習い事は書道と華道、茶道、と並べれば、まず同性のクラスメイトには笑われる。
友人はさすが箱根の箱入り、と口笛を吹いたし、嫁入り修行かと馬鹿にしたのは、目つきと顔つきと口と態度が悪いチームメイトだった。
確かに、この三つ全てを習っているといえば女子でも珍しい部類だろうし、東堂もどこのお嬢様かと感じる。しかし、東堂に関して言えば、これらの習い事は嗜みではなく、ただの必要技能である。
箱根の老舗旅館の一人息子は、蝶よ花よと甘やかされているわけではなく、労働の頭数である。地元にも関わらず、高校は寮入りをさせてもらっている身の上だが、その分、休みで帰省した時にはここぞとばかりにこき使われる。
外国人観光客が庭の茶室で茶道を体験してみたいと言い出せば、父や女将である母の身体が空いていなければ姉か東堂が対応する。書き初めの言葉は、どこぞの俳句の会のご一行歓迎の一文だった。今日も延々と、これからの予定客の看板を書いてこの時間である。
ようやく書き終えて道具を片付けていれば、すまなそうな顔をした従業員に呼ばれ、花屋から届いた黄色い花と松の枝の山を前に思わず口角を下げる。
「すみません、坊ちゃん。今日学校に帰られるのに……」
母の言いつけを伝えにきただけの仲居に罪はない。客室に飾る花を全て活けてから行けという、息子を徹底的に利用する母に嘆息して、花のために暖房も入っていない作業場に身震いした。
ロビーに置かれる大きな花器は、華道の先生にお願いしているが、客室用などの小さなものは従業員で用意するのが常だ。華道を習わせた息子がいる間は、必然的にその役目が回ってくる。長く吐いた息が白く濁り、東堂は諦めて花鋏を握った。
「お花が余った分は、学校に持って行っていいそうですよ」
母からの伝言に、東堂は少し渋い顔をした。
「学校が始まるまではまだあるからなあ……」
いつもは余った花を持って帰ってアレンジしたものを、ファンの女子に配ったりできるのだが、今回はそうもいかない。
「寮母さんに一つ作って、お土産に持っていくか。正月らしくおめでたい組み合わせだし……」
言いかけて、ふと東堂は松と明るい黄色の花を見下ろして考え込んだ。
課せられた仕事をどうにか片づけ、帰寮の挨拶と共に寮母に竹筒に活けた花を土産に差し出せば喜ばれた。
中に入って、同じようにちらほらと戻ってきている寮生と年始の挨拶をしながら歩を進めると、談話室でのんびりしていたチームメイトが手を挙げてきた。
「ヨォ、東堂」
「荒北か、フクと隼人は?」
「さっき戻った、荷物置きに部屋行ってる。すぐこっち来るんじゃね?」
そうか、とうなずいて、東堂は背負っていたリュックをおろして、ぺこりと頭を下げた。
「あけましておめでとう」
「オメデト」
簡略化された返事だったが、年始の挨拶に付き合ってくれただけでも、この捻くれ者のことを思えば珍しいくらいだ。
「土産、食う?」
「鎌倉に行ったのか?」
有名な鳩の形をしたサブレを差し出され、彼の実家は横浜でなかったかと首を捻る。初詣か何かで行ったのかと問えば、あっさりと首を横に振られる。
「いや、うちの土産っていつもコレ。親が持ってけって用意してた」
「元ヤンの息子がいると、親御さんがあれこれ気を回すなあ……。しかし、県内に持ってくる土産物としては何かおかしくないか?」
「っせ、文句あるなら食うな」
「いや、鳩サブレに罪はない」
取り返される前に、包装を破ってかじりつくと、一つ舌打ちして頭を小突かれた。
「うちからはこれな」
リュックを開けて、その中身の半分以上を占めていた饅頭の箱をテーブルの上に積み重ねる。
「お前のとこだって、十分気回してんじゃねーかヨ。アホな息子がいつも迷惑かけてスミマセンって」
「オレが、いつどこで誰に迷惑をかけた!?」
「自覚しろよ、てめぇはよォ!」
年明けに出会って早々に口論になりかけるが、リュックの中に残った黄色い色彩に気づいて少し頭を冷やす。
「ちなみに、この饅頭、全部消費期限ギリギリだからな。廃棄寸前のを押しつけられただけだ」
「男子高校生の胃はゴミ箱じゃねェって、お前の親に言っとけ」
「まだ期限内なだけ、気を遣ってるだろう」
きっぱりと答えると、深々と嘆息される。
「食わないのか?」
「食うけどォ」
包装紙を破いて箱を開けた荒北が、仏頂面で饅頭を口の中に放り込む。
「ま、期限前に新開が食うか」
「だろうな」
余る心配は最初からしていない。一つうなずいて、東堂はもう一つの土産を荒北に差し出した。
「これは、お前にだ」
「花ァ?」
寮母に渡したものより更に小さな、花だけでまとめたものだ。
明るい黄色の花を手にして、大きく顔をしかめる荒北は、心底花が似合っていない。
「何これ?」
「これな、正月の定番の花で、福寿草と言うんだ」
名前を教えてやれば、かつて野良犬のように全てに噛みつき回っていた男は、さっと表情を変えた。さながら、飼い主の声を聞き分けた犬のようである。
「字は幸福の福に、ことぶきの寿。色もフクみたいな花だろう?」
福富寿一というおめでたい名前の金髪の主将を彷彿とさせる花だと笑って示すと、荒北も少し珍しい表情で笑った。
荒北という男は、とにかく表情が悪い。話題の主である福富は表情が乏しすぎて損をしているところがあるが、荒北は逆に表情筋が働きすぎる。左右の顔を大きく歪め、歯茎が見えるほど唇をめくれあがらせ、眉が跳ね上がって眉間にしわが寄る。今にも噛みついてきそうな獰猛な顔がほとんどで、たまに笑ってもどこか皮肉げに口の片端だけをつり上げる。
「へえ……、フクジュソウ……」
花を見下ろして、表情を全て緩めたような、穏やかな優しい笑顔など、初めて見た。
一瞬跳ね上がった心臓は、そのまま突き刺すような痛みをもたらした。
東堂が恋する相手は、東堂の言動には罵詈雑言と憎々しげな表情しか向けてこないが、心から信頼する福富に関することには、こんなにも柔らかな顔をする。
元より承知のことで、それが分かっていたからこそ、この花を彼の土産にしようと思ったのだ。ただ、その圧倒的な彼の中の序列の差を、ここまでまざまざと見せつけられるとは予想していなかったので、少し痛かった。
「……東堂、どーした?」
花から顔を上げた荒北が、不審げに東堂を見やり、じろりと目を眇めた。
これは、刺さる。
それ以上、突きつけられるのはさすがに辛い。伸ばされてきた荒北の手を避けるように、ふい、と顔を逸らした先に、こちらにやってくる友人達の姿が見えた。
「お、尽八も帰ってきたのか、あけましておめでとー」
「おめでとう」
笑って手を挙げてきた新開の横で、福富も僅かに顔を綻ばせて挨拶してくる。
その姿に、一瞬黒い染みのような苦い感情が沸き上がり、その見当違いの嫉妬に我ながら愕然とする。
荒北が向ける信頼も親愛も献身も、福富の存在が彼をどれだけ救ったかを考えれば当然のことで、捻くれながらもその感情は純粋だ。
邪なのは、己の気持ちだけだ。
「東堂、どうかしたか?」
どんな顔をしていたのか、福富が心配げな顔を向けてくる。
福富は東堂にとって、大事な友人でエースで頼れる主将だ。これまで築いてきた信頼関係を利己的な理由で一方的に崩しかけたことに動じた。
「……フク、好きだぞっ!?」
「!?」
がばり、と抱きつくと、主将はそのままの体勢で凍り付いた。
「…………東堂?」
「大好きだ!」
手を掴んで真正面から宣言すると、福富が胡乱な目つきで周囲を見回し、最終的に荒北を見据えた。最初は呑気に口笛を吹いていた新開も、福富の救助要請を受けて真顔で荒北を見る。
「荒北?」
「なあ、靖友?」
「何もしてねェよ! さっきまでフツーに話してたのに、このアホがいきなり暴走してンだよ! おら、東堂ォ! 福ちゃんが困ってんだろォが!」
首根っこを掴まれ引き剥がされたかと思うと、また福富に迷惑をかけないようになのか、身動きできないように抱き込まれ、耳元で嘆息される。
「ったく……、正月早々、何なんだよこいつは……」
