荒北靖友は朝に弱い。
文句たらたらながらも朝練には出るし、朝練のない日にも遅刻しない時間帯にどうにか起き出してくるが、常以上に不機嫌な顔で朝食を突く様子は非常に剣呑で、彼の周囲の席は空きがちだ。
単純に当人は眠いだけなのだが、近づくなと周囲を威嚇しているようにしか見えない上に、荒北は少し前まで非常に荒れており、外見も不良そのものだったのを皆知っているので、あまり関わり合いになろうとしない。
そういった空気を読まずに平然と荒北の隣や正面に座るのは、同じ自転車競技部の同学年の部員達だ。
「隣いいか?」
「あー、福ちゃん」
のろのろとした動きで傾いていたトレイを直すと、福富は短く礼を言って隣にトレイを置いた。
「靖友がいると、席確保しやすくていいよね」
こちらは当然のように正面の席に全ての器を山盛りにしたトレイを置いたのは、同じくチームメイトの新開である。何故か最近下の名前で呼ぶようになってきたが、抵抗を示すほどのことでもないのでそのままにしている。
自転車乗りの性格なのか、彼らが特殊なのかは判断しかねるが、物怖じしないマイペースさで荒北に接してくるので、生活態度を改めてからも敬遠されがちだった荒北も最近はそれなりに学校生活に馴染んできた。
もう一人、当たり前のように近づいてくる人物がいるが、今朝は離れた席にいる。正確には、彼が先に食堂に来ていたので荒北が離れた位置に座った。
距離を取った理由は簡単だ。
「なあ、福ちゃん。アイツ、何で朝からあんなにテンション高ェの?」
食堂の一角が妙に盛り上がっているのは、その人物がいつものように騒ぎ立てているからだ。
東堂尽八、同じ部の同学年の男子だが、調子が良いというか、騒がしいというか、とにかく荒北とは反りが合わず衝突しがちなのだが、何かやりあっても次の日にはけろりとした顔で同じように接してくるので、やはり自転車乗りはマイペースだ。
「東堂だからな」
それで説明がつくと言わんばかりの福富もマイペース極まりないが、彼の落ち着いた態度は荒北をそれほど苛立たせない。
東堂はと言えば、とにかく鬱陶しい。
自信過剰に過ぎる自画自賛は何か勘違いしているとしか思えないのだが、不思議なことに一部の取り巻きがそれをちやほやと肯定してしまうので、荒北がいくら否定したところで全くめげない。
今も何か調子の良いことを言っているようで、学年問わず女子生徒から声援が上がっているのが非常に不可解だ。
「……うるせェ」
「靖友は朝弱いけど、尽八は朝強いからなあ。今日ももう一走りしてきてるはずだから、絶好調なんじゃない?」
「今日、朝練ねーケド?」
「許可もらって毎朝五時には起きて自主練してるよ、朝練の時は四時起きじゃないかな」
「フーン……」
部の朝練がある時にはその開始の前から自主練をしているのだと聞かされて、荒北は気のない返事を返した。
ちゃらちゃらと調子の良いことばかり言っているように見えて、普段の努力を怠らないことは分かってきているが、それを表に出して認められるほど荒北は素直な性格を持ち合わせていない。代わりに別のことを口にした。
「よく起きれんネ」
寮の公共スペースの消灯は二十二時と徹底しているが、自室に戻ってからの就寝はそこまで厳しくない。日付が変わった辺りで灯りが付いていると寮監に叱られるが、なんだかんだとベッドに潜りこんでからも携帯をいじったりして夜更かしする寮生は多い。
子供じみた言動が多いので、子供のように早寝早起きをしているのだろうと考えるが、思い起こしてみると、福富と並んで一年のとりまとめをしている東堂から、部内の伝達事項の連絡が深夜に来ることは珍しくない。
「あれ、アイツ、いつ寝てんノ?」
「東堂はショートスリーパーだな。四時間ほどの睡眠でも支障ないそうだ。足りない時は自分で調整しているから問題ない」
「ア?」
授業中に居眠りでもしているのだろうかと考えるが、それが続けば学校側に問題にされるだろうし、居眠りの原因が部活動にあるとすれば、その問題は確実に自転車部に波及してくる。そこに思い至らないほど福富は迂闊でないはずだが、泰然とした態度に揺るぎはない。
「だから、睡眠が足りなければ東堂は自主的に摂る、問題ない」
言い直してはくれたのだが意味も単語もほとんど変わらず、問題が無いと福富が判じている限り、それ以上に説明をする必要性も感じないらしい。
こういう時に補足してくれるのが、福富と付き合いの長い新開で、全て大盛りにした皿を綺麗に片づけていた見た目にそぐわない大食漢は、荒北の視線に気づいて指を銃の形にして向けてきた。
東堂ほどではないが、やや荒北の神経を逆撫でするパフォーマンスと共に、新開はにやりと笑ってイラッとするような発言をした。
「尽八は王子様不要の眠り姫だから」
そんなやりとりを交わした当日の昼休み、荒北はそれに遭遇した。
移動教室の近道に中庭を過ぎる途中、植木の隙間で悠長に寝ている男子がいると思えば、東堂である。
なるほど、こうして休み時間に寝ているのか、と納得して、気持ちよさそうに眠っている少年を見下ろす。
当人の美形アピールが激しすぎて、何を勘違いしているのかと思っていたが、こうやって余計な口を叩かず目を閉じていれば、確かに整った顔をしている。そもそも、初めて部で顔を合わせた時には相手がたまたま自転車ジャージでなく、学校指定の体育ジャージを着ていたために女子マネージャーと勘違いした荒北である。
顔のつくりよりも、ファンからもらったという可愛らしい花飾り付のカチューシャを付けていたのが誤解の最大の理由だったが、その性別取り違えで初っ端から大喧嘩した後も、ふざけた髪留めを使う癖は改まっていない。
今日はまだマシな方で、何の柄も飾りもない紺色のプラスチック製のカチューシャはその投げ出された手に握られている。寝ている時にはさすがに外すようだ。
珍しく下りた前髪は確かに長く、運動するにも授業中にもそのままでは邪魔だろう。
「切れよバーカ」
顔を半ば隠した黒髪を掻きあげながら毒づいて、次の瞬間ぎょっとした。
思っていた以上に柔らかかった髪の感触と、露わにしてしまった端正な造形と、完全に無意識のうちにその隣にしゃがみこんでいたことのどれに驚いたのか判然としないまま、慌てて手を引っ込めるが、よほど深く寝入っているのか、全く気付いた様子はない。
ほっとした次の瞬間、平和な寝顔に猛然と腹が立ってきて、全開にした額をはたいた。
「起きろってーの! 五限始まっゾ」
べちり、とかなりいい音がしたが、規則正しい寝息は乱れなかった。
「オイ、東堂?」
肩に手をかけて揺するが、抵抗なく揺れた首に焦って手を離すと、ことんと首が曲がった。まるで死体のような動きに非常に焦って、恐る恐る頭に手を添えて元の位置に戻す。触れた手に伝わる体温と規則正しい呼吸で、生きていることは確かめられたが、どうにもこれは、異様な気がする。
「オイ東堂、起きろって!」
声を高め、頬を叩いてみても、やはり反応がない。鼻を摘んでみると、さすがに息苦しかったのか顔をしかめてもがいてその手を振り払ったが、一向に目を開ける気配はない。
「オイ!」
下手に引き起こすと首が折れるのが怖くて、背と頭を胸で支えるようにして抱え起こしても昏々と眠り続ける相手に焦慮が募る。
まだ成長途中の少年の身体は思っていたよりも硬く、薄く。下手に扱えば壊れそうなアンバランスさが、もう壊してしまったのではないかという不安に変わる。
「どうした、荒北?」
本気で焦りだしたその時、背後から聞きなれた声がかかった。
「福ちゃん、こいつなんかおかしい!」
藁にも縋る思いで訴えるが、福富の反応は鈍かった。
普段から表情の揺れ幅が狭い男だが、動転しきった荒北に対して全く感情を揺らさず、荒北が抱えたチームメイトの顔をしげしげと眺めた後に、僅かに首を傾げた。
「東堂だからな」
「そーじゃなくて、コイツ、さっきから全然起きねーんだって!」
「まだ予鈴は鳴ってない、問題ないだろう」
「そーいう意味じゃなくて!」
何を悠長なことを言っているのだと噛みつきかけた荒北の目の前に、福富の拳が突き付けられた。
一瞬呆気に取られるが、喧嘩を売られたわけではなく、その手首の腕時計を示されたのだと知る。
昼休みの終わる、五分前。
時計の針を読み取るのと前後して、校内にチャイムの音が鳴り響いた。
同時に、ばちり、と音がしそうな勢いで腕の中の東堂が目を見開いた。
「うわっ!?」
至近距離で目が合って、驚いて手を離すと支えを失った東堂がぼてりと芝生の上に背中から落下した。
そのままの体勢で目を瞬かせていた東堂が、腹筋だけで起き上がると、ひたりと荒北の顔を見据える。
「何をする?」
「テッメ、起きてたのか!」
寝たふりをしてからかわれていたのだと思い込んだ荒北が、頭に血を昇らせるのを眇め見た東堂は、顔にかかる前髪を掻きあげながら福富に目を向けた。
「どういう状況だ?」
「問題ない。起きたなら教室に戻れ、遅刻する」
問いに対しては答えず、淡々と応じた福富に東堂は肩をすくめた。
「トミーの問題ないは当てにならないからな。そこの元ヤンが理不尽に殴りかかってきそうな理由を教えてほしいのだが」
「荒北は暴力を振るわない。それから、オレの名前は福富だ」
「新開の呼び捨てと、荒北の福ちゃん呼びはいいのか?」
「新開は昔からだし、福ちゃんというのは小中でも呼ばれていたからな」
「トミーは頭が固いな。新たな地平を開けばいいではないか」
「嫌だ」
話題がどこまでも横滑りしているが、当人達はごく真面目な表情である。
呼称について珍妙な押し問答を続けながら、東堂は立ち上がると制服の汚れを払って髪をいつものカチューシャで留め、改めて荒北に先程まで頑なに開かなかった瞳を向けた。
眠っていた時とも、普段の調子よく騒いでいる時とも違う表情に、荒北は僅かにたじろぐ。
どうにも、この眼が落ち着かない。
こちらに向けられているのに、何を見ているのか、何を考えているのかよく分からなくなるガラス玉のような瞳だ。
「なるほど、眠るオレに劣情を抱いた荒北をトミーが止めたのだな、このケダモノめ」
理解したくもないが、その思考回路がさっぱり分からない。
びしりと突き付けられた指に怒るよりも先に呆気に取られていると、福富が横できっぱりと首を振った。
「福富だ」
否定するのはそこだけなのか、と突っ込みたいが、言いたいことと言うべき対象が多すぎて頭が回らない。
「それから、荒北は起きないお前を本気で心配していたんだ。侮辱するのはよくない。荒北はお前が一度寝たら何をしても起きないことを知らない」
そこで整然と説明できるなら、何故最初からしてくれないのかと脱力感にその場にしゃがみ込んだ荒北の頭上で、東堂が首を捻る気配があった。
「そうか、心配させたのならすまなかった」
あっけらかんとした謝罪の言葉と共に、低い位置になっていた頭の上で、犬でも撫でるように手が弾んだ。
「オレは箱学のスリーピングビューティだから仕方ない。王子様のキスがなくとも勝手に起きるから、今後見かけても気にするな」
「ハァ?」
やはり起きていると鬱陶しいことこの上ない東堂を下から睨めつけるが、いっかな恐れ入った様子を見せず、更に髪の毛を掻き混ぜられた。
「ところで、そろそろ移動しないと授業に間に合わんぞ」
指摘に校舎の壁の時計を見れば、確かに本鈴が近い。
言った当人は、中庭に面した自分の教室に窓から出入りするという猫のような経路を確保しており、福富は言えば、また放課後に部活でと言い残してさっさと自分の教室に向かっていた。一番移動距離のある荒北がぐしゃぐしゃになった頭を押さえながら、狐に摘まれたような心持で立ち上がると同時に、本鈴のチャイムが無情に鳴り響いた。
「だから、尽八は一度寝ると何があっても起きないんだよ」
放課後、一番まともに会話が成立する新開を捕まえ、アイツは何なんだと喚き散らして、開口一番の答えがそれだった。
「あんまし寝なくても大丈夫らしーけど、睡眠足りなくて寝る暇があったらどこでもスコンって寝ちゃうんだよ。で、起きなくちゃいけない時間でスパッと起きる。昼休みだったら予鈴で起きてただろ?」
そう聞くと、ごく当たり前の休み時間中の昼寝に聞こえるが。
「死んでるみたいに、何しても起きなかったんだケド?」
「だから、起きないんだって」
繰り返されたその一言が、ようやく頭に染みてきた。
「……何があっても?」
「何をしても」
きっぱりとした肯定に頭が痛い。
「部室とか寮で三十分寝る、とか言ってどこでも寝ちゃってさあ。ぐっすり寝てるし、このままじゃ風邪ひくから部屋戻れって、みんな最初は起こそうとしたんだけど、大声出しても揺すっても椅子から落ちても起きやしないし、申告通りの時間で自分で起きるし、なんかもうみんな諦めた」
きっと最初は皆、昼間の荒北のように意識なく昏々と眠る様子に肝を冷やしたのだろうが、そういう生き物なのだと諦めたのだろう。
「たまにその辺で寝てるだろうけど、放っといても勝手に自分で起きるからさ」
というより、起こそうとするだけ無駄らしい。
「時間通りに起きれんのはイーケド、寝てる間に何かあったらどーすんノ?」
「地震なら震度3までは起きないけど、4以上は揺れる前に起きるとさ。あと、前に部室で寝てた時、いきなり招集かかった時は、ちゃんと起きてた。あんだけ熟睡してるのに、どっかでちゃんと周りのこと聞いてはいるっぽい。だから、寿一なんかは必要な時に起きるなら問題ないって放置してる」
「福ちゃんならそういうだろーヨ」
それで体力が回復できるなら合理的だとでも言いかねない。
「寿一と尽八は性格も考え方も全然違うけど、最終的に自己完結してるとこは同じなんだよなあ。仲いいかっつーとビミョーだけど、チームとして一緒にやってく上では相性いいんだと思う」
「オレはサイアクだっつーの」
唸った荒北に新開は肩をすくめてみせた。
「まあ、うちの自分で勝手に起きる眠り姫は有名だから、その辺で寝ててももうみんな気にしないし、放っといていーよ」
「姫とか言うな、またチョーシ乗っから」
「いや、それは本人もヤだったみたいで、スリーピングビューティで定着させた」
荒北ならどちらの呼ばれ方も嫌だが、彼の感性は理解できないししたくもない。徹底的に相容れないし、あの参考になるようで全く参考にならない無音の登坂技術も意味が分からない。理解不能の別次元の生き物なのだとしか思えない。
「なんかモォ、オレ、ゼッテェあいつに関わりたくネー」
げんなりとしてぼやいた荒北に、それでいいんじゃない、と軽薄に新開は応じた。
「って言ってたのにな」
「ッセェ!」
一年の頃のことを持ち出してしみじみと慨嘆した新開に噛みついて、運んできた荷物を放り出す。投げ出された東堂は抵抗なく部室のベンチの上に転がり、そのままの体勢で眠り続ける。
弾みで右腕が落ちたが、それは荒北にもう片手で引きずられてきた真波が拾って、丁寧に胸の上に置き直した。
「すぐ起きるんだから、わざわざ回収してこなくてもいいのに」
「何か知んねーけど、みんなオレのとこにコイツが寝てるって言いに来ンだよ!」
「それは靖友が毎回律儀に拾いにいくからじゃないかな」
「自転車部の副将が校内で行き倒れてるとか、みっともねーダロ!」
最初のうちは部の放任主義に従っていた荒北だったが、ついに我慢が効かなくなったらしく、東堂が寝ているのを見つけると回収してくるようになった。回収した後は大体部室か寮に放り捨てていくので、最初は勝手に移動させられた東堂が文句をつけていたが、途中から希望の行先と起床予定時間を書いた付箋メモを導入していた。
その横着ぶりに一悶着起こしていたのも昔のことで、どこでも一度眠りこんだら起きない東堂と、盛大に文句を言いながら回収しにくる荒北の姿は、箱学名物としてすっかり定着している。
「放っといても自分で起きてくるっていうのに、世話好きだよなあ、靖友」
「好きじゃネーヨ、重いしめんどくせェ。おい、それオモチャじゃねーぞ、真波ィ!」
ぼやきに続けて、背後で東堂の胸の上に上げさせた腕を組んだり絡めたりしていた真波に雷を落とすが、問題児は眠れるエースクライマーの手を掴んだまま振り返った。
「だって東堂さん、本当に何しても起きないですよ?」
「あと十分で起きっから遊ぶな!」
完全に先輩を玩具として扱う自由な一年生を一喝して、荒北は意識のない東堂の身体を奪うと後輩の手の届かない位置に転がし直した。
「そんなにすぐ起きるなら、置いておけばいいのに」
一年の頃より体格もよくなっているので、回収して運んでくるのも手間だろうにと感想を漏らすと、じろりと荒北に睨まれた。
「放置すっと、野次馬集まってくンだよ!」
三年かけて一種の学園アイドルとしての地位を確立した東堂である。
どうやら本気で自称山神を信奉しているらしい一部のファン達の行く末が心配にならないでもないが、彼女達のレベルまで達していなくとも、あの東堂尽八が寝ているとなると、何故か周りにギャラリーが増えてくるのである。
「本気で拝んでる女子とかいて、気持ちワリーんだよ」
「ああ、スリーピングビューティ、恋愛成就にご利益あるって噂」
「マジで!?」
「そんなに靖友が言うほど外で寝てないから、遭遇するとレアってんで、ジンクスになってるぜ」
眠りの深さが異様とも言えるレベルなので校内でも有名なのだが、そう滅多に眠り込むわけではないので遭遇するのはレアである。部員や寮生ならば、体力回復の十五分程の休憩を眠りに落とし込んでいる姿を日常的に目にするが。
「写メるヤツとかいるし」
「尽八はこれっぽっちも気にしないと思うけど」
人気者は辛いな、の一言で済ませるであろう当人は、まだ夢の中だ。
「あと、何しても起きねーからって、真波みたいにイジくる奴いるンだよ」
「許容範囲外だったら起きるんじゃね? 前にパワーバー二本口に突っ込んだら、目覚まして怒られたぜ?」
「当たり前だ! つーか、お前も何やってんだ!」
どいつもこいつも、と毒づいて、また懲りずに手を出そうとする真波の手をはたく。
「コイツなんか、最近東堂の横で寝こけてんだぞ!」
「だって、東堂さんいつも、いいとこで気持ちよさそーに寝てるから、見てるとオレも眠くなっちゃうんすよ」
のほほんと主張する遅刻魔も、その辺りで居眠りをしては寝過ごして部活に遅れてくるので、よく東堂が見つけてきている。気まぐれに居場所を変える真波の探索は難しいのだが、どこでも眠る者同士、寝心地の良い場所を見つける嗅覚は同じなのかもしれない。
あまりの遅刻と授業放棄の多さに、たちまちのうちに部の問題児となった真波について、性格の違う猫が二匹になった、と感慨深げに呟いた福富の姿が忘れられない。
どちらもクライマーとしてのセンスは抜群であることを考えると、何とも言えない気分になる。
「荒北さん、酷いんですよ! オレのことは蹴り起こすのに、東堂さんには何にも言わないで担いでいくんですよ!」
「起きねーンだよ!」
真波のように蹴ったくらいで起きるようなら、回収作業などしていない。
放置しても問題ないと周囲は楽観的だが、どうにもいつか無用なトラブルを招きそうで、仕方なく拾いに行っている荒北である。心配性だの、世話好きだのと言われるのは非常に不本意だ。
苛立つ荒北の後ろで、身動ぐ気配があった。
肩越しに振り返れば、むくりと起き上がった東堂がゆっくりと周囲に視線を巡らせ、目にかかる前髪を掻きあげているところだった。
「ン」
「ん」
同じ短い発声のやりとりで、カチューシャを受け渡してやって、そこから剥がした付箋に目を落とす。
深く眠り込んだ東堂の横に置かれたカチューシャに貼られていたメモには、高校生にしては達筆な字で荒北の名と今の時間、部室と単語が連ねてある。
この時間に起きるので、運ぶなら部室につれていけ、という文章の形式さえ省いた怠惰な指示である。真波がいたら起こして連行すること、とも追記されているので、後輩が後から来て眠り込むことも想定していたらしい。
実際、宣言した時間通りに起きなかったことはないし、状況が変わればすぐに目を覚ますところを見るに、本当に無防備に寝ているわけでもないのだろう。
放っておいても問題ないとするチームメイト達の言い分も分からないではないが、もう東堂が寝ていると荒北にすぐさま注進が来るようになってしまったので仕方ない。
「うむ、ご苦労」
指示通り、部室に運ばれており、真波がそこにいることを見てとった東堂の満足そうな労いの言葉と共に頭を撫でる手を振り払い、荒北はカチューシャで前髪を上げて晒された額を指で思い切り弾いた。
「いっ……!」
よほど痛かったのか、涙目で額を抑えて後ろに傾いだ東堂がベンチの端から転げ落ちた。
「何をする!?」
「うるせェッ! みっともねーから外で寝んなって何回言ったら分かンだ、テメェは!」
食ってかかってきた東堂を一喝するが、三年間言い続けて一向に改まらない習性なので、半ば諦めてはいる。
だから、続いた反論に耳を疑った。
「外で寝るなと言うなら、拾いに来なければいいだろう」
「……ハァ? お前がそこらで寝るから、仕方なく回収してんだけどォ?」
「だから、荒北が来るのが分かっているから寝ているんだろうに、分からん奴だな」
何故理解できないのだ、と言わんばかりの口調である。
「ナニ? オレが拾いに行くのやめれば、お前は外で寝ねーの?」
業腹だが、周りが言う通り荒北が世話を焼くからそれに東堂が甘えているのだ、ということなのだろうか。
当人の主張をまとめると、荒北が回収に行かなければ、東堂も甘えるのをやめて行状を改めるということになるはずだが、確認の問いに東堂は不可解そうな顔をした。
「しかし、荒北はやめんだろう?」
「テメェが外で寝んのやめるんだったら、行かねーよ!」
「結局来ると思うが?」
「決めつけンな! 手前が外で寝なきゃ、オレは拾いにいかなくて済むんだよ!」
「四の五の言いながら結局来るからら、オレも好きなところで寝るんだ」
完全に平行線であるが、どうしてそうなるのかがさっぱり理解できず、荒北は新開を睨みつけた。
「あーっと、タマゴが先か、ヒヨコが先かみたいなことになってるけど、この場合、尽八が外で寝なければ全部丸く収まるんじゃないかな?」
噛みつきそうな荒北の表情に応えて新開が割って入ったが、東堂の独特の眼差しにひたりと見据えられて肩をすくめる。
「オレは元々、必要に応じて必要なだけの休息を摂っているだけで、それを破廉恥だのみっともないだのと決めつけて、せっせと回収しているのは荒北の趣味だ。勝手なことをするなと言っても改めなかったのは荒北だ。荒北が好きなようにする以上、オレも好きにするが、何か問題があるか?」
「ええと……ない、かなあ?」
「ああ、オレも委員長がいるから授業サボっちゃうなあ」
「あの幼馴染という女の子か。うむ、相手の楽しみを奪うのは忍びないというのは分かるが、お前の場合はちゃんと授業に出ろ。方々に迷惑がかかっているし、お前自身のためにもならん」
「新開、丸めこまれんな! 真波は授業フケんな! 東堂は黙れ! 何なのうちのクライマー、みんな頭おかしすぎンだろ!」
怒髪天を突いた荒北に、東堂の指が突き付けられた。
「荒北、口が過ぎるだろう。黒田に謝れ」
きっぱりと言い切った東堂に半眼になった荒北は、ゆるりと首を巡らせてレギュラーメンバー達のやりとりを恐々と見守っていた二年生の部員達に目を向けた。確かに、「うちのクライマー」と括ってしまった場合、カテゴライズされてしまう後輩がいる。
「黒田ァ、ゴメンなァ、この変人どもと一緒にして」
「いえっ、お構いなく!」
むしろこちらに話を向けないでほしい、と大きく首を横に振って無関係を主張する二年から視線を戻し、荒北は涼しい顔をしている東堂を見下ろした。
「それでェ、東堂くんはァ、自分がおかしいって自覚はあるわけだァ?」
「このオレが常人と異なるのは当然だろう」
自然の摂理とでも言いかねない口調である。
何か怒鳴りつけてやろうと一瞬大きく息を吸い込むが、途中で全てが面倒になった。
「もーいい」
疲れた、とぼやいて吸い込んだ息をそのまま吐き出すと、荒北は踵を返した。
「どこに行くんだ、荒北。もうすぐフクが来るぞ?」
「ベプシ買ってくんだよ!」
肩を怒らせて部室を出ていく荒北に、後輩たちが慌てて道を開ける。
乱暴に閉められた扉を眺め、新開がしみじみと慨嘆する。
「変わるもんだねえ……」
「今の態度を見てそう言える新開の度量を讃えるべきか、あれでも丸くなった荒北に問題があるのか悩みどころだな」
「いや、尽八が」
ベンチの反対側に腰かけたチームメイトにちらりと目を向け、東堂は視線をドアに戻した。
「そうか?」
「昔は、気にするなの一言で終わってただろ」
「言うだけ無駄でな、全く話が通じん。困ったケダモノだ」
荒北が聞いていたなら、怒り心頭に達しそうな台詞を東堂はぼやく。
「尽八は気にしてないけど、靖友は尽八が寝てるとこを他人に見られたり触られたりすんのがスッゴイ嫌なんだよ?」
「知ってる」
「知ってても目立つところで寝るのはやめないんだ?」
「おれは目立つのが好きだし、分かりやすいところにいた方があれも見つけやすくて親切というものだろう」
「親切かねえ……?」
その気遣いを、人前で無防備に眠らないという方向に向ける気はないらしいが、これでも大分マシになったのだ。
「昔の尽八が言ってた気にするなっていうのはさ、心配を押し付けるなっていう拒絶だったよな」
「そこまで言われると、オレがとても冷血なようだが」
「冷てーよ。他人が見ようが触ろうが気にしないって、何の関心もないってことだろ。自分の中で完結してるから、平気で外をシャットアウトして眠れたんだろ」
否定も肯定もせず、ただ黙ってドアを見据えている東堂の横顔を見やるが、普段感情が豊かに表れる顔にはどんな揺らぎも見られない。
言いすぎているかどうか量りかねる態度に、今更ここで止めるわけにもいかず、新開は続けた。
「まあオレは結構、あの頃の王子様不要のお姫様だったお前さんも好きだったけどな。可愛らしくて」
「姫呼びはやめろ。それに、今は可愛くないと?」
「今は、別嬪さん?」
「ならばよし」
姫は駄目で別嬪呼ばわりは可とする価値基準が今ひとつ謎である。
「ま、あんだけ自己完結してたのに、王子様来るの前提に寝るようになったって、超変わったね、って話」
逸らされかけた話題を強引に戻して、告げたかったことを全て言い切ったが、こちらを向かない横顔に変化は無かった。
「あれのどこが王子だ。ケダモノと言うんだ、あれは」
「…………美女と野獣?」
「ビューティ&ビーストだな」
「あれって、ヒロインの方からキスしないと呪い解けないんだっけ?」
「いや、告白すればOKだったぞ」
「すんの?」
問うとようやく新開に振り向いた東堂が、にっこりと微笑んで拒絶した。
「気にするな」
