◆9月
福富がちょっとした小旅行並の距離を往復して千葉から戻ると、寮生達はもう夕食も終えてくつろいでいたが、福富の顔を見ると、深刻な顔をして呼び寄せた。
「東堂と荒北、なんか昼間喧嘩してたみたいだぞ」
「またか……」
そこまで仲が悪いわけではないと思うのだが、よく派手に言い合いをしている。部員や寮生達も慣れてしまって、最近では彼らが何をやりあったところで、わざわざ注進に来ることもなくなっていたのだが。
「今日のは、なんかいつものと雰囲気違ったから」
口を揃えて言うところを見ると、主将である福富の耳に入れなくてはならないと皆が判断するような喧嘩をしたものらしい。
困ったものだと思いながらうなずくと、直接彼らの争いに巻き込まれるのは嫌らしい寮生達が、任せた、と肩を叩いて去っていく。
新開がその場にいたなら、詳しい状況は彼に聞けばいいのだが、まだどうにも公道で自転車に乗ることに抵抗のあるらしい友人は、部の練習に参加していない。九月に入って、三年は実質引退したに等しい状態なので、特別メニューを組むから出てくるように、説得しているところだった。
明日からまた改めて新開を説得しなければ、と考え、更に荒北と東堂の今回の諍いについても話を聞かなければならない。主将の仕事を増やしてくれる友人達に微かに苦笑しながら自室に向かおうと階段を登りかけ。
「おかえりィ」
階段の途中に腰掛け、気怠そうに片膝を抱え込んでいた荒北に遭遇した。
「……ただいま」
昼間の諍いとやらについて、東堂がいかに理不尽かを言いつけにきたのかと一瞬思うが、荒北はどこか冷ややかな顔のまま階上から福富を上から下まで眺めやって、唇の片端だけを引き上げて笑った。
「ツキモノが落ちたみたいな顔だネ」
皮肉っぽい口調は荒北らしかったが、一瞬違和感を覚えたのは、言葉の選びが東堂のそれに似ていたからだろう。
「わざわざ千葉まで出向いて、少しはすっきりしたァ?」
「……そんな、簡単な問題じゃない」
「あっそ。じゃ、明日も引き続き、自分のことで手一杯で部のことほっぽりだすワケ?」
「荒北?」
攻撃的な口調は荒北の常だが、明らかに今、その怒りは自分に向けられていることに気が付いて福富は戸惑った。慢心したことを言うようだが、荒北は福富にだけ懐いて忠誠を誓う狼のような生き物で、口先でどれだけ捻くれたことを言っても、本気で怒るようなことはなかった。
「主将、辞退しなかった時、責務は果たすって言ってなかったァ?」
「……お前の目に、オレは主将に相応しくないか?」
「じゃあ聞くけどさァ。ここしばらく、三年抜けた後にチーム再編して練習メニュー決めて、部員のタイムチェックしてメニュー調整して、部の器具とか備品のチェックしてマネジと相談して補充決めて、部の予算会議の資料まとめたの、誰?」
「……それは、東堂と」
「東堂と決めた? 東堂が決めた?」
副将の東堂がいつもきれいに資料をまとめて、これでいいかと問うてきた。几帳面にまとめられた資料に問題はなく、福富はうなずくだけでよかった。
「あの馬鹿、ちゃんと見てなきゃ一人で勝手に全部抱え込んで無茶するって、いい加減分かってンだろ。ここしばらく余裕なくてピリピリしてんの、全然気づいてなかったァ? 挙げ句の果てに、主将が他校で乱闘騒ぎ?」
「……乱闘したわけでは」
鋭い目が昼に総北のスプリンターに殴られた跡を睨みやったが、口に出しては指摘しなかった。
「おかげさまで、あの馬鹿、パニくってヒスってわんわん泣いたけどォ?」
「東堂が……?」
昼間のいつもと違う喧嘩とは、その状況を見かけたものだったらしい。
迷惑だ、と苦々しい顔で舌打ちした荒北が立ち上がる。
「あの馬鹿と今後もやってく気なら、ちゃんと話して仕事分担しろよ。面倒くせェ」
「すまない」
謝罪すると、立ち去ろうとしていた足をぴたりと止めて、じろりと睨まれた。
「オレに謝ンな」
「では、ありがとう。東堂を心配してくれて」
自分のことで精一杯だった福富の代わりに、様子を見て側にいて、今日も限界に達した東堂を横で支えた。そのことに礼を言うと、ここしばらく見なかった怒りの表情が向けられた。
「好きで面倒見てたわけじゃねェよ!」
話し合え、と怒鳴り散らして足音高く立ち去る荒北を見送って、福富は小さく首を傾げた。
荒北という男が、こういう時に本心とは真逆のことを言うのは知っている。
「好きなのか」
