山笑う

 五月の連休が明けてすぐの、初夏の日差しも眩しい温かな陽気の中、学園敷地内に住み着いた猫にこっそり餌を与えていた荒北は、視界の隅を過ぎった人影に顔を上げた。
 猫を構っている姿を目撃されるのは、少々気恥ずかしい。こちらに向かってくるようなら立ち去ろう、とその人影の動向を窺い、荒北は大きく顔をしかめた。
「何してンだ、あの野郎……?」
 昼休みに、こんな敷地の奥で何をしているのだ、と自分のことは棚に上げて相手を睨んだのは、制服を適当に着崩しているくせに妙に姿勢良く歩くアンバランスな姿が、よく知る人物だったからだ。
 東堂尽八、関係性はクラスメイトでチームメイト、ついでに同じ寮生だ。授業、部活、寝食の場が同一なので、一日のほとんどで顔を突き合わせることになるが、仲は良くない。
 顔を合わせる度に何かしら衝突するのに、顔を合わせる頻度が非常に高いという面倒な関係である。出会って一年間、ずっとやりあい続けてきたので、周囲もすっかり慣れてきた様子なのが業腹である。
 初夏の陽気に勢いよく新緑を茂らせた生け垣の陰で、猫に向かってしゃがみ込んでいた荒北の姿に気づいた様子はなく、そのまま小路を進んでいく東堂に、荒北は一瞬悩んだ。
 声をかければ、確実にあのお調子者は余計なことを返してくる。そうすればたちまちいつものパターンで口論になって、昼休みの残り時間はそれで終わる。平穏な休み時間を確保したければ、無視するのが一番なのだが。
 この春に少々調子を崩した東堂を、福富が心配している。
 様子を見てやってくれ、と頼まれている以上、無碍にもできない。
 普段、休み時間には友人や取り巻きの女子に囲まれて、賑やかに食事をしている東堂が、一人でこんな人気のない場所を歩いているのは少々怪しい。
 人目を憚る様子ではないが、信用はできない。東堂の厄介なところは、開けっぴろげで単純な性格をしているように見えて、その実、内面を人に晒そうとしないところだ。
 トラブルを一人で抱え込む東堂の性格を憂慮しているのは福富だが、彼の意向を荒北は無視できない。様子だけは見るかと、溜息を吐いて立ち上がる。
 おそらくは、どこかに眠りにいくだけだろう。
 東堂は良くも悪くもマイペースで、自己管理が徹底している。調子を崩してタイムを落としたのを取り返すためか、ここしばらくオーバーワーク気味に練習をしていたのを知っている。そうなると、東堂は体力を回復するために休み時間に所構わず、昏睡するように眠る悪癖がある。
 その間、顔をつつかれようが、身体を揺さぶられようが、写真を撮られようが一切目を覚まさない、呆れるほどの鈍さを散々怒ってきたので、ようやく学習して、人のいないところで眠ることを覚えたのならよいのだが。
「……告白の呼び出しってこともあンのか……」
 校舎裏の更に奥、人気のない方へと進んでいく東堂の目的の別の可能性を思いついて、荒北は顔をしかめた。
 豪語するほどではないと思うのだが、東堂は自称する通り、それなりの美形で、その調子のよい目立ちたがりな性格を面白がられて愛でられている。
 あんな生き物に黄色い声を上げ、ちやほやと持て囃す女子集団の存在に最初は愕然としたが、要するに女子の間でお手軽に騒げるアイドルなのだと理解してからは生温い目で眺めている。当人もそれなりにうまく立ち回っていて、取り巻き達の誰かと深い関係になることもなく、適当に距離を取っているが、それでも稀に告白されることもあるようだ。
 このままついていって、そんな現場に鉢合わせるはめになるのは避けたい。
 どうしたものかと迷っていると、不意に前を歩く東堂の姿が消えた。道を途中で外れて茂みの中に入っていったのだと知って、一つ舌打ちすると荒北もその後を追った。
 女子生徒が待っているようならすぐに回れ右すればいいのだし、脳天気に昼寝をするようなら見届けて放置すればいい。もし、何かトラブルが待っているようなら、有無を言わさず踏み込む。
 そう決めて、木立の中に踏み入ると、甘ったるい香りが鼻についた。
 人工的な匂いではない。花の蜜の香りだ。
 五月の陽気に温まった空気が、甘い香りを含んでまとわりつくようで、荒北は大きく顔をしかめた。 
 匂いの元は、朱色の花を満開に咲かせた樹で、その前に立つ東堂の背中に荒北は目を眇めた。何をしているのかと思えば、無造作に花を毟り取った東堂が、花の根本をぱくりとくわえる。
「……何やってんだ、あいつ?」
 思わず口走るが、何をしているのかは分かる。
 花に詳しいわけではないが、この時期に華やかな色の花を咲かせるその樹は、よく生け垣になっているのを見かけるもので、花の根本に甘い蜜が溜まっている。子供の頃は、花を摘んで蜜を吸った覚えが荒北にもある。
 何をやっているのだというのは、高校二年にもなってすることではないだろう、という意味である。
 まさか、花の蜜を吸いにわざわざ来たわけではないと思いたいところだが、正直、東堂の素っ頓狂な行動原理は荒北の理解の及ぶところではない。はっきり言って、荒北は東堂のことが苦手だ。
「それで荒北、何か用か?」
 こうして、唐突に当たり前の顔で振り返るところが、非常に苦手だ。
 その口元には花が咲いているのだから、頭が痛い。
「なんかコソコソしてやがるから、また悪巧みしてンのかと思ってェ?」
 顔をしかめて言い放てば、東堂も鏡に映したかのように嫌そうな顔をした。
「お前、そんなにオレのことが気に食わないなら、フクに何を言われようが関わらなければいいだろう」
「福ちゃんは関係ねーヨ」
「そうか?」
 全く信じていない口調で返され、無性に苛立つ。福富がクラスも同じ荒北に、東堂を気にかけてやってほしいと言ったのは確かだが。それだけのはずがないだろう、と、先程自身に言い聞かせた言い訳との矛盾に気づかず、腹を立てる。
「で、何してンの?」
 問うと、カチューシャ頭が僅かに傾いた。
「デザート?」
 とぼけた答えと共に、口元の朱色の花弁が揺れるのが間抜けだ。
 まさか、蜜を吸いにきたとでも言うつもりかと、ほとほと呆れた目を向けると、オレンジがかった赤い花がその口の中に消えた。
 数度咀嚼して、こくん、と飲み込んだ喉の動きに唖然としていると、口の中を空にした東堂が改めて口を開く。
「この時期にしか食べられないものだし、一度来ようと思っていただけだが」
「…………食うのォ?」
「食うだろ。何だ、都会の子はヤマツツジが食べられることも知らないのか?」
「いや、蜜吸ったことはあるけど、食えんの?」
 花が食べられるなど、考えたこともなかったので、純粋に驚きが先立った荒北に、東堂の表情が和らいだ。
 論より証拠、とばかりに樹から花をまた一つ毟って、差し出してくる。
 花弁が筒状にまとまったその根本の先に、透明な滴がぷくりと膨れあがっているのが見えて、甘ったるい香りが鼻につく。この蜜が甘いことは想像がつくが、花そのものの味は予想もつかない。
 子供の頃に、庭に咲いていたバラか何かを囓った時は、ひどく苦かったような覚えはある。
 どんな味でも蜜で緩和されるだろうし、これが東堂の嫌がらせでとんでもない味だったとしても顔には出さない、と腹を決めて口元に突きつけられた花に食いついた。
 しゃくり、と不思議な食感と共に、甘酸っぱい味が舌の上に広がった。甘い花の香りが咥内に満ちて、荒北は目を瞠る。
 小さな頃に、花を食べたらこんな味ではないかと想像していた通りの味だ。本当に食べられるのかと、目を瞬かせていると荒北の反応を窺っていた東堂が破顔した。
「美味いか?」
「美味いっつーか、甘ェよ」
 食べ応えは全くない。
 そう毒づいた荒北の台詞を取り合わず、また花を千切った東堂が、その花弁を人の口に押し込んできた。
「やめ……」
 制する端からその口に花が突っ込まれて、閉口した。
 食べ物で遊ぶな、と言いたいところだが、これは食べ物なのか、という疑問と、口を開けると花が放り込まれるので果たせない。
 面倒になって、無言で朱色の花を一輪毟りとると、楽しげに笑う口元に突き込んだ。
「……何をする?」
「俺の台詞だヨ」
 口元に花を咲かせたまま、頭にも花が咲いているとしか思えない男は僅かに首を傾げた。
「荒北が、犬が花を食わされたような顔をしたから?」
「どんな顔だよ!」
 慣用句か何かのように言うな、と唸るが、荒北の不機嫌を一切斟酌しない東堂は、くわえた花をぱくりと飲み込んで笑んだ。
「お前は、驚いた時が一番可愛いんだ」
 何が悲しくて、男に可愛いと言われねばならないのかと、大きく顔をしかめると、その顔は酷い、と深々と嘆息するのが鬱陶しい。
 もう黙れ、とまた一つ千切りとった花を口の中に押し込んでやる。
 花を咀嚼して飲み込んだ東堂が、また口を開いたが、今度は何も言葉が発せられなかった。ただ、ぱかりと開いた口を向けただけだが、雛鳥のような姿に、その意図することは理解できた。
 ふざけるな、とカチューシャ頭を叩いてやってもよかったが、途中で気が変わった。要求されるままに、その口に花を放り込んでやると、やっておきながら荒北の反応が予想外だったのか、少し驚いた顔をする。
 なるほど、澄ました顔も余裕ぶった顔も苛立つが、虚を突かれた顔というのは案外誰でも可愛らしいものだ。
「はい、東堂チャン、あーん」
「……気持ち悪いぞ」
「嫌がらせに決まってンだろーが」
 また一つ、朱色の花を押し込んでやると、珍妙な顔で花を咀嚼する。
「ブサイクな面してんぞ」
 鼻を摘んでやると、大きく顔をしかめてその手を振り払う。
「この美形を捕まえて、なんたる言い種だ!」
「オレには、どうしてお前がそんなに自分の顔に自信があるのか、理解できねェよ」
「美しいものを理解する感性に欠けているんだな」
 どういう言い種だ、はこちらの台詞である。
 美しいだの綺麗だの、わざわざ口にすることはないが、別にそういったものが嫌いなわけではない。
 この満開に咲き誇る朱色の花は素直に綺麗だと思うし、その前でこうして無邪気に笑っていれば可愛いものを、と顔をしかめ、何かがおかしい、と思考回路を一時停止する。なんだか最近、この自称山神に関わることに、深刻なエラーがあるような気がしている。
 両者共に印象のよくない出会いから始まって、互いに引かない性格で散々に衝突を繰り返し、少々育ちが特殊な東堂の素っ頓狂な言動にも慣れてきた。向こうも荒北の性格に慣れたのか、それなりにぶつからない適切な距離感というものを掴めてきたような気がしていたのだが、この春頃からまたバランスが崩れてきている。
 東堂も持ち前の人懐こさと、刺々しい拒絶のオンオフが妙に激しいし、荒北もこの見た目ほど単純ではない難解な性格のチームメイトを扱いかねている。
「どうした?」
 思わず黙りこくった荒北の顔を、東堂が覗きこむように顔を近づけてくる。
「近ェんだよ」
 晒された額を指で弾いて、距離を維持させる。
 むっとした顔で身を引くが、口元は笑っているのだから訳がわからない。
「マジで花食いに来たのかよ?」
「この時期には、一度くらい食べたいだろう?」
 まるで風物詩のように言うが、荒北は初めてこの花が食べられることを知った。
「これのもう少しでっかい花あるだろ、ピンクの」
「サツキか?」
「あれは食えンの?」
 同じように、蜜を吸った覚えがある花である。子供の頃は、蜜だけ吸って、花は捨てていたが、実は食べられたのだろうかと疑問を覚える。
「食べられなくはないが、あれは蜜だけ吸った方がいいと思うぞ。ヤマツツジが一番だ。あと、似たような花だが、レンゲツツジは有毒だから気をつけろよ」
「…………見分け方は?」
「ヤマツツジよりオレンジ色で、花の形が少し毒々しい。が、荒北の審美眼で花の見分けがつくとは思えんから、手当たり次第に口にするのはやめておけ」
「しねェよ!」
 だからその上から目線は何なのだと、半ば諦め気味に嘆息する。
「景気の悪い顔をしていると、余計にモテないぞ。元の顔の作りはともかく、せめて笑顔を心がけたらどうだ?」
 いい加減、慣れてはいるが、悪気があってもなくても失礼極まりない台詞に、怒るよりも根こそぎ気力を奪われる。
「ほら、荒北、スマイルスマイル」
 両頬を摘まれ、口端を強引に引っ張り上げられる。
「巻ちゃんも笑うの下手なんだよな。どうにかしないと、本当に人生損するぞ?」
 ここ最近、その口からよく聞くようになった他校のライバルの名前を、わざわざ引き合いに出してくることにも苛立つ。
 最初の頃は、気持ち悪いだのなんだのと騒いでは、負けた腹いせを荒北に当たり散らして晴らしていたくせに、いつの間にやらすっかり「巻ちゃん」に懐いて、最近は口を開けば大半がそのライバルに関することである。
「ざけんな」
 苛立ちのまま、東堂の手を払い落とすと、むっとした顔をする。
「せっかくこのオレが、モテるためのアドバイスをしてやってるというのに!」
「テメェは本当に何様なんだろーネ?」
 鼻を摘まんでやると、何やら盛大に喚こうとする気配があったので、開いた口にすかさず毟りとった花を押し込んだ。
 口の中いっぱいに詰め込まれ、目を白黒させた東堂に鼻で笑ってみせると、そうじゃないと文句を言う。
「何がァ?」
「もっとこう、あるだろう! キュンとするような優しい笑顔的な何かが! 今のじゃイラっとしかせんわ!」
「ハァ?」
「フクや隼人には笑うくせに……」
 ぼそりとぼやかれて、首を捻る。
「別に笑ってねェよ」
「笑ってる」
「じゃあ、お前にだって笑ってンだろ」
 愛想がいいとは言い難い自身の性格くらいは自覚しているが、仲間内で馬鹿話をすることくらいあるし、楽しいことがあれば笑うこともある。
 その場に東堂がいれば笑っているだろうと告げれば、東堂は珍しい顔をした。
「……ナニ?」
 いつも大袈裟に感情を表すか、不意にその表情の全てを剥落させたような無機的な顔を見せる東堂だが、今のそれはそのどれとも違った。
「お前、オレを見たときにどんな顔をするか、知っているか?」
 今にも泣き出しそうな笑顔に、一瞬心臓が跳ねた。
「どんなって……」
「嫌なものを見た、って顔だ」
「それは、お前だって……」
「オレが、荒北より先に顔をしかめたことがあるか?」
 そう問われれば、東堂は常に鏡のようにこちらの感情を映してきたのだと理解する。
「お前がオレを嫌いなのは知っているが、毎度そんな顔をされれば、オレだって多少は傷つくんだぞ?」
「…………オレは、別に」
 続ける言葉を咄嗟に思いつかずに詰まった荒北に、東堂はにっこりと微笑んでみせた。
「まあ、無理に笑わせたところで空しいだけだな。しかし、荒北はもう少し愛想笑いくらい覚えた方がいいと思うぞ。お前、素で雨の日に捨て猫拾うキャラなんだから、後は滅多に見せない優しい笑顔を習得すれば、一人や二人、よろめいてくれる女子がいるかも……」
「東堂、ちょっと黙れ」
 ぺらぺらと勝手に話を進める東堂の口を、手で塞いで黙らせる。
 これに喋らせておくと、どこまでも話が横滑りするのはいつものことである。口を塞いだつもりだったが、顔面全体を手で覆った形になったので、東堂が瞬きする度に睫毛が掌をくすぐった。
 目と鼻と口を塞がれたためか、ぴたりとおとなしくなった東堂の顔を掴んだまま、言いたいことを考える。
 東堂のことをどう思っているかと言えば、大体マイナスの言葉しか並ばない。
 自意識過剰で、大口を叩き、余計な一言が多い。言動は素っ頓狂で次に何をしでかすか分からない。その馬鹿げた振る舞いを、ちやほやと増長させる取り巻きの存在も気に食わない。開けっぴろげな性格をしているように見えて、内実は人に明かさず、勝手に一人で思い詰める。人に踏み込ませないくせに、自身を公共的なものと位置づけているから、外面はどこまでも開放されていて、プライバシーの考え方が人と大きくずれている。平気で人に触らせるくせに、許した領域より一歩踏み込めば、驚くほど冷たい拒絶を食らう。
 厄介極まりなく、荒北とは徹底的に合わない。
 とにかく気が合わないし、気に食わない。
「オレ、別にお前のこと嫌いじゃねェけど」
 気に食わないが、嫌いではない気がする、と告げると、掌の下で東堂の表情が動いたのが分かった。
 手を退けてみると、明らかに怒った顔がそこにあって、面倒くさいとしみじみ思う。
「ナニ?」
「無理にフォローされても嬉しくない」
「無理はしてねーけど、そもそも、お前がオレのこと嫌いだろ。ナニ? オレのこと嫌いだけど、オレには嫌われたくねェって?」
 出会いの最悪さから嫌われて、ことあるごとに部を辞めろと言ってきたのは東堂だ。
 以降、顔を合わせれば口論になり、少しずつ互いの存在に慣れてきたところで、東堂の性格の特殊さに改めて気がついた。トラブルを一人で抱えこむ東堂につい踏み込んでは猛反発されて、お前など嫌いだと宣言されたのは、つい先日のことである。
 売り言葉に買い言葉で、お前にだけは好かれたくないと返したのは荒北だが。
 荒北と東堂の関係性を表すのに一番手っ取り早いのは、同じ部に所属しているという事実で、クラスや寮でも説明の代替がきく。ただ、友達関係になったことは一度もない。
 友達かと聞かれれば、確実に互いに否定する。
 では、他の部員やクラスメイトと同じような関係かと聞かれれば、首を捻る。この関係の表し方を、荒北は思いつかない。
 気に食わないことは無数にあるが、嫌いだと一言で言うには少し違う。
「オレは……、荒北のこと……」
 無駄に口の回る東堂なら、何か適切な言葉を打ちだしてくるだろうかと、言葉の続きを待っていると、あやふやな顔で首を傾げた。
「嫌いなのかな?」
「知らねェよ、オレに聞くな」
 結局、東堂も同じか、と落胆しながら唸り返す。
「まあ、好きになれる要素がないんだが。騒々しいし乱暴だし、初心者のくせに謙虚さがない。口は悪い、協調性がない、すぐ周りと喧嘩する。品はないしがさつだし部屋は汚いし好き嫌い多いし、だからすぐ風邪ひくし……」
「ウルセェ」
 やはり好き勝手に喋らせるとろくなことを言わない、と口を塞いで黙らせるが、手首を掴まれて退かされた。
「フクが大好きなところは可愛いと思うぞ?」
「黙れ」
「あと、オレは巻ちゃんのこと……」
 また「巻ちゃん」か、とことあるごとに引き合いに出してくるようになった名前にげんなりして、左手を伸ばして毟りとった花をその口に詰め込んだ。
「お前、最初マキチャンのこと、緑男とかキモいとか散々言ってただろーが」
「巻ちゃんの髪がとんでもない玉虫色なのも、笑顔下手くそなのも、登り方気持ち悪いのもただの事実だが?」
 口の中の花を飲み込んでから、けろりとした顔で言う。
 懐いても、その辺りの評価は変わらないらしい。
「姿勢悪いのに自分で気づいてないし、センスおかしいし、話下手なのに無理に会話続けようとするから、態度がどんどん胡乱になって……」
「はいはいはい、マキチャンの話は新開にしろ、聞き流してくれっから」
 止まる気配のないライバルの話題は聞き飽きているので、また毟った花を放り込んだ。
 こういう時、口の中にものを入れたまま喋らない育ちの良さは便利である。
「だから、オレは……! 荒北、やめっ……!」
 次に突っ込む花を毟り取って口を開くのを待ち構えていると、両手首を掴まれて睨まれた。
「人の話を聞け……! だから、オレは巻ちゃんのこと嫌いだと……」
 やめろと言うのに、まだ続けようとする東堂に苛立って、その口を塞いだ。
 先程までその口に花を詰め込んでいたのは荒北自身なのだから当然なのだが、甘酸っぱい花の味がした。唇に残っていた蜜を舐め取って身を離すと、唖然としている東堂の目を覗き込んだ。
「マキチャンの話は、オシマイ」
 至近距離で言い聞かせると、ぱちり、と一つ瞬いた東堂が一気に顔を険しくして荒北の身体を押しやった。
「……前から聞こうと思ってたが、お前にとって、キスは嫌がらせなのか?」
 拳で唇を拭いながら睨まれ、荒北は一瞬動作と思考を停止した。
 キスが挨拶代わりの文化に生きているわけではないし、そもそも荒北はスキンシップが好きではない。
 それにも関わらず、この同性の相手に過去数回キスを仕掛けているのは何故だ、と思い返せば、その場の勢いと腹いせとうっかりが原因だったような気がする。
「……たぶん?」
 つまり、嫌がらせなのだろう、と自信無くうなずけば、東堂は目を据わらせてもう一度口を拭った。
「そんなものは、ノーカンだからな」
 びしりと指を突きつけられて、好きにしろと嘆息する。
 どうやら、東堂は未だにファーストキスを済ませていないらしい。
 荒北もこんなものをカウントされたくないので良しとすると、花を引きちぎった東堂が、荒北の口に花を押し込んで、花弁越しに荒北の唇を指でなぞった。
「お前なんか、大嫌いだ」
 嬉しげににっこりと微笑んで告げられた台詞と、口の中の蜜の味がちぐはぐで、荒北はここ最近持て余している己の感情に更に加わったもやもやに深々と嘆息した。