆れただろうが、彼に関しては見慣れてしまった。
 鳥類のほとんどが「災害」を期に絶滅したこの空を最速で飛ぶ人型の鷹、それがこのホークスだ。
「おかえりなさい、東はどうでした?」
「大型の危険生物は駆逐した。しばらくは海上船でも危険なく往来できるはずだ。東湾の辺りも、多少は汚染が減ってきたようだが、サルベージ区域を広げる計画があるようだから、また汚れるだろうな」
「俺は北の方行ってきたんですよ、珍しい酒手に入ったんです、飲むでしょ?」
 あちこちを飛び回る若者がこちらに声をかけてくるいつもの大義名分が、現地で酒を手に入れた、だ。
 合わせて、仕事の際に仕入れた情報を交換しあって、地図の更新や危険情報の共有をする。というのが、エンデヴァーの部下達が認識しているこの交流だ。
 昔から敵の多かったエンデヴァーがようやく落ち着いて、年の離れた友人を得て他社と協調するようになった、と喜ばれているので特に訂正はしていないが、実態は少し違う。
 酒は確かに用意されているし、最初は何かの罠かと疑っていた情報交換は非常に有意義だったし、親子程にも離れた年齢差であるが、この頭の回転の速い有能な若者との会話は楽しくもあった。
 問題はただ一つ。
 地図を広げて話をしながら飲み交わす酒が底を尽きる辺りで、若造の態度が変わることである。
 ふらつく足元の代わりに、背の翼でバランスを取っているのか、広げた翼を軽くはためかせた甲斐なく、倒れ込んできた酔っ払いを渋い顔で抱きとめると、何が楽しいのかけらけらと笑う。
 成人して大して経ってない若者が酒にあまり強くないくらいは大目に見てもよいが、これの酔い方は少し性質が悪い。
「エンデヴァーさぁん」
 膝の上に乗り上げられても大して重くないのが、元々の体重が軽いのか、翼のギミックが干渉しているのか未だに分からない。
「してきますよね?」
 あっけらかんと問われて、より渋面になるが、若造は意に介しなかった。
 それなりに面倒な構造の服をするすると脱がされ、自身も邪魔な装備を脱ぎ捨ててへらりと笑う。
 ここ最近、エンデヴァーを悩ませているままならない生き物が、これである。
 これは友人などではなく、ではなんと呼べばいいのか、エンデヴァーは思いつかないが、若者の浅薄極まりない物言いで言うと、セフレだそうだ。