チャイルドプレイ

チャイルドプレイ

【僕のヒーローアカデミア 炎ホー】
2020/07/14発行 完売済
文庫p88/1C+空押し・オフセット/500円

一度関係を持った後の、もだもだした炎ホー。
高熱を出したホークスを面倒見るエンデヴァーの話「チャイルドプレイ」と、二人の関係を相談されたオールマイトの話「恋盗人猛々しい」の二本立て。

サンプル文

 

 オールマイトこと、八木俊典にとって、人生の過半数はヒーローとしての生だった。
 その地位を退くときとは死ぬときだと覚悟を決めて生きてきたから、今の余生は少々心もとない。
 授かり、培ってきた力は後継に託し、後に残ったのはぼろぼろの抜け殻のような身一つだったが、そんなものでもまだ利用価値があるのだと知った。
 スーパーパワーで傷ついた無辜の民を瓦礫の下から救い出すことはできなくとも、これまで積み重ねてきた経験と人脈には価値があった。
 警察や現役のヒーロー達の協力要請に応じて蓄積してきた情報と知識を提供し、知名度と人脈を用いて政財界と渡りをつけ、教師として次世代のヒーローを育成する。それが新しい己の戦い方なのだと切り替えた。
 その中には、次代のヒーロー達の相談に応じることも含まれていたが。
「エンデヴァーが、私に?」
 第一秘書の不安げな顔を前に、オールマイトは首を捻った。
「相談事?」
 青天の霹靂である。
「個人的にNo.1として内密に相談したいことがあるので、都合のよい日を教えてほしい、とのことです。先方も多忙なため、候補日の指定があります。簡単な食事でも、と」
「えーと、それはプライベートなの、オフィシャルなの ?」
 詳細は分からない、と秘書が首を振る。
 プライベートの相談、というのは順当に考えて有り得ない。
 この相談の連絡が事務所を通してきたことで分かる通り、まず、これまで個人的な接点など持ったことがない。
 プライベートというものを、一切出してこなかったオールマイトにも原因はあるが、そもそも周知の事実として、長年に渡ってオールマイトとエンデヴァーは不仲だった。正確に言えば、徹底的にオールマイトをライバル視してきたエンデヴァーによって、馴れ合いは全て拒絶されてきたのである。
「……何かあったのかな?」
 エンデヴァーという苛烈な炎のヒーローは、自身を救いではなく悪を薙ぎ払うための存在と定義していた。非難も悪評も振り捨てて我が道を突き進み、ごうごうと燃え盛って社会を照らしていたヒーローの存在を、オールマイトは好きだった。
 いつでもどこでも自分を睨みつけてきた蒼い眼が、一度だけぶれたのはオールマイトが力を喪い、彼が暫定一位として扱われ始めた時だった。
 No.1とは、平和の象徴とは何か、と彼は問い、オールマイトは大して感動的でもない、ごく当たり前の答えを返した。
 それ以降、エンデヴァーというヒーローは少しずつ変わりはじめて、正式にNo.1に就任した壇上で見ていてくれと呼びかけ、直後の九州での戦いで自身の力を示して見せた。
 全てが都合よくうまくいっているわけではないが、社会はエンデヴァーの時代を受け入れ、動きはじめている。元々迷うことの少ない男だ、彼について心配はしていなかったのだが。
「エンデヴァーが、私に、内密に、個人的な相談事」
 口にしてみると、実に不穏である。
 当たり前の協力依頼ならば、単刀直入に要請してくる男なので、その彼が内密と明言してきた時点で怖い。
「お互いの都合が合う、一番早い日程で調整してもらえるかな?」
 なるべく早く話をした方がよいだろう、と秘書に頼むと強張った顔でボディガードを付けるか、問われる。
「いや、今の最強No.1ヒーローがいるんだから問題ないでしょ?」
 言い淀んだ表情からして、ボディガードはそのNo.1に対して必要と目されたことを知る。
「あの、エンデヴァー、怖い顔してるけど、そんな噛みついたりしないからね。怖いけど」
 左半面に大きな傷跡が残って、ますます怖い顔になった現No.1は、約束の時間に少し遅れて店に着いた。WEBニュースから、出動していたことは把握していたが、事務所間を通して遅刻の連絡も来ていた。
 内密の相談でも、直通の連絡先を聞いてこようとしないところが実に彼らしいが、寂しいので、本日は是が非でも彼の携帯番号なりアドレスをゲットして帰る所存である。
「すまん、遅くなった」
「平和の維持、おつかれさま」
 飲むかい、と問うと、エンデヴァーは少し困惑した顔をした。
「……貴様は、飲めるのか?」
「エンデヴァーが……、私を気遣った!?」
「本当に貴様らは……ッ!」
 ごう、と感情を素直に示して、燃え上がった炎に火災報知器が反応しないか一瞬焦るが、この離れの火災報知器の停止は手配済らしい。不器用なイメージの強い男だが、自身の炎熱の個性は器用に操るので、調度も焦がしてはいない
「墓穴に両足を突っ込んだような風体の半死人に、酒なんぞ飲ませて死なれたら困るに決まっとるだろうが!」
「半死人って、ひどいなぁ。まあ、少しなら問題ないよ。自分の身体のことは自分で面倒みるさ。ってより、私元々下戸なんだよね!」
 笑って告げると苦々しい顔をしたが、やがて深々と息を吐き出して、飲む、と宣言した。
「素面で話せる内容じゃない」
 やはり言い難く、人に聞かせられる話ではないようである。
 指定された店は政財界重鎮御用達の料亭で、しかも離れ。機械や個性を用いた盗聴防止策が何重にも施されていることをオールマイトもよく知っている。
 どんな重大事の相談なのか、身構えざるを得ない。
 これで、息子の成長の確認程度のことならば笑い話で済むのだが、相当に苦い顔からして、覚悟はしておいた方がよさそうである。
 食事の間は、当たり障りのない会話だった。
 昨今のヒーローの近況や、雄英内の公表して差し支えない話などの中に、彼の息子の話も含まれて、機嫌よく聞いていたので、やはりそこは本題ではないらしい。
 オールマイトとエンデヴァーが和やかに食事をする、という、かつての二人の仲を知る誰もが目を疑うような時間が過ぎて、膳が下げられて酒杯だけが残されると、空気が僅かに変わった。
 何事にも回りくどいやりかたを好まないフレイムヒーローが、彼にしてはかなり長い時間逡巡して、ようやく発した問いは、少し奇妙なものだった。
「貴様は、結婚は?」
「結局、しなかったね」
「考えなかったのか?」
 こんな個人的なことに彼が言及してくるとは思っていなかったので、少々戸惑う。
「私は、ヒーローとしてしか生きるつもりはなかったから、そういう相手は作らなかった」
 たぶんそれは強さではなく、臆病の表れだった。
 オールマイトというヒーローはプライベートを完全に排除していて、サイドキックすら一人しか持たず、その相手とも自身の在り方を否定され喧嘩別れし、和解と呼んでいいのか分からない一瞬だけを共有して、永遠に彼を喪った。
 大事な対象を作るのが怖かった、それだけの話だ。
「君は、すぐに結婚したよね。若いNo.2に群がってた肉食女子一掃! って感じで」
「失敗したがな」
 場の空気を明るくしようと、二十歳過ぎで早くに結婚した彼に水を向けたところ、ばっさりと切り捨てられて、地雷を踏んだかと焦る。
 芸能人や同じヒーローではなく、一般女性と結婚した彼は報告だけで済ませ、マスコミもエンデヴァーのメディア嫌いを知っていたし、相手も有名人でないとあって、深く追わなかった。相手の女性が長く入院しているらしい、という噂は耳にしたことがあるが、プライベートを語る男ではなかったし、それ以前に彼とは親しい仲ではなかったので、噂以上のことは知らない。
 ただの病気での入院とは訳が違うのではないか、と察したのは、彼の息子と生徒として接するようになってからで、父子の確執や、家庭内の問題があることは把握している。
 その相談だというのか、と内心狼狽えながら、机越しにNo.1となった男を見やると、アルコールで少し血色のよくなった顔に浮かび上がる傷痕で、ますます近寄りがたい面相になったエンデヴァーが更に苦々しい表情で威圧感を増していた。
「……独身で、No.1として長年やっていたら、美人局のようなこともあったか?」
 少し、想定外のところに話題がずれた。
「そういう、ことも、まあ、ないとは言えないけど」
「言える範囲でいい、どんなパターンがあったか教えてくれ」
「…………待って、それが、相談事?」
「……そうだ」
「つまり、ハニートラップと思われるものを仕掛けられてる?」
「…………可能性を考慮している」
 言い難そうな重い口調が物語っている。
「突っぱねたなら、君はわざわざ私に相談なんかしないよね……? 抱いたんだ?」
「…………ああ」
 想定外かつ、かなり重大な相談がきた、と頭を抱える。
 正直、ヒーローのスキャンダルとしては珍しいものではないが、彼が、となると事態は相当に面倒だ。
 既婚者であるNo.1ヒーローが不倫、というのは社会的に大きなスキャンダルになる。
 芸能人や色気を売りにした女性ヒーローとしばしば浮名を流してスキャンダルを起こす、軽薄な若手ヒーローとは訳が違うのだ。
 愛想を振りまかず、一般に怖いという印象がついたエンデヴァーだが、同時にストイックなイメージも強い。ひたすら犯罪者を狩って、平和の一端を担い続けたと認知された男が、No.1として世間に受け入れられはじめたこの時期に、そんなスキャンダルを起こしたとなれば、ヒーロー全体の信用が崩れかねない。
「何で、そんな馬鹿な真似を……」
 むすり、と黙りこんだ男に半眼を向ける。
「No.1として、って相談だったけど、No.2だった頃だって、似たようなことは山程あったよね? 何で今更……」
「これまでは、敵の仕込みか、スキャンダルを起こして売名を狙った馬鹿か、完全に頭のおかしい奴だったんだ」
「……うん、君がそれ分かってないわけ、ないよねえ」
 敵側に通じた女が情報を得ようとしたり、寝首を掻く目的で近づいてくることはままあって、トップヒーローはその手の警戒を怠らない。
 売名目的で近づいてくるパターンも厄介で、芸能人であったり、場合によっては売り出し中のヒーローであることも多く、名が売れれば何でもいいと手段を問わない真似をしてくる。スキャンダルを起こすことを前提としているから、下手を打てば食い物にされる。
 頭がおかしいというと、言い方は悪いが、そうとしか思えないような過激なファンも一定数いて、勝手に恋人を名乗ったり、自宅を突き止めて押しかけてきたりもする。出張先のホテルのベッドに潜りこまれかけたことは、オールマイトも何度もある。
 エンデヴァー絡みでその手の騒ぎが起きたのを、少しだけ小耳に挟んだことがあるが、どのパターンでも全く相手にせず、やりすぎだと陰口を叩かれるレベルで公衆の面前ではねつけたと聞いている。
 本来、そういう男なのだ。
 オールマイトの方がよほど、女性相手に強く出れず、泥沼にはまったケースが多い。
「……なんか、薬か個性を使われた?」
「いや……、たぶん、それはない」
 少し悩んだということは、その可能性も考慮はしたのだろう。
「酔ってた?」
「いや、相手は酔わせたが、俺は酔ってない」
「何で、手出しちゃったの?」
「……手を、出さないと、あれに干渉する理由が持てなかった」
 また想定外の答えが返ってきた。
「待って、君から手を出したの?」
「…………最終的には」
 誘い自体は向こうからかけてきた、とその口調から判断する。
「関係後、相手の要求は?」
「何もない」
「スキャンダルを仕掛ける気配は?」
「ない」
「敵関係の疑いは?」
「俺はないと思っている」
 打てば響くように返事が返ってくる辺り、その可能性は徹底的に考えて、違うと結論づけたのだろう。彼のその手の判断力は信頼している。
「君が言うところの『頭おかしい』タイプではない?」
「何を考えてるかは全く分からんが、極めて正常だし、馬鹿でもない」
 エンデヴァーの評価でそれということは、大変有能で頭のいい相手なのだろう。
 ますますややこしいことになってきた、と額を押さえる。
「何が目的なのか分からないカワイコちゃんに誘われて、ついうっかり手を出しちゃった。特に何の要求もしてこなくて、逆にちょっと困ってるんだけど、ユー、こういう経験ある? って相談ってことでいいかな?」
「…………概ね、合ってる」
 まとめられ方が気に食わなかったらしく、非常に凶悪な顔をしたフレイムヒーローが不承不承うなずいた。
「って言っても、たぶん、私が体験してきたことって、君とそう変わらないと思うよ? 既婚者の君より、数は多いと思うけど」
 数の違いの理由は結婚の有無だけではないが、そこには触れない。
「スキャンダル狙いでないと判断した理由は?」
「俺よりあれの方が人気がある。ダメージは向こうの方が大きいし、メリットが一切ない」
 スキャンダルで売名する必要のない有名人と聞いて、オールマイトは眉をひそめた。
 今の世の中、この国でNo.1ヒーローとは最大のネームバリューである。
 フレイムヒーローは、少々その性格が祟って、人気No.1とは言えないのが実情であるが、彼が自分以上の人気と言いきった根拠が怖い。
「まさか、相手は、プロヒーローなのか?」
「…………」
 沈黙が十分に答えだったが、更に小さくうなずかれて顔を覆う。
 No.1に匹敵する人気のヒーローなど、対象は非常に限られている。トップヒーロー、おそらくは十位以内の、と考えれば該当する女性は二人しかいない。
「敵サイドではない、と判断したのはそれが理由?」
「以前、俺に近づいてきた敵の回し者はヒーロー資格を持っていた。それだけでは判断しとらん。ただ、あれは、ヒーロー以外の何物でもないと思う」
「イカれたファンでもない」
「頭の構造は理解できんがな」
 スキャンダル目的ではなく、敵の回し者でもなく、もちろん妙な妄想に取りつかれたファンでもない。そんな相手が突然近づいてきた理由とは、と問われて少し考え込む。
「それは、なんか、裏を考えるより、一般的な恋愛事情で考えた方がいいやつじゃないかなあ……? 君の場合、既婚者なので色々社会的な問題が生じるけど」
「これまで一切の接点を持たずにきて、No.1になった途端に近づいてきてもか?」
「んー」
 悩みながら、女性ヒーロー二人の顔を思い浮かべる。
 肉弾戦を得意とするミルコは、比較的エンデヴァーに好意的だった覚えがある。悪党はみんなぶっとばす、という明快なスタンスが似ているためだろう。他とあまり交流しないエンデヴァーにも恐れず近づいて、戦闘のアドバイスなど受けていた。エンデヴァーもそういった若手には面倒見のよい方だったので、これは前々から交流があったと言える。
 とすると、本命はリューキュウか、と判断する。
 若者に非常に人気のある、ミステリアスな雰囲気のクールビューティだ。エンデヴァーとは全く立ち位置が異なり、まず、二人が並ぶ絵面すら想像がつかない。
 礼儀正しい優等生の印象があるが、その彼女がどうして、と顔を覆った手の指の隙間から、正面で苦い顔で酒を呷っている男の様子を窺う。
 かっこいい男だと思っているが、これはオールマイトの主観であって、あまり女性受けする容貌ではない。逞しすぎる体躯も、鋭く冷たい眼光も、大きな傷のある強面を覆い燃え上がる火炎の個性も、怖い、と苦手とする女性が多いのを知っている。
 まあ、異性の趣味は人それぞれであるし、オールマイトも全盛期の姿はエンデヴァー以上の筋骨隆々かつ、画風が違うと言われる容貌だったが、実によくモテたので、あまり関係ないかもしれない。
 色恋沙汰というのは、ややこしいものだ。
「嫌な可能性を指摘するけど、相手に、何か恨みを持たれていると感じたことは? 君を破滅させるためなら、何でもするっていうレベルの」
「感じたことはないが、俺が鈍いだけかもしれん。実はあれの家族や恋人を灼いたことがあるかもしれんし、逆に助けて好かれたのかもしれん。近づいてきた理由も分からん」
「経歴の再確認は?」
「した。綺麗なものだが、情報自体が信用ならん」
「……待って、どういうこと?」
「公開された情報は、ほとんど作られた経歴だと思う」
 平然と告げられ、頭痛が悪化してきた気がする。
「どこ情報!」
「公安」
 やはり酒を口にすべきでなかった、とますます痛む頭を抱えこむ。
「なんで、公安の情報がそんなに改竄されてる可能性のあるヒーローが、怪しくないって判断したの、君!」
「貴様に似ているからだ」
 平然と返されて、一瞬何を言われたのか理解できなかった。
「貴様も、個人情報はほぼ空白だっただろう。あれは、空白を適当な情報で埋めてるだけだ」
「…………えーと」
「自己犠牲の度が過ぎた馬鹿だ。ヒーロー以外の何物でもない」
「…………轟少年って、君の子だよねえ」
 思わずぼやくと、実に嫌そうな顔をする。
「何で今、焦凍の名前を出した?」
「そこで、それを、真顔で言う、みたいなところ、すごくそっくりだよ、君達親子」
 非常に複雑そうな表情をしたエンデヴァーを置いておいて、情報を整理する。
「ええと、あの子の出自が詳細不明ってのは初めて知ったけど、まあ、君の判断として、敵ではない、恨まれている気配もない、どちらかといえば好かれている気がする、ってことでいいかな?」
 渋い顔でうなずかれたが、これは何やら照れ隠しではないかという疑惑を覚えないでもない。
「たぶん、普通に恋愛問題だから、これ以降、相談内容は恋愛相談ってことでいい?」
「恋愛沙汰じゃない」
 恋愛相談以外の何だというのだ、と半眼になるが、睨み返してくる顔は真顔だった。
「じゃあ、何だと思ってるんだい?」
「……俺は、一種のSOSだと思った」
「どういう意味?」
「あれは、ヒーローだ。大抵のことなら一人で片づける。それが、できないレベルの重圧を受けている状態で、助けを求めることもできずに、ねじれた結果が、抱いてくれ、という要求だった、気がする?」
 常に断言する男の口調がいつになくあやふやで、全く自信はないらしい。
「どうしてそんな子に、ほいほい手を出しちゃったの!」
「あの時、あれの精神状態が相当危うかったんだ!」
「余計、手出しちゃ駄目でしょ、それ!」
「手を出した事実があれば、責任を取る義務が生じる!」
「どんだけ時代錯誤だっ!!」
 互いに座卓の天板を叩いて声を荒げる。
 全盛期だったなら、天板を割り砕いていただろうし、対峙した男がその破片を燃え上がらせていただろうが、フレイムヒーローは案外冷静であろうと努めているようで、焦げ目もついていなかった。
「……とりあえず、君の言い分は分かった」
 一瞬全盛期の姿に膨れ上がった身が反動で貧血を起こしかけたので、少し呼吸を落ち着けてから、深く息を吐き出しつつ告げる。
「君は、今回の件が、No.1に救いを求めてきたのだと思っている。でも、相手の立ち位置は非常に複雑で、当たり前の協力要請はできなかった。それで君はその子を抱いて、その責任を取るという形で関わることにした、と」
「正しくないのは分かっとる」
「……他に方法がなかったんだったんだろうとは思うよ」
 全く同様の状況とは言えないが、そういう事態に陥ったことがないとはオールマイトも言えない。倫理上、立場上の問題があろうが、その時、抱きしめなければ守れないことはあった。
「ちょっと、その辺の問題は置いておこう。まず、リューキュウがどういう状況にあるのかを把握しよう」
 SOSだ、という発言が最後になったのは、確たる根拠が全くないからだろう。
 エンデヴァーの抱いた印象にすぎないが、オールマイトは彼の勘を信頼している。
 若いヒーローがどんな窮地に立たされて追いつめられているのか、その把握が最優先となるはずだというのに、エンデヴァーの反応は鈍かった。
「リューキュウが、どうしたと?」
「どうしたも何も、君が彼女のことを相談してきたんだよね?」
「…………ああ、そういうことか」
 何かに納得したエンデヴァーが非常に気まずそうな顔になる。
「リューキュウじゃない」
「え? あ、ごめん、状況的に彼女のことかと思い込んでた」
 確かに、相手の名をエンデヴァーが伏せ続けたため、確認しないまま話を進めていた。
「ええと、ミルコのことだった?」
「違う」
 きっぱりと否定されて、おや、と首を捻る。
 勝手に十位以内のトップヒーローと判断していたが、もう少し裾野を広げて考える必要があったかと人気のある女性ヒーローを脳内でピックアップしてみるが、どうにもピンとこない。
「ごめん、誰?」
「………………ホークス」
 重い口が紡いだ音を聞いて、更に首を捻る。
 真っ先に合致したヒーローは除外し、音の似たヒーローがいたかと悩む。混乱が起こるため、ヒーロー名は被らせないことが必須となるが、これだけヒーローの溢れた社会において、似た名称のヒーローは多くいる。
 オールマイトにも、オールサイトだのオールライトといったあえて似せたのであろう、類似のヒーロー名がいた。
 確か、テレビ番組での解説を専門にしたトークスという名の女性アイドルヒーローがいた気がする、と思考を飛ばしてから、苦虫を噛み潰したようなエンデヴァーの顔に、逃避を諦める。
「……ホークス?」
 重々しくうなずかれる。
「最速最年少?」
「ウイングヒーロー」
 その三つが並べば、他に間違いようがない。
 十八歳でデビューして即トップテン入りし、瞬く間に三位にまで上り詰めてきた若手最高峰の青年である。
 青年である。
「ええと、ごめん、女の子だと思い込んでた」
「いや……、俺も逆の立場だったら候補に含めん」
 何故か謝罪しあったことで、問題の人物が浮き彫りになった。
 ウイングヒーローホークス、ヒーロー名の通り、背に翼の個性を持つ鷹を思わせる風貌の青年だ。
 デビューしてすぐに頭角を現し、早々に三位の位置に着き、オールマイトの引退後は繰り上がる形でNo.2となった。速すぎる男の異名は、その異例の出世スピードと、事件解決の速さ、その背に生えた個性による物理的な速度の三つを指している。
 とにかく有能な若者で、実力に伴って自信家で少々我が強く、毒舌も吐く。
 言動が生意気だと、上の世代には眉を顰められることも多いが、十代、二十代からの支持は絶大で、鮮やかな色の翼の見目良さも相俟って広告塔としても引っ張りだこだ。
 少し前までは若手のファッションリーダーと言えばベストジーニストが担っていたが、今はホークスに変わっているのではないだろうか。
 自分達が二十代だった頃を思い出すと、世代交代の時期なのだとしみじみと時代の移り変わりを感じるような、新世代のヒーローである。
 オールマイトはインタビューで同席したことと、特に何事もなく終わった要人警護の任務などで一緒になったことがあるが、これらの印象が変わるような出来事はなかった。
 スピードタイプの飛翔個性ということもあり、筋骨逞しいヒーローではないが、有翼と言っても天使のような優しげな雰囲気はなく、猛禽類の鋭さと猛々しさを有した青年だ。
 いまどきのカッコいい子、というのが彼と相対した際の印象である。
 つまり、エンデヴァーが口にした「お相手」と、全く印象が噛み合わない。
 なんとなく、自分で自分を追い詰めてしまうような、繊細で思い詰めやすい自己犠牲的な優等生のヒーローをイメージしたので、真っ先にリューキュウの顔が浮かんだのだ。
 ホークスというと、まず、生意気、不遜、ふてぶてしい、といった有能が故に少々扱いにくい若手の問題児というイメージが強い。
 ホークスが九州を本拠地とする上に、元々他の事務所とチームアップをすることが少なく、若手ヒーローとのインタビューに応じるなど有り得ないメディア嫌いのエンデヴァーは、ごく最近まで接点がなかったはすだ。
 先のビルボードでのやりとりなど、よくあのエンデヴァーが式典の場を放棄してめちゃくちゃにしなかったものだと驚いたくらいの、非常に無礼な態度だった。
 これまでの彼ならば、あの華やかな翼をその場で焼き尽くしていてもおかしくなかったし、あの時、エンデヴァーは確実に相手を生意気な若造としか認識していなかった。
 その直後、相当に怒っていたに違いないエンデヴァーをどうやって言いくるめたのか、ホークスの地元である九州で、何らかのチームアップ中に脳無に襲われ、共闘した。
 辛勝の末にエンデヴァーは左半面に大きな傷を負い、代わりに市民の信頼を勝ち得た。
 戦いの中で、ホークスはサポートに徹し、彼の助けがなければエンデヴァーはあの黒い脳無を下すことはできなかった。互いの命を預け合い、力を合わせて強敵を倒し相手を認め合う、まるで少年漫画のようだが、実際にそういった体験をすれば分かる。
 苦難を共に超えれば、心は素直に相手を仲間と認識し、運命共同体だと錯覚する。
 一種の心理的な錯覚ではあるが、ヒーロー同士の連帯感、絆を深めていく意味では有用である。
 エンデヴァーも、少なくとも当初抱いていた、図に乗った軽薄な若者に対する嫌悪感は払拭されたはずだ。
 加えて、噂だけを聞いて正確に事態を把握しているわけではないが、少し前にホークスは敵性個性を受けて一時的に弱体化し、その間、エンデヴァーに保護されていたらしい。
「ちょっと聞いていい? 先月、ネットの噂でホークスが子供になる個性を受けて、君が保護してたって騒がれてたけど、事実?」
「……ああ」
 敵の個性を受けて、ヒーローが弱体化することは珍しいことではない。永続的な効果のある個性は珍しいから、大概が一時的なものだ。
 弱体化している間、身の安全のために他のヒーローが護衛することも珍しくはないが、多忙極まりなく、他のヒーローと組むことも珍しかったエンデヴァーがわざわざ、となると少々妙だ。
「どうして君が護衛を?」
「その事件が俺の目の前で起きたからだ」
 No.2の弱体化の情報が広まるのは望ましくないと判断したエンデヴァーが、その場で保護を取り決め混乱を収めた。その流れは手に取るように分かる。
 つまり、エンデヴァーを研究すれば、その流れに持っていくことも可能だということだ。
「彼を抱いたのは、そのトラブルの直後?」
「……そうだ」
 初めに抱いた相手の悪印象は払拭されて好感情に転じ、その後、目の前で小さな子供になって、保護せざるを得ない状況になる。背に翼のあるヒーローの幼少時など、天使のような外見だろう。危険のない弱体化でヒーローという人種の庇護欲をそそって愛情を抱かせ、大人に戻って何か事情を匂わせながら肉体関係を迫る。
 そういうことも、できたことになる。
「……あのさ、言い難いんだけど、怪しいところしかないよ?」
「貴様が何を考えたかは分かるが……」
「いや、聞いて。そもそも君は、ビルボードの後、彼に呼ばれて彼の地元に行ったんだよね?」
「そうだ」
「呼ばれた理由は?」
「改人の噂に基づいたチームアップ依頼だ」
「で、その場でその改人が襲ってきた?」
「そうだ」
「結果、君は一時生死も危ぶまれた大怪我を負って、あの子は掠り傷程度?」
「……何か怒っているか?」
 不可解そうに問われて、瞬間的に頭に血が上り、なるほど、これは怒りなのだと理解する。
 酷い裏切りに対する怒りだ。
「ああ、怒ってるよ。何をとち狂ったんだか、子供みたいな年の男の子に手を出した? 怪しい状況に全部目を瞑って、あれはSOSだと思う? いい年して色ボケして世迷言抜かしているようにしか思えない。あの君がだ!!」
 叩きつけた言葉に、炎の気性を持つ男は珍しく激昂しなかった。
「どの俺だ?」
「…………ヒーローエンデヴァー以外の君なんて、私は知らない」
「そいつがどんなご立派なヒーローか知らんが、俺はただのろくでなしだぞ」
 よくもそんなことを言う、と睨み据えると、エンデヴァーはひどく困った顔をした。
「…………俺は、何らかの個性操作を受けていると思うか?」
「いっそ、そう思いたいところだね」
 エンデヴァーが子供のような年齢の同性を相手に本気でとち狂っているよりは、何かしらの精神操作を受けていてくれた方がマシだったが、その可能性は考慮しているようなので、必要なチェックや個性効果キャンセルの処置はした上でここにいるのだろう。
「ただのハニートラップだと思うよ」
「……違う、と思うんだが」
「色恋沙汰で君がこんなになるとは思ってなかった……」
 深々と息を吐き出すと、むっとした顔をする。
「色恋沙汰じゃないと言っている」
「じゃあ何だい? 特に助けてくれとも言われていないSOSだっけ?」
「…………後進育成?」
「育成で後進に手出してたら事案だからね!?」
 正論に、エンデヴァーが喉の奥で唸った。
 先の発言に著しく問題があることは理解しているようだが、他に上手い形容が思い浮かばないらしい。
「あれに、未来があるならそれでいい」
「…………今はないと思っている?」
「当人がそう思っている節がある」
 実に重症だ、と嘆息する。
「君さあ、そのザマを息子に見せられる?」
 一番の弱点を容赦なく抉ると、ぐっと詰まる。
 まだヒーローとしても、父親としても、最後の一線は越えきれていないようなので、それが救いだ。
「この件、一回預からせてもらうよ」
 苦々しく告げると、渋い顔をする。
「……内密に頼めるか」
「当たり前……」
 現No.1とNo.2の醜聞など、大っぴらに触れ回るはずがない、と応じかけて、その顔に彼が案じたのはNo.2の立場だと理解する。
 これは、酷い。
 こんなものが恋だとでもいうのなら、あまりにも無様だ。
「私のエンデヴァーを返せ!」
「俺が貴様のものだったことは一度たりともない!」
 結局、彼とは今回も喧嘩別れになった。