13階段

13階段

【鋼の錬金術師 ハボロイ】

2022/8/21発行
文庫p64/4Cオフセ/400円

原作終了直後のハボロイ。
中央に復帰したハボックが、不審な行動を取るロイに戸惑いつつ、お互いの関係を見直す話。

サンプル文

 

 曽祖父の頃から現役の由緒正しいドアベルが軽やかに鳴って、先日中央で起きたクーデターに関するニュースをがなり立てるラジオの音を少しでも鮮明にしようと、チューニングをしていた若い店主は客を迎えようと笑顔で振り返りかけ。
「たい…さ?」
 作りかけた中途半端な笑顔のまま、凍りついた。
 連日繰り返し報道される割には情報が少なく、進展の見られない中央の騒動に小さな田舎町の住民はすっかり飽いていたが、雑貨店の店主だけはラジオに齧りついていた。その報道の中で、繰り返し伝えられた名を持つ男が、目の前に立っている。
 ロイ・マスタング国軍大佐、イシュヴァールの英雄、または焔の錬金術師として知られる男が先のクーデターで果たした役割は大きく、まだ混乱の続く中央を離れられるはずがないのだが、地味なスーツ姿で店の入口に立つ男は確かに店主の元上司だった。
「な…に、してんすか、こんなところで!」
 最初の衝撃が過ぎた後、まず叱責の口調になったのは彼の護衛官を務めていた当時の習い性だった。
 敵が多いくせに、副官の監視をかいくぐって気軽に単身で歩き回る男を、毎度必死で探し回ったのはハボック自身だ。一人でいるところを見つけたら、まず身柄を確保して説教、その習慣に従おうとして立ち上がりかけて愕然とした。
 立てない。
 当然だ。それがハボックが今現在、ロイの部下でない理由だ。
 戦闘で重傷を負って退役した元軍人、どこの田舎町にも必ず数名はいるありふれた経歴で、ハボックの場合は二度と動かなくなった両足と、その若さが同情の的だ。
 田舎の人間の少々押し付けがましい同情から善意だけを汲み取るのには慣れたし、これまで母が切り回していた町の雑貨店の運営にも慣れた。軍人として鍛えていた頑強な身体は車椅子を自在に操る術をすぐに覚えて、日々の生活にもさほど不自由を覚えなくなっていた。
 そうやって慣れてきたはずの日常を、一瞬全て忘れた。
 勢いよく立ち上がって大股で歩み寄り、少しばつの悪い顔をしている上司の首根っこを捕まえて六階級も上の男を叱り飛ばす。そんな事が当たり前にできるつもりで、そして、できなかった。
 身を傾がせたハボックに、ロイが咄嗟に手を伸ばすために浮かしかけた手を呆然とした顔をしたハボックからそっと引き戻した。そのささやかな気遣いに打ちのめされる。
「久しぶりだな」
「……久しぶり、じゃないっすよ。何してんすか、こんなところで」
 互いにぎこちない出だしになったが、一度話し出せば調子は合わせられた。
 改めて車椅子を操作して入口に突っ立ったままだったロイに近寄るとその腕を掴んで背後に追いやり、扉を細く開いて周囲を窺う。
 目に付いたのは、ロイと同じく地味なスーツに身を包んで店の前に立つ男だった。肩の下がり具合からして、上着の下に銃を仕込んでいることは明白で、職業軍人の匂いを隠しきれていない男は見知った顔ではなかったが、ロイの護衛だろう。
 数秒、護衛の身のこなしを観察してから、外に差し迫った危険はないと判断して扉を閉める。
「中尉は?」
 彼に随伴すべき副官の所在を問うと、入院している、と短く答えが返ってきた。
「入院……」
「させないと無理して動き回るんだ、彼女は」
「怪我は……?」
 大丈夫だ、と答える口調に翳りがないことに安堵する。
「ところで、彼女はまだ大総統補佐官だ。私の副官ではない」
 ハボックが脱落するとほぼ時期を同じくして、東部から引き連れてきた部下達は全て引き離された。各地に飛ばされた部下達が、今回彼の下に再集結したのは完全な軍紀違反で、現時点でも、彼らは正式にはロイの管理下にない。
 勝者の都合に合わせて、今後これらの問題は片付くことだろうが、今はその片付けの真っ最中のはずだ。
 その渦中の人間がこんな東部の田舎に出向く余裕などないだろうに、何をしているのだと改めて嘆息する。
「何しに来たんすか?」
 素っ気なく問うと、容赦ない拳骨が振り下ろされた。
「いてえ、ひでえ!」
「このくそ忙しい時期に、わざわざ出向いて来た上司に対するお前の態度より酷いか?」
「あんたなあ! 今、隙見せたらマジで命取りだって分かってんのか! こんなとこまでノコノコ来ちまって、中央戻ったらクーデターの首謀者に仕立て上げられててもおかしくない、こんな微妙な時期に!」
 一目、会いたかった。
 この人に武器を届けるために国境すら越えるネットワークを張り巡らせたが、それが役に立ったのは戦いが始まるまでだった。刻々と戦況の変わる前線の情報を、後方支援しかできないハボックに伝える余裕のある者などいなかった。
 情報源は新聞とラジオだけで、作られたシナリオから僅かに覗く事実と真実を窺うしかない状況に、生きながら焼かれるような焦慮に駆られた。
 己の無力に打ちのめされながら、無事を、勝利を願って、祈って。
 全て終わったのだと、仲間達は勝ったのだと、同じ内容しか報道しないラジオから確信を得ようと、毎日ラジオにしがみついていた。
 それだけ安否を心配していた人物が、のほほんと目の前に立っていると思うと改めて腹が立つ。
「帰れ」
 きっぱりと言い放つと、大佐は非常に気分を害したようだったが、退役した身としては元上司の心象など既に怖くもなんともない。そもそも、現役時代もあまり気にしたことはなかった。
「帰んなさい」
 重ねて告げるが、むっつりと押し黙ったロイは動こうとしない。
「…………何しにきたんですか?」
 先程ハボックが叱り飛ばしたようなことが分かっていないはずはない。それでも自らこんな東部の田舎町まで足を運んできたのは、ただの酔狂ではないのだろうが。
「東方司令部と、連携を取る必要があってな。グラマン中将と打ち合わせをして、支援部隊と物資を受け取ってきたついでだ」
 ぼそぼそと不貞腐れた顔で答える内容の前半には納得する。
 ロイは東部から連れて行ったごく少数の部下さえ取り上げられ、その後付いた部下は皆監視者だったはずだ。
 中央で基盤を作る余裕などなく、今回の中央の事変でも頼りになったのは東部との繋がりだった。今後も東方司令部との連携は欠かせず、この時期に多少の無理をしても東部に来る必要も出てくるだろう。
「イーストシティからついでに来る距離じゃないんすけどね、うち」
「……だから、時間はない。一七二五の汽車で出る」
 言われて時計を見上げれば、あと三十分ある。駅前の店なので、汽車が来るのを確認してからでも間に合うが、確かに時間はあまりない。
「……コーヒー豆のいいのが入ってるんです、一杯飲んでいきますか?」
「いや、いい」
 用件を済ませる、と断ったくせに、なかなか肝心の要件を言いだそうとしない。意向を無視してやはりコーヒーを淹れるかと、車椅子の向きを変えようとしたタイミングで、ようやく重い口が開かれた。
「歩けるようになりたいか?」
 憤激は、その激しさに比例せず、立ち上がって上司に掴みかかる奇跡を起こさなかった。
「…………当たり前でしょうが」
 瞬間的に沸騰した感情は身体が全くついて来なかったことに急激に冷め、歪な形に固まったため、反応としては僅かに語尾が乱れた平坦な声にしかならなかった。
「ハボック、私はお前に足を返したい」
 頑ななまでにまっすぐな言葉に、捻じれかけた気持ちがふにゃりと溶けて、ハボックは深々と嘆息した。
「これは俺のヘマです。軍人やってりゃどこにでもある話で、あんな化け物どもを相手に命拾えただけでもめっけもんで、その命拾ってくれたのはあんたでしょ。あんまり気にされても、こっちが困……」
「治せる錬金術師を見つけた」
「……」
「いくつかのリスクがある、覚悟も必要だ。全部聞いてから治すかどうか選んでくれ」
 ドクター・マルコーという錬金術師、彼の持つ賢者の石の正体、必ず治る保証はないこと。迷いの無くなったロイの簡潔な説明と共に、いくつかの資料が渡される。
 よく読んでから決めろとでも言いたいのだろうが、選択肢などない。
 賢者の石の力は目の当たりにしている。国家錬金術師達の苦悩も知っている。軍人である以上、ハボックもその手で人を殺してきた。怖いのは、これだけのお膳立てをしてもらって治らなかった場合だが、そんな仮定に怯んで機会を逃すことはできない。
 すぐにでも飛びつきたいのをどうにか抑え込んで、ロイが何を懸念して口が重かったのかを悩む。
「一つだけ気になるんですけど、その賢者の石ってのは正体は置いといて、すげえ貴重なんすよね? 俺なんかに使っちゃっていいんすか?」
「なんかとは何だ」
 ぽかり、と殴られてハボックは口端を曲げた。
「だって、結局のところ、そういうことになるでしょーが」
 賢者の石でなくとも、数に限りがある医療品をどの患者に優先して使うか、命の取捨選択というものはある。命の平等など理想論に過ぎず、その優先順位は様々な要因で左右される。今回の件に関しては、ロイの心情が多分に加味されて、ハボックの前に幸運な選択が突き付けられた。
「ドクター・マルコーは、賢者の石を使う代償としてイシュヴァールの復興を求めた。お前が復帰して私を補佐するなら、何も問題はない」
 等価交換を基本とする錬金術師達の求める対価も極悪非道なものではなく、ハボックに躊躇う理由はなかった。
 そこにある不平等な選択によって得た恩恵を、何の屈託もなく受け入れられるほど厚顔ではないが、幸運を掴まないほど無欲でもない
「俺は、あんたと一緒にいたいです」
 きっぱりと言い切ると、元上司の顔がくしゃりと歪んだ。
「…………うん」
 いつもの迷いのない、ついてこいの一言ではなく、子供じみた応えにハボックは両手を伸ばしてロイの身体を引き倒すようにして抱き込んだ。