一年間荒東(2016ver.) - 4/12

◆4月

 箱根の山の上の学校にバックパックを背負って帰る。帰る、という感覚に妙な気分になったが、一年間寮生活で過ごすと、すぐ近所の実家よりも学校が帰る場所になるものらしい。
 数日の帰省の間に、ここぞとばかりにこき使われた旅館の長男を迎えた満開の桜を見上げ、ロードバイクから降りる。のどかな春の陽射しの下、自転車を押して歩くうちに寝不足が祟って眠気に負けた。
 部室に向かっても寮に戻っても、元気の在り余った男子高生達は騒々しい。少し休んでから戻ろう、と桜に半ば覆われたベンチに愛車を立てかける。
 積もった花弁を軽く払ってベンチに寝転がると、視界は全て花で占められた。これだけのどかな平和な場所ならよく眠れるだろうか、とバックパックを枕にして目を閉じてみる。
「……駄目か」
 寝不足の原因が滲み出すように頭の中を回り出し、諦めて目を開ける。
 学期が終わり春休みに入って、新入生を迎える前に少し部内を整理をしていたら、部の存続に重大な影響をもたらしかねない不正を見つけてしまった。実家に一度持ち帰り数日悩んでみたが、どうしたものか全く決められない。
 騒ぎ立ててはいけない。下手に立ち回れば醜聞になる。部全体に処分が下るようなことにはならないだろうが、悪評は一度立てば払拭が難しいことを、観光地の旅館を生家として育った東堂はよく知っていた。
 解決しなくてはならない事案だが、騒ぎは起こしたくない。相談する相手を見誤るわけにはいかない。主将をはじめとした部員達は論外だ。子供の手に負える問題ではない。
 つまり、東堂の手にだって負えない。
 そんなことは、分かっている。
 どうすればいい、と堂々巡りになるここ数日の思考に、すっかり疲弊していたのだろう、気づかないうちに眠り込んでいて、ふと目を開けると、目の前に元ヤンがいた。
 携帯を構えた姿に何事かと思うが、目当ては東堂の身体を寝床にした野良猫だったらしい。顔に似合わず猫好きなのは知っていたが、その何が恥ずかしいのか、見かけると怒鳴り散らして威嚇してくるのが常だった元不良が、のほほんと猫を構っている姿に毒気が抜けた。
 そういえば、これは今日が誕生日だった。
 一年に一度くらいは穏やかな気分の時もあるのだろうかと考えて、違う、と否定する。
 福富に拾われた入部当初は手負いの野良犬のような有様で、誰彼構わず吠え立て噛みつくような男だった。そんな相手を受け入れることは到底できず、東堂とは衝突も人一倍多かった。少しずつ部に馴染んで、実力をつけて、自信を取り戻して、穏やかな顔をすることが増えた。
 自分がある意味において、自転車に出会ったことで救われたことを東堂は自覚しているが、荒北という男は今まさに救済されている最中だ。
 詮索したことはないが、彼が以前何かのスポーツに打ち込んでいて、そこでひどく傷ついたことは東堂も察している。
 これが、また自転車部を失ったらどうなるだろう、と頭の片隅で考えながら、くだらない会話を交わして暴れたせいで、桜の花弁まみれになった荒北に手を伸ばす。
「懐いたなぁ、お前」
 東堂が触れても怒らなくなったと指摘すると、慣れたのだなどと棘のない声で言う。
「そうか、慣れたか」
 そんなことを言うようになったか、と笑って、泣き出したいような気分を封じるように目を閉じる。
 ぐずぐずと思い悩んでいる暇はない。守らなくてはならないものがたくさんある。
 この、十七歳になったばかりの自転車乗りも、守ってやらなければならない。