左手の法則 - 2/7

 何を、言っているのか理解できずに、知らない場所で、知らない男をただ見上げる。
 頭一つ東堂より背が高く、細く見えるがただ痩せているのではなく、引き絞った筋肉が付いているのが見て取れた。最初、怒り狂った狂犬のような表情に驚かされたが、困惑したように見下ろしてくる今は、ごく普通の男子高校生のように見えた。
「お前、いくつ?」
「……十、四」
 重ねて問われて、呆然としたまま応じると、マジかよ、とぼやいた男が自分の髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜて嘆息した。
「アー、なんか、マンガみたいなこと聞くぞ? 今、西暦何年何月何日?」
 確かに、漫画でそういう台詞を見たことがある。
 一部の記憶を喪失したヒロインに訊ねたり、時空を越えた主人公が到着した時代を確認するために使われていた気がする。
「二〇〇二年十月二十五日……」
 馬鹿馬鹿しいと突っぱねるには、妙に真剣な目をした年上の男に気圧されるようにして答えると、男は完全に頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
 三年前、十四歳、などとぶつぶつと呟く男が不気味で、思わず後退さるが、すぐ後ろにあったベッドに足が引っかかって、すとんとその上に座り込んだ。
 この変人から、逃げるべきではと思いつつ、身体が何故か動かない。
 ただぼんやりと座り込んでいると、ようやく男が顔を上げた。
「……あのな、今、二〇〇五年十二月」
「意味、分かんない」
「オレもだよ……」
 どうすればいい、と首をひねりながら部屋の中を見回した男が、壁のカレンダーを指さした。
「ホラ、二〇〇五年」
「……十一月だ」
「捲り忘れてたンだよ!」
 びり、と乱雑にカレンダーを破り捨てた男に、つい身を竦ませる。途中で斜めに破れた、彼が前月だと言い張る十一月のカレンダーを突きつけられて、途方に暮れながらカレンダーを受け取った。確かに、二〇〇五年と書かれているが。
「こんなの、すぐ作れる」
 ようやく頭が回ってきて、これは盛大に担がれているのだと思いついた。
 自室で転んで、たぶん、頭でも打って目を回した。
 その間に別の部屋に運ばれて、起きたところに今は三年後だなどと言い出す役者を用意した。
 そんなことをして、誰が得をするのか分からないが、これはたちの悪い冗談だ。
「馬鹿な真似はやめて、オレを今すぐ家に帰せ」
「オレも帰ってほしいヨ……、お前オレの言うこと信じてねェし……」
「当たり前だ、こんな、カレンダー一枚で、誰が、そんな……!」
「そりゃそーか、えっと……、しょうがねーな」
 手首を掴まれて引き起こされると、窓に向かって引っ張られた。年上の男との力の差は歴然で、ろくな抵抗もできずに窓辺に立たされた。
「お前、今が十月って言ったな?」
「だから、当たり前だろ!」
 問答無用、と引き開けられた窓から冷たい冬の風が容赦なく髪をかき乱した。肌寒くなってきた十月の秋の夜風とは全く異なる、真冬の空気だ。
 呆然と体温を奪っていく夜風を浴びていると、寒いとぼやいた男が後ろから手を伸ばして窓をきっちりと閉めた。
「分かったァ? 今は二〇〇五年の十二月、ここは箱根学園男子寮、オレの部屋。お前がオレの部屋にいきなり出てきたの。出てけってのはむしろオレの台詞」
 上背のある男にじろりと睨み下ろされて、ぺたりとその場にへたりこむ。
「おい?」
 夢だ。
 思い切りよく己の頬を張り飛ばすと、痺れるような痛みが広がって熱を持ったが、目の前の幻覚が消えない。もう一度頬に叩きつけた手もひどく痛むというのに、目が覚めない。
「おい、バカ、やめろって!」
 もう一度叩こうとした手を、掴まれて制される。
 涙目で男を見上げると、ひどくうろたえたようだった。床に座り込んだ東堂を抱え込むようにして立ち上がらせ、おろおろと背を撫でる。
「悪い、オレが悪かったから、イイコだから泣くな」
 泣いていたわけではなかったが、寒風にすっかり体温を奪われていたので、男の体温は心地よかった。
「いきなりワケ分かンねーことになって、怖かったんだよな。ゴメン、オレが言い過ぎたからァ」
 頼むから落ち着いてくれと訴える声は情けなくて、少し笑えた。笑った振動で、ぽろりと零れたものは男の服地に吸わせてなかったことにする。
 まるで、泣いている迷子の幼児でも扱うかのように、すっかり腰の引けた男は、たぶん悪人ではない。
「ちょっと、落ち着いたァ?」
 語尾を伸ばす独特の口調に、こくりとうなずくと、そろそろと手を離した男が東堂の顔を覗きこんだ。
「東堂なんだな?」
 もう一度うなずく。
「十四歳?」
 声がうまく出ず、ただ無言でうなずく。
「……オレが知ってる東堂は、オレとタメなんだヨ。夏生まれって言ってたから、たぶん今、十七」
「あなた、は……?」 
 無理に喋ろうとすると、喉が引き攣って途中で声が枯れた。
「ええと、オレは荒北。お前とタメで……ってさっきから言ってんな……」
「あ、らき……」
 呼びかけようとして、咳き込んだ。口の中がからからに乾いている。
「アー、ちょっと、待ってろ。すぐ戻るから、な?」
 大丈夫だから、と必死な声にうなずくと、男は慌てたように部屋を出て行った。
 狭い部屋に一人取り残されて、途端に心細くなって周囲を見回す。寮の部屋だと言っていた。床に落ちていた大学ノートを拾い上げると、「数Ⅱ」と「荒北靖友」と丁寧な字で書かれていた。
「あらきた、やすとも?」
 彼の名乗った名を漢字に直して覚え直す。
 同学年なのだと、何度も言っていた。壁に吊された制服と、繰り返し口にしていた年齢を考えれば、彼は箱根学園高校の二年生ということになる。つまり、同級生だという東堂も箱根学園の二年ということだ。
「箱学……?」
 姉が通っている学校で、先日もこの学校の自転車部のマネージャーに進学を勧められた。受験はまだ先とは言え、選択肢の中で大きなウエイトを占めはじめていた学校だ。
「やっぱり、夢……?」
 潜在意識がはたらいて、こんな訳の分からない夢を見ているのではないかと考えて、どうすれば起きられるだろうと悩んでいると、勢いよくドアが開いた。自宅では考えられない乱暴な物音に、思わずびくりと身が跳ねる。
「あー、やっぱ夢じゃねェし……」
 ペットボトルを数本抱えた荒北が、嘆息混じりにぼやいて、彼もドアを開けたら東堂がいなくなっていないかと考えていたと知れる。
 もし、これが東堂の見ている夢なのだとしたら、この見たこともない男の存在がどこから出てきたのか分からない。
「とりあえず、飲め」
 差し出されたのは三本のペットボトルだった。
 自販機にでも行ってきたのだろう、ホットであることを示すオレンジのキャップが二本、一つだけジュースで、残りは緑茶とミルクコーヒーのようだった。
 戸惑っていると、一つ舌打ちした男はコーヒーを選んで突きつけてきた。
「飲め」
 受け取ったペットボトルから、じんわりと伝わる温もりはひどくリアルで、これが夢なのかどうか分からなくなってくる。
 荒北は残ったボトルのうち、微炭酸のオレンジジュースを手にして蓋を開けていた。少し前に初めて口にして以来、東堂が気に入って好んで飲んでいたものだ。
 親が甘味料の多い飲み物を子供が口にすることを好まないので、こっそりと飲むことが多かった。
「お前、それ好きダロ」
 指さされ、手にした丈の短いペットボトルを見下ろす。カフェオレと書かれた白いペットボトルは見たこともないし、もちろん口にしたこともない。
「寒くなるとお前、そればっか飲んでンだよ」
「その、ジュース……」
「夏場はこっちよく飲んでた。茶は、あんまペットボトルでは飲んでねェか」
 彼が知る東堂の好みの三本を、わざわざ買ってきてくれたらしい。
 飲め、と再度促されて、戸惑いながら蓋を開けて口をつけると、東堂の舌には甘すぎる温かい飲み物が身に染みた。摂取した水分が、そのまま涙腺に吸収されたのか、泣きそうになって慌ててうつむく。
 それを察したようで、目の前の男がひどく焦った気配を察する。
 見た目に反して、随分な世話焼きでお人好しらしい荒北は、たぶん嘘を吐いて東堂を担ごうなどしていない。
「……オレ、どうなってるんですか……?」
「オレには、お前が急に小さくなったように見える」
 肩を押さえつけるようにベッドの上に座らされ、荒北は椅子に座って深々と嘆息した。
「ええとな、どっから話せばいいのか分かンねーけど。まず、今日は二〇〇五年十二月二日の金曜日。ここ、箱根学園って高校の寮で、オレの部屋」
 箱根学園というのは箱根にある高校で、というところまで補足しようとした荒北に、地元だから知っていると告げれば、そうだったな、とうなずかれた。
「で、オレと東堂は部屋が隣で、クラスが一緒で、部活も同じで、だから、そのせいで東堂がオレの部屋に来ることは結構あって」
「友達なんですか?」
 関係性をくどくどと説明することを疑問に思って、一言で説明のつく言葉で訊ねると、荒北は妙な顔をした。
「別に、ダチ……ってわけじゃねェと思うけど……いや、アー、うん、友達でいい、友達! チームメイト!」
 東堂の顔を見た荒北が曖昧な表現を翻して、きっぱりと断言した。
「で、さっきまで東堂はオレの部屋にいて、気が付いたらお前に変わってた」
「オレが、急に小さくなった?」
「そう……思う。お前は、オレのこととか、福ちゃんとか、全然分かンねーんだろ?」
 こくりとうなずく。
「お前の方は、どういう状況なんだ?」
「自分の部屋にいたのに、気が付いたら、ここに」
「なんか、きっかけとか」
「ちょっと、転んで、床にぶつかるって思ったら……」
 たどたどしい東堂の主張に、荒北は渋い顔で頭を抱えた。
「オレ、どうしてこんなことに……」
「全然分かンねーけど、マンガだったら、お前がいきなり三年分時間が巻き戻ったか、タイムリープした、ってとこかなァ……」
 そんな曖昧で適当なことを言われても困る、と顔を上げるが、荒北の顔も困惑しきっていて、立場はそう変わらないのだと知る。
「さっき、お前の部屋覗いてみたけど、空っぽだったしなァ……」
「オレの、部屋……」
 三年後の自分の部屋だと聞かされて、不思議に思う。
「オレ、寮に入ってるんですか?」
「そう」
「地元なのに?」
 姉は当然、自宅から通っている。
「高校三年間、全部チャリに使いたいから入ったって言ってたけど」
「チャリ……?」
「オレも、お前も、チャリ部だからァ」
「チャリ部って、自転車部?」
「そう、男子自転車競技部。全国一の強豪校。お前、そこのクライマー。まあ一応、エースであと副将……副部長やってる」
「オレ……自転車、やってるんだ……?」
 あの親の反対を押し切って、ロードバイクを手に入れたのかと驚いた。
「お前は、まだ乗ってないんだ?」
「……まだ、ロード買えてなくて」
 そうか、とうなずいた荒北に、たぶんせいいっぱいの優しい笑顔で、ぎこちなく頭を撫でられた。
 なんというか、悪い人間でないことは分かったが、扱いが完全に迷子の幼児に対するものになっている気がする上に、これで本当に相手が小さな子供だったりしたら、子供は余計に泣きだしそうだし、周りが通報しそうな表情だ。
 笑うのが下手な男だと思っていると、間が持たなくなったのか、やおら立ち上がった荒北が東堂の背後の壁を指し示した。
「アレだ、お前の部屋、行ってみるか!?」
 彼もどうしてよいのか分からないのだろう、見ず知らずの自分の部屋へ行ったところで、何の解決にならないだろうが、このままここにいても元に戻れるわけでもない。
 うなずくと、よし、と笑って髪をかき混ぜてくる。
 先程の、狼が獲物をなんとか騙そうと作り笑いしているような笑顔よりは、少しだけマシだった。

 狭い廊下に出て、数歩で次のドアがあった。
 ノックもせずに無造作に荒北がそのドアを開け、電気を点ける。
 明るくなった部屋は、隣の荒北の部屋と全く同じ作りだった。備え付けなのであろう、ベッドや机の配置も同じで、ただ、隣の部屋よりきちんと整頓されている分、若干広く見えた。
 この部屋には暖房が入っていないらしく、ひんやりと肌寒い。
 一つくしゃみをすると、東堂の半袖姿に気づいた荒北は勝手にクローゼットを開けて白いジャージを放ってきた。
「着とけ」
「でも、勝手に……」
「お前のだろ」
 確かに、大きく箱根学園と入ったジャージの胸に、東堂と縫い取りがあった。
 戸惑いながら羽織ってみると、少し袖が余る。当たり前のことだが、三年後の自分は成長しているようだ。
「えーと、アイツどこしまってんだ……?」
 そのまま遠慮なくクローゼットを漁って中のものを引っ張り出していた荒北が、クローゼットを荒らすのを諦めて、今度は机の上を漁った。
「あった、コレ」
 手渡されたのは、ずっしりと重いアルバムだった。開くと、全開の笑顔の己の顔が飛び込んでくる。
 否、自分の顔だが、自分ではない。
 今より体格がよく、表情も大人びていて、今より更に伸びた髪をカチューシャで留めて、箱根学園と書かれた青と白のジャージを着て花束を抱えている。
「この前どっかで入賞したときの写真だろ。えっと、こっちの金髪が主将の福ちゃん、じゃなくて福富。こっちのニヤケ顔が新開で……えーと、オレ写ってねーな……」
 時折写り込む部員らしき人物の名を告げながら、ぱらぱらとアルバムをめくっていた荒北が、あった、と指さした一枚の写真に、確かに彼が三年後の自分と写っていたが。
 最初に見たような凶悪な表情で東堂を睨んで頭を押さえ込んでいるし、写真の中の東堂も怒っているようで、何か抗議しているように見えた。
「仲、悪いんですか?」
「いや、これは、まあ、たまたま……。仲良しってわけじゃねェけど、そんな、スゲェ悪いわけでも、ねーかな……?」
 友達かと聞いた時に歯切れが悪かったのは、そういうことらしい。
「とりあえず! 同じ部活やってるってのは分かっただろ!」
「……はい」
 知らない顔をした、知らない未来の自分の姿が写真の中にあった。理由は分からないが、確かに自分は、今、三年後の未来にいる。
 途方に暮れた東堂に、荒北はまた焦ったようだった。
 わしわしと髪をかき混ぜて、落ち着けと言い聞かせてくるが、彼が落ち着いてほしい。
「お前は、怒ンねーのな」
「え?」
「いや、今のお前……オレが知ってる方の十七の東堂な、優勝誉めろってウルセーから思いっきり撫でてやったら、カチューシャが痛いとかセットが乱れるとか、キレて喚いたのがこの写真」
「……カチューシャも、してるんだ」
「そういや、三年前はしてねェんだな。あのアホみたいなカチューシャ」
「親が、みっともないからやめろって……」
 うつむいた東堂をどう思ったのか、少し妙な顔で首を傾げた荒北がクローゼットを全開にした。
「今、他人がなんて言おうがこんなんだけどな、お前」
 奥に作り付けられた棚に、色分けされてずらりと並んだカチューシャが見事なグラデーションを作っていた。ほとんどが無地のものだが、たまに光る石のついたものやリボン付き、何やら猫の耳の形をしたものまである。
「付けた上から頭掴むと痛いらしくて、超うるせーんだよ。外すと怒るし、髪ぐちゃぐちゃにするとすげー怒る。お前はおとなしいな」
「……いや、ちょっと、本当はやめてほしいんですけど」
「セットが乱れるからァ?」
 うなずくと、荒北が噴き出した。
「やっぱ、お前東堂だわ」
 だからやめろというのに、笑いながらぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜてくる。この笑顔を常に保てたほうが好感度はあがるのではないだろうかと思うが、やっていることが酷い。
 ぐしゃぐしゃになった髪を、閉口しながら手で整えて戻していると、荒北は更にクローゼットを物色していた。
「何、してるんですか?」
「いや、せっかくだし、お宝でも探しとこうかと」
「お宝?」
「エロ本」
「何してるんですか!」
「いや、絶対あるって。お前、いつもスマした顔してっけど、絶対隠してんだろ」
 高校でも澄ましていると思われているのか、と一瞬動揺するが、クローゼットから机に捜査対象を移した荒北は気づかない。
「あ、一番上の引き出し、鍵かけてやがる」
「あの……」
「お前、ベッドの下確認」
 呆れつつも、ついそのくだらない言葉に従ったのは、まだろくに頭が動いていなかったからだろう。何をどうすればいいのか途方に暮れているから、言われた通りに動くことしかできない。
 ベッドの下を覗き込むと、こちらも整頓されていて、衣類、自転車用品と中身を記したプラスチックケースが置かれている横に、ぺらりと一枚のルーズリーフが落ちているのが目に付いた。
「あの、荒北さん、これ……」
 きちんと二つ折りにされた用紙は、ハート型のシールで留められていて、剥がさないと開封できないが、宛名には筆ペンだろうか、黒々とした太い書体で「荒北へ」と記されていた。
「ア?」
 横に「バカ」とふりがなを振ってあったので、渡してよいものか一瞬悩むが、手にした荒北は片眉を跳ね上げはしたものの、何も言わずに紙片を広げた。
「……っの、こういうことはちゃんと説明してけよ、あの不思議ちゃんクライマーがっ! お前のそういう全部お見通しですみたいなとこ、っとにムカつくんだよ!」
 しばらくして、紙片を床に叩きつけて声を荒げた男に、びくりと身をすくめると、気づいた荒北は決まり悪そうに拾った紙片を差し出してきた。 
「アイツ、十七歳の方の東堂な、この状況、知ってたみてェなんだけど」
「えっ?」
 広げてみると、こちらはシャーペンで書かれたと思しき、細い丁寧な字でつらつらと記されている。
 右手で書かれた端正な硬筆の楷書は、少し大人っぽくなっていたが、確かに東堂の字だ。高校生の自分は、右手で字を書いているらしい。

荒北の馬鹿め、お前じゃあるまいし、この俺が、そんなところにいかがわしいものを隠したりするか。それから、お前はそろそろ隠し場所を変えた方がいいと思うぞ。
それから、引き出しの鍵は俺が持ち歩いている。人のプライバシーを侵害するな。

 確かに、完全にこの状況を知っていたようである。

お前がこれを読んでいるということは、三年前の俺が今そこにいるということだろう。
十二月四日の夜九時頃には、元に戻るから安心しろ。それまで、三年前の俺をよろしく頼む。
歴史が変わるとまずいので、他のメンバーには知らせないように。見つかったら適当に俺の従兄弟とでも言ってごまかしておいてくれ。

 どういうことだ、と混乱しながら、続く自分へ宛てられたメッセージに目を走らせる。

十四歳の俺へ。
突然のことで混乱していることと思うが、必ず元の時間に戻れるので落ち着いて行動しろ。
戻るのは二〇〇二年の十月二十七日になる。家出をしていたことになっているが、まだ大きな騒ぎにはなっていない。親は怒るが、どうにか自力でがんばれ。
そこの荒北は顔はまずいし、性格もいわゆるツンデレだが、年下には非常に甘い。信用して大丈夫だ。
それから、未来で知り得ることは多いが、それを持ち帰ろうと欲をかくな。
それは、不正だ。

「……これ」
 どういうことだと荒北を見上げると、苦々しい顔で首を横に振られた。
「知ってたなら、ちゃんと説明してけよ、あの野郎……!」
 十四歳の東堂の存在に、心底驚いていたのは確かだ。彼は何も知らされていない。
 しかし、この手紙を見るに、三年後の東堂はこの事態を承知していた。
「……同じことを、十七歳のオレは体験してた?」
「ってこと、なんだろーなァ」
 肝心なことは何一つ書かれていない置き手紙を二人で見やって途方に暮れる。
「歴史が変わると困るってのは、やっぱタイムリープみたいな現象ってことか……。もうちょっと何か書いてけよ、あの野郎……」
 どうしてこんなことになったか、どうすれば解決するのか、一言も書いていないのは、それが伝えられないことだったからだろうか。
 我ながら、さっぱり感情の読みとれない端正な文字列に頭を抱える。隣で同じように額を押さえている荒北も、同じ気分なのだろう。
「アー、なんか、よく分かンねーけど、日曜には、戻れるっぽい、な? で、ここで過ごした時間分、お前が帰る過去の日付も進むってことか。で、あんましお前のことを周りに知られちゃいけねェのか……?」
 謎解きをするように、残された手紙を睨み据えている荒北の横から、東堂も紙面を見つめた。
 自分宛のメッセージの最後、釘を刺されていた。
 今、自分が三年後の未来に来ているというのは、どうにか納得した。必ず戻れるとも伝えられて、少し気が楽になった。
 その上で、不正をするなと三年後の自分が戒めている。
 未来の出来事を知って、その情報を過去に持ち帰って悪用するな、ということだろう。
 前に見た、タイムマシンの車に乗って時空を旅する映画では、未来の情報を悪用して金儲けをした悪役のために、歴史が書き換えられてしまっていた。
 それ以外にも、時間を超えた主人公が僅かに過去の出来事を変えてしまったために、たくさんの事象が狂っていき、それをどうにか解決しようとする話だった。
 つまり、そういった時間の捻れを引き起こしてはならないと戒められた。
「アー、お前にも、あんまし今の話をしちゃいけねェのか……」
 同じ結論に達したらしく、これまで伝えた今の東堂の話をしてはいけなかったのかと悩んでいる荒北に、途方に暮れる。
「とりあえず、二日がんばれば、戻れるってことみたいだし、うまいこと土日だし。今、テスト前で部活ねェから、この部屋籠もってりゃ大丈夫かな。飯とかオレが持ってきてやるから、な?」
 癖になっているのか、伸びてきた左手がぐしゃぐしゃと東堂の髪をかき混ぜる。
 先程噛みついた歯型のくっきりとついた手が気になったが、謝るタイミングを逸した。
「何かあれば、オレの部屋隣だから、壁叩いて呼べ。いいな?」
「……はい、分かりました」
 こくりとうなずくと、むしろ心配そうな顔をしたが、それ以上言うこともなかったのだろう。
「もうすぐ消灯時間だし、今日はもう寝ちまえ。天井の灯り付けっぱなしだと、寮監にバレて寝ろって叱りにくるから、こっちはすぐ消して、灯り必要なら机のライト使え。オレが出たら鍵かけとけ」
「はい」
 なおも心配そうな顔をしていた荒北も消灯時間までに自室に戻っていないといけないらしい。もう一度、何かあったら壁を叩いて呼ぶように、と念を押してからドアを出て行くと、東堂は見知らぬ自分の部屋に一人取り残された。
 言われた通り、部屋に鍵をかけ、灯りをまず落として机の上のライトだけを点けると、蛍光灯の白々とした光が机の上を中心に灯った。
 荒北が中身を漁った後、いい加減に戻していったクローゼットが気になって、一通り整理して戸を閉め、改めて見回した室内は、間取りと家具の配置は全く一緒なのに、隣の荒北の部屋の乱雑さに比べて、ひどく人間味がなかった。
 部屋の寒々しさは、気温ばかりが理由ではない。
 何故か昔から友人にまで冷たいと言われるが、この見知らぬ部屋に自覚した。冷たい人間が住む部屋だ。
 整頓された机の上に、何かきらきらと光るものがあって、近寄ってみると真新しい十円玉が置いてあった。
 小銭とはいえ、金銭を出しっぱなしにするのはだらしがないと言われて育っているので、三年後の自分に違和感を覚えて銅貨を手に取る。
 まだ変色していない、ぴかぴかの銅の色をした十円玉に目を落として、その意図することに気付いてぎくりと身を強張らせた。
 平成十七年と刻印された銅貨。
 カレンダーくらい、いくらでも好きなように作れるが、貨幣の偽造はできない。ここは確かに三年後なのだと突きつけるには一番の道具だ。
 ここは、知らない場所だと改めて自覚させてくる硬貨を机の上に戻し、その横に重ねられた本を手に取る。見慣れた中学の教科書が数冊と、クロスワードパズルの雑誌が一冊。雑誌を捲ってみると、開いた最初のページに付箋が貼ってあった。

用意できるだけ教科書は置いておく。ノートは見せられないが、暇ならできる範囲でテスト勉強でもしておけ。
どうしても寝られなかったら、パズルでもしていろ。

 部屋と同様、整っているために冷たく見える文字が、何もかも先回りしていた。
 ノートが見せられないというのは、三年後の自分が持っている中学二年の頃のノートは、今の自分が書き留めているノートより進んだものになるからだろう。よく見れば、雑誌もわざわざ三年前の発行日付のものが用意されていた。
「……なるほど、ムカつくな」
 奇しくも、まるで他人のように思える三年後の己の残していったもので理解した。
 三年後のチームメイトのはずの荒北も、幼馴染みも口を揃えて腹を立てる理由がようやく理解できた。
 これは、鼻持ちならない。