「靖友ー、ベプシいつものと違うのあるけど、どーする?」
買い出しに出てきたコンビニで、新開によって無頓着にカゴに放り込まれる商品を吟味し、ものによっては不許可と棚に戻していた荒北は、菓子コーナーからドリンクコーナーに移動していたチームメイトを振り返った。
「新商品?」
「みたいだね」
荒北が好む炭酸飲料は国内ではシェアが少なめで、店舗によっては取り扱いがないこともある。学園内に入っている自販機が一台あるので不自由はないが、売り切れが怖いので、買い出しの時にはストックを数本買うようにしていた。
ちなみに、一台だけ取扱いの自販機の存在について、荒北が学校側に捩じ込んで設置ささせたとまことしやかに囁かれているが、荒北の入学前から取り扱われているので、完全なる風評被害である。そんな噂が立ちやすい荒北の為人に、少々問題があるとも言えるが。
「今度は何味ィ?」
この炭酸飲料は少し前からスタンダードな味のもの以外に、期間限定の新商品を出すようになっており、それが毎回珍妙極まりないフレーバーのために話題となる。
話題性で買わせる商法なので、味は二の次で目新しさが前面に押し出されるため、愛飲者としてもその購入は冒険である。
「ファーストキッス味」
「何味だよ!?」
「レモンじゃないかなあ?」
言いつつも首を捻る新開からペットボトルを取り上げ、キスマークがデザインされたラベルの裏の成分表示を眺めてみるが、果汁が使われていないことと、バニラが入っていることが分かっただけで、後はどんな味になるのか見当もつかない調味料の名前が羅列されている。
「そしてピンクって」
ピンクレモネードの淡い色ならば一般的だが、蛍光色に近い毒々しい濃さのピンクの液体である。ペットボトルを満たすその液体の味の想像がつかず、荒北は口の片端を大きく下げた。『ファーストキッスの味でした』と印刷された新商品のポップも、どこか禍々しい。
「……なァ新開、飲む?」
「一口なら欲しい」
気にはなるが、途轍もない味だった場合、一人で飲みきる自信はない。
その商品を手に取った大方の者が抱く懸念だが、幸い、二人は学園の寮暮らしである。ネタとして一口飲みたい仲間には事欠かないと判断して、荒北はカゴにボトルを放り込んだ。
「靖友、さっきの飲んでいい?」
談話室で買い出し分を広げて、他の寮生についでにと頼まれた買い出し分の精算と引き渡しがまだ終わっていない荒北に、勝手にピンク色のペットボトルを引っ張り出した新開が声をかけた。
「オレの分一口残しとけヨ」
「あいよー」
どうしようもない味だった場合、談話室に人が多いうちに開けて回し飲みするに限る。ぷしゅり、と音を立てて蓋を開けると、パッケージに気付いた仲間がわらわらと寄ってくる。
「何それ、ベプシの新しいの?」
「すげー色」
「ファーストキス味ってどんな?」
一口くれ、と囀る餓鬼の集団をいなしながら最初の生贄として一口含んで、新開は何とも言えない表情になった。
「どんな味だったァ?」
「…………寿一」
購入者の問いに応えず、新開は友人にペットボトルを押し付けた。
毒々しい色のジュースを無言で見下ろした福富が黙って一口呷り、深々と溜め息を吐いた。
「…………飲めなくはないが」
「飲めなくはないけどね……。なんだろ、子供用のシロップの薬をレモネードで割って、きっつい花の匂いみたいなの付けたみたいな?」
二人の感想に周囲は一瞬怯んだが、一人が果敢に挑むと、ペットボトルは次々と男子学生の手に渡っていった。
「うわ、俺こういうの無理!」
「ファーストキスまずっ!」
「えー、オレ結構好きだぞこれ」
好き勝手に言い合いながら、どんどん中身が減っていくので、無くなる前に寄越せと手を伸ばしかけた荒北は、次に手にした男子に気付いて制止の声を上げかけたが僅かに遅かった。
「東堂、お前はダメ……!」
ピンク色の液体を含んだ瞬間、口元を抑えて動かなくなった東堂に、遅かったと肩を落とす。
「お前なァ……」
東堂が握りしめていたペットボトルを取り上げてローテーブルの上に置くと、口元を抑えたままその場にしゃがみこんだチームメイトを半眼で見下ろす。
「この前の小豆味の時も同じことやったよなァ? 炭酸飲めないんだよなァ? そもそもあの色見たら、自分が飲めるか飲めねーかくらい判断つくよなァ!? バカなの、お前? 学習能力ないワケェ?」
どうして手を出した、と一喝すると涙目で恨めし気に見上げられた。
「んんんんん、んんぅ」
「分かンねーよ!」
「炭酸は飲めるけど好きじゃないだけだって。今回のは味が想定外すぎたってさ」
「新開、訳すな! このアホ甘やかすんじゃねェ! 東堂は飲み込んでから喋れ!」
したり顔で通訳する新開とこくこくうなずく東堂を怒鳴りつけるが、どちらも恐れ入った様子はない。
前回も同じように新商品を持ち帰ったところ、周りのノリにつられて手を出した東堂が、目を白黒させながらどうにか飲みこんで、こんなものを飲むなんて味覚が破壊されているだの、悪食だのと散々噛みついてきててうるさかったのだが、今回は飲みこむこともできないのか妙におとなしい。
「尽八、無理しなくていーから、ぺってしちゃいな?」
一度口の中に入れたものを吐き出すことに抵抗があるのか、ぶんぶんと首を横に振る。
「じゃあ、ちょっとずつ飲みこんでみ?」
それもできないと、ふるふると首が横に振られる。
「こんなアホなことで泣くな!」
「荒北、今はダメだ」
ここで殴ると惨事になると福富に冷静に止められ、上げかけた拳をどうにか下ろすが、この馬鹿騒ぎに何事かと他の部屋からも寮生が集まってきてしまう。
「何、また荒北が東堂泣かしたのか?」
「またって何だ、またって!?」
くだらないことでよく口論はするし、お互い手も足も出るが、この傍迷惑な生き物を泣かせた覚えはないと噛みつくが、荒北の主張は放置された。
「靖友がベプシ新作買ってきてさー」
「あー、尽八は舌がおぼっちゃまだから」
「レッドブルも飲めなかったよな、エナジードリンク系全部駄目だろ」
「缶のお汁粉は飲んでたじゃん、あれはいーの?」
「こいつ寮入るまでカップラーメン食ったことなかったんだぜ」
何も言えずにうずくまる東堂は格好のおもちゃらしく、四方を囲まれて突かれているのを首根っこを掴んで引きずり出した。
「いじンな!」
「荒北かーさんが怒ったぞ」
「誰が母親だ!」
こんな手のかかる子供を持った覚えはないと唸るが、入寮した当初ならいざ知らず、寮生活も三年目に突入すると互いに気心も知れていて、荒北が凄んでも誰も怯まない。弄る対象を取り上げられて、テーブルの上に置いた飲みかけのボトルに興味が移り、勝手に飲み回しはじめた。男子もこれだけ集まると姦しいことこの上ない。
一つ嘆息して、肩越しに後ろに追いやった東堂を見下ろすと、まだ飲みこめていないのか口元を押さえたまま、それこそ幼児が母親のスカートにするように荒北のTシャツの背中を掴んでいる。
「お前ねェ……」
口の中にずっと含んでいる方が辛いだろうと指摘しかけ、不意に寮生達の間から一斉に上がった声に振り返る。
まずいまずいと言い合いながら回し飲みしているうちに、一人が残りを全部飲みほしてしまったようで、まだ飲んでいなかった一部が不満と非難の声を上げたものらしい。
「って、オレも飲んでねェんだけどォ!?」
買ってきた荒北の口に一滴も入らなかったことに思わず声を高めると、まずいとばかりに遠巻きに騒ぎを窺っていた下級生が蜘蛛の子を散らすように逃げていき、同学年の寮生達もさりげなさを装ってそれぞれ何か用事を思い出してその間から立ち去った。
一瞬にして人口密度が激減した談話室に残ったのは、同じ部のレギュラーメンバー達のみである。
「あっの野郎ども……!」
いつも飲んでいる普通の味のものならば、今度現品で返せと言って手打ちにするところだが、今回は少々事情が異なる。
「靖友、新しいの買ってやるから」
とりなす新開を、じとりと荒北は見据えた。
「新しいの買ってきて、お前半分飲めンの?」
「無理」
予想はしていたが、答えはきっぱりとした拒絶で、息を吐き出しながら荒北は福富に目を向けた。
「…………薬と思えば飲めなくはないが」
「そこまでして飲ンでくれなくていーから」
苦渋に満ちた顔で宣言しなくてもいいと、責任感の強い主将に手を振り、荒北は再度溜め息を吐いた。
「そんなに飲みてーわけじゃねーけど」
最初のノリが大切なので、友人たちの反応で不味いと分かっているものに再挑戦するほどの気力はない。
「東堂のせいだし、責任とって新しく買ってきたもん、全部飲んでもらってもいーけどなァ?」
ふるふると首を横に振って無理だと訴える東堂は、まだ口を利かないところを見るに含んだものを飲みこめていないらしい。くいくいとTシャツを引っ張られて何かと思えば、荒北の背に指が這った。
何のつもりだと問いかけて、その指が文字を綴っているのに気づく。
や、め、て、お、け、不、味、い。
「うるせェ! お前が飲めもしないのに手ェ出すから、オレが飲む分無くなったんだっつーの!」
「んーんんぅ!」
綴られた指文字を読み取って怒髪天を突いて振り返ると、何やらもごもごと主張するのが鬱陶しい。
「飲みこんで喋れ、おら!」
「んんー!」
口元を掌で塞ぎ、鼻を摘んでやると目を白黒させてもがいたが、逃がさず数十秒そのままで待ち、おとなしくなったところで身を屈めて耳元で恫喝した。
「飲みこめ」
「んっ」
こくり、と喉が動くのを確認してから手を離してやると、涙目で睨まれた。
「んだよ、その顔は? 何拗ねてんの、オレが怒ってんだけどォ?」
「靖友がいつも尽八いじめるから」
「いじめてねえ! ってゆーか、いつもこいつに迷惑かけられてんのはオレの方だ! 福ちゃん、なんか言ってくれよ!」
声を荒げた荒北に、福富は表情を動かさず口を開いた。
「二人とも、朝練までに仲直りしておくように」
それ以上引きずるな、と淡々と告げられ、荒北は二の句が継げない。
「こーなると尽八も靖友も面倒くさいしなあ。寿一、部屋戻ろーぜ」
むっつりと黙り込んだ東堂と、いきり立つ荒北をあっさり見捨てて、チームメイト達は自分達の部屋に各々戻っていき、談話室には二人だけが残された。
「……ンなんだヨ、ったく!」
喧嘩両成敗どころか、関わるだけ無駄とばかりに放置されたことに気付いて、荒北は舌打ちした。
荒北は少々角の立つ物言いの多い方だし、東堂は調子に乗りやすい上に口が減らないから、一日に一度は何かしら口論になったり手が出たりするので、日常茶飯事と言えばその通りだが。最初の頃はもう少し誰かが止めに入ったと思うのだが、最近はこうやって放置されることが多い。
しん、と静まり返った談話室に頭が少し冷えて、実にくだらない状況に改めて気づいて荒北は深々と嘆息した。
買い出してきたものを部屋に持って行こう、とコンビニの袋に手を伸ばす。
「東堂、お前も部屋戻れ」
「…………不味い」
「っせェ!」
努めて冷静に声をかけたつもりが、拗ねた声音にたちまち沸騰した。
「マズいマズいって、誰かさんのおかげで、オレは一口も飲んでねェんだよ! っとに毎度毎…………ど?」
口元を柔らかいものに塞がれて、怒声が遮られた。
甘ったるい匂いに目を瞬かせ、焦点が合わない程に至近距離にある東堂の表情を読み取ろうとするが、近すぎて果たせない。
舌に安物のキャンディのような味が乗ったかと思うと、甘味はすぐに薬っぽい奇妙な苦みに変わった。
「不味いだろう」
身を離して、何故か得意げに笑って着色料でピンクになった舌を出した東堂が、唖然としている荒北の顔を見て固まった。
一瞬血の気が全て引いた顔がじわじわと赤くなっていくのを呆然と眺めていると、気まずい空気に耐えきれなかったらしく、東堂が口を開いた。
「ええと、その……あらきた、その、悪かっ……」
「っせェよ!」
パーカーの胸元を掴んで引きずり寄せると、殴られると思ったらしく、ぎゅっと両目を閉じる。
黙れと塞いだ口からは、先程の人工的な甘ったるい味は大分薄れていた。
「……荒北」
奇妙に平淡な呼びかけに顔を離すと、不思議な風合いの双眸が荒北を映していた。
「それは、まずいと思う」
淡々とした言葉と共に、服を掴んでいた手を外された。
拘束を解いて、横をすり抜けていった東堂を振り返ることもできず、足跡が遠ざかっていくのを背中に聞く。
他に誰もいなくなった談話室にしばらく凍りついていた荒北は、はたと気づいて片手で髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。
「っと……」
買い出した物を持って部屋に戻ろう、という数分前の目的をどうにか思い出して、コンビニの袋を掴み、ローテーブルの上に残された空のペットボトルに気付く。
ゴミを放置して行くと寮監がうるさいので、半ば無意識の習慣としてボトルを取り上げてゴミ箱に放り込もうとし。
けばけばしいピンクのラベルに描かれた赤いキスマークと、妙にレトロな片仮名で記された商品名が目に入って、荒北は口元を押さえてその場にへたり込んだ。
「……そりゃ、マズイだろ」
