きのう、きょう、それからあした

きのう、きょう、それからあした

【僕のヒーローアカデミア 炎ホー】

2022/5/3発行
文庫p78/4Cオフセ/400円

神野の事件の後、潜入捜査のために、変装して花屋でアルバイトをするホークスと、前からその花屋を利用していたエンデヴァーが遭遇する話。

サンプル文

 

 子供に将来の夢を問えば、誰もが皆、ヒーローと即答する、という幻想がはびこっているが、現実はそうでもない。
 もちろん、個性を自在に奮い、華やかな面が目立つヒーローは一番人気の職ではあるが、ヒーローというものにさほど興味の無い子供もいれば、暴力を忌避する子供もいる。ヒーローよりももっと好きなものがあって、それに関わる仕事に就きたいと考えるのも、ごく当たり前のことだ。
 鷹見啓悟という名とこれまでの人生を放棄して、公安直属のヒーローの道が敷かれたホークスの場合、将来は確定事項であって夢を抱く余地はなかったが、教育の一環で一般市民の感覚を理解するために学校に通っていた際は、周囲に合わせて未来の自分を騙る必要があった。
 過半数を占めるプロヒーローを夢として宣言する方が楽だったので、あえて面倒な方を選択してみた。
 非ヒーロー派の同級生達の言動をよく観察し、どんな価値観でもって何になりたいと願うのかを考察し、幼かったホークスは偽装すべき将来の夢を注意深く選択した。
「お花屋さんになりたい、って作文書いた覚えがあるんすよね」
 当時の作文もどこかに資料としてしまわれているはずなので、探せば出てくるのだろうと思いつつ、笑ってみせると、周囲は反比例するように苦々しい顔をした。
「だから子供の頃の夢、叶えさせてくださいよ」
「……あなた、花が好きだったかしら?」
「イイエ、マッタク」
 好きでもなければ嫌いでもない、関心がない、というのが実際のところである。当時、何を考えて花屋になるのが夢、という子供を演じたかも忘れたが、たまたま今回の話の流れで都合がよかったので持ち出しただけだ。
 体制に都合の良いヒーローとして仕立て上げるために、年端もいかない強個性の子供を母親から引きはがし、それまでのわずかな人生の経歴を抹消し、過酷な訓練を強いた公安組織に対してホークスが抱いている感情は、あのまま社会から逸脱して生きていれば遠からず犯罪者になっていたことを考えれば感謝していなくもないが、それを伝えて調子に乗らせる気もない、である。機会があれば適宜、大義を掲げてのその不当性を当て擦る。
「憧れのヒーローのサイドキックになりたかった、くらいのことを言うならともかく、花の名もろくに知らないで花屋になりたかったなんて言われても」
 安い挑発をしすぎると軽く捻り潰されるので、幼児期から知られている相手との会話は難しい。
 それで、と軽く溜息を吐きながら公安委員長はホークスを見据えた。
「それは、あなたに先日依頼した仕事に関係あるの?」
「微レ存です」
 元々硬質の表情が更に硬化し、室内に吹き荒れた精神的なブリザードを飄々と受け流したホークスの代わりに、同席していた職員が咳払いをして若者のスラングを訳した。
「可能性は低いが、なくはないという意味でいいか?」
 会長はスラングの意味を云々して圧をかけたわけではなく、適当なことを言っていないで納得できる材料を出せと威圧しているだけなので、無駄な翻訳である。
「まあ、いくつかそれっぽいことは言えますけど、根拠はないですよ。大体俺の勘です」
 にこり、と笑ってみせるが、鋭い眼光で刺し貫かれて続きを促される。
「えーと、ついでに『ホークス』じゃない立場で、今の状況確認したいんですよね」
「……」
「有名ヒーローの視点じゃ、見られないものがあるはずなんですよ」
「…………オールマイトが引退した今、求められているのは次の時代を担うヒーローよ。現状、エンデヴァーは役者不足。幅広い支持層を持つベテランとして地盤を固めていたベストジーニストはしばらく活動休止。今、このタイミングであなたを所在不明にするわけにはいかない」
「ちゃんと『ホークス』の仕事もしますよ。ってか、学生のバイトでいいです。週三回シフトで入るアルバイト。ついでにヒーロー活動もします」
 へらへらと告げると、職員達の反応はそれぞれ分かれた。
 ふざけすぎだと不快感を示す者、相変わらずだと呆れる者、それぞれ、これまでホークスに関わってきた経験数の違いで反応が変わるのが興味深い。
 ごく初期からホークスの存在を見出し、育成に関わった会長はと言えば、呆れと諦めが等分に入り混じった顔で長々と息を吐き出した。
「どうしても、それが必要だと言うのね?」
「いえ?」
 そんなことはない、と首を振ると圧が再度高まった。
「空振りの可能性は高いですし、公安の組織力でどうにかしてもらった方が手っ取り早いとは思いますよ。俺がこそこそ変装して潜入捜査するより、あなた方がお望みの通り、連日事件を最速解決してテレビにバンバン出て次世代ヒーローここにあり、ってアピールに専念しといた方が費用対効果は高いでしょーね」
 それが分かっていて何故、という眼光にウイングヒーローは軽薄な笑みを返す。
「最初から言ってるじゃないですか。俺、お花屋さんになってみたかったんです」

 最後にヒマワリがいっぱいのバケツを店舗の前に運び出し、向きを少し変えて配置を調整すれば、開店準備は完了だ。ちょうど商店街の他の店舗も開店時間のようで、隣近所の雰囲気も慌ただしい。
 見上げた夏の空は真っ青で、気温は既に非常に高い。様々な花の香りが熱気と混ざり合って南国の空気を思わせるが、景色はごく普通の駅前の商店街だ。
 ステンドグラスでできた看板が、夏の陽光を透過してきらきらと輝くのを見上げる。ただでさえ読みにくい店名が装飾されたアルファベットで綴られているので、看板としての用途より建物の装飾として使われているのかもしれない。店名よりも、濃淡二色の紫と白いガラスで形どられた花の意匠の方がまだ花屋としてのアピールをしている。
「陳列終わったー?」
「今終わりましたー! まあ、分かっちゃいましたけど、肉体労働っすね!」
 店の中から声をかけられて、返事のついでに弱音を吐く。
 さすがに小学生ではないので、花屋のバイトが花に囲まれているだけの仕事と思っていたわけではないが、花というものに漠然と抱いていた重量感に対し、実際の生花が詰まったバケツや鉢植えの重量は想定外だった。
 パワー型ではないとはいえ、それなりに鍛えたプロヒーローの身として弱音を吐く程ではないが、今演じている特に体育会系でもない大学生のアルバイト初日ならば、この程度の愚痴は吐いて当然である。
「大丈夫です……かな? 腰を痛めちゃう子もいるから、重いものを動かすときは気を付けてね」
 不自然な語尾で話しかけてきたのは、この花屋の店長で、この店で唯一この新人アルバイトがプロヒーローであることを知る人物である。プロヒーローであることは伝えているが、ウイングヒーローのホークスとは明かしていない。
 特徴ある深紅の翼を最小にして一部を店の周辺に散らして隠し、残った翼の付け根を覆って背鰭に似たパーツを取り付けている。耳にも魚のヒレのようなパーツを付け、目元にも薄青い鱗を張り付け、髪も青緑にし、魚っぽい個性外見に寄せている。大空を最速で翔けるウイングヒーローとは真逆の印象になっているはずだ。
 ホークスと知って緊張しているわけではなく、捜査任務の潜入に協力している、という事実に態度が胡乱になっているようなので、なるべく早く慣れてほしい。
「テンチョー、俺、全然花の名前分かんないんで、教えてください」
 夏の盛り、ヒマワリが多く陳列されているのは見れば分かるが、それが細かく品種ごとに名前がついているとなると、完全にお手上げである。
「新人くん、詳しくないけど花は好きなの?」
 店長の緊張をほぐそうとしたところ、アルバイトの女子が会話に乗ってきた。
「花はまあ好きだけど、全然名前とか知らない。俺の彼女が花大好きで、将来本気で花屋開きたいって言うからさ、じゃあ俺も勉強しとこーって」
「えー! なにそれ、彼女の夢応援!? やさしー! アタシの彼、絶対そんなことしてくんない!」
 盛り上がるアルバイトの女の子の後ろで、嘘八百なバイト志望動機に店長が目を白黒させているが、今回ホークスが設定した潜入用の役柄は、ごく普通のチャラい大学三年生である。花に対する興味のなさをカバーするために、適当に架空の彼女の話をでっちあげている。
 捜査のために学生アルバイトとして潜入する、と称して公安が用意した書類上は存在するヒーローの身分を利用しているので、二重の詐称だが、そもそもホークスの人生そのものが詐称なので大した違いはない。
「お盆の時期だから、お供え用の花がたくさん出るんだ。今日はまず、奥でその補充分を作ってもらおうかな」
 それが開店準備の陳列に続いて、素人の新人に最初にさせる仕事らしい。それでよいか、と店長に目で問われて、はい、と笑って応じると、あからさまにほっとした顔をされた。
 店の奥の作業台に向かって、並べられた花の名と処理の仕方を教わる。
「これは小菊、白い菊の花言葉は、そのまま『ご冥福をお祈りします』。トルコキキョウは優美、希望など。お供えの時は『あなたを思う』で通してね」
「?」
「解説する人によって、花言葉の意味がよくブレる花なんだよ」
「フレキシブルなんすね」
「花言葉はあまり固有固定のものと思わず、いくつか意味が重複するものだと思っておいて。贈る側と受け取る側の認識がズレていると、悲しい結果になったりもするので……」
 難解な世界である。
「これがリンドウ、白い花もあるけど、今回は他で白い花を使っているので、色を締めるために青い方を使う。花言葉は『あなたの悲しみに寄り添う』」
「ああ、これが」
 名を聞いて、紫紺色の蕾が付いた花を改めて見やる。
 これまで生きてきてあまり意識したことがなかったが、和の空間で活け花などに使われているのを見たことがあるような気がする。
 今回の事件において、鍵となりそうだと目されている花である。
「これは、この時期の花なんすか?」
「本来は秋の花だけど、花屋には六月から十一月頃まで出回る花だよ。……うちには通年置いてるけど」
 そもそも、この静岡の一都市の街の花屋にヒーローが潜入捜査などする事態になったのは、違法なドラッグを嗜む若者の間でマジカルパウダーなる粉末が出回りだしていたのがある。
 広く流通している脱法ハーブに混ぜて吸引すると、通常の数倍の効果が得られるという噂で、実際、個性ブースト系の薬物が混ざったドラッグと併用摂取した中毒者が大暴走を起こす事件も発生した。
 問題の粉末を分析したところ、素材自体は市販の園芸品種の植物を乾燥させて細かく砕いただけの代物だったが、それに個性が付与されていた。植物を活性化させる個性が、混ぜたハーブ類の効能も高めるものと推測され、個性の特徴から捜査を進め、容疑者として浮上したのがこの街の花屋の店長である。
 植物の生命力を高める個性の限定使用許可を得て、店で扱う花の鮮度を保つ目的に使用している男だ。任意同行を願って取り調べた結果、粉末の正体は確かにこの店で売られている花々だったが、個性を持つ男自身は無実だった。
 商業利用のため、個性限定使用申請を届け出ているものの、彼の個性自体はさほど強いものではなく、切り花を瑞々しく長持ちさせる程度だ。そして、個性を付与された植物をただ乾燥させても、問題の粉末と同様の効果を持たないことも判明した。
 彼の店で扱う植物に、更に何らかの個性をかけて加工していること。現状、出回っている粉末が少量であることから、定期的にこの店から花を購入する程度でも生成しうるため、店の客が製造者である可能性が高まった。
 疑いをかけられ、また愛する花と己の店を悪用されていると知った店長の憤りは非常に強く、捜査には大変協力的である。
 要約すれば、違法ドラッグの効果を高める補助剤にこの店の花が使われている、という事件だ。
 通常ならば、この地方の警察に捜査を任せる案件で、ヒーローが出張ることはない。ましてや、繰り上がりNo.2が内定している多忙な人気ヒーローが正体を隠して潜入捜査をするような重大な事件ではない。
 先日、ホークスが公安委員達に潜入捜査を強請った際、非常に渋い顔をされたのはそういうことだ。
 神野の事件で社会の柱たる最強のヒーローを失い、有力なヒーローも多数負傷して戦力が低下し、社会全体が不安に揺れる今、ホークスという最大の手駒を、こんな些細な事件に割けるはずがない、というのが公安の言い分だ。
 かなり揉めたが、この店での捜査を週三回までとすること、その間もウイングヒーローとしての活動アピールを欠かさないこと、公安の指定するいくつかの外交イベントへの絶対参加などを条件に、最終的に勝ち取った。
 厳しい実家に育った箱入りの子供が、自立への第一歩としてアルバイトを認めさせたようなものだと思っている。
 これまでも、正体を隠しての潜入捜査は何度か行ってきたが、アングラな集団に潜り込むことがほとんどだったので、こういった民間のアルバイト体験は初めてなので、色々と新鮮だ。
 店長が見本に作ってくれた仏花の花束を参考に、茎の長さを調整しながら切った花を組み合わせ束ねていく。白いトルコキキョウは単体ではひらひらとした花弁の重なった洋風の華やかな印象だったが、白い菊と涼しげな紫紺のリンドウの、和の花と組み合わせると、立派に仏前に供える花束になった。
「このリンドウっていうのは、単体でもよく売れるんすか?」
「季節の花として普通に出るね。凛とした雰囲気が好きだって人も多いし、和の花だから和食のお店にも需要がある」
 証拠品として押収した粉末の成分を調べたところ、他の花も混ざっていたものの、ほとんどがこのリンドウの花を乾燥させて砕いたものだった。この時期の花だと言うし、たまたま押収したロットがその花束から作られただけかもしれないが、本来、夏から秋にかけて咲く花を、この店ではある顧客のために特別に通年取り扱っているのがネックだ。
 捜査協力を申し出た店長が、粉末の成分がほとんどリンドウだったと聞いた時点で、その顧客が怪しいと断言した。
 なんでも、花の生産農家に直接交渉して通年花を用意した上で、花の寿命を大幅に延ばせる個性を付与するこの店にわざわざ置かせるという、手間をかけた契約をしているそうで、その上で月に一度来店して受け取るかどうかという頻度らしい。
 リンドウの花を絶やさずこの店に置いておく契約のために支払われている金額も、本来の時期以外に花を咲かせるための費用も相当なもので、それを十年も続けているのだから、犯罪目的のためなら納得できるとの主張である。
 黒塗りの大きな車で乗り付けて、花を受け取りに来る男の容貌も恐ろしく、到底一般人とは思えないのだ、と店長に力説されて、花の受け取りがあった日時の商店街の監視カメラ映像を警察で確認したのだが、この花屋の店頭周辺は何故か死角になっており、件の人物を映した映像記録はどこにもなかった。
 どうやら、いつの間にかカメラの向きが少しずつずらされていたようで、商店街の通りにいくつもの死角が意図的に作られていた。
 今は元のカメラの位置はそのまま、新しい監視カメラを追加設置して死角をカバーしているが、今のところ怪しいものはないようで、公安本部でモニターを監視している職員からの連絡はない。
 何も言ってこないので、こちらからコンタクトを取ることにする。
 花束を作りながら、店の棚の上に置かせてもらった盗聴マイクを、剛翼の小さな羽で軽く叩いて暗号で挨拶を送ると、耳に取り付けたヒレの形をした通信機から恨みがましい溜息が聞こえてきた。
『元気じゃありません。寝たいです』
『お喋りしてれば眠気も覚めるんじゃないですか?』
『知ってますか、君が仕事を増やさなければ、仮眠くらいは取れたんです』
『オツカレサマデース』
 万年寝不足の旧知の職員の恨み節を聞き流す。子供の頃に社畜という概念を覚えたのは、目良のせいだ。十数年前から全く変わっていないワーカーホリックの怨嗟など、店のBGMと大差ない。
『で、結局、仮免試験はそのままやるんです?』
『そういう話を聞き出したくて、この潜入捜査を捻じ込んだんですか?』
『それもなくはないです』
 公安職員によるバックアップを強請ったら、渋々認めた顔をしていたくせに、初日にこの癖の強い男を配置してきたのだから、話の分かる上司で有難い限りだ。
 向こうにも色々と思惑があるのだろうが。
『日程はそのままで実施します。会場も、まあほぼ変えられませんね。雄英生を更に狙ってくるかは分かりませんが、雄英生徒の受験会場は重点的に警備を増やして対応します。試験内容は組み直し中です。だから忙しいんです、分かります?』
『タイヘンデスネー』
 打音による暗号通信でも、心にもない相槌は伝わるものらしい。地を這うような愚痴を聞き流しながら、その中に散りばめられた次代のヒーロー像の方針についての優勢意見、反対意見、それぞれの陣営のバランスや派閥の情報を拾っていく。
『連合の動きは何かありました?』
『今のところ消息不明ですね。ちゃんと捜してますよ、街のおまわりさんが』
『おまわりさんが』
 警察が逃亡した敵連合の足取りを必死で追っているのは当然だが、わざわざ街の、と付けたからには公安直接指揮の捜査班に何やら問題がありそうだ。
『僕は担当じゃないんで』
『じゃあ担当者の人出してくださいよー』
『明後日のシフトで、このお守り係当番だから直接聞いてください。教えてくれるかは知りませんけど』
 敵連合追跡のボトルネックを、わざわざご用意してくれるらしい。なんでもいいから話を引き出せ、という指示を、花の茎の余分な部分を切り落としながら聞く。
 都市伝説とされていたオールフォーワンという、混迷期から生き続ける巨悪が実在していたと衆目に晒されたあの神野の夜以降、社会も揺れているが、公安内部にも大きな揺らぎが発生している。
 ホークス自身、過去にそれに相当する犯罪者がいたのは確かだが、複数の犯罪者の逸話を組み合わせた偶像の伝説が裏社会でまことしやかに囁かれ、インターネットの噂話として流布し、誇大に伝わったもの、と教わっている。
 今、闇の帝王本人だと詐称する者、または後継者を名乗る者は、取るに足らない脅威だと言っていたものが、つい先日、街を壊滅させ、選抜したヒーロー達を打ち倒し、社会の柱たるオールマイトと相打つ形で捕らえられた。その後継者は、国のヒーロー養成機関の最高峰である雄英を二度も襲撃し、今も逃亡を続けている。
 誰が、彼らを取るに足らない脅威と情報操作してきたのか、早急に洗い出しが必要な状況だ。
 実は長年影で因縁の戦いを続けてきたというオールマイトが報告を怠ってきたことを責める筋もあるようだが、組織として信頼されていなかっただけな上に、実際に内通者の存在が明白なので、オールマイトの判断の方が正しい。
『ところで雄英の内通者って、まだ全然目星付かないんです?』
『まだかかりそうですよ。雄英は寮制に切り替えて、教員も生徒も監視しやすくするそうです』
『寮生活! できんのかな、あの子』
『あの子?』
『春の職場体験で一人受け入れたんすよ、体育祭三位の子』
『はいはいはい、鳥仲間の強個性の男の子。協調性に問題ありです?』
『そういうのとも違うんですけど、感性がちょっと独特だったんで。共同生活……、まあ、どうにか……?』
 少し心配だが、当人にとっては余計なお世話だろう。
『仮免取ってインターンで来たら、様子聞けばいいんじゃないですか? まあ、さすがに今の状況でインターンに出す判断するかは分かりませんけど』
『いやあ、もう来ないでしょ。嫌われたと思うんで』
『子供をいじめたんですか?』
『ちょっと春の襲撃事件の詳細と体育祭の対戦相手のことと、学校生活の聞き取りして、あとは現場で置いてきぼりにしただけですよ』
『君の事務所のに配属した新人サイドキックが一週間で心折れて辞める、いつもの洗礼を十五歳の子にもやらかしたと。普通なら二度と来ませんね』
『ですよねー。面白い子だったんですけど、残念です』
 今、事務所に残っている希有なサイドキック達にも職場体験終了後に叱られたので、あの一風変わった言語感覚と美的センスの少年が次の研修先にホークスの事務所を選ぶことはないのは知っている。
『済んだことはさておき、そういえばデトネラットのヒーローサポート事業の認可状況、どうなりました?』
『そういう、人のことを情報源としか思ってない態度が、少年の心を傷つけるんですよ』
『それ以外の人間との関わり方を教わった覚えがないんですよね。目良さんは少年じゃないですし』
『中年だって傷つくってことを、若者は理解すべきだと思うんですよね。教育が悪かったんですかね』
『悪かったんじゃないですか?』
 思い当たる節があるなら、次世代のヒーローの教育方針企画担当者として反省を活かしてほしい。
『本当に可愛げがなくなって……』
『元々なかったですね』
 幼少時を思い起こしても、そんなものを持ち合わせていた覚えがない。実の親も存在を否定した可愛げである。
 公安に引き取られ、背に翼の生えた子供というものに夢を見がちな層がいると学習してから愛想を習得したが、そんな損得ずくのものは可愛げとは言わない。
『好きなヒーローの活躍を見てる時は、目がキラキラしてて可愛かったですよ』
『好きなヒーローなんていましたっけ?』
 マイクを叩く羽の勢いが少し強まったことも記録されているのだろう、と考えながら次の花束を作るべく、リンドウの花を手に取る。
『そういえば、No.1昇格が内定したエンデヴァーですが』
 売り物を傷つけないように一度作業台の上に戻し、別の一本を手に取る間に僅かに波立った感情を抑える。
『お客さんですよ』
「らっしゃーせー!」
 わざわざ指摘されなくとも、店頭に立ち寄る客の気配は全て察している。
『その挨拶、花屋としてはどうですかね?』
『学生バイトって、こんな感じじゃないです?』
『言葉遣いを店長に注意されるまでが、学生バイト初日のテンプレと言えばそうかもしれませんが。ほら、店長が来ましたよ』
 慌てた様子で店の奥に向かってくる店長は、この店は八百屋でもラーメン屋でもないのだ、という注意をしにきたようには見えなかった。
 己の脇を指差して小刻みに動かしているのは、入口に注目してほしい、というジュスチャーを端から分からないようにしているつもりなのだろうが、誰がどの角度から見ても不自然な動きになっている。
『一般市民の捜査協力って、こういう弊害あるんすね』
『一般市民は何が起きても表情を変えない訓練とかしませんからね』
「テンチョー、お疲れ様でーす。作った花束の補充っすか?」
「え、あ、花? この時間ですごいたくさん作ったね……」
「作ってるうちに慣れました。次はあのお客さんの応対っすか?」
「そ、そう、その、リンドウの花のお客さんで……!」
 すぐに捕まえるのか、と言わんばかりに興奮した男の肩を軽く叩いて宥める。
「じゃあ、俺は横で見学してるんで、いつも通りの対応見せてもらっていいすか?」
 不可解そうな顔をした店長の肩に置いた手に少し力をこめて、もう一度告げる。
「今回は、いつも通りに、お願いします」
「いつも通り……」
 今度は意味が伝わったようで、作業台の前を譲ると、リンドウの花を使って小さめの花束を作りはじめる。
 その間に自然な仕草で、観葉植物や色とりどりの花越しに店の入口付近に立つ男の影を振り返る。
 昼も近い真夏のこの時間帯の太陽光の威力は凄まじく、店の外は真っ白に光って、逆光になった男のシルエットは黒一色に塗り潰したように見える。逆に、明るい外からやってきた男の目には店内は暗いはずなので、先程の店長の胡乱な態度に気づいていないとよいが、そんな都合の良い希望は持たない方がよいだろう。
 警戒された可能性が高いが、ひとまず花束に剛翼を一枚忍ばせる当初の予定はそのまま続行する。
「お、お待たせしました!」
 花束を抱えてぎくしゃくとした動きで男に向かった店長の様子を見て、容疑者を泳がせるという計画が大変危ういことを悟り、荒事に対応できるよう、すぐその後ろについていく。
 花の隙間から窺っていた時点で分かっていたが、かなりの大男だ。巨体の個性というわけではなく、ただ単純に高身長を鍛えあげた体格のようだから、純粋な腕力に加えて攻撃的な個性が振るわれた場合、人的被害を避けられるよう、店長ともう一人のバイトの位置、店の周囲の通行人の状況を確認しながら、相手の様子を窺う。
 いかにもパワータイプと言わんばかりの体躯を包むのは質の良さそうな夏用のスーツで、店長が言うギャングのボス風かと問われれば、微妙なところだ。スーツと同色の薄い色の中折れ帽がそれらしい気がしないでもない。
 帽子に隠れているが、髪は暗い茶か、赤色だろうか。
 強烈な夏の陽光で帽子の影が落ちている上に、彫りが深い顔立ちの目元は暗いのに、その奥のアイスブルーの瞳だけがひどく目立つ。
 画風が少し異なるが、オールマイトもこういう印象だったような気がする、と考えかけ、一瞬思考が遅滞した。
 花を受け取った男は、ありがとう、と低い声で一言告げて踵を返す。その振り向きざまのほんの一瞬、ホークスの顔を薙いだ眼光は絶対零度の刃のようだった。
「ありがとうございましたー!」
 へらり、と笑って告げると、もう一人のアルバイト店員も唱和する。
 男の手にあると、より小さく見える花束を持った客はそれ以上振り返ることなく、陽炎に揺らぐ通りを駅の反対方向に消えていった。
「行かせちゃっていいの?」
「…………ダイジョーブです」
 眩しい外を急に見たせいか、くらくらする頭を振りながら、捕まえなくていいのかと焦る店長を宥める。
「あの人、顔怖いですけど、犯罪者じゃないです」
 それはもう、二メートル近い巨体が膨れあがるような筋肉の持ち主で、目つきも鋭く、到底堅気とは思えない空気を纏っているが、犯罪に加担していない、ということだけは保証する。
「エンデヴァーです。フレイムヒーローの」
「えっ……?」
 告げられた言葉の意味をしばらく悩んだ店長は、慌てたように再度通りに目を向けたが、リンドウの花を毎回買いにくる謎の客の姿はもうない。
「僕、あんまりヒーローには詳しくないけど、さすがにエンデヴァーは分かるよ!? …………あんな顔だったっけ?」
「ああいう顔ですね。ヒーローの時は、ほら、顔から炎出してるんで」
「あー」
 ヒーローのイメージなど、コスチュームの印象があまりに強いので、個性の特徴が外見に響かないヒーローの場合、私服だと気づかれないというのはよくある話である。
「意外と小さ……いや、小さくはないんだけど、なんかもっと大きいイメージが……。ほら、あの、ウサギ耳の子と並んだ時、すごい身長差があって!」
「それは、ミルコが態度が大きくて身体も大きく見えがちだけど、実は小さいだけっすね。彼女、身長一五〇台ですよ」
「え、そんなに小さいの!?」
「なになに、ミルコの話? 可愛くてカッコいいよねー!」
 人気プロヒーローの話題に入ってきたバイトの女の子と話を合わせながら、混乱していた脳内をどうにか整理する。
『プロヒーローは、どんな不測の事態でも、いつも使っている店の雰囲気が異常で不審に思っても、その場では顔には出さない訓練や経験を積んでますよねえ……』
 旧知の公安職員のとぼけたコメントが、非常に腹立たしかった。

『目良さん、知ってましたよね?』
 あの後、昼の休憩をもらって、店の奥でコンビニで買ってきたおにぎりを齧りながら隠しマイクをべしべしと叩く。
『それはもちろん。この花屋と生産業者への手配には仲介に老舗百貨店が入っていて、顧客の情報が欲しいなら令状用意しろと守秘義務で突っぱねられましたけど、我々が本気で調べて分からないわけではないので。むしろ、君が知ってて、この潜入調査を捻じ込んだんだとみんな思ってましたからね。あれ、これもしかして知らないっぽいかなと気づいたから、ちゃんとギリギリで伝えましたよ。エンデヴァーが件のリンドウのお客さんですよ、って』
『絶対に文脈違いましたよね!』
『ちなみに、エンデヴァーの自宅は三駅離れてますが、この店の近くの病院に奥さんが長期入院してます』
『……なるほど』
『たぶん、奥さんがお好きな花なんじゃないですかね。No.2が忙しい合間に見舞いに行く時にいつでも花を受け取れるように手配した、というだけの話かと』
 四半世紀に渡ってオールマイトに次いでこの国の平穏を守ってきた名だたるヒーローの経済感覚では、ただ自身の都合に合わせて見舞いの花を準備しただけのことなのだろう。
 庶民にできる真似ではない上に、ヒーローとしての知名度の割にマスコミ嫌いでプライベートの露出が非常に低く、炎を纏っていない姿が一般市民に知られていない。常人とは一線を画した鍛え抜いた身体と、日常的に凶悪な犯罪者に立ち向かう男の纏う威圧感がおよそ堅気のものではないのが、誤解を招く要因だった。
 非常に金のかかった花の注文の不可解さと、受け取りに来る客の容貌が相俟って、元々何者なのかと訝しんでいたところに、事件が発覚して安易に結びつけてしまったのは分からないでもない。
 そもそも、一回に受け取る花束は小さなもので、これが月に一度あるかないかの頻度だと言うのなら、今回の事件の粉末を作るにはさすがに花の量が足りない。
 最初からこの件の容疑者としては疑っていなかったが、奇妙な契約ではあったので、別の犯罪に繋がることを期待していた。
 まさかフレイムヒーローが出てくるとは思っていなかったが、とっくに謎の顧客の正体を掴んでいた公安職員達が、ホークスが彼を目的としているのだと早合点して見守ってくれていたらしいのがいたたまれない。
『本当に知らなかったんで、情報共有してほしかったんですけど』
『君、あちこちに情報源持って、訳知り顔してるから、何が分かってないのか把握しきれないんですよねー。君こそ、何の情報を持ってこの店に拘ってるのか、そろそろ共有する気あります?』
『俺も本当は隠し事とかしたくないんで、共有させてほしいんですよねー』
『大人を信じてもらえるように努力しますよ』
 内通者をのさばらせているのはどっちだ、と皮肉をぶつければ、ガキ、と皮肉を返された。
『エンデヴァーは絶対に犯罪に関係ない、くらいの無条件の信頼を勝ち得るよう、鋭意努力します』
 更に重ねてくるので、旧知の関係は面倒くさい。
『裏の顔持つような器用さが、あのエンデヴァーにあるとでも?』
 長年の功績にも関わらず、万年二位と揶揄され続けたのは、トップに立つオールマイトがあまりにも圧倒的な平和の象徴だったのもあるが、原因のほとんどは当人の立ち回りの不器用さにある。もっと敵を作らないやり方がいくらでもあるだろうに、どこまでも愚直にオールマイトを越えようとする姿を道化のようだと嘲笑われても、全く己を変えなかった。
 幼少の頃を知る男は、ホークスがエンデヴァーのファンだという前提で話を振ってくるが。
「エンデヴァー……。好きだったなあ」
 暗号化した通信でなく、ただの慨嘆も集音マイクは拾っているはずだったが、公安職員はその過去形の呟きには何も応じなかった。