マネジ!

マネジ!

【弱虫ペダル 荒東】
2014/05/04発行
文庫p216/オフセ1C+カバー4C/800円

二年生時荒東、新入生の仮入部期間に女装してマネジの振りする東堂。

サンプル文

 

「初心者を増やしたい」
新入生向けの部活動紹介のオリエーテーリングに向けたミーティングで、例年の紹介の仕方を一通り主将が説明をして、何か質問や意見があるかと形式上訊ねた後のことである。
自転車競技は高校の部活動としてはマイナーな部類に入るが、箱根学園は全国でも随一の強豪校である。この部に入部するために遠方から寮に入ってまで受験する者もいるのだから、入部希望者の獲得に血眼になる必要はない。
例年通りならば、練習風景や大会の写真をスライドで流し、部員数や設備の充実、インターハイでの実績を伝えて終わりとなる。
部員数の少ない部は、このオリエンテーションに向けて様々な趣向を凝らすが、自転車競技部においてはその必要がなく、このミーティングは例年通りのスライドを誰が今年用に作り直して説明原稿を作成するか、ということを決めるだけのはずだった。特に意見など求めていなかったというのに、二年生の一人が自信満々に挙手して述べたのが先の発言である。
「どういう意味だ、東堂?」
また始まった、とばかりの周囲の空気に頓着せず、あくまでも真顔で問いかけたのは福富だ。学年の中でその実力はずば抜けており、上級生からの信頼も厚い。二年生ながらも今年のインターハイメンバー入りはほぼ確実と目されていて、二年は彼を中心に回っている。少し生真面目すぎるのが玉に疵で、とっつきにくい部分もあるが、それは対する東堂がサポートに入って、現二年はうまく機能している。
東堂はと言えば、明るく賑やかで軽薄、自信過剰な言動が多いが、案外細かなところに気を配る上に実務能力もあるので、少し融通のきかないところのある福富とうまく補い合っている。この二人が次の世代の中心となって部を牽引していくことになるのは、既に暗黙の了解だった。
今回の部活動紹介も、二人のどちらかが説明することになるので、硬派だが威圧感のある福富と、親しみやすいが軟派な東堂どちらが良いか決めるのが今回のミーティングの議題のはずだった。
「確かにうちは黙っていても部員が集まるが、それは皆経験者だろう? もちろん、うちを目当てに入学してきたやる気ある部員も歓迎するが、どうにも間口が狭い。何も言わなくとも入部希望してくる一年は、これまでの実績だの設備だの説明しなくとも承知の上だろう。今までスポーツバイクに乗ったことのない新入生にも、興味を持ってもらえるような説明をした方が良いと思うが」
単に自分が目立ちたいから派手な演目をしようとでも言いだすつもりかと思っていたが、案外まともな意見で、福富は少し考えこんだ。
「インターハイ連覇の実績や設備の充実だけでも、十分アピールポイントだと思うが、足りないか?」
「フクは子供の頃から乗ってたから感覚が違うんだ。ロードレースは日本ではあまり馴染みのあるスポーツではないし、競輪と区別のついていない者も多い。一般の感覚ではロードなんて、最近よく道路を走ってる細いタイヤの自転車に、ぴっちりした変な服着てとんがったヘルメットして乗ってるオッサンのイメージで、カッコいいとカッコ悪いの評価は大きく分かれるぞ。特に女子の評価は概ね低い! うちは強豪だから、生徒全体に認知されているし応援もしてもらえるが、余所の学校ではナニアレ扱いもよくあると聞く。ここは自転車競技の面白さや楽しさを広く喧伝していくのも、王者の勤めではないだろうか」
びしり、と指を突き付けての堂々とした発言である。
「主に女子に?」
絶好調な長広舌に呆れ果てていた荒北の横で、新開が茶々を入れると、きっぱりと東堂がうなずいた。
「自転車カッコいいと思ってもらえれば、女子の声援も増えるし、皆もやる気が出るというものではないか」
「お前さん、もう結構応援してもらえてんだろ」
「オレだけが応援されていると、モテん男のモチベーションが下がるだろう」
既に親衛隊とでも呼べるような女子集団のいる東堂の、あまりに堂々とした物言いに頭が痛い。
過剰な自信と大仰な物言いと軽薄な態度は彼の常だが、少々勘に障ることもある。短気な性分の荒北は、ほぼ毎日と言っていいほど東堂と何かしら衝突するが、今回はどうしようもない馬鹿だ、という思いが先だって腹も立たない。
荒北が噛みつかなかったためか、予想外のところから反発がきた。
「あのさぁ、東堂。さっきから何なの? 慣例通りの部活紹介やりたくねーって?」
三年の一人から上がった声に棘がある。
部活紹介は去年と同じように進行するという方針で、早々に切り上げようとしていたのを、東堂の横槍が入った形になる。下級生が部の慣例に文句を付けたと取られたのだと気付いて、荒北は顔をしかめた。
これは、こじれるとかなり面倒だ。
「東堂、初心者歓迎つってもさァ、簡単に始めらんねーのが自転車だろ。どんだけ金かかんだっての」
スポーツバイクの敷居の高さは、まず初期費用にある。
荒北も初めて自転車の世界を覗きこんだ時、自転車本体の価格に、原付バイクが買えるじゃないかとカタログを机に叩きつけた覚えがある。初期投資は自転車本体に留まらず、ヘルメットやウェア、諸々の小物を揃えていけばかなりの額になる。
初心者歓迎と謳ったところで、高校生が気軽に部活として始めるには、なかなか難しいスポーツである。
とっとと非現実的な提案を潰してしまおうと、荒北がそう声を上げると、振り返った東堂が得たりと笑った。
「今回の卒業生が色々と寄贈していってくれたからな、バイク本体だけでも今、十台あるんだ。細かなパーツはもっとあるし、メットとグローブもある。シューズはいくつかあるが、サイズは微妙かもしれん。まあ、初心者なら最初はフラペダにスニーカーでも良いだろう。本入部したらジャージは買ってもらうことになるが、仮入部の間は学校の体育ジャージで十分だ。バイクも一年くらいは貸し出しても良いんじゃないか? 本気でやりたくなったら自分の機体が欲しくなるだろうが、それまでの繋ぎができればいいんだ。うちならそれだけの設備があるのに、初心者の間口を広げない手はないだろう」
立て板に水とばかりに捲し立てられたが、どうやら既に何人までなら何も道具を持たない初心者を受け入れられるか試算済だったらしい。
「そうか、確かに今年は卒業生が七台も寄贈してくれたんだったな」
思い出して声を上げた福富に、東堂がうなずく。
「前からある分と合わせて十台、これだけの機材を眠らせておくのはもったいないだろう」
前年の三年生が、卒業祝いに新しい自転車を手に入れ、古い機体をこぞって寄贈していったのである。高校の三年間で体格も変わり、ちょうどいい買い換えの時期なのだろう。
気前のいい寄付だったが、現部員はそれぞれ己の体格に合わせたバイクを既に持っている。気になる機体を試してみたりはしたものの、すぐにあまり触らなくなり、今では天井のバーの上に上げられたままである。
「確かに、もったいねーな、これ」
「だろう?」
荒北も頭上を見上げ、使われないバイクに思わず呟いてしまい、東堂の嬉しそうな笑みにしまったと思うが、もう遅い。
「バイクを持たない初心者の最大受け入れ数は?」
「十人だ」
問いに明快に応じた東堂に、福富は上級生達を振り返った。
「オレも、東堂に賛成します」
下級生ながら貫禄のある福富が加勢に入ったことで、三年も考えこむ顔になった。
「……まるっきり初心者って、指導の負担増えないか?」
「いや、経験者って言っても、レース経験者と親の趣味に付き合って乗ってた奴じゃ今までも全然違ったわけだし」
「一年を公式レースに出すのはどんなに早くても六月だし、それまでに最低レベルには追いつくか」
主将を中心とした主要メンバーが、初心者を受け入れることを前提にまとまりはじめたことに、三年の一部が不満げにざわつく。どうにもその反応が不穏で、荒北は内心舌打ちする。
これだけ大所帯の強豪の自負のある運動部にもなると、部員間の確執も色々あって煩わしい。
「それで、初心者にも興味を持ってもらえる部活紹介については考えているのか?」
主将から問われて、それまで自信満々だった東堂が初めて困った顔をした。
「機材や用具の貸し出しがあることを前面に出すのと、後は、どうしたものかと……」
「思いついてねーのォ?」
「自転車に興味のない状態というのがよく分からんので、そこから興味を持ってもらう手段も思い浮かばん。そういえば荒北は何で途中入部……」
「福ちゃんが」
「…………盗んだバイクで走り出したんだったな、お前は」
「るっせ! 借りたんだヨ!」
参考にならないと早々に話題を打ち切った東堂に噛みつくが、相手にされない。
「よその部はどんな発表をするんだ?」
福富があくまでもマイペースに問いかけ、東堂は少し考え込んだ。
「ブラバンや軽音部なら演奏するし、文化部は基本的に活動そのものがパフォーマンスできるものと、作品を展示して説明するところに分かれるな。運動部も体操部やダンス部のようなところは当然演技を見せるし、武道系も演技を見せるな。弓道部は毎年人気だ」
「パフォーマンスと言っても、ローラー乗ってみせても意味がなさそうだが」
「地味だな」
「派手に見せるならBMXじゃね?」
「うちの活動にBMXが入っていれば問題ないが、活動外のことをパフォーマンスして、それで入部希望してきた新入生がいたら詐欺になるだろう」
新開の提案を正論で東堂が退ける。
「じゃあ、後は受け狙いで踊るとか?」
「今から練習しても間に合わなくないか?」
「つーか踊ンな!」
時間が間に合えば部員全員巻き込んで企画しかねないのが、東堂と新開の組み合わせの恐ろしさである。
「改めて興味を持ってもらえる部活紹介って考えると難しいなあ。まず、インパクト?」
「それと、女子マネも欲しいが、どうしたら興味を持ってもらえるか……」
「絶世の美形の東堂くんが、女装してマネジの振りして募集すればぁ?」
上級生の間から上がった声は冗談として笑いとばすにはいささか毒が多く、続いた賛同の声も妙に粘着質だった。
「つーか、入部した時なんか、みんなお前のこと女子だと思ってたじゃん。そのまま説明に出たって、女子マネだと思われるって」
違いない、と上がる笑声が陰湿だ。
「どーいうこと?」
東堂が妙に上級生に絡まれていないかという意味の疑問だったが、隣の新開は別の意味に捉えて言い訳をした。
「いや、だって、ぶかぶかの体育ジャージ着てたし、ちっちゃかったし、ほっそいし、目でっかいし、髪長い上に赤いリボンの付いたカチューシャだったんだぜ?」
「あー、オレの時はピンクのお花だったわ」
男子自転車競技部のチームメイトの性別を見誤った言い訳に、他の部員より遅れて入部した荒北も覚えがあったので、思わずあらぬ方向を眺めやる。
当人が過剰にアピールをする美貌は、全く見当違いなわけではなく、実際その顔の造りは整っている。本人は男前と主張するが、非常に中性的な顔立ちに加えて、男にしては長めの髪と、それを邪魔にならないよう留めているカチューシャが曲者である。
百歩譲ってカチューシャを使うのは許すとしても、男ならば有り得ない可愛らしい飾りのついたものを平気で身に着けるのだ。更に新入生の中では、一番小柄で痩せていたのも大きい。この一年でそれなりに伸びたようだが、まだ荒北からすると随分目線が下になる印象だ。
己の外見に自信たっぷりの東堂だが、性別を間違えられることには不快感を示す。スリーピング・ビューティなどと名乗る癖に、姫だのお嬢といった冗談半分の呼称はかなり嫌がっていたので、一瞬真顔になった東堂に荒北はひやりとしたものを感じた。
普段、表情が豊かな分、真顔になると妙な迫力が出る。
芝居がかったような言動で軽薄な馬鹿と思われることの多い東堂だが、今回の流れからも分かるように実際は冷静で計算高い。親しみやすい表情が失せれば、途端に冷淡に見える容貌は、何を考えているか分からず、反発を招きやすい。
三年生の一部から感じる、どうにもきな臭い空気は確かに東堂が原因なのだ、と嗅ぎ取って、荒北は顔をしかめた。
「オイ、東堂」
その顔をどうにかしろ、と言外に込めた呼びかけに応じるように、ぶわりと満面の笑みが広がった。
「荒北、それだ!」
「ア?」
輝かんばかりの笑顔を向けられ、荒北は目を瞬かせた。
「オレが女子マネをやればいいんだ!」
エウレカとでも叫ばんばかりの勢いだが、言っていることの意味がさっぱり分からない。
「何の話してンの、お前?」
「分からん奴だな、新入生勧誘の相談をしているんだろうが」
「で、お前が女子マネやんの?」
その通りだ、と力強くうなずかれ、荒北は額を押さえた。
間違っていた。
表情があろうがなかろうが、東堂尽八が何を考えているかなど誰にも分からない。